探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 トレセン学園では豪華な面々に囲まれての練習を繰り返し、ついに売布特別の当日を迎えたヒシミラクル。長距離を走り抜いても息切れしないという強みを活かしきるための走りは充分に鷹木トレーナーから伝えられ、ヒシミラクル自身も意識しており、出走直前まで自分を取り囲むウマ娘のチェックにも余念がない。中央トレセン学園からのデビュー、そこからの現役キャリアを条件戦クラスで終えぬため、まずは一勝を獲る機会は眼前に迫っていた。


幕の開かぬ場であれ、大きく花開き

 ヒシミラクルと鷹木が入っていく阪神レース場には、既に宝塚記念のポスターや横断幕が掲げられ、着々と翌日の準備が進められている。

 

 世間の話題が宝塚記念一色で染まっていく中ではあったが、ヒシミラクルが出走するのはその前日に行われる売布特別レースである。

 

「ダービーの時も日程と距離が同じ未勝利バ戦でしたし、ちょくちょく私を大レースに近いところで出走させますよねぇトレーナーさん。やっぱ意識してんですねぇ。」

 

「まぁ、な。今年は春になってからのデビューだが……ヒシミラクルが、シニア級に上がってからGⅠクラスのレースに出られたら、という想定は立ててる。」

 

 今はまだようやくデビューしたてで条件戦クラスでの一勝を求めている段階のウマ娘に対し、オープンクラスも飛び越えてGⅠを語るのはまさに夢物語ではあった。

 

 しかし、当のヒシミラクルはその点については何も突っ込まなかった。先日、併走練習を行ったファインモーションから言われた内容の方がよほど飛び抜けていたためでもある。

 

「ファインモーション殿下……じゃなくて、ファインちゃん、って言った方がいいか。こないだは私と一緒に有馬で走ろうって言ってくれたけど、どう思います?」

 

「彼女は嘘やお世辞を言うウマ娘ではないだろう。」

 

「いやいやトレーナーさんがどう思うかってこと。」

 

「……目指せるはずだ、きっと。」

 

 ヒシミラクルから改めて聞き返され、どうにか鷹木はぎりぎり言葉を濁さぬ程度の返答をするのみであった。

 

 今日、二度目の特別レース出走で、デビュー後の初勝利を得ようとするヒシミラクル。現時点でクラシック路線のGⅠへ出走できているわけでもないウマ娘が、シニア級の猛者たちをも同時に相手する有馬記念に出走するなど……まさに奇跡(ミラクル)でも起きない限り、不可能だろう。

 

 ウマ娘として共に走ったからこそ直感的に何かを掴んだのかもしれないが、ファインモーションが何のためらいもなく有馬記念というフレーズを口にした振る舞いには、常人との乖離を感じずにいられなかった。

 

「目指せる目標が高いに越したことはないが、まずは今日のレースで一勝を上げないとな。」

 

「まーた無難な方に話を持っていきますよねトレーナーさん……ま、その通りですけど。」

 

 既に鷹木の性格をタキオン同様に見抜いているヒシミラクルは、いつもの調子で喋る中に多少なりと声は引き締めつつ、控室の扉が並ぶ廊下へと入っていった。

 

 今回も、アグネスタキオンはトレセン学園で居残りである。宝塚記念前日ということもあり、出走する面々は既に阪神レース場近辺、仁川の町の宿泊およびトレーニング施設へと移ってきていたが、タキオンの観察対象はそちらに無い。

 

 このところずっと鷹木も気がかりになり続けているのは、マンハッタンカフェの事であった。

 

「あそこまで不穏な材料が揃ったら、計画自体が順調でも嫌な予感は拭えないよな……。」

 

 ウマ娘ではなく人間の立場からしか状況を見る事ができない鷹木にも、タキオンがカフェのことを不安な目で見ている思いは十分に伝わっていた。

 

 基本的にマンハッタンカフェのことを直接邪魔することなどなかった“お友だち”が、まるで海外遠征を阻止しようとするかのごとき干渉を続けていること……証拠にしては非現実的すぎるが、今は充分な説得力を有しているようでもあった。

