探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 ついにやって来た、有馬記念当日。この日の異変は、レースが開催されるずっと前、まだ中山レース場自体の開場時刻を迎える前から明瞭となっていた。有馬記念が行われるのは午後であるにもかかわらず、開場前の早朝から熱心なファン達は入り口に詰めかけている。そんな彼らの姿は、視野に入れると何故か霞んで見えた。本来の可能性の中では行われるはずのない、GⅠウマ娘たちが勢揃いした有馬記念。このレースを観戦する者たちの存在も、現実性が薄れて行っているのだろう。タキオンの仮説はほぼ当たっているようであった……ならば、彼女が密かに抱えている解決策もまた、機能することが期待できた。


ありえぬはずの現実は、輪郭も薄れ

 12月22日。有馬記念当日の中山レース場は、まだ一般の観客を迎え入れる開場時刻には早く、冬の薄暗い早朝の気に満ちている。

 

 レース準備のために数多の作業員たちが夜の明ける前から仕事に追われているのは言うまでもなく、いつにもまして大きな規模で予定されているウイニングライブのため、総勢数百人もの設営スタッフたちが働き続けていた。

 

 むろんステージの組み立てや強度確認、音響や照明など機材のチェック、演者たるウマ娘たちを入れてのリハーサル等々は前日までに済まされていたものの、当日とて裏方スタッフたちの多忙は続く。

 

 有馬記念のウイニングライブは特別なセットだ。

 

 それも、幾万人もの観客たちが移動せずとも良いように、中山レース場内に設置されたステージである。

 

 当然ながら、観戦スタンドからの視野を塞ぐ規模のセットを、レース開催時間中ずっと設置しっぱなしには出来ない。どのようなセットで有馬を走り抜いたウマ娘たちがパフォーマンスするのか、ライブ直前まで秘密にしておくサプライズの意図もある。

 

 ゆえに、この一年の集大成となる最大級のウイニングライブ用ステージは、最も堅牢に作られた土台部分を残して一旦撤去解体され、全てのレースが完走され終えた後ただちに再設営されるのだ。

 

 URAが、ありとあらゆるリソースを惜しげもなく投じるのは、この日はライブについても同様であった。

 

 再設営においては秒単位でも作業の遅れがあってはならないし、同時にステージ組み立てに不備があってもならない。あらゆるウマ娘たちのあこがれの舞台、その最高峰で生まれた失態は取り返しがつくはずもない。

 

 そのため、一般の観客たちが入場してくる前にステージのいったんの解体を終えたスタッフたちは、休憩を挟みつつも本番直前に備え、自分や配属されたチームの動きを念入りに打ち合わせ、バックヤードにて数時間にわたり繰り返し作業手順を練習することになっていた。

 

 いったんの休憩時間を与えられた数百名の裏方スタッフたち、外の空気を吸いに出てきた面々の中に、髪色を派手に染めたウマ娘2名の姿があった。

 

 水色のリーゼントを振りたてたウマ娘と、ピンク色のボサボサ髪のウマ娘である。

 

「……まさか、3年目でガチの有馬記念のライブ会場に回してもらえるとはな。今日になって、ようやく実感湧いてきたぜ。」

 

「ウチら数年は、ずっと地方の会場設営だけやらされんじゃねーかって覚悟してたんだけどな。」

 

 むろん、同じ会場設営スタッフたちに彼女らの顔を知る者は居ない。

 

 だが、他でもない今回の有馬記念の出走者……なかでも、ジャングルポケットやタップダンスシチーがこの場を見れば、すぐに彼女ら2名が自分の知己であると見いだせただろう。

 

 水色リーゼントのウマ娘と、ボサボサピンク髪のウマ娘は、どちらも元々ジャングルポケットの悪友である。

 

 トレセン入学前のポッケが野良レースに明け暮れていたころ、幾度も対戦相手となっていた彼女ら。入学式の日にはポッケの友人として学園敷地内に乱入し、これまた勝手にレースを始めるという、ヤンチャの塊のような存在であった。

