昨年は多くのレースに出走しながらも、怪我による休養期間を挟み、勝ちきれないレースも多かったタップダンスシチー。
しかし、今年に入ってGⅡレースの日経新春杯で三着に食い込んだ後、2月の春日特別で見事勝利している。今日出走する御堂筋ステークスも条件戦ではあるが、これに勝てばオープンクラスへの昇格は確定する。
クールダウンを終えて、練習コースから休憩エリアに戻ってくるジャングルポケットに向かい、既にモニター前に並べた椅子に腰かけていたアグネスタキオンが話しかける。
「そういやジャングルポケットくん、最近はタップくんの練習場で見かけることが無いねぇ。私はちょくちょく彼女のもとにお邪魔しているがねぇ、次のレースに向けて必死な現状のキミではそんな余裕もないかねぇ?」
「勝手に決めつけんじゃねぇ、俺だってたまにタップの所に併走しに行ってる。アイツらとも、時々顔を合わせてるしよ。」
後輩ウマ娘たちには何のことだか伝わらなかっただろうが、タキオンやトレーナー達には“アイツら”という言い方でも十分に何者のことを指しているか把握できた。
かつてジャングルポケットと野良レースでしのぎを削っていた悪友、そして入学式の日にも乱入して勝手にグラウンドで走り始めていた……あの水色リーゼントのウマ娘と、ピンク髪のウマ娘のコンビである。
当初はトレセン学園に入れるだけの能力や財力のないウマ娘たちの胸中を体現するかのように荒れていた彼女らであったが、今はウイニングライブのステージを組むスタッフの一員として努め続けている。
昨年の冬、タップダンスシチーの練習場で彼女らを久々に鷹木も見たが、積み重ねた労働の経験が肉体に刻まれ、精神面でもトレセン学園生より一回りか二回り成長したような印象があった。
ダラダラと過ごしているミラ子が今は近くに居るため、余計にそう感じるのかもしれないが。
「彼女らも随分とおとなびたものだねぇ、やはり一足先に社会へ出た者たちはそれだけ成長も早まるのかもしれないねぇ。」
「俺と顔を合わせたら、相変わらず悪態ばっかだけどな。お前がマトモに相手されてねーだけだろ、タキオン……ただ、タップが間に入るとすぐに場が収まるんだけどよ。」
その様も、タップダンスシチーの振る舞いを知る者たちには容易に想像できた。
タップダンスシチーというウマ娘には、レースの才能とは別に、自分の近くに集った面々たちを取りまとめるだけの器も備わっていた。
ジャングルポケットをつけ狙うように学園へ侵入してきた不良ウマ娘たち相手に、レースで実力を見せつけたのち、あっという間に彼女らから慕われる存在となった経緯も、その性質を雄弁に物語っていた。
戦績こそ、同年に入学したGⅠ級ウマ娘たちに比べれば見劣りしたが、その面々に囲まれてなお存在感が決して色褪せないのはタップダンスシチー生来のスター性のおかげなのだろう。
これから始まろうとする御堂筋ステークスでも、出走前のパフォーマンスを少々張り切っていたらしい。
〈まもなく出走の時を迎えます、御堂筋ステークス。依然として強い風が吹いています阪神レース場、本日の第10レース、芝2200mでの競走であります。1番人気はタップダンスシチーです、現在非常に勢いのあるウマ娘、先ほどパドックで披露したタップダンスでも観客席を大いに沸かせました。旺盛なファンサービスは彼女の魅力ではありますが、体力を消耗してしまっていないか案じられるところでもあります。〉
実況アナウンサーからの紹介を受けながら、ゲート入りは進んでいく。11名立てのレースで、4枠目に入ったタップダンスシチー。
張り切り過ぎたパドックでのパフォーマンスを、さすがに片桐トレーナーから注意された後なのだろう、心なしかいつもより真面目そうな顔つきで出走の瞬間を待っていた。
既にパイプ椅子の背に体重を預け、ソファでくつろいでいるのと同じ体勢へと化していたミラ子も、その様が画面に映れば多少なりと居ずまいを正した。
「こないだお会いした時は陽気な方だなぁって印象だったんですけどねータップさん。真剣なお顔も似合いますねぇ、やっぱ、何というか、華がありますねぇ。」
