探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 様々なウマ娘たちにとって、大きな節目となった今年の春の天皇賞。脚の故障が発覚して長期間の休止となったネオユニヴァースは、ある夜、星空を見上げて交信していた。彼女のトレーナーは観測可能な宇宙の外側から、ネオユニヴァースを常に見守り続けている。自分のウマ娘としての軌跡が途絶えることを受け入れがたく感じているネオユニヴァースに対し、彼女を“ネオ”と呼ぶ声は優しく後押しするのであった。一方、アグネスタキオンは、こちらも春の天皇賞後に怪我があることが判明したジャングルポケットの見舞いに行っていた。足が無事ならば宝塚記念、さらに海外遠征をも計画していたポッケであったが、現在はマンハッタンカフェに遠征計画があることを知っていたのであった。


可能性世界に先行きなくとも、“EXIN”による持続

 5月の夜空は、うすぼんやりとしたベールが掛かった中に、控えめな星々が並んでいる。トレセン学園のある東京近郊では、北天の北斗七星を除けば、おとめ座が横たわる様をどうにかなぞれる程度である。

 

 星々を見上げながら、ネオユニヴァースは独り、学舎の屋上に佇んでいた。

 

「“DSN”―――ツートントントン トンツートン、ツーツートンツートン、ツートン、トンツー」

 

 先日の天皇賞での走りは目に見えて不調であり、レース終了後も違和感が脚に残っていた彼女は、診断で軽い屈腱炎が発見され、さらには関節の骨にも僅かな異変が見いだされたため、長期休止へと入ることが決定されていた。

 

 天皇賞を終えて即座に診断を受けることが出来たおかげで、症状は最低限に食い止められ、補助用の杖をつきつつも自由に歩き回ることは出来ていたのである。

 

 しかし、仮にネオユニヴァースが他のウマ娘の補助を受けなければ歩けない状態であったとしても、彼女はこの夜、ここにきて星空を見上げていただろう。

 

 誰にも知られぬままに、ネオユニヴァースは屋上に姿を現していたのである。

 

「トレーナー……“XACF”は『一巡する』を確認。“コヒーレンス”は、1年前と『完全に同一』だよ。」

 

 1年前、ネオユニヴァースは春の天皇賞を勝利で飾った。

 

 大逃げを打つイングランディーレに遅れを取ったかと見えた展開をひっくり返し、まさに特異点と称されるに値するほどの劇的な勝利であった。

 

 ……そして今年の天皇賞、結果は十着。出走メンバーこそ昨年と異なるものの、ネオユニヴァース自身はこの結果を意外だとは感じていなかった。昨年の天皇賞春での運命を、乗り越えなかった時の結果。

 

 “春の天皇賞で十着になること”は観測済みの、もう一つの可能性であった。

 

「“IKNW”、でも『わたし』は“シンチレーション”……“FOBN”は『受け入れがたい』を感じている。」

 

 昨年の天皇賞春を終えた後も、ネオユニヴァースは漠然とした不安を感じていた。

 

 春の天皇賞から後、自分が走るレースについての“観測”が全く以て不可能となっていたのである。それは、既定された可能性は最早生み出されていないこと……すなわち、別宇宙の自分はレースを引退していることに他ならなかった。

 

 それ故に、1年前、ネオユニヴァースはトレーナーに対して問うたのだ。ウマ娘としての自分も、天皇賞春を最後に引退するのか、と。

 

「でも、“SETO”は“GATE”後に、『道を示す』をした。“9.807”よりも、ずっと“ミューテフ”……『ありがとう』だよ。」

 

 ネオユニヴァースの語り掛けに応えるように、夜空はより深く宇宙へ近づき、星は不確かな瞬きを止めてより明瞭に輝いたようだった。

 

 確かに、ネオユニヴァースは昨年で引退しなかったからこそ、更に数多のレースを、親友であるゼンノロブロイや、先輩ウマ娘たち、そして新たにクラシック級に上がってきた後輩たちと共に駆け続けることが出来たのだ。

 

 アグネスタキオンや、ジャングルポケット、マンハッタンカフェといった面々とともに競い合えたのは、このウマ娘世界であればこそ叶った現実だろう。

 

 

 

 ―――だから、ネオ、まだ走りたいのなら……君が願うままに、走ろう。

 

 

 

