日経賞を観戦した後、タキオンは自らの考えた内容を担当トレーナーである鷹木にもしっかり伝えていた。
タキオン自身、自分が多少なりと不安を増幅させていることは否めなかったし、既に2年以上の付き合いになる鷹木トレーナーがその不安を読み取ることも十分に予測できたためだ。
「マンハッタンカフェが六着、という結果は俺も意外だったが……そうか、前々回の展開をほぼなぞった形か。去年とはロブロイ以外の出走者も違うし、前回の繰り返しという異変は無いものと安心してたんだがな。」
「私も、2年前の日経賞を走ったシャカール先輩に言われなければ気づかなかったろうねぇ。これが可能性世界において確定したレース展開の影響を受けたものとすれば、カフェの敗北も、タップくんが二着まで食い込んだのも、とっくの昔に確定していた可能性ということになってしまうねぇ。」
鷹木と並んで休憩スペースのベンチに腰掛けつつ、語るタキオンの視線の先では練習コースを走っていくヒシミラクルの姿がある。
来月の未勝利バ戦に向けてそろそろ本格的な調整に入るべきヒシミラクルは、今日も潤沢なスタミナは確保しながら、未だ切れ味の鈍い加速で1コーナーを回っていくところであった。既に何度か走り込みを終え、休憩を入れる直前であったため、今は彼女を急かすことはない。
むしろ、タキオンと二人きりで話せる時間を、鷹木は十分に確保したかった。
「マンハッタンカフェとは、もう話したのか?彼女なら、例の“お友だち”を通じて、何か見えているかもしれないが……。」
「まだだねぇ。今朝もチラとカフェを見かけたが、話しかけるべきではないと私は判断した。彼女は未だ胸中を整理できていないだろうと見えたんだ、付き合いも短くないからねぇ。」
昨年の有馬記念で勝利したのと同じ条件のコースにて、六着になってしまうという結果について実際的に考慮すべきことは少なからずあっただろうし……自分が勝てぬ未来を“お友だち”を通じて知ったうえで覆せなかったとなれば、カフェも胸中穏やかならざる状態だろう。
そして、そんなカフェの様子を離れて見ているしか出来ないタキオンの中にも、一つの懸念が沸き起こりつつあった。
「先週の阪神大賞典で、ジャングルポケット君が二着になるという結果は、シャカール先輩のParcaeが予測した通りだったんだ。そして、今回の日経賞でのカフェの六着も同じくシミュレーション通りとのことだ。可能性世界を逸脱する特異点であれば、予想を覆せるものと考えていたんだがねぇ……。」
「それだけ、Parcaeの予測精度が高いってことでもあるんじゃないか。」
鷹木は練習コース上のヒシミラクルが向こう正面を駆け抜ける様を見つめながら、頭の中ではタキオンへと返す言葉を全力で探していた。
今年シニア級を迎える世代の中心を担うはずのライバルウマ娘を案じる思いはむろん鷹木も抱いていたが、トレーナーとしての務めを鑑みるならばタキオンの抱える不安を解消することを優先すべきであった。
「タキオンが出走する大阪杯は、いよいよ来週だ。このところの最終調整でも、タキオンは俺の想定を超える走りを見せてくれている。特異点という概念を俺は理解できていないかもしれないが、仮にどれだけ正確な可能性の予測があったとしても、今のタキオンならそれを大きく越えられるはずだ。」
「当然だねぇ、そも私に関して可能性の予測はほぼ不可能だねぇ。だって私は……去年の皐月賞より以降は、可能性世界によって規定される余地などないのだからねぇ。」
可能性世界では、アグネスタキオンは皐月賞での脚の故障を最後にレースを引退している……という推測は、もはやタキオンの中では論証の必要もない確定事項であるらしかった。
鷹木の言葉は、さほど大きな励ましの意味を見出されなかったようだが、それでもタキオンは自身の返答から、じわじわと気力の再沸を見出したようであった。
「……まぁ、やってみようじゃないか。今の私は、レースに出走するだけで必然的に特異点だ。いかなる結果をも予測できない、まさに探求のレースを期待できるねぇ。」
