探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 数々の実戦と鍛錬を乗り越え、ついに神戸新聞杯へと出走するヒシミラクル。鷹木トレーナーはミラ子に対しては一着を獲るよう言い続けていたものの、実質、菊花賞への優先出走権を得るために必要な三着以内に入ることが最優先目標であった。今年の皐月賞ウマ娘ノーリーズン、そして今世代最強と目されるシンボリクリスエス。この両名を超越して勝ちを獲ることは、いかに担当トレーナーの熱意をもってしても贔屓目が過ぎたのだ。


乗り遅れてなお道は延びて

 ファインモーションが圧勝劇を披露したローズステークスから、一週間後。

 

 9月22日の阪神レース場、ヒシミラクルと鷹木はいつも以上に熱気の籠った観客たちのどよめきを聞きながら、出走直前の最終チェックを行っていた。

 

 GⅡ、神戸新聞杯に注がれる期待や高揚感は、これまでミラ子が出走してきた条件戦の数々と比べれば、明確に違う。それが今年のクラシック戦線を締めくくる、菊花賞への優先出走権を奪い合う前哨戦ともなればなおさらである。

 

 だが、この出走前の控室にて、今までと明確に空気が変わっている理由は、ヒシミラクルが勝負服を身に纏っていたことをおいて他に無いだろう。

 

 条件戦からオープン戦、GⅢまではゼッケンに体操服の姿での競技となるが、GⅡレース以上はウマ娘ごとに特注の勝負服を纏っての出走となる。即ち、中央トレセンの中でもごく一握りの存在だけが許される振る舞いなのだ。

 

 せっかく作った勝負服に、一度も袖を通すことなく引退していくウマ娘を鷹木も少なからず見てきたが……ヒシミラクルが遂にGⅡの舞台へ届いた実感を前に、ともすれば目頭が熱くなりかけていた。

 

 白と青を基調とした、ふわりと広がるスカートがいかにもミラ子に似合っていた。一方のミラ子は、なにやら猛烈に照れていたが。

 

「まさか勝負服をホントに着て走る日が来るとは……ふつーの感じでいいや、って案を出したんですけど、今さらなんですが派手すぎたりしません?いざ、この恰好で出て行くとなると……」

 

「何も案じることはないねぇ、より華美で過激な勝負服の面々もいるのだから、十分に地味な部類だねぇ。しかし、色合いが実にヒシミラクルくんのイメージに似合っている、完成度の高い勝負服だねぇ!」

 

 更衣スペースから出てきたヒシミラクルに、姿見の前で寄り添っているのはアグネスタキオンである。

 

 今回は彼女も阪神レース場まで同行し、初めて勝負服での出走を行うヒシミラクルにつきっきりとなっていた。

 

 むろんトレセン学園内においても、既に勝負服姿で走る練習は繰り返しており、着用するのが全くの初めてというわけではなかった。が、幾万人もの観客たちの前に、自らをアピールすることを目的とした勝負服姿で出るというのは、明確にこれまでの立ち位置から決別する意思の表れでもあった。

 

 『普通』の中に埋もれているつもりはない、レースの舞台で勝って頂点に立つつもりだ……と、その姿を以て高らかに宣言するも同然の決意であった。

 

 当のヒシミラクル自身は、単なる気恥ずかしさもあってか、鏡に映る自分の姿を前にしてますます喋りが止まらない状態となっていたが。

 

「いやー、あまりにも飾りっけが無さすぎるのも何だかなー、と思って、リボンとか宝石みたいなアクセサリも注文に入れちゃったんですけど……思った以上にキラキラしてますよ、これ。条件戦から上がってきたウマ娘が、いい気になって浮かれちゃってる、って思われませんかねぇ。」

 

「もっとアピールしてもいいぐらいだと思うぞ。今のミラ子はそれだけの実力をつけているんだ。今日のレース、三着以内に入るどころじゃない、本気で一着を狙っていけるんだから、自信をもって走ってこい。」

