探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 三月以降の出走レースが決まり、互いに同レースにて競わないことが明確になったことで、鷹木トレーナー率いるアグネスタキオンとヒシミラクルは、桂崎トレーナーのもとへ合同練習に訪れていた。堅実な戦績を築き続けている中堅トレーナー、桂崎のもとではジャングルポケット、そしてシンボリクリスエスがトレーニングを行っている。未だ心肺機能が完成に至っていないと思われるシンボリクリスエスの練習相手をするのだろう……と思っていたヒシミラクルだったが、彼女の練習相手はジャングルポケットであった。阪神大賞典、3000mもの長距離に挑むポッケのために所望された相手であった。


追われ慣れぬは、一つの弱み

 タキオンたちの次の世代、後輩ウマ娘たちの中でもタニノギムレットが飛び抜けた能力を有していることは最早明確であったが、彼女と肩を並べて栄冠を競い合うライバルは未だ定まっていなかった。

 

 URAが直々にアメリカから招聘したウマ娘、シンボリクリスエスも大きな期待を集めていたが、デビュー戦での初勝利以降は勝ちきれないレースが続いている。身体能力が未完成であり、活躍は秋以降だ、との見込みは間違いではなかった。

 

 先日、鷹木が片桐トレーナーのもとへ赴いて会ったノーリーズンも今のところ無敗、優駿の一角を為す存在には違いなかったものの、彼女がここまで挑んできたのは条件戦である。

 

 既にGⅢで余裕の勝利を見せつけ、GⅡやGⅠにも通用するだろうと推定されるタニノギムレットと競り合えるだけの同年代ウマ娘は、今のところ見いだされなかった。

 

「でもクリスエスちゃんなら行けるんじゃないですかね、いや確証とかはないんですけど、なんとなく、こう、オーラの強さみたいな?」

 

 ヒシミラクルのノンビリとした喋りが、傍らのアグネスタキオンを頷かせ、更に隣に座っていた鷹木の顔をしかめさせた。

 

 目の前の練習コースでは、ほかならぬシンボリクリスエスが走っている。今日、鷹木はタキオンとミラ子を連れ、桂崎トレーナーの練習場へと訪れていた。

 

 もちろん合同練習のためである。ジャングルポケットが次に出走するのは阪神大賞典、一方アグネスタキオンは大阪杯、と別々のレース出走を決めたため、互いの走りを知られることを懸念する必要がないのだ。

 

 ……そして、未だに次の出走予定が定まらないヒシミラクルに良い刺激を得ることも、ここに来た目的である。が、当のミラ子は変わらず、自分とは無縁の世界を眺めるような目つきであった。

 

「ギムレットくんとクリスエスちゃんで取り合いになるんじゃないですかねぇ、今年のクラシック路線は。あ、でも、ノーリーズンちゃんがワンチャン入ってくるかも?」

 

「あのな、ヒシミラクル。傍観者の立場で居てもらっては困るんだ。自分自身も、その勝利争いに参加することを考えてみてくれ。」

 

「いやいやいや、妄想にしてもぶっ飛びすぎでしょ……。」

 

 鷹木からの言葉に返答するヒシミラクルの表情は、緩さこそ変わらなかったものの冗談を言っている雰囲気ではなく、彼女にとっての現実的なウマ娘レースでの活躍は“そこそこ”どまりであることに変わりないらしかった。

 

 しかし、彼女の担当を開始して約2か月が経過し、タキオンとの関わり合い方を見るにつけてもヒシミラクルが単なる“普通”のウマ娘でないことについては、鷹木もそろそろ確信めいたものを得始めていた。

 

 走りにおける、驚異的な持久力も確かにある。が、それ以上に、これほどまでに緊張感や切迫感と無縁でいられることは、並大抵のメンタルで為せる振る舞いではなかった。

 

 平凡な日常のなかでは、そういった性質は当たり前ながら平穏の中に埋もれ、浮き出てくることはない。

 

 が、目の前で鬼気迫る真剣さを抱えて練習している同期ウマ娘が居て、GⅠレースのタイトルを複数得ている大先輩ウマ娘たちに囲まれている状況では、どれだけ平静さを装っても内心の揺らぎは表に出るのが大抵である。

 

 ウマ娘特有の耳や尻尾の動きだけではない、目の開き具合、視線の向く先、皮膚を湿らす発汗量……など、ウマ娘と日々接しているトレーナーであれば、担当ウマ娘が抱える内心の焦りにはすぐ気づける。

 

 しかしヒシミラクルには、その変化が微塵もなかった。もしかすると彼女は、テレビ画面を見つめるかのように、目の前の光景を見ているのかもしれない。

 

