探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

263 / 278
 鷹木が必要以上に身構えて久方ぶりのメッセージを送った一方で、想定外の軽さで返答を寄越したテイエムオペラオー。3年前に引退し、今は世間一般にも動向が知られていない彼女と会うのは容易ではないと思われていた矢先であったが、当のオペラオーはあっさりとすぐ翌日にでも会えると告げてきた。具体的な時刻も集合場所も定められていなかったものの、タキオンはそんな鷹木とオペラオーとのやり取りを知り、オペラオーが並みの存在に収まっていないことを確かめるため、とあることを試そうと一つの策を練る。


覇王との再会、巡りは間もなく

 鷹木が昨年ぶりに送ったメッセージに対し、テイエムオペラオーからの返信が来たのは、想定をはるかに超える早いタイミングであった。

 

 返事が来るまで数日か、あるいは多忙ゆえに気づかないか……と想定していた鷹木であったが、送信を確認してスマホ画面を閉じようとした矢先、すぐさまオペラオーからの返信が表示されたのであった。要した時間は、ほんの数秒である。

 

 何か月、何年もの期間、離れていようとも、オペラオーの応答はついさっき別れたばかりのように、簡潔かつ明快であった。

 

〈明日にでも会おうじゃないか!ボクがそちらに行こう!〉

 

 おそらく、鷹木と担当ウマ娘たちが今の時期、有馬記念出走に向けての調整で忙しいことも考慮しての提案なのだろう。

 

 滅多なことでは連絡してこない鷹木からのメッセージに、オペラオーは少しも驚くことなどなかったのだろうか。ほんの数秒の間に、承諾と考慮を同時に含めての返答を行ったオペラオーの頭の回転の速さには、むしろ鷹木が驚かされるばかりであった。

 

 しかし、トレセン学園を卒業したGⅠウマ娘の常として、唐突に在籍生の前に姿を見せれば、たちまち噂が広がり、野次ウマ娘が群がり、大混雑となることは避けがたい。先月も、スペシャルウィークは自らの存在を隠すように学園を訪れていたし、サイレンススズカは学園ではなく自宅へと鷹木たちを呼び寄せていた。

 

「迅速な返信には感謝する、だが学園にオペラオーが来たら、混雑に巻き込まれるんじゃないか?」

 

〈観衆が集うならば歓迎だとも!けれど、静かに話の出来る場所は確保できる。幕を開けて待っていたまえ、自ずと覇王は近づくだろうから!〉

 

 オペラオーらしい、婉曲な言い回しで締めくくられたメッセージ。

 

 その真意は、流石に彼女を3年前まで担当していた鷹木にも読み取れなかった。とはいえ、オペラオーがそう述べたのならば会えはするのだろうとの確信は抱かれた。

 

 鷹木は具体的な待ち合わせ場所の打ち合わせを詰めていくことをせず、そのままメッセージのやり取りを終えた。元オペラオー担当トレーナーとしての感覚が、その判断を下させた。

 

 オペラオーが台詞を切り上げた以上、蛇足のやり取りを続けることは無粋であった。

 

 

 

 その結果……翌日、練習場にて早めに顔を出した鷹木は、タキオンやヒシミラクルからの不信の視線を払拭することは出来なかったのだが。

 

「本当にオペラオー先輩との約束を取り付けたのだねぇ?それも、この学園にやってくる、と?何時に、何処で待ち合わせなんだい?」

 

「いやぁ、その、具体的には、打ち合わせていないんだ……。」

 

「いつになくいい加減ですねえ、トレーナーさん。そもそも、ちゃんとオペラオー先輩と話をつけたんですか?面倒くさいからって、実は連絡すら入れてないってオチじゃないですよね?」

 

「い、いやいや、連絡はちゃんとしているって。オペラオーの方からは、ちゃんと今日会える、って返事が来たんだから……。」

 

 タキオンとミラ子から交互に詰め寄られ、しどろもどろになっている鷹木。

 

 彼が弱気な態度を見せるのが日常茶飯事であることは、この場では助けとなった。相変わらずミラ子はジトッとした視線を鷹木に向けていたが、タキオンは一応ながら鷹木が嘘など吐けない人間であるとして推測を開始した。

 

 直接会ったことのない先輩であったが、テイエムオペラオーというウマ娘がいかなる存在については、タキオンなりに理解していたらしい。

 

