探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 新年度早々から騒動を巻き起こしたウマ娘、アグネスタキオンを担当することが決まった日の夜。不安と不穏を抱いて眠ったためか、鷹木は実にせわしなく、そして不気味な夢を見ることになる。彼の心の軸となっているウマ娘、かつて担当していたテイエムオペラオーが歌い踊る中、これから担当すべきタキオンの存在は実に掴みづらいものであった。


目覚ましに黄昏の夢を

 鷹木はトレセン学園の校舎、廊下を足早に駆け抜けながら、オペラオーを探し続けていた。

 

 彼女が学友たちと歓談していると思しき教室、壁一面に大きな鏡が設置されたダンススタジオ、ライバルウマ娘の練習に勝手に付き合っている可能性があるトレーニングルーム、あらゆる場所を鷹木は探したが、テイエムオペラオーの姿はない。

 

「また、トレーニングの時間になったというのに、来ない……どこにいるんだ、オペラオー!」

 

 そうやって大声で呼ばわりながらオロオロと走り回る鷹木の姿を見ても、周囲を通り抜けていくウマ娘たちは何も反応せず、鷹木など最初から存在しないかのように振舞い続けている。

 

 理性の部分では、鷹木も気づいていた。自分の担当ウマ娘はテイエムオペラオーではない、彼女はすでに引退したのだ。

 

 現状の自分の担当ウマ娘は……たしか……。

 

「オペラオー!練習の時間がだいぶ過ぎてしまっているぞ、どこだ!」

 

 それでも、鷹木はそう叫び、オペラオーの姿を探し求めることを止められなかった。実際にオペラオーの担当をしていた頃、夜寝るたびに幾度も見続けていた夢の内容は、今も全く変わることがない。

 

 やがて、数多のウマ娘たちでごった返す学舎の廊下の向こう、あの特徴的な栗毛の髪が見えた気がした鷹木は、そちらの方向へ混雑の中を進んでいく。

 

 抜け出した先、鷹木は知らぬ間にレース場に居た。

 

 今まさに本番の真っただ中、全力を振り絞って最終直線を駆け抜けてくるオペラオーの姿が視界に入る。

 

 あまりに唐突に場面が変わったことへの疑問は吹き飛び、鷹木もまた彼女の全力に応えるようにありったけの声で叫ぶ。

 

「行けぇっ!オペラオー!勝てる!そのまま行け!!」

 

 オペラオーは集団の中に半ば埋もれ、横並びに数名の対決相手を引き連れたまま、ゴールへと向かっていく。

 

 彼女はいつも、競り合って走り続けていた。数バ身も突き放しての圧勝ではない、ほとんど並ばれた状態での僅差で勝ち続けていたのだ。未踏のグランドスラム、年間無敗を成し遂げた世紀末覇王は、圧倒的な能力によってではなく、努力と機に応じた判断で勝ちを掴みに行っていた。

 

 幾度も彼女のレース映像を見返していた鷹木にも分かり切っていたことだが、それでもテイエムオペラオーの能力を理解し、彼女を支えるトレーナーとなるには、自分自身の経験不足があまりにももどかしかった。

 

 自分がきちんとオペラオーの支えとなれていれば、引退を決定づけたあの有馬記念での敗北時、疲労蓄積による骨折には至らずにすんだのではないか……これもまた、鷹木の中で幾度も繰り返した、答えのない自問であった。

 

 いや、有馬記念じゃない、オペラオーはジャパンカップで引退したんだった。なぜ、有馬記念で引退したなどと、間違った記憶が自分の頭の中にあるんだろう?

