有馬記念自体が行われる何時間も前、朝の開場時間から既に他の開催日とは比べ物にならない観客たちが詰めかけていたが、いよいよ出走時刻が間近に迫るころには当然ながら観戦スタンドは超満員となった。
そして、観客たちの姿に異変があることにもまた、変わりはなかった。ひとりひとりの姿は、注視すれば確かに姿を視認できるものの、集団全体を視野に入れると、まるで見る者が視力を奪われたかのように輪郭が霞んでしまうのだ。
彼らの声も、遥かな隔たりの向こう側にあるかのように、薄く小さい。ウマ娘ファン達がスタンドを満席にしているにもかかわらず、歓声が響かない異変は発生が確実となった。
もはや、異常現象に気づいているのは出走ウマ娘たちだけではなかっただろう。
人間である実況アナウンサーも常には見せない緊張を表情の片鱗に浮かべたが、プロとして戸惑いを声色には一切示すことなく、実況席のマイクに向けて語り始めた。
〈今年最後のGⅠレース、名だたるウマ娘たちが集結し、覇を競います有馬記念!なんと今回は18名出走中、17名がGⅠ勝利ウマ娘、前代未聞の状況となっております!さぁ解説には毎度おなじみ、スペシャルウィークさんにお越しいただいております!〉
〈はい!スペシャルウィークです!いやすんごいことになってますよ、今回!そもそもGⅠ勝利者がこんだけ集まること、まずないですからね!この中では唯一GⅠ未勝利なタップダンスシチーさんも、十分すぎる実力者ですし!〉
〈そうですね、デビュー3年目にして、めきめきと能力を向上させ、GⅢやGⅡでも実力を見せつけましたタップダンスシチーの走りにも期待がかかるところです。しかし今回、何よりも注目が集まっているのは、3年のブランクを経て突如の復帰となったテイエムオペラオー、メイショウドトウの両名ではないでしょうか!〉
〈んだなぁびっくらこいたっしょ!っと、いやすいません、私も今月に入ってから聞いたもんで、知った時はひっくり返りそうになりましたよ!おふたりの走ってる所はチラッと見させてもらったんですけど、トレーニングはずっと欠かしていない様子でしたね!ブランクを全く感じさせない走り、3年ぶりに見るのが楽しみです!〉
〈世紀末覇王と宿敵たる名将の復活に加え、クラシック三冠を分け合った面々が二世代にわたって揃い踏み、さらに今回も人気度上位のシンボリクリスエス、そして1番人気はティアラ路線での圧勝劇を見せたファインモーション!今世代最強クラスのウマ娘たちからも目が離せません!……ついトークに熱が入ってしまいましたが、今回は実況席にもうひと方、サプライズの特別解説ゲストをお招きしております!〉
〈あ!呼び込みは私がやっていいですか!いいですね?呼びますよ!逃げて差す、先頭の景色は誰にも譲らない!異次元の逃亡者、サイレンススズカさんです!〉
〈あんまり仰々しい呼ばれ方、ちょっと恥ずかしいわスペちゃん。〉
ファン達の視線を今回の有馬記念に釘付けとしていたのは、無論あまりにも豪華すぎる出走メンバーが主であったが、このサプライズゲストの登場によっていよいよ注目度は高まったようであった。
もちろん、当日の中山レース場に観戦しに来た大量の客はこれ以上入場できない状態となっていたが、実況席の傍らに置かれたタブレット画面にはSNSや映像配信サイトでのコメントが一気に盛り上がった様を確認できた。
あの沈黙の日曜日から6年、衝撃の引退以来全く世間への露出が無かったサイレンススズカ。彼女の姿が中山レース場の大スクリーンに映し出された時、観客席の十何万人は一気に沸き立った。
相変わらず、彼らの輪郭はぼやけ、歓声は遠く小さくしか響かない。
しかし観客たちひとりひとりの姿を凝視することで、彼らが大口を開けて席から立ち上がり、拳を突き上げて歓喜している様を実況席からは視認できたのだ。サイレンススズカも、視覚的に自分が歓待されていることを確認できていた。
〈ご覧の大盛況です!改めましてサイレンススズカさん、本日は特別解説ゲストとしてよろしくお願いします!いかがでしょう、数年越しの本番レース場の光景は!〉
〈引退してからも、画面越しにはずっとレースを見ていましたけれど、直に見るのは久々ですね。それにしても、大逃げしていた私が解説なんて出来るのかしら。有馬記念はもちろん、中山レース場じたい二度しか走ったことがないのに。〉
