7月の下旬ともなれば、早くも夏合宿を堪能している場合ではない状況となってくるウマ娘が、今年度は2名居る。
長期休止した昨年の分を取り戻さんとするタップダンスシチーは、7月21日の函館記念のため北海道へ向かった。名だたるGⅠレースが行われない夏季中でも、現状の戦績に満足出来ていないとなれば出走の機会を減らす手はない。
時をほぼ同じくしてヒシミラクルも合宿所を発ち、こちらは新潟レース場へと向かっていた。タップよりも1日早い7月20日の佐渡特別へと出走するため、じっくりと調整時間を取れるよう前日には現地に到着する必要がある。
新潟レース場への出走は鷹木としては初めてのことではなく、昨年復帰したタキオンが天皇賞秋の前哨戦として走ったオールカマーが新潟レース場で行われている。それゆえ都心部から現地へのルートは分かっていたのだが、夏合宿場所から新潟へとなると少々心もとない。
レースそのものだけでなく、移動経路や所要時間についても気をもんでいた鷹木の心配を、一発で解決したのが結城トレーナーによるヘリ送迎であった。
「お、日本海が見えてきましたよトレーナーさん。すごい距離をひとっ飛びですねぇ、私、ヘリコプターって観光地を一周遊覧するぐらいだと思ってましたけど。」
「普通はそうなんだ、結城トレーナーが所有しているヘリコプターが規格外なだけだ。」
自衛隊の災害派遣にも用いられる、無補給での航続可能距離1000㎞を超える大型ヘリコプター。こんな代物を個人所有できるのも、URAのレジェンドである結城トレーナーだけである。
通常の手段で向かえば、新幹線を使っても、あるいはトレセン学園が出す専用の送迎バスを使っても、4時間前後は要する。その移動時間を1時間弱にまで短縮するヘリコプターを、結城トレーナーは今合宿に参加するウマ娘のために提供してくれているのだ。
合宿所へと皆で向かった時とは違い、乗員スペースに余裕のある今、ヒシミラクルは堂々とくつろぎながら窓外の景色を見下ろしていた。一般では滅多に体験できない状況で落ち着き払っていられるのも、他のウマ娘にはなかなか真似できない振る舞いである。
とはいえ、この大型ヘリが新潟空港へと接近していき、着陸した時には別な心配事がミラ子の中にも湧き起こっていたようだ。
「もしかして、このヘリコプターって、珍しいです?」
「あぁ、そりゃあ本来、自衛隊の訓練でもなければ、国賓クラスの人物の送迎に使われる機体だからな。」
「さっき空港の建物で、スマホのカメラを構えた方々がずらりと並んでいたんですけど……もしかして、こんな珍しい機体から、どこの誰が降りてくるのか、めっちゃ期待されちゃってます?」
「おそらく、な。」
今さらになって冷や汗を浮かべ始めたヒシミラクルに言われる前から、鷹木も好奇の視線にさらされる覚悟を固めながら頷いていた。
やがて、安全チェックが終わり乗降口が開き、陽の反射が眩しいコンクリートの上に降り立った鷹木とヒシミラクル。確かに、空港ビルの窓際には珍しい機体の着陸を一目見んと大勢の利用客たちが詰めかけていた。
ガラス窓越し、遠く離れているうえに周囲の騒音もあって、彼らがどんな反応を示しているのかは分からなかった。が、さほど有名人というわけでもない鷹木、さほど目ざましい戦績を上げているわけでもないヒシミラクルの姿を前にして、微妙な表情が居並んでいるのだけは確かであった。
とはいえ、ウマ娘と担当トレーナーであるということだけは察せたのだろう。レース場近くに予約しておいた宿泊場所へと向かうまでのバス内で、鷹木は地元エリアでのトレンドとして小さな話題となっている自分たちの姿をSNS上に見つけていた。
〈どんなセレブがヘリから出てくるのかと思ったら……誰?〉
〈この子、新潟レース場に出るウマ娘?知ってる人いる?〉
〈このトレーナー、どっかで見たような気が……。〉
鷹木の姿は、以前テイエムオペラオーを担当していた時や、それこそアグネスタキオンの休止会見でも衆目の前に現れていたはずであったが……いずれもオペラオー、タキオンといったスター性の塊がすぐ隣にいたためか、鷹木の印象などまるで世間に残っていないのだろう。
