秋川理事長や駿川たづなからの紹介を受け、異常現象について知っていることを聞き出すためアグネスタキオンのもとを訪れたスペシャルウィーク。
大舞台レースが開催されるたび、解説者として実況席の一角を占めることが常となっていたスペシャルウィークにとって、昨今のウマ娘レースにまつわる異変は前々から認識するところとなっていたらしい。
「妙に歓声が小さく聞こえる、ってだけじゃないよね。最近は目立たなくなったけれど、前年度レースと全く同じ出走者が揃って、レース展開や結果まで前回とまったく同じになる、ってこともあったよね。」
「あぁ、やはりスペシャルウィーク先輩も気づいていたのだねぇ。何故か世間では気づかれて騒がれることもなく、データベース上でも確認できないが、その異変もまた確実に発生していたねぇ。」
自分がずっと探求の対象にしてきた内容について、語ることが出来るのはタキオンにとっても嬉しいことではあったろう。
しかし目の前にいる相手がつき合い慣れた同期や後輩ではなく、黄金世代を牽引した大先輩であるとなれば、さすがのタキオンも声色に若干の緊張が滲んでいた。覇王世代のウマ娘たちを仰ぎ見る世代のタキオンにとっては、更に上に居る黄金世代はもはや神格化されていると称しても差し支えなかった。
当のスペシャルウィークにとっては、そのように堅苦しい関係性を意識されるのは望む所ではなかったようだが。
「あ、タキオンちゃん、私のことは『スペちゃん』でいいよ。せっかく会えたんだから、もっとくだけた感じで喋ろうよ。」
「そ……そう……かねぇ、で、では、す、スペ……ちゃ……」
「スペ先輩、そりゃ酷な話じゃねェか?アンタが現役中に打ち立てた功績、どんだけ今の現役ウマ娘から拝まれて敬われてると思ってンだ。」
口を挟んだのは、エアシャカールである。先ほどから緊張気味のタキオンを横目に、パソコンのキーボードをカタカタと叩いていたシャカールであったが、流石にぎこちなさすぎるやり取りには言葉を差しはさまずにはいられなかったらしい。
笑みと共に後頭部を掻きながらもちょっと残念そうなスペシャルウィークの前で、タキオンはシャカールの用いた呼称に倣うことを決め、会話は続行された。
「スペ先輩、私が語れる内容はいずれも立証しようのない、憶測に過ぎないものだということは先に伝えさせてもらって良いかねぇ。何せ、この現実世界で実際に起きてしまった出来事を“間違い”だの“異常”だのと断定できる判断材料など、本質的にあり得ないのだからねぇ。……っと、少々回りくどい表現になってしまっただろうか。」
「うぅん、分かるよ。だから私たちは、ちょっと変だなって思うことがあっても、気のせいってことにして済ませるのが普通だもんね。」
「その通りだねぇ、異変を感じ取るのはあくまで我々の主観だねぇ。先ほど言及された、前年度レースと全く同じ展開が発生する異変についても、データベースに残っているはずの記録が消滅しているために客観的事実として認識することは困難だったねぇ。だが、今回のジャパンカップに関しては明確な記録を残せているねぇ。」
言いながら、タキオンはシャカールの方を振り返る。
エアシャカールがずっと続けていたパソコンでの作業は、昨日のジャパンカップ中継を記録した映像からノイズを除去するプロセスである。ネット配信の映像はクリアに録画できているが、古いポータブルテレビで受信した内容は後半がノイズまみれになって見づらくなっていた。
既に、ネット配信された実際のレース展開と異なる内容が、古いテレビには受信されていたことが確認できているが……完全にノイズに埋もれて見えなくなるレース最終局面についても、出来る限り内容を確認しようと編集作業を続けていたのである。
「映像の弄れる部分は触り終えたぜ、これ以上ノイズに対処したら、ほぼピンボケ映像になるか、AIが補完した映像になッちまうから検証には使えねェ。ま、最終直線、残り200m手前あたりまでが限度だな、どーにか確認できンのは。」
「若干ながら視認できる内容は増えたかねぇ、ありがとうシャカール先輩。見てくれたまえスペ先輩、昨日のレース展開は現地で目の当たりにしただろうし、ネット配信された映像アーカイブに実際のレース展開と食い違う内容は無い。が、こちらの古びたポータブルテレビの映像は実際の内容と異なるねぇ。」
「……ホントだ、シャカールちゃんが走ってるコース取り、私が現地で見たのと違う……あのまま内側に入っちゃったら、もう前に抜け出せないよね。」
先ほどまでは若干ゆるい口調で喋っていたスペシャルウィークだったが、レース映像を目にした途端に表情が締まる。
