探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 新年度に入学してきたウマ娘に鷹木トレーナーが翻弄される日々の中も、レースの日程は着々と続いている。香港カップの舞台で世界に名を轟かせたアグネスデジタルがドバイに出走したのは3月下旬のこと。今、帰国してようやくトレセン学園で落ち着くことが出来たアグネスデジタルは、先輩ウマ娘たちや新年度の騒動もひと段落したトレーナー達を前にレース時の思いを土産話として語っていた。何故か、その時間帯は授業を受けていなければならないアグネスタキオンも、そこには同席していたのだが。


皆の夢を背負った先は、未だ遠く

 ただでさえせわしない新年度の始まり、個性的に過ぎる新入ウマ娘のために輪にかけて騒がしさの増しているトレセン学園に、大舞台からの帰還を果たしたウマ娘が居た。

 

 アグネスデジタルである。3月末に行われたドバイワールドカップに、トレセン学園からはトゥザヴィクトリーと共に出走してきたのだ。

 

 とはいえ、その旅路は順調ではなかった。航空機のトラブルで足止めを食らったうえ、肝心のドバイに到着してからは豪雨が続き、満足に調整のための時間も取れなかった。

 

 長旅の末の天候不順によって、アグネスデジタルの身体にも相応の負担が掛かっていたのだろう。本番の日、パドックに立った彼女は自身の身体があまりに本調子から程遠いことを感じ取っていた。

 

「だからと言って、全力を出さない理由にはならないですからね。やっぱり、世界中の観客さんが見ておられるんです、出来る限りの走りを披露しなければと。」

 

 ドバイワールドカップが行われるナド・アルシバレース場は、上から見るとほとんど三角形のようなコースであり、各コーナーのポケットがスタート地点になっているという、独特な形状をしている。

 

 既に隣接しての建設案が立ち上がっていたメイダンレース場の方は標準的なレーストラックであったが、アグネスデジタルが走ることとなるのは大部分が直線で構成されたレース場だった。

 

 必然的に、コーナーでの駆け引きよりも直線での粘りの方が重視されるコースとなり、移動時のトラブルや調整不足で体力を消耗しているアグネスデジタルにはますます厳しいレースとなることは充分に予測された。

 

 とはいえ、当のデジタル自身の心境は、ゲートインを目前にして昂揚の只中にあったようだ。

 

「ものすんごい声援だったんですよ。世界中から集まった名ウマ娘ちゃんたちだけじゃなくて、畏れ多いことに、このデジたんの名前も呼んでいただけてましたし!」

 

 香港カップにて危なげない勝利を披露したアグネスデジタルの能力は今や世界的に注目されており、芝とダートの両方で勝ち続けているという異色の経歴もまた海外での話題を呼んでいたのだ。

 

 昨年の凱旋門賞にて後ろを6バ身突き放しての圧勝を見せたイギリスのウマ娘、サキーもレース前のインタビューにて今回で一番の強敵としてアグネスデジタルの名を挙げていた。

 

「いや、もちろん、サキーちゃんも私が本調子じゃなさそうだってのは、分かってたでしょうけど。それでも本番に出走する者同士、言い訳の余地を残さずに全力での走りを評価し合うって姿勢、強烈なキラキラですよね!」

 

 ドバイのレース場は、アメリカでのレースをモデルにして建設されているため、ダートが主流となっている。

 

 とはいえ、ダートの質は本場アメリカとはかなり質を異にしている。基本的に乾いていて硬く、スピードの出しやすいアメリカのダートとは対照的に、砂が深く乾いているとむしろ足を取られやすい柔らかなダートである。

 

 ある種、国内のダートレースに性質が近くはあったが、長旅での体力消耗がモロに響く条件には違いなかった。

 

〈世界一を決めるレースがいよいよ始まる!凱旋門賞を制したサキーの隣、去年のUAE2000ギニーを勝ったストリートクライが収まってゲートインは完了だ……スタート、全員一斉に走り出した、ドバイワールドカップの始まりだ!〉

 