 

「堂々としたまえ!謙虚が勝利を連れてくるわけではない!かのデジタルくんとて、オタクウマ娘を名乗りながら頭にデカデカと宝石風アクセサリとリボンをつけて走っているんだからねぇ!自信が無ければあんな恰好は出来ないねぇ!」

 

 思わぬ流れ弾が、この場に居ないアグネスデジタルへと飛んだのはさておき、鷹木とタキオンから立て続けに激励の言葉を受け取ったヒシミラクルは徐々に狼狽を落ち着かせていった。

 

 自分自身の両頬を掌で軽く叩き、気恥ずかしさによる赤面は、本番を眼前にした昂揚感による紅潮へと変わっていく。

 

 これまた勝負服に合わせて製作された特注の靴の状態を再度確かめ、控室の出口に立ったヒシミラクルの体躯は、いつもより一回り大きくなったようでもあった。

 

 勝負服を着用したウマ娘は……勝負服を着用するほどの実力を認められたウマ娘は、既に歴史に名を刻まれるスターの片鱗を示しているのだ。

 

「じゃあ、ちょっくら頑張って走ってきます。私が出す本気で、どこまで通用するか楽しみです。」

 

「あぁ、勝ってくるんだ。」

 

 ヒシミラクルの蹄音が廊下を去っていき、地下バ道へと入っていくのを確認して、ようやく鷹木はそれまで忘れていた呼吸を一つ済ませた。

 

 担当ウマ娘を本番レースへと送り出すまでが、トレーナーが直接出来る事の全てである。レースの結果が出るまで気を緩められないとはいえ、大仕事のひと段落には違いない。

 

 またも冷や汗と顔色の悪さが浮かびつつある鷹木を横目に、タキオンが口を開いた。

 

「私が初めて勝負服で出走した時とは、えらく様子が違うじゃないかい、えぇ?そりゃあ、この私という天才ウマ娘ならば、勝利するのが当たり前みたいなところはあるだろうがねぇ。」

 

「タキオン、お前は例外的すぎるんだ。勝つこと以上に、怪我せず帰ってくることのほうが気がかりだったんだから。普通は、ウマ娘を送り出すトレーナーなら、出走の瞬間までメンタル面での揺らぎを見せまいと必死なんだよ。」

 

「ふぅン、では、その普通なヒシミラクルくんについて、このレースでの勝ち目はいかほどなんだい?」

 

 遅れて控室を出たタキオンと鷹木は連れ立って、観戦スタンドの最前列、トレーナー用ブースへと向かう。

 

 タキオンからの問いかけに対し、鷹木は即座の返答を出せなかったが……阪神レース場のターフが見えてくる前に、口を開いた。

 

 この位置からヒシミラクルに聞こえるはずもないのに、それを本番の舞台を前にして喋るのを厭ったかのようであった。

 

「正直、厳しい。シンボリクリスエスやノーリーズンの能力が圧倒的なのは言うまでもないが、他の面々も今年の皐月賞とダービー両方に出ているメガスターダム、さらにローエングリンの妹に当たるリベルタス、と実力者揃いであることは間違いない。」

 

「あぁ、2年前、クラシック級から宝塚記念へと殴り込んだローエングリンくんの妹、だねぇ。ローエングリンくん同様に、先行の位置を得意とするウマ娘だ、先行得意な連中が多いとなると、確かにヒシミラクルくん、不利な条件となってしまいがちかもしれないねぇ。」

 

 8枠に収まったヒシミラクル、そのすぐ隣の9枠にはシンボリクリスエスの大柄な姿があった。

 

 同じレースで競い合うということもあり、しばらく直接会うことのなかったクリスエスは、もはや昨年の身体能力が未完成と評されていた頃の面影など皆無だった。濃緑のジャケットが浅黒い肌に映え、シンボリの冠名に見劣りすることのない堂々たる立ち姿であった。

