探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 タキオン自身も経験した奇妙な現象、ウマ娘が春先に何かに呼ばれるように引き寄せられ、気づけば三女神像の前に立っているという状況が、ヒシミラクルも体験したというのはある種の吉報であった。むろん鷹木自身が心底から信じていたわけではなかったが、かつてのテイエムオペラオーも、三女神に呼ばれるような経験の後に目ざましい活躍を遂げている。とはいえまだまだ未勝利バ戦に勝てていないヒシミラクルを指導していく中、ミラ子の同期ウマ娘であるシンボリクリスエスが出走する青葉賞の日程が迫っていた。


道を踏まえば、腹案は締まる

 練習場所から忽然と姿を消し、数分の後に寝ぼけまなこを擦りながら戻ってきたヒシミラクルから、事の顛末を聞かされたアグネスタキオンは大いに歓喜し、そして記録が残されなかったことを残念がった。

 

 ウマ娘自身が意識せず、記憶も途切れた状態で、知らぬ間に三女神像の前に立ち尽くしている……その現象自体は、確かに昨年のタキオン自身が経験してもいたのだ。

 

「すなわち三女神に呼ばれた、ということだねぇ!ヒシミラクルくん、ならばキミの活躍はもはや約束されたようなものだねぇ!去年、この私が、まもなく皐月賞を制した時と同じく!」

 

「いやぁ、現状、皐月賞に出るどころか、一勝すらしてないんですけど、私……というかタキオン先輩、そんな三女神とか、絶対信じないタイプだと思ってたんですけど。」

 

「むろん私とて科学者の端くれ、神の実在に関しては証明に至っていない以上、妄信はしないとも。が、実証された部分に関しては別だねぇ。おい!トレーナーくん!」

 

 大阪杯での脚の故障から一週間、既に車椅子の操作にも慣れたタキオンは器用にくるりと椅子ごと向き直り、鷹木へと詰め寄った。

 

「なぜキミはヒシミラクルくんにつきっきりではなかったんだい!?彼女にもしものことがあったらと考えなかったのかい、せっかくの貴重な現象、ウマ娘が三女神に呼ばれる瞬間を記録できる好機だったというに!」

 

「いや、そりゃ休憩中なんだから、お手洗いにでも行くのかと……トレーナーが付きまとうわけにもいかないだろ。」

 

 尤もなことを鷹木は返答しながらも、彼自身、ヒシミラクルが体験することについての予感が全くなかったというわけでもない。

 

 昨年のアグネスタキオンも然り、更に前に担当していたテイエムオペラオーもまた、春になれば三女神像の前に無意識のうちに引き寄せられるという現象に見舞われていた。同様に、アドマイヤベガもナリタトップロードも、知らぬ間に姿を消したと思ったら三女神像の前に居たことがある。

 

 まるで三女神に呼ばれるかのごとく、そのような振る舞いをしたウマ娘が、いずれウマ娘レースにて大成すること……鷹木は口にこそ出さなかったものの、原理の全く不明瞭なその因果関係には密かに期待を寄せていた。

 

 傍らでは、興味なさげなヒシミラクルの記憶が薄れる前にと、アグネスタキオンによる熱の入った質疑が続けられていた。

 

「その場の状況をもっと詳細に伝えてくれたまえ、三女神像の前に居たのはキミだけだったのかい?共に三女神像の前で居並んでいたウマ娘は、キミ以外に居なかったかい?」

 

「それならクリスエスちゃんと、ノーリーズンちゃんと……そう、ギムレットくんが居ましたねぇ。というか、ギムレットくんの声がデカくて、それで私は意識を取り戻した感じでしたし。」

 

 ヒシミラクルにはそろそろ休憩時間の終了を告げ、練習に戻らせねばと思いつつも、鷹木はいつしかタキオン同様、ヒシミラクルが語る内容が気になって仕方ない状態になっていた。

 

 彼女が今挙げた名前は、いずれも今年度のクラシック級にて活躍が期待される面々である。今のところはタニノギムレットの評価ばかりが世間で飛び抜けていたが、トレセン学園所属トレーナーの目から見ればクリスエスもノーリーズンもトップクラスのレースに届き得るウマ娘だ。

 

 そんな面々に、ヒシミラクルも並んでいたこと。それが意味するところを、タキオンもおおよそ察していたらしい。

 

「やはりだねぇ!やはり今年度の活躍が見込まれる面々が揃っていたのだねぇ!ちなみにギムレットくんはどのような言葉を喋っていたのかねぇ?」

 

