探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 ジャングルポケットから伝えられた通り、春の天皇賞を終えたマンハッタンカフェが海外遠征、それも凱旋門賞へと挑む計画を立てていることが事実であると確認するアグネスタキオン。しかし、そんなカフェの周囲ではこれまでにない現象が見いだされ、何よりもタキオン自身もまたカフェについて嫌な胸騒ぎを覚えるのであった。一方でデビューに向けて未勝利バ戦を繰り返しているヒシミラクルは、5月早々に京都レース場へと赴く。本来の得意距離ではない1800mのレース、ここで新たに掴めるものがあれば、勝利はかなり現実へと引き寄せられると期待された。


遮られればこそ、鋭敏に察せる

 5月、春が初夏へと移り行く陽射しのもと、ヒシミラクルは練習コース上での最終調整に汗を流している。

 

 次なる出走予定は5月4日。先月の未勝利バ戦と同じ条件の京都レース場への出走であるため、明日にはトレセン学園を出発して現地入りしていなければならない。

 

 5月中のデビューのチャンスはもう一度あるとはいえ、ヒシミラクルにとっては文字通りに最後の練習時間と言える。そのため指導に当たっている鷹木トレーナーの熱が入るのは当然のことながら、当のヒシミラクルもまた、いつになく走りに本腰を入れていた。

 

「流石にトレセン学園2年目の夏が近づいてくるとなれば、ヒシミラクルくんとて緊迫を感じるのかねぇ。あるいは、先月のレースを思い起こせば、嫌でも脚が速まるというものかねぇ。」

 

「同期や先輩の走りを目にしたことも関係あるだろう……と思いたい。クリスエスもいよいよダービーに出走するわけだし、天皇賞はわざわざ練習時間を削って現地まで見に行ったんだからな。」

 

 ベンチから後輩ウマ娘の走りを見つめながら、アグネスタキオンは鷹木と言葉を交わしている。

 

 鷹木は無論、練習コース上を走っていくヒシミラクルの脚取りから視線を外すことなく、タキオンに返答していたが……一方のタキオンは、横目で鷹木の顔へと視線を遣りつつの会話であった。

 

 ヒシミラクルがコース上にある間、すなわち彼女に聞かせてしまう話の内容を懸念せずに良いタイミングでのみ、打ち明けたい話があった。

 

「トレーナーくん。これは私の中でも結論の出ていない話なのでねぇ、聞き流してもらっても構わないのだが……。」

 

「そんな話の入り方をされると、余計に内容が気になるんだが。」

 

「……カフェのことだ。」

 

 春の天皇賞直後に故障が発覚したジャングルポケットの見舞いに行った際、マンハッタンカフェが海外遠征を計画していると聞いたタキオンは、矢も楯もたまらずカフェ自身のもとへと出向いた。

 

 国内のレース出走に留まらず、世界の舞台へと活躍の場を広げること。

 

 それは、確かにタキオンにとっては想定外であり、可能性世界からの干渉を脱するうえでも非常に効果的な選択肢であり、何よりも世界にマンハッタンカフェの名前が知れ渡る将来は、同期のよしみとしても明るいことでもあった。

 

「正直な所、カフェもまた昨今の異変、すなわち年単位で同じレース展開を繰り返す現象に組み込まれるのではないかと私は案じていたのだよ。今年の有馬記念が、去年と全く同じ展開でカフェの勝利に至るとなっては、いよいよウマ娘レースの可能性は閉ざされたも同然だからねぇ。」

 

「まぁ、確かに、連覇することは凄いことだが、同じ可能性をなぞっただけの現象のなかで勝つのも、不本意だろうからな……。」

 

「ゆえにこそ、カフェ自身による海外進出の決断は、可能性のループを脱する最善の選択だと思われたのだがねぇ。率直に言えば……私は昨日、カフェに直接会って、恐れを抱いた。」

 

 その言葉を聞いて、初めて鷹木はタキオンの横顔に視線を向けた。まだヒシミラクルは、練習コースの向こう正面を走っているところである。

 

 無論、今現在のタキオンの目に恐怖が浮かんでいるようなことなど無かったが、タキオンは真剣そのものな目を小刻みに動かしながら、脳内で次に発すべき言葉を選んでいるらしかった。

 

 ヒシミラクルがコースを一周して戻ってくるまでの1分強の間に、自らの感じた懸念を極力詳細に、鷹木へと伝えようとしていた。

 

