探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 京都記念。歴史ある重賞レースでありながら、今年アグネスタキオンが挑むことには大きな意味があった。昨年、一昨年と、全く同じレース展開が繰り返されている異変のためである。まるで、ウマ娘レースの歴史の空白を埋めるかのごとく、毎年同じ出走者が集まり、示し合わせたわけでもなく全力で競走するにもかかわらず同じ展開、同じ結果が出る。昨年の皐月賞後の引退の危機を乗り越えたアグネスタキオンは、自分という不確定要素がそこに加わることでいかなる変化が見いだされるのか、と強く興味を抱いていた……もちろん、ウマ娘の本質として、そのレースに勝ちたいという意志を強く抱いてもいたが。


廻り続けたターフの上に、未知を

 2月16日、京都記念の当日を迎えるアグネスタキオン。

 

 いよいよもって未知の領域へと突入していく実感が鷹木にはひしひしと迫っていた。むろん、ウマ娘レースの結果が常に未知であるのは言うまでもない。

 

「しかし私はどこまで行けるのだろうねぇ。可能性世界ではおそらく、昨年の皐月賞を最後に私の戦歴は完了していたと思われるが、この現実においては天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念を経て、今年のシーズンにも遂に突入しているのだからねぇ!」

 

「少なくとも、今年のシニア級は走り切ってもらうつもりだ。俺が担当トレーナーである以上は。」

 

 観客たちの立てる歓声が低い響きとなって壁越しに伝わってくる、京都レース場の控室にて既に勝負服へ着替え終えたタキオンは椅子に掛け、足を投げ出しリラックスした姿で出走の時を待っていた。

 

 この京都記念というレースは、ここ数年ナリタトップロードの独壇場である。思えばオペラオーがシニア級だった年に初めて挑んで二着、それから毎年欠かさずナリタトップロードは京都記念に出続け、今回で4年目の出走である。

 

 息の長い活躍を続けるナリタトップロードの実力のほどを改めて鑑みつつも、あるいは彼女が繰り返す出走もまた異変に巻き込まれた形であるかもしれない、と鷹木は考えていた。

 

「タキオン、今回のレースは実力者へ挑むばかりが全てじゃない……同じ展開を繰り返す異変、それ自体に挑むレースだと言えるかもしれない。」

 

「今さら言うまでもないことさ、そのために京都記念を選んだのだからねぇ。トップロード先輩も、アドマイヤベガ先輩も、私が挑むことを望んでいるだろう、自分が走るレースの結末が既に定められた通りになることなど、ウマ娘が望むはずもないのだからねぇ。」

 

 昨年、そして一昨年の京都記念は、まるきり同じ展開となっていた。

 

 2番手の好位置で進んだナリタトップロードが、理想的なタイミングでハナを奪ってゴール。先行の位置からトップロードに並びかけたマチカネキンノホシは、一歩届かず二着。得意分野ではない先行策を採ったアドマイヤベガは、遅れて三着でゴールする。

 

 既に用意された筋書き通りのように、そんな展開を繰り返している京都記念。昨年の時点で、既にナリタトップロードもアドマイヤベガも違和感には気づいている。

 

「とはいえ私の出走決定を皮切りに、例年の繰り返しを崩す予兆は既に見出されているねぇ。たとえばマチカネキンノホシ先輩は、今回の京都記念に出走しない。毎年同じことを繰り返していると気づいたトプロ先輩もアヤベ先輩も、今回こそは去年と異なった作戦で走る可能性があるねぇ。」

 

「そこに切り込むわけだ、タキオン……無事に帰ってきてくれよ。」

 

「トレーナーくんに言われずとも、無事に勝って帰ってくるとも。」

 

 鷹木が伝えようとしたのは、この現実世界そのものが引き起こしている異変へと介入することについての不安であった。

 

 毎年同じ展開を繰り返す、非現実的な現象。それは何者かが悪意を以て引き起こしているのではなく、引き起こされた現象として発生しているものである。が、だからこそ、拠り所の無い大きな不安が伴うものであった。

 

 殊に、ウマ娘レースは運命の残酷さと隣り合わせである。誰も望まぬまま敗北を得るのは当然、時には選手生命を絶たれるほどの怪我を負う場合もある。

 

 もしも、この世界の運命を定めている神のような存在が居るのならば、既に定められた筋書きを崩し、狂わせようとしているアグネスタキオンという存在は……疎ましく思われぬだろうか。

 

 出走前ウマ娘に見せるべきではないと分かっていても、やはり鷹木は不安そうな表情を隠しきれていなかったのだろう。椅子から立ち、控室の中をぐるぐると歩き回りながらタキオンは改めて口を開いた。

