探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 初夏の気配が迫る時期、安田記念が行われる日、鷹木はヒシミラクルを連れて桂崎トレーナーの練習場へと向かった。とはいえ桂崎本人はアグネスデジタルの安田記念出走をサポートするため現地に向かっていてトレセンにはおらず、桂崎のチーム所属であるジャングルポケットとナリタトップロードが居残って、シンボリクリスエスの練習を見ていた。タキオンと同様、今年の春に怪我をしてしまって長期休止を余儀なくされているジャングルポケットであったが、今年の秋までの復帰を最優先にしていると語る。その理由は、今年一番の期待がかかるシンボリクリスエスが、菊花賞ではなく天皇賞へと挑む見込みもあるためであった。


時を刻んだ波形は、ひとたびに収まらず

 遂に今世代の強者が対峙したダービーの熱狂、そして直後に示されたタニノギムレットの引退宣言、と波乱の展開となった5月も過ぎる。

 

 蒸し暑さの増していく6月の頭、鷹木はヒシミラクルを連れて桂崎トレーナーの個別練習場へと訪れていた。このところ後輩ウマ娘の成長を見るのが楽しみでならない様子のアグネスタキオンもまたついてきていることは言うまでもない。

 

 練習場で待っている面々の中に、桂崎トレーナーの姿は無かった。事前の打ち合わせ通りであったため、驚くことではなかったが。

 

 ベンチに腰掛けて練習コースを眺めつつ、鷹木の連れてきた一行に向けて片手をあげ、出迎えたのはジャングルポケットである。

 

「よぉ。割と顔合わせるもんだな、今年に入ってから。シニア級に上がったらいよいよ喋ってられる余裕もねーだろ、って去年までは思ってたんだけどよ。」

 

「私はジャングルポケットくんの余裕がなくとも顔を見に行くつもりだったがねぇ。」

 

「俺の脚が無事だったら、今ごろテメーを蹴り出してただろうよ、タキオン。」

 

 いつもの軽口を叩きあいつつも、タキオンは鷹木に促され、ジャングルポケットの隣に腰掛ける。歩行補助用の杖は、ポッケとタキオンの2名分がベンチに立てかけられる形となった。

 

 ジャングルポケットの怪我が天皇賞春の後に発覚してから丸1か月以上が経過しており、大阪杯で屈腱炎が再発してから2か月以上が経つタキオンと同様、手元に杖こそあれど普通に歩き回れる程度には回復しているらしい。

 

 それでも、本気で走れるところまで治癒しているわけではないジャングルポケットは、これまたタキオンと同様、自分の後輩の練習を見守ることが主たる目的となっているようだった。

 

 同じ桂崎トレーナーの下で指導を受けている後輩……すなわち、シンボリクリスエスである。

 

「クリスエスの奴、いっつも表情ひとつ変えねーから分かりづらいけどよ……ずっと見てたら分かるぜ、あいつ、ダービーの結果をはっきり悔しがってる。」

 

「そうだろうともねぇ、実際のところダービーでのクリスエスくんの位置取り、仕掛けるタイミングは完璧だったからねぇ。それをギムレットくんが超えていったとなれば、何も思わずにいられるウマ娘は居るまいねぇ。いや実に良いタイミングで併走を申し込めたものだ、これを狙ってのことかい、トレーナーくん!」

 

「まぁ、意識はしていたが……ハッキリそう言われると、人聞きが悪いかもな。」

 

 タキオンに頷き返しながら、鷹木はノートPCを開き、記録用カメラやストップウォッチも取り出して、併走練習のデータ収集の準備を進めている。

 

 今日、この場所に来た目的は、もちろん併走練習を申し込んだためだ。ほかでもない、6月の2週目にさっそく出走が控えているヒシミラクルを鍛えるため、日本ダービーで二着に終わったクリスエスがいよいよもって自らの走りを研鑽しつつあるだろうことも見越してである。

 

 先ほどから会話に参加せず、ひたすらあくびを続けているヒシミラクルに対し、鷹木は早めに準備運動を開始するよう伝えつつ練習コース上へと視線を向ける。

 

