探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 初夏、安田記念と宝塚記念の間に挟まれた時期にも、世間からの注目を集めなかったとしてもヒシミラクルは出走していた。中京レース場のぶっぽうそう記念にて、ミラ子の長所を最大限に勝利へ近づけるため、鷹木は可能な限り前へと押し出て好位置につく作戦を指示していた。最後の最後で伸びるものの、あと少しで先頭に届かないというレースが多いヒシミラクル。ならば先行寄りの位置取りから押し上げることで勝利を必然へと近づけられる……はずであった。


容易からぬ道を経れば、遠ざけるは易く

 安田記念の熱狂も冷めやらぬ頃、世間の話題は次なる大舞台である宝塚記念へと早くも移りつつある。

 

 マイルのレースでアグネスデジタルに迫る走りを見せたダンツフレームの姿が、宝塚記念を特集した記事にデカデカと載るのも珍しいことではない。

 

 そんな世間の動きを傍目に、鷹木はヒシミラクルと共に中京レース場の控室内に居た。デビュー後の初めての本番レース、ぶっぽうそう特別の出走日である。

 

「レース場、距離共に、先月のデビュー戦と同じだ。同じ走りが出来れば、十分に勝ちは狙える条件だ……が、今回は1番人気になってる、ってのを忘れるんじゃないぞ。」

 

「いやぁ参りますねぇ、この私が1番人気だなんて。嬉しいような照れるような、ですねぇ。」

 

「喜ぶなとは言わないが、1番人気である以上はレース中にマークされることもほぼ確実だ、ってことだ。」

 

「分かってますって、ちょっと冗談で緊張ほぐしたかっただけですよぉ。」

 

 緊張とは無縁そうなゆるい笑みを浮かべているヒシミラクルではあったが、彼女なりに未勝利バ戦を乗り越えた初の実戦の時がいよいよ迫り、身の締まる思いはあるのだろう。

 

 鷹木自身も、デビューした後のウマ娘に勝たせられるか否かを見極める局面を眼前に、尖りかけていた神経を鎮めつつミラ子の表情に改めて視線を遣る。

 

 彼女の目の色は、確かにいつもと違っていた。あえて口元を緩めているのは、平静さを損なわぬようにと努めていた結果であった。

 

「緊張することなんてない、ミラ子の走りは他に真似できるウマ娘は居ないんだ。つまり、この作戦が実戦でどこまで通用するか、まだ誰にも分からない。」

 

「ですね、気楽に行かせてもらいましょ。」

 

 加速の鋭さが無い代わりに、潤沢なスタミナ、尋常ではない持久力で中盤からぐいぐいと押し上げていき、最終直線に至る前にはほぼ最高速に乗って先頭へと駆けあがる。

 

 少なくとも未勝利バ戦では、この作戦についてこれる競走相手など皆無であった。しかし、相応にトレーナーとしての経験がある鷹木には、これがどこででも通用する策ではないことも理解できていた。

 

 そもそもエンジンの掛かりが遅いということは、周囲の不意を突くことも出来ないということでもある。例えば、向こう正面から上がり始めたミラ子の動きを察され、先行のウマ娘がしっかりリードを広げてきたら。あるいは、後方からマークされ続け、最後に並ばれ差し切られたら。

 

 負けのパターンを想定していたらキリがない、それに今回のレースはまだ1勝クラスの特別レースだ、そこまでの相手はいないはずだ……そう自分に言い聞かせて、表情に不安の片鱗を見せないようにしつつ、鷹木はヒシミラクルを地下バ道へと送り出した。

 

「落ち着いて行けば、先頭に届くのは確実だ。1番人気の走り、披露してこい。」

 

「こんだけ期待されるのも初めてですからねぇ、頑張んないと。」

 

 ヒシミラクルを送り出した後、控室から出た鷹木はトレーナー用のコース最前列観戦ブースへと向かう。

 

 今日は、アグネスタキオンは一緒ではない。彼女がトレセン学園に居残っているのは、間もなく完治の近い脚の大事をとってという面もありはしたが、それ以上にタキオン自身の希望もあった。

 

 鷹木とともに自ら面倒を見てきた後輩、ヒシミラクルのレースを誰よりも楽しみにしているのも他ならぬタキオンではあったものの、彼女にとってはより思考から追い難い関心事として、マンハッタンカフェのことがあった。

 

 天皇賞春の後から突如として持ち上がった、カフェのフランスへの遠征計画、凱旋門賞への挑戦。その唐突さとは裏腹に着々と具体化し、実現に向けて進んでいる。

 

 何事もなければ、それは同期としても応援すべき計画ではあったのだが……タキオンは、妙に嫌な予感を放っておくこともできず、自らの胸騒ぎの正体を突き止めようと居ても立っても居られない状態が続いていたらしい。

 

「先週の安田記念で出走した、イーグルカフェが帯同を務める、か……。」

 

 本格的な練習量まで戻ってきていない分、タキオンの情報収集には磨きがかかっていた。本日の中京レース場へと向かう前、トレセン学園内でタキオンが掴んできた情報は、鷹木の耳にも入れられていた。

 

