探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 有馬記念当日に歓声が全く響き渡らない異変に見舞われても、全ての出走者が動揺することなくレースに挑めるように、とタキオンが作成したメッセージ映像。その内容は理事長による許可を得て即座に、出走ウマ娘たち全員の元へわたることとなった。いずれも、アグネスタキオンが前々から続けていた独特過ぎる、そして科学的な根拠が怪しい理屈ばかりではあったが、何の情報や見解も無い状態よりは曲がりなりにも安堵を得られることにも違いなかった。タキオンが、同期や先輩、後輩ウマ娘たちの全員にレースでの活躍を願っているという本心は、これまで続けてきた長い付き合いの中で知れ渡っていたためだ。


独自探求を遂げた眼の内は未だ明るく

 理事長直々に下された意思の実行は迅速であり、鷹木が帰った後も詳細な内容チェックが行われたのだろう、有馬記念への出走が決まっているウマ娘たちのもとへタキオンのメッセージ動画が届けられたのは翌日のことであった。

 

 が、全員分メッセージを複製する必要はなかった。

 

 理事長による査定を受けたとはいえタキオンから謎めいたメッセージが送られてきた、となれば、各担当トレーナーたちは不信感までも抱いてはいないにせよ、さすがに自分も同伴して担当ウマ娘たちと共に内容を確認することにしたためだ。

 

 結果、結城トレーナー、桂崎トレーナー、片桐トレーナー……等、複数名のウマ娘を同時に担当している所では、それぞれのトレーナーの元で一本のメッセージを皆で同時に見る形となった。

 

 

 

〈……さて、ここから先は私の長々とした語りに付き合ってくれる面々だけが閲覧を続けている、という前提で進めさせてもらうねぇ。だからといって身構えることはないねぇ、もちろん私とて極力伝わりやすい表現を心がけるとも。

 

 順を追って話そうか、私の調査するかぎり最初に発生した異変は2年前にさかのぼる。とはいえ、その時点では異変であると認識できていなかったがねぇ。

 

 3年前の2月16日、京都記念でのことだ。

 

 ナリタトップロード先輩とアドマイヤベガ先輩は、明瞭に記憶しているところと思われるねぇ。そう、その翌年開催されるレースが、前年度と全く同じ出走者、全く同じ展開、そして全く同じ結果になるという異変だ。

 

 もちろん、出走者たちが示し合わせて順位を決めているわけじゃない、全員が全力で勝ちに行った結果、なぜか前回と全く同じレース展開になったのだねぇ。

 

 それは京都記念のみならず、阪神大賞典や天皇賞春、宝塚記念などでも起きていた。必ず毎年異なるウマ娘が出走するクラシック級限定のレース以外、ほぼ全てではないかねぇ。レースによっては、2年前から今年に至るまで、すなわち3回連続で同じ展開になったものもある。

 

 当然ながら、これは異常な現象だ。

 

 私はこの原因を、可能性世界からの干渉だと考えた。……と言うと“可能性世界”とは何ぞや、との説明も入れねばならないねぇ。

 

 注釈を長々と垂れ流すつもりはないから簡潔な説明で済ませよう、可能性世界とは、我々の住む世界とは異なる運命をたどった世界だ。『異世界』だとか『パラレルワールド』だとか言った方が伝わりやすいかねぇ、研究者の立場としては、あまりフィクションで用いられる表現を使いたくはないが。

 

 ウマ娘諸君、あるいはトレーナー諸氏は、運命が切り替わる瞬間を実感したことはないかい?本来、自分の進むはずだった道が、ひとつの大きな決断によって大きく方向転換する経験を。

 

 私はあるねぇ、去年の皐月賞でのことだ。

 

 私は皐月賞の後、脚に不調を見出して無期限の活動休止を宣言した。当初はそのまま引退してしまうつもりだったのだが……私のトレーナーくんの尽力で、それは阻止されてしまったねぇ。

 

 その後、現実世界の私はご存知の通り、同年の天皇賞秋にて復帰した。しかし、おそらく本来の私の運命は、皐月賞を最後に引退するところにあったのだろう。

 

 ウマ娘自身の意思とは関係なく、まるで何者かが我々の生き様を筋書きとして記し、定めているのではないかという憶測。それを私は“可能性世界”なる並行世界で実際に起きた出来事ではないか、と仮定しているのだよ。〉