「オペラオー先輩が具体的な場所や時間も指定せず、必ず会えると言ったのなら、我々は今日、予定した通りに行動していれば確実に会えるのだろうねぇ。オペラオー先輩とてトレセン学園に在籍していたのだから、今の時期、鷹木トレーナーの指導下にあるウマ娘がどこで何をしているのか、推定は容易いのだろう。ゆえに、場所も時間も指定せずして、我々の目の前に姿を現すつもりでいる、と……面白いねぇ。」

 

「面白いって、何がですか?タキオン先輩、なんか悪いことを思いついた時のような顔してますけど。」

 

「いや、私が思いついたのは悪いことではないとも、今回オペラオー先輩に聞いてみたい話の内容と無縁ではないのだからねぇ。すなわち、本来あったはずの可能性が破られる状況に、オペラオー先輩がどこまで対応できるのか、試してみたくなったのだよ。」

 

 ミラ子に対してはそう返答しつつも、タキオンの表情は鷹木から見ても明らかなほど、余計なことを思いついた時のニヤニヤ顔となっていた。

 

 いそいそと自分のバッグからスマホを取りだしたタキオンは、手早くメッセージを打ち込み始める。キョロキョロと周囲を見回しながらの操作になっているのは、既にオペラオーが周囲に出現していないかとの警戒であろう。

 

 さすがに、オペラオーが未だ薄暗い早朝のトレセン学園に訪れるとは思えなかったが、音声で内容を発することも避けようとしているタキオンの意図を尊重し、鷹木とミラ子は共に無言で画面を覗き込んだ。

 

〈今からシャカール先輩の練習場に向かっても構わないかねぇ?オペラオー先輩は、今日ここに来る。許諾するのならば、返答不要だよ。〉

 

 極力必要な情報のみでまとめ上げ、不可欠な返答以外は求めない。いかにもエアシャカールが好む文面を、タキオンは弁えていた。

 

 今の時期ならば、既にエアシャカールは個別練習場のひとつを借りきっての調整に入っているだろう。結城トレーナー指導下のウマ娘たちは、仮に全員が有馬記念へと出走するならば、それぞれ個々に専用の練習場を用意されるはずだ。

 

 個別練習場が存在するエリアはGⅠレース出走クラスのウマ娘にのみ使用許可が下り、練習相手として招待でも受けない限り、学園に在籍していたとしても並みのウマ娘が入れる場所ではない。部外者となればなおさら、進入は警備員に拒まれる。

 

 それゆえに、シャカールが練習時間を割くことを是とするならば、その個別練習場を集合場所とするのは悪いアイデアではなかった。

 

「確かにあの場所なら、周りを気にせずオペラオーも来れるだろうな……俺の方から、集合場所をオペラオーに連絡しておこうか。」

 

「待ちたまえ!トレーナーくん、キミは私の意図を理解してくれていると思っていたのだがねぇ!そういった打ち合わせなしに、オペラオー先輩が我々と会えるか否かを確かめたいのだからねぇ!」

 

「そんな鬼ごっこみたいなことをして、少しでも会える時間を削るような真似は避けたいんだが。オペラオーだって、ヒマじゃないんだから……」

 

 鷹木は言いながらも、既に意気揚々とシャカールの個別練習場の方へ向かっていくタキオンの背についていく他になかった。ヒシミラクルも、興味が優先されたのか異を唱えることはない。

 

 それに、オペラオーはヒマではないだろう、というのも鷹木の憶測に過ぎない。引退してから3年、現在のオペラオーが何をしているのか鷹木は知り得ないのだから。

 

 一般のトレセン学園生たちが練習しているグラウンドを離れ、学園敷地の奥部、GⅠバ専用の個別練習場が並ぶエリアへと入っていく一同。

 

 スマホに返信は無く、タキオンらの訪問をシャカールが拒まないことだけは確認できていた。

 

「いちおう、ドアを開ける前に、中の様子に聞き耳を立てておこうねぇ。予告は伝えたとはいえ、シャカール先輩が有馬記念で予定している作戦を、我々が覗き見ることは避けるべきだからねぇ。」

 

 周囲から練習風景を盗み見られることが無いように、完全に壁面で囲われ、さらには巨大な面積を覆う可動式の天井部分も備え、高所にある採光用の窓を除けば完全に外部からの視線を遮断する構造となっている個別練習場。

 

 対戦相手の作戦を前もって知ることは、明確なルール違反ではないにせよマナーに悖る行為であり、タキオンも入り口扉にそっと耳を押し当てて中の様子を窺った。

 