「恐れって……どういう?」

 

「カフェは随分と熱を込めて、天皇賞での自分自身の走りに感じた手ごたえを語り、その上で海外遠征の計画を実に具体的に喋ってくれた。狙うは凱旋門賞だそうだ、確かに彼女の実力をもってすれば夢物語ではない、出走登録手続きに始まり、渡航、現地入り、調整期間を経ての本番出走まで、全てが実現可能な範疇で計画段階にあった。」

 

「それは、悪いことじゃないな。カフェを担当している結城トレーナーだって、適任中の適任だし。」

 

 凱旋門賞は、フランスのパリ、ロンシャンレース場にて行われる、世界最高峰と謳われるレースである。

 

 URAからも過去に幾度となく挑戦者がフランスへと渡り、勝利目前にまで迫る展開こそあったものの、未だに現地で勝利を挙げたウマ娘は出ていない。

 

 今時点における現役ウマ娘の中でも、確かにマンハッタンカフェは昨年の菊花賞、有馬記念、そして今年の天皇賞を制するほどの能力を備え、身体能力本格化の時期的にも今こそ最高潮であることは間違いない。

 

 URA界のレジェンドである結城トレーナーがサポートにつくとなれば、ますます海外遠征を現実とする土台は盤石である。

 

「だがねぇ……私には、カフェが、いつものカフェとは違って見えたんだ。具体的に何が違う、と説明できるわけではないのだがねぇ……。」

 

「もしかして、例の“お友だち”とやらにとり憑かれている状態だったのか?」

 

「いや、彼女がマンハッタンカフェであることは間違いないねぇ。他の何者でもない、マンハッタンカフェだ、その点に疑いはない……分かるさ、彼女との付き合いは短くないのだからねぇ。」

 

 練習コース上では、ヒシミラクルが4コーナーを回り、最終直線へと差し掛かろうとしている。彼女がゴール目前まで走りから気を抜いていないか、鷹木は改めてミラ子の走りに注視し始める。

 

 タキオンも、彼女がここに戻ってくる前にと、さらに早口で喋り切った。

 

「そう、明確に不可解な点があるならば、カフェが海外遠征の計画を書き記したメモを紛失していたことだねぇ。ドジとは無縁のカフェには珍しい、それに、カフェいわく『お友だちに隠された』とのことだったねぇ。」

 

「……確かに、そういうのは初めて聞く。カフェは“お友だち”の姿を見る事はあっても、邪魔をされるようなことなんて一度もなかったのに。」

 

「私自身、カフェが言うところの“お友だち”を視認できるわけではないのだが、前例のない現象が実際に起きたとなれば無視するわけにもいかない。カフェの海外遠征を阻害する理由があるとも考えられるねぇ……ともあれ、結論を出すにはまだ遠い話だ。しかし、私が予告なく姿を消したとしたら、カフェの件について動いたのだとトレーナーくんは考えておいてくれたまえ。」

 

「あぁ、頭には入れておく……出来れば担当トレーナーに予告なく姿を消すような真似はしないでほしいけどな。」

 

 鷹木は、ヒシミラクルがゴールラインを越える瞬間にストップウォッチを押し終えて、タキオンへと返答した。

 

 ヒシミラクルはタイムを更に縮められていた。いつもの如く、走った直後から息を切らしている様子は見られなかったものの、ミラ子なりに本気で走る感覚は着実に身についているのだろう。

 

 その後は無論、鷹木もヒシミラクルの本番での作戦を詰めるのにかかりきりであり、タキオンから語られた内容は文字通りに頭の隅へと追いやられていった。

 

「今度もまた18名のフルゲートだ、それに前回のレースでかなりの好走を見せたから、ヒシミラクルの人気度はかなり高まるだろう。」

 

「えぇー、私がですか?前回は四着でしたから、4番人気ぐらいですかねー。」

 

「いやもっと上に行ってもおかしくない。ともかく、自分が周囲からのマークを受ける可能性を常に意識してだな……。」

 

 どれだけ担当ウマ娘全員に等しく目をかけようとしても、大切なレースが目前に迫る中では、出走直前のウマ娘を優先的に見る事になる。

 

 結城トレーナーの方でも、カフェの海外遠征計画を進めつつ、今はタニノギムレットがNHKマイルカップへと挑む方にかかりきりとなっているだろう。長年ウマ娘を見続けて来たベテランである結城トレーナーが、カフェの異変を見逃しているとも思いづらいが。