「えぇー……さすがに、覚えてないですよ、あの子いっつも変な言い方ばかりですし……なんか、三女神が私たちのまえに降り立った、とか、我がシナリオがホイールの音でうんたらかんたら……」

 

「なるほどねぇ!さすがはギムレットくんだ、彼女は可能性世界の振る舞いを無意識的にも感じ取っているのかもしれないねぇ、自らの将来に見いだされる可能性を知ったうえで、なおもそれを超えようとするウマ娘が歴史に名を残さぬはずがないねぇ!」

 

 ヒシミラクルが語る断片的な情報から、タキオンがタニノギムレットの察した内容をどこまで把握したのか、ここまで来ると鷹木の推測も手が届かない。

 

 ともあれ、今年度のクラシック級を確実に代表するだろうタニノギムレットに並び、ヒシミラクルも相応の戦績を残すことは充分に予感させる出来事であった。それが可能性世界とやらによって予め定められたものか、担当トレーナーや先輩ウマ娘からの働きかけで生まれた新たな可能性か、判別のしようは無かったが。

 

 まだ眠気が抜けきっていないのか、ぽやんとしているヒシミラクルに準備運動を促しつつ、鷹木はチラと目を合わせたタキオンもこちらの考えていることに気づいているのだろうと感じた。

 

 大あくびしつつダラダラと歩いて行ったヒシミラクルとは対照的に、三女神像の前から急ぎ足で練習場所へと戻っていったのはシンボリクリスエスであったが、彼女が時間を無駄にしていられないのも当然のこと、翌日が出走レース本番であったためである。

 

 中山レース場、芝2200m、山吹賞。

 

 周囲から重い期待を担わされながら、デビュー時の初勝利以降は勝ちあぐねていたシンボリクリスエス。皐月賞へ出走する方針は取らず、今は適性を見極めつつ二勝目を挙げることが最大の目標となっていた。

 

「とはいえクリスエスくんが明確な弱点として負っていた成長途中の心肺機能は、徐々に完成の域へ近づいていっているようだからねぇ。今日こそは、その恵まれた体躯に相応しい走りを見せつけてくれるんじゃないかねぇ!」

 

 まだ脚には負荷が掛けられないものの、アグネスタキオンは筋肉がつきすぎない程度の上半身のトレーニングを済ませ、薄っすらにじんだ汗をぬぐいつつトレーニングルームの休憩室へと車椅子を進ませてくる。

 

 既にレース中継を観戦する準備は済んでおり、トレーニングマシンの上で残り数秒の走り込みを行っているヒシミラクルが最後まで手を抜かないかと目を光らせつつ、鷹木は返答する。

 

「あぁ、それに桂崎トレーナーのことだ、既にクリスエスにとって最適な作戦も見出しているだろう。」

 

「クリスエスくんは実に真面目なウマ娘だからねぇ、指示された通りの作戦を律儀に実行するのが長所でもあり短所でもあるねぇ。」

 

 その日、シンボリクリスエスは僅差とはいえ2番人気であった。前走までは連続で1番人気であったのだが、なかなか勝ちきれないレースが続いたための影響であると思われた。

 

 が、プロのトレーナー達であれば、文句なしの1番人気にクリスエスを推したことだろう。生来の堂々たる体格に加え、幾度も重ねたのだろう鍛錬の成果が、内面をしっかり成長させていることを、確信するほどの居ずまいでクリスエスはゲートへと入っていった。

 

 遅れて休憩室へと小走りに戻ってきたヒシミラクルは、中継画面がまだ出走直前の状態である様を視認し、ほっと一息つきながらも口を開く。

 

「やっぱかっこいいですねぇ、クリスエスちゃん。でも、16名の出走で15枠ですかぁ。」

 

「心配は無いだろう、中山の芝2200mコースは、スタートから最初のコーナーまで432mある。それに、クリスエスは集団にブロックされてしまうことよりも、最後に差しが届かないことの方が大きい。」

 

 鷹木はヒシミラクルに答えながら、早くもクリスエスの掴んだ走りを見極めようと画面に注視していた。

 

 仮に、ヒシミラクルが今年度のクラシック路線へと食い込んでいくのなら……シンボリクリスエスという存在が、あまりに大きな壁となるだろうことが既に、十分に予見できたためである。

 