 ……が、すぐさま表情は固まり、真顔のままに扉から離れる。笑顔の消えたタキオンに、鷹木は尋ねた。

 

「どうした?まさか、シャカールが倒れる音でも聞こえたか?」

 

「だったらすぐさまに突入しているねぇ、そうじゃない、シャカール先輩が誰かと話している声が聞こえた。明らかに結城トレーナーではなく……」

 

 タキオンが最後まで話し終えるのを待たず、鷹木は入り口扉を開けて練習場内へと踏み込んでいった。

 

 シャカールが走っている最中でなければ、彼女の作戦を見知ってしまう心配はない。そんなことよりも、今、担当トレーナー以外の存在がシャカールと会話しているとなれば、もはや鷹木の中ではその相手が確定したも同然であった。

 

 確かに、オペラオーは昨晩断言した通り、具体的な場所や日時の指定も必要とせず、鷹木に会いに来たのだ。

 

 つい先ほど、タキオンがシャカールと落ち合う場所を決めたにもかかわらず、オペラオーにはそのことがすでに分かっていたかのようであった。

 

 扉を開いて覗き込んだ先、広大な練習コースを前にして、休憩エリアのベンチにエアシャカールと並んで腰かけている姿は、鷹木が見間違えるはずもない、紛うことなくテイエムオペラオーだった。

 

「オペラオー……!!」

 

「おお!魂の歓喜!最高に甘く気高く、向こう見ずで美しい!天にも届くほどの世界の陶酔!キミの声を聴くのはいつぶりだろうか、鷹木!用の無くなった洞窟に待たされた道化も、待ちあぐねて出てきてしまうほどじゃないか!」

 

 鷹木の姿を見るなり、パッと顔をほころばせ、立ち上がって両腕を広げ、以前と全く変わらず淀みない口上を述べながら、歩み寄ってくるテイエムオペラオー。

 

 煌びやかな勝負服ではなく、黒を基調としたシックな出で立ちであったが、引退してからの数年来で彼女の立ち居振る舞いはますます磨きのかかったようであった。そのままの姿で、歌劇の舞台に出て行ってもおかしくないほどに。

 

 極力冷静に再会を受け止めようとしていた鷹木であったが、オペラオー単独で繰り広げられた劇的なワンシーンに半ば呑まれていた。しかしさすがに覇王の前に跪く家臣を演じるほど、瞬時に役に入りこむことは出来ない。

 

 結果、よたよたと駆け寄っていった鷹木は、間抜けなはにかみを表情に浮かべながら突っ立っていることしか出来なかった。

 

 他に個性的なウマ娘は数多く居れども、テイエムオペラオーを眼前にすれば鷹木はいよいよもって凡人めいていた。

 

「思ったより早く、来てくれたんだな。いや、待ち合わせの場所も時刻も決めていなかったから、いずれ連絡しなければとは考えていたんだが……。」

 

「無用の心配だとも、その気になれば鷹木に会うのは実に容易い、キミはまるで木立に紙片をつるして回る青年のごときだからね!さぁ、そして、苦悩を越え、奇跡に満ちた騎士たちよ、ごきげんよう!歓喜の色が、少し薄いじゃないか。覇王との謁見に荘厳さなど求めはしないよ!」

 

 言いながらオペラオーが見つめる先には、鷹木の後に少々遅れてついてくるアグネスタキオンとヒシミラクルの姿があった。

 

 ミラ子の方は、単に初対面の先輩を前に若干緊張していたのみだろうが……タキオンが半ば茫然としている理由は明白であった。この個別練習場で落ち合うという約束は、ついさっきタキオンとエアシャカールの間で決められた内容に過ぎないのだ。

 

 前もって知られるはずもなく、直前に変更された集合場所。だが、まるで先回りするかのごとく、既にオペラオーは居たのだ。本来の可能性を変更されても、易々と望み通りの結果を得るかのように。

 

 ようやく脳内で言葉をまとめ終えたのか、少し間をおいてからタキオンは喋りはじめる。

 

「……どうも、初めまして、だねぇ……画面越しには数え切れぬほど会っているのだがねぇ、オペラオー先輩。しかし、よくまぁ、この場所が分かったねぇ……。」

 

「運命を信じる者は、運命にも信じられるものさ!キミたちにきっと会える、とボクは信じてここに来たのだから、運命の女神の望みに適ったのだろう!ハーッハッハッハ!」

 

「アー、さっそく種明かししてもいいか?タキオンがあっけに取られてンのを見るのは悪い気分じゃねェが、ロジカルじゃねェ理屈は野放しに出来ねェ。」

 