 

「問題ない、勝てるはずだぞ、オペラオー!集団を抜け出すのに無駄な足取りはなかった、後ろから追い込んでくる相手も……」

 

 そこまで言いかけて、鷹木は対決相手のウマ娘たちを注視しても、その相手が何者であるかを判別できないことに気づく。

 

 オペラオーに視線を集中させていた時は、まだ様々に色とりどりな勝負服が彼女を取り囲んだ様が視野の端々にあったのだが、対決相手のウマ娘たちの方を注視しようとすればするほど、その姿は黒い靄のように曖昧となり、存在感自体があやふやとなるのだ。

 

 あらためて視線をオペラオーに戻せば、まるで幾度も見返しつづけてきたレース映像そのもののように、何ら違和感のない光景が戻ってくる。

 

 奇妙な感覚に戸惑う鷹木の前で、正体不明なライバルたちに囲まれたまま、オペラオーがゴール板の前を駆け抜けた。

 

 ハタと気づけば、目の前はウイニングライブのステージである。

 

 相変わらず詳細な容姿を視認できないウマ娘たちに囲まれ、センターで歌い踊っているのはテイエムオペラオー。どうやら無事に勝利した後のようだ。

 

 しかし、異状は鷹木の周りにも広がっていた。無名のレースであってもそれなり以上に、GⅠレース後のライブともなれば数万人単位で観客たちが集まっているはずが、この場では誰一人として姿が無いのである。

 

「あれ……?なんでだ、さっきのレース中は、あれだけ大勢の観客が居たのに……。」

 

 広々とした観客席のど真ん中、ポツンと一人きりで座っている鷹木は左右を見回すも、やはり自分以外には観客がいない。

 

 今さらながら、ここがどこのレース場なのかも判別できなかった。

 

 これまでウマ娘レースに関わって来た鷹木なら、よほどマイナーなレース場でさえなければおよそ内部を見渡すだけで分かるはずだったが、ここにあるのは自分の知るレース場の様々な要素が混ざったかのような光景であった。

 

 時には10万人以上も詰めかける大観戦席が、ガランとしている様は余りにも不気味であった。ステージ上に集まった姿の分からぬウマ娘たちからも、詳細な振る舞いは視認できないままに当惑のような雰囲気が伝わってくる。

 

 しかし、こんな状況でもお構いなしに歌い続けているのが、オペラオーだった。

 

「好敵手との競べ合いこそは 大いなる三女神の栄え

 おお、めでたきかな、共に走り、共に謳うこの舞台

  ターフに喝采を齎すは このオペラオーなり

    されば讃うべし、ウマ娘の道

    讃えに讃えん、世に弘めん

   その名はオペラオー、凱旋の覇王!    」

 

 伴奏となる音楽もなく、ウイニングライブで予定されていた演目の何を歌うはずだったのか、もはや見当もつかない。

 

 おそらく、オペラオーはいつも通りに自作の……あるいは、彼女が嗜むオペラの一節から借りてきたフレーズを、独自の節とともに歌い上げているのだろう。彼女を取り囲む他のウマ娘の影たちが、それに合わせることもできず困惑しているのも無理はない。

 

 予想外の状況に呆然としていたのは鷹木も同様であったが、彼はすぐにトレーナーとして自分に出来ることを行動へ移さねば、と思い立った。

 

 ウマ娘にとって本番の舞台はレースそのもののみならず、レース終了後のウイニングライブも同様である。そのライブ中に音楽も流れず、観客も居ないというのは明らかな異常だった。

 

「もしも、観客の誘導でミスがあったのなら、文句を言いに行かなければ。せっかくの、ウマ娘にとっての晴れ舞台だというのに。」

 

 舞台をセッティングするスタッフの不手際があったのなら、ウマ娘の担当トレーナーである自分が真っ先に事情を確認しに行かなければならない。

 

 そう考えて立ち上がった鷹木の視線の先、観客席の隅に、初めてオペラオー以外で明確に視認できるウマ娘の姿があった。

 

 丈の長い白衣に身を包んではいたが、その手には色とりどりの絵具を乗せたパレットを持っていた。彼女の振る舞いを不審に感じた鷹木は、そのウマ娘の方へ近づいていって問いかける。

 

「君は、何をしているんだ?なぜ、レース場に絵の具を持ち込んでいるんだ。」

 

