探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 毎年、夏合宿のたびに異常な現象に見舞われているアドマイヤベガ。殊に、どこか時間が停滞したかのような雰囲気を漂わせている、地元のシャッター街でそれに遭遇する率が高かった。既に住民が去り廃墟同然となった商店街にもかかわらず、活気ある往時の光景が浮かんで来たり、アドマイヤベガの名を載せた新聞記事が掲示板に張られていたり。まるで、現実とは異なる可能性を歩んだ世界の片鱗がそこに残されているようでもあったが……今年、異常現象の観測を望むタキオンは「普通」の性質をあまりにも強く有するヒシミラクルを同行させることで、毎年繰り返す異変にひとつの変化を見出そうとしていた。


至り得た蜃気楼は、ついぞ影を落とさず

 夏合宿の開始から一週間、ヒシミラクルは同期の面々と近くで過ごす時間が普段よりも格段に増したためか、練習に打ち込む姿勢がこれまでになく真剣になったようであった。

 

 むろん、生まれついてのぽやんとした顔つきに、鬼気迫るほどの意志が明瞭に宿ったわけではなかったが……少なくとも鷹木が担当し始めたばかりの頃のように、大声で急かして脚を速めさせるような真似をする必要はなくなっていた。

 

 売布特別にて一着になったことで、自分の能力と作戦がかみ合いさえすれば確かに勝利を得られる、相応の成果がついてくる、と確信を得たのが大きかったのだ。

 

「脚質がそうそう短期間で変わるわけではないが、スタート直後から前へと上がっていく感覚は確実に身についてきているな。」

 

「クリスエスくんやノーリーズンくんが、程近くで練習しているわけだからねぇ、おのずと彼女らのペースに引っ張られるのだろう。むろん、この私も協力しているのだからねぇ。」

 

 レース序盤で好位置につくための練習を繰り返しているヒシミラクルを見つめつつ、鷹木の隣でタキオンも汗を拭いている。

 

 既に本来通りの負荷を掛けてのトレーニングを再開できるまで脚は治癒していたアグネスタキオン。が、GⅠ相当の実力を有する相手との練習で、タキオンの殆ど本気に近い走りを引き出してしまうことを警戒した鷹木は、今はまずヒシミラクルの練習相手を務めてもらう判断を下していた。

 

 何よりもタキオン自身が、他でもない先行策を得意とするGⅠウマ娘であったし、後輩が次の一勝を上げるための協力を惜しまぬ姿勢をも見せていた。

 

「やはりヒシミラクルくん、中長距離を走り切る最後の伸びは流石だねぇ、道中をかなりのハイペースで飛ばしても失速の気配すら見せないものだから、この私ですら背後に迫られてしまうねぇ。しかし、やはり競走相手に作戦を読まれやすく、自在にペースを操れる熟練者が相手となれば特に苦戦を強いられるのが難点だねぇ。」

 

「スタミナの削り合いに持ち込めれば、ミラ子の有利になるんだが……レース中、相手がしっかり速度を控えて脚を溜めていることにミラ子自身が気づけるほど、余裕はまだ無いか。」

 

 合宿中に行うタキオンとの併走でも、ヒシミラクルは順当に早めのペースで上がっていっているつもりが、タキオンとしてはまだまだ余裕を残すスタミナ配分であり、最終直線での急加速で一気にちぎられる……という展開になりがちであった。

 

 逃げや先行のウマ娘が得意とする、レース全体を引っ張って自分の有利なペースへ持ち込むという作戦に、まんまとハマってしまうのだ。

 

 しかしおそらく、現状のヒシミラクルに「競走相手の観察」という新たな目標まで課してしまうと、レース序盤での脚が鈍り、十分に前へ出ることが叶わなくなってしまうだろう。

 

「今は気にしすぎなくても良いねぇ、何事も順というものがある。実戦で通用するか否かをまず見極めるために、この夏の期間中にヒシミラクルくんは本番レースへ可能な限り出るのだからねぇ。」

 

「えぇ、慣れないうちに相手の動きばかりを気にしてしまうと、むしろ惑わされて仕掛けどころを見失うことにもつながりかねないわ。」

 

 タキオンの言葉を継いだのは、いつしか傍に来ていたアドマイヤベガである。

 

 彼女もまた、後輩ウマ娘の面倒を見る立場が板についていた。普段は結城トレーナーの指導下にて、マンハッタンカフェやダンツフレームといった面々の走りにつき合っているのだろうが、他のメンツと練習場を共にする合宿においてはヒシミラクルにも目をかけていた。