 

「心配不要だねぇ。もう、どれだけウマ娘の限界に迫ろうとも……すなわち至るべき必然の先を覗こうとも、私が辿る先の運命を見ることはないんだ。」

 

「え……?」

 

「去年の弥生賞の時は、皐月賞を終えた私の脚が砕ける光景が見えた。だが、秋に復帰して以降は、もう私の前に筋書きは無い。」

 

 ガチャリと控室のドアを開け、タキオンは去り際に言葉を付け加える。

 

「だからトレーナーくん、私はどこへだって行けるんだ。さだめも導きも無い暗闇を恐れさえしなければ、どこへだって。」

 

「……分かってる。勝ってこい。」

 

 そう返した鷹木の表情を確かめる必要もない、とばかりにタキオンはそのまま控室を出て行った。

 

 敗北も、故障も、怪我も、あらゆるレースに可能性としては付きまとう。そのリスクや恐れを全て承知し、可能な限り遠ざける努力を尽くしたうえで、トレーナーはウマ娘をレース場へ送り出してきたのだ。

 

 むろん鷹木の冷や汗が瞬時に引いたわけではなかったが、多少なりと力強い言葉をタキオンに掛ける事だけは出来た彼は、呼吸を整え終えてからトレーナー用の観戦ブースへと向かった。

 

「去年のレースデータは……2年前のものになってるな。明らかに変だってのに、これでも騒ぎにならないのか。」

 

 観戦ブースに出てから使用可能となったスマホを取り出し、鷹木は一応確認を行う。

 

 去年と全く同じレース展開が引き起こされる異変には、ネット上で閲覧できる去年のレースデータを参照することで誰でも気づけるはずであった。が、やはり今回も、去年のレースデータは閲覧できる状態に無い。

 

 代わりに表示されたのは2年前の京都記念、すなわちマックロウが一着、アグネスフライトが二着、ナリタトップロードが三着となった年のデータである。

 

「データベースの表示ミス、ってだけじゃ片付けられない。何万人もレースを見ていて誰も覚えていないはずがない……去年も一昨年も、京都記念ではビッグゴールドが出走取消になっている。」

 

 今年も、出走前のアナウンスにてビッグゴールドの出走取消が告げられていた。鷹木の記憶の中では、そのアナウンスを聞くのは既に3度目である。

 

 勝利する運命が繰り返されるウマ娘が居るということは、敗北する運命が繰り返されるウマ娘もおり、更には出走を断念する運命までもが繰り返されるわけである。その点でもタキオンには、この異変を脱する突破口としての期待がかかった。

 

 が、鷹木は別なことにも気づいていた。

 

「待てよ、もしも今回タキオンが勝って、その歴史が異変によって消されなければ……あれだけ連覇していたナリタトップロードが、記録上では一度も京都記念で勝ったことのないウマ娘になってしまうのか?」

 

 担当トレーナーとしてはアグネスタキオンの勝利を望むのは当然であったが、かなり酷な扱いをトップロードに押し付ける可能性も迫っていた。

 

 胸の底に冷たいものが広がりかけたような感覚を鷹木は抱いたものの、すぐさま首を振ってその思いを払い除け、あらためて視線を京都レース場のターフへと向けた。

 

 勝者の座は、一つだけである。栄冠をつかんだ時には、他のウマ娘を押しのけている。当たり前のことだ。

 

「それに、タキオンが勝てると決まったワケじゃない。」

 

 誰も確定した未来を得ない、レースの結果は誰にも分からない。そんな現実でのレースをこそタキオンも鷹木も望んでいるのだから。

 

〈晴天に恵まれました、京都レース場芝2200mです。今年の京都記念も、大歓声の正面スタンド前、9名のウマ娘がゲートに収まっております……スタートしました!綺麗に揃ったスタートです、まず果敢に前へと出て行きますサクラナミキオー、すぐ外をナリタトップロードが続いて2番手、ウチを突くようにチェリーブラスト、といった面々で先団を形成しています。あとは中団先頭ボーンキングに続き、ミスキャスト、そしてアグネスタキオンが並ぶ形、最初の約400mの直線を駆けていきます。〉

 

 アグネスタキオンは2枠からのスタートであった。昨年と一昨年、マチカネキンノホシが出走していた枠である。

 

 他の面々は、やはり例年と全く同じ枠番となっている。出走取消となったビッグゴールドの8枠が空いているのも、1年前、2年前に見たのと同じ光景だ。

 

「去年と展開が同じだとすればタキオン、先団について行かないとウチ側に埋もれてしまうのは分かっていたはずだ。上がり勝負に重点を置く策で進めるつもりか。」

 