 

 スマホ使用禁止区画へと入る前にタキオンからのメッセージを確認する鷹木であったが、今のところタキオンからはヒシミラクルへの激励だけが送られてきていた。

 

〈ヒシミラクルくん自身が十分に前に出ていなければ勝てないことは理解していると思うがねぇ、しかしあくまで彼女が得意とするのは中盤からまくっていくペースだ、最初から先行策を得意とする相手と競り合っても不利ゆえに焦り過ぎないようきちんと伝えたまえ!あぁ、あと翌日の宝塚記念に備えて芝状態は整えられているだろうが、お構いなしに踏み散らして構わないとも言っておいてくれ!バ場状態が多少悪くとも走り抜くのがGⅠウマ娘たちなのだからねぇ!〉

 

「改行無しでメッセージ欄がここまで埋まるの、タキオンぐらいだな……。」

 

 他に心配事があっても、後輩ウマ娘のために気遣うことは怠らないアグネスタキオン。

 

 自身以外のウマ娘に向ける関心が大きいのは今に始まったことではないが、ヒシミラクルの現役ウマ娘としての活動が軌道に乗りつつある今、タキオンの後輩想いの側面はますます強まっているようでもあった。

 

 スマホの電源を切り、手荷物ロッカーに預け、ヒシミラクルが着替えた頃合いを見計らって鷹木も控室へと入る。

 

 既にヒシミラクルは自分でゼッケンまで着け、こちらに背を向けていたが……独りきりの時、彼女はいつものヒシミラクルとは違って見えた。誰にも見られていない時にこそ、彼女の本心、ひたむきに勝ちを獲りに行くという思いは表に出るのだ。

 

 十分に覚悟を固め、気力充分に満ちている様を、わざわざ他者へ見せることがない、というのも普通のウマ娘らしい振る舞いであったかもしれない。

 

 鷹木が入ってきたドアの音に振り返ったヒシミラクルは、既にいつも通りの顔つきを取り戻していた。

 

「そーいや私、13枠ってそこそこ囲まれそうな位置でしたけど、だいぶ頑張らないと前に出られませんかね?」

 

「1番人気だったぶっぽうそう特別の時ほど、マークされることはないだろう。両脇に居るのは先行策のタマモルビースター、追い込み策のイリアンジャヤだ。丁度間に入れば、上手くコース取り出来るはずだ。」

 

 今回のヒシミラクルは、3番人気である。前回のレースでは勝てなかったとはいえ僅差での二着、それでも1番人気や2番人気は簡単に譲ることとなるのが現状なのだ。

 

 パドックでのアピールも、「普通」に終えたヒシミラクル。彼女もかなり身体が引き締まった方なのだが、より細身で身軽な他の出走ウマ娘たちと比べられると、ふくよかに見られることは避け難い。

 

 裏を返せば、なおも3番人気に留まっていられるほどに、ヒシミラクルにもファン層が定着しつつあるということでもあった。

 

「1番人気、2番人気が共に差し、追い込みを得意とするウマ娘か。なら、思い切って前に出る作戦がハマる確率は高い。」

 

 改めて地下バ道からヒシミラクルを送り出した後、鷹木もトレーナー用観戦ブースに向かいつつ、自分の中で作戦の確かさを反芻していた。

 

 前回の敗因、ぴったりと背後をマークされて最後に差し切られる、という展開は、明らかにトレーナーの指示した作戦が相手に読み切られていたが故の結果である。

 

 タキオンの言う通り、不慣れな先行策で競り合うことはヒシミラクルの得意分野ではなかったものの……人気度上位がこぞって後方に控える作戦をとるだろうと推測される中、最初から押して上がっていく作戦は確実性のある内容だった。

 

〈6月22日の阪神レース場、第9レース、売布特別の発走時刻間近であります。バ場状態は良、芝2200mのコースを18名、フルゲートでの出走となります。全ウマ娘、ゲートに収まりまして……スタートしました!まずそろって各ウマ娘、1コーナーを目指し525mの直線を駆け抜けていきます。まず先頭に立ちましたダンツラベンダー、その外からタマモルビースターが行きました。その後ろウチからはエリモアテナ、更にチェリーツートップ、間からはストップザワールド、コマノシャークに続く形でヒシミラクルが前から5番手の位置につけています。〉