 観測できる限界を超えた先の宇宙、果てより遠い空の向こう側から、語り返す声はこれまでになく強く、明瞭に答えていた。

 

 彼女の事を“ネオ”と呼ぶ存在は、この世界ばかりか別宇宙まで含めても、唯一「ネオユニヴァースのトレーナー」だけである。

 

「……アファーマティブ。これからも、ネオユニヴァース……『わたし』が“NAV”するよ。」

 

 トレーナーからの言葉は、単なる励ましに留まらない。彼女が抱えていた、より複雑かつ漠然たる不安をも解消する内容であった。

 

 アグネスタキオンやエアシャカールが既に気づいているように、このウマ娘世界は未だ一部のレースのみとはいえ、同じレース結果を繰り返す異変に見舞われている。

 

 ネオユニヴァースもまた、本来引退していたはずの時期を越えて活動を続けることが、毎年同じ運命を繰り返す事態に加担するような判断ではないかと懸念していたのだ。

 

 しかし、ウマ娘としてのネオユニヴァースを誰よりも理解しているトレーナーは、臆せず先へと進むよう彼女の背を押した。

 

「“QOAX”の探求は、もう“STRN”……“PABL”、『ぼく』の見た“最終散乱面”から未来が、出来るよ。」

 

 既に、今年クラシック級に上がってきたウマ娘たちが、その類まれなる才能を発揮しつつある。

 

 皐月賞ウマ娘となったノーリーズンを始めとして、元より尋常ならざる走りを披露しているタニノギムレット、そしていよいよ本格化が近づきつつあるシンボリクリスエス。他にも新たな才能が萌芽しつつある気配も、ネオユニヴァースは察知していた。

 

 それに、昨年には無かった、一つの予感も近づいて来ていた。たしかに、アグネスタキオン、ジャングルポケット、マンハッタンカフェらと競うレースはウマ娘史に深く刻まれる名勝負であったのだが、どこか足りぬ要素がぽっかりと空いているようでもあったのだ。

 

 今年ようやく本番レース出走に向け本腰を入れ始めたヒシミラクルが、自分の事を「先輩」と呼んで慕ってきたときの違和感を伴う安堵もまた、それと大いに関係を強くしていた。

 

「シンボリクリスエス、ヒシミラクル、ゼンノロブロイ。そう、アグネスデジタル、タップダンスシチーも。“REEN”……『ここに居るべき』皆が、揃ったんだ。“ミッシングリンク”は、『繋がる』よ、今年。」

 

 宇宙はますます、こちらへ近づいたようであった。いや、そも宇宙に囲まれているのがこの世界である以上、それは身近に感じるものであって当然であった。

 

 紺碧を幾重にも重ねた底知れぬ深淵が、昼の太陽を霞ませるほど輝く数え切れぬ星々を散りばめ、もはや運命と呼ぶほかにない計り知れぬ可能性を巡らせて、全てを抱擁しているのだ。

 

 ネオユニヴァースは、夜の気と共に降りてくるぬくもりに触れ、意志に満ちた碧眼から視線を返して天へと頷き……大きく掲げていた両手を降ろすと同時に、アンテナのごとくピンと突っ立っていた頭の髪束も垂れた。

 

 既に夜空は都会の光と、春の空中に漂う塵芥でぼんやりと曇り、星々は控えめな輝きへと戻っていた。

 

「たくさんの“REVE”がある。“THRF”『可能性』は、尽きないよ。」

 

 顔は星空へと向けられていたが、ネオユニヴァースのそれは既に独り言であった。

 

 あるいは、宇宙の向こう側から受け取った信頼を確かに抱えた今、自分たちの望む歴史をこれから刻み付けようとする対象……このウマ娘世界への、挑戦とも取れる言葉でもあった。

 

 ネオユニヴァースが長々とした交信を経てようやく未来へ向かう意志を再認識するだけのことはあり、目の前の現実しか受け取りようのない面々にとっては不安の続く日々には違いない。

 

 春の天皇賞の直後に、足の故障が発覚したのはネオユニヴァースだけではなかったのだ。

 

 翌日の朝、4月末の暖かな陽射しに照らされて新入ウマ娘たちがグラウンド上を走る掛け声が響く中、保健室にてタキオンはいつになく慎重に言葉を選んでいる。

 