「今のクリスエスちゃんの走り、見ました?あの加速、私じゃとても追いつくどころか、真似すらできませんって。あんな凄い子でも勝ちきれないレースがあるんですから、上を見たらキリないですよ。」

 

「しかしだねヒシミラクルくん!キミの強みは明確になっているじゃないか、無尽蔵とも見えるほどのスタミナだ、それを活かせば十分に勝負になるはずだねぇ!」

 

 今度はタキオンがミラ子に返答しながらも、熱い視線を練習コース上のシンボリクリスエスに向けている。

 

 先んじて桂崎トレーナーのもとで休憩していたジャングルポケットがこちらへ視線をチラチラと向けてくるが、それには反応を示す気もないらしかった。タキオンが視線を外し続けているのを前に、ポッケは多少不服そうな表情を浮かべている。

 

 鷹木トレーナーが桂崎トレーナーの所に来たということは、タキオンとポッケを併走させるつもりなのだ……と考えているのはミラ子も同様であったが、この場でトレーナーの真意に気づいているウマ娘はタキオンだけであった。

 

 ジャングルポケット同様、何も知る由もないヒシミラクルはノンビリと喋り続けている。

 

「そうは言ってもですよ、さっきからクリスエスちゃんが練習してる距離はマイルじゃないですかぁ。さすがにそんな距離だと、私なんかは加速しようと思う前にレース終わってますって。」

 

「勘違いしちゃいないかい、ヒシミラクルくん。今日ここでキミが併走する相手はシンボリクリスエスくんではなく、ジャングルポケットくんだねぇ。」

 

「へぇー……えっ。」

 

 ようやく、ヒシミラクルの表情に変化があった。それでも、驚きとしては小さすぎるほどであったが。

 

 併走相手の決定には、各々が出走する予定が考慮に入っている。アグネスタキオンが3月に出走予定の大阪杯は2000m、一方でジャングルポケットが出走予定の阪神大賞典は3000m、と合同で練習するにはあまりに違いすぎる。

 

 どちらかと言えばシンボリクリスエスが次に走る中距離レースに合わせた方が、アグネスタキオンの併走練習に相応しかった。そして長距離の方が適性に合っているヒシミラクルこそ、本日のジャングルポケットの併走相手に選ばれたのだ。

 

 タキオンとポッケが、いつも面倒を見ている後輩ウマ娘を交換して練習するような形となっていたのだ。

 

「いやいや、いやいやいや、ちょっと前にもジャングルポケット先輩と突発で併走しましたけど、私なんて全然だったじゃないですか。」

 

「しかし今回は条件が違う、何と言っても距離3000mの長丁場だ。エンジンがかかるのが遅い割に、スタミナが潤沢なヒシミラクルくんこそ有利な舞台だ。それにジャングルポケットくんは長距離での勝率がさほど芳しくないからねぇ、下手をすればキミがポッケくんを負かしてしまうかもしれないねぇ……。」

 

「おい、聞こえてんぞ。いくらなんでも、未勝利の後輩に負ける気はねーよ。」

 

 息を整えながら休憩エリアに戻ってきたシンボリクリスエスと入れ替わるように、ジャングルポケットが練習コースへと出つつウォーミングアップを始めている。

 

 今のやり取りをどう受け取ったのか、ヒシミラクルは立ち上がるそぶりを見せなかった。

 

「そーですよね、そりゃあいくらなんでも私ごときじゃマトモに相手できませんし、今日のところは偉大な先輩方の練習風景を見学させてもらうってことで……」

 

「抜かしてんじゃねぇ、走ると決まったんなら出てきやがれ!」

 

「ひえぇ。」

 

 仮に未勝利の学園1年目ウマ娘と併走させられることになろうとも、その後輩をないがしろに扱うことなどしないのが、ジャングルポケットらしさであった。

 

 ジャングルポケットの一喝に弾かれるように立ち上がって練習コースへ出て行くヒシミラクルに続いて、鷹木もまた腰を上げる。

 

 しぶしぶといった調子で準備運動をしているヒシミラクルのもとへ向かい、今度は担当トレーナーとして掛けるべき言葉を迷わなかった。

 

「ヒシミラクル、これまで何度も伝えてきたことだが……最初から全力で走るんだ、仕掛けどころを探る必要はない、スタートしてすぐスパートを掛けるんだ。」

 

「えー、でも3000mですよ、流石にスタート直後から飛ばすのは無いでしょ。」

 

「言った通りにしてくれ、きみの強みを引き出す一番のやり方なんだ。さっきタキオンも言っていたが、長距離が得意というわけでもないジャングルポケットの背に、十分近づけるはずだ。」