 シンボリクリスエスは今も練習コース上を軽く流していたが、その様子をジャングルポケットよりも近く、コースの間際で見つめているのはナリタトップロードであった。

 

「おや、桂崎トレーナーがここに居ないのは事前連絡通りだがねぇ、サブトレーナーであるキングヘイロー先輩もいないとはねぇ。」

 

「ふたりとも、アグネスデジタル先輩の今日の安田記念出走につきっきりだ。桂崎トレーナーが手を離せないのは当たり前だが、キングヘイロートレーナーもマイルのレースについては十分すぎるほどの経験があるからな。」

 

 安田記念は本日6月2日、昨年の秋以降、長期間の休止を続けていたアグネスデジタルにとって久々の大舞台である。

 

 昨年は前哨戦として「かきつばた記念」への出走を挟んでいたが、今年はいきなりの安田記念参戦。アグネスデジタルという文句なしの優駿ゆえに可能となった出走決定だったが、桂崎トレーナーとしては出走直前の瞬間まで調整に気が抜けない状況だろう。

 

 キングヘイローもまた、マイル路線で悲願の勝利を獲るまで長く実戦を繰り返した経験もあり、指導のサポートとしてはうってつけの存在に違いない。

 

 ……また、言わずもがな、先日の結城トレーナーのもとで聞かされた通り、ダンツフレームが出走するレースでもある。気合も実力も十分に備わった競争相手が集う大舞台、一瞬たりと気が抜けない。

 

 そんなわけで、現在この練習場にて練習を続けているシンボリクリスエスの走りは、共に中距離での実績があるジャングルポケット、そしてナリタトップロードに見られる形となっていたのだ。

 

「クリスエスの次の出走予定は、秋の神戸新聞杯だ。阪神芝2000m、俺だって十分に腕に覚えがあるが、トップロード先輩も芝中距離の大ベテランだからな。さすがに教え方も上手ェ。」

 

 神戸新聞杯に出走して、そこから菊花賞へと進むプランは、昨年はダンツフレームが実行したスケジュールである。

 

 トレーナーが不在の状態でも、経験豊富な先輩ウマ娘2名に囲まれているクリスエスにとっては心強い練習環境であった。何につけても一言多いタキオンは、余計な口を開かずにいられなかったようだが。

 

「だろうねぇ、それにジャングルポケットくんは阪神芝2000mで勝てたためしがないじゃないか。主に、この私に勝てなかったからねぇ!」

 

「過去形で言うんじゃねぇよ、テメーとやりあうチャンスがあったら、ぜってー負かしてやるからな。」

 

 歩行補助用の杖を脇に置きつつも、今後再び競うつもり満々で言い合っているタキオンとポッケ。

 

 新たな世代、後輩世代のウマ娘たちの台頭が明確な予兆とともに訪れつつも、まだまだ走る意志に衰えのない二人のやりとりは、むろん鷹木をも安堵させていた。

 

 アグネスタキオンとジャングルポケット、ネオユニヴァースが立て続けに故障により休止、そのうえタニノギムレットが引退宣言……と畳みかけるような出来事が、少なからずトレーナーの立場からの印象にも陰りを見出させてもいたのだ。

 

 練習コースを回ってきたシンボリクリスエスは、呼吸を整えつつ走りを緩め、ベンチに居る鷹木のもとへと近づいてきた。昨年から今年の初頭にかけての、息切れのような状態はもはや見られない。

 

「I appreciate ……併走の場を、用意してくれたこと、桂崎トレーナーに替わって、感謝する。」

 

「いやいや、こっちこそ感謝しないと。ヒシミラクルとの練習に、ダービーウマ娘が時間を取ってくれるだなんて。」

 

 鷹木は、いつも通りエンジンの掛かりが遅いヒシミラクルがウォーミングアップの運動をきちんと続けているか視界の端で気にしつつ、頭を下げているクリスエスへ言葉を返している。

 

 ヒシミラクルが次に出走する「ぶっぽうそう特別」も芝2000m、レース場こそ違えどちょうど同じ距離で練習できるならば……鷹木が打診した際も、胸中はダメ元であった。

 