 

「存在感が違うねぇ、クリスエスくん!このレースどころか、今年のGⅠ戦線を引っぱっていく存在とも見えてしまうほどだねぇ!」

 

「……うん、あれは、勝てない……一着になる気で走れとミラ子には告げたが、どうにかノーリーズンに続く三着には食い込んでくれればいい……。」

 

 言うまでもなく1番人気のシンボリクリスエス、続いて2番人気のノーリーズンは15枠、観客席に近い位置でこちらも大歓声を受けている。

 

 真隣りで比べられてしまうと、漆黒の髪を靡かせるクリスエスとは対照的な芦毛はさておき、さすがに地味すぎる印象となってしまうヒシミラクルだったが……それでも16名中8番人気、ギリギリ半分よりは上の人気度を得てはいたのである。

 

 条件戦クラスから勝ち上がってきたヒシミラクルの実力を認め、彼女の勝利に期待を寄せるファンが一定数以上は居ることの証左であった。

 

〈今年も間もなく、菊花賞への切符を掴む戦いが幕を開けます、神戸新聞杯!まずは前哨戦となるこのレース、やはり注目を浴びるのはシンボリクリスエス、そしてノーリーズンといったところでしょうか。さぁ各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました!ほぼ揃っています、横の態勢崩さずに最初の直線を駆けていきますが、先行争いはまずウチをついてマイソールサウンド、しかし大外からリベルタスが果敢に上がっていきました。リードは2バ身、2番手争いは外を通ってダイタクフラッグ、さらにウチにシルクフェイマスといった形で、まずは1コーナーを回っていきます。〉

 

 条件戦クラスを走っている時は、極力前に出て、先行ウマ娘と競り合う程の位置についていたヒシミラクル。最後の粘りで確実に先頭を抜き去るため、鷹木も今までは序盤から前につくよう指示を出していた。

 

 が、GⅡクラスともなればそう簡単に良い位置はとれない。

 

 ヒシミラクルよりもはるかに優れた瞬発力のウマ娘たちが、あっという間に前方に殺到し、最初のコーナーに差し掛かる前に既に隊形が固まっていた。

 

「大丈夫だ、こうなることは予測通りだ、後ろからになっても焦らず行けばいい、ミラ子!」

 

「無理に先行争いに加わっても、ヒシミラクルくんならばスタミナこそ余裕を残せるとはいえ、不本意な位置に押し込まれてしまいかねないからねぇ。中盤から前へ抜け出せる位置を探る方に集中する策を徹底して、正解だねぇ。」

 

 ヒシミラクルには余所見をしている余裕など無かったろうが、鷹木は前を駆け抜けていく彼女へ向けて大きく両手で丸を作りながら叫びを掛けていた。

 

 スタミナの心配をする必要が薄い彼女にとっては、位置取りの駆け引きに長けた面々の中から上手く抜け出す観察眼の方がより重要となる。走りに余裕が残せるのならば、道を切り開ける確率も高まるだろう。

 

 ……ただ、集団に囲まれながらも綺麗に中団外側の位置につけたシンボリクリスエスの背を、越えていくことは出来ないだろうと早くも予測された。

 

〈1番人気シンボリクリスエスは中団の後ろに追走しています、各ウマ娘これから第2コーナーから向こう正面へと入っていきます。リベルタス変わらず先頭で2バ身のリード、続く2番手はウチにシルクフェイマス、並んでダイタクフラッグ。さらに外を突いてシンデレラボーイが4番手の位置に上がってまいりました、1バ身差がついてウチにマイソールサウンド、その外にタイガーカフェ、さらに2バ身差で並んで外をキーボランチ、そのインコースにシンボリクリスエスが追走しています。〉

 

 実況アナウンサーが読み上げる中にも、シンボリクリスエスの名の登場頻度が必然的に多くなっている。

 