 オペラオーの背後で、ベンチに座ったままのシャカールが口を開く。

 

 思えば、タキオンらがここに到着するより先に、唐突なオペラオーの訪問を受けていたはずのシャカールだったが、まるで驚いたり平静を失ったりしている様子はない。

 

 いくら昨日、タキオンからオペラオーと会う計画を聞かされたとはいえ、そのすぐ翌日に当のオペラオーが現れるとは本来、夢にも思わないはずだろう。

 

 もちろん、シャカールが想定通りのような反応を見せていることには、相応の理由はあった。

 

「簡単に言やぁ、俺が連絡した通りの集合場所に来てもらっただけだ。タキオンから集合場所についてメッセージを送られた時には、オペラオーもトレセン学園に到着してたからな。つーかむしろ、俺のところにオペラオーが居るってことを、タキオンの方に伝えようと思ってたところだ。」

 

「シャカール先輩……困るねぇ!オペラオー先輩がどれほど本来の可能性を外れても自らの意志を通せるのか、確かめる実験が成立しないじゃないか!必要最低限のメッセージ内容をシャカール先輩は好むと考えたのが裏目に出たねぇ、他言無用だと付け加えておくべきだったねぇ!」

 

「ハーッハッハッハ!松明の火が消し去られてもなお、ボクがイゾルデのもとへたどり着けるか否か、実験は既に行われていたということだね!」

 

 オペラオーの高笑いを聞きながら、タキオンは不満顔であったが、同時に目の奥にはちょっとした安堵も浮かんでいた。

 

 超常的、非現実的な現象については、既にウマ娘レース関連でいくつも確認されている。エアシャカールの言ったように物理的にあり得る範疇で説明がつくことは、退屈であると同時に異変の片鱗が覗くことのない、安心感を抱かせる状況でもあった。

 

 ……が、タキオンはすぐさま、まだ説明が為されていない事実に気づいた。

 

「いや、その前にだねぇ、シャカール先輩はなぜ、オペラオー先輩がトレセン学園に到着していたことを知っていたんだい?元担当であるはずのトレーナーくんですら、オペラオー先輩の動向を知らされていなかったというのに。」

 

「すまない、タキオンくん!そして鷹木!キミには劇的な再会を見せたかったんだ!」

 

「あぁ、うん、そうだとは思ったが……タキオンの疑問は尤もだ、オペラオーは何故シャカールには到着を教えたんだ?」

 

 前もって到着を知らせることなく、不意の邂逅を演出したがるオペラオーの思考は、鷹木にも十分理解できるところであった。

 

 だからこそ尚のこと、エアシャカールに対しては事前に来ることを予告するという振る舞いは謎であったのだが、慎重に面会場所を打ち合わせるべき理由は、オペラオー以外のところにあった。

 

 シャカールは言葉を続ける。

 

「完璧に偶然に任せてから再開できた方が、そりゃドラマチックかもしれねェが、それをやっちまうと想定外のアクシデントを確実に引き起こす奴も来てるからな。結局、俺が連絡係だ、集合場所の情報も迅速に共有させてもらッた。」

 

「来て、いる……?オペラオー以外に、誰が……」

 

「ボクは先んじて来させてもらったが、彼女は迷子になって騒ぎを起こすのを極力避けるため、元担当トレーナーに出迎えてもらっていたね!そろそろ来る頃合いじゃないかな!」

 

 オペラオーの言葉に、鷹木やタキオン、ミラ子は首を傾げる。偶然に身を任せればアクシデントを引き起こす、単独行動すれば迷子となり騒ぎになる……オペラオーと同様に、既に引退したウマ娘。

 

 凡そ見当のついた一同の背後、練習場入り口をノックする音ののち、返答を待たず無遠慮に入ってきたのは、やはり片桐トレーナーであった。

 

「おや、思った以上に大所帯となってますね。そりゃまあ、互いに競争相手、あんまり有馬記念目前になってから会うわけにもいきませんが。しかし、この個別練習場も久々ではありませんか、ドトウ。」

 

「久々ではありますけど……今でも時々、ハードな練習だったのが夢に出てきますぅ。あっ、鷹木トレーナーさん、お久しぶりですぅ……!」

 

「あ、あぁ、どうも……3年ぶりか。」

 

 片桐トレーナーに連れられてきたのは、メイショウドトウだった。

 