 とはいえ、クリスエス自身は遠慮や謙遜ではなく、実際にヒシミラクルの才能を認めたうえでの発言だったらしい。

 

「ヒシミラクルの……デビュー戦を、見た。あの末脚、上り坂でも、全く衰えていなかった。」

 

「クリスエスの課題は、今は後ろから詰めてくる相手への対処だからね。あんなに潤沢なスタミナで捲って上がってくるヒシミラクルちゃんは、今一番求めている練習相手ってことだよ。」

 

 言葉少なながらも懸命に伝えようとしているクリスエスの言葉に、背後からナリタトップロードが補足する。

 

 黄金世代も覇王世代も殆どのウマ娘が引退した今、アドマイヤベガと並んで最古参クラスの現役ウマ娘となった彼女は、確かに指導者としての風格が備わりつつあるようでもあった。

 

 自身にとって有意義な併走となるよう、また練習相手側からの期待にも応えられるよう、鷹木はようやくウォーミングアップを終えたヒシミラクルに引き締めた声を投げ掛けた。

 

「よし、行ってこいヒシミラクル、少なくともクリスエスに並ぶまで行けば、次のぶっぽうそう特別でも勝利確実だ。」

 

「あい。」

 

 ここにきてようやく発した声がそれだけ、のヒシミラクルではあったが……いざ練習コースのスタートラインに立ち、並んだシンボリクリスエスの熱気を間近で感じたことで、ようやく本格的に目が開いてきた。

 

 それは、日本ダービーという舞台を走ってきたウマ娘の存在感が為せる、競走のスイッチが入る空気のおかげだったのかもしれない。

 

「では、位置について……用意、スタート!」

 

 タイム計測開始した鷹木の掛け声と同時に、シンボリクリスエスは惚れ惚れするようなスタートダッシュを決めた。

 

 先頭をとるか、と思われるほど一気に加速し、すぐさま速度を落ち着けて最適な位置取りを探るよう耳を立て、正確なペースを維持して最初のコーナーへと進んでいく。

 

 今は少々遅れてついていくヒシミラクルだけが同じコース上に居るが、仮にフルゲート出走のレースであっても望ましいポジションへ速やかに収まることが出来るだろう。スタート前までは腕組みして眺めていたタキオンも、今は両手を合わせて小さな拍手とともに見つめていた。

 

「なんとも丁寧な走りだねぇ、あの制御力が、クリスエスくんの恵まれた体格に搭載されているとなれば、これは確実に強くなるねぇ。今年度の頂点にまで届いても変じゃないねぇ。」

 

「まだ長距離に通用するかどうかは分かんねーけどよ、中距離ならほとんど敵なしだ。よっぽどの奴じゃなきゃ、勝てねーだろ。」

 

 ジャングルポケットも頷きながら、タキオンに答えている。

 

 その“よっぽどの奴”の筆頭がタニノギムレットだったわけだが、彼女は自ら引退を宣言した。むろん、皐月賞ウマ娘のノーリーズンも健在ではあったが、ダービーでは後方集団の中に沈んで八着に終わっている。

 

 今年の秋、神戸新聞杯の後に菊花賞へ挑むにしても、優勝候補に真っ先に挙がるのがシンボリクリスエスであることには間違いなかった。

 

 1,2コーナーを回り切って、練習コースの向こう正面へと出たシンボリクリスエスは、速度を維持したまま安定したペースで進んでいる。8バ身近く離されたヒシミラクルは、ようやくコーナーの出口に差し掛かるあたりであった。

 

「あわよくば、ヒシミラクルくんのスタミナを活かし、菊花賞での勝ちを狙えるかと考えていたんだがねぇ、あれほどまでの実力差がある相手が居るとなると、これから数カ月では覆しづらそうだねぇ。」

 

「言っただろ、まだ分かんねーって。だいぶ鍛えたとは言っても、クリスエスはあんまりスタミナを使わされると息切れしちまう。菊花賞、京都3000mを走ると決まったわけじゃ無ぇ。」

 

「ふむ、神戸新聞杯に出た後、菊花賞に行かない、となると……」

 