〈天候は晴れ、バ場状態は良となりました、4月6日の中山レース場、第9レース、山吹賞。間もなく、全ウマ娘ゲートに収まりまして体勢完了……スタートしました!綺麗に揃いました、まずは前に出たのは13枠のソウゴン、ウチを突いてマイネルアムンゼンが2番手に、さらに外からシンボリクリスエスが来た、今回はぐっと前に上げた位置取りです、シンボリクリスエス3番手!そのウチ側に並んでカワキタノーブル、更にはチョウカイフライト、セイコーアカデミーが後に続くといった形で、各ウマ娘一周目の直線を駆け抜けていきます。〉

 

 これまでの後方に待機する作戦とは打って変わって、一気に前へと出て先行の位置取りにつけたシンボリクリスエス。

 

 中山レース場からは大きなどよめきの声々が上がったが、トレーナーやウマ娘たちにとっては充分に予測できる采配であった。

 

「そもそも、これまで後方からの作戦を取らざるを得なかったのは、人気度上位の状態で囲まれ、スタミナを浪費してしまう状況を避けるためだったろうねぇ。だが、クリスエスくんが身体能力を向上させた今、その不安は無用というわけだねぇ。」

 

「差し切れないで勝ちを譲ってしまう状況が多かっただけに、今回は好位から最後どこまで伸びるのか見ものだな。」

 

 タキオンの言に頷きながら鷹木は言っていたが、内心は戦々恐々としていた。

 

 シンボリクリスエスが自分に相応しい走り方を見出し、身体能力も本格化し、いよいよ本領発揮できる状態となった時……他に勝てるウマ娘は居るのだろうか?

 

 勝てずに苦しむ時期からウマ娘が脱することは全てのトレーナーが望むことではあれど、化け物が誕生する予感に震えることもまた同様に全トレーナー共通の感覚なのだ。

 

〈1コーナーを回っていきます、先頭変わらずソウゴン、リードを2バ身から3バ身へと広げて逃げていきます。続く2番手マイネルアムンゼン、そのすぐ後にカワキタノーブル、その外シンボリクリスエスが並んで3番手。後はチョウカイフライトとセイコーアカデミーも横並び、リキサングレードが中団の中ほど、その後にリゼルヴァ、タイガーエスプリアが並んで8番手9番手あたり、中団後方にはマイネルジェム、更にはコスモジャッカルにアイマストウィンが並ぶ形、ゆったりとした流れで先頭はスタートから1000mを今通過しました。〉

 

 中山レース場の外回りコースは上から見ると角の丸い三角形のような形状であり、2コーナーがほぼ直線に見えるほどの緩やかなカーブとなっている。

 

 各ウマ娘の位置取りは既に安定しており、逃げウマ娘もペースを上げ過ぎず理想通りの走りを実行しているようであった。

 

「わー、これは楽そうなペースですけど、先行有利っぽいですねぇー。私なんかが後ろでタラタラ走ってたら、最後は完全に引き離されちゃいますよ。」

 

「そうならないように最初から全力で前を目指してもらいたいものだねぇ、ヒシミラクルくんはそれで丁度良いのだからねぇ。」

 

 ヒシミラクルのノンビリした口調は、よもや自分がシンボリクリスエスと対決するなどとは夢にも思っていない内心の表れであった。

 

 が、鷹木と同様、アグネスタキオンもまたこの後輩ウマ娘がいずれは競うべき相手と認識したうえで、中継画面内に映る面々の走りを凝視しているらしかった。

 

〈向こう正面に入りまして、先頭はソウゴン、3バ身ほど開いて2番手マイネルアムンゼン、3番手シンボリクリスエスはじわじわと前方に距離を詰め始めたか。ここで中団のマイネルジェムが徐々に前方へと進出、10番手から7番手へと上がってまいりました。更にはリキサングレードも外に出して前へと上がっていく。レース全体が動き出そうとしています、間もなく残り1000mを通過。セイコーアカデミー、マイネルアムンゼン、シンボリクリスエス、これら3名、人気度上位のウマ娘が揃って先行集団を形成しています。〉

 

 このレースが完全なる先行有利であることを、実際に今走っているウマ娘たちも認識しているのだろう。

 

 それでもなお後方に居続けることを決めたウマ娘たちを除き、向こう正面から始まる緩やかな下り坂を利用して前へと上がっていこうとする動きがみられた。

 

「いや……ここではもう、遅いんじゃないかねぇ。クリスエスくんが、このタイミングで2番手に並ぶ判断を下したということは、ゴール前で更に加速するだけの余力があるということでもあるねぇ。」

 

「前もって決めた作戦に忠実すぎるのは短所でもあったが、それは言い換えれば、作戦通りの走りであれば確実に遂行できる、ということでもあるからな……。」

 

 アグネスタキオンは、既にゴールが目前に迫った際の状況がイメージの中に映像として浮かんでいるようであった。

 