「……その、だねぇ、ジャングルポケットくん、あまり気を落とさずに治癒に専念したまえよ。きみが走り続けようとする意思は、私の場合とは違ってまず疑われないだろうからねぇ、焦る必要はないねぇ。」

 

「お前に気を遣われるほうがよっぽど調子狂って治療が遅れそうだぜ、タキオン。」

 

 タキオンは、ジャングルポケットの見舞いに真っ先に駆けつけていた。見舞いと言っても、レース直後に歩けないほどではなかったジャングルポケットは、診断を受けたその場で椅子に座らされて安静にしているだけであったが。

 

 杖をついて現れたタキオン自身は、練習時間も短くヒマだったためだと釈明したが、保健室の扉をガラッと引き開けた彼女が息を切らしかけていたのをポッケはしっかり見逃さなかった。

 

「しかし、この世代のシニア級を代表しているべき我々が、こうも立て続けに怪我を得てしまうとはねぇ。可能性世界におけるアグネスタキオンとジャングルポケットは、あるいは実に過酷な運命をたどっているのかもしれないねぇ。」

 

「またそれかよ、運命とか関係ねーだろ。桂崎トレーナーのおかげで、かなり早い段階で診断してもらえたんだ、オレはさっさと脚を治してまた走るだけだ。」

 

「さっさと治す、とは言っても、宝塚記念には間に合わないのだろう?」

 

 アグネスタキオンからの問いかけに、ジャングルポケットは不機嫌そうに視線を逸らし、窓外を見つめながらも不承不承に頷いた。

 

 ジャングルポケットが次に出走を予定していたレースは、宝塚記念。年末の有馬記念と同様に、ファンからの人気投票で出走ウマ娘が選ばれるレースである。

 

 昨年度の年度代表ウマ娘に選ばれ、今年は阪神大賞典や天皇賞春で勝ちきれなかったとはいえ二着にまで食い込んでいるジャングルポケットは、むろん出走候補に上がらぬはずもない。

 

 が、5月に入ろうとする今の時期に故障が発覚したとなれば、どれだけ治療に専念しても6月の宝塚記念に調整が間に合うことはないだろう。

 

 現時点でポッケが最も口惜しく感じているだろうことを突いてしまった自覚を抱いたタキオンは、少し口調を変えた。

 

「まぁ、この私も宝塚記念の出走者に選ばれぬはずもないだろうからねぇ。私も怪我をしていなければ、阪神レース場の2200mでの雄姿を見せつけ、ジャングルポケットくんを大いに悔しがらせることが出来ただろうにねぇ。」

 

「あぁ、宝塚記念でお前が負けるところを拝めただろうに、俺も残念だ。……けど、悪いことしちまったな、ダンツには。」

 

「……確か、ダンツフレームくんは、宝塚記念の出走ウマ娘として人気の票が集まっていたんだねぇ。」

 

 すなわち、昨日まではダンツフレームとジャングルポケットが宝塚記念で競い合うことがほぼ確定していたも同然であったのだ。

 

 昨年のクラシック戦線以降は、一時的にマイル路線へと転向したダンツフレーム。彼女としては、同世代の面々と久々に同じレースに出走できることを、昂る気持ちと共に楽しみにしていたことだろう。

 

「気まずいもんだな、アイツも宝塚記念の前に安田記念への出走が控えてるから、練習漬けだ。俺も、この脚じゃ簡単に顔を出しに行けねぇ……。」

 

「私の気持ち、分かってもらえたかい?去年の皐月賞の後も、それはそれは大層に申し訳ない思いでいっぱいだったのだが、なにぶん脚を治さねばならないとなっては易々と会いに行くことも出来ずだねぇ。」

 

「たまに会いに行った時には随分とデカい態度だったのは忘れてねーからな、タキオン。」

 

 タキオンの減らず口に言い返している内に、ジャングルポケットの表情からは沈んだ色が薄れていくようであった。

 

 とはいえ、この両名だけで居る場に弾む話題がそうそうあるわけでもない。静寂に包まれた保健室の中、窓越しにジョギングしていく1年目ウマ娘たちの初々しい掛け声が通り過ぎていった。

 

「……俺のところの桂崎トレーナーは、クリスエスの指導でかかりきりだけどよ……タキオン、お前んところの鷹木トレーナーは何してんだ。足が悪い担当ウマ娘が好き勝手歩き回ってるってのに。」

 