「シニア級のレースに来るプランもある。秋の天皇賞、だね。」

 

 ポッケとタキオンのやり取りに、ナリタトップロードが口を挟む。

 

 2000m、中距離での強みを活かすためにシンボリクリスエスがその選択をするとなれば、クリスエスと対峙するのはヒシミラクルではなく、アグネスタキオン、ジャングルポケット、ナリタトップロード……すなわち、この場に居る面々ということになる。

 

 ポッケとトプロは同じ桂崎トレーナーの指導下に居たこともあって既に知っている可能性であったが、ここで初めて聞かされたタキオンは目を見開き、あらためて練習コース上のクリスエスへと視線を向け直した。

 

 クリスエスは衰えぬ速度を維持したまま、既に3コーナーを回っていく所であった。デビュー戦の時と同様に早めに仕掛けていたヒシミラクルは、どうにかこうにかクリスエスとの間合いを詰め始めている。

 

「ほうほう!なるほどねぇ!そうか、クリスエスくん、我々と直接対決する可能性があるのか!いや、既に思い至っていて良いはずだったねぇ、何しろ我々自身が、クラシック級の年に秋シニアのレースに殴り込んでいたのだからねぇ!」

 

「な、あんなのと戦えるとなったら、ワクワクしてくるだろ?だから、俺は確実に秋シニアまでは復帰する気でいるんだ。ギムレットの奴にも、このことを教えたら気が変わるかもしれねーな。」

 

 とはいえ、クリスエス自身の意志や、桂崎トレーナーの判断で決まることゆえに、まだ決定事項として外に出せる話ではなかったが。

 

 練習コースを走っていくクリスエスとヒシミラクルも最終コーナーを回り切り、ゴール前の直線へとさしかかる。阪神レース場を模して、ゴール前に高低差2mの坂が設けられているが、クリスエスはものともせず、最後の末脚をフルに発揮して力強く加速していく。

 

 むろん、疲弊とは無縁のヒシミラクルも負けじと渾身の加速を披露していたが……絶好調のクリスエスを捉えることはできず、3バ身ほどの差をつけられてゴールしていた。

 

 慎重に息を整えながら減速し戻ってくるクリスエスとは対照的に、ゴール直後からあれこれと喋ることが出来る余裕が残っているのは相変わらずのヒシミラクルであった。

 

「いやぁ~あれは届かないですって!クリスエスちゃんに並べば次も勝てる、だとかトレーナーさんは簡単そうに仰いましたけど!」

 

「それぐらいの気構えで行け、ってことだ。そんだけ喋る余裕をもってクリスエスに並べる実力があれば、お前は今ごろダービーウマ娘になってる。あと、位置取りは改善の余地があったぞ。向こう正面でもう少し前から仕掛け始められていれば、ゴール前でもさらに先頭へ迫れていたはずだ。」

 

 練習コースから戻ってきたヒシミラクルにさっそくアドバイスを与えている鷹木を傍目に、クリスエスが十分に落ち着いてクールダウンを始めたのを確認し、ナリタトップロードは練習場の大型モニターの操作を始める。

 

 いつもの如く、練習を終えて休憩時間に入ったあたりで、ちょうどその日のレース中継観戦が出来るように事前にセッティングしてあるのだ。5年前からここでの練習を続けているトップロードにとっては、既に慣れきったローテーションでもあった。

 

「しかしゴール前であそこまで差を詰めることが出来ていたからねぇ、仮に3000mで競えばウチのヒシミラクルくんが勝つ可能性は濃厚だねぇ。」

 

「何言ってやがる、今のはあくまで2000mの走りだ。最初っから3000mのつもりなら、クリスエスだって別のペース配分で作戦を立てるぜ。」

 

 タキオンとポッケが、それぞれ可愛がっている後輩ウマ娘の実力を勝手に言い合って張り合っているうちに、練習場の大型モニターには東京レース場からの中継番組が映し出されていた。

 

 よく晴れた空の下、いよいよ夏本番を目前に青々とした芝が日に照らされている。ゲート入りしていくウマ娘も、アグネスデジタルやダンツフレーム以外にも錚々たるベテランばかりである。