 

 むろんこちらは、アドマイヤベガが得意とする追い込みの立場からヒシミラクルにつき合っていた。

 

「速度に関してはあと一伸び欲しいところ。でも本当に大きな長所よ、格段に高い持久力、走り終えても息切れひとつないスタミナを備えているのは。GⅠでも勝利を確実に手にする力はあるはず。作戦次第、ではあるけれどね。」

 

「その通りだねぇアヤベ先輩。聞いたかいトレーナーくん、言うなれば作戦を立案するキミこそが、ヒシミラクルくんを勝利へ導けるかどうか、カギを握っているということだねぇ!責任重大だねぇ!」

 

「どうしてプレッシャーをさらに掛けてくるんだ、責任重大なのは事実だが。」

 

 鷹木は言いつつ、汗を拭き終えて立ち上がる。

 

 正午を前に、今日は練習を早めに切り上げた面々に遅れて独り走り続けているヒシミラクル。こちらも連日よりは早めに休憩へ入るよう、鷹木は伝えに向かった。

 

 合宿が開始されて一週間。すなわち、合宿初日にアドマイヤベガが提案した、この地元地域での長距離ランニング企画当日である。

 

 ウマ娘たちにとっては、ほんのジョギング程度の行程であり気晴らしに過ぎない。が、今回は彼女らに付き添うこととなった人間である鷹木に関しては、炎天下での強行軍に耐えうるだけの体力保持に細心の注意を払う必要があった。

 

 昼食を摂り、腹ごしらえと十分な休憩を済ませた面々が食堂に集まっている前に立ち、アドマイヤベガは企画の詳細について語った。

 

「今回も参加人数が多いから、チームを3つに分けるわ。まずはトップロードをリーダーに、ダンツフレーム、アグネスデジタル、シンボリクリスエス、タップダンスシチーのチーム。こちらは、海岸沿いに南へ進んで、岬の灯台まで行ってから往復してくるコース。去年もやったから、距離については変わりないわ。」

 

「ひょぉお!あのコース、今年も私たちに走らせてもらえるんですか!タップしゃんとクリスエスしゃんは初めてですね、楽しみにしていてください、メッチャ景色いいので!」

 

「For sure!マジで去年は怪我さえしてなけりゃあ行けたのに、って後悔したんだからな!期待しとけよクリスエス!」

 

 アグネスデジタルとタップダンスシチーが立て続けに声を上げる。確かに、昨年は怪我で長期間休止していたタップダンスシチーは、共にその魅力的なコースを走れないことを大いに悔しがっていた。

 

 タップの願いを一年越しに叶えることもあり、さらに寡黙なままに頷いているシンボリクリスエスがこちらに含まれたのは、コースとしての景観の良さも然り、いっさいの不安事から無縁の面々で固められていたためでもあろう。

 

 次のチーム分けには、どうしてもアドマイヤベガについていくことを選ばざるを得ないアグネスタキオンからの意向も含まれていた。

 

「それから、キングヘイロートレーナーをリーダーに、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ、エアシャカール、ノーリーズンのチーム。こちらは合宿所の裏手、梅畑が広がる山地を巡って戻ってくるコース。起伏がある分、距離は短めにしてあるわ。」

 

「地形の立体データから、走破時の負荷も俺がロジカルに計算した。コースとして他のチームと不平等になっちゃいねェはずだ、見える景観についてもな。」

 

「梅畑、ということは、低木が植わっているおかげで景色は開けておる、ということじゃな!高みから見下ろすは、まさに天下を獲るワシに相応しき布陣ということじゃ!」

 

 早くもコースから見える光景を想像して喜んでいるノーリーズンの傍ら、マンハッタンカフェもまた黙ったまま、特に意見も無く頷いていた。

 

 タキオンからの目くばせを、シャカールは静かに受け取る。仮にマンハッタンカフェが、一昨年の夏合宿でのこと……アドマイヤベガが、地元商店街に向かった際、怪異に巻き込まれそうになったことを覚えていれば、自分がアドマイヤベガと別行動になることについて意見するはずだ。

 

 しかし今、マンハッタンカフェは当時の彼女の記憶すら思い起こさない様子であった。キングやポッケ、ノーリーズンといったムードメーカーに引っ張ってもらいながら、シャカールはカフェの様子をしっかり観察する役目を密かに得ていた。

