探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 かつて、担当トレーナーを心配させる側にあったアグネスタキオンだったが、今は周囲のウマ娘に不安を見出す立場となっていた。ウマ娘世界の歴史が紡がれる様を意識するようになった今、続々と怪我を負い、本番レースの舞台から退くウマ娘の続出に何も思わずにいられるはずはない。大阪杯で屈腱炎を再発したタキオン自身を始めとして、天皇賞春の後にはネオユニヴァースとジャングルポケットが脚の故障の発覚により長期休養へ。さらに今、日本ダービーを終えたタニノギムレットも現役続行を断念する判断を下そうとしていた。


欠けていく蹄歴は、まだ熱をもって

 中京レース場でのヒシミラクルの初勝利、彼女のデビューを祝うウイニングライブで一旦薄まったタキオンの懸念であったが、トレセン学園に帰って来て間もなく、現実の形となった。

 

 ウマ娘の進退に関わる内容は、殆ど確定した状態でも世間へと公表されるまで若干時間が置かれる。診断結果の精査や、ウマ娘自身の意志が推移する次第では、決定が翻される余地が存在するためだ。

 

 それが、全国から注目を浴び、1番人気の評を背負って日本ダービーを制したウマ娘ともなれば、なおさらのことである。

 

「ギムレットくん!ギムレットくん、居るかい!?」

 

 それ故に、アグネスタキオンは公的な発表を待つことなく、タニノギムレットが居ると思しき場所、すなわち結城トレーナーの保有する個別練習場の扉を叩いていた。

 

 鷹木がここに居れば、顔を青ざめさせてタキオンの振る舞いを制止するだろう。そのため、タキオンは鷹木に黙ってここに来ていた。トレーナーの目を欺くことには慣れていたし、黙って練習を抜け出すのも久々のことだったので、鷹木の側でもまたタキオンを探しあぐねていることだろう。

 

 個別練習場は、GⅠウマ娘が出走予定のレースにおいて予定する作戦を盗み見られぬように設けられた場である。それゆえ、しつこく入り口の扉を叩きつづけるタキオンも、応答なしにドアノブを回して勝手に開けようとまではしない、最後の自重だけは守っていた。

 

 誰にも制止されることなく、金属製の扉にへこみが出来るのではないかと思われるほどに続いたタキオンの激しいノックに応じ、不機嫌そうな顔を見せたのはエアシャカールであった。

 

「ンだよ。普通は諦めて帰ンだろ、こんだけ返答がなけりゃァ。」

 

「諦めるわけにはいかないねぇ!私にとって確定してもらいたくない、最悪の仮説が証明されかかっているんだ!ギムレットくんは、無事なのかい!」

 

「誘拐事件にでも駆けつけたつもりかよ。あそこで普通に結城トレーナーと話してる最中だ、頼むから静かにしててくれ。」

 

 ぶっきらぼうに答えつつも、短からぬ付き合いゆえにタキオンの諦め悪い性格も分かり切っているシャカールは、渋々ながら彼女を練習場内へと招き入れた。

 

 練習コース上では、アドマイヤベガがダンツフレームと肩を並べて走っている。天皇賞春を終えた後は秋まで出走予定のないアドマイヤベガは、今後の本番出走が間近に迫るダンツの走りを見てやっているのだろう。

 

 その練習コースから外れ、結城トレーナーと向かい合っているタニノギムレットの姿があった。

 

「うるさくて仕方ねーから入れてやったンだ、タキオン。余計な口挟んだり、邪魔入れたりしたらマジでつまみ出すぞ。」

 

「分かってるねぇ。」

 

 シャカールから強烈な視線の牽制を受けながら、タキオンはギムレットの話す内容が聞こえる位置まで近づいていく。

 

 しかし、そこから先、タキオンは口を挟まずに我慢し続けることが非常に困難な状況を強いられる羽目になった。ギムレットとしては、誰に聞かれようがお構いなく、既に決した胸中を喋り続けるばかりであったが。

 