そして、現状のままでは世間の印象に残っていない点では、ヒシミラクルも同様であった。
「トレーナーさん。私みたいなふつーのウマ娘が、とんだブルジョアな移動手段で新潟に現れたことで、顰蹙を買ったりしませんかね。」
「……いや、勝てばいいんだ、それ相応の実力の持ち主なんだと、世間に示せば問題ないんだ。」
「です、ね。また帰りにも同じことになりそうですし、恥ずかしい結果を残さないようにしなきゃ。」
レース場にて大勢の観客から見られることには慣れているはずだというのに、空港で変な注目を浴びたことについてはすっかり気後れしている様子のヒシミラクル。が、鷹木からの声かけで、気持ちをレースへと向け直すことには成功したようであった。
あるいは、一流の扱いを受けるだけの戦績を出すよう、ウマ娘自身に意識させるのが、ヘリコプターを用意した結城トレーナーの狙いであるかもしれなかった。
ともあれ長距離移動によって体調を崩す心配などとは無縁のヒシミラクル、現地のトレーニング施設にて調整を行った際も万全の状態である。
そのまま迎えることとなった、レース当日。
ひとたびレース場入りしてしまえばスマホを使用しての外部連絡も自由に出来ないことを見越してか、合宿所に残っていたアグネスタキオンは当日の早朝から通話を掛けてきた。
〈直前のトレーニング時に何度も伝えたがねぇ、くれぐれも序盤から脚を緩めぬようにと再三伝えてくれたまえよ!ヒシミラクルくんは新潟の長い直線を目にするのも初めてだろうし、気を抜いていては先行の面々に置いて行かれるのもあっという間だからねぇ!〉
「分かってるって、既に昨日の時点で現地の下見もさせてる。そっちはどうだ、その……いろいろと気がかりなんだろ?」
〈発生するはずがない毎年の火星大接近を観測する件についてはアドマイヤベガ先輩と計画を進めているがねぇ、現状急がなければならないのはカフェのことだねぇ。〉
8月に入れば、凱旋門賞に出走するため前準備として合宿から早期に抜けることとなっているマンハッタンカフェ。
彼女がフランスへ渡る計画は順調であったし、それを中止する要素など現実的には見られなかったが、カフェの近くにいるという“お友だち”は海外遠征を拒むような振る舞いを続けており、またタキオン自身も嫌な胸騒ぎが続いていた。
カフェに凱旋門への遠征を中断させるだけの確証が得られない今、タキオンはぎりぎりまで観察や情報収集を続けるつもりなのだろう。
「俺の立場からは何とも助言は出来ないが……タキオン、ウマ娘としての勘が、カフェを引き留めるようにと告げているのなら、早めに動いた方がいい。時間が経つほど、フランス遠征の計画は固まっていって引き返せない状態になっていくだろう。」
〈分かっているとも……まったく、ついさっきキミ自身が口にしたのと同じ反応になってしまったねぇ。現在、シャカール先輩とともに進めている計画がある。場を整えるのに少々根回しが必要だが、7月中にはとあることを確かめられるはずだねぇ。〉
「うまくいくよう祈ってるよ、どんなことを確かめるつもりなのかは知れないが。」
〈危険を伴うことではないから安心したまえ。キミたちは気兼ねなく、今日のレースに集中してくれればいいねぇ。〉
必要な返答だけを告げて、通話を掛けてきた時と同じように、タキオンは挨拶も何もなしに通話を切った。
長らくの親友であるカフェのことを案じるタキオンとは異なり、現状のヒシミラクルと鷹木が他のウマ娘の心配をしている場合ではないことには違いない。
昨日の空港で変な注目の浴び方をしたこともあってか、午前中の最終調整時にはいつも以上に気合いの入った様子を見せたヒシミラクルは、新潟レース場における本番前のパドックではひときわ絶好調の姿を披露していた。
先月の売布特別での圧勝もあって、1番人気に推されたのもほぼ必然である。
「今んところ私、1番人気になった時って、勝ててないんですよねー……。」
「一例しかないだろ、現時点では。ここまで来て調子を落としてる場合じゃない、これまでで最高の仕上がりなんだから十分に勝てる要素は揃ってる、行ってこい。」