 その体格や、走る姿そのものが並みならぬ強さを示しているクリスエスは、さらに堅実な作戦を実行する律義さも備え、どんな素人目からも勝利に最も近いウマ娘であることは一目瞭然であった。

 

「中団の位置から敢えて外を回らず、ウチを突いて着実に余力を残す作戦のようだねぇ。外からでもウチからでも前へ出られるという確信があればこそ、出来る走りだねぇ……あれは、シニア級GⅠですら脅かす実力だねぇ。」

 

「同期が相手のクラシック級なら、十分に勝算がある、ってところか。ミラ子は……そろそろ前に上がっていきたいが、牽制されてしまっているか……!」

 

 向こう正面を進んで残り1000m、条件戦クラスならこの時点で前へと迫っていき、最終コーナーを回っていく頃には先頭に並ぶあたりまであがっていたヒシミラクル。

 

 しかし、GⅡレースはそもそものペースが違う。どうしても瞬発力では劣ってしまうヒシミラクルがじんわりと上がっていこうとしても、前や横に並び続けているウマ娘たちが位置取りをキープし続け、道が開けない。

 

 ならば大きく外に出して、強引に駆けあがる……という選択は、辛うじてミラ子も採らなかった。

 

 その策自体、もとより身軽なウマ娘のほうに分がある。一部の強敵だけではない、このレースに参戦している全員のレベルの高さから、ヒシミラクルにとって慣れない状況で無茶をするほど結果が遠ざかることは肌で感じ取っていたのだ。

 

〈中団ウチにメガスターダム、そのすぐ外をレニングラードが追走して、さらに外から上がって来たのはナムラサンクス!ぐんぐんと前へ迫っていきますナムラサンクス、そして後方集団は2バ身差、テイエムマズルカ、さらに1バ身開いて、ここにノーリーズンがいます。その後、外を突いたヒシミラクル、インコースからオペラカスタム、そして最後方はマイネルプレーリーといった展開で、既に3コーナーを回っていきます、600の標識を過ぎました!〉

 

 今まさに大外にコースを取って駆けあがっていったナムラサンクスも、ヒシミラクル同様に昨年の夏から幾度も挑戦を続け、何度も勝ちきれないレースを繰り返したうえで遂にGⅡの舞台に届いたウマ娘である。今回は11番人気であったが、ここでさらなる高みを目指さんとする気迫は走りにこもっていた。

 

 一方、ヒシミラクルは辛うじてノーリーズンのすぐ背後につけていた。今回もまたダービーの時と同様に、ノーリーズンは差しの作戦で走っていたのだ。

 

「悪くはない判断だねぇ、レベルの高い駆け引きで判断をしくじってしまうよりも、作戦が比較的読みやすい相手の背を頼みに走るというのは。」

 

「あぁ、だが、ノーリーズンの加速は明確にヒシミラクルよりも上だ。同じペースで進んでいたら、確実に引き離されてしまうぞ、ミラ子……!」

 

 夏前にノーリーズンと併走した時には、それなりに良い勝負をしていたヒシミラクル。

 

 とはいえ、その際は他に走っているウマ娘集団もいない条件ではあった。その当時はヒシミラクルが競走相手になるとは想定していなかっただろうノーリーズンも、よもや自らの手の内を全て明かすような真似はしていないだろう。

 

 しかし今、自分の観察眼では読み切れない状況の中で、ヒシミラクルが唯一頼りに出来るのはノーリーズンの背中であることも間違いなかった。

 

〈先頭はリベルタスだが、徐々にリードが無くなって外を突いたシンデレラボーイ並んできた、さらに大外回ってナムラサンクスも上がってきた!さらにその後はレニングラード、集団の中にまだシンボリクリスエスは収まっている、果たして抜け出せるのか!かなり密集した隊形のまま、第4コーナー出口へ!さぁ直線の差し比べとなりました、横に広がった中からシンボリクリスエスだ!シンボリクリスエスが抜け出した!これは速い!誰も追いつけない!〉