「Just as you say、タップダンスシチーは……大いに、レースを盛り上げる。」
ここまで殆ど喋ることなく、じっと中継画面を見つめていたシンボリクリスエスも、ヒシミラクルの発言に対しては口を開いて相槌を打った。
学年・年齢こそ違うとはいえ、これから大舞台へと上がっていく期待感の強いウマ娘であることには違いないのだ。今年の内にGⅠの領域へ踏み込むことを大きな目標としているクリスエスが、関心を向けるべき相手のひとりに違いなかった。
〈ゲートイン完了……御堂筋ステークス、スタートが切られました!タップダンスシチーもいいスタートを切っています、先行争いに加わるようにスッと上がっていきました。しかしその内側、先頭に立ったのが3枠アグネスストームです。その外に並んでタガノビジョン、1番人気のタップダンスシチーは中に挟まれるような形で、まずは1周目の正面スタンド前を駆けていきます。3名固まった先頭集団を追うように中団をヒシマジェスティが引っ張っていきます。〉
タップダンスシチーは、今回も自身が最も得意とするスタイル、スタート直後からゴールまで貫き通すペースで駆け抜ける作戦を採ったらしい。
競走相手のウマ娘たちも、彼女が安定したペースメーカーとなってくれるだろうことを見越し、逃げウマ娘は前に、先行策のウマ娘はすぐ背後につくポジションを早急に固めていた。
「先行策を使う身としては、実にありがたい存在だねぇ。正確無比なペースでゴールまで通して一定の速度を保ってくれるというのは。当のタップくんが、いかにして最後に抜け出すかが問題だがねぇ。」
「あぁ、後ろから追いかける分には、最終直線前のどこで仕掛けるかが分かりやすくていい。……タップ、お前はどうやって勝つんだ?」
タキオンとポッケは、スタート直後の光景を見ただけでレースの大まかな流れを早くも把握したようであった。
シニア級以上、ベテランのウマ娘が多く参戦するこのレース、位置取り争いやコース変更によるスタミナ浪費は極力避けるのが定石である。
最初の直線を抜ける前に、速やかに各バが位置取りを固め終えていた様も、このレースが波乱からは程遠い状況にあることを示していた。
〈1周目の上り坂を越えて1コーナーへと入っていきます。中団ヒシマジェスティに続いてプレミアムバラード、そのあと3バ身開いてエイシンワンシャンとモリユウコバン、さらに2バ身あとにサンライズジェガーと名称エドガー、そしてアクティブバイオ、シャープキックが並ぶ形で最後方となっています。やや縦長の隊形となりまして先頭は2コーナーへ入っております、先頭のアグネスストーム、3バ身から4バ身のリードとなっております。〉
現在最後方にいるシャープキックは、タップダンスシチーにとって因縁の相手でもあった。
昨年末の江坂特別では、いつもとは全く違って後方から追い上げるという奇策を披露し、動揺した周囲を置き去って勝利目前かと思われた矢先、さらに後ろから駆けあがってきたシャープキックに差し切られたのだ。
ぽかんと口を半開きにして画面を見つめているヒシミラクルは、別なことが気に掛かっていた様子であったが。
「あのアグネスストームって先頭のウマ娘、タキオンさんの親戚ですか?」
「縁もゆかりもないねぇ、冠名が偶然同じだけだねぇ。いやはや、私とデジタルくんという二大巨頭が名をあげてしまったばかりに、我々との繋がりを連想させ、アグネス冠のハードルも上がってしまっているのだろうねぇ。」
相変わらず恥ずかしげもなく大口をたたくタキオンであったが、流石に否定できない事実を前にしては、ヒシミラクルもツッコミを諦めて画面へと視線を戻していた。
冠名が同じというだけであれば、まさに今この御堂筋ステークスにて中団を引っぱっているヒシマジェスティもまた、ミラ子と同じヒシ冠である。が、こちらは率先して先行策を採っているだけに、ミラ子とは似ても似つかない雰囲気の、身体を絞り抜いたスレンダーなウマ娘であった。