 

「単なる感覚に拠るのは科学者にあるまじき思考かもしれないがねぇ……今のキミは、実に危うく感じるねぇ、カフェ……。」

 

 ヒシミラクルと鷹木のやり取りを傍らに流しつつ、タキオンは独り、マンハッタンカフェの身を案じていた。

 

 春の天皇賞にてマンハッタンカフェが、2年前の答え合わせのごとく、既に定められた可能性をなぞるかのように勝利した様を思いかえすほどに、今回の海外遠征の意思もまた可能性世界からの干渉ではないかと思われたのだ。

 

 さておき、脚が完治していないタキオンを今度は京都まで連れて行くわけにもいかず、5月4日の出走当日、京都レース場に踏み込んだのは鷹木とヒシミラクルである。

 

 鷹木の予想通り、当日発表された人気順でヒシミラクルは2番人気となっていた。

 

「うわぁ、私が2番人気ってマジですか。まさか、ここにきて周りからマークされつつ走るだなんて……。」

 

「経験のないことかもしれないが、スタミナでは絶対に有利だと思えば焦ることもない。もちろん、身動きできないほど包囲されないようにだけは気を付けるんだ。」

 

 口調の上では少々気を張っている様子のヒシミラクルだったが、それでも緊張しきっている様子ではないことだけは確認できた。

 

 他のウマ娘では、とても落ち着いていられない状態だろう。2番人気のうえ、出走ゲートでは3枠目、とコース内側に閉じ込められやすい位置である。更にはトレセン学園2年目の初夏という時期もあり、まだデビューできていない現状に焦りを覚えるのは周囲のウマ娘に共通する思いであった。

 

 今回ばかりは、鷹木も最初から突っ込んでいくようには指示出来ない。

 

「外側からの圧があまりに多いなら、最初は控えてもいい。坂を上り切ってから大外を回ることになっても、根気比べなら負けないだろ?」

 

「いやぁどうでしょ。ま、やれるだけ行ってみます。」

 

 ヒシミラクルの口にする言葉は相変わらず曖昧であったものの、その喋り口調や目つきには、確かに自信の片鱗が浮かんでいるようだった。

 

 彼女を控室から地下バ道へと送り出した後も、鷹木自身これまでほどの緊張は抱いていなかった。そもそもヒシミラクルが本気で駆けあがる感覚を身につけさせるための距離である。本領発揮できるのはもっと長い距離であるし……この1800mという距離で勝てるなら、なおさら実力は評価できる。

 

 18名のゲートインが進んでいく中で、遠目には背が低く地味に見えるヒシミラクルの葦毛の髪は、落ち着いてゲート内に佇んでいた。

 

〈5月4日の京都レース場、第6レース、曇り空の下ではありますがバ場状態は良。芝コース外回り1800m、未勝利バ戦、間もなく発走であります。全ウマ娘、ゲートイン完了しまして……今、スタートしました。まずまず揃ったスタート、先手をとりましたのはホクセツハート、そのすぐ外からアップポイントが並びかけまして、更に外を突いてシルクエネルギーが3番手、最ウチをサフランブリザードが突いて横一線、先頭集団を形成しています。〉

 

 スタート直後から900mを超える、平坦な向こう正面の直線が続く京都レース場の1800mコース。

 

 最初のコーナーに差し掛かるまでに十分すぎる距離があるため、いきなり先行争いが激化することはないものの、3枠から走り出たヒシミラクルが周囲からのマークを集中して受けていないか、鷹木は目を凝らし続けていた。

 

 案の定、切れ味に劣るウマ娘の前へと入ってくる動きは幾度か見られたものの、それを巧みにかわしていくヒシミラクル。

 

「落ち着いてるだけあって、流石に盤面全体は見渡せているな、ミラ子……だが、想定以上に後ろまで下がってしまったか。」

 

 仕方のないこととはいえ、鷹木は出走前に掛けた言葉を今さらながらに後悔していた。

 

 もちろん、位置取り争いの最も苛烈な箇所にわざわざ突っ込んでいく策はない。そも、ヒシミラクルの性格にも合わない。

 

 しかし、最初は控えてもいい、と告げられたヒシミラクルが、どれだけスローペースになってしまうか……ここ数日、真面目に走り込んでいた彼女を見続けていただけに、鷹木の認識からはその懸念がすっかり抜けていた。