 

 スタートしてすぐ下り坂となり、500m以上の直線が続く阪神レース場芝2200mのコース。

 

 位置取りを調整する猶予もあり、ハイペースでありながらも落ち着いた展開となりがちな構成であったが、ヒシミラクルが大方の予想を裏切って先行の位置につけたことに、多少なりと周囲のウマ娘は動揺しているようであった。

 

「よし、まずは中団を背後にして塞がれないコース取りだな……勝利候補が後ろに控えると考えてたウマ娘たちが、中団あたりで混戦状態になっている。」

 

 1番人気から3番人気までのウマ娘がことごとく後方からの差しを得意とするのであれば、中団で控えてリードし続けようと考えるウマ娘が多くなるのも必然である。

 

 そんな周囲の予想を裏切る形で前に出たヒシミラクルは、まず作戦を一つ成功へと進めることが出来たのであった。

 

〈さて中団は固まりまして、外からはアフォードが行きます、そして空いた位置にユキノフェアリー、エアマーティンが行きまして、ウチからスイートイノセント、外はアグネスストロング、さらに外にはイリアンジャヤ、2バ身空きましてマイネルノーヴァ、さらにワンダークリスタル、そしてメイショウダイチとウチからはビーオンザムーヴ、2バ身差最後方にブローサムといった形で、各ウマ娘1コーナーを回っていきます。先頭はダンツラベンダー飛ばして大きく逃げている、リード6バ身、7バ身といったところでしょうか。〉

 

 大逃げを見せているダンツラベンダーだが、彼女はこれまでのレースでも逃げを打つのが常套手段となっているため、さして他のウマ娘への影響はない。

 

 それよりも、先団に食らいつく5番手の位置をキープし続けているヒシミラクルへの警戒視がみるみる集中していくのが、観戦スタンドから見つめている鷹木の目からも明瞭となっていた。

 

「さすがに1,2コーナーで早々に位置取りを変えるウマ娘はいないが、しかし明らかに前へと位置は詰めていっているな……向こう正面で仕掛けるミラ子に、どれだけ食いついてくるか……。」

 

 現時点で気がかりなのは、その点であった。ヒシミラクルは潤沢なスタミナが武器ではあるが、切れ味鋭い加速ならば他のウマ娘に譲ってしまう。

 

 そして、今回の競走相手達も、ヒシミラクルが得意とする作戦を前もってリサーチしていることだろう。もはや、向こう正面から仕掛けてゴールまで加速し続けるヒシミラクルの作戦は周知のものとなっているのだ。

 

〈続いて2番手にはタマモルビースター、1バ身差コマノシャーク、ウチからはエリモアテナ、向こう正面へと差し掛かります。2バ身下がってウチ側にはストップザワールド、その外のヒシミラクルじわっと上がっていきます。外を回っていきますアフォード、2バ身差単独でエアマーティンが上がっていきます、1コーナーあたりでは中団後方に居たエアマーティンが上がっていって現在4番手、ヒシミラクルの外に並びかけています!〉

 

 やはり向こう正面の直線、ヒシミラクルの仕掛けに合わせて上がってくるウマ娘は現れた。

 

 この時点での展開で、ヒシミラクルの勝敗は大きく左右される。鷹木は汗で占める掌を握り締めながら見つめていたが、まだまだ勝機は遠ざかっていないことを確かめていた。

 

「今並びかけてきたのは、エアマーティンだけ、か。後ろは詰まってきているが、もう少し足を溜めてから仕掛けるつもりのようだな。」

 

 ヒシミラクルが囲まれずに済んだのは、この阪神芝2200m、翌日の宝塚記念と同じ条件のコース構成ゆえでもあったろう。

 

 スピードが上がりやすいのは向こう正面よりも、下り坂が始まる3コーナーからである。さらに、コーナーを抜けきった最終直線、ゴール前には高低差2mの上り坂がある。

 

