探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 京都レース場へ担当トレーナーと先輩ウマ娘が赴いて行った後、ヒシミラクルはトレセン学園に独り居残っての自主トレーニングに励んでいた。そういう体裁を繕っていた、と称した方が正しかったが。先輩からもトレーナーからも、自分には可能性を見出されているようであったが、GⅠレースに出走する将来の自分の像はどうにも思い浮かばない。鍛錬の重要性は理解しつつも、時には楽をしたいという思いが入りまじる中……そこに予想外の来訪者が現れる。


観測可能な“ミッシング”はダラダラの先に

 京都記念への出走のためにアグネスタキオンと鷹木トレーナーが京都レース場へと赴いている間、トレセン学園に居残っていたヒシミラクル。

 

 先輩ウマ娘や担当トレーナーが居ない間とて、学園に残された彼女が何もできなくなるわけではない。むしろミラ子は担当トレの居ない状態が普通であったため、自主的に行動することについては慣れきっている。

 

 その自主的な行動が、トレーニングへ向かうわけでもないというのもまた、ヒシミラクルの性質ではあったが。

 

 トレーニングルームに来たミラ子は、自主トレーニング用メニューが印刷されたプリントを見つめ、妙に真面目そうな表情を浮かべてはいたものの、考えている内容は全く真面目ではなかった。

 

「うーん……さすがに運動用バイクは使用履歴がしっかり記録されちゃうから、やらなきゃダメかぁ。これだけはやっといて、あとはゴロゴロしてよっと。」

 

 担当トレーナーが京都へ出張している間、ヒシミラクルの思考はいかにしてバレずにサボりをするか、その一点に集約されていた。

 

 先輩であるタキオンが本番さながらの練習を見せつけたり、ジャングルポケットから喝を入れられたりと、徐々にではあるがレースとの向き合い方に変化をもたらす経験は重ねつつあるミラ子。

 

 それでも、そうそう簡単に心底から性根を入れ替えるわけでもないのは、確かにミラ子らしいところであった。

 

「お、操作モニターをつかわずに、手動ハンドルでギア替えて負荷を軽くしたら、記録には残らないんじゃん。よしよし、サボるのも才能、これもタキオン先輩からの教え通りっと。」

 

 アグネスタキオンという、あまり参考にすべきでない先輩ウマ娘からの、さほど有難くないアドバイスに限ってはしっかり実行するヒシミラクル。

 

 数分後、そこには鼻歌を口ずさみながら、一番軽い負荷でノンビリとトレーニング機器のペダルをこぎつつ、晩冬の陽射しの降り注ぐグラウンドを悠々と眺めているミラ子の姿があった。

 

 今は2月の中旬。既に進学や就職を決めたウマ娘と、なおも現役アスリートとしての道を歩むことを決めたウマ娘が、ハッキリと分かたれている時期である。

 

 合同練習用のグラウンドでは、この時期になってもなお未勝利バ戦を繰り返しているウマ娘、条件戦から抜け出してオープン戦への出走を目指すのだろうウマ娘らが、血走った眼で走り込みを続けている。

 

 ミラ子には、彼女らが自分と同じ世界の住民であるとの実感は、まだまだわかなかった。GⅠウマ娘の先輩たちと近しくなった今だからこそ、余計にそう感じるようになったのかもしれない。

 

「ポッケ先輩の走りも、すごかったもんなぁ……もうなんか次元が違うし。あんな化け物がゾロゾロ居る世界に、勝負しに行くつもりで走ってるだなんてねぇ……みんな、えらいなぁ。」

 

 近所の河原をゆるく自転車で走っているかのごとき暢気さで、軽いペダルを漕ぎながら呟いているミラ子。

 

 外は2月の寒気に満ちていたが、トレーニングルーム内はガラス越しにポカポカと陽射しが差し込んでくるばかりである。ほぼ惰性で運動用バイクのペダルを漕ぎ続けているミラ子は、じわじわ迫る睡魔のために瞼ばかりが重くなりつつあった。

 

 ……が、違和感に気づくのは早かった。

 

「ん?あれ?バイクの負荷が元に戻ってる。せっかく一番軽い設定で漕いでたのに。いやだなぁ、勝手に設定が戻るようになってるのかな。」

 