 シンボリクリスエスは、無謀な走りでスタミナを浪費したり、思い付きで作戦変更したりするようなウマ娘ではない。前へと位置を押し上げるのも、最終的に勝てるビジョンあってのことだ。

 

〈3コーナーを回っていきます、先頭はソウゴン、リードは1バ身ほど。残り600を通過、ここで2番手にまで上がってきましたシンボリクリスエス、これは完全に先頭を捉えた!マイネルアムンゼンも負けじと食い下がる、さらにチョウカイフライト、セイコーアカデミー、中団から前へと抜け出して来た!完全に先行集団の勝負となりました、残り400を通過!間もなく最後の直線へと向かいます、中山の直線は短いぞ!〉

 

 理想的なペースで進んできたのは、クリスエスだけではない。人気度上位のウマ娘たちが先行の位置を占めていたのは、それだけ場を見極める実力が伴っていることの証である。

 

 しかし、間もなく差し掛かった中山の最終直線の上り坂においても、加速のキレに全く翳りが無い様は、もはやクリスエスが不調から完全に解き放たれたことを意味していた。

 

「皐月賞に出ないのかい、あの脚で!本格化が、僅かに遅かったねぇ!だがダービーは確実だねぇ!」

 

「おぉわぁー……こりゃあ完全に抜きん出ましたよ、クリスエスちゃん……!」

 

 アグネスタキオンとヒシミラクルが口々に喋っている横で、鷹木は蒼ざめていた。

 

 三女神像の前に呼ばれたことといい、鷹木がヒシミラクルの素質を掴みつつあることといい、ヒシミラクルが今年度GⅠレースでの戦績を残すことを、少々楽観的とはいえ半ば確信する思いがあったのは否めない。

 

 が、タニノギムレットに並び、こんな怪物が現れてしまった今……ヒシミラクルが割って入る隙がある、と信じ続けることは難しかった。

 

〈ゴール前の坂も難なく、トップスピードで駆け抜けたシンボリクリスエス先頭!残り200!2番手マイネルアムンゼン、3番手チョウカイフライト、ほとんど並んでクリスエスを追うが、その差は詰まらない!1バ身以上の差をつけて、今、シンボリクリスエスが先頭でゴールイン!勝ちましたシンボリクリスエス!昨年10月のデビュー以来、長かった2勝目までの道のり!ついに二つ目の栄冠を手にしました!〉

 

 大歓声を浴びて、ぎこちないながらも客席に向けて手を振るシンボリクリスエス。

 

 画面越しにも、彼女の表情に幾分かの余裕が残されている様が見てとれる。以前までのように、ゴール直後から肩で息をして、気力が尽きる寸前のごとき状態ではもはやなかった。

 

「さてさて……トレーナーくん。我が後輩ウマ娘にも、実に強力なライバルが現れたといったところかねぇ?」

 

「……あぁ。」

 

 既にタキオンは、冷や汗をにじませている鷹木の胸中を察したのか、ニヤニヤと笑いながら喋りかけてくる。

 

 天才を自称するだけあって元より同世代のライバルに先んじる能力を発揮していた彼女にとっては、逆に自分たちが先駆者を追いかける側になる感覚が新鮮であり、また楽しくて仕方がないらしい。

 

 むろん鷹木には楽しんでいる余裕などなく、また当のヒシミラクルは“ライバル”という呼称そのものが非現実的に感じているらしかった。

 

「ライバルって、クリスエスちゃんが、ですか?私の?えぇー……どっちかっていうと、あっちが大スターで、私がただのファン、って感じですけど。」

 

「ならばそれでも良いねぇ、ただのファンが憧れに近付くために同じレースへ出走し、あまつさえ憧れの対象に勝利してしまった例を私は知っているからねぇ!アグネスデジタルくんと言うんだが。」

 

「あまりにも有名すぎて私でも知ってますけど、それは変態すぎる例ですって!」

 

 ミラクルとタキオンのやり取りを傍らに聞きつつ、鷹木はどうにか気を取り直していた。

 

 自分が蒼ざめているのは、すなわちヒシミラクルを今年のクラシック路線に突入させることを、まだ現実的だと感じる事が出来ている前提があるためだ。足元にも及ばないと感じていては、もはや遠い憧れしか浮かばないだろう。

 

 凡庸なトレーナーであった彼は、テイエムオペラオー、そしてアグネスタキオンの走りを間近で見せつけられた結果、大舞台への道程を現実として捉えずにいられなくなっていたらしい。

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