 

 その後2名は、姐御肌のタップダンスシチーと親しくなり、タップの担当である片桐トレーナーからも暇な日には練習相手として呼ばれたり、時には同じく片桐トレーナーの指導下にあるノーリーズンの練習相手も務めたりしていたが……トレセン学園に入学できないウマ娘の常として、彼女らはウマ娘の力を活かした肉体労働に従事することが生業となっていった。

 

 能力的にも経済的にもはるか遠いウマ娘レースの世界、そこに曲がりなりにも近づきたいとの思いゆえか、彼女ら2名はウイニングライブ会場の現地設営スタッフとして働き続けていたのである。

 

「にしても、ポッケの奴、これで有馬記念2年連続出走か……ウチらと野良レースしてた時のこと、もうとっくに忘れちまってんじゃねーか?」

 

「いちいち思い出してるヒマもねーだろ。昔を懐かしがってるアイツなんか想像つかねーし。気ぃ抜いて中途半端な走りしやがったら、コイツでドタマはたいてやる。」

 

 水色リーゼントのウマ娘は、手にしていた大型のモンキーレンチを振るい、ブンと風切り音を立てた。

 

 袖を捲った作業服から覗く腕の筋肉は隆々たるもので、人間には真似できない量の工具や資材を運搬し得る膂力がそこに凝縮されている。数年にわたる業務への従事が、走るためには程遠い筋肉の発達を確たるものとしていた。

 

 もう、旧友と肩を並べて走ることは、彼女らには出来ないが……ターフを駆け、ステージで脚光を浴びるウマ娘たちの土台を、文字通りに組み立てる仕事において、裏方としての力は必要とされ続けるだろう。

 

「そろそろ一般客の入場か……ん?」

 

「どーした?ウチらも休憩やめてバックヤードに引っ込んでないと、チンピラウマ娘がたむろしてるんじゃねーかって勘違いされちまうぜ。」

 

 ボサボサピンク髪のウマ娘は急かすが、水色リーゼントのウマ娘はじっと一点を見つめながら眉間にしわを寄せていた。

 

 裏口に向かってくる観客はいないが、ここからでも中山レース場へとやってくるウマ娘レースファンが列を為している様は見える。有馬記念が始まるのは午後3時過ぎであるにもかかわらず、午前9時の開場時刻より前から既に大勢のファン達が詰めかけてきているのだ。

 

 その状況自体には違和感など無かったが……その一群を見つめているうちに、ピンク髪のウマ娘も妙な事に気づいた。

 

「あれ?なんか、霧が出てんのか?観客の姿が、ボンヤリして見えるんだが。」

 

「いや、霧とか煙とか、そんなの出てねーよな。観客の方を見てる時だけ、目がかすんじまうみたいだ。疲れか?」

 

「んな年寄り臭ぇこと言うなよ、ウチらポッケと同い年だぜ?気のせいだって、行くぞ。」

 

 そんなことを言い合いつつも、揃って目をこすりつつ、休憩時間を終えてバックヤードへ戻っていく両名。

 

 たしかに気にしていても仕方のないことではあったが……この日集まってきた観客に、異変が起きていたのは事実であった。

 

 観客そのものがおかしいのではなく、観客たちの存在を認識するプロセスに異変が起きている、と称した方が正確だったが。タキオンが危惧していた通り、本来あるべき可能性を覆して走ってきたウマ娘たちのレース場において、ファンたちの存在する現実性は半ば薄れゆくものとなっていたのだ。

 

 こちらも早朝から現地入りしている、解説役のスペシャルウィーク。実況アナウンサーや放送スタッフたちとのミーティングをひと段落させ、コーヒー片手に休憩時間に入る。

 

 ちょうど、中山レース場スタンドの上層階の窓からは、入場待ちしている大勢のウマ娘ファンたちの群れを見下ろすことが出来るが……スペシャルウィークもまた、それに視線を向けた途端に目をこすっていた。

 