「光輝なる広間(ギムレー)から終焉を見下ろすかの如く……破滅的で、そして、恒久的だった。そして俺は……―――ワタシの走りを刻み、更なる輝きの未来へ往こうとする、新たなる混沌(ノヴァ・エラ)を見つけることもできた。―――これらは全て、俺と共に戦ったオマエあってのものだ。結城トレーナー、類稀なる伴走者を得られたことを、俺は……今はただ、感謝を。」

 

「では、もう決意は固いんだね。」

 

「あぁ、これをもってワタシは終劇。俺は、綺羅星の集う舞台から降りて……陰の座につくとしよう。」

 

 結城トレーナーに向かって語るギムレットの左足には、真新しい白が目に染みる包帯が巻かれていた。

 

 が、今しがたタニノギムレットが語った決意、すなわち現役引退を決した要因は、その怪我ではないだろうことも明白だった。

 

 日本ダービーの走りを目の当たりにした直後、タキオンの胸中に湧き起こったざわめきは、気のせいではなかったのだ。後のことを憂慮せず、刹那の煌めきを曇らせず、最大限に輝いたタニノギムレットの走りは……やはり、あれを最後と決してのものだった。

 

 シャカールとの約束通りに口を挟まず、絶句したまま見つめているタキオン。予期せぬ訪問者の存在には既に気づいていただろうが、ギムレットは振り向いて改めてタキオンに向けても告げた。

 

「俺の目論見は、既にオマエには見抜かれていたか、超限を期する探求者(アグネスタキオン)。ならば十分に酩酊したことだろう、オマエならば理解も出来ただろう。ワタシは―――熾烈刹那の瞬き(タニノギムレット)であり続けられた。既に感じたんだ、我が筋書(シナリオ)は紡がれ、車輪(ホイール)は進むべき轍を刻み切った。」

 

「ギムレットくん、キミは……可能性世界を、知ったのかい?」

 

「知ってなどいない、誰も往かぬ道を往き―――俺はただひたすらにタニノギムレット(ワタシ)だった。」

 

「……。」

 

 タキオンはそれ以上、何も言い返さなかった。返す言葉が見つからなかったためではなく、ギムレットの語った内容が、タキオンの脳内にまた新たな、煩雑極まる思考の絡まりを編み出したためであったが。

 

 場を包んだ静寂に背を向け、タニノギムレットはつかつかと去っていき、練習所の扉を出て行った。

 

 包帯を巻いた脚は、松葉杖を必要とするほどの状態ではないようだったが、ギムレットが引退を決断した要因が全く別の場所にあるのだ。

 

 静まり返った練習場のなか、響いているのは練習コースで走り続けているアドマイヤベガとダンツフレームの蹄音だけである。タキオンと同様に沈黙し続けている結城トレーナーを、エアシャカールは腕組みしたまま交互に見比べていたが、おもむろに口を開いた。

 

「まァ、ギムレットだって恒久の別れッてワケじゃねェよ。ふつーにトレセン学園にはこれからも居るし、卒業までは同期とか後輩にアドバイスしに顔出したりすンだろ。ウジウジ迷わねーで、あんだけスパッと決断した奴を、わざわざ引き留めることも無ェ。結城トレーナーも、そういうことだろ?」

 

「その通りだ。マイルカップとダービー、両方で一着を獲った、ウマ娘としては十分すぎる輝きだ……同時に、僕も、ギムレットの提案に乗った以上は、彼女に無理をさせた一因には違いない。僕自身の中には、ギムレットに現役続行してもらいたい思いが、無いと言ったら嘘になるが……。」

 

 URAの歴史と長く共にあった結城トレーナーは、流石に取り乱す様子はなかったものの……もとより白髪を戴いた老トレーナーの顔には、皺がより深く刻まれているようであった。

 

 一方、黙り込んだまま、その場から動かないタキオンに新たな動きをもたらしたのは、先ほど出て行ったタニノギムレットと入れ替わるようなタイミングで練習場に入ってきたマンハッタンカフェの存在である。

 

 引退を決意したタニノギムレットに負けず劣らず、こちらもタキオンの関心事としては大きすぎる要素であった。

 

