今年になり、自分の担当トレーナーの指導下に後輩ウマ娘が入ってきたのは、アグネスタキオンだけではない。
ジャングルポケットの所にも、後輩ウマ娘の姿があった。正確にはジャングルポケットの直接指導に当たっているキングヘイローがサブトレーナーを務める、桂崎トレーナーの担当ウマ娘が新たに増えたといった形であったが。
それに、その外見も、いかにも後輩らしい雰囲気を伴っているわけではなかった。褐色の肌に、漆黒の毛並み。身長も並みのウマ娘より頭一つ分以上は高く、黙ってじっと立っているだけで存在感は十分すぎる。
「なー、クリスエス。ウチのトレーナーんところ来て、もう一か月は経つんだからよ。あんま緊張しないでいこーぜ。」
「Thank you for your concern……ポッケ、先輩。私は、この場に緊張しているわけではない。」
トレーニングの休憩時間中でも、シンボリクリスエスはピシリと背筋を伸ばして静かに座っているばかりであった。
同じトレーナーのもとで指導を受けている先輩として、ジャングルポケットはあれやこれやと世話を焼いてはいたものの、どうにも他のウマ娘と接する時と同様にはいかない。
シンボリクリスエスがここに来るに至った経緯も無視できるものではない。
トレセン学園どころか、URA直々の指名を受け、アメリカから招聘されたウマ娘。単なる留学生ではない、国内のウマ娘レースの水準を引き上げるという、明確な目的をもってトレーニングを続けている強化選手なのだ。
事あるごとにこわばりがちなクリスエスの表情を、ポッケが極力和らげてやろうと奮闘していたのは、そういった来歴を知ってこそでもあった。
「あっ、そーだ、たしか1月中は期間限定で、食堂のメニューにおしるこが追加されてたよな。練習終わったら一緒に食いにいかね?」
「おしるこ……?」
「っと、ぜんざい、っつー方が伝わるか?えーとだな、あんこをお椀に入れて、お餅を入れた……よーするに、甘いデザートだ!」
「すまない……レースの日が、近いから……甘いものは、控えるようにしている。」
クリスエスも甘味に魅力を覚えることがないわけではないだろうが、その魅力にかまけていられないだけの理由が、彼女の背負った使命にもたらされていた。
やりとりを背後から見ていたキングヘイローが、口を挟む。
「ジャングルポケットさん、休憩時間には静かにさせてあげて。今のクリスエスさんは、桂崎トレーナーからもらったアドバイスを反芻しているところでしょうから。」
「……分かったよ。悪ぃな、クリスエス。」
話しかけるのをやめてジャングルポケットが離れていくときも、当のクリスエスは申し訳なさげな表情を浮かべた後、あらためて精神を練習へと集中させている様子であった。
相手が単純に冷淡なだけであればポッケも応対に悩むことなく、自分のペースで接することが出来ただろう。が、クリスエスのようにこちらの思いを汲んだうえで関係性を深められない相手となれば、ますますポッケには対処のしようが思いつかなかった。
URAからの期待を一身に背負うほどのウマ娘が直接の後輩となることは嬉しく、また誇らしかったのだが……より接しやすい後輩を得たタキオンのことが、時おりは羨ましくなる。
「そりゃ分かるけどよ、アイツも同期の連中が活躍してる中で、プレッシャー掛かってるだろうけどよ……俺もアイツが緊張しすぎねーように、って、色々気にかかってんだよ。」
昼下がり、昼食時の混雑が過ぎ去った食堂にて、さきほど話に上げたおしるこをかき混ぜつつ、ポッケはぼそぼそと喋っている。
目の前には、同じくおしるこのお椀を前にして、アグネスタキオン、そして彼女と同じ鷹木トレーナーの指導下に入った後輩、ヒシミラクルの姿があった。
「なるほどねぇ。私という天才ウマ娘を同期に持ってしまったジャングルポケット君であればこそ、身をもって共感できる境遇なのだろうねぇ。」
「言っとくが俺は、オメーからプレッシャー感じたことなんかこれっぽッちもねーからな。そこんとこ誤解すんなよ。」
こういった内容を相談しに行く相手として、アグネスタキオンを選択したことについて若干の後悔がよぎる。が、何ら気遣いを見せず、態度もブレないで話を聞く相手をこそ自分は求めていたのだ、とポッケは考えなおす。
タキオンの隣で何の緊張感も無く、ただただおしるこにつられて来ただけのヒシミラクルがテキトーな相槌を打っている姿も、この場が気兼ねと無縁である様を象徴していた。