「うわ、確かに、なんか変……タキオンさんも有馬記念当日に異変が起きるって言ってたけど、もう始まる前から変なこと起きてる……。」

 

 有馬記念出走者に向けてタキオンが制作したメッセージ動画の内容は、秋川やよい理事長のつてでスペシャルウィークにも伝えられていた。当日、どんな異常現象が起きても彼女が狼狽えず、解説者としての仕事に集中できるように。

 

 そして、その備えは杞憂に終わっていなかった。

 

 今、中山レース場の正面に集まっている観客たちひとりひとりに注視すれば、その姿を視認することは不可能ではない。服装や髪型、楽しげな表情に至るまで、きちんと目視することは出来る。幽霊のごとく半透明になっている者などいない。

 

 しかし、既に何百人と詰めかけた一群を視野に収めた時、一気に彼らの存在感は輪郭が揺らぎ、まるで見ている者の視力がじわじわと奪われるような感覚を得るのだ。聴覚的にも、朝っぱらからこれだけ大勢が集まっているにもかかわらず、喧噪の声々が響いてこない。

 

 タキオンの時おり用いる“現実性が薄れる”という表現が、最も明瞭にあらわれた光景であった。

 

 窓外の光景を見下ろしながら目をこすっているスペシャルウィークの背後から、サイレンススズカが話しかける。

 

「スペちゃん、今日は実況席もカメラ撮影されるんでしょう?目をこすってたら赤くなっちゃうわ、かゆいのなら目薬いるかしら?」

 

「いえいえ大丈夫です、心配させちゃってすみませんスズカさん……実況解説なら私の方が先輩なのに。スズカさん、緊張してないですか?」

 

「えぇ、昨日まではちょっと不安だったけれど、ここに来てみると意外と平気ね。大勢の人から見られるのも、レース場でなら気にならないみたい。」

 

 本日はシークレットで特別解説ゲストとして呼ばれているサイレンススズカ。これも、今年の有馬記念で歓声を響かせたいと一考したスペシャルウィークの働きかけで実現したことである。

 

 普段は混雑する場所が苦手なスズカであるが、レース場であれば満員の観客たちを前に走っていた現役中を思い出すのか、高揚感が上回るようである。とはいえ、今日に関しては異変が入り込んできている。

 

 サイレンススズカもスペシャルウィークの隣に立ち、窓から観衆の群れを見下ろす。

 

 たった今忠告した手前、自分もまた目をこするような真似はしなかったが、彼女が見えにくそうに眼を僅かに細めたあたり、スペシャルウィークと同様の現象に見舞われたのは確かであった。

 

「……やっぱり、観客さん達を見る時、変な感じしますよね、スズカさんも。あんまり驚かないんですか?」

 

「そうね……似たようなことは、前に経験したから。」

 

 普段の振る舞い、そもそもの外見から、おとなしく真面目そうな印象を与えるサイレンススズカ。しかし彼女独特の思考回路が、ときに突拍子もない言動を導き出すことをスペシャルウィークは良く知っている。

 

 だから、今回もまた、この異変を前にしてサイレンススズカが予想外のことを言い出すのはある程度予想できていたのだが……数秒の間をおいて、さすがにスペシャルウィークはギョッとした表情とともに聞き返した。

 

「えっ?これまでに同じこと、起きてましたっけ!?」

 

「いえ、現実で、じゃないわ。経験したってのも、言い方が変よね……夢の中で、見たの。」

 

 ひとまずのスズカの返答を聞いて、スペシャルウィークは取り乱しを収めたが、しかし安堵の表情にまでは至らない。

 

 現実にならなかった可能性を選ばず、誰も望んでいなかった運命を引き受けたウマ娘。サイレンススズカが、その最たる存在である。

 

 特異点たるウマ娘たちが可能性を覆しつづけた結果が、この現実性が薄れる異変の元凶であるならば、スズカが同様の光景を夢に見るに至った経緯も何となく想像がついたのだ。

 