口先ではいつも通りに気の抜けたような語調であったものの、ヒシミラクルの目の色は勝利候補に推されるのも満更ではない、とばかりに明るかった。
発走時刻間近、彼女を地下バ道へと送り出していった鷹木は、観戦スタンド最前列、トレーナー用の観戦ブースへと向かう。
気温が最も上昇する時間帯を避けて行われる午後のレースとはいえ、やはり7月下旬、真夏の暑熱はしっかり残っている。春や秋よりも過酷な条件でのレース、粘り強いヒシミラクルにとって有利な条件と思いたいところであったが、この暑さを盛り込み済みなのは他の出走者も同様だ。
総勢9名の出走者が、長大な新潟レース場の直線を前にゲートへ入っていく。人数が少なめな分、密集時の競り合いよりも純粋な実力勝負となると見えた。
〈新潟レース場、第11レースは2勝クラス、佐渡特別の発走時刻が間もなく迫ってまいりました。各ウマ娘、体勢完了……スタートしました!横一線のスタート、ウチからシャイニンググラス好スタートを切りました、さらにカシマアーチ並びかけて、しかし外からテイエムイットーが上がってまいりました。大外からもユーワシーザー、スタンド前で先頭に立ちました。さらにプレシャスソングも並んで先行集団、5番手外を回りましてシンドバットカラー、そのウチからヒシミラクルが交わして先頭から6バ身あたりです。〉
5枠、ちょうど左右から挟まれる真ん中あたりからの出走となったヒシミラクルは、1番人気ゆえのマークを受けつつも先頭から離されぬようにと懸命に脚を動かしていた。
少々、前へと出づらい位置取りではあったものの、事前に危惧された状態は避け、先行を得意とするウマ娘に大きく引き離されることなく序盤の展開を食らいついていく。
「ミラ子が後ろから仕掛けるものと考えていた面々は、ちょっとペースを乱しているか。だが、さすがにGⅠ経験者はこちらの計画も分かってるようだな。」
今回は2番人気となったプレシャスソングは、昨年のダービーでジャングルポケットと競ったウマ娘たちの一員である。
合宿所でもタキオンが特別に警戒していたように、プレシャスソングの走りは落ち着きがあり、そして先行しながらも背後の状況をしっかり受け取っているように絶妙なペースであった。
彼女は今、2番手の好位置につけて、背後のヒシミラクルを制するように前へと全体のペースを押し上げ続けている。
〈一周目のゴール前を通過して1コーナーへと向かいます。ユーワシーザーが先頭に立ちましてリードは1バ身、プレシャスソング単独2番手、テイエムイットー3番手で併せて行きました、その後ろ4番手でカシマアーチ、こちらも差がありません。後ろにヒシサクセス3バ身差で……失礼、ヒシミラクル3バ身差で続きました。さらに後方ウチからシャイニンググラス、外を回りましてシンドバットカラー、それから後ろ、オペラボーイ、4バ身ほど空きましてイサオドリームが最後方です。〉
ヒシミラクルの名前を実況アナウンサーに間違えられた鷹木は思わず眉を顰めるも、これもまたミラ子が十分に有名なウマ娘へと駆けあがるまでの試練だと思い直す。
そんなことはさておいて、レース展開を見つめ続けていた鷹木は、間もなくヒシミラクルにとって不利な状況となりつつある様を見出していた。
「ペースが……若干だが、スローだ。ミラ子、気づいてないか。プレシャスソングがグイグイと押し上げてるように見せているから、気づきづらいか。」
ヒシミラクルの体感としては、しっかりと序盤から足を速め、最後の追い上げでしっかりと先頭を差し切れる圏内に身を置いているつもりなのだろう。そこだけを取れば、欠点の無いペースだ。
が、各区間を通過するタイムを計測しながら見ていた鷹木は、先頭の逃げウマ娘を追い立てるようにプレシャスソングが足を速めているように見えながら、その実は充分に速度を控えている状況に気づかされた。
それは本当に微妙な差、実際に走っているウマ娘たちの錯覚の中に埋もれるほどに絶妙なペース調整であった。