「ほぅれふよわらひなんへほんはけへんはいにはほわぇへいうは」
「食ってからにしろ、喋るんなら。」
「あぁ、確かにヒシミラクルくんの場合、練習場に出れば自分以外が皆、才能の塊たるエリートウマ娘ばかりに見えているだろうねぇ。そのような状況でなお、さしたるプレッシャーも感じぬままに振舞えるのは、一種の才能であると私は考えているねぇ。」
「俺が聞き取れないまま会話を進めないでくれねーかな。」
ネオユニヴァースやタニノギムレットと会話している時も同様に、アグネスタキオンは相手の発言内容を推測によって補完し、勝手に会話を進めることが多かった。
今回の場合は、ヒシミラクルがおしるこの餅をほおばっているために、発音が不明瞭になっているだけであったが。
ジャングルポケットは呆れながらも、GⅠタイトルを獲った先輩ウマ娘に囲まれた状況でマイペースを貫けるミラ子のメンタルにも一種の感服を抱いていた。
「とはいえ、そんだけ肝が据わってんのは、かなりの強みではあるだろーな、ヒシミラクル。お前は次、いつ出走予定なんだ?」
「さぁー、分かんないです。まだまだ、トレーナーさんも私の能力を見極めてる最中ですし。あの、もう一杯だけおかわり、もらっていいですか?」
「マジで図太い奴だな、コイツ……」
先輩からおごってもらうのを良いことに、おしるこのお代わりを注文しようとしているヒシミラクル。ポッケは彼女の内面に既に感服しているので、呆れる段階はすでに通り過ぎている。
自分も欲しい、とばかりに笑みを浮かべてお椀を持ち上げているタキオンを睨みつけ、ポッケは一応ミラ子に向かって問い質した。
「俺も後輩の前でケチケチしたことは言わねぇ、けど、2杯も食って大丈夫なのか?これからが大事な時期だろ、甘いものを断ってるクリスエスがストイックすぎるだけかもしれねーけど。」
「えー、でも、トレセン学園の食堂で出されるメニューは、どれもこれもアスリート向けにカロリーが明記されてるんですよね?じゃあ大丈夫ですよ、いくら食べても。」
「いやそりゃカロリー計算しやすくするためであって、どんだけ食べても体に影響出ねぇってワケじゃねーからな!?」
と言いつつも、やはり後輩にあたるウマ娘から頼られる状況を内心求めていたポッケは、2杯目のおしるこも奢ってやったのであった。
甘ったるい湯気を顔に浴びながら、ほくほくと笑顔で餅を食しているミラ子を眺めつつ、ポッケはタキオンに告げる。
「タキオン、お前の後輩、ちゃんとお前が見てやらねーとダメかもな。」
「えぇー?どちらかというと、私が面倒を見てもらいたい側なんだがねぇ。」
「鷹木トレーナー……お前んとこのトレーナー、ビシッと注意してくるタイプじゃねーだろ?」
タキオンは更に何かを言い返そうと口を開きかけていたが、鷹木のことを引き合いに出されたとたん口を噤み、チラと横目でミラ子の方へ視線を遣り、そして黙ってポッケに向かって頷いた。
思えばもとから細身であり、むしろ食事量をきっちり増やす方向でトレーナーから指示されていたタキオン。それとは逆に、食い意地が張ったウマ娘、ヒシミラクルの指導をするのは鷹木も慣れていないだろう。
早くも2杯目を完食しようとしているミラ子の食欲が衰えていない様を察しつつ、タキオンは興味の向かう先を別に向けることとした。
もとより、ポッケから会いたいと言われた時、この時間帯を指定したのは今日行われるレースを観戦するためである。それも、今まさに東京レース場に向かっているシンボリクリスエスが出走するレースだ。
「セントポーリア賞の発走時刻は、14時25分だったねぇ……おっと、間もなくじゃないか。食堂のテレビ、チャンネルを変えさせてもらおうかねぇ。」
「クリスエスの奴、最後の最後まで緊張しっぱなしだったけどよ、きっちり本来の力を発揮してくれりゃあいいんだが。」
ライバル同士、煽り合う関係のタキオンとポッケであったが、短からぬ付き合いゆえか、こういった場面では妙に息が合うのであった。
ミラ子が餅を頬張ってモゴモゴしている内に、タキオンは食堂に備えられたテレビ画面に東京レース場の中継番組を映しだし、ポッケも完全にその観戦へ専念する体勢へ入り、『さらなるおかわりなど無い』とミラ子へ言外に告げる状況をつくりだしていた。
「おやおや、1番人気はクリスエスくんではなく、タイムレスワールドという子だねぇ。」
「あぁ、去年の12月、初のデビュー戦をいきなり一着で勝ち抜けていった奴だ。俺も映像は見たが、相当に差しが強ぇ。クリスエスも似たような走りだから、下手に競り合わねーようにって教えられてるはずだ。」