 3年前、ジャパンカップでテイエムオペラオーが引退した後、有馬記念をラストランとしてメイショウドトウも引退した。

 

 その後は宝塚記念などで解説役として実況席に姿を見せる事はあったが、むろん鷹木が直接会うのは彼女が引退して以来である。

 

 細身で小柄なオペラオーよりも全体的に一回り大きい堂々たる体躯は健在であったが、現役時代と運動量が全く変わっていないかのように彼女の身体能力に衰えが無いこともまた明白であった。

 

 タキオンの思い付きが発端となって実現した、この会合であったが……当のタキオンは先ほどから想定を軽々と超えられっぱなしで、思考が追いついていない様子である。

 

 必然的に、この場で最も口数が多くなったのはオペラオーであった。

 

「どうやら、役者は揃ったようだ!じっくりと話をしたいのも山々だが、口元が乾いたままでは宴も始まらない!互いに胸中を開くため、まず走ろうじゃないか!ドトウも、前もって伝えた通りに準備できているね?」

 

「は、はいぃ、たぶん……いつも練習している通り、ですけど……またドジしてないか、不安になってきましたぁ。シャカールさん、私のシューズ、不備が無いか見てもらえますかぁ?」

 

「寮の同室だった時のやりとりも懐かしいンだがよ、今はお前の元担当トレーナーが居るんだからそっちで見てもらえ。」

 

 オペラオーもドトウも、共に私服ではあったが、12月の早朝の寒さを凌ぐ外套の下には、運動用のジャージを身につけ、既に蹄鉄を打ってあるシューズまで履いている。

 

 ウマ娘が揃い、走れるコースが目の前にあれば、走らずにはいられなくなる。

 

 それは先日、サイレンススズカに会いに行った時も同様であったが、今回は突発的なものではないようだった。むしろ、前もってオペラオーが準備していたタイミングに、彼女に会おうとするタキオンの発案が偶然被った、とも取れる状況である。

 

 上着を脱ぎすててジャージ姿となったオペラオーは、引退した3年前と寸分たがわぬ筋肉を維持しているようであった。昨年、会いに行った際、オペラオーは完全予約制のトレーニング設備で身体を鍛えていたが……あの時のみならず、走ることをずっと続けていたのだろう。

 

 最近めっきり公の場に姿を見せることが無くなったのは、ドトウもオペラオーも共に、個々でトレーニングに打ち込む時間を作っていたためではなかろうか。

 

 オペラオーが準備運動を始めたのを見て、タキオンはようやく慌てて口を開いた。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれたまえ、オペラオー先輩と、ドトウ先輩が、我々と共に走る……というのかい?」

 

「そうとも!もちろん、今キミが話したいことがあるのなら自由に語ってくれて構わないが、しかし呂律の回らぬ舌には伝えたかった言葉が残されてしまうものだ!さぁ、キミたちも剣を研ぎたまえ、覇王の再臨に備えたまえ!」

 

 オペラオーに対し、タキオンは返す言葉が見つからぬ様子で口を半開きにしていたが、やがて諦めた様子でこちらも準備運動を開始した。確かに、言葉を交わす前に走りを挟んだ方が、込み入った内容を言語化する思考も活性化するだろう。

 

 ヒシミラクルもまた先輩ウマ娘たちに倣ってウォーミングアップの準備を始めたが、鷹木の傍に来てそっと告げた。

 

「なんか、このところ、とんでもない先輩方と走れる機会に恵まれがちですねぇ。」

 

「あぁ、かなり貴重な機会だが……プレッシャーで緊張しているのか、ミラ子?」

 

「いえいえ、緊張はそこそこです。でもなんか、実際にこれほど錚々たる面々が集まってくると、いよいよ乗り越えなきゃいけない危機が近い感じ、しちゃいまして。」

 

 現状の鷹木が不安を強く味わっている理由を、ヒシミラクルは的確に言い当てていた。

 

 この先、何も特別なことをせず、ただウマ娘レースで勝つことだけに打ち込んでいればよいのならば、今日も鷹木はタキオンとミラ子のトレーニングにのみ集中していたことだろう。だが、有馬記念という一大レースが迫る時期でありながら、それだけをしていてはならないと、急かす思いが胸中に根付いていた。

 

 さらには、こうして既に引退したウマ娘たちも同じことを感じ取っているのか、ウマ娘レースのために為すべきことを見出して積極的に行動している。

 

 その現状自体が、明瞭ではないにせよ「何もせずにいる」ことへの危機感を抱かせる振る舞いであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。