 海外の実況アナウンサーは、そもそも言語が異なることもあるが、URAのレースで聞くよりもずっと勇ましく響くように感じられた。

 

 むろん、その実況の中で最も多く読み上げられたのはサキーの名であった。凱旋門賞を圧勝した実力の持ち主は、誰もが疑うことのない世界最強クラスのウマ娘であった。

 

〈クリムゾンクエストが早めに仕掛けて前へ出てきた、その後ウェスタンプライドとトゥザヴィクトリーも並んで、そしてストリートクライがすぐ続いている。ベストオブベストとアグネスデジタルがぴったりとつけて差はほとんどない、そしてサキーは中団あたりで最初の直線を走り切る!〉

 

 アグネスデジタルは先行の位置へ辛うじてついて行っているという状態だったが、スタート後の直線を走り切って最初の緩やかなコーナーに差し掛かる直前、じわじわと自分の位置を下げ始めた。

 

 むろん、まだスタートしたばかり、スタミナ切れには程遠い。しかし、彼女自身が積んできた経験、そして様々になれない条件でのレースを重ね……従来通りの走りでは、最終直線に入る前にスタミナを使い果たすと確信したのだ。

 

「期待と声援を背負ってドバイまで来たのに、ゴール直前でバテバテになって最下位、だなんて姿はお見せできませんし。それに、最後の競り合い、全力での末脚を競うど真ん中に、私は居たかったんですよ。」

 

 これは昨年末、有馬記念を目指すエアシャカールと併走練習した際の経験も役に立っていた。

 

 全く慣れない芝の2500mという条件、難なく足を運んでいくエアシャカールに並ばれながら、アグネスデジタルは練習用コースを中ほどまで来たあたりで脚を緩めていた。

 

 そうでなければ、最終直線を全力で駆け抜けるだけの余力が残らなかったためである。体力が万全ではない状態で挑んだこのドバイワールドカップも、また同様の状況であると判断するのに、迷うことはなかった。

 

〈ケルトスがコースのウチ側を進み、2バ身開いてステイトシントとロイヤルトリストが並んでいる、今は先頭となったウェスタンプライドが全体を引っ張る形だ!トゥザヴィクトリーが2番手に上がってきた、ベストオブザベストも続いて3番手、クリムゾンクエストのウチ側を進んでいる。ストリートクライが半バ身、サキの先を走っている、そしてアグネスデジタルが続く!〉

 

 次のコーナーが来るまでに、アグネスデジタルは可能な限り良い位置につくことだけに専念していた。

 

 最初に通過したコーナーはいわば三角形のコースの緩やかな角にあたり、脚運びはさほど大きく変わることがない。だが、最終直線前のコーナーは鋭角に回ることとなり、直線に向く前には遠心力で集団はバラけることが予想された。

 

 ゆえに、アグネスデジタルは競争相手の密集している最ウチを避け、いまは集団に埋もれることとなるコースの中央を敢えて走った。

 

〈いよいよ最後の直線に向くぞ、ウマ娘たちも闘争心に火がついた!残り600m、ウェスタンプライドが先頭だが、サキーが来た!サキーが動いた、大外からぐんぐんと先頭に迫ってくる!ストリートクライも負けてない、とんでもない末脚だ、ストリートクライ!サキーに並んだ、そして追い越した!ストリートクライだ、ストリートクライが突き放す!これは強い!!〉

 

 場内の熱狂、そして実況によるスポットは、完全に集団から抜け出して独走状態となったストリートクライに集中していた。

 

 最終直線、アグネスデジタルも先頭争いに加わるかといったところまで走りは伸びたのだが、それ以上にスタミナは続かなかった。抜きん出たストリートクライがあっという間に遠ざかり、そして2番手集団がじわじわと自分から離れていく。

 

「いや悔しかったですよ、万全の状態なら、わたしもあそこにいたのにって思うと……でも、後悔はないです。出来ることは、全部やりましたから。」

 

 その場における判断ミスはなかった。コース中央はしっかりと前に出るだけの隙間が開き、アグネスデジタルが上がっていくルートを阻むウマ娘は居ない。

 