「好き勝手ではないさ、親愛なる我がライバルの身を案じての行動じゃないか。さておき私のトレーナーくんも、今はヒシミラクルくんを指導するのに精いっぱいだからねぇ。彼女、5月4日にはもはや9度目となる未勝利バ戦に挑まなければならないからねぇ。」

 

「あー言ってたな……そりゃ、ぼやぼやしてられねーな。」

 

 ジャングルポケットも、あのズブさの塊のごとき後輩ウマ娘のことを思い出し、小さく顔をしかめる。

 

 自身の出走も間近だという時期に天皇賞春の現地へと応援しに来た根性も見上げたものであったが、なかなか緊張感と走りが繋がらないヒシミラクルが、前途多難であることは明白でもあった。

 

「まぁ、そこまで心配する必要はないと、私は考えているがねぇ。彼女は普通のウマ娘ではない、確実に大物になる、と私の理論的推察が告げているのさ。」

 

「大物になるだろうってところは否定しねーけどよ、焦らなさすぎってのも良いワケじゃねーからな。つーか5月4日って、同じ日にNHKマイルカップがあるじゃねーか。タニノギムレットが出るレースだ。」

 

 タニノギムレットに関しても、大きな発表があったばかりであった。

 

 皐月賞では三着に沈んだギムレットは、NHKマイルカップへの出走を表明した直後から、クラシック路線を降りてマイル路線へと転向するのではとの噂が立ち始めていた。

 

 しかし、その予想をきっぱりと断つかのごとく、東京優駿、すなわち日本ダービーへの出走登録も行われていたのだ。

 

「たしかに、ギムレットくんが途轍もないハードスケジュールに挑もうとしているのを思い返せば、まことにヒシミラクルくんはノンビリしているねぇ!いやしかし、あらためて……すごいもんだねぇ!マイルカップとダービーの両方に出走とは!」

 

「同じ月のGⅠふたつに出走は、無茶しやがるな……結城トレーナーの指導もあるから、それだけ万全なんだろうけどよ。俺も今年の秋以降に海外遠征を考えてたけど、流石に怪我もあって諦めたんだ。」

 

 ギムレットの話題よりも、たった今しがたポッケが口にしたその話の方がタキオンにとっては予想外であり、より強く興味を惹いた。

 

 たしかに桂崎トレーナーは、アグネスデジタルを海外レースへと出走させ、デジタルの名を世界の舞台へと押し上げた実績がある。とはいえ、ジャングルポケットをも海外のレースに出走させようとしていたとは……初耳であった。

 

「ちょっと詳しく聞かせてくれたまえ!えぇ?ジャングルポケット君が?海外に!?どこへ向かうつもりだったんだい、凱旋門かい、ドバイかい!?」

 

「いやイギリスの方に……計画だけの話だ、そんなにグイグイ来んじゃねぇ。」

 

「そうか海外か!新たなる可能性を見出すうえでは、確かに舞台を大きく移すこともあり得るだろう!海外にて活躍したアグネスデジタルくんも、立派に特異点としてウマ娘レースの歴史に名を刻んでいるわけだ!」

 

 杖をつきながらも立ち上がって詰め寄ってくるタキオンを、ジャングルポケットはうるさそうに押し返していたが、一度火のついたタキオンの好奇心を簡単に収めることは至難の業である。

 

 結局、厄介払いすることを少々後ろめたく感じつつも、ポッケは自分以外の対象へとタキオンの興味の矛先を交わす他に無かった。

 

「計画だけで止まってる俺よりは、カフェの方に話を聞きに行ったほうがいいんじゃねーのか?アイツの方は、割と本気で海外レースに出るつもりでいるらしいぜ。」

 

「か、カフェも、なのかい!?なぜ私の耳にその情報が入ってこないんだい!」

 

「そんだけグイグイ来る奴にわざわざ教えねーだろ。……今、俺が教えちまったけど。」

 

 自分が知り得なかった情報を伝えてくれたポッケへの礼もそこそこに、アグネスタキオンは杖を突きつつ足早に保健室を後にし、マンハッタンカフェのもとへと向かう。彼女が海外レースへの挑戦を行うことは、新たなる可能性を開く選択肢なのかもしれない。

 

 ……しかしこれが、ネオユニヴァースやジャングルポケットが脚の故障を発覚させたことに続き、今後の展望における暗雲の兆しであることを、タキオンはまだ察せていなかった。

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