 

 ゴールまで、残り350m以上はあったが……4コーナーを抜けた時点で、もう一着のウマ娘は決まったも同然であった。

 

 他のウマ娘とはいる世界が違う存在であるかのように、シンボリクリスエスはあっけなく後続集団を置き去って、完全に独走態勢に入っていた。観客席の全員が、その走りに視線を惹かれていたのは言うまでもない。

 

 ヒシミラクルの走りから目を逸らしていない鷹木とタキオンも、一瞬ながらクリスエスに視線を奪われたほどであった。

 

「クリスエスくん、キミは……天皇賞に来るのだろうねぇ、ジャパンカップにも、有馬記念にも。もはや、そうならない未来が想像できない。なんと強いウマ娘が居たものだ、ねぇ……。」

 

「次元が違いすぎる、クリスエスは……い、いや、そこは想定内だ、ヒシミラクル、三着以内に入ればいい!ちょっと外に振られ過ぎているが、そこからなら邪魔されず駆け上がれる!行け!」

 

 混戦状態となった中団、ごく鮮やかな脚さばきで中から抜け出したクリスエスとは別に、ノーリーズンは大外に持ち出す形で確実に前へ出るコースをとっていた。

 

 ノーリーズンもまた、クリスエスの実力を前に一着は捨てざるを得ないと判断するしかなかったのだろう。多少、距離上の不利を受けても、確実に2番手の位置を捉える選択であった。

 

 トレーナーと共に策士たるノーリーズンにとっては、ある種うってつけの局面でもあった。

 

(皆がクリスエスに集中しているおかげで、ワシはノーマークのまま抜け出す事が出来た……しかし、すまんのうミラ子!おぬしにはちと不利なコース取りじゃ!)

 

 ノーリーズンの背を追っていたヒシミラクルも同じく外を回るコースを通って直線へと入っていた。

 

 この時点で十分な加速が出来ているならばいざ知らず、ノーリーズンよりも更に後ろ、追い込みの位置から駆け上がっていかなければならない。

 

 条件戦でも、この状況になってから勝てたことは無い。

 

 が、ヒシミラクルは奮起した。

 

(トレーナーさんも、タキオンさんも、これまで一緒に練習してくれた皆も……私がここまで来る後押しをしてくれたんです。それに、せっかくの勝負服、このレースが最初で最後って……嫌だし!)

 

 ノーリーズンの背は遠ざかる一方であったが、いつも通りに潤沢に残ったスタミナを贅沢に燃やしながら、ヒシミラクルは大外を猛然と駆けあがっていく。

 

 鮮やかにリードを広げていくシンボリクリスエスから、観客たちがコース外側へと視線を向けるのに十分な熱戦が、そこにはあった。

 

〈シンボリクリスエス、これはセーフティーリードか!余裕の先頭だ!外からはナムラサンクスも伸びているが、大外からノーリーズン!ノーリーズンだ、なんとか先頭のシンボリクリスエスに続いて駆け上がっていく!ノーリーズンが2番手、ナムラサンクスが3番手!しかし先頭は、やはり強かった、シンボリクリスエスだゴールイン!2バ身半のリードだ、続くノーリーズンも後方に2バ身の差をつけて、三着となりましたのはナムラサンクスです!〉

 

 阪神レース場の熱狂は収まる所を知らなかった。

 

 圧倒的な強さを見せつけたシンボリクリスエス、相応の実力でそれに迫っていったノーリーズンの力走もさることながら、11番人気だったナムラサンクスが三着に食い込んだのだから。

 

 四着だったレニングラードは、すぐ後ろのメガスターダムに対する進路妨害によって降着処分となっていたが、少し離れて走っていたヒシミラクルには影響がなかった。

 

 ヒシミラクル、六着。菊花賞への優先出走権は、得られなかった。

 