 スタミナを無駄に消費しすぎないように、中盤で走りを緩めた判断も正解であった。先頭から置いて行かれず、なおかつ最終直線での競り合いについていくだけの体力は残っていたのだから。

 

 デジタルが言う"出来ること"には、レース中の振る舞い以外の要素も含まれていた。

 

 すなわち、トラブル続きの旅路を終えた現地到着後、豪雨の日々の中でも出来得る限りの練習・調整環境を整えるため、屋内練習場やトレーニング施設を押さえていた桂崎トレーナーの尽力も、自分の走りを支えてくれているとの実感である。

 

 前方から飛んでくる砂塵を時おり払い除けつつも、世界の頂点に立つウマ娘の走りを最も近くに感じて、自らも走ることの出来ているアグネスデジタルは、確かに笑みと共に歯を食いしばって駆け抜けていた。

 

〈サキーは2番手争いだ、上がってきたシイミーと並んで駆けている!だが圧倒的なのはストリートクライ!ストリートクライ!抜きん出て並ぶ者無し!ストリートクライの勝利だ、ドバイワールドカップ!二着はシイミー、そしてサキーは三着!続くのはクリムゾンクエスト、ロイヤルトリスト、アグネスデジタル!〉

 

 後ろのウマ娘と圧倒的な差をつけてゴールしたストリートクライの勝利に大歓声が沸き起こる。辛うじてアグネスデジタルは6着となり、その名を実況に読み上げられることとなった。

 

 同じくトレセン学園からドバイへ向かったトゥザヴィクトリーは最下位の11着、共に遠征の困難に突き当たって苦労した中では、アグネスデジタルは出来得る限りの戦績を見せつけたと言えるだろう。

 

 とはいえ、今こうしてトレセン学園へと帰ってきて、トレーナーや親しい友に囲まれながら土産話を披露しているアグネスデジタルは、常の朗らかさは失わぬまでも口惜しさを随所で滲ませていた。

 

「想定以上の長時間、飛行機の座席で固まった身体をほぐすためにも、向こうについたらダートの感覚も確かめながらすぐ走りたいと思ってたんですけどねぇ……あぁー、せめて現地に到着してから晴れててくれれば、ですよ!」

 

「それでも、不利な条件が重なったからといって、完全に調子が崩れてしまわなかったのはデジタルの凄い所だよ。私も安定した戦績を残そうとし続けてるけど、それでも思ったような走りにならないと、かなり順位を下げちゃうこともあるから。」

 

 デジタルと同じ桂崎トレーナーの下でトレーニングを行う仲間、ナリタトップロードが応えている。

 

 確かにトップロードは、昨年の有馬記念では10着と振るわぬ結果になっていた。アドマイヤベガとメイショウドトウの先頭争いに観衆の視線は奪われていたが、その後方では集団に前を塞がれたトップロードが上がれることなく攻めあぐねていたのである。

 

「けど、トップロード先輩は今年の京都記念ですぐに1着という結果を示したじゃないですか。たらればを言っていても仕方ないですし、この私、不肖デジたんも次のレースで結果を見せなきゃ、です!」

 

「次の、というのは今月下旬に行われる香港でのクイーンエリザベスカップ、ですわよね?デジタルさん、トレセン学園に帰ってきたと思ったらすぐにまた海外へ発たなければなりませんのね。」

 

 キングヘイローが言う通り、アグネスデジタルは既に次回出走のレースも海外の舞台として発表していた。

 

 海外遠征の難しさに直面し、その疲れを癒しきるだけの時間も限られているだろうに、アグネスデジタルを世界の舞台へと立たせるために尽力を惜しまぬ桂崎トレーナーのバイタリティには、鷹木は舌を巻く思いばかりであった。

 

「そうなんですよ、だからトレセン学園の中に居られるうちに、全力で新入ウマ娘ちゃんのフレッシュなキラキラを摂取しなきゃと思いましてね?今ここにも、その一員が来てくれてるのは実に有難いですなぁ……ね、タキオンちゃん!」

 