 

〈さぁいよいよ発走時刻が迫ってまいりました、東京レース場、第11レースは芝1600m、安田記念。今年の上半期、マイル王に輝くのは誰か、全ウマ娘収まりまして……スタートしました!一線に揃ってマグナーテン、ミレニアムバイオ好スタートを切りました!ゼンノエルシド、そしてダイタクリーヴァと続きまして、比較的落ち着いたペースとなりました。ここでアグネスデジタル、前目につけて外から、しかしゴッドオブチャンスが行きました、ゴッドオブチャンス先頭で向こう正面の坂へと向かっていきます!〉

 

 向こう正面にスタート地点がある東京レース場の芝1600mコース。向こう正面の直線の中ほどに上り坂はあるが、すぐに下りとなって3コーナーへと入っていくため、全体のペースは緩みづらい。

 

 出走ウマ娘たちは各々、そのことを意識しているのだろう。スタートダッシュこそ綺麗に決めたが、すぐ直後から牽制しあうように、慎重なペースで最初の直線を進んでいく。

 

「随分と前にいったねぇデジタルくん!2番手か!皆、まだ脚を使いたくないだろうが、彼女があの位置にいるとなれば他の面々も選択を迫られるねぇ!」

 

「やっぱデジタル先輩、ウマ娘レースを知り尽くしてんな……経験が少ない奴ほど、東京の1600はスタミナを使う、って教えこまれてるだろうからよ。」

 

 同じ距離でも、コースごとのコーナーや坂道の配分によって、最適な作戦は大きく変わってくる。

 

 東京レース場芝1600mコースは、他のレース場に比べても坂道の場所が絶妙であり、想定以上の消耗戦となりがちである。

 

 ゆえに、あまり飛ばしていくと最終直線で差されることも多いのだが……その裏を突くように、アグネスデジタルは先頭に迫る勢いで前に出ていた。彼女を捉えられなければ勝ちはない、との認識は出走ウマ娘たちに共通しているのか、集団は前に偏って詰まった形となり始めた。

 

〈あとはジューンキングプローン、マグナーテン、それから5番手となりましたゼンノエルシド、そしてビリーヴ、外を回りましてダイタクリーヴァ、並んでミレニアムバイオ、さらに外のダンツフレームは中団です。あとはグラスワールド、ウチからレッドペッパー行きました、トロットスターは後方集団、トレジャー、そしてエイシンプレストンは後方3番手を行きます。あとはリキアイタイカン、ウチにイーグルカフェ最後方といった形で、残り1000mを通過、各ウマ娘淡々としたペースで3コーナーへと入っていきます。〉

 

 実況アナウンサーが読み上げるウマ娘名は、GⅠクラスのレース、マイルで名を馳せたベテラン揃いである。

 

 先ほどジャングルポケットが言った通り、経験の少ないウマ娘ならば思いもよらぬデジタルの先行策に焦ってペースを崩してしまうこともあるだろうが、これほどのメンツが揃っていればレース自体は落ち着いたペースを続けていた。

 

 真面目そのものな表情で画面を静かにじっと見つめているクリスエスの脇で、ナリタトップロードが口を開く。

 

「あれだけ焦りたくなる状況の中で、ダンツフレームちゃん、しっかりおさえて走ってるね。このペースなら、最後、十分に上がって行けるよ。」

 

「確かに、彼女はペース配分の巧みさをも身につけているねぇ。見事さで言えば、デジタルくんの走りに目を奪われるがねぇ。」

 

 ダンツフレームは集団の外側、それも後ろへと追いやられながらも、まだ脚を使うのを控えて後方で進めていた。

 

 彼女が東京レース場を走るのは去年のダービー、そして先月の京王杯、その2度のみである。が、東京レース場の長い直線における攻防については、十分に警戒を我が身へと叩きこんであるのだろう。

 

 タキオンが言う通り、早くも現地の観客たちは先頭に並んで最後の直線へと走ってくるアグネスデジタルの姿に湧いていたが……しっかり足を溜めているダンツフレームに、確かに勝機はあった。