「その通りだ、それに観客たちは誰も予測できない結果を見るためにレース場にやってくる。タキオンの走りに、大歓声が湧かないはずもない。」
「あぁ、全くだねぇ。この現実世界に、最も強く干渉できるのは、私たちウマ娘の走りに他ならないのだからねぇ。」
タキオンは鷹木に返答するというよりも、自分自身に言い聞かせるかのように呟き、ちょうどゴールラインを駆け抜けていったヒシミラクルを見つめていた。
さすがに何度か走り込みを終えた後であり、さらに鷹木がいつものように大声で走りを急かす事をしなかったため、コースを走り抜けたミラ子のタイムは常よりも遅い。
が、それでもなお息切れや疲弊の様子も無いヒシミラクルもまた、未だ開花していないものの将来のレース界に向けられた一つの可能性であった。当のミラ子は、タキオンと鷹木から同時に生暖かい視線を向けられ、眉をひそめていたが。
「あのぉ、なんですか?言いたいことがあるならハッキリ言ってくださいよ、そりゃちょっとはタイム遅くなっちゃいましたけど、本気出したらこんなもんじゃないですから私、えぇ。」
「そうであってもらわなければ困るねぇ、せいぜい本気を出して、我々ウマ娘の未来を紡いでいってくれたまえよ。」
「いやいきなり背負わせるもの大きすぎません?」
タキオンの目が真剣であることに、既にベンチに腰掛けてスポーツドリンクに口をつけているミラ子は気づいていなかった。
唐突に突拍子の無い発言をしても、アグネスタキオンの言動としては平常時とさほど変化は無いため不審がられないのは、いちいち説明の手間に追われない鷹木としては好都合であった。
とはいえ、やはりヒシミラクルは彼女なりの洞察力で、タキオンに何かいつもと違う雰囲気を感じ取っていたのだろう。翌日彼女は、タキオンが出走する本番の大阪杯でトレーナーと共に観戦することを要求してきた。
「いいかヒシミラクル、分かっていると思うが俺は遊びに行くわけじゃない。大切な担当ウマ娘が本番で満足なパフォーマンスを発揮できているか現地で確認し、万が一があれば即座に対応するために行くんだ。」
「分かってますって。でも私だって、その“大切な担当ウマ娘”の一員ですからねぇ。先輩ウマ娘の走りを間近で見るのはいい勉強になると思いますよ、ほら、トレーナー用の観戦ブースは最前列、すぐターフに出て行ける位置にあるんでしょ?」
「それも、担当ウマ娘の故障や怪我があった場合、すぐ駆けつけられるようにするためだ。最前列でレース観戦するためじゃなくってだな……。」
「だから、先輩の走りを見て勉強するためですって。チームを組んでレースに参加してる子達も、トレーナーと並んで応援に行くことあるって聞きましたよ。」
鷹木はそれ以上、否定できる言葉を持たなかった。むろん、URA公式としても、ウマ娘の後進育成のため、トレーナー専用ブースに他の担当ウマ娘が入って観戦することを許可し推奨している。
とはいえ、トレーナーやURA関係者用の席は、柵を乗り越えれば簡単にターフ上へ出られる位置ゆえに、立ち入りには相応の手続きが必要であった。ヒシミラクルの申し出に首肯する以上、鷹木は自分自身に加えてミラ子の分も観戦ブース利用手続きを行う必要があった。
多少面倒であれ、例えば結城トレーナーならばいやな顔一つせず、希望するウマ娘たちの分も手続きを行うだろう……そう言い聞かせながら、鷹木は翌日ミラ子の分も最前列ブース利用許可証を得てきたのであった。
「これが許可証だ、当日は肌身離さず持っているように。スマホは持ち込み禁止だ、他にも外部との通信を可能にする機器は使ってはいけない。フラッシュ撮影も厳禁だし、えーと、他には……危険物、騒音を発生させる器具、投擲を目的とした器具、横断幕やパラソル等も持参禁止……」
「分かってますってぇ、仮にも私だってレースに出走経験あるんですから。いやー、これでレースを最前列で見られる権利ゲットですね、トレセン学園に居るうちに一度は経験しときたかったんですよ。」
許可証を手に喜んでいるヒシミラクルの表情を見れば、煩雑な手続きを済ませてきた苦労も吹き飛ぶ……はずではあったが、やはり彼女の興味本位につき合わされた感は払拭しきれない鷹木であった。