 例によって鷹木もレース時に採るべき作戦を示してはいたが、あくまでタキオンが展開に応じて下す判断を優先させるため、複数の可能性と選択肢を用意してあった。

 

 ひとつは、いわばアグネスタキオンの十八番、ハイペースで先行の集団を追い立て、自らも囲まれることなく後方集団を引っぱり、その勢いのまま最終直線でさらに加速する作戦である。

 

 だが京都2200m、それもシニア級以上のウマ娘が多く参戦するこの京都記念は、そう単純なペース配分が通用するレースではない。それぞれ得意とする仕掛けどころを熟知した、ベテランのウマ娘たちが終盤で一気に駆け上がってくるのだ。

 

 ゆえに、タキオンもまた十分な余力を残せるよう、集団に埋もれながらもウチ側を回る作戦を選んだのだろう……鷹木は、さらに後方の集団へ目を向け、その判断の根拠を確かに見出した。

 

〈1コーナーを回っていきます、先頭変わらずサクラナミキオー、ナリタトップロードが2番手、今年も注目のアグネスタキオンは中団にて淡々と脚を進めています。あとはトウカイオーザ、グロリアスドータが中団後方、そして最後方にアドマイヤベガ、やはりぐっと下げたポジションから前を窺う形であります。1,2コーナー中間地点、あまりばらけていない隊形で、ゆったりとしたペースで進んでいきます。〉

 

 アドマイヤベガが、最後方に位置している。これは例年の京都記念とは明確に違う展開であった。

 

 そも、アドマイヤベガが昨年や一昨年の京都記念にて、慣れない先行寄りの走りをしたことには明確な理由があった。クラシック級の年、引退の危機を乗り越えて以来続いている違和感。自分が、自分ではないウマ娘に上書きされていくような感覚。

 

 それを振り払うため、敢えて自分が普段は選ばないような作戦でレースを走っていたのだ。

 

「だが、今年のアドマイヤベガは、もう迷いを振り切った……ということか。彼女は本気で、勝ちを狙いに来た……!」

 

 昨年から今年に至るまで、可能性世界を探るアグネスタキオンと交流したことや、“お友だち”の姿が見えるマンハッタンカフェと言葉を交わしたことも、アドマイヤベガの心境に変化を与えた大きな要素であろう。

 

 異常な現象を恐れ、いかに逃れようとしても、自分がウマ娘であり、この現実世界の住民であることを脱せるものではない。

 

 むしろ自分にとっての必然を全力で遂行すればこそ、確かにこの現実で自分が活躍をしているのだ、との蹄跡を歴史に刻み込めるのだ。

 

〈向こう正面に入りまして、スタートから1000mが経過しました。サクラナミキオー、ナリタトップロードが1番手2番手、チェリーブラストがその後に続き、ボーンキング、ミスキャスト、あるいはアグネスタキオンが4番手5番手争いといった形。最後方グロリアスドータ、トウカイオーザ、その外にアドマイヤベガ早くも持ち出して、仕掛ける態勢を整えつつあるようです、間もなく向こう正面の坂を上って3コーナーへと入ります!〉

 

 このところ、敢えて自らの得意分野から外れるような走りが続いていただけに、アドマイヤベガの本領発揮を目の当たりにするのはほぼ全ての観客にとって久々であった。

 

 アドマイヤベガは最終コーナーに入る前からじわじわと加速を開始し、最終コーナーも大外を回って一気に駆け上がってくる。まさに、地表を遥か下に望んで翔っていく流れ星のように。

 

「京都レース場の3コーナーからは緩やかな下り坂、アドマイヤベガの作戦とは相性がいい。タキオン、十分に警戒しろよ……!」

 

 アグネスタキオンは、なおも中団の最ウチ、抜け出す好機を窺いながらも身動きの取れない状況にあった。

 

 タキオンが包囲網から抜け出す事については、鷹木は心配していなかった。むしろ理想のタイミングで加速出来たとしても、最後方から飛んでくるアドマイヤベガから逃れられるかが問題であった。

 

〈3,4コーナー中間地点を進みます、残り600を通過!全体がぐっと詰まって混戦状態、ナリタトップロードは1番手サクラナミキオーにほぼ並んで先頭に立った!アドマイヤベガ大外を回って上がってくる!あとはどうか、アグネスタキオンまだ集団から抜け出せないか!中団先頭に居たミスキャスト、ボーンキングも後ろとの差が詰まっている!4コーナーを抜けていよいよ直線へと向かいます!〉

 

 完全に先頭へと出たナリタトップロードは、むろんアドマイヤベガの姿を直接見る事こそなかったものの、彼女が本来得意とする作戦を今回は採用したことに気づいている。

 

 そのため、後方集団からは十分なリードを保って最終直線へと入っていった。その差は、観客席からはさほど大きくは見えなかったろうが、ほとんどのウマ娘にとって絶望的な差であった。

 

(トップロード先輩は、必ずスタミナに余裕を残してペース配分を組み立てるからねぇ。素晴らしいねぇ、今年の京都記念こそ、既存の可能性を脱し、特異点を見出すレースとなりうるだろうねぇ!)