 

〈1番人気メイショウノビノビは中団先頭の5番手、外を突いてブルーストーンが並びかけています。そのすぐ後にサイドバイサイド、マーブルヴィクター、ウチを突いてヒロノファミリー、並んで中団を形成、半バ身ほど空いてワキノタイガン、イリアンジャヤ、そのウチ並んでスリーキャップ、あとはイダテンサンタにトムホープが並んで後方集団を形成、残り1200を通過、マッキーピッセルの後に2番人気ヒシミラクルが続き、最後方ヤマニンボルケーノといった形で、まもなく向こう正面の上りへと差し掛かります。〉

 

 それでもヒシミラクルが最後尾ではなく、後ろから2番手であるのは、彼女なりに足を速めている証拠でもあるのだろう。

 

 悪い方向に考えると、今の自分が想定以上に後ろまで下がってしまっている状況に危機感を抱きづらい立ち位置でもあったが。

 

「もうそこまで下がれば十分だミラ子、早いところ外から上がっていく位置に入らないと、3コーナーを過ぎたら周りも一気にペースを上げるぞ……!」

 

 完全に最後方まで行ったヒシミラクルを、流石にマークするウマ娘は居ない。

 

 それは同時に、ヒシミラクルが勝利圏内から遠ざかったことの証だった。そこから勝てる可能性はゼロではないが……瞬発力勝負が強みではないウマ娘であることは、過去の走りから十分に見てとれる。

 

〈坂を超えて残り800m、いよいよ3コーナーを回ってまいります、先頭変わらずホクセツハート、リードは1バ身から2バ身といったところ。2番手アップポイント、3番手にはシルクエネルギーですが、ここで外からサフランブリザード上がってきた!1番人気メイショウノビノビも前へと迫る、残り600を通過!外からサイドバイサイド、ブルーストーンも前へと出る形、集団大きく横へと広がって、間もなく4コーナーを抜けて直線へと向かいます、残り400!〉

 

 やはり3コーナーから4コーナーに掛けて前方の集団は大きく横へ広がり、後方のヒシミラクルが前へと上がって行ける隙などない。

 

 それでも、ヒシミラクルはコーナー外側へと位置取り、僅かでも道があれば先頭めがけて駆けあがって行けるように態勢を整えていた。

 

「行け!ミラ子!!お前以上に余裕があるウマ娘は他に居ない!前に出ろ!!」

 

 鷹木の叫びは届いていなかっただろうが、そしてヒシミラクルは加速のキレ味が別に持ち味というわけでもなかったが……直線に向いた際の僅かな隙間を突いて、彼女は猛然と追い上げ始めた。

 

 これまで続けて来た鍛錬の成果を完全に出しきる、怒涛の追い上げであった。

 

〈先頭は変わってサフランブリザード!メイショウノビノビもすぐ外に並んでゴールを目指す!残り200を切った!後方からイリアンジャヤが上がってくるが、大外からヒシミラクル!最後方のヒシミラクルが、一気に上がってきた!しかし先頭は遠いか、1番手はサフランブリザード、ほとんど並んでメイショウノビノビが続く、イリアンジャヤがさらに並んでハナ差!先頭は、サフランブリザードでゴールイン!接戦でしたが確定のランプが灯っています、一着はサフランブリザード!〉

 

 ゴール直前の実況に一瞬名前の挙がったヒシミラクルであったが、結果は六着だった。

 

 しかし、場内をどよめかせたのは、先頭に届かぬまでも披露された見事な末脚である。4コーナーを抜けた際には16番手だったヒシミラクルが、6番手にまで一気に駆け上がっていったのだから。

 

 鷹木は掲示板に遅れて表示される記録を見つめ、そして頷いた。

 

「今回のレース、上がりハロン最速は文句なしにヒシミラクルだ。この走りが出来るようになったのなら……もう十分だろう。」

 

 少なくとも今のレースでは、ヒシミラクルの加速に並ぶウマ娘はいなかったのだ。次こそ、勝てる。より距離を伸ばしたレースであれば、ヒシミラクルが負ける要素はない。

 

 ターフの上では、またしても疲れこそないものの、今までになく引き締まった表情で、掲示板に示された結果を見上げているヒシミラクルが居た。またも眼前まで迫った勝利を逃したその眼には、ハッキリと闘志の残渣が燻っていた。

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