探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 オペラオーの引退に伴い、彼以外の担当ウマ娘がいなかった鷹木トレーナーはフリーの状態へと戻る。鷹木自身はまだまだ若手のトレーナーであるとはいえ、かの世紀末覇王と共に歩んだトレーナーとしての名声だけはしっかりと存在し、それ故に易々と担当のいないウマ娘たちの前に姿を見せることは憚られるのであった。


覇道の傍らに伴われた身、安からず

 つい先月まで担当していたウマ娘からの助言は受け取った鷹木トレーナーには、しかし新たな不安が湧き上がってきていた。

 

 オペラオーの言に間違いはなかった、すなわち『ボクの輝きを忘れられなかった』という事実である。それはオペラオーの成し遂げた栄光のみならず、その軌跡の重さをも示していた。

 

 若手トレーナーにとって、世紀末覇王テイエムオペラオーとともに頂点へ登り詰め、玉座を得た経験は、あまりにも重大すぎる出来事であった。オペラオー引退後の鷹木の思考からそれを外すことは、容易ではなかったのだ。

 

 病院で面会したオペラオーは、そんなことも容易く見抜き、過去に束縛されていた鷹木の視線を、現在そして将来へと向け直したのだろう。

 

「確かに、そうだ、大舞台はまだ残っている。有馬記念は今月だ、メイショウドトウも、アドマイヤベガも、ナリタトップロードも……きっと出走するだろう。」

 

 自分の担当ウマ娘ではないにせよ、覇王引退後のレース界を牽引していくウマ娘たちへの関心を、トレーナーたる者、捨て去ることが出来ようはずもない。

 

 オペラオーの強力なライバルたちだったウマ娘のトレーニング風景を目に焼き付けることは、今後トレーナー業を続けていくうえでの大きな糧となるだろう。

 

 そう、今後の、トレーナー業である……鷹木は、自分の意識が現在、そして将来へと向け直されたことによって、俄かに現実的となった不安の膨れ上がってくる実感を得ていた。

 

 専属で担当するウマ娘が居ないトレーナーにも、仕事が無いわけではない。

 

 そも中央トレセン学園という、全国随一の指導環境が整っているこの場所で、狭き門をくぐりトレーナーとなっている者たちを、無為に抱え込む学園ではない。担当トレーナーが居ないウマ娘たちを指導することも、複数のウマ娘を抱えるチームの手伝いをすることも、トレーナーとしての立派な役回りである。

 

 ……が、だからこそ、鷹木の不安は大きくなっていた。

 

「オペラオーが引退してからというもの、学園から何の通達も来ないんだよな……。」

 

 ウマ娘の担当が無くなって1週間近くになるが、いまだに鷹木は為すべき仕事を新たにはあてがわれていなかった。オペラオーが最後に出走したジャパンカップ関連の報告を書類にまとめる作業があるばかりだった。

 

 ウマ娘たちの元へ赴いて見学することなどは、トレーナー個人の勝手であり学園から委ねられた業務ではない。12月の時点では担当トレーナー探しに奔走するような新入生ウマ娘などおらず、この時期のウマ娘たちは自らの練習に集中しているばかりである。

 

 指導自体に不用意に口出しすることは、相手するウマ娘のことを相応に知っていない限り、不適切な助言となりかねない。要するに今の時期、訪問予定にない人間が練習場へ姿を現しても、トレーニングの邪魔になる可能性の方が高いのだ。

 

 この時期フリーになったトレーナーに、居場所はない……引退してしまったオペラオーのことを考え続けていた間、視野の外に置かれていたそのような問題が、いざ直視する位置に来た時、もとより小心者な鷹木が不安を感じなかったはずもない。

 

 それゆえに、鷹木は翌日連絡を入れ、その足でトレセン学園理事長室の前に立っていたのである。

 

「もう少々お待ちいただけますか?面会予定時刻はあけてあるのですが、理事長の到着が遅れておりまして。」

 

「はい、待たせていただきます。」

 

 理事長秘書の駿川たづなは、理事長室の扉を開けて手短に面会遅延の旨を伝えた後、部屋の中で鳴り響いた電話の着信音に引っ張られるようにそそくさと顔を引っ込めた。

 