 

「そして最後に、私、アドマイヤベガをリーダーに、アグネスタキオン、ヒシミラクル、それから担当を心配してついて来てくれる鷹木トレーナーのチーム。私たちは合宿所を出て地元の商店街まで行き、引き返してくる往復ルートね。各チーム、目的地に到着したら確実に自分たちを含めてスマホで記念撮影して、それから戻ってくるまでのタイムを報告すること。想定外のことがあれば、中断して帰還する判断も迷わないように。」

 

「この長距離ランニングは、別チームとして行動している面々のペースも想定しつつ、走破するタイムをコントロールするための練習でもあるからねぇ。聞いているかいヒシミラクルくん、昼食を摂って体を休めたからといって眠気に襲われている場合ではないねぇ。」

 

「……んん、わかってますって……。」

 

 瞼が重く下がりつつあった様を誤魔化すように、ヒシミラクルが少々遅れた返答を口にしている。

 

 彼女が本格的に睡魔に囚われる前に、と皆が行動へ迅速に移ったため、数分後には各々が合宿所を出発し、ストップウォッチでの計測を開始しながら定められたコースへと入っていった。

 

 鷹木はウマ娘用、そして主に自分用の水分補給ドリンクをクーラーボックスに詰め込み、合宿所から借り受けた自転車の荷台に載せ、タキオンらの後を追っている。

 

「どうだいトレーナーくん、大した速度でもないだろう?この程度なら気楽なものだねぇ、あくまで気分転換のジョギングに過ぎないのだからねぇ。」

 

「あぁ、そう、だな、ハァ、ハァ……。」

 

「おやぁ、トレーナーさん、この程度で息を切らしてるだなんて、なってませんねぇ。いつも私を急かしてるだけの気概は見せてくだふぁいよ……ふぁぁ……。」

 

 確かに、レース場で普段披露されている走りとは比べ物にならないほどゆったりしたペースであり、ヒシミラクルもあくび交じりで流せる程度の足取りでしかないが、それでも人間からしてみればかなりのハイペースである。

 

 合宿所から商店街へ向かう道はいちおう舗装されていたものの、田舎特有のひび割れたままの路面はそのままであり、時おり大きな亀裂を乗り越えるたび、鷹木の漕ぐ自転車はガタガタと音を立てた。

 

 明らかに想定よりも早い段階で鷹木が限界近くなっている様を、アドマイヤベガも気遣っている。

 

「そろそろ、見えてくるわ。あの商店街。鷹木トレーナー、体力に問題はない?」

 

「だ、大丈夫だ、ここまで来たら、引き返す方がキツい……。」

 

 毎年の夏、アドマイヤベガが怪異に見舞われる商店街に自ら乗り込むことについては不安が無いわけではなかったが……ほぼ休憩なしで現地に到着するころには、もはや汗で全身ぐっしょり濡れた鷹木に他の心配事をしている余裕はなくなっていた。

 

 確かに、炎天下のアスファルト道を走破した先、そのさびれ切った商店街は赤錆の浮いたシャッターばかりが並ぶ、半ば廃墟めいた光景と化していた。

 

 とめどなく流れてくる汗を、肩から掛けたタオルで幾度も拭きつつ、2本目のスポーツドリンクのペットボトルを開けている鷹木を見やりながら、タキオンは告げる。

 

「やれやれ、ウマ娘よりも人間の方が長距離走での持久力に優れている、という研究報告は、あくまでアスリートとして鍛えている人間に限定されるようだねぇ。こちらまで来たまえ、アーケードの下ならば日射は遮られる。」

 

「あ、あぁ……。」

 

 呆れ顔ながらも、流石に鷹木がよろよろしている様を不安なしに見てもいられないのだろう、タキオンは日陰へ入るよう彼を促す。

 

 鷹木を先に行かせたタキオン自身は、その商店街へ近づく前に少々距離を取って全体を観察するような振る舞いを見せたが……すでに商店街内へ踏み込んでいるアドマイヤベガとヒシミラクルに異変が無いことを確かめてから、タキオンもまた歩を先に進めた。

 

 ようやく炎天下の陽射しから逃れた鷹木が朽ちかけたベンチを見つけ、腰掛けて一息ついている一方で、ヒシミラクルはといえば普段の都会ではまるで見ることのない古びた街並みを前に、いつになく興味津々であった。