〈向こう正面に入っていきました。ユーワシーザーが先頭1バ身のリード、これを追って上がってまいりましたテイエムイットーとプレシャスソングが2番手争い、ヒシサクセス……もといヒシミラクルが4番手に上がってまいりました。ウチから1番のカシマアーチ差がありません、2バ身後方にシンドバットカラー、そのウチからシャイニンググラス、オペラボーイ、最後方イサオドリーム殆ど差がありません、先頭は3コーナーのカーブに差し掛かってまいります。〉
完全にヒシミラクルの名前がヒシサクセスと間違えられているのも無理はない、実際にヒシサクセスというウマ娘は存在しており、障害レースやダートレースで戦績を上げている。
ともあれ、現状のヒシミラクルが陥りつつある状況に、鷹木はミラ子自身がいつ気付くかとやきもきしていた。
「先頭を捉える圏内に居るからと機を緩めるな、ミラ子、もっと足を速めないと、練習の時はもっと速度を出していたことを思い出せ……!今のペースは先行のプレシャスソングが作り出してるんだぞ!」
ターフ上を走っているヒシミラクルに見えるか否か、鷹木は観戦ブース内から大きく手を振り回してヒシミラクルにペースを上げるよう指示を出していた。
それが伝わったのか、あるいはミラ子自身が気づいたのか……最終コーナーでようやく、ヒシミラクルは先行の面々へ並びかけるよう、目に見えて足を速めていく。
〈ユーワシーザー先頭で半バ身のリード、テイエムイットーが2番手に上がってまいりまして、外から並びかけるようにヒシミラクル上がってまいりました!プレシャスソングは4番手に下がりましたがまだ控えているか、残り600を通過。その後ろはシンドバットカラーとカシマアーチ固まっています、先頭はユーワシーザーですがテイエムイットーとヒシミラクルがほぼ並んだまま4コーナーをカーブ、残り400を切って最後の直線へと向かいます!〉
既にプレシャスソングよりも前に出たヒシミラクルは、十分に残されていた余力をもって本来の最高速へと走りを引き上げていく。
が、彼女の走りに焦りがあったことは、普段から見ている鷹木には一目瞭然であった。
「結果はまだ出てないが実力差は歴然か……!いや、まだ諦めんな、ミラ子!!」
鷹木はそう叫びつつも、これまでの経験からレースの勝敗が既に固まってしまっているのを感じていた。
先行ウマ娘たちの中でも、特に自分の有利となるペースを理解し、さらにバ群全体を自分のペースに持ち込む巧みさをも兼ね備えたプレシャスソングの加速を、振り切れるとは思えなかった。
〈横一線になりました、テイエムイットー前に出るか、しかし外を回ってヒシミラクルが上がってまいりました!200の標識を通過!内側を通ってプレシャスソングが抜けた、プレシャスソング一気に後続を引き離して2バ身のリード!圧倒的だプレシャスソング!ヒシミラクルもようやく速度が乗って来たか、しかしシャイニンググラスも突っ込んでくる、先頭は余裕のリードで、プレシャスソング、今、ゴールイン!勝ちましたプレシャスソング、ダービー出走ウマ娘の実力を見せつけました!〉
混戦模様となった二着以降を置き去って、2バ身以上のリードでゴールするプレシャスソング。実力に差がある様は、あまりにも分かり易い構図で見せつけられた。
単なる身体能力だけが勝敗を左右するものではない、レース全体を俯瞰し、競走相手が得意とするペースへと持ち込ませないように、集団をコントロールしながらゴールへ向かう手腕もまた重要なのだ。
前へ前へと出ることを意識するだけで精いっぱいなヒシミラクルには、まだ少々難しい分野ではあった。
「だが、これを経験したのなら、いずれは駆け引きを視野に入れることも出来るはずだな……ミラ子も、確かに気づいてただろう。」
末脚で一気に駆け上がってきたシャイニンググラスに次ぎ、ヒシミラクルは三着となっていた。一番避けたいところだった瞬発力勝負の場へ、盤面を最終コーナーの時点で持ち込まれていたといったレース展開であった。
レースが終わってなお敗因が分からぬといった様子ではなく、ヒシミラクルの目にはハッキリと悔恨の色が浮かんでいた。
自力で気づけるならば、上を目指せる。鷹木も悔しさをかみしめつつ、将来への光明は確かに見えていた。