「……6年前の天皇賞の夢、ね。もう終わったことだから、普段わざわざ思い出そうとはしないのだけれど……私の身体と心は、ときどき呼び起こしてしまうみたい、あの時の光景を。」

 

「です、ね。私も現役時代のこと、たまに夢に出てきますし。」

 

「けれど、嫌な内容じゃないのが救いね。夢の中の私は、必ず勝つもの。あの日の天皇賞秋も、加速しながら4コーナーを回り切って、大差でゴールしているわ。毎回、夢で見るたびに。」

 

 実際、何事も起きなければ間違いなくサイレンススズカは勝利していただろう。身体能力の本格化が開始されたあの年のことだ、そのまま年末まで先頭の景色を文字通りに一度も譲ることなく、オペラオーより先に年間無敗を達成していたかもしれない。

 

 実にスズカらしい内容であったが、あの日のことをたびたび夢に見るのは、決して気楽な思いで受け止められるものではない。スペシャルウィークは神妙に、ただ頷くばかりであった。

 

 ただ、本題は観客たちについてである。

 

「夢の中で、私は天皇賞に勝って、夫……トレーナーさんに向かって手を振るの。それから、観客席に何万人もつめかけているファンの方たちにも。けれど、ハッキリ見えるのはトレーナーさんの姿だけで、観客さんたちの姿はボヤけて見える……ちょうど、こんなふうに。」

 

 サイレンススズカは、視線を窓外に向ける。

 

 間もなく開場時刻が迫り、中山レース場前で待つ観客たちは数百どころか千人ほどにも達し、人の海で溢れかえるような様相となっていたが……それゆえに、ますますもって彼らを視野に入れた際の、視界の霞みは強まっていた。

 

「きっと、トレーナーさん以外の人の姿がぼやけて見えるのは夢の中だから、だと思っていたのだけれど……現実にならなかったレースを讃える観客たちの姿は、あいまいな存在になってしまうのかもしれないわ。」

 

「でも、今日の有馬記念は、きちんと現実です。主役は実際に出走する子達ですけど、今日のレースは夢なんかじゃないって世界に伝えるのが、私や、実況アナウンサーさんや、今日来てくれたスズカさんの役割です。」

 

「そうね。夢のような出走メンバーが集まっているけれど、これは現実。私もしっかりと解説を頑張らなきゃ。」

 

 サイレンススズカは頷き、打ち合わせ再開のためにスペシャルウィークと連れ立って実況席の設けられた区画へと戻っていった。

 

 一方、トレセン学園から中山レース場へと向かう専用バスの中。

 

 今朝がたからずっと、アグネスタキオンは鷹木が想定していた以上に気安そうな様子でリラックスしている。

 

 そもそもが有馬記念というGⅠレースの集大成、さらには度重なる異変に対しても大きな節目である。将来ずっと異変に付きまとわれながらレースを続けるのか、それとも今回で異変に終止符を打つのか、レース史における分水嶺となる局面なのだ。

 

 普段からレースを前に緊張感を示すウマ娘ではなかったが、それでも鷹木にはタキオンがあまりにも気を緩めた状態であることが少々不気味であった。

 

「タキオン、メンタル面が安定しているのは悪いことじゃないが、ほどよい緊張感も保ってくれよ?有馬に出走するのは2度目だとはいえ、今回は油断してられる状況じゃないだろ。」

 

「分かっているねぇ、とはいえ、私は一つの大きな不安を乗り越えた所なんだ。これまでにない最大級の特異点となり得る有馬記念、それが行われる今日という日そのものを現実世界が認めず、消し飛ばしてしまってはどうしようも手を打てないだろうと懸念していたのだからねぇ。」

 

「そんな無茶苦茶な異変は、流石にありえないだろう……。」

 

 鷹木はそう言い返したものの、知ったところで手立ての打ちようのない懸念についてはタキオンが言及を避けてきたのだろうと思い至り、口を噤んだ。

 

 それでも、この場の空気が重く沈むことがなかったのは、同席しているテイエムオペラオーが絶好調、喋りも最高潮だったためだろう。

 