「おや、よりにもよって、この私にそのような魅力を見出すのか?流石はウマ娘界きっての変わり者だね、デジタルくん。」

 

「いやいやいや、タキオンちゃん以上の変わり者はいないですって!」

 

 どちらが口にしようともお互い様な評価をキャッチボールしあっている両名を見つめ、デジタルの語るドバイでの時間から現実に引き戻された鷹木の口からは、自然と溜息が漏れた。

 

 そう、この場には何故かアグネスタキオンが居る。既にレース一筋の日々を過ごしている先輩ウマ娘たちならばトレーニング最優先のスケジュールとなっているが、入学して間もないタキオンは、本来は時間割通りに授業を受けているべきなのだ。

 

 まさに担当トレーナーの監督不行き届きに他ならぬ状況である。

 

 ここに集まっている面々、すなわちアグネスデジタル、ナリタトップロード、キングヘイローの3名が、鷹木を詰るようなウマ娘ではないのがまだ救いであった。キングヘイローだけは、不安そうに鷹木へと視線を向けはしたが。

 

 鷹木トレーナーの胸中も知らぬ顔で、アグネスタキオンはつらつらと語り続ける。

 

「しかし、ふぅん、そうか、デジタルくんの円滑な出走を阻害するような要因が、そんなにも重なったとはね。偶然にしては出来過ぎているようにも思われるねぇ。」

 

「まー、うまく行かないことが重なるのは、あるっちゃありますよ。デジたん的には、レース出走のために推しのライブチケットを確保しない日々が続いておりましたので、その分が他の方に回っているのを善行としてカウントしてたつもりなんですけどね!」

 

「そこに因果関係はないさ、デジタルくん。しかし、航空機の運航システムにトラブルを引き起こした要因、あるいはドバイ現地に連日の豪雨を降らせた低気圧、この世界に生じた僅かな歪みが指数関数的に増加し、現実として感知されるほどの現象となった結果かもしれない……。」

 

「む、難しいことをおっしゃいますのね……。」

 

 アグネスタキオンの言葉を真に受けて、真剣に悩んでいるキングヘイロー。一方で、早くも鷹木はタキオンの発言を半分以上虚言として聞き流す癖が身に着きつつあった。

 

 既にテイエムオペラオーの奇矯な言動に幾度も曝されて来たため、ある種の耐性がついていたのである。ほとんどふざけているようにしか聞こえない言葉の中にも、彼女らの真意がときおり混ぜられている可能性は、相変わらずあったのだが。

 

 話がひと段落したところで、鷹木は担当トレーナーの務めとしてさすがにタキオンへと授業時間について問いただした。

 

「なあ、タキオン。本来ならば、今は教室で2時間目の授業を受けているはずの時刻なんだが……お前はここに居ていいのか?」

 

「おや、そうだったのかい?てっきり、私には担当トレーナーが居るものだから、授業を受けることなくトレーナーに教えてもらえればいいものと考えていたのだが。」

 

 タキオンは口ではそう言ったものの、表情にはまるで驚きの色などなく、終始ニヤつきの浮かんでいる口元はわざとトボけて喋っていることを明確に示していた。

 

 なんら狼狽えることなく、ゆっくりと立ち上がって背伸びをしながら、先輩ウマ娘たちに手を振って別れを告げ、ゆったりと歩き去っていくタキオン。

 

 すっぽかしていた授業へと急ぐでもなく、興味を惹いた話を聞くだけ聞き終えたから場所を移動するつもりにすぎないのだろう、その白衣の後ろ姿を見送りながら、鷹木は二度目の溜息を洩らした。

 

「あのやかましい面々を担当するよりはマシか、とも考えていたんだが……。」

 

「タキオンさん、今年度のウマ娘で一番の手ごわさかもしれませんわね。」

 

 学園生活が始まったばかりだというのに、明らかに授業には真っ当に出席していない様子のアグネスタキオン。

 

 彼女のトレーニングもまた一筋縄ではいかないだろうという予測が当たっていることは、まもなく鷹木自身が実感することとなる。

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