 

「いやいやまさか……」

 

 ウォーミングアップを終えてコースに出る直前までヒシミラクルは半信半疑といった状態であったが、タキオンに続き鷹木からも太鼓判を押されたせいか、ほんの僅かながら自信のようなものが眼の奥に覗いたようでもあった。

 

 ここの練習場を取り仕切るのは桂崎トレーナーであるため、彼にスタートの合図は任せて休憩場所へと戻る鷹木。

 

 今なお汗を拭いて呼吸を整えているシンボリクリスエスの隣で、アグネスタキオンはじっとコース上のポッケとミラ子に視線を注ぎ続けていた。戻ってきた鷹木を前に、口を開く。

 

「あぁは言ったが、さすがの私も、ヒシミラクルくんがジャングルポケットくんを負かす確率は今のところゼロだと考えているねぇ。」

 

「まぁそりゃ、未勝利バに対して向こうはダービーウマ娘だからな。そう簡単に覆る実力差じゃない。」

 

「それに、私が直接対決したウマ娘の中でも最強クラスだねぇ、ジャングルポケットくんは……おっと、彼女自身には言わないでおくれよ。」

 

 アグネスタキオンは、隣にいるシンボリクリスエスの方を向いて告げる。クリスエスはようやく落ち着いてきた呼吸を吐き出しながら、静かに頷いていた。

 

 桂崎トレーナーのスタートと同時に、ジャングルポケットとヒシミラクルは駆け出していく。やはりミラ子の方が反応が目に見えて鈍く、同時にスタートしたとは思えない差が初めからついていた。

 

 鷹木は二三歩前に出て、すぐ近くのタキオンとクリスエスの耳に支障が無いよう口元を両手で覆い、走っていくミラ子に向けて叫んだ。

 

「ヒシミラクル!もっとペースを上げろ!最初から全力だ!スパート掛けろ!……聞こえてるんだろうか。」

 

「慣れない大声に自信が無いのは分かるがねぇ、ウマ娘の聴覚は人間が想定するよりずっと良いからねぇ。きっちり聞こえているはずだ、あるいは最初からスパートを掛けたつもりで、あのスロースタートかもしれないがねぇ。」

 

 喋りながら、アグネスタキオンは変わらずミラ子の走りに視線を向け続けている。

 

 いや、今となってはむしろジャングルポケットの脚運びに注目しているようだった。ヒシミラクルは普段から近くで走りを見ているが、ポッケの走りはなかなか最近見る機会がない。

 

「さすがにジャングルポケットくん、走りにもはや迷いはないようだがねぇ、心なしか以前よりもハイペースになっているかねぇ。」

 

「やっぱり、タキオンを競争相手に想定しての練習が重なったためだろうか。」

 

「十分に考えられることだねぇ、私がポッケくんを煽り過ぎたせいかもしれないが。先行した相手に逃げ切られないよう、自身も前目に出る癖がついたようだねぇ。しかし、ポッケくんよりも更に後ろ、最後方から上がってくる相手には対処しきれないと見えるねぇ。」

 

 思えば、昨年の菊花賞も、そして有馬記念も、後方から駆けあがってきたマンハッタンカフェに敗れているジャングルポケット。

 

 ジャパンカップでは直接対決となったアグネスタキオンに食らいついて勝利していただけに、強みを得た代償に新たな弱点を抱えたとも取れる状況であった。

 

 3000mの距離は、練習場をほぼ2周する。その間にスタート位置からこちらへ戻ってきた桂崎トレーナーは、先ほどのタキオンの言葉が聞こえていたのか、鷹木にむかって頭を下げつつ口を開いた。

 

「改めて、貴重な併走練習のお手間をありがとうございます。実際、ポッケよりもさらに後方から仕掛けるようなウマ娘は、練習相手としてなかなか見つからないものですから。」

 

「いやいや、ダービーウマ娘と走れる機会を未勝利ウマ娘が得られるという状況、こっちが感謝してもしきれませんよ。ヒシミラクルでは、相手としてあまりにも歯ごたえが無いかもしれませんけど……。」

 

「そうとも言い切れないねぇ、見たまえ、トレーナーくん。」

 

 タキオンの指さす先、鷹木も桂崎も振り返って練習コースへ視線を向ける。

 

 既に2周目の3コーナーを回り始めたところであったが、ヒシミラクルは鷹木から言われたことを彼女なりに忠実に実行していたのだろう、スタート時よりもかなり速度は上がっていた。

 

 向こう正面を走っていた時には10バ身以上引き離されていると見えた差が、今や数バ身程度には縮まっている。

 