おそらく、シンボリクリスエスの心肺機能の成長は、いまだ途上といったところなのだろう。
体格だけで見れば他のウマ娘を圧する存在感でありながら、ゲート内にてスタートの瞬間を待つ彼女の緊張が、そのこわばった佇まいから画面越しにでも伝わってくるようであった。
〈東京レース場第9レース、セントポーリア賞、いよいよ発走の時を迎えます。空は晴れておりますが先ほどまでの雨によりバ場状態は不良となっております、間もなく全ウマ娘のゲートイン完了……スタートしました!さぁウチから真っ先にハナを取ったのはコスモパトリック、続いて外からカワキタノーブル、更には並んでアルスブランカとヴィジョンサンヒコ、この辺りが先行集団を形成しております。最初の2コーナーを斜めに横切り、向こう正面の直線へと入っていきます。〉
不良バ場のため、ぬかるんだ土がウマ娘たちの蹄鉄で飛び散り、彼女らの勝負服に点々と泥の跡をつけていく。
シンボリクリスエスは前もって作戦を告げられていたおかげか、ポジションを迷う様子はなかった。緊張感がなかなか抜けきらない彼女の性質を見抜いた、桂崎トレーナーの指導の賜物であろう。
ただ、その位置はかなり後ろへ下げた形となっていた。
「思い切った位置取りだねぇ、出走数14名中の13番手、ほぼ最後方だねぇ。」
「1番人気のタイムレスワールドと競り合ってたら、集中するマークにも巻き込まれちまう。落ち着いて全体を眺められる位置なら、後半のペース配分も分かりやすい、ってことだろうけどよ……。」
だが、青空が広がった下でありながら、ぬかるんで泥の飛び散るレースとなったのは一つの誤算であった。
前を進むウマ娘たちが蹴立てる泥や、湿った芝の切れ端が飛んできて身体に降りかかる状況で走ること……そんなレースに、シンボリクリスエスは、まだ慣れていない。
〈ゆるやかな下りとともに向こう正面へと入ります。先頭はコスモパトリック、リードは1バ身から2バ身といったところ。続くカワキタノーブル、ここで外からマジックベーカリー上がってきた、現在3番手の位置であります。中団ウチ側にシャーディーナイス、さらにメジロフリーマン並んで、エーピーダイモンジ、マイネルジェム、アルジャーノン、と横一線になって坂を上っていきます、ぐっと詰まった隊形で混戦模様となっています。〉
東京レース場、1800mの向こう正面は中ほどに上り坂があり、そして3コーナーへ入る手前から再びスピードを出しやすい下り坂となる。
ゆったりと流れた前半のペースも、終盤には一気に加速することが多いため、この時点で良い位置を取ろうとして位置取り争いが起きやすい。そんな状況でも、シンボリクリスエスは指示された作戦通り、最後尾に位置取り続けていた。
「いや焦らなくても行けるぜ、東京レース場の直線は長ぇんだ、一番後ろからでもテッペンまで駆け上がれる。落ち着けよクリスエス、呼吸乱すんじゃねーぞ。」
「私だったら、あのまま一番後ろでゴールしちゃいそうですけどねー。」
ようやく先ほどおかわりしたおしるこを食べ終わったのか、ミラ子のノンビリした口調が横から聞こえ、ポッケはつい気が抜けそうになる。
だが、視線は画面から外せなかった。いよいよ3コーナーを回っていく集団の大外、1番人気のタイムレスワールドが絶好のポジションにて、じわじわ前へ上がっていく態勢を見せていたのだ。
〈残り1000mを切りまして、3コーナーを先頭で回っていくのは変わらずコスモパトリック、しかし大外からタイムレスワールド上がってきた!10番手、9番手、さらに速度を上げて前へ進んでいきます!残り800を通過!中団からはシャーディーナイス、エーピーダイモンジも外へ出した、先行集団のアルスブランカも粘っている!2番人気シンボリクリスエスはまだ後ろだ、動きを見せない、先頭はいよいよ4コーナーを抜けてスタンド前直線へと出てきます!〉
さすがに前へ出る準備をした方がいい、と普通ならば考える段階でも、変わらずクリスエスは最後尾で淡々と脚を運び続けていた。
中継画面を凝視しているポッケも、そんなクリスエスの走りに歯痒い思いを抱かなかったわけではなかったが……これで良いのかもしれない、と考えなおしていた。
「コーナーで位置取り争いしながら前に出んのは、スタミナ残量の計算がムズイんだ。直線向いてからの一本勝負に懸けたほうがいい、って桂崎トレーナーは判断してんだろーな。」