 ウマ娘の海外遠征は、ふとした思い付きで即座に実行できるものではない。バックアップするチームが丸ごと赴く都合上、可能な限り同じ現地でのレースに出走する他のウマ娘の同行も募られる。

 

 現地でのメンタルケアは、トレーナーさえいれば万全というわけにもいかない。同じく本番レースへ出走するウマ娘の立場で、寄り添える存在の方が助けとなる場合もある……それが帯同ウマ娘に求められる役割であった。

 

 そして、帯同ウマ娘まで決まったということは、いよいよもってマンハッタンカフェの渡仏は机上のプランに収まったままではない、現実に向けて進みつつあるということの表れでもあった。

 

「凱旋門賞への計画は順調に進んでいるようだが、タキオンは、いったい何にそんな警戒を向けているんだ?カフェの様子がおかしい、とも言っていたが……。」

 

 思えばこのところ、鷹木は自らマンハッタンカフェに会いに行く機会もなかった。当然ながら、ヒシミラクルのデビュー、そしてデビュー後のレーススケジュールに手一杯であったためだ。

 

 今日も、タキオンは自らの中に渦巻く違和感の正体を見破るため、トレセン学園でマンハッタンカフェの振る舞いを観察しているのだろう。現世代のウマ娘レースにおける中心的存在であり、何よりも自分と最も付き合いの長い同期であるだけに……カフェのことは気がかりになり続けているのだ。

 

 鷹木もまた、タキオンにしては珍しい物憂げな眼差しを思い起こさずにいられない瞬間はあったが、今は現地、中京レース場のターフから目を逸らしている場合ではない。

 

 トレーナー用観戦ブースの前には、よく晴れた空の下で乾いたターフの香りが広がっていた。

 

〈6月8日の中京レース場、第9レースは芝2000m、1勝クラス、ぶっぽうそう特別です。バ場状態は良、15名のウマ娘が続々とゲートインを終え、発走の準備が整っております……全ウマ娘体勢完了、今、スタートしました!一周目スタンド前を駆けていきます15名、まずファンドリアサマ先手を窺いますが、ウチからグランドマッハ行きました。まだポジションは決まりません、シーサイドスワンが2番手集団、間はシンデレラボーイ、コマノシャーク、ユウキサクセスが前から5,6番手です。〉

 

 今回の15名の出走枠中、ヒシミラクルは一番外側の15枠からの出走である。

 

 スタートして即座に上り坂があり、コーナーまでは300m近くの直線がある。十分に長いとは言えないものの、それなりに落ち着いたペースでのスタートダッシュの中で、ヒシミラクルは思い通りの位置につけていた。

 

「ちょうど中団の外側につけたな、良いぞ、そのまま落ち着いて回っていけ……。」

 

 潤沢なスタミナを武器に最後方から駆け上がっていくのが得意なミラ子であったが、より前につけていれば勝てていた、というレースも度々経験している。

 

 トレーニングでも、そして実戦でもヒシミラクル自身がそれを意識するようになったことで、今回も積極的にスタートから回転数を上げ、彼女にしては可能な限り前へと出ることが出来ていた。

 

〈パーターノスターが中団、あとはプラントヒロム、そして1番人気ヒシミラクルが固まって、アクトナチュラリーが中団後方、続いてワンダークリスタル、スズカパトリオット、更にアグネスブレイブ。後方にはウチにトシパーム、スリーラディカルが最後方といった形で、先頭は1コーナーから2コーナーへ。まずはグランドマッハ、リードが1バ身で先頭、2番手にはシーサイドスワン、差が無くシンデレラボーイがその外に並んでいます。〉

 

 逃げ、先行から中団後方まで、綺麗にばらけて落ち着いたペースのまま、最初のコーナーを抜けていく展開。

 

 大きく外に膨れる混戦にもならず、中団外につけているヒシミラクルはさほど大回りを強いられることもなく向こう正面へと向かっていく。

 

「ここまでは順調だ、前を塞がれる心配もない。向こう正面に出てから、上がっていくルートも確保できている。」

 

 鷹木は拳を握り締めてじっとレース展開を凝視しながらも、ヒシミラクルの近くを走っているウマ娘たちの挙動を主に観察し続けていた。

 

 1番人気ということもあって、マークが集中すると思われた今回のレース。しかし、前方をブロックしようとするウマ娘は居ない。先行集団も、さして大きくリードを広げようとしていない。

 

 それが逆に不気味であった。当然、競走相手達もヒシミラクルの得意とする作戦は過去のレース映像から分析しているはずだ。向こう正面から仕掛け始めることも、予測されているはずだ……。

 

〈向こう正面に入りました、外を行きます1番人気ヒシミラクル、ウチにはプラントヒロム、間を行きますファンドリアサマ。残り1000m、その後はややばらけて、スズカパトリオット、さらに後方アクトナチュラリーが後ろから5番手にあります。先頭のグランドマッハにパーターノスターが並ぶ勢いで上がっていきました、それからヒシミラクル追っ付けながら上がっていった、中団から前へと進んでいく形で、いよいよ3コーナーを回っていきます。〉

 