「おや、見て分からないかい?これだけの大舞台で、観客が居ないというのはおかしい。だから、私が描き足しているのさ、ほら。」

 

 その白衣のウマ娘が指さした先には、観戦席の座面に描かれた稚拙な絵があった。

 

 肌色の円の中に、口や目と思しき図形が描き込まれ、その下に胴体や手足であろう棒が繋がっているため、辛うじて人を象ったのだと分かる程度の絵……いわば、幼児が描くような、棒人間めいた絵に過ぎなかったが。

 

 鷹木からの質問に答えながらも白衣のウマ娘はせっせと絵筆を動かし、観客の絵を描いては隣の座面へと移り、また描き始めるという作業を繰り返していた。

 

「こんな落書きを、いつまで続けるつもりなんだ?」

 

「決まっているじゃないか、この観客席が全て埋まるまで、さ。これだけ大きなレースのウイニングライブなんだ、本来、客席は満員でなければおかしいのだからね。」

 

 落書き同然の絵を観戦席の座面に描き込みながらも、白衣のウマ娘はごく真面目な表情で答えた。

 

 鷹木は、彼女のことを知っているはずだった。本来、こんな真面目な顔つきを見せることはなく、奇天烈な言動やニヤニヤとした笑顔ばかりを示すウマ娘だったような気がしたが、自分の記憶のどこからそんな内容が掘り起こされたのか分からない。

 

 それにしても、気の遠くなるような作業であった。白衣のウマ娘は、ようやく3枚目の観客の絵を描き終えたところである。この作業を、総数10万近い座席に対して行うつもりなのだろうか。

 

「観客の絵を描くだけで何になるのかは知らないが、一緒に作業を進める仲間を集めてからの方がいいんじゃないのか。」

 

「そんな仲間は居ないんだ、この異常な状況に気付いているのは私だけなのだから。私がやらなければ、いけないんだ。」

 

 異常であることについては自分も気づいている、と言いかけた鷹木は、しかしどのように対処すべきかが分かっていないことには違いないと考え、口を噤んだ。

 

 それにしても、この白衣のウマ娘のことを、自分は知っているはずなのに、名前があと少しのところで出てこない。

 

「君にだってトレセン学園には、大勢の級友がいるはずだろう、えぇと……。」

 

 トレーナーとして、決して忘れてはいけないはずの名前、だが思い出そうとするたびに、先ほどから朗々と響き渡っているオペラオーの歌声に思考が遮られる。

 

 袖も裾も長すぎる白衣の方へ手を伸ばし、彼女自身へと名を聞き出そうと鷹木は口を開きかける。

 

 が、すぐ背後から聞こえたのはほかならぬオペラオーの声であった。

 

「彼女の名前はアグネスタキオンだよ。」

 

「えっ、ど、どうやって……。」

 

 つい先ほどまで舞台の上で歌い踊っていたオペラオーが、自分の真後ろに居る。

 

 いや、鷹木の居る場所自体が既に変わっていた。

 

 骨折によって引退した後のオペラオーが、入院している病室である。鷹木はオペラオーの病床に背を向け、白衣姿のウマ娘の方へ手を伸ばしていた。

 

 鷹木は振り返ることが出来なかった。背後で聞こえたのは間違いなくテイエムオペラオーの声だったのだが、あまりにも暗く沈んだ声音であった。彼女が実際にトレーナーへ聞かせることなど、決して無いはずの暗さであった。

 

 白衣のウマ娘……アグネスタキオンは、もはや描く対象を失った絵筆とパレットを取り落とし、頭を抱えていた。こちらもまた、最初に会った時の印象とは真逆の、悲痛な声を漏らしている。

 

「いけない、ここは違うんだ、特異点じゃないんだ。私を戻してくれ覇王、かの歴史が歪むほどの、熱狂のうねりの只中へ。」

 

 タキオンの薄い肩の骨が、白衣の奥から透けて見えるかのごとく、心細そうな背中であった。

 