 半分寝ているような状態であっても、自分が楽できないことに関してだけは、すぐに感づくミラ子。

 

 モニター上での表示こそ変わっていなかったが、手動のハンドルで変更できるギアでの負荷が本来の設定に戻っていた。いちいち足を止めてバイクから降りるのも面倒なのか、漕ぎながらも一番軽い設定へと改めて変更するミラ子。

 

 が、直後、すぐさまペダルは重くなる。ギア変更ハンドルを固定できていないのが、ともう一度足元へ手を伸ばし……ミラ子はハンドルではなく、何者かの手を掴んだ。

 

「ひぇっ!?」

 

「“MYSZ”だね。『負荷を増やす』は“NCMS”だよ。」

 

 足音も無く背後に忍び寄り、運動用バイクのハンドルへ手を伸ばし、ミラ子の気づかぬうちに設定を弄っていたのはネオユニヴァースであった。

 

 ヒシミラクルが会うのは、忘れもしない今年の初め、鷹木トレーナーの担当が決まった旨を先輩たちが伝えに来た時以来である。もちろんその名、その容姿を他と見紛うはずもない。相手は2年前のクラシック路線を総なめにし、宝塚記念までもクラシック級の年に勝利したウマ娘なのだから。

 

 透き通るような金の毛並みに囲まれた、宇宙を内包したかのごとき碧い瞳がじっとミラ子を見つめていた。

 

「……えぇ!?ねっ、ネオユニヴァース先輩!?あのその……お、お久しぶりです!」

 

「アファーマティブ。でも、『先輩』の呼び方は“デコヒーレンス”だよ。ヒシミラクルは“SMPD”だから。」

 

「は、はぁ、そう、ですか……。」

 

 ネオユニヴァースが独特過ぎる言い回しを用いることは、直接会ったことがなくとも各レースの勝利ウマ娘インタビューでも知れていた。

 

 それゆえに、実際の彼女の物言いに直面してもミラ子はそこまで面食らうことはなかった。ネオユニヴァースが言わんとする所をほとんど理解できないことに、変わりはなかったが。

 

 とはいえユニヴァースもまた、伝えやすさを彼女なりに心がけてはいるらしい。今のやり取りにおいては、少なくとも「先輩」呼びはしなくても良い、程度の内容は伝わっていた。

 

 遠慮や堅苦しさを取っ払うことに関しては得意なミラ子は、すぐさま照れ隠しも含めて喋りはじめる。

 

「いやぁ、それにしても、せっかく偶然3冠ウマ娘さんに会えたのに、サボってるところ見られちゃうだなんて、ちょっと恥ずかしいなぁ。」

 

「『ちょっと恥ずかしい』は“LTLY”だね。『わたし』と会ったのは“CICD”じゃないよ。」

 

「えぇと……?」

 

「……『わたし』は『ヒシミラクルに会う』をしに来たんだよ。」

 

 ネオユニヴァースなりに、くだけた調子で会話をするつもりであったらしいが、流石にそうスムーズには伝わらない。

 

 理解できぬなりに必死で相手が伝えようとしているところを掴もうとしているミラ子の様子を前にして、可能な限り伝わりやすい表現を選びネオユニヴァースは言い直していた。

 

 ようやく理解したのか、ヒシミラクルも会話を続けられた。

 

「偶然じゃなくて、私に会いに来たんですか?そのぉ……誰か他の子と間違えてないです?ほら、ヒシ冠とか、ミラクルって名前とか、私以外にも居るし……。」

 

「ネオユニヴァースは“STDA”じゃない。けれど、“SERR”上には『ヒシミラクル』が足りなかった。“REEN”には“ミッシング”が『観測される』だよ。」

 

「???」

 

 またしても、ユニヴァースの発言内容を掴み切れていない様子のヒシミラクル。自分自身の名前がそこに含まれていようとも、普通の語彙力で読み取れる内容ではない。

 

 ネオユニヴァースの側も、自分が言おうとした内容をどのように言い換えれば伝わりやすくなるのか、暫く思案している様子であったが……流石にこちらも難しかったのか、諦めたように別の言葉を口にした。

 