 当のカフェは、この場を訪ねているタキオンの姿が視界に入っていないかのごとく、普段の彼女に似ずテキパキとした喋り方で海外遠征の計画について述べ始めた。

 

「トレーナーさん、計画の草案をまとめておきましたので目を通しておいてください。夏合宿は8月中に早めに切り上げ、同月の末にはトレセン学園に帰還、9月の渡仏に備えます。現地ではシャンティイのトレーニング施設を使わせていただく予定なので、オンラインでの事前の打ち合わせの場を設けておく必要があります。私の勉強しているフランス語が、十分に会話で通用するどうかを試す場にもなると思われます。」

 

「あぁ、かなり詳細に計画が詰められているね。なかなか僕自身が関わる時間が無くてすまない。」

 

「いえ、ギムレットさんのこともありますし、ダンツフレームさんも本番が控えていますから。では、私も本日の練習を開始するため、ウォーミングアップに入ります。」

 

 結局、マンハッタンカフェはタキオンに一言も話しかけることなく、練習コースの方へと向かっていった。

 

 タキオンもまた、カフェに声を掛けることなく、静かにその背を見送っていたが……その眼差しには困惑や惑いはなく、確信の色だけがあった。

 

「彼女、やっぱり様子が変だねぇ。」

 

「あんなペラペラと喋る奴じゃなかった、ッてのもあるけどな。なんつーか、熱さが妙なンだ。だいたい、海外遠征も、目指すのが凱旋門だッて話も、天皇賞が終わってすぐ、いきなり言い出したんだ。ンな短時間で決心できるもんじゃねェだろうによ。」

 

 タキオンに返答しながら、シャカールは傍らで先ほどカフェから渡された海外遠征計画書に目を通している結城トレーナーにも視線を遣った。

 

 白髪の下、皺に囲まれた眼差しはあくまでも真面目そのものであったが……結城トレーナーの心労が溜まる要素が、このところ度重なっていることもまた事実であった。

 

「なァ、トレーナー。俺たちを頼れるところは、ちゃんと頼ってくれよ。カフェのことだって、俺が眼ェ光らしとく。とにかく今は、ダンツの出走が優先なンだからよ。」

 

「そうだね。ダンツフレームは京王杯でいい走りを見せてくれたんだ。安田記念でこそ、勝たせてやらないと。」

 

 頷きながら返す結城トレーナーの言葉は、タキオンの耳にも入り……そして、タキオンが思わず聞き返したのは数秒遅れてのことであった。

 

 それは今しがた語られた内容が、ごく自然な流れのように聞こえつつも、あらためて考えてみればかなりタイトなスケジュールを予見させるものだ、と……タキオンが他のことに思考を回しながらも気づくには時間がかかったためである。

 

「たしか、ダンツフレーム君は宝塚記念への出走が決まっていなかったかねぇ?人気投票でも、もはやゼンノロブロイくんと肩を並べるほどにまで来ていたはずだがねぇ。」

 

 ファンからの人気投票で出走ウマ娘が決まる宝塚記念。

 

 今年度のシニア級においては、例年通りナリタトップロードとアドマイヤベガは秋の天皇賞に向けて休止。大阪杯後に故障が発覚したアグネスタキオン、そして天皇賞春での怪我が見つかったネオユニヴァースも、同じくジャングルポケットも参戦しない。

 

 更にはマンハッタンカフェは凱旋門賞に向けて準備や調整を行っているため、こちらも宝塚記念に出走せず……他の有力ウマ娘で宝塚記念に参戦するのは、ゼンノロブロイぐらいのものとなっていた。

 

 既にタキオンが喋っていたことが聞こえていたのか、カフェと入れ替わりに練習コースから戻ってきていたダンツフレーム自身が答えた。

 

「うん、私、宝塚記念に出走するよ。」

 

「……ダンツくん。では……それを見据えながら、安田記念にも出るということかい?」

 

「出走するよ、安田記念にも。せっかく京王杯でもいいところまで行ったもの、マイルでしっかり結果を残したい。」

 

「安田記念と宝塚記念の間には、3週間しか空いていないがねぇ……?」

 