 11月のジャパンカップが過ぎた後は12月に入り、ステイヤーズステークス、チャンピオンズカップ、ジュベナイルフィリーズ、フューチュリティステークス、有馬記念、そしてホープフルステークス……と名だたるレースへ参加するウマ娘のため、ますます多忙を極めるトレセン学園。

 

 そんな繁忙期に、自分のために時間を割いてもらえること自体は有難い待遇である。待つ時間だけならいくらでも取れる鷹木は、廊下の窓からぼんやりと外を見下ろしていた。

 

 専用の練習場を持たない、他のウマ娘とトレーニング場所を共有しているウマ娘たちは、大抵は専属のトレーナーも居ない。とはいえ、合同集団で練習に取り組む彼女らの元にも、すでに練習を監督するコーチやフリーのトレーナー達がついている。

 

 今の自分は、そこにも居場所を見いだせない。ゆるやかに沈み続ける気分を抱えて窓外を眺める鷹木の視界に、奇妙な出で立ちのウマ娘が見いだされた。

 

「……?」

 

 トレセン学園の敷地外、フェンス越しに練習風景を見学しに来たのか、ウマ娘が独りで佇んでいる。

 

 来年の入学を控え、正規の見学日でなくとも、敷地外にとどまってトレーニング風景を見にくるウマ娘が居ることは、珍しいことではない。鷹木が奇妙だと感じたのは、その風貌である。

 

 比較的人間と比べても寒さに強いウマ娘は多いが、その入学前と見えるウマ娘は、細身の体に白衣を羽織っていた。真っ白な姿は冬枯れの街路樹の下に目立ち、トレセン学園の理事長室がある建物から、かなり距離がある敷地外にいるその姿に気づけたのだ。

 

 あまりに遠かったため、そのウマ娘の顔はハッキリ見えなかったものの、何故か彼女は練習場のウマ娘ではなく、遥か遠くに居るこちらを見つめているようでもあった……。

 

「万謝ッ!待たせてしまって済まない、外せない用件が想定外に長引き、トレセン学園への帰還が遅れた!」

 

「うおっ!?……あ、どうも、理事長……いえ、そんなに待たされてはいませんから……。」

 

 軽い足音に振り返る間もなく、耳元で響いた張りのある声に、鷹木は小さく跳びあがりながら振り向いた。

 

 今までオペラオーの声量で唐突に話しかけられることに慣れてはいたものの、秋川やよい理事長がその小柄な身から発する、覇気を伴った声は別種の迫力があった。

 

 理事長室内で執務に追われているのかと思いきや、どうやら学園の外での用件を済ませて帰ってきたところらしい。ひと時もじっとしていられる暇のない理事長は、鷹木と言葉を交わしながら冬の気を纏ったまま、歩みを緩めず理事長室の扉を勢いよく押し開けて入っていく。

 

 ちょうど、理事長の帰還するところである由を鷹木へ伝えようとしていたところなのだろう、ちょうど室内から出ようとしていたたづなが、顔面にぶつかりかけた扉を手で押さえていた。

 

「わっ!?……理事長、既に到着なさっていたのなら一報いただければ、鷹木トレーナーに室内でお待ちいただけたのに。」

 

「自省!だがひっきりなしにメディアから取材の通話が鳴りやまなかった、学園へと連絡するように伝えてあるから、応対を頼む、たづな!」

 

 理事長が言い終わるか否かといったところで、理事長室の電話が鳴り響き、たづなは早々に事務机へと戻っていくこととなった。

 

 薄手のコートを勢いよく洋服掛けへと投げ、秋川理事長は鷹木に部屋の奥でひっそりと閉ざされている扉を指さした。

 

「移動!別室にて話をしよう、私の声は電話越しにもよく聞こえてしまうからな!」

 

「はい。」

 

 自分の声の大きさを自覚している理事長は、電話応対を行っているたづなから離れるように、古びた賞状やトロフィー、様々な文献が収蔵されている控えの部屋へと鷹木を連れて入った。

 

 実際のところ、この部屋は理事長が特に内密な話をする際にしか用いることのない場所であった。鷹木は既に、自分にどんな宣告が下されるのか戦々恐々とし、周囲に何が飾ってあるかを見ている余裕などなかったが。