 

 

 

 結城トレーナーの練習場では、アドマイヤベガ、エアシャカール、マンハッタンカフェ、ダンツフレーム、そしてタニノギムレットが居並んで、タキオンの語る画面を見つめている。

 

 シャカールを筆頭に、タキオンからちょくちょく憶測の話を聞かされている面々が集まっているためか、さして呆気にとられることなく、皆落ち着いた様子でメッセージを見つめていた。

 

 タキオンの会話のテンポを完全に把握しているおかげか、マンハッタンカフェは画面内のタキオンが一息入れる隙にアドマイヤベガへと話しかける。

 

「アドマイヤベガ先輩も……もしかすると、ダービーの後に引退していたのかもしれない、とのことでしたね……。」

 

「あなたも凱旋門賞への遠征を強行していたら、身体への負担が強まり過ぎていたかもしれないわ、カフェさん。」

 

「ククッ、我が存在自体が変革したかのような衝撃、到来を告げる角笛(ギャラルホルン)は皆の元に鳴らされたというわけか!ワタシが戦史(クロニクル)へ舞い戻ったように、オマエも再び駆けるのだろう、愛しき執念の炎(ダンツフレーム)よ!」

 

「うん。天皇賞も、マイルチャンピオンシップも回避するって決めた時はちょっと不安だったけれど……有馬記念に無事に出走して、皆と一緒に走るためには必要な判断だったって、今なら分かります……トレーナーさん。」

 

 タニノギムレットから言葉を投げ掛けられたダンツフレームは、返答しながらも結城トレーナーの方へと視線を向ける。老トレーナーは、静かに微笑みながら頷き返していた。

 

 トレーナーによる判断、あるいは身近な友からの助言を得たおかげで、ウマ娘としての運命はより良いものになった。そう信じられる面々が、確かにここには集まっている……エアシャカールは黙しながらも、皆の満ち足りた表情を見回していた。

 

 

 

〈……そんな可能性世界からの干渉によって、決まり切った運命が繰り返され、毎年全く同じレース展開が発生してしまう。

 

 そう考えた私は、可能性の既定を突き崩し、定められた運命を覆し得る要素、“特異点”たる素質を有したウマ娘を探し求め始めた。今となっては単純な考え方だねぇ、異常な現状を崩させえすれば正常に戻れると思い込んでいたのだから。

 

 だが実際には、異常を崩せば、得てしてさらなる異常に見舞われるものだ……すまない、回りくどい言い方だねぇ。

 

 要するに“特異点”たる存在に頼っても、状況は正常に戻らなかったということだ。

 

 毎年同じレース展開が繰り返される異変は、いわば警告のようなものだった。あぁ、しかし勘違いしないでくれたまえよ、この世界の神のような存在が意図をもって“警告”を発したなどと私は考えていない。あくまで全ては現象として発生しただけのこと、便宜上の表現だねぇ。

 

 昨年から今年にかけて、前回と全く同じレース展開が繰り返される異変は自然と収まっている。

 

 その理由はむろん断定は出来ないが、私は可能性が収束したためだと考えているねぇ。昨年は我々の世代が、そして今年はノーリーズンくん、ギムレットくん、ヒシミラクルくん、クリスエスくんの世代がGⅠレースにて活躍できるステージまで上がってきた。

 

 すなわち、全ての役者が舞台上に揃ったといったところだねぇ。

 

 毎年同じレース展開が繰り返されていたのは、本来至るはずのウマ娘レース展開、それが本来通りに実現する材料が全て揃うまで、可能性が停滞し続けていたがために過ぎないんだ。異変だと思っていた現象は、一過性のものだった。

 

 そして今、発生しているのが前述の通りだねぇ。レース場が満席となるほど観客が集まっているにもかかわらず歓声が我々ウマ娘へと届かない、正真正銘の異常現象だ。

 

 各々の観客たちは、自らの意思でレース場に足を運んでいるわけだから、個々の関心は確実にウマ娘レースへと向けられているねぇ。決して彼らが、レースへの熱中を失ったわけではない……にもかかわらず歓声が響かない理由は、本来の可能性になかった現象を、この世界自体が現実として認めていないためだ、と私は考えているねぇ。

 

 おっと、またも世界が意志を有しているかのような言い回しになってしまったねぇ、しかしこの言い方以外に思いつかないんだ。〉

 