3月31日、阪神レース場。
パドックでのお披露目後の着付け直しを済ませたアグネスタキオンは、白衣を模した勝負服の長い裾を翻して控室から外へ出て行く。
常にどこか胡散臭く脱力したような言動が目立つタキオンも、本番直前、勝負服を身に纏った背には覇気までも纏われているようで、鷹木と並んで見送るミラ子は間近でそれを感じられたことを感謝していた。
「やっぱ世代の頂点ですねぇタキオンさんは。黙って真面目な顔をしてるだけで、あんなに雰囲気変わるもんですねぇ。」
「もう本番直前なんだ、そうでなきゃ困る。」
背後でミラ子と鷹木が囁き合っている一方で、控室から地下バ道へと続く廊下に出たタキオンは、ちょうど同じタイミングで控室から出て来た競争相手達と顔を合わせる。
観衆たちの前に姿を現す時刻が決められている以上、彼女らが鉢合わせるのは半ば必然であったが、ピタリとタイミングが合ったのはどこか運命めいていた……エアシャカールと、ネオユニヴァースも同じことを感じていたかもしれない。
彼女らと互いに顔を見合わせて、タキオンはいつになく真剣な口調を響かせた。
「さぁ、行こうじゃないか。世界に影響を及ぼす、我らウマ娘にとっての最たる手段へ。」
「俺たちが走りゃあ歴史が決まる。ロジカルでも何でもねェ、単なる事実だ。」
「“NAV”することは“ASEM”だから……“XACF”を『超える』よ。」
奇しくも、ウマ娘世界そのものへの探求を進め、この世界における異変の存在を明瞭に認識した者たちが顔をそろえるレースとなっていた。
たがいに頷き合い、そして地下バ道へと歩を進めていく先輩ウマ娘たちを見送って、ヒシミラクルはポカンとした表情のまま鷹木に問う。
「今の会話、ちゃんと成立してたんですかねぇ?傍から聞いても、さっぱり意味が分かりませんでしたが。トレーナーさんは分かってるんですか?」
「いや、あんまり……。」
実際の所、鷹木はタキオンらの口にした内容を、半ば理解できるところまで来てはいた。
世界そのものに異常が発生しても、バグ修正のように直接対処することなど出来ない。ウマ娘の立場から可能な、そして最も効果的な手段は、やはりレースによって幾万人もの認識に干渉することである。
この世界は、ウマ娘レースを中心に回っている。自分たちの走りを通して、感動と、そして望むべき未来を紡ぐことが、異常現象に対処し乗り越えるほとんど唯一の方法だ……。
といったことだろうと鷹木は推測していたのだが、タキオンが抱いている思考を自分が完全に再現できるとは思えなかったため、ミラ子に対しては自分も分からないと返答せざるを得なかったのだ。
ヒシミラクルを伴い、鷹木も観客席の最前列、トレーナー用観戦ブースへと出る。歓声が沸き上がる曇天の下、地下バ道から出て来たタキオンらがゲート入りしている様が遠くに見えた。
その曇天は、どこか見覚えがあった。
〈14名のウマ娘が集結しました、阪神レース場。天候は曇り、バ場状態は良、芝2000mを競います大阪杯。各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました!14名が一斉にまず1コーナーへと向かいます。まずポジションの探り合い、タマモヒビキがじわっと上がって行ってハナを切ります。2番手にはアグネスタキオン、あと3番手にテンザンセイザ、ロサード、トーセンダンディ並んで、さらにそのウチ側、エアシャカールはここに居ます。〉
スタンド前直線にスタート位置がある阪神レース場芝2000mは、スタート直後の大歓声を浴びながらウマ娘たちが最初の直線を駆け抜けていく。
重賞レースの熱狂と迫力を最前列で見られる状況に、ヒシミラクルはただただ圧倒されている様子であった。一方で、鷹木はタキオンの作戦が巧みにハマったのを先ずは確認していた。
「よし、外枠からのスタートだったが、上手く抜け出して2番手に入り込んだな。坂を上るリスクを抱えて、あの速度を最初から出そうとするウマ娘はそうそう居ない。」