 いかに、好位置で飛ばしているヒシミラクルを捉えようと考えても、ゴール直前に失速するリスクを思えばわざわざここで果敢に仕掛けるウマ娘はそうそう居ないのだ。

 

〈残り800を通過、3コーナーの下り坂へと入っていきます。先頭は変わらずダンツラベンダー、リードはまだ8バ身あります、単独2番手も変わらずタマモルビースター。差を詰めてコマノシャークが並んでいますが、外からエアマーティン、間に挟まれる形でヒシミラクルが並んで上がっていく!中団外からもアフォードが前へと上がっていきます、ウチからはスイートイノセントが前の位置へと押し上げていった!さらに外からストップザワールド、さぁ残り400を切って先頭はついにダンツラベンダーを捉えたヒシミラクル、エアマーティン、外からアフォード!〉

 

 一気に展開を見せたレース模様に、実況アナウンサーの口調も慌ただしくなっていく。むろん観客席から湧き起こる歓声も、1勝クラスにしてもかなり熱狂しつつある。

 

 間違いなく、後方から上がってくるウマ娘たちはヒシミラクルの存在を意識し、マークしていた。この点においては、先々週のぶっぽうそう特別と近い状態である。

 

「だが、距離は長い、それにゴール前に坂がある。今回こそ、お前についてこれるウマ娘は居ない、行けミラ子!」

 

 レース中盤に後方から駆け上がってくる上に、ヒシミラクルより更にコーナー外側を回らされたウマ娘たちは、ただでさえ2200mを走り切るのにギリギリのスタミナを削る羽目になったはずだ。

 

 あと懸念すべきは、ヒシミラクルの位置取りに関係なく自分本来の作戦で進めていた2番人気のブローサムの存在であったが……ヒシミラクルの位置取りは、十分すぎるほどに後方とのリードを広げることが出来ていた。

 

(皆、ここまで走らされると苦しくなるんだ……このペースに、いつも持ち込むことが出来れば……!)

 

 既に直線に向いた時点で手ごたえを感じていたヒシミラクルは、十分に残されたスタミナを贅沢に燃やして駆けあがっていく。

 

 誰も並びに来ない中、自分を取り囲んでいた蹄音はことごとく後方へ置き去って、大歓声を浴びながらゴールラインへと一直線へ向かっていく。

 

 自分が勝ってしまうことで、生き様が普通でなくなってしまうことに対する躊躇は、今は微塵も感じなかった。

 

〈最終直線へ向きました、先頭は変わってヒシミラクル!2番手エアマーティンに、ウチからはスイートイノセント、さらにビーオンザムーヴが詰めてくる!残り200を通過!後ろからはブローサムも詰めてくるが、しかし先頭は抜けた抜けた!!ヒシミラクル、リードは5バ身!2番手争いをはるか後方に、これは圧勝だヒシミラクル!余裕の着差で、底力を見せつけましたヒシミラクル、ゴールイン!勝利しましたヒシミラクル!直線、楽々と抜け出しましたヒシミラクル!〉

 

「よっし!!これだ、この勝ち方だ!!」

 

 鷹木は図らずも大声を出しながらガッツポーズの拳を盛大に手すりへぶち当て、痛みとともに顔を歪めながらもにじみ出た涙は確かに嬉し泣きのものであった。

 

 ミラ子の特性が、展開に完璧にかみ合ったレースであった。出来る限り前に出た状態から早めにまくっていき、他のウマ娘がついてこれないほどのペースを保ってリードを広げ、勝利するという形。競争相手に読まれやすい作戦なだけに、上手く通った時の喜びはひとしおである。

 

 5バ身ものリードを広げて、文句なしの圧勝を披露したヒシミラクル。

 

 自分の勝利と、走りの強さを讃える大歓声に、彼女は今ごく自然に答えて笑顔を返し、観衆たちに手を振り返すことができていた。

 

 自らが堂々と見せつけたスターそのものな振る舞いを、ヒシミラクルが思い出して赤面するのはもう少し後の事である。

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