「ハーッハッハッハ!大地収まりて相和すれば、天に喜び満つるべし!この幸いなる日が、消え去る時があるとすれば、この世界が歓びの声に耐えきれなくなった時だろう!鷹木も案ずることなく、ボクらの勝利を今のうちに喜んでおきたまえ!さもなくば、レース決着後から溢れる歓喜を捌き切れなくなるだろう!」

 

「なるほどねぇ、不安の予感を既に払拭し、当然のごとく喜びを迎えるものだとトレーナーくんが信じ切っておけば、可能性の域においても皆の勝利を確たるものと出来るわけだねぇ。ウマ娘の運命に干渉し得る、担当トレーナーの扱いをさすがに心得ているねぇオペラオー先輩。」

 

「いやいや、先輩方、全員で勝つってわけにはいかないんですよ、一着になるのは誰かひとりだけなんですから……。」

 

 賑やかなオペラオーと、リラックスしきったタキオンに並んで、こちらは真っ当なツッコミを入れているヒシミラクル。

 

 確かに個性的すぎる面々に挟まれれば、ミラ子はあらためて普通のウマ娘であったが、有馬記念に初出走する直前であることを思えば、この落ち着きようは堂に入ったものであった。

 

 やはり、有馬記念への出走に行き着くウマ娘は元より相応の素質を備えているものなのだ……鷹木は後部座席から3名を見つめ、あらたまって口を開いた。

 

「以前なら、夢にすら浮かばなかったが……紛れもない現実、だよな、担当ウマ娘が3名、そろって有馬記念に出走するのは。本当にありがとう、ここまで、色々と苦難を乗り越えて来てくれて。」

 

「おや、鷹木、早目に喜んでおきたまえとは言ったが、感謝の言葉を述べるには早すぎるんじゃないかい?有馬記念での勝敗が決するのは、これからじゃないか!」

 

「感謝されることは筋違いではないがねぇ。オペラオー先輩に引き続き、この私アグネスタキオンという天才ウマ娘を担当できた幸運は、なかなかに凡庸なトレーナーが得られるものではないからねぇ。」

 

「いやいやいや私も!私もその天才ウマ娘のなかに入れといてくださいよ!」

 

 オペラオーとタキオンの言葉に引き続き、ヒシミラクルが手慣れた調子で、自らオチを担当する。

 

 彼女のタキオンとの付き合いは長い一方、テイエムオペラオーと直接会えている時間はかなり限られていたのだが……世紀末覇王と呼ばれたウマ娘が相手であろうと、如才なく付き合い、自分の居場所を作り出すのが上手いのはヒシミラクルの才能でもあった。

 

 バスの中での会話が盛り上がるうちに、どこか力の抜け過ぎた様子であったタキオンも調子が温まってきたのか、口数が増えてくる。

 

「確かに菊花賞ウマ娘はもはや普通の存在ではないだろう、しかし天才を称するにはまだまだ足りないねえ。この有馬記念については随分と余裕のようだが。」

 

「えぇー?余裕なんかじゃないですって。昨日は流石に早めに練習を切り上げましたけど、それも今日の本番に備えるためですし。」

 

「その早めに切り上げた練習の後、トレーナーくんとどこぞへ出かけていたじゃないか。どうやら内緒にしたい様子だったがねぇ……デートとなれば、私も邪魔をするような無粋な真似などしないとも。」

 

 先月、鷹木と共に駄菓子屋へ買い物しに行った時のことをデートだと勘違いされた意趣返しのつもりか、タキオンはヒシミラクルをニヤニヤと見つめ返す。

 

 有馬記念前日となる昨日、練習後にヒシミラクルが鷹木と出かけたのは事実であった。

 

 

 

 それに、秘密にする必要は、確かにあったのだ。

 

 有馬記念を直前に控えたタイミングでのヒシミラクルの思い付きは、レースのことだけで頭がいっぱいになっている状態の鷹木には、到底考えの及ばぬ内容であった。

 