 

 

 片桐トレーナーの練習場では、タップダンスシチー、ノーリーズン、そしてメイショウドトウが肩を寄せ合い、同じくタキオンの語っている画面を覗き込んでいる。

 

 ノーリーズン自身は、そこまで深く考えていない様を装うことが多かったが、実際は充分な思考を巡らせてから行動に移る慎重さが芯にある。特に激動のシーズンとなった今年、ノーリーズンも自らの選択に重大な運命の岐路を確かに見出していた。

 

「神戸新聞杯の後、クリスエスの奴を追ってワシも天皇賞に出走しておれば、どうなっておったのだろうのう!ますますもって、ミラ子が菊花賞を獲るのは確実になるじゃろうが!」

 

「It's not that simple、アンタが出てなきゃ、ミラ子もあそこまで張り合ってタイムを伸ばさなかったかもしれないぜ!ドトウ先輩もそうだが、片桐Trainerは強ぇ奴に対抗するライバルを育てんのが仕事みたいだな!」

 

「た、確かに、3年前のトレーナーさん、オペラオーさんに対して凄い執着心を燃やしてた感じですぅ。」

 

「いえいえ、そのようなこと、意識して指導を行っているわけではありませんが……タップダンスシチー、あなたにも優勝候補を脅かす走りを期待してますよ。」

 

 タップダンスシチーやメイショウドトウから向けられた言葉に、このトレセン学園いちの曲者トレーナーは無精髭の口元を引き上げて笑んでいた。

 

 メイショウドトウ、ノーリーズンに続き、タップダンスシチーもいよいよGⅠのステージにあがる。今までGⅡ以下にしか出走してこなかった、そしてGⅢ以下でしか勝ったことのないタップダンスシチーがいきなり有馬記念へと出走するわけだが……片桐は、必ず彼女は活躍できるとの確信を得ていた。

 

 それはもちろん、単なる戦績以上にウマ娘のことを理解している担当トレーナーゆえの感覚ではあった。が、同時に、ウマ娘の伴走者として、彼女らの先に延びる運命の行く先を垣間見ていたためかもしれない。

 

 画面内では、一呼吸置いたタキオンが再び語りだしていた。

 

 

 

〈皆の記憶にも刻まれているだろう例を挙げれば、今年の菊花賞での出来事だ。

 

 最高のスタートを切って理想的なペースで進めていたノーリーズンくん、そこにこちらも万全の状態のヒシミラクルくんが追い上げてきて、ゴール前の最終直線では実に熱い競り合いが見られた、まさに名勝負だったねぇ!

 

 そのような状況にこそ、大観衆は沸き立ち、地を轟かすほどの歓声が巻き起こりそうなものなのだが……実際には、レース場はあまりにも静かだった。

 

 ヒシミラクルくんの勝利が確定した瞬間、ようやく本来通りの声量で大歓声が響き渡ったわけだが、それは実に不自然な現象だったねぇ。まさか、当日居合わせた十数万人もの観客が、示し合わせて一斉に歓声を止めたり高めたり、器用に調整できるはずもない。

 

 事前にノーリーズンくんから聞いていたのだが、彼女は菊花賞の日程が迫ってくる時期、ずっと悪夢を見続けていたそうだ。スターティングゲートが開いて駆けだした瞬間、転倒してしまう……まぁ、デビュー間もない新米ウマ娘なら、緊張で見ることのありそうな内容だねぇ。

 

 しかしノーリーズンくんは既にGⅠウマ娘、そんなチャチな理由で悪夢を見る程度のメンタルではあるまい。私の見る分では、彼女は殊にしたたかな性格だからねぇ。

 

 私はそれこそ、彼女は可能性世界での展開を夢に見たのだろうと考えている。

 

 可能性世界では、ノーリーズンくんは菊花賞のスタート直後に転倒、そのまま競走中止となったのだろう。完璧なスタートで走り抜き、最後の最後まで勝利争いに加わり続ける展開は、この世界独自の特異点であり……本来の現実であると、世界から認められなかったのだろうねぇ。

 

 あぁ、そうだ、天皇賞秋においても、似通った現象はあったねぇ。

 

 まさにこの私、アグネスタキオンと、シンボリクリスエスくんが最終直線でデッドヒートを繰り広げた、あのレースだ。

 