 ジャングルポケットの耳にも、徐々に近づいて来ているミラ子の蹄音が聞こえているだろう。表情にこそ焦りはなかったものの、ポッケの足取りは目に見えて慎重さを増していた。

 

「……今、気づきましたね、ポッケは。自分が、もう少しスタミナを余分に残しておくべきだったことに。足を動かせる余力と相談しつつ、一歩一歩進めているのが見て取れます。」

 

「後ろから追い上げてくるのがマンハッタンカフェであれば、既に負けが確定しているだろうねぇ。昨年の菊花賞や有馬記念を再現するかのような状況となっただろうねぇ。」

 

 ゆったりと加速しながら上がってくるヒシミラクルの位置に、精悍に引き締まったマンハッタンカフェの小柄な姿を置き換えてみれば、その絶望的な状況は一目瞭然となった。

 

 コーナーを抜けていよいよ最終直線、ジャングルポケットは死に物狂いで加速する。

 

 しかし、まるでターフ上を滑る黒い影そのものへと化したマンハッタンカフェの追撃からは逃れられない。レース中盤まで先行の相手を追いかけるようにペースを上げていたため、ジャングルポケットにはさらに加速する余力が残っていない……。

 

 ……というのが、昨年の菊花賞や、有馬記念での光景であった。

 

 今はといえば、過去の自分を振り切るように直線をジャングルポケットが駆け抜けた後、ヒシミラクルが遅れてゴールしていた。

 

「ほらぁー、ぜんぜん届かなかったじゃないですかぁー。そりゃダービーとジャパンカップ勝った先輩ですから、私も本気で勝てるとは思ってませんでしたけどさぁ。」

 

 またしても、ゴールした直後からダラダラと歩いて休憩エリアに戻ってきつつ、ヒシミラクルはぶつくさと喋りまくっている。最初から勝ち目がないと分かっていたにせよ、多少なりと不満を感じているあたり、練習とはいえ負けることに何も感じないわけではないのだ。

 

 さすがに額には汗の跡があったものの、3000mを走り抜いてなおさほど息切れしていない様を前に、アグネスタキオンは呆れ、隣に座っているシンボリクリスエスは黙ったままながら目を丸くしていた。

 

「しかしだねぇヒシミラクルくん。キミ自身も多少なりと、ポッケくんの背に届くと感じたんじゃないかねぇ?ゴール直前に引き離されたとはいえ、これまでにないほどの速度が出ていたねぇ!」

 

「えぇー、そうですかね?まぁ、トレーナーさんがうるさく言ってくるもんですから、それなりに力を入れて走りましたけど。」

 

 長距離であろうともこれほどに余裕を残して走り抜けられるのが、ヒシミラクルの強みであることは間違いない、それもほぼ唯一無二の能力だ。

 

 鷹木は、ほぼ全力に近いラストスパートで駆け抜けたジャングルポケットが、ようやっと呼吸を整え終えて休憩エリアへと戻ってくるのを目の当たりにしつつ、その確信を強めていた。

 

 ヒシミラクルが本気を出していないわけではない、ということもまた確信に加わりつつあったのは、新たな問題であったが。

 

 片桐トレーナーの担当ウマ娘たちと併走した時より、さらに1000m長い距離を走った今回。確かに、ヒシミラクルの到達した速度は上がっていた。それでも、本番レースに通用するスピードに達するまでには至っていない。

 

 心の持ちようの問題が全てではなく、やはり最終的にはウマ娘自身の身体能力が限界を引き上げるのだ。ゆったりと走る癖がなかなか抜けないミラ子に、スピードを引き上げる練習をいかにして重ねさせるべきか……。

 

 難しい顔をして考え込んでいる鷹木に、桂崎トレーナーが声を掛ける。

 

「併走、ありがとうございました。今回のデータはこちらでまとめてお渡しします……ところで、タキオンさんが先ほどから何やら催促したいような顔で見ておられますが。」

 

「トレーナーくん、忘れちゃいないかい?タップダンスシチーくんが御堂筋ステークスへ出走する時刻がそろそろだねぇ!今年間違いなくGⅠの舞台に上がってくるウマ娘の走り、見逃すわけにはいかないねぇ、ここの皆で観戦すべきだねぇ!」

 

「おー、見ましょ見ましょ。タップさんも面白い走りするから、毎回楽しみなんですよねー。」

 

 大型スクリーン前、タキオンと共に暢気に椅子を並べ始めているヒシミラクル。

 

 担当トレーナーが頭を悩ませているのとは無縁でいられる振る舞いは、確かに小心者で不安を隠すのも下手な鷹木トレーナーに担当されるうえでは相応しい性質だとも思われた。

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