走り終えてからのクールダウンも済ませた面々は、練習場に併設された休憩室……という名のプレハブ小屋へと入っていく。
休息をとると同時に、その場でレース観戦を行うため、室内に置かれた大型ディスプレイの前に集うウマ娘たち。タップダンスシチーやアグネスタキオンにとっては慣れた振る舞いであったが、初めてここに連れ込まれたノーリーズンは目を丸くしっぱなしであった。
「なんじゃ、このような施設があるとはのう!タップ先輩の専用練習場にも、トレセン学園は休憩場所を建設してくれたというのか?」
「Ha,Must be joking!ここはわたしの城だ!さっきの練習場も、このプレハブ小屋も、片桐トレーナーと私で作ったんだ!レースで稼ぎまくって、いずれ本物の城を建てるまでのつなぎ、だけどな!」
まさに自分の城らしくソファに身を投げ出し、最大限くつろいだ姿勢になっているタップからの説明を聞き、ノーリーズンは眼のみならず口までポカンと開き、あらためて室内の様子を見回した。
プレハブ小屋とはいえ、単なる物置とはワケが違う。ソファやテーブル、ロッカーに本棚といった家具が備えられ、更に校舎から電線やネット回線も引かれているため、エアコンも稼働させられ、もちろんレース中継の観戦も出来る。
PCと大型ディスプレイを繋ぎ、中継チャンネルの画面を表示させながら片桐が補足した。
「そりゃ担当ウマ娘を練習させる場所ですから、いろいろと準備できる室内があった方が便利です。学園からの許可も得ていますよ、トレーニング中に急に雨でも降り出して身体の濡れた状態のまま、ここから距離のある更衣室まで向かわせるわけにもいきません、と説明すれば納得してもらえました。」
「なるほどのぉ、流石は軍師殿、根回しも抜かりない……。」
自前で建設や資材のための費用を出し、その後の整備や保全も自力で続けねばならない代わりに、トレセン学園の敷地内に担当専用の練習場と休憩室を確保する行動力および計画力。
片桐トレーナーを、まさに我が軍師と見込んだ目に狂いはなかった、とノーリーズンも自然と表情が明るくなっていた。
そんな片桐の行動力に乗っかる形で練習場を使わせてもらっていた鷹木はと言えば、自然と肩身が狭くなっていた。そして、そんな担当トレーナーに気遣いや遠慮を見せるタキオンでもない。
「いやはや担当のことを第一に考え、我が身が担う労力も惜しまず理想を実現へと漕ぎつける片桐トレーナーはまさに指導者の鑑だねぇ!それに比べてウチの鷹木トレーナーは実に小心者だ、無論彼なりの真面目さ故ではあろうが、しかし型破りには決して手を出せないのだろうねぇ。どう思うかねぇヒシミラクルくん!」
「まぁいいんじゃないですか、ここでくつろぐだけならいつでもできますし……ふぁあー。」
タキオンが話を振った先で、ヒシミラクルはソファに身を投げ出し、先輩ウマ娘顔負けのくつろいだ姿勢のまま、大あくびを披露していた。
思えばヒシミラクルも、ノーリーズン同様、この片桐が建てたプレハブ小屋へお邪魔するのは初めてのはずであった。が、全く気兼ねなくリラックスする様、そしてあわよくば今後も定期的にくつろぎに来る腹積もりについては、全く対照的なリアクションであった。
さすがのタキオンも、あまりに図太すぎる後輩ウマ娘を前に数秒絶句し、そして話題を切り替えた。
「さ、さてトレーナーくん!そろそろアーリントンカップの発走時刻が迫ってきているが、ちゃんと中継画面は表示できるのかねぇ!妙に手こずっているようじゃないか!」
「ちょっと待ってくれ……片桐トレーナー?画面を表示しようとしたらパスワード入力を求められるんですが。」
「あぁ、この回線はあくまでもレースを参考にする資料を得るために使う、という名目で利用許可が下りていますので。この場所ではレースの実況中継や、過去映像のアーカイブしか見られないように制限が掛かってるんですよ。」
これもまた、片桐トレーナーの抜け目ない点であった。インターネットを利用できる環境を公然と備えるため、ウマ娘の指導のためプラスになる要素だけを揃えるよう徹底しているのだ。
ますますノーリーズンは感服した表情を浮かべていたが、反対にミラ子は露骨に残念そうな顔になっていた。
「えー、じゃあここで映画見たりアニメ見たりできないじゃないですかー。」
「そういうことが出来ないとトレセン学園側に伝えているからこそ、このプレハブ小屋を建てる許可も得られたのだろうねぇ。というかヒシミラクルくん、その腹積もりを固めるにしても、あまりに早すぎやしないかい?」
「ほらー、いつも私、練習のたびに言われてますから、早めにスパートを掛けろって。」