 

 タキオンは未だ、外と前を塞がれた状態で加速出来ないままであったが、既に昂揚は最高潮に達していた。

 

 大外を駆けあがって、アドマイヤベガの蹄音が並びかけてくる。と同時に、4コーナーの出口、遠心力でウマ娘集団が外側へと膨らみ、隙間が広がった。

 

(最大級の特異点である覇王が去り、新たな世代が台頭するまでの間、ウマ娘レースを支え続けた……その実力を、全身で味わわせてもらうよ、先輩方!)

 

 アグネスタキオンは抜け出した。まるで光の粒子が彼女に遅れて追随するかのごとき、質量を感じさせぬ加速であった。

 

〈残り400を切りました!直線へ向きまして先頭はナリタトップロード!大外からアドマイヤベガも上がってきますが、ここで抜け出したアグネスタキオン!恐ろしい末脚だ、アグネスタキオン!一気に先頭のナリタトップロードに追いすがる!大外のアドマイヤベガも来る!先頭はナリタトップロード、並んだアグネスタキオン!そしてアドマイヤベガも見る間にリードを詰めてくる!3名並んで大接戦であります!〉

 

 アドマイヤベガは、彼女が日本ダービーを走った日の光景が、目の前と重なり合うようにも感じていた。

 

 もう4年前の話である。あの時も、ナリタトップロードと、そしてテイエムオペラオーと、そして自分が3名並んで、ゴールへと一直線に目指して最終直線を駆けていたのだ。

 

(いまここで走っているのは、あのうるさい覇王じゃないけれど……タキオンさん。あなたも、私も……引退の危機を乗り越えていなければ、ここに居なかった。)

 

 自分が出し得る最高速で駆け抜けていながら、アドマイヤベガの胸中は実に静かであった。

 

 だからこそ、大歓声を浴びながら、トップロードと自分の間に挟まれて全速力で駆けるタキオンから、実に嬉しそうな鼓動が伝わってくるのを感じたのだ。

 

〈完全に並びました、横一線にナリタトップロード!アグネスタキオン!アドマイヤベガ!残り200!3名の独壇場だ!トップロードか!タキオンかアドマイヤか!ほとんど並んでゴールイン!審議のランプが点灯しております、写真判定となりますが……アグネスタキオンです!一着、アグネスタキオン!ハナ差の勝利となりました!二着ナリタトップロード、三着アドマイヤベガです!〉

 

 ナリタトップロードとアドマイヤベガに挟まれたまま、徐々に減速し、確定した順位の表示された掲示板を見上げ、そして両脇の先輩ウマ娘へ交互に視線を遣った。

 

 自分がどのような顔つきを浮かべているのかは分からなかったが、トップロードに顔を向けた途端、相手はぷっと噴き出して笑い出したのであった。タキオンはいつになく戸惑い、トップロードへ問いかける。

 

「なっ、なんだい、トップロード先輩。その笑みは、私の勝利を讃えてくれていると取ってよいのかねぇ?」

 

「あぁ、それもあるけれど……その顔つき、オペラオーにそっくりだと思って。普段の性格はまるきり違うのに、本気の走りは、似てくるのかもね。」

 

 両者のやり取りを傍から聞きながら、アドマイヤベガも静かに頷いていた。自分が感じていたのと同じように、トップロードも思い至っていたのだ。

 

 ようやく、タキオンは必死で駆けていた際の表情のこわばりを解き、どうにか余裕を取り戻した笑みを浮かべ直してアドマイヤベガへと話しかける。

 

「しかし、やはりアヤベ先輩の追い込みは恐ろしいものだねぇ!あれほどの後方から、あっという間に駆けあがってくるものだからねぇ。」

 

「何年間も磨き続けた走りなんだから、当然のことよ。既に2度も京都記念を勝ってるトップロードとは違って、後輩に勝ちを譲るつもりもなかったし。」

 

「うん?私だって、本気で勝つつもりで走ったよ。」

 

 それ以上の言葉で胸中を確かめ合う必要は、肩を並べて走ったウマ娘たちの間には必要なかった。

 

 たった今の競走は、間違いなく本気の勝負であったし、何者かによって予め定められた展開などでは決してないことも、互いの走りが証明していた。

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