ノイズ除去の処理が施されてなお、その映像はシャカールが言った通り最終直線に入って間もなく視認困難な状態となっていたが、最終コーナーでのコース取りを見ただけでそこから先の展開を予測することはスペシャルウィークにとって難しいことではなかった。
完全に抜け出せる隙間もない、コース内側に閉じ込められたエアシャカールの姿がノイズまみれの映像には映っている。
だが現実には、昨日のジャパンカップではシャカールは早めに大外を回って集団を抜け出し、追い上げてくるファルブラヴやシンボリクリスエスに迫られながらも遂に勝利したのだ。
「私は“可能性世界”という仮説を以前から提唱しているねぇ。簡単に言えば、この現実世界とは別世界にて、既にウマ娘が辿る将来の可能性が定められているという仮説だ。レース展開や勝敗、時には引退という未来まで、決まってしまっているのではないか、という考え方だねぇ。」
「そんな考え方、ロジカルじゃねェ、って俺は言い続けてンだがな。ウマ娘レースの勝敗だなんて、決まってるはずがねェ、誰も予め知るはずがねェ。……けど、こンな映像記録が残っちまったら、他に説明は思いつかねェ。ついでに、Parcaeも気味悪ィぐらい、この映像と予測内容を一致させやがったしな。」
「スペ先輩に説明しておくと、Parcaeというのは、シャカール先輩が組んだレース予測プログラムだねぇ。今回のジャパンカップでは、シャカール先輩は予測を超えて勝利したが、Parcaeの予測によれば十二着……だったかねぇ?」
「アー、そうだったな。自分が組んだシミュレーターに舐められたもンだと思ったが、昨日の4コーナー手前で判断ミスッてたら、現実になってたッてわけだ。」
タキオンとシャカールが交互に語るのを聞きながら、スペシャルウィークは真剣な眼差しで画面をじっと見つめている。
古いポータブルテレビの画面を直接撮影した映像を取り込み、さらにノイズ除去処理を可能な限り施した動画は非常に見づらいものとなっていたが……スペシャルウィークは、辛うじてノイズの海に埋め尽くされる直前の画面を凝視していた。
彼女が何度も繰り返して動画の同じ箇所を再生している様子を見て、タキオンが尋ねる。
「レース終盤は、流石に映像処理も限度ゆえに内容確認は出来ないが……何か気づいたのかい、スペ先輩?」
「なんか……映像が完全にノイズにのまれる直前、走っている子たちの数が減ったみたいな気がして。ネオユニヴァースちゃんとか、金髪だからノイズの中でも目立ってるのに、ほら、ここ、パッって消えてる。」
「アー、まぁ、ノイズ除去処理した結果じゃねェか?あんまり明るすぎる色味だと、映像処理ソフトがノイズと誤認して消しちまってる可能性はある。」
「カフェも、こちらは全身真っ黒だからかもしれないが、同様のフレームで姿が消されてしまってるねぇ。」
どうにかその場で思いつく理屈を口にしつつも、タキオンとシャカールは背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
ネオユニヴァースと、マンハッタンカフェは、事前にタキオンが確認を入れた通り、Parcaeの予測に入れるとエラーを吐いた4名のウマ娘に含まれている。
古いポータブルテレビでジャパンカップ前日に視聴したテレビ番組にて、出走ウマ娘であるはずなのに名を挙げられなかったのは、アドマイヤベガ、ゼンノロブロイ、ネオユニヴァース、そしてマンハッタンカフェ。
この4名が例外なく、ノイズまみれの映像のなかで同時に消えていたとしたら、ますます不気味な一致が補強されてしまうことになるが……ここで敢えて確認しようとする気は起きなかった。
スペシャルウィークは画面から目を逸らしていなかったが、しかし今は、普段なら探求心に溢れるアグネスタキオンの胸中ですらも気味悪さが占めつつあった。
「これ以上映像を進めたら、完全に何が映ってるのか分からなくなっちゃうなぁ。画面がブレて、皆の脚が4本に増えてるみたいに見えちゃってるね。色味もおかしくなって、全身が茶色っぽくなって見えるし……」
「そ、そろそろ、映像を確認するのは止めにしようかねぇ?ノイズがチラつく画面をあんまり凝視していると、視力にも悪影響を及ぼしかねないからねぇ?」
「だな、スペ先輩はただでさえ、これから先もウマ娘レースを見続けるのが仕事なンだ。」
映像の最もノイズが酷い箇所、完全にウマ娘たちの姿が崩れて歪んで見える画面自体、見ていると故知れぬ不安に襲われるものだった。