 

 担当ウマ娘が引退することは事前に約束していた条件の通りであったが、過酷なレース出走を重ねた結果、骨折にまで至らしめたことはトレーナーたる鷹木の非である。

 

 叱責を覚悟して慄いている彼の胸中を見透かしているかのように、秋川やよい理事長が放ったのは全力での称賛だった。

 

「嗟嘆ッ!鷹木トレーナー、テイエムオペラオーの指導および偉業達成への貢献、心より労う!また、ジャパンカップ直前までのトレーニング内容、当日のオペラオーの状態、迅速な報告書の作成にも感謝しよう!おかげで、メディアへの応対もスムーズに済んだ!」

 

「どっ……どうも、お褒めいただき、光栄です……。」

 

 もちろん秋川理事長は満面の笑みであったのだが、この称賛に鷹木が面食らったのは、その直前まで彼女が厳しい目の色を浮かべていたためである。

 

 それは当然ながらトレセン学園としての繁忙期にあったことも理由だったろうが、これより鷹木へと告げる内容が、多少ならず言葉を選ばなければならぬ内容であることの表れでもあったろう。

 

「本題!あまり前置きを長引かせても仕方ない、鷹木トレーナー、キミが求める説明へと単刀直入に切り込もう!担当ウマ娘が存在しない今、トレーナーとして為すべきことを見いだせずにいるのだったな!」

 

「はい、オペラオーに関係する指導内容の報告なども済みましたし、しばらくは文字通りにやることが無く……担当無しウマ娘たちの、集団指導をお手伝いすることぐらいなら出来ると思うのですが。」

 

「跼蹐、他のトレーナー達が各々の役割を担って指導に当たっている中、自分だけがウマ娘トレーニングに携われずにいる現状に焦りを覚えぬわけにもいかんだろう。しかし、やはり堪えてもらう他に無い。」

 

 理事長は最後の言葉を、鷹木の目の中を真っすぐに覗き込むようにして伝えた。

 

 鷹木の表情がいよいよ晴れなかった様を直視しつつ、それでもトレセン学園理事長として考え抜いた決断であったろう。

 

「それは……やっぱり、オペラオーが疲労骨折してしまうことを防げなかった、俺のトレーナーとしての腕を世間が批難していて、ほとぼりが冷めるまで姿を隠しておくべきだからでしょうか……」

 

「諒恕、キミのトレーナーとしての働きは充分に世間も理解している!我々も学園として正確なところを伝えた、あまりウマ娘レースの観衆たちを見くびるものではない、彼らはレースを愛しているから熱狂している!」

 

 現状が変わったわけではなく、鷹木の中の不安のひとつにとりあえずの答えが与えられたに過ぎないのだが、それだけで彼の表情は大幅に明るさを取り戻していた。

 

 ウマ娘の指導者たるトレーナーであることが本懐でありながら、世間からの見られ方ばかりに拘泥するのは、いかにも鷹木が凡庸な小心者であることを示した反応だった。

 

「では、自分が他のウマ娘の指導に関われない理由は、一体……。」

 

「荊棘、世紀末覇王テイエムオペラオーを指導したという実績は、あまりに重く輝かしすぎるのだ。キミが姿を現せば、担当を持たぬウマ娘たちは、自分の専属トレーナーにこそなってもらいたいと、こぞって押しかけるだろう!そしてキミは、むげに断れる性格でもあるまい?」

 

 それは事実だった。未だ担当トレーナーと出会えていないウマ娘たちは、僅かでも優れた指導者を求め、集団練習や自主練習に励みながらも、フリーのトレーナーを探し続けている。

 

 もちろん、オペラオーが引退したという情報は既に広まっており、ということはオペラオーの担当トレーナーも今はフリーになっているという必然にも、当然たどり着く。

 

「陶酔!かの名トレーナーに専属で指導してもらえれば、自分こそが三冠ウマ娘になり、グランドスラムを達成し、年間無敗に……とまでは思い上がらずとも、並みならぬ成果を残せるはずだと、キミへ期待を寄せるだろう!だが、トレーナーは、それを確約出来ようか?」

 

「……。」

 