 

「はぇー、こういうのがレトロな雰囲気なんですかねぇ、むしろ見たことないものばかりで、新鮮なんですけど。あ、コーラの自販機がありますよ、中身ないですけど。でも、下に商品の取り出し口ないですね、当時はどうやって買ってたんでしょ、タキオン先輩知ってます?」

 

「私もデータでしか知らなかったが、これは瓶ジュースの自販機だねぇ。缶ではないから、自販機内を転がしていては割れてしまう。代金を入れてから、商品の収められた扉を開け、ストッパーが解除された瓶を引き抜くという仕組みらしいねぇ。」

 

「へぇぇー、それって瓶が引き抜けなかったら無駄にお金入れただけになっちゃいそうですね。鷹木トレーナーだったら、実際に使ったことあるんでしょうか、この瓶タイプの自販機。」

 

「いや、流石に俺が子供の頃も、既に缶ジュースの自販機しかなかったな……。」

 

 ようやく身体の状態が落ち着いてきた鷹木は、監督者としてウマ娘たちを常に視野に入れるよう気を配りつつ、自身にとっても珍しいものばかりの古びた商店街を見回していた。

 

 既に色褪せきって、店名も読めないほど白茶けた看板が、同じ形でいくつもアーケードの左右から突き出ている。往時は数多くの買い物客が行き来していたのだろう、路面に敷き詰められたタイルは積み荷の搬入用のトラックが毎日通り続けていたあたりがすり減ってへこんでいる。

 

 これと言って異常な現象も起きぬまま、何かを探し続けている様子のアドマイヤベガを傍らに、ヒシミラクルはタキオンの知識を頼りに周囲のあれこれへ好奇心を向けていた。

 

「あ、タキオン先輩、あれなんですか?透明なプラスチックで囲われた箱が支柱の上についてて、日よけみたいな小さな屋根がついてますよ。ちょうど、胸元あたりの高さですし、購入済み商品を受け渡すためのケースでしょうか?」

 

「確かに買い上げの済んだ商品を入れておくには適した大きさと位置だねぇ。しかし昔は、現代のような無人販売もあるまいし、商品は店員から客へ直接手渡すのが手っ取り早いだろうねぇ。あれは何だろうねぇ、分かるかいトレーナーくん。」

 

「あれはたぶん、公衆電話のケースだな。人が丸ごと中に入れる電話ボックスも多かったが、電話機だけがケースに入ってるタイプの公衆電話もあったんだ。電話機や電話帳が撤去された後だろう。」

 

「公衆電話?って、何ですか?」

 

「知らないのか……いや、知らなくても無理はないか。」

 

 もはやスマホ全盛期の現代、公衆電話どころか、固定電話の類を日常生活のなかで見たことのない世代も、人間やウマ娘の差異など関係なく増えてきている。

 

 ポカンとしているヒシミラクルに、アグネスタキオンが辛うじてその知識から取り出した解説を行っている間、体力が回復した鷹木はベンチから立ち上がり、しげしげと商店街の光景を眺めまわしていた。

 

 何もかもが過去の時代に取り残されたかのような光景の中……アドマイヤベガは、もはや錆び切って赤茶色に染まり切った掲示板の前で立ち止まっていた。

 

「アドマイヤベガ?何か、見つけたのか?」

 

「これ……。」

 

 アドマイヤベガの声色は重かったが、表情はさほど暗くなかった。

 

 むしろ、何か腑に落ちた様子であった。ずっと、抱え続けていた不安や不穏の種、その根源をようやく日の目のもとへと取り出せたかのように。

 

 古びた掲示板には、一枚の新聞記事が貼られていた。もはやそれが紙であったことが分からぬほどボロボロになり、表面に印字されたインクが僅かでも残っていることが奇跡であるかのような様相で。

 

 

『99年ダービー……アドマイヤ…… 29日早朝、……日本ダービーを制し……(父サンデー……母ベガ……)が……した。……ダービーにおける……後、翌年の宝塚記念に……、出走を……。名……であった。』

 

 

「ほとんど、何が書かれているのか分からないな。だが、アドマイヤ、って文字が薄っすら見えるのは気になるか。」

 

「これを私が初めて見つけたのは、6年前。あの時は、もっとハッキリと私の名前が書かれていたの。夏になるたび、妙な出来事に遭遇するようになったのは、それからのこと。」

 