「いやぁ、メチャ速いですね!……いや私、当たり前のこと言ってますけど!」
芝の中距離の中でも、特にベテランクラスのウマ娘が勢揃いする重賞レース。
14枠というスタート位置は、いくらアグネスタキオンとて無視できない条件であったが、彼女はきっちりと勝利を必然へ引き寄せる選択を最序盤からとっていた。
〈中団にビッグゴールド、マチカネキンノホシ。さらにはジョービッグバン、そして1番人気ネオユニヴァースは後ろから4,5番目といったところ。あとはプレシャスソング、後方はウィンマーベラス、ツルマルボーイ、と来てアンクルスーパーが最後方で14名が1コーナーを回っていきます。先頭は変わらずタマモヒビキが逃げている、リードは2バ身。トーセンダンディ、アグネスタキオン、そして4番手にエアシャカール、安定した位置取りです。〉
先頭で逃げるタマモヒビキが、かなり意識してリードを取ろうとしているおかげで、タキオンの背後、4番手につけたエアシャカールは周囲を囲まれることなく、スタミナの浪費も無くコーナー最ウチを回れていた。
むろんタマモヒビキも後続を走らせやすくするためにリードを広げているわけではないだろう。
「ネオユニヴァースが今回は後方に位置どっているから、その警戒のために逃げのリードを余分に取っているんだろう。三冠ウマ娘を背後に抱えて、焦らずにいられる者はそうそう居ない。」
「なるほどぉ……ところで、トレーナーさん?」
「どうした?」
「このレース展開、どっかで見覚えある気がしません?」
アグネスタキオンの足取りに視線を集中していたため、ヒシミラクルの言葉を聞き流しかけていた鷹木であったが、その言葉の内容を数秒遅れで脳が理解した時、彼はミラ子へぎょっとした視線を向けた。
当のミラ子は、自分が別段重大なことを喋ったつもりもなく、相変わらず生で観戦する重賞レースに視線を奪われ続けていたが。
〈全体の集団はやや縦長となりました、1番人気ネオユニヴァースはコース内側、後ろから4番目に位置どっています、ツルマルボーイ、ウィンマーベラス、そして最後方にアンクルスーパーといった形であります。さぁ3コーナー手前、タマモヒビキが飛ばしている、リードが3バ身から4バ身で3コーナーを回っていきます。2番手にトーセンダンディとアグネスタキオン並んでいる、後ろはまだ動かないか、エアシャカールは4番手の位置から動かない。〉
現状のアグネスタキオンのペース配分から意識を逸らさぬようにしながらも、鷹木は必死になって昨年の大阪杯の展開を記憶から掘り起こそうとしていた。
さすがに1年前の記憶を鮮明に蘇らせることは出来ないが、確か……出走ウマ娘は、同じだったような気がする。
「確かに、前回はエアシャカールと、ネオユニヴァースが出走してた、よな……。」
「まー、それだけですけどね、似てるって感じたのは。変なこと言っちゃってすいません、映像じゃなくて現地で見てるのに、見覚えあるワケないですよね。」
相も変わらずノンビリした調子のヒシミラクルは、この話題をそれっきりで打ち切り、レース観戦に集中するつもりのようであった。
しかし、過去の記憶を掘り返した鷹木の中では、ますます嫌な予感が強く湧き起こっていた。そう、確かに見覚えがある。ネオユニヴァースはこのレース、最終直線に入るまで仕掛けない……。
〈マチカネキンノホシは6番手、あとはロサード、ジョービッグバン、バ順は変わらないまま、まだネオユニヴァースは後ろから4番手のまま、動かない!しかし前方ではタマモヒビキのリードがじわっとなくなってきました、外からアグネスタキオン徐々に加速を開始したか、あとはトーセンダンディ!エアシャカールが4番手から外に持ち出して、今前へと接近していく!最後の直線へと向きました!〉
大歓声が降り注ぐ最終直線、エアシャカールはもはやハッキリと思い出していた。昨年の大阪杯のことは、2年前のレース以上に鮮明に記憶に残されている。
きっと、ネオユニヴァースも気づいていることだろう。
(去年と殆ど同じじゃねーか……!4コーナー抜けたら来ンだろ、ユニヴァース!)