 鷹木は黙り込んでいた。本来、トレーナーとして自信を持っているのなら、そこで迷わず首肯すべきところである。

 

 が、鷹木が過去に直面したウマ娘の挫折は今なお深く記憶に刻まれており、その後テイエムオペラオーが打ち立てた稀代の偉業は、自分のトレーニング指導あってのものだとは、到底言えなかったのである。

 

「事理、ウマ娘はトレーナーを慎重に選ばねばならず、トレーナーはウマ娘の生命を背負う覚悟を引き受け嚮導せねばならない。ウマ娘たちがいかに本気でも、鷹木トレーナー、キミは未だ道の途上なのだろう。」

 

「……はい。正直なところ、なぜあれほどまでに勝てたのかと問われても、彼女がテイエムオペラオーだったから、としか答えられないのが現状です。」

 

「同感、私もキミをオペラオーというウマ娘の担当として推したとき、いずれ偉業を達成するだろうとは考えてもいなかった!偽りなきところを吐露すれば、キミならば、オペラオーの奔放さに振り回されていてくれるだろうと考えていた!」

 

 一切飾ることの無い本心を気兼ねなく伝えてくれるのは、秋川理事長と言葉を交わす中で有難い部分でもあり、同時に鷹木が一定の気構えを保ち続ける必要がある部分でもあった。

 

 確かに、他に担当先が見つからぬコンビではあった。片や実績のない若手トレーナー、片や優れた家柄や血筋でもなく、好きに歌って踊ってトレーニングをサボる問題児。

 

「穎脱!だがテイエムオペラオーは途轍もない勝利数を打ち立て、世に知らしめた!ゆえにこそ、鷹木トレーナー、彼女を担当してしまったキミは、担当のいないウマ娘たちの前に姿を現すべきではない。向けられる視線には、過剰な期待が載せられている。」

 

「その通り、ですね。その場の熱意に押し切られて、首を縦に振ってしまったら……その後数年にわたる競技生活の中で、どこかで綻びが生じるでしょう。」

 

「険阻、トレーナーとしてウマ娘と共に栄冠への道を歩むは、この上なく厳しい行いだ。しかし、鷹木トレーナーの働きについては、こちらも十分に把握している。キミが担当すべきと判断されるウマ娘が見つかれば、こちらから通達しよう!以上!!」

 

 秋川理事長は最後の最後まで迷いなき口調で言いきり、勢いよく立ち上がって部屋を出ていった。

 

 遅れて鷹木が理事長室を出ていく時も、理事長および秘書のたづなは慌ただしく鳴り続ける電話への応対に忙殺されていた。

 

 理事長からの、何らの遠慮もない、そして正確な指摘を浴びた後の鷹木は、まるで閉ざしていた胸中を外科手術にて切り開かれた後のような心持ちであった。鷹木が目を背けていた己が力量への引け目という患部を、鋭い切っ先は躊躇いなく露出させ、白昼のもとに晒したようであった。

 

 走り込みを続けるウマ娘たちの掛け声を建物の窓ごしに聞きつつ、トレーナー寮へと帰る道すがら、鷹木は幾度も心の中で復唱していた。

 

「ウマ娘の、生命を背負う覚悟を……覚悟を。」

 

 思い返せば、オペラオーというあまりにも確たる大看板に引っ張られ続けていたため、そのことを意識する機会が減っていたようでもあった。

 

 時おり、隙や虚をつかれたような顔を見せることこそあれど、少なくともトレーナーの前では一切の弱音をさらけ出さなかったオペラオー。彼女ほどのメンタルの持ち主を前にしては、ウマ娘たちが常に抱えている不安は陰に隠れてしまうのだ。

 

 レースの大舞台に立つという一意に専心し、走り込んできた自分の脚が、どう足掻いても先頭に追い付けないと悟る日が来たら。骨折等の事故で、唐突に選手生命が絶たれたら。

 

 実際にレース場に戻れなくなったウマ娘、晴れ舞台に備えて新調した勝負服を捨てるしかなくなったウマ娘の姿を見てきた鷹木には、改めてトレーナーという存在がウマ娘に与える影響の重大さが、数年越しにのしかかってくるようであった。

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