 先ほども言ったが、私は去年の皐月賞を最後に引退しているだろうウマ娘。そんな私アグネスタキオンが、秋の天皇賞を勝利することなど、ますます可能性世界ではあり得ないことだねぇ。私が勝利する可能性が残り続けている限り、それは現実であると認識されなかったのだろう。

 

 ゆえに、ゴールラインを越え、シンボリクリスエスくんの勝利が確定するまで、観客たちからの歓声は届かず、ごく静かな中でのレースとなった。

 

 むろん、個々の観客たちは、大興奮の渦中にあったねぇ。あの白熱した展開を目の前にして、シラける人間はそもウマ娘レースのファンではないねぇ。やはり彼らの歓声だけが、ウマ娘たる我々に届くのを阻害されたような状況だった。

 

 さらに分かりやすいケースを挙げれば、先月のエリザベス女王杯とジャパンカップの比較だ。

 

 ファインモーションくんはエリザベス女王杯での勝利時、ゴール直前から物凄い大歓声に包まれていた。一方で、エアシャカール先輩はジャパンカップで勝利した時、ほとんど静寂の中に置かれていたねぇ。

 

 可能性世界で既定されていた通りに勝利すれば、この世界においても事実として認められ、何ら異変は発生しない。しかし、いわば特異点、本来勝つはずではなかったウマ娘が運命を覆して勝利した時、この世界はそれを事実として認めないのだろう。〉

 

 

 

 桂崎トレーナーの練習場では、ナリタトップロード、アグネスデジタル、ジャングルポケット、そしてシンボリクリスエスが席を並べ、タキオンのメッセージを見つめていた。桂崎トレーナーの傍らには、キングヘイローの姿もある。

 

 先月のジャパンカップでの出来事は、エアシャカールの勝利をまさに目の前で見ていたシンボリクリスエスにとっては特に、印象に残る出来事であった。

 

「I finally get it……あの時の、静かすぎるレース場は、確かに変だった……ファインモーションの声がきっかけで、大歓声が起きたのも、不思議だった。」

 

「しかしまぁファインさんにとっては、一番の推しはエアシャカールさんですからね!やっぱり推しへの熱と愛は、どれだけ変な空気も吹き飛ばせるんですよ!そうだ、もしも有馬でもおかしなことが起きたら、私と一緒に自慢の大声を響かせてくれますか、ポッケさん!」

 

「えー……いや、自然とデカい声が出ちまうことはあるけどよ、出せって言われてからやるのはちょっと調子狂うっていうか……ま、オレが勝てば、勝手に口が叫んじまってるかもな。」

 

 アグネスデジタルから無茶な絡まれ方をされつつも、ジャングルポケットは共に走る面々と臨む有馬記念への意欲は熱く滾っているらしい。

 

 どれだけ得体のしれない異常現象を前にしても、後輩たちが心身ともに万全であることを確認し、ナリタトップロードはふたりのトレーナーの方へ顔を向け、互いに笑みを浮かべてみせた。桂崎もキングヘイローも、レース場にウマ娘たちを送り出すことに関しては、もとより何らの不安もない。

 

 画面の中で語り続けるタキオンの、その眼差しが決して絶望していないことが言外の説得力を有していた。

 

 

 

〈さて、事例を列挙するだけで随分と長ったらしく語ってしまったが、本題は今回の有馬記念についてだねぇ。

 

 率直に述べれば、今回の有馬記念においても、異変は同様に起きるだろう。

 

 出走者はまるきり昨年とは異なるから前回と全く同じレース展開にはなり得ないが、観客からの歓声がターフ上の出走者まで届かない、という異常現象は確実に発生すると思われる。いわば特異点、本来は今なお現役を続けているはずではないウマ娘たちが多く参戦するのだからねぇ。

 

 このメッセージの最初でも言った通り、歓声が聞こえないことを気にする必要はないねぇ。私たちのファンは万単位で詰めかけるわけだから、全ての観客が有馬記念に熱狂していることには違いない。歓声が聞こえないだけのことなど、気にしなければ済む話だ。

 

 ……ただ、この異変を来年も、再来年も、延々と続けることになってしまうのは、一つの憂慮があるねぇ。

 