「ダラけることに関してのスパートは、元から早いんだねぇ……。」
あるいはこの後輩は、自分以上に厄介な頭脳の持ち主かもしれない、とタキオンの中に一抹の不安が萌芽している傍らで、ようやくトレーナーたちは室内の大型ディスプレイに中継画面を映し出した。
その日のアーリントンカップ快晴の空から注ぐ、夕の色が混じりかけた斜光が阪神レース場のターフに長い影を映し出している。
「もはや意外でも何でもないが、タニノギムレットくんが1番人気だねぇ。」
「Obviously!デビュー戦でぶっちぎってから、マジで止まらないなGimlet!」
今年のクラシック級での活躍が期待されるウマ娘たちのレースであるだけに、現地阪神レース場も観客でいっぱいになっている。
地下バ道からタニノギムレットが現れた時の歓声は、言うまでもなく出走ウマ娘たちの中で最も大きかった。同じ学年であるノーリーズンは勿論、のんびりと構えていたミラ子もまた自然と画面に視線が吸い寄せられる。
「あの出で立ち!まさに大看板の役者じゃのぅ!独眼の視線に貫かれれば、ワシとて怖気てしまうかもしれんのぅ!」
「スレンダーだよねぇ、身長も割とあるのに、あんだけ身体絞ってると不安になるよ、ちゃんと食べてるのかなって。」
ことによっては自分たちにとって強烈なライバルとなりかねないギムレットの姿を画面上に見ながら、ノーリーズンは目を輝かせ、ヒシミラクルもいつもより僅かに大きく目を開いていた。
この場には菓子類は無かったが……それもまた、片桐がこのプレハブ小屋を練習場の休憩室として扱うために自ら定めた規律だろう……もしもスナック菓子が手元にあれば、躊躇なく齧りながら画面を眺めていそうなミラ子と比べるまでもなく、ギムレットの引き締まった体つきは際立った。
レース界の生ける伝説である結城トレーナーが、シンボリクリスエスではなくタニノギムレットを担当に選んだときは殆どのトレーナーが虚を突かれたものだが、こうして見てみればギムレットも間違いなく最強クラスのウマ娘となる素質を備えていた。
〈アーリントンカップ、阪神レース場の芝1600m、バ場状態は良となりました。いよいよ枠入りを終え、出走の瞬間を迎えます……全ウマ娘、体勢完了。スタートしました!さぁまずは先行争い、飛び出したのはホーマンウイナー、そして外をダンツジャッジ、しかし間を抜けたサンヴァレーが先頭に立ちました。そのすぐ内側に並んだマルシゲガリバー、この2名が先頭を飛ばしていきます。1番人気タニノギムレットは中団の外側、8番手辺り、まずは向こう正面の長い直線を進んでいきます。〉
阪神レース場外回りの向こう正面は、400m以上の直線が緩い下り坂から始まる。
むろん先行や位置取り争いは起きるものの、そこまでハイペースで進むわけではない。ここから大きな半径を描く3,4コーナーを回れば、差しの届きやすい下り坂の直線がゴール前にあるためだ。
「シンザン記念の時は先行寄りだったが、今回は差しの位置取りだねぇ。器用に走りを切り替えられるのは優駿の証だねぇ、まるでこの私のごとくだねぇ。」
「Ha,毎回同じ走りで悪かったな!ま、わたしだって去年の江坂特別じゃ追い込みを見せてやったけどな!」
確かに、自分のペースを貫いて走り切るスタイルのタップダンスシチーは、結果的に逃げや先行の位置取りになることが多い。昨年末の江坂特別で披露した追い込みは、そんな彼女の定石を覆すことで周囲の動揺を誘う作戦であった。
が、このレースでのギムレットは単に周囲のペースを狂わせるトリックのために普段と異なる作戦を採ったわけではない。
トレーナーたちの眼には、既に3コーナーに入る前からギムレットが勝利を着実にたぐり寄せている様が明らかに映っていた。
〈さぁ先頭は3コーナーに入っていきます、残り1000mを通過しました。1番手は変わらずサンヴァレー飛ばしております、リードは3バ身。そして2番手マルシゲガリバー、続いてダンツジャッジが3番手といった形。残り800を通過、中団の位置ホーマンウイナー、ウチからはキネティクス、その後ろからタニノギムレットが徐々に前に進出しています。最ウチのひとつ外側を、最低限のロスで上がっていきます!〉
1月のシンザン記念では先行の位置から一旦中団まで下がり、再加速するというトリッキーなスタイルで勝利しているタニノギムレット。
対照的に、今回は綺麗に理想的な差しのペースと位置取りであった。差しの教科書というものがあれば真っ先に掲載されるだろうほどに、狂いの無いペース配分とコース取りだ。
作戦の見事さに、画面を眺めているノーリーズンも気づいているらしい。
「1番人気というに、綺麗にマークもブロックもされず上がっていきよる!仕方なかろう、あの位置取りでは割って入ることもできんじゃろうて!」