「やれるよ。だって、ギムレットくんも、同じぐらいの間隔でマイルカップとダービーに出て、勝ったんだもの。」

 

 タキオンの胸中に抱かれている不安を見抜いたように、ダンツフレームは真っすぐ視線を返してきていた。

 

 今年に入ってからの春に至るまで、立て続けに発生した故障や怪我がウマ娘たちの前進を妨げている。アグネスタキオン自身を始めとして、ネオユニヴァース、ジャングルポケット、そしてタニノギムレット。

 

 健在とはいえ様子がおかしくなったカフェの件も合わせて、タキオンの抱く不安が増大するのも無理はなかった。マイルと中距離、それも共にGⅠレースへと立て続けに出走した後、脚を故障し引退していくギムレットの姿を今しがた見たばかりなのだ。

 

 が、ダンツフレームの笑みは、心強さをも湛えているようだった。

 

 マイル路線へと転身することについての不安を相談しに来た去年と比べて、ダンツフレームは心身ともに大きく成長していた。

 

「心配しないで、タキオンちゃん。私は皆ほど鋭く器用な走りは出来ないけど、粘り強さだけは自信あるから。あんまり不安そうな顔してると、そのことポッケちゃんにも言っちゃうよ。」

 

「そっ……それはやめてほしいねぇ!ポッケくんのことだから、どうせ『タキオンの奴、去年の俺たちの気分を味わう羽目になったんだぜ!ざまぁないぜ!』とかなんとか言うに決まってるねぇ!」

 

「さすがにそんな言い方、ポッケちゃんはしないと思うけど……不安よりも、応援を送ってくれたらうれしいな、タキオンちゃん。」

 

 笑いかけるダンツフレームに応えるように、タキオンの表情が明るくなったのを確認しつつ、エアシャカールは立ち上がる。

 

 そのまま練習場を出て行こうとする彼女を視線で追うタキオンに対し、シャカールもまた若干口角を緩めながら告げた。

 

「タキオン……ナーバスになったせいで、俺の挙動まで気になっちまってんのか?俺はただ練習に行くだけだ、ただ、ダンツと同じ場所じゃ出来ねェからな。」

 

「……あぁ、同じレースに出る者同士が、互いの作戦を見せ合うわけにはいかないねぇ。すなわち、シャカール先輩も宝塚記念に出走するから、だねぇ。」

 

「そーだ。ったく、テメェ、さっきはダンツとロブロイだけが1番人気争いしてる、みたいな言い方しやがって。俺は眼中に無しってか、アァ?」

 

 眉間にしわを寄せてタキオンを睨みつけるシャカールであったが、既に狂言をするだけの余裕を相手に見出したうえでの振る舞いであった。

 

 今ここでダンツフレームが行っているのは安田記念に向けての調整であるが、宝塚記念を想定した練習はシャカールとダンツフレーム、競走相手同士となる双方が明かし合うわけにはいかない。

 

 そのために他の練習場へと向かうエアシャカールへと、タキオンはタキオンなりの言い繕いを送った。

 

「いや、人気度はあくまで客観的事実としての話だねぇ!むろん私は、エアシャカール先輩が優勝候補であることなど、わざわざ言わずもがなのことだと判断していたねぇ!」

 

「俺が宝塚記念に出ること、ついさっき思い出したみてェに見えたがな。ま、いい、ダンツ、今年の宝塚記念、覚悟しとけよ。安田記念で疲れてる場合じゃ無ェぜ。」

 

「はい!全力で競うのが今から楽しみです、シャカール先輩!」

 

 ダンツフレームの元気いっぱいな返答を背に受けながら、エアシャカールは別の練習場へと去っていった。

 

 その後は、アグネスタキオンは結城トレーナーと並んで座りながら、表情こそ明るさを取り戻したもののやはり残る思案を眼差しに浮かべつつ、練習コースを走っているマンハッタンカフェへと視線を向けていた。

 

 ようやくタキオンの居場所を突き止めた鷹木が、結城トレーナーに幾度も頭を下げながらこの練習場に入ってくるまで、タキオンの視線はカフェの姿から離れることはなかった。

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