 いずれ私たちの後にデビューする後輩ウマ娘たちは、もはや大歓声を浴びる経験など出来ず、静寂の中でしか走れないのだろうか?可能性世界の既定通りにデビューし、定められた運命通りに戦績を刻めば問題はないだろうが、さだめに抗うことで新たな道を切りひらくこともまたウマ娘の選択だ。

 

 既に我々自身が、このウマ娘レースを中心に回る現実世界の歴史を、大きく変えてしまっているねぇ。

 

 現に、昨年の私は皐月賞の後に一時的に活動休止したわけだが、その後復帰して秋の天皇賞を獲っている。私が復帰せず、そのまま引退していれば……私ではない、別のウマ娘が天皇賞を勝利していたはずだろうねぇ。可能性世界から見れば、いわば不正解の歴史を歩んでいることになるわけだ。

 

 だからと言って、本来の“正常な”世界、実現したはずの可能性をなぞることに努めねばならない謂れはない。

 

 敗北する運命など覆し、身体を壊してしまう将来は回避する。それがウマ娘の望みであり、ウマ娘たちを担当するトレーナー諸氏の願いであるはずだろう?〉

 

 

 

 鷹木トレーナーのもとでは、画面の前にヒシミラクルとテイエムオペラオーが並んで座り、ついでにこのメッセージを作成したアグネスタキオン自身も同席させられていた。

 

「いや、なぜ私が私自身の作成した動画メッセージをじっくり見ねばならないんだい!内容は既に分かっているねぇ、というか改めて見せられると気まずいねぇ!もっと簡潔にまとめられたはずだし……ちょくちょく自分の語りで悦に入っている感じを出してしまってるのが気色悪いねぇ!」

 

「いやいやいや、カッコいいじゃないですかタキオン先輩。『敗北する運命など、覆し』って……」

 

「やっ、やめたまえ!変に誇張して私を真似するなど!」

 

「ハーッハッハッハ!タキオンさん、キミも自らの魅力に酔いしれることを知ったようだね!いずれ本当に引退したら、ボクと共に舞台で脚光を浴びるのはどうだい?」

 

「私は研究職志望だねぇ!畑違いどころか、向かうべき道がまるきり違うねぇ!」

 

 ヒシミラクルとオペラオーから交互にいじられ、いつになく赤面しつつ慌てているアグネスタキオン。

 

 自分自身の語りを上映される恥ずかしさを味わわされている彼女の災難はさておき、鷹木は先日まで感じていたタキオンに関する胸騒ぎが杞憂であったと思い直して小さく安堵していた。

 

 今のタキオンの目には、思いつめた色など浮かんでいなかった……正直、彼女が文面ではなく動画によるメッセージにこだわったことには、自分の姿を皆に覚えていてもらいたいとの願いがあるのではないか、と鷹木は邪推していたのだ。

 

 そんな突拍子もない憂慮がトレーナーの内に浮かぶほど、昨日までのタキオンは、彼女自身が消滅することを受け入れたかのような、晩年のごとき表情を覗かせていたのだ。

 

 

 

〈むろん、この有馬記念に出走する皆で全力のレースを成し遂げることが第一目標だ。だが同時に、そして幸いなことに、この有馬を最後に異変を収められる目処は立っていると私は考えているねぇ。

 

 有馬記念を構成する全ての要素が特異点、いわば可能性世界にあり得ない存在ばかりであっては異変は収まらないだろうが、実際はそうではない。

 

 私の見る限り、今回の出走者の半数以上は、本来定められた運命通りに出走するメンバーが占めていると考えられる。

 

 ナリタトップロード先輩、エアシャカール先輩、アグネスデジタルくん、ゼンノロブロイくん、ジャングルポケットくん、ファインモーションくん、タップダンスシチーくん、シンボリクリスエスくん、ノーリーズンくん、そしてヒシミラクルくん。

 

 可能性世界においても引退してしまっておらず、ちゃんと有馬記念に出走している可能性が高いのが、この10名だ。

 

 残り半分以下の8名が、本来すでに引退してしまっているか、身体の負荷が蓄積して出走できない状態になっていたはずのウマ娘だ。アドマイヤベガ先輩、テイエムオペラオー先輩、メイショウドトウ先輩、マンハッタンカフェ、ダンツフレームくん、タニノギムレットくん、ネオユニヴァースくん、そしてこの私アグネスタキオンだねぇ。

 

 単純な数比べで解決する話ではないかもしれないが、私はここに至ってなお、特異点が大半を占めていない状況にひとつの活路を見出しているんだ。

 