 それでも、鷹木は自分に何が出来るのか全く分からなかった。先ほどから周囲の光景はコロコロと変わるし、レースとウイニングライブの達成以外に、トレーナーたる自分がどんな助力が出来るのか、さっぱり思い当たらない。

 

 所以の分からぬ不安に押しつぶされそうになりながら蹲っているタキオン。彼女の背を暫し呆然と眺めている鷹木の背後で、ベッドがギシッと軋む音を立てた。

 

 ようやく振り返った鷹木は、オペラオーがベッドから足を下ろし、こちらへ歩いてくるため立とうとしている様を見た。骨折した脚はまだ治っていないはずなのに、それでも立とうとしている。

 

 オペラオーの目は真っすぐにこちらを見つめていた。怖いほどに真剣な目つきであった。

 

「鷹木、キミはアグネスタキオンを支えなければならない。」

 

「ちょ、ちょっと待て、オペラオー、まだ立っては……」

 

 鷹木は慌てて立ち上がり、オペラオー自身の言葉とは裏腹にタキオンから遠ざかり、骨折した脚のままに立とうとしているオペラオーの身体を支えに行こうと歩み寄る。

 

 だが、オペラオーのもとにはたどり着けず、すぐ何かに足を取られたような感覚と共に、鷹木は倒れ伏した。

 

 ドスン、と盛大な音を立てつつ顔面を床に強打して、細かな埃が目の前を舞う。

 

 部屋の中、鷹木は一人きりであった。

 

 ベッドの脇に倒れているという状況に変わりはなかったが、そこで初めて鷹木は自分の居るのがトレーナー寮の寝室であり、ベッドから転げ落ちたことで夢から目を覚ましたのだと気づいた。

 

 時刻はまだ日の出直前の頃であったが、トレセン学園への物資搬入のトラックのエンジン音が既に響いている。

 

 寝坊したわけではないことに小さく感謝しつつ、寝間着から着替えようとした鷹木は自分の全身が汗でぐっしょり濡れていることに気づいた。ついでに、動悸も激しく脈打っている。

 

「……悪夢、と言うのも大袈裟かもしれないが……嫌に緊張する夢を見たのには違いないな。」

 

 徐々に先ほど見た奇妙な夢の内容が薄れていく寝起きの感覚と共に、軽くシャワーを浴び、食事を済ませて歯を磨いている時、自分の舌が未だに薄っすら蛍光色に染まっている様に気づき、ようやく鷹木は思い出した。

 

 入学式から2日目だというのにあまりの問題行動のため、早々と鷹木が専属で担当することの決まったアグネスタキオン。

 

 昨日は、そんな彼女が作った謎めいた液体を飲むようにせがまれたのであった。

 

「あれのせい、か?いや、流石に夢の内容にまで影響するほどの効果があるとは、思えないが……。」

 

 栄養ドリンクと舌に色素が付くキャンディの成分を混ぜただけと説明されても、さすがに鷹木も即断することは出来なかった。が、トレーナーが飲まないのならば自分が飲んで試す、とタキオンが言い出したため、慌てて鷹木はそれを受け取って飲み干したのであった。

 

 入学早々、妙なものを飲ませて担当ウマ娘に体調を崩されるわけにはいかない。

 

 受け取るだけ受け取って、その謎めいた薬品を捨てるという選択肢もあったことに鷹木が気づいたのは、しばらく後の事であった。

 

「そもそも、何を目的として調合した液体なのか、それすら聞いていなかった。アグネスタキオンに会ったら、問い質さなければ。」

 

 トレーナー用のスーツに着替え、すっかり意識が現実味で占められた時、鷹木の中には新たに懸念が浮かび上がってくる。

 

 既に、初日から授業の教室にも姿を見せなかったという話がタキオンに関しては上がってきている。トレーニング用の練習場にも、何事も無く来るかどうか、甚だ疑わしいウマ娘であった。

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