先ほどから急激に増幅しつつある気味悪さを感じているのはタキオンのみならずシャカールも同様だったのか、彼女はパタンとノートPCを閉じる。普段から愛用しているPCを雑に扱うことは皆無なシャカールであったが、この時ばかりは所作に焦りがあらわれていた。
シャカール共々、完全に表情が固まっているタキオンに対し、スペシャルウィークは告げる。
「タキオンちゃん、シャカールちゃん、今の映像データ、コピーしてもらってもいいかな?メモリカード持ってるから、これに入れてもらえると嬉しいんだけど。」
「あ、あぁ、それは勿論……あ、しかし、今の映像をいきなり世間一般に流出させるのは止してもらいたいねぇ!無用な混乱や不安を蔓延させ、あるいはせっかくシャカール先輩が勝利を飾ったジャパンカップに要らぬ不信の種を撒きかねないからねぇ。」
「大丈夫、そんなことしないよ。私と、信頼できる相手だけでしか見ないから。ただ、ウマ娘レースを全力で応援したい立場として、今起きていることをきちんと知っておきたいだけ。」
「まァ、世間に流したところで、現代ならフェイク映像だろッて判断されるだけかもしれねェが……。」
シャカールは、スペシャルウィークの手からメモリカードを受け取ってデータコピーの手順を進めている。
さきほどまで画面を凝視していたスペシャルウィークだったが、画面を閉じられ視線が離れた途端、彼女の表情は急激に和らいでいった。
表情に柔らかさが取り戻されたことで、映像を見ている間のスペシャルウィークの表情がいかに険しくなっていたか、あらためて認識させられるほどの変化であった。彼女の顔色を窺いつつ、タキオンは口を開く。
「以前まで目立っていた『前年度と全く同じレース展開が発生する』という異変もまた“可能性世界”による干渉の結果だと私は考えているねぇ。既定された可能性を乗り越えない限り、我々は新しい景色を見ることが出来ない。ゆえに、ウマ娘としての限界を超え、可能性の反復から脱せればこそ、新たに切り拓かれた未来に至ると思われたのだがねぇ……。」
「それでも、どこかいびつな所が残っちゃってるんだね。現実にならなかった、もう一つの可能性が、今いる私たちにしがみついてくるみたいに。」
タキオンの思考回路ではまず思いつくことのない比喩であったが、スペシャルウィークの口にした表現は言い得て妙であった。
仮に、世界が辿る可能性に意思が宿っているとしたら、自分が選ばれなかったことについて未練がましく、この現実にしがみついてきているのかもしれなかった。
お前たちの選んだ道は間違っている、本来は違う運命をたどるはずだった、可能性を無視した行く末など認められない……とでも、言いたげに。
「ともあれスペ先輩、過ぎ去った事実は確認することしか出来ないねぇ。現状、目下の懸念事項はといえば、来月の有馬記念のことだねぇ。」
「だよね、ウマ娘レースの集大成、せっかくの有馬記念で……また、観客たちの歓声が全然聞こえないって事態、起きてほしくないよね。昨日のジャパンカップでは、ファインモーションちゃんの叫びを皮切りに、歓声が響きだしたんだけれど……。」
「まァ、それまた、ロジカルに説明できる現象じゃねェんだがな。」
スペシャルウィークの言葉に、エアシャカールは頷きながらも首を傾けつつ返答している。
ティアラ路線にて連戦連勝を重ねているファインモーションというウマ娘もまた、並みならぬ存在だとタキオンは睨んでいた。彼女はParcaeのシミュレーションを始めとする可能性のままにレースに出走し、そして勝利している。
アイルランドからやってきた“王位継承権を有するウマ娘”というのも特異な立場であった。ファインモーションの存在感はウマ娘レースに限られたものではなく、この世界の国家形態や歴史そのものに干渉するほどだと言えるのではあるまいか。
「……しかしだね、何にせよ有馬記念では魔法のごときファインくんの声援に頼り、異変を打開するというわけにもいかないねぇ。彼女自身が有馬に出走することはもう決まっているのだから、自分で自分に声援を送るわけにもいかないねぇ。」
「そもそも、問題は歓声が聞こえねぇッてこと自体にあるんじゃ無ェ。俺たちが辿ったレースの勝敗が、もともと決まってたはずの“可能性”とやらから外れちまった時点で、この世界から認識されなくなっちまうのが一番マズいんだ。」
「うーん……確かに昨日のジャパンカップでも、ゴールした瞬間から観客の人たち、全員熱狂している姿は見せているもんね。なのに歓声が響かないって異常は、この世界自体がおかしいってことかな……。あ、ごめん、そろそろ行かないと。」
スペシャルウィークは言いながら、立ち上がる。