 いかにウマ娘や担当トレーナーが、強い意思をもって望まぬ運命を覆したとしても、我々が立っている土台が現実世界であることには違いない。本来あるべき可能性は、覆されないからこそ安定して現実という土台を構築し続けてくれているわけだねぇ。

 

 あまりにも特異点が増えすぎた結果、現実性や物理法則が狂いかけている事例を、既にいくつか確認している。夏合宿で、私と共に火星大接近の観測を行った面々には、十分に実感されているところだろうねぇ。あの事例をもって、私は特異点を押し通すことにリスクがあると認識した。

 

 本来あり得ない事象を頻発し続けた世界は、現実性を失い、崩壊ないし消失するのではないか、と。

 

 しかし今回の有馬記念に話を戻せば、可能性世界での既定通りに出走する面々が半数以上だ。可能性世界と相違の無い土台が十分しっかりしていればこそ、本来あり得ない運命をも、無理やりにでも現実としてこの世界に認識させることは出来るのではあるまいか。

 

 何よりも、舞台は有馬記念だ。レース場現地に集う観客たちばかりじゃない、ネット配信経由で観戦するファンも世界中に存在する。

 

 少なく見積もっても、数百万……強気に見積もれば、数億を超える感情が、有馬記念の開催中には爆発するわけだ。

 

 我々のレースが前例のない熱狂を生み、圧倒的に巨大な思念の塊が、ファン達とウマ娘との間を隔てる壁を突き破り、大歓声を響かせることが出来れば……それ以降、我々は、ウマ娘と担当トレーナーが望んで選び取った新たな歴史を、真なる現実として将来へ延べることが出来るのではないか。

 

 最後の最後で、まるきり科学的ではない見解をもって締めくくらねばならなくなってしまったねぇ。

 

 ともあれ、ここまで冗長な話を我慢して閲覧してくれた皆には拍子抜けな結論かもしれないが……まとめれば、我々の有馬記念が、ファン達を存分に、この上なく、感動させられれば、望む未来は得られる、ということだねぇ。

 

 ……丁度良い締めの挨拶が思いつかないねぇ、どうも研究者の頭脳では、スピーチには向かないねぇ。では、有馬記念の日を楽しみにしていようじゃないか、諸君。〉

 

 

 

 動画メッセージがここで終わり、スマホを片手に屋上にゆらゆらと独り立っていたネオユニヴァースは星空を見上げる。

 

 彼女の頭頂部の毛束はピンと立ち、星空、すなわち遥か広大に広がる宇宙空間へと向けられていた。先日、タキオンの中に見出した秘めたる決意は、今のメッセージの中でも最後まで秘められたままであった。

 

「……ツートン ツートンツートントン トンツートントントン トンツートンツートン トンツーツーツー ツートン ツーツーツートンツー ツートンツーツー トンツートンツーツー……」

 

 観測可能な宇宙の果ての、更なる向こう側、もはや現実世界に生きる住民たちにとっては存在しないも同然の別世界。

 

 通常の手段では何らの情報も届くはずのない隔たりを越えて、なお届けようとするネオユニヴァースのメッセージは真摯であった。

 

「“INTI”は“WRD”だったけれど……今は、もう“ZEER”だよ。『わたし』は、『共に居たい』を願う……聞いてくれる?『あなた』。」

 

 見上げるネオユニヴァースの瞳には、都会の夜空では輝かぬはずの星々までもが映りこんでいる。

 

 彼女が唯一『あなた』と呼ぶ存在……彼女のことを『ネオ』と唯一呼ぶ存在……すなわちトレーナーは、すぐに返答を寄越すことは出来なさそうであった。

 

 呼びかけからしばらく待った後、ネオユニヴァースは瞼を一度瞬かせ……彼女の目に映るのは、疎らに星が散らばっただけの、都会の夜空に戻っていた。

 

「ネオユニヴァースの“NAV”から外れないで、タキオン……“FRPM”だよ。」

 

 誰も見ていない、すなわち誰からも観測されないトレセン学園屋上。交信を終えたネオユニヴァースの姿は既にかき消えて、彼女自身はとっくに寮の自室へと戻っていた。

 

 誰にも不安の種を残すまいとするタキオンの意思は達成され、やがて有馬記念の日を迎えることとなる。

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