 今回のレースでヒシミラクルを1番人気に押し上げたファン達も、この展開を予期していたのだろう。いよいよくるか、といった雰囲気のどよめきが沸き起こる。

 

 ……が、トレーナーでなくとも、観客にも予想される通りの走りをするということは、よほど他を突き放すような際立った速度でも出せない限り、勝ち目は薄いものだ。

 

 鷹木は目を凝らし、ミラ子に迫っている影を冷や汗と共に見出した。

 

「ッ……マークされてる……!ヒシミラクルの後ろにぴったりとついて……アクトナチュラリーか……!」

 

 2番人気、アクトナチュラリー。こちらもヒシミラクルと同様に今年の春までデビューが遅れたウマ娘であったが、粘り強い挑戦の末に初勝利。

 

 デビュー後の初戦では二着となっていたが、差しの位置から巧みに前を追っていって抜け出す器用な走りを見せるウマ娘である。

 

 それこそまさに、ヒシミラクルのような……スタミナに十分な余裕がある代わりに、速度を細かに調整するようなことが苦手なウマ娘にとっては、大敵とも言える存在であった。

 

〈残り600を切りまして、先頭はグランドマッハ、再び2番手以降を突き放しましたが少々苦しいか!ウチからコマノシャークが上がってきました、そしてヒシミラクルが外から、さらにはシンデレラボーイ、後方からアクトナチュラリー追い込んできて、ウチにはプラントヒロム!先頭は直線に向いて、グランドマッハ先頭で粘っているが、外からヒシミラクル!外からヒシミラクルが上がってきた!そして大外からアクトナチュラリー!〉

 

 ここまで来れば、観客たちの大半にも、ヒシミラクルが追い込まれている状況が明瞭となって見えていた。

 

 そして、ヒシミラクル自身もまた、とっくに分かり切っていただろう。大歓声が響き渡り、周囲がゴールを目前とした蹄音に囲まれた状態でも、自分の背後に迫りくる者の存在感は痛いほどに分かるのだ。

 

 それでも、ヒシミラクルにはただ可能な限り足を速める以外にすべきことはなかった。

 

「いけぇっ!ミラ子ォッッ!!もっと行ける!もっと速く行ける!引き離せ!!」

 

 鷹木の必死の叫びが、そこそこ満員となった観客席の中から届かなくとも、ヒシミラクルは既に全力を出していた。

 

(あんな器用な走り、私もやりたいですよぉ……!根気で勝負しか、ないですけどね、今は……!)

 

 見る間にヒシミラクルの隣へと並びかけてくるアクトナチュラリーもまた、死力を尽くしての追い上げを見せていた。

 

 ヒシミラクルの持久力が飛び抜けていることは分かり切っている、だからこそ徹底的に自分の走りから無駄を削ぎ、ここに追い詰めるに至ったのだ。あと一歩で差し切れる。

 

〈外からアクトナチュラリー突っ込んできて200を切りました!先頭のグランドマッハ頑張っているが、ヒシミラクルとアクトナチュラリー並んで追い込んできた!間にはプラントヒロム!外からアクトナチュラリー!先頭はヒシミラクルか!アクトナチュラリーか!アクトナチュラリー!ヒシミラクル!並んでゴールイン!相譲らず!ほとんど並んでのゴールとなりましたが、只今確定のランプが灯りました、ハナ差でアクトナチュラリーの勝利です!〉

 

 大歓声の中で、鷹木は自分の叫びがかき消されたのにも気づかなかった。口惜しさ以上に、自分の力不足を実感していた。

 

 僅差で勝利を逃したこと、そのものに対してではない。完全にヒシミラクルの弱点を理解され、そこを突かれる形となったレースであった。

 

 いわば、トレーナーの立場から指示した作戦が、競走相手に読み切られていたのである。

 

「ぴったりマークされて、最後に顔を前に出されて勝たれる、って流れは……有り得たことぐらい、分かってたはずだろうに、俺は……。」

 

 それでも、ヒシミラクルに対してがらりと変えた作戦を提示しなかったのは、デビュー後の初戦、そしてデビュー時と同じ条件ということもあって、安定した勝利を目指したためであった。

 

 が、今後のヒシミラクルを、条件戦だけで終わらせないため……少なくともオープン戦以上にまで押し上げていくためには、彼女の能力を信じる他にない。

 

 いずれは、勝負服を着たヒシミラクルを、ターフへと送り出すために。

 

「作戦次第だ。今のミラ子なら、追いつかれないほどの走りが出来る……次は確実に、勝ちを獲りに行くぞ、ミラ子。」

 

 ゴールラインを越えた向こう側、減速していきながらもヒシミラクルは、トレーナーの気も知らずか、激闘を共に為したアクトナチュラリーに柔和な笑みを返している。

 

 一方のアクトナチュラリーが汗を拭きつつ肩で息をしているのを見るに、やはり全力で追い込んできた結果なのだろう。

 

 ヒシミラクルの長所を最大限に発揮させることが出来れば、焦りや取り乱しを易々と遠ざけておける彼女が次なる勝利を獲るのは難しくない。そう実感させる光景でもあった。

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