 困惑している鷹木の隣で、落ち着いた声色のままアドマイヤベガは語り、そして手を伸ばす。

 

 彼女にとっては、忘れられるはずもない新聞記事であった。自分がダービーを勝ったクラシック級の年、その直後に怪我で引退し、間もなく寿命が尽きるとの予言めいた内容が、6年前にはハッキリと読み取れた。

 

 あの時は、一刻も早くこの場から立ち去ろうとして逃げ出した。

 

 本来は人がいないはずの商店街が活気で溢れているという、非現実的な光景の中に迷い込んでいったのだ。オペラオーの歌声に導かれなければ、現実世界に戻ってこれなかったかもしれない。

 

 だが今は……アドマイヤベガの中に恐れはなかった。

 

 この新聞記事が現実に存在していることを確認するため、直に指先で触れようとした矢先、背後から近づいてきたのはタキオンとヒシミラクルの喋り声である。

 

「あれは掲示板というものだねぇ、この商店街で行われる企画を周知したり、時には町内での個人的な連絡にも用いられたものだろうねぇ。」

 

「えー、じゃあ街を歩いてる人たちにも無条件に見られちゃうんじゃないですか、プライバシーとか気にしかなったんですかね、昔の人たちは。」

 

 ヒシミラクルの“普通”な性質が、異常や異変を消し去るのではないか、というタキオンの仮説は、確かに正しかったらしい。

 

 指先を近づけるアドマイヤベガ、そして見つめる鷹木の目の前で、先ほどの新聞記事はボロボロと崩れ落ちていき、吹き寄せてきた生暖かい風とともに塵芥となって飛び去っていった。

 

 タキオンに連れられたヒシミラクルが掲示板の前まで来る頃には、既に何も残っておらず、最初から記事の類が貼られていたようには見えない状態となっていた。

 

「アヤベ先輩、何か見てたんですか?何も書きこまれてなさそうに見えるんですけど。」

 

「……そうね。ここには最初から何も、無かったのかもしれないわね。」

 

 それだけを言い、アドマイヤベガはさっさと立ち去っていく。

 

 ウマ娘が存在するこの現実世界では、アドマイヤベガは引退していない。ダービーを勝利した翌年のシニア級でも、覇王世代の面々と競い合った。後輩ウマ娘が増えた今なお現役続行している。

 

 その現実に即さない“事実”が記載された記事は、アドマイヤベガを取り巻く数多の意思、ウマ娘たちだけではない、アドマイヤベガというウマ娘を知る幾万人ものファン達の思いを数年にわたって浴び続けた結果、存在が褪せ続け、今ここに消え去るに至ったのだろう。

 

 不思議そうな表情を浮かべているヒシミラクルの隣で、アグネスタキオンは自らの仮説を確かめるように大きく頷いていた。

 

「やはりキミを連れてきて正解だったねぇ、ヒシミラクルくん。確かにキミは“普通”の現実を見せてくれるウマ娘なのだろうねぇ。」

 

「へぇ?いったい、何の話です?」

 

「特異点による運命の開拓は、現実による調和を必要とするのかもしれない。大きなヒントを私は得ることができた、という話だねぇ。」

 

 余計に難解な言い回しで返すタキオンに、ヒシミラクルはますます困惑するばかりであった。辛うじて鷹木が、何となくタキオンの言わんとする所を掴めた程度であった。

 

 例年の夏、自分に迫ってきていた怪異……言い換えれば、望まぬ宿命を前に不安を抱かされ続けてきたアドマイヤベガであったが、今ここに一つの決着を得た彼女は、既に不安とは無縁の足取りでスタスタと商店街の外へ向かっていく。

 

「さあ、鷹木トレーナーの休憩も十分でしょうし、復路を開始するわよ。あまりノンビリしていると、私たちのチームが最下位のタイムを示すことになってしまうわ。」

 

「まったくだねぇ!トレーナーくんが脚を引っぱったのだと、汗だくでヨタヨタしている彼の写真を証拠に出すしか無い状態となってしまうねぇ!」

 

「やめてくれ、というかいつの間に撮ったんだ、そんな写真を。」

 

「あ、この私、ヒシミラクルが面白いから撮りましたよー。」

 

 後輩ウマ娘を引き連れて、商店街を後にするアドマイヤベガ。

 

 彼女の声が今までになく朗らかだったのは、鷹木をイジる後輩ウマ娘たちの声が弾んでいたためばかりではなかったろう。

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