外から前を差し切る体勢に入りながら、エアシャカールは間もなく背後で、昨年の記憶と寸分たがわぬタイミングにて加速を開始したネオユニヴァースの蹄音を感じた。
前方には、既にタマモヒビキが失速しつつあり、トーセンダンディも苦しそうに走っている。
その先で、いよいよ最高速へと到達しようとしていたアグネスタキオン。昨年は大阪杯に居なかった彼女の存在だけが、繰り返しを打ち崩す唯一の特異点であった。
(“グリーゼ”な“TIFY”……その可能性、だよ。)
ネオユニヴァースは、大外から猛然と追い上げを開始しながら、タキオンの背を真っすぐに捉えていた。
〈タマモヒビキ逃げている!さぁ後方からエアシャカールが来た、エアシャカールがアグネスタキオンへどうにか追いついて先頭に……外からネオユニヴァース!?ネオユニヴァースは既に外側にいた!一気にネオユニヴァースが前を捉えた!ネオユニヴァースが先頭か!?しかしアグネスタキオン、エアシャカールが並び続けている!エアシャカール粘っているが、アグネスタキオン先頭を譲らない、ネオユニヴァースが更に加速する!!〉
昨年の大阪杯と全く同じ展開であるとの確信に至っても、鷹木の中での希望が失せたわけではなかった。
むしろ、タキオンの存在は常に特異点なのだ。タキオンの仮説の中で立てられた憶測に過ぎなかったが、その点を疑うことはなかった。
アグネスタキオンが大阪杯で出す結果は……全くの白紙だ。どんな別世界でも、確定していない。
「タキオン!!まだ上がれるぞ!ここまでロスはない!行け!行け!!」
「勝てますってタキオン先輩!」
真隣りのヒシミラクルがついぞ出したことのない大声を張り上げているのに驚く余裕もなく、鷹木は全身全霊で声援を送っていた。
アグネスタキオンは、目の前が思いのほかに明るかった。
昨年の皐月賞はとっくに過ぎて、可能性世界の自分自身が確定した未来は、既に存在しないはず。だからこそ、どれだけウマ娘としての限界に近づいても真っ暗なままであると考えていた。しかし、今回は違った。
(あるいは、これが新たに紡ぎ出した、この世界における可能性なのかい?)
コンマ一秒ごとに接近してくるゴールラインを前に、尋常では認識できないほどの短時間、タキオンの思考は複雑にめぐっていた。
ウマ娘の限界、すなわち自らの運命へと極限まで近づいた時、見える将来の可能性。そこへ目を凝らした時、タキオンは驚愕する他に無かった。
(違う、これは……可能性世界だ……!)
ゴール板の前を通過する瞬間、アグネスタキオンは空間の壁にぶつかったような衝撃を感じたようであった。
もちろん、そこに物理的な障壁などなく、タキオンはシャカールとユニヴァースと殆どならんで駆け抜けていったのだが。
〈後方は既に大きく引き離された!ネオユニヴァース!エアシャカール!アグネスタキオン!この3名の独壇場だ!エアシャカール、まだ伸びる!しかしネオユニヴァースが変わらず先頭!アグネスタキオン差し返すか、しかしネオユニヴァース先頭でゴールイン!ほぼ並んだままエアシャカールは二着、アグネスタキオン三着となりました!後続を大きく引き離して、この実力者3名の名勝負に会場は大きく沸いています!〉
ゴールした直後、鷹木はブースの前の柵を握り締めてタキオンの足取りを見つめていたが……数秒と経たぬうちに、一つの確信を得て柵を飛び越え、そのままコース上へと駆け出していく。
幾万人もの大歓声が降り注ぐターフ上に迷わず入っていく行動に思わずヒシミラクルは声を上げた。
「えっ、何してんですかトレーナーさん、レースの順位も確定して……」
「タキオンの脚運びがおかしい。あれは、怪我だ……!」
ゴール直後のネオユニヴァースも、アグネスタキオンの身に起きた異変を感じ取っていた。
こちらは、鷹木のように歩き方を見たためではなく、ゴール直前のタキオンと同様のビジョンを受け取ったためであったが。
「“WORR”。アグネスタキオンは、“QOAX”と“最終散乱面”に『到達する』をした?」
「そのようだ、ねぇ……やはり可能性世界は、我々ウマ娘が順当に行き着く将来であって、無理に書き換えようとすれば身体的な限度へぶつかってしまうのかもしれないねぇ。」
「ンな話をしてる場合か、おい、下手に体重を脚に掛けンな。骨にヒビが行ってたらマズい、俺に掴まってろ。」
ネオユニヴァースに引き続き、エアシャカールも減速し終えた後アグネスタキオンのもとへ近寄り、片脚を持ち上げているタキオンに肩を貸している。レース直後に鷹木が判断した微妙な脚運びの異状は、既に明瞭となっていた。
鷹木トレーナーが駆け寄ってくるのも間もなくのことであり、そのままアグネスタキオンは救急車に載せられて即座に搬送されていった。