〈1番人気タップダンスシチーは2番手といった形で、向こう正面へと入っていきます。3番手タガノビジョンですが、追い上げてきました4番手のヒシマジェスティがすぐ背後、外側に並んでプレミアムバラードとなっています。スタートから1000mを通過、1分ちょうどで通過していきました。じわじわと隊形が間延びして行っております、アクティブバイオとシャープキックが並ぶ最後方、先頭から大きく引き離されています。〉
先頭のアグネスストームは調子よく飛ばして逃げ続けていたが、2番手以降の隊形は走っている面々の思惑がはっきりと見える位置取りとなっていた。
先行策の面々は皆、2番手で安定したペースを刻んでいるタップダンスシチーのすぐ背後、あるいはすぐ外側につき、最終コーナーに向けて仕掛けどころを見計らっている様子である。
「まさにタップくんらしい走りだねぇ、逃げではなく、自分のペースを貫いた結果、逃げや先行の位置につくという形だねぇ。」
「タイムも標準クラスだな、あんだけ一定のスピードを維持してりゃ当然だが。ここからどーすんだよタップ、俺が後ろについてたら勝てちまうぞ?」
阪神レース場を走っている面々も、同じことを考えていただろう。
このままレースが運び、最終コーナーに入ったところからタップと競り合い、直線で抜き出れば勝てる。
だが、これまで幾度も同じ展開で勝ちきれなかったタップダンスシチーが、また同じ負け方を繰り返すだろうか?……平穏に、外ならぬタップのペースで進む状況自体が、底知れぬ不安を感じさせていた。
〈残り1000mを切りまして先頭を進みますアグネスストーム、リードは5バ身から6バ身。いよいよ3コーナーの大きなカーブへと入っていきます。2番手は後方から固まってきました、ウチを進むのはタップダンスシチー、そしてすぐ外に並びかけてきましたプレミアムバラード、そのあとタガノビジョン、ヒシマジェスティも徐々に進出、エイシンワンシャンが続き、後方グループも押し上げてきて一気に足をのばしてきました!〉
最終コーナーを目前にして、いよいよ仕掛けどころに向けて足を速め始める後方の面々。
先頭のアグネスストームは懸命に逃げている、リードも縮まっておらず、集団から逃げ切ることも十分にあり得る。一方で、バ群をすぐ背後に引き連れたタップダンスシチーは、まだ動く気配を見せなかった。
「Don't you have any solution?タップ……このままでは、追い越される……。」
「いや、あまりに真面目過ぎる走りを彼女が見せること自体が、どうにも不自然だ。今日のパドックでは、タップダンスを披露し、敢えて体力を消耗するような振る舞いを見せつけたらしいからねぇ。」
戦意が昂じての考え無しの振る舞いではなく、わざと自分のスタミナを削るように見せかけるパフォーマンスであったとしたら、実際のレースに用意した仕掛けのための御膳立てであると考えられなくもない。
仮にも、タップの担当トレーナーはあの片桐なのだ……タキオンの言葉を聞きながら、鷹木は既にタップダンスシチーが最後の仕掛けを用意していることに確信を抱いていた。
その瞬間は、何の前触れもなく訪れた。
〈アグネスストーム5バ身ほどのリード、楽な手ごたえで最終コーナーを回っていく、2番手タップダンスシチー……加速した?タップダンスシチー、仕掛けました!他のウマ娘より一足早く仕掛けた!残り400!後方に迫っていたウマ娘たちも慌てて追っていく!最終直線に入りました!先頭は逃げるアグネスストームだが、タップダンスシチーが迫っていく!この大歓声!タップダンスシチーが末脚を使った!!〉
またしても、タップダンスシチーは競争相手と、そして観客たちの予想を裏切り、虚を突いた。
一定のペースをスタートからゴールまで維持し続けるというスタイルを崩さないかと思いきや、隠し持った余力を振り絞って最終直線前に加速したのだ。
「パドックでのタップダンスは、まさにパフォーマンスだったのだろうねぇ。彼女がスタミナを使い果たすのは、他の競走相手達が想定していたよりもずっと先だねぇ。」