興味深い話はまだまだ続けたかったが、彼女もまた多忙なウマ娘、次のスケジュールの時刻が迫っている。タキオンも弾かれるように立ち上がって、慣れぬ別れの口上を切り出した。
「お引止めしてしまって済まないねぇ、私の憶測を語るばかりになってしまったが、スペ先輩の貴重な時間を無駄にしていなければ幸いだねぇ。」
「いやいや、すごく興味深いお話、ありがとう。私も、自分に出来そうなことから考えていかなきゃ。」
「ちょっと待ったスペ先輩、こいつも忘れないでくれ。」
先ほど映像データのコピーを済ませたメモリカードを、シャカールはPCから抜き取ってスペシャルウィークに手渡す。
タキオンやシャカールとのやり取りを通じ、現時点で彼女らが把握している内容……確かに憶測としか言いようのない内容だったが……それを聞くという当初の目的は達せられ、さらには客観的に可能性と現実のズレが異変を引き起こしている証拠となる映像も得られた。
ただ、この答えの出しようのない問題について、スペシャルウィークもまた解決策を示せるわけではない。現実そのものが引き起こす異変など、どんな研究機関や科学者に尋ねても、易々と解決するものではない……。
が、ウマ娘としての直感ゆえか、とある親しき顔が彼女の脳裏によぎった。
「タキオンちゃんみたいに、難しいことを研究するタイプじゃないんだけれど、紹介したいひとが居るんだ。可能性とか、それを脱するために限界を超えるとか、そんな話に一番興味ありそうなウマ娘。」
「誰かねぇ?あ、ちなみに、ネオユニヴァースくんであれば、私も常々交流はしているねぇ。むろんスペ先輩の紹介を通じてとなれば、これまでとは比べ物にならぬほど楽にアポイントメントを取れるだろうがねぇ。」
「ちょっとまってね、今の時間なら繋がるかな?」
スペシャルウィークはスマホを取り出し、アドレスを探す手間も無く画面を軽くタップして何処かへと通話を掛けている。
前もってメールやメッセージを送るでもなく、直接通話をいきなり掛けられる相手、それも普段から話慣れているほどの間柄……スペシャルウィーク周囲の関係性については想像もつかないタキオンは、いったい誰に連絡を入れているのかと若干緊張しながら待った。
コール音が2度も響く間もなく、スペシャルウィークからの通話に出た相手の声が聞こえてきた途端、タキオンは軽く跳びあがる羽目になったが。
〈もしもし?どうしたの、スペちゃん。〉
「あっ、スズカさん!昨日ぶり!そのですね、近々で時間が空いてる日、あるかなーって聞きたくて……いえ、私じゃないんです、実は会ってもらいたい子がいるんですよ。アグネスタキオンちゃん。」
〈えぇ!あの、速い子よね、直接会えるの!?いつにしようかしら、私の都合よりも、レース現役の子にスケジュールを合わせてあげた方が良いわよね。〉
「あー、でしたら、直接お話します?いや、目の前にタキオンちゃん、居ますので。電話、かわりますね。」
微笑みとともにスマホが差し出された時、タキオンは既にガッチガチに緊張してしまっていた。
スペシャルウィークが親しげに喋る相手、スズカ、とは、あのサイレンススズカに他ならない。今から6年前の秋、全てのウマ娘と観客の記憶から永遠に消えぬ形で、引退した大先輩。
もはや神話上の存在も同然の認識になっている相手と、急に直接通話できる機会を得られて緊張せずにいられるはずもない。ついでに言えば、私物であるスマホをあまりにも何気なく差し出してくるスペシャルウィークの所作にも、タキオンは衝撃を食らっていた。
救いを求めるようにタキオンはチラと横目を向けたが、シャカールは「ハラを括れ」と言わんばかりに腕組みして頷き、真っすぐに視線を返すばかりである。
金塊でも受け取るようにスペシャルウィークのスマホを恭しく手に乗せ、細かく震えながらもアグネスタキオンは生涯最も緊張する通話へと臨むのであった。
「や、や、やぁ、どうも、あ、アグネスタキオン、だ、ねぇ……お、お初にお目にかかり、いや通話越しとなっては、お目には、かかって、ないねぇ……その、話せて、光栄だねぇ、サイレンススズカ先輩……」
〈あなたがタキオンさん?はじめまして!さっそくだけれど、いつ会えるかしら。極力そちらの都合にあわせるわ。〉
いかにも“速さ”を徹底的に尊ぶスズカの喋りを前にして、タキオンは再びしどろもどろになりながら応答を続けるのであった。この唐突に訪れた通話の時間以上に、タキオンの思考が混線を極めた瞬間は他になかっただろう。
……後日、「サイレンススズカと直接会う約束を取り付けた」とタキオンから聞かされた鷹木トレーナー、ついでに隣で話を聞いていたヒシミラクルもまた、跳びあがって吃驚したことは言うまでもない。