「そういやトレーナーさん、花束のひとつでも買ってあるんですか?」

 

「へ?は、花束?何の話だ?」

 

 その会話が行われたのは、昨日、練習時間の終了を鷹木がヒシミラクルに告げた時のことである。

 

 夕映えの光に照らされながらミラ子は、眉を八の字にして、やれやれ何もわかっていない、とばかりに肩をすくめて首を横に振りつつ、あらためて鷹木に語った。

 

「だって、オペラオー先輩の久々の復帰しての本番レースですよ?この有馬記念のためだけに復帰したとなれば、同時にラストランにもなるわけですし。」

 

「まだ、オペラオーが有馬記念の後にどうするのかは聞いてないんだが……。」

 

「ともかく、記念すべきレースには違いないんですってば。オペラオー先輩が特に何も予定してなければ、タキオン先輩のシニア級完走記念、とかでもいいですし。今すぐ花束、買いに行きましょ。」

 

 担当をレースで勝たせることだけを愚直に考えている無骨なトレーナーには無い発想、世間渡りの上手なヒシミラクルだからこそ思い至ることであった。

 

 その後、商店街の花屋に向かった鷹木とミラ子であったが、何の花を買うべきか、特に贈答品にも花言葉にも堪能ではない両名は特に思いつかなかった。

 

 結局、オペラオーが好んでいたような気がする……との鷹木の発言で、赤いバラを山のように包んだ花束を購入してきたのであった。

 

 

 

 そして有馬記念当日となった今、オペラオーにもタキオンにも秘密にして持ち運ぶ必要のある花束は、湿度や温度が保たれる専用のケースに収められ、鷹木が抱えるべき大荷物のひとつとなっていたのだ。

 

 昨日の練習後のお出かけを、デートと誤解されたミラ子であったが、サプライズを朝から早々にバラすわけにもいかず、トボけて乗り切ることにしたようであった。

 

「へへん、まぁ何と言いますか、一世一代の大舞台が迫ってるもんですからね。英気を養わせていただいたわけですよ、えぇ。」

 

「ハーッハッハッハ!素晴らしいじゃないか、愛の力で勝利を勝ち取るというのは!今年の有馬は、レース中にハイメンが降臨してくるやもしれないね!」

 

 オペラオーは、変わらずハイテンションで、ミラ子の本気ともつかない言葉へ即座に返している。

 

 一方、タキオンもまたミラ子が半ば冗談を述べているだろうことは分かっていただろうが……こちらは何故か、目の内にどこか真剣な色の片鱗を浮かべていた。

 

「ふぅン、まぁ、お似合いだとは思うねぇ。凡庸なトレーナーと平凡なウマ娘同士、末永くお幸せになれるだろうねぇ。」

 

「いやいやいやいや、マジに受け取らないでくださいよ……って、誰が平凡なウマ娘ですか!私はふつーなウマ娘を自称してますけど、平凡って言われると、なんか、こう、違うんですよ!」

 

「そうかねぇ?ならば、この有馬記念で結果を見せてくれたまえ。少なくとも私よりも前に出てゴールする姿を見せてくれれば、平凡の称号は撤回しようじゃないか。」

 

「それほぼ一着になれってことですやん……わ、分かりましたよ、もとより勝つつもりで私だって出走するんですからね……!」

 

 ヒシミラクルを焚きつけることに成功したタキオンの表情は、すでにしっかりとリラックスした状態を取り戻していた。

 

 冗談を言い合っているだけの場で、何故タキオンが一瞬ながら真面目な雰囲気を示したのかは分からず、傍から見ていた鷹木には違和感だけが残った。タキオンの言葉にもトゲはなく、まるで鷹木の元に後輩を託すかのような言い回しだった。

 

 秘めたる思いを抱えたタキオンは、先輩であるオペラオーと後輩であるミラ子に挟まれてバスに揺られ、遂に有馬記念当日の中山レース場へと到着したのであった。

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