「ほぉー……そういう駆け引きも、あるんですねぇ……。」
タキオンの言葉を半分聞き流しながら、ミラ子はすっかり身を乗り出してレース中継の画面を見つめている。
それはヒシミラクルの走りにも応用が利きそうな作戦であった。どれだけ長距離を走ってもさほど息を乱すことのないミラ子であれば、尽きぬスタミナが作戦の大きな柱となる。問題は、ミラ子の場合はそのズブさがあまりに分かりやすすぎることであったが。
画面の中では、いよいよもって追いつかれない域に達したタップがゴールへと驀進していく。
〈残り200!タップダンスシチーが迫って、ここで先頭に……なる!タップダンスシチー先頭!後ろからヒシマジェスティ!さらに外からアクティブバイオと、サンライズジェガーが来るが届かない、2番手争いか!タップダンスシチー先頭!完全に抜け出した!2バ身差、いや3バ身差!二着との差を広げて、タップダンスシチー先頭でゴールイン!勝ちましたタップダンスシチー!先月の春日特別に続き、今年入って2連勝目です!〉
大喝采を浴びて減速しつつも、拳を突き上げながら満面の笑みを観客席に向けるタップダンスシチー。
彼女の走りに、幾万人もの観客たちがすっかり魅了され切ったのは明白であった。ここが条件戦であり、出走ウマ娘たちがいずれも体操服姿で、華やかな勝負服を身にまとっていないことだけが悔やまれた。
鷹木も、画面越しにもかかわらず場の空気に呑まれたように視線が釘付けとなっていたが、傍らから桂崎トレーナーの声を掛けられて我に返った。
「これで、タップダンスシチーもオープンクラスに昇格ですね。彼女なら、GⅢやGⅡのレースに姿を現すのも、すぐでしょうけれど。」
「えぇ、こちらもますます気を抜けない相手が増えることになります。」
入学三年目を目前にして、ようやっと条件クラスからオープンクラスに上がったタップダンスシチー。だが、その能力と、そして片桐の巧みな策がかみ合えば、無視できぬ実力を発揮するだろうことは想像に難くなかった。
ジャングルポケットも同じ考えを抱いたらしく、タップの一着が確定する様を見るや否や立ち上がって、練習コースの方へ戻っていく。
「ウォーミングアップだけ、先に済ませとくぜトレーナー。休憩は終わりだ、今年のシニア級、誰にも渡すつもりはねーからな。」
「いつも通りに強気だねぇジャングルポケットくん。すべてを超えた先で私に勝つのは遠い道のりだろうけれどねぇ。」
「お前を真っ先に超えてやるよ。」
言い捨てて去っていくジャングルポケットの背をしばらく見つめ、タキオンも勢いよく椅子から立ち上がって練習再開へと向かった。
疑いようもなくライバルとして認定した相手とのやり取りが、胸の内の闘志を熱くする。入学当初のアグネスタキオンではとても想像できなかった振る舞いが、今は自然と行われていた。
一方で……鷹木が気に掛けるべき新たな担当は、これまた安定感のある変わりようのなさであった。
「ミラクル……おい、ヒシミラクル。椅子も片付けるぞ、いつまで中継画面を眺めてるんだ。」
「えー、これから勝利者インタビューもあったり、視聴者へのプレゼントのお知らせとかもあったりするんじゃないんですかー?」
「あくまで休憩時間中にもレース研究するための鑑賞なんだ、番組をフルに見終えるまでダラダラする奴があるか。」
片付けられていくパイプ椅子の音に囲まれ、渋々立ち上がったミラ子は腰に手を当ててパキポキと凝りをほぐし、うんと伸びをしつつ大あくびを披露した。
ここまで付き合い続けてなおも変わる様子のないヒシミラクルを前に……鷹木は密かに決断を固めつつあった。練習場の中や、トレーナーからの働きかけでは効き目が弱いものの、本番レースに数多く出走させればどうだろうか?
すぐに内面に変化をきたすヒシミラクルであるとは考え難かったものの、ウマ娘の本質、レースを前にすれば“どうしようもなく走らずにいられない”という思いが引き出せる可能性はゼロではなかった。