 

〈先頭はゴッドオブチャンス、リードは2バ身ぐらい、これを追ってマグナーテン、続いてジューンキングプローンが行きました。残り800を通過、さらに外を割ってアグネスデジタルが前へと上がっていきました!アグネスデジタルが4番手あたりからじりじりと上がっていく!大歓声が沸き起こっています、ゼンノエルシド、ダイタクリーヴァも連れて前へと出る、ゴッドオブチャンスはリードが無くなってきたが、マグナーテン、そしてアグネスデジタルが完全に先頭へと並んで、最後の直線へと向かいます!〉

 

 昨年の安田記念以降は、後輩たちに戦績を譲るようなレースが目立っていたアグネスデジタル。

 

 思えば、覇王世代に続いてデビューした彼女も、もはやベテランの域であり、全盛期は過ぎたと見る声も世間にはあっただろう。

 

 だが、今、軽々と最終コーナーを回って先頭を獲ったアグネスデジタルの脚に、衰えの影は無かった。寡黙にレース模様を見つめていたクリスエスも、思わず声を漏らす。

 

「Incredible……Agnes Digital、これは……勝ちしか、見えない走りだ。」

 

「待ちたまえ、ダンツ君が来る!既に集団から抜け出すルートに入っているねぇ!彼女、随分と器用になったものじゃないか!」

 

 集団に埋もれかけながらも、遠目にも目立つピンクの勝負服をまとったダンツフレームが、一段と大きく、強く加速するのがはっきりと見えた。

 

 そのまま、後方で競り合っている面々を置き去り、まさに次元の違う末脚を披露し始めたのである。

 

 アグネスタキオンや、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ。昨年のクラシック三冠を分け合った全員と競い、勝ちきれずとも、なお諦めず勝ちへと向かうダンツの闘志が、東京の最終直線を突き抜けていった。

 

〈先頭はアグネスデジタルでありますが、ウチを突いてジューンキングプローン、そしてビリーヴ、ゼンノエルシドは外に持ち出した!大外からダンツフレーム懸命に上がってくる!残り200を切って、アグネスデジタル、アグネスデジタル変わらず先頭だ!ミレニアムバイオちょっと苦しいか、ダンツフレームやってきた!ダンツフレーム!ダンツフレーム!アグネスデジタル先頭に並んで、ダンツフレーム2番手!アグネスデジタル、いま先頭でゴールイン!3番手集団はほぼ固まってゴール、アグネスデジタルとダンツフレームの接戦でありました!勝ったのはアグネスデジタルです!〉

 

 アグネスデジタルとダンツフレームは並んだまま、後ろの集団を引き離してゴールしていた。

 

 ゴール後の減速をしつつ、アグネスデジタルは目を輝かせながら何事かをダンツフレームに語り掛けようとしている。が、全力で走り抜いた直後であるためか、息を切らしていて言葉が口に出てこない様子である。

 

 とはいえ彼女の胸中は言葉なくとも伝わっているのか、ダンツは悔しそうな表情を浮かべた後、すぐにいつもの柔らかな笑顔をデジタルへと向けていた。

 

「いいところまで迫ったんだがねぇ、ダンツくん!あと数メートルでもゴールが遠ければ、確実にデジタルくんを差し切っていただろうねぇ!見たかいヒシミラクルくん、キミが勝たねばならないのはこういう状況での話だねぇ!」

 

「いやもちろん見てましたけど、あまりにもレベルが違いすぎでしょうよぉ……。」

 

 レース観戦中は静かになっていたヒシミラクルであるが、無論彼女も手に汗を握ってダンツフレームの追い上げに釘付けとなっていた。

 

 既にGⅠ出走が5回となったダンツフレームの、今やアグネスデジタルにも迫る実力を発揮した走りは、十分にヒシミラクルの目に熱を籠らせるものであった。自分もまた同じく、後ろから優勝候補に迫る走りを披露できる。

 

 あの見事な追い上げに湧くレース場内の熱狂、それをヒシミラクル自身も実現できると十分に確信を抱かせていたのである。

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