 今度はずっと分かりやすく……そして、本来ユニヴァースが伝えようとしていたことの、ごく遠回しな内容となっていた。

 

「ヒシミラクル。『トレーニングする』を、継続して。」

 

「……あっ、そ、そうですね!いやー、ここぞとばかりに休憩しちゃってました、どーしてもサボる癖って抜けないもんですねえ。」

 

「“XACF”は崩れてしまう。『ぼく』と『競走する』をしなければ。」

 

「えーと……ネオユニヴァース先ぱ……ネオユニヴァースさんと、わたしが、ですか?」

 

 突拍子もない内容を呑み込み切れずにいるヒシミラクルに対し、ネオユニヴァースはコクリと頷き、そして彼女自身のトレーニングに向かうためかそそくさと立ち去って行ってしまった。

 

 大抵の場合、ヒシミラクルは自分の理解の及ばぬ事項など簡単に忘れ去ってしまうものであったが、ネオユニヴァースから掛けられた言葉については妙に長く脳内にこびりつき、そして気にかかり続けたのであった。

 

 アグネスタキオンと鷹木トレーナーが京都記念から戻ってきた後日、ヒシミラクルがユニヴァースの珍妙な発言内容を、割と間違えずに伝えられたのもそのおかげである。

 

「一人称が『ぼく』と『わたし』でコロコロ切り替わったり、ホントに変わった先輩ウマ娘ですねぇ。あ、いや、タキオン先輩も負けてはいませんけどね。」

 

「別に私は変わり者の度合いで競って勝ったとて嬉しくはないのだがねぇ。ふむ、しかし、ユニヴァースくんが積極的に接触しに来たとなれば、単なる気分ではない、確実に何らかの意味があるはずだねぇ。」

 

 ヒシミラクルがこなしていたはずの運動量と体重増の計算が合わないことに頭を抱えている鷹木の傍ら、その日の休憩時間に入ったタキオンとミラ子は語り合っている。

 

 さすがにアルファベットを用いた単語は、耳で聞いただけのミラ子が再現するには至らなかったが、ユニヴァースの語り口調を雰囲気で真似しただけでも何となくタキオンは察するところがあるらしかった。

 

「『ヒシミラクルが足りなかった』とか、『ミッシングが観測される』とか言ってたあたりが、一番謎でしたねぇ。足りないも何も、ネオユニヴァース先輩は私より2年先輩だってのに。」

 

「いや、その点に関しては推察は容易だねぇ。これは私が『可能性世界』として提唱している仮説なのだが、この現実世界とは異なる運命をたどった別世界だ。例えば、ジャングルポケットくんがジャパンカップにてオペラオー先輩と競っていたり、この私が皐月賞を最後に引退したり、といった運命が存在した可能性は濃厚だねぇ。ネオユニヴァースくんはその『可能性世界』を直接観測する能力がある、と私は踏んでいる。」

 

 ウマ娘レースの世界は、単なる勝敗のみならず、どのレースに出走するか、いつまで現役を続けられるか、といった点でも様々な可能性や選択肢を定めながら進んでいく。

 

 アグネスタキオンの探求は、このトレセン学園に入ってからほぼ全て、彼女が「可能性世界」として仮定するその概念に向けられ続けていた。未だ認知は広がっていないものの、1年前と全く同じ展開を繰り返す異変の元凶についても、その可能性世界が絡んでいると睨んでいる。

 

 相変わらず、ヒシミラクルはピンとこない表情のまま、半ば上の空で相槌だけを打っていた。

 

「へぇー、いろいろあるんですねぇ。」

 

「ネオユニヴァースくんが言った『ミッシング』というのは、過去彼女が出走したレース中、キミと競う可能性のことだったんじゃないかと私は考えるねぇ。『先輩』呼びを拒んだのも、関わりある反応だろう。可能性世界においてはヒシミラクルくんとネオユニヴァースくんは同期か、あるいは逆にミラ子くんが先輩であるためではなかろうか。」

 

「なんか、全然実感わきませんけどねぇ。既に3冠取ってるネオユニヴァース先輩に対して、私は未勝利の普通ウマ娘なわけですし。」

 

 気のない返答だけを口にするヒシミラクルは、言いながらスポーツドリンクのボトルを口につけている。

 