「もうちょっとしたら下り坂なのに、若干早いタイミングで上がってきてるもんねぇ。」
ミラ子も、そのノンビリした口調に多少なりと緊張感を交えつつノーリーズンの隣で頷いている。
最後の仕掛けを早まれば、スピードの上がる要素しかない阪神レース場のゴール前での競り合いで息切れしてしまう。
だからこそほとんどのウマ娘が慎重にラストスパートのタイミングを見極めている状況で、タニノギムレットだけは先んじて上がっていき好位置を取ったのだ。
〈じわじわと速度も上がっていき前が固まってまいりました、4コーナーを抜けていきます。先頭はサンヴァレー、しかし外からダンツジャッジ並んできて直線コースへ向いた!ウチを突くようにサダムブルースカイが行きますが、外からタニノギムレット!タニノギムレット!先頭は、あっという間にタニノギムレット!!リードをさらに広げる、1バ身、2バ身!あとをホーマンウイナーが追いかけるが、届かない、圧倒的だタニノギムレット!!〉
画面の向こう、阪神レース場が大歓声に包まれているのは言うまでもなく、この休憩室で観戦している面々も同時に騒がしくなっていた。
トレーナーの面々にとっては、もはや疑うべくもないレース最終盤の展開であったが、それでも圧倒的なタニノギムレットの末脚には感嘆の声がおのずと漏れた。
「強いねぇ!ギムレットくん!まるで次元が違うじゃないか!もはやGⅢでは、いやGⅡでも敵なしじゃないかねぇ!!」
「ワシが天下を獲るならば、ギムレットを超えねばならんのう!」
アグネスタキオンに並んで、ノーリーズンも画面にのめり込むような姿勢でギムレットの走りを凝視している。
殆ど団子状態で接戦の2番手争いをしている面々を後方に置いて、完全に抜きん出たギムレットの姿があった。搦め手ではなく、理想通りのペースで走れば、タニノギムレットはこれほどにも周囲を圧倒するのだ。
〈さぁ先頭はタニノギムレット!まだまだリードが広がっていく!2バ身から3バ身へ!これは余裕のリードだタニノギムレット!3バ身以上の差で、タニノギムレット、今一着でゴールイン!やはり強いタニノギムレット!デビュー以来負け無しの3勝目を、この1600m、マイルの距離にて後続に3バ身以上の差をつけて、悠然と掌中に収めました!〉
必死の形相で遅れてゴールラインになだれ込んでくる面々とは裏腹に、タニノギムレットの表情は確かに涼しいものであった。
それは彼女の振る舞いや、顔の半分を隠している眼帯のためかもしれなかったが、実際のところギムレットの目標はGⅢで留まるものではないためでもあろう。
「Can't wait!アイツがGⅠに上がってくるのもすぐだろ、最高の舞台でGimletと勝負してやりたいもんだ!」
「気持ちはわかるがねぇタップくん、うかうかしているとギムレットくんはキミを追い越してしまうだろうねぇ。彼女がGⅠに上がってくる前に、タップくん自身がGⅠレースの常連となっておかねばねぇ。」
興奮気味のタップダンスシチーに対し、同じく顔を紅潮させたタキオンが目を輝かせながらも現実的な指摘をする。
確かに今のところ条件戦への出走ばかりが目立つタップダンスシチーであったが、彼女がGⅠまで上がる道のりは昨年以上に明確となっていた。片桐トレーナーが口を挟む。
「ご心配なく、タップは来月の頭に御堂筋ステークスへと出走します。その結果次第では、GⅡの日経賞に出走することが出来るでしょう。」
「Yeah,GⅠウマ娘の連中とも確実に渡り合えるレースだ。Tachyon,アンタもノンビリしてたらわたしに追い越されるぜ!」
その後も、タニノギムレットのレースを目の当たりにした興奮に任せてウマ娘たちの会話は弾んでいたが、鷹木の中ではますます焦りが募っていた。
むろんギムレットが今年のウマ娘レースにて頂上争いに食い込んでくることが確実視されるためでもあったが、そればかりではない。
やはり片桐トレーナーは、メイショウドトウを担当していた時と同様、時間と労力の掛かる道のりでも確実に踏破し、頂点を取りに来る人間だ。タップダンスシチーに加えて担当しはじめたノーリーズンのことも、今年は着実にGⅠの舞台まで連れて行くだろう。
翻って自分の担当ウマ娘のことを思えば、タキオンに関しては彼女自身の才覚と能力で十分すぎる戦績を築けていたものの……ヒシミラクルについては、ウマ娘の強みを引き出せるかどうか、トレーナーの手腕が問われるところであった。
まるで今まさに映画を見終えたかのように、ソファの背もたれに体重を預けてうんと伸びをしているミラ子は、今なお緊迫感とは無縁の存在であった。