「まさにジャングルポケット君の走りをなぞるようだねぇ。ただ、クリスエス君の大柄な身体で真似をするのは、少々難しいかもしれないねぇ。」
タキオンの指摘は、同じく高身長なタップダンスシチーの模索した走りを念頭に置いてのことであった。タップは瞬発力勝負に持ち込まれるのを避け、終始一定のペースで走り抜く作戦で徐々に戦績を上げている。
一定以上の距離を走り抜いたうえでゴール前に加速する作戦においては、当然ながら身軽な方がいち早く、最高速へと至ることが出来る。小柄なジャングルポケットが、東京レース場の直線を得意とするのも道理である。
とはいえ、シンボリクリスエスが自らに適合したスタイルを見出すのは、もう少し先の話となるだろう。今は、心肺機能が彼女の走りに追いつく方が先決である。
〈直線を向きまして先頭はアルスブランカ!残り400を通過!外からタイムレスワールド上がってくる!シャーディーナイスも粘っているが、じわじわと差を広げられていく!先頭変わってタイムレスワールド!さらに大外からシンボリクリスエス!ここで最後方からシンボリクリスエス、ようやく上がってきた!残り200を通過!4番手以降のウマ娘は、もう先頭の3名について行けていない、勝利争いは3名に絞られた!〉
歴然とした能力の差が、ゴール目前にして競り合う面々と、後方集団との間にあった。
先行し続けていたアルスブランカ、そして理想的な位置とタイミングで仕掛けたタイムレスワールド。そこに大外、ずっと後ろから一気に突き抜けてきたシンボリクリスエスが並んでいる。
「ほぇぇー、どえらい末脚ですねぇ、クリスエスくん!」
「惚れ惚れするねぇ、だが、もう少し伸びたいねぇ、勝つのならば……!」
先ほどまで、お椀のなかに残った餡子を箸ですくいあげては舐めていたミラ子も、その動作をつい忘れたようにレース中継へと見入っている。
ジャングルポケットはすっかり無言になり、走っているのは自分ではないにもかかわらず、本番同様の集中力と共にクリスエスの足取りに視線を注ぎ続けていた。
スタミナ切れではない……その見事な走力に見合うだけの、身体機能が育ちきっていない。現役ウマ娘の一員として、ポッケの目にはそう映った。
〈先頭はタイムレスワールド、アルスブランカ、そこに並ぶシンボリクリスエス!届くか、届くか、しかしタイムレスワールド先頭、3名並んでゴールイン!ゴール直前、シンボリクリスエスが追い詰めましたが、勝ったのはタイムレスワールド!見事な接戦でした、二着はシンボリクリスエス!最後尾から上がってきたその末脚に、東京レース場は湧いています!〉
十分なスタミナを残し、現時点で発揮し得る一番の末脚を見せつけて駆け上がったシンボリクリスエス。
結果は二着であった。が、位置取りの技術、そして基礎的な身体能力がさらに磨かれれば、確実に伸びしろはある。見る者たちにそう思わせるほど、圧倒的な上がりであった。
そしてやはり、ゴール直後のクリスエスは、遠目にも分かるほどに息を切らしていた。ゴール後も競争相手から案じるような視線を受けつつ、速度を緩めて極力呼吸を整えることに専念している様子が画面に映っていた。
レースの結果が出た後も、ジャングルポケットは後輩の様子を気にするように、視線をテレビ画面から逸らしていない。
「……もうちょい、後だな。アイツの本領発揮は。クラシック路線、間に合わねーかも。」
「かの結城トレーナーも同じことを言っていたねぇ、クリスエス君の本格化は秋以降だ、とねぇ。さすが、レジェンドトレーナーの見る目に狂いはないねぇ。」
「そうと決まったら、秋までダラダラ過ごせばいいんですけどねー。私も同じこと言われてみたいですよぉ。」
相変わらず緊張感とは無縁のヒシミラクルが、お椀を手に立ち上がる。
彼女が食堂の注文口におかわりを受け取りに行こうと向かおうとしているのを素早く察し、ただちに立ち上がったタキオンはミラ子の両肩を掴み、食器返却口へと強制的に向かわせていた。
「キミが行くべきはこっちだねぇ!そろそろ練習に戻る時間だねぇ!」
「えぇー、あと一杯ひっかけていくだけですからぁ……!」
以前はサボリの常習犯だったタキオンが、今は後輩にサボらぬよう注意を与えている。少なくとも1年前であれば考えられない光景を横目に、ポッケも自分の後輩へ掛けられる言葉を早くも探していた。
現状のクリスエスが抱いている心境を思えば、ダービーウマ娘ジャングルポケットとして与えられる助言は少なくはなかった。