「まぁ、厳しいかもしれないが、妥当な結果だとは思うねぇ。ノーリーズンくんの背を追い続けたおかげで、あそこまで上がって行けたのだからむしろ上々の首尾じゃないかねぇ。自力で前へと出られるコースを見つけるに越したことはないが、自分の実力に見合った作戦をヒシミラクルくんは判断出来たといったところだろう。」

 

「……。」

 

 降り注ぐ大歓声を受けて手を振っているシンボリクリスエスに拍手を送りつつ、アグネスタキオンは淡々と語っている。

 

 一方で、その傍らに居る鷹木は項垂れたまま、微動だにせぬ様相であった。

 

 彼の心の中にあるのは、後悔や反省ではない。まだ、道が断たれたわけではないのだ。菊花賞へと出走するためにここまで練習してきた、ヒシミラクルの身体能力なら十分に戦える。

 

 現に、今まさに結果が表示された掲示板の中、ヒシミラクルは上がりハロンが全体の三位となっていた。ノーリーズン、シンボリクリスエスに次ぐ加速を見せつけていたのだ。

 

「菊花賞出走の抽選に応募する。追加登録についても、学園に掛け合う。ミラ子は、後戻りしなければならないウマ娘じゃない。」

 

「ほう、久々に熱いところを見せてくれたねぇ、トレーナーくん。そうだろうとも、ここで条件戦クラスに逆戻りしていては、ファインくんと有馬で走る約束も叶わないだろうからねぇ。」

 

 ごく稀にしか見せない、鷹木の強気かつ意地に満ちた目つきを前にしても、タキオンは驚かずに頷くのみであった。

 

 それに何よりも、ヒシミラクル自身がくじけるには程遠い状態であった。ゴールラインを越えて減速し終え、ノーリーズンから何かと話しかけられて談笑しているヒシミラクル。

 

 彼女が何を語っているのか、トレーナーの居場所からは聞こえようはずもなかったが、その表情に諦めの色はまるで浮かんでいなかった。

 

 控室に帰って来てまもなく、諦め悪い部分を隠さず即座に露呈させたのは、いかにもヒシミラクルらしかった。

 

「ごめんなさい!トレーナーさん……三着に入れなかったけれど、菊花賞、行かせてほしいです!勝てずに帰って来てすぐ、こんなお願いだなんて、ふてぶてしい、って感じですけど……!」

 

「分かってる。残りの出走枠にかけて、抽選を待つ他にない。俺はどっちにしろ、菊花賞へヒシミラクルを出走させるつもりだった。」

 

 即答した鷹木の前で、しばしヒシミラクルは固まる。

 

 先ほどのお願いにもさほど悲壮感が浮かんでいなかったのと同じく、そこで申し訳なさが出てこないのもヒシミラクルらしさであった。

 

「えっ……さ、先に言ってくださいよぉ……さっきのお願い、どんな顔して言えばいいかって、控室に戻るまでずっと悩み続けたのが損じゃないですかぁ。」

 

「たかだか数分の損だねぇ。まぁ、あとは文字通りに運任せだ、抽選に通らなければ出走枠は得られない。せいぜい無駄になるかもしれない菊花賞想定の練習に汗を流す日々を送りたまえ。」

 

「たっ、タキオン先輩、応援してるんだかしてないんだか、どっちなんですか……。」

 

 タキオンからのからかいを前に、ヒシミラクルは割と余裕ある反応を返している。

 

 ヒシミラクルが申し訳なさそうな表情を浮かべているところはあまり見たくない、と思っていた鷹木ではあったが、これほどまでにいつも通りの反応が返ってくると、安堵とともに自分自身の精神面も平常へと戻っていくのを感じていた。

 

 そして……追加出走登録の手続きのため、トレセン学園のお偉方を相手に煩雑なやり取りをしなければならない手間を考え、安堵に困窮の混じったため息を吐いたのであった。

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