 傍らでは、ようやく鷹木トレーナーがミラ子のサボリを断定し、その旨を問い詰めようと口を開きかけていた。が、唐突にタキオンがバッと立ち上がり、天を仰いで叫んだため、彼の言葉は喉の奥へ引っ込んだ。

 

「いや、待ちたまえ!そうか!わかった!可能性だねぇ!!」

 

「うわぁ!?どうしたんですか急に!」

 

「……どうしたんだ、タキオン。」

 

 ミラ子は思わず口に含んだスポーツドリンクを噴き出す。さすがに慣れている鷹木トレーナーも、自分が喋りはじめようとした出鼻をくじかれて眉間に小さく皺を寄せている。

 

 この状態になったアグネスタキオンを止められないと分かっているためか、鷹木もそれ以上は無理に喋ろうとはしなかった。タキオンは立ち上がった勢いのまま、猛烈にまくしたて始める。

 

「あぁ、確かに可能性だねぇ!ヒシミラクルくん!キミとネオユニヴァースが競い合うレースは、確かに今なお可能性として存在する!確定した過去ではない、未観測の未来において、だ!ネオユニヴァースくんは既にシニア級も走り終えているが、しかし今なお現役続行している!どちらが先輩であろうとも関係ない、キミがクラシック級を走り、GⅠレースに出走できるウマ娘にまで上り詰めれば、ネオユニヴァースと競争する未来は訪れるねぇ!!」

 

「えぇー……ほぼゼロな可能性じゃないですかぁ……。」

 

 怒涛の勢いで喋りまくったタキオンの発言内容には流石に反応しきれないミラ子。

 

 だが、出来る限り楽に生きようとする中で磨かれた彼女の直感は、どこか嫌な予感を拾い始めていた。鷹木トレーナーとアグネスタキオンの視線が、同時に自分の方を向いた時、その予感はさらに強まっていた。

 

「存在する可能性である以上、不可能ではないねぇ!仮にネオユニヴァースくんが『ミッシング』と称した運命を埋め、繋ぐことが出来ればどうなることやら……実に強く、興味が湧いてきたねぇ!トレーナーくん!わたしはヒシミラクルくんを、いずれGⅠレースへ連れて行く!この休憩を終えたら多少強めにしごいてやらねばねぇ!どうせ、つい先ほども彼女のサボりを指摘しようとしたのだろう!」

 

「さすがにお見通しか、タキオン。分かった、昨日の時点で十分な休息はとれているようだし、高負荷のトレーニングメニューへ切り替えよう。」

 

「え、えぇー、急にキツい練習をしたせいで、私の脚が故障でもしたらどうするんですかぁ……。」

 

 ヒシミラクルは最後の抵抗を試みるも、もはや現状は覆せそうもなかった。

 

 鷹木トレーナーと同時に立ち上がったタキオンは、躊躇なくヒシミラクルの腕を掴んで立ち上がらせ、そのまま練習場へ引っ張っていきながら返答する。

 

「問題ないねぇ、トレーナーくんほどの小心者は他に居ない。すなわち、どれだけ心配性なトレーナーでも、ヒシミラクルくんが故障を起こす可能性を見出せぬほど、キミは頑丈かつ肉付きの良い身体の持ち主だということだねぇ。この腕の肉、引き締まればよい走りを実現する振りを生み出しそうだねぇ!」

 

「あんまり運動したら、お腹空きすぎて余計に食べちゃうかもですけどぉ……!」

 

「食べた分だけ運動すれば済む話だねぇ!!」

 

 その後しばらく、自分自身のトレーニングの数倍は気概を込めて張り切るタキオンの姿が、練習グラウンド上に見受けられた。

 

 今はまだ戦績も皆無とはいえ、彼女に向いた走り方は徐々に洗い出されており、秘められたポテンシャルも未知数であるだけに、確かにヒシミラクルは鍛えがいのあるウマ娘に違いない。

 

 単に後輩ウマ娘の面倒を見ているだけではない、ネオユニヴァースが覗き見たのであろう可能性世界へと繋がる糸口を見つけたと半ば確信していたためか、実にタキオンは嬉しそうであった。

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