〈スズカさんの喋ったことなら皆さん信じますよ!それに、私もレースが白熱してきたら自分が何喋ってたのかだいたい覚えてませんし!〉
〈それはそれでどうなのスペちゃん……。〉
有馬記念のレース直前に、スペシャルウィークとサイレンススズカのトークを聞けるという、あまりに想定外のサプライズかつ稀有な幸運に浴している観客たち。
一方で、出走ウマ娘たちが驚くことはなかった。大事なレース前に想定外すぎる事態に直面して動揺してしまわぬよう、サイレンススズカが実況席にサプライズ登場するという予定は伝えられていたためだ。
それに、先月末にスズカと直接会いに行った鷹木やタキオンらにとっては、そこまで意外過ぎる内容でもなかった。
「おそらくはスペ先輩の働きかけによるところが大きいだろうし、またURAのお偉方も有馬記念人気を盛り立てようとの意図はあったろうがねぇ。何よりも我々が先月確認した通り、スズカ先輩自身が走りへの熱を全く衰えさせていなかったからねぇ。」
「こんなに静かな有馬記念当日の中山レース場は、想定外だったろうがな。観客席を見れば、満員の観衆たちが熱狂している姿を目にすることは出来るだろうが。」
「その異変も、私が先日皆に伝えたビデオメッセージのおかげで想定内だねぇ、誰も動揺などしていないねぇ。……では、私はそろそろ地下バ道へ向かう頃合いだ。オペラオー先輩やヒシミラクルくんの様子は見に行かなくていいのかい、トレーナーくん。」
「今から行く……タキオン、無茶はするなよ。お前が普段通りに能力を発揮すれば、十分に勝てるんだから。」
鷹木の言葉に、控室内の椅子から立ち上がりつつもタキオンは袖に隠れた右手を挙げるだけで応えた。
最後に激励ではなく、案じる言葉を選んだ鷹木。彼が何か察しているのではないかとタキオンは無言のままに鷹木の表情を窺ったが、既に鷹木は控室のドアを開けて廊下へ出て行ったところであった。
同じ担当トレーナーの指導下にあるウマ娘でも、競走相手となれば同じ控室には居られない。
むろん鷹木も、担当ウマ娘らそれぞれの様子をこまめにチェックするため、複数の控室を慌ただしく行き来する必要があった。が、もはや発走時刻目前となった今、オペラオーは既に廊下に出てきていた。
ピンク色と白色をベースとしたドレスに、宝石や金細工をあしらった勝負服が視野に入った鷹木はしばし立ち止まる。視線がオペラオーの姿の上で釘付けとなる。
平常は小柄な栗毛の、口を閉じていれば地味な印象のウマ娘が、世紀末覇王テイエムオペラオーとなるのも3年ぶりであった。そして鷹木にとっては、何年離れていようとも特別な存在であり続けることも変わりなかった。
「ハーッハッハッハ!何を固まっているんだい、鷹木!さきほどパドックでも、ボクの美しさは存分に披露したはずだろう!」
「いや、やっぱり……本番直前になったら、本気が見えてくるんだ……オペラオー。」
「おや、ボクは常に本気を示しているつもりだが、そんなに分かりやすく変わりようを見せてしまっているかい?普段と比べて明らかに意気込みが大きくなっているのは、むしろ彼女の方じゃないかな!」
オペラオーは鷹木の背後を指さし、それによってようやく鷹木は視線をオペラオーの勝負服姿から外すことが出来た。
振り返った先には、ちょうど控室から出てきたばかりのヒシミラクルの姿があった。たしかに、彼女は大一番となる舞台目前、平常心を保っているように装っていたが、それが内面の緊張を逆説的に示していた。
無理もない、ミラ子にとってGⅠレースは菊花賞以来の二度目である。同年代のウマ娘の中でも特に図太く、安定したメンタルを誇る彼女も、GⅠレースの常連となっている先輩たちと同じようにはいかない。
鷹木は小走りに近付いて跪き、ヒシミラクルの勝負服やシューズ、靴底の蹄鉄に不備が無いか、あらためて確認し始めた。
そんな彼へと掛けるヒシミラクルの言葉は、やはりいつもの調子を装いつつもどこか硬かった。
「いやいやいや、もう私の確認はいいですって。さっきパドックに出てきて何事もなく戻って来れたんですから。私なんかよりも、オペラオー先輩やタキオン先輩の方を気にすべきじゃないんですか?」
「俺が分身出来ない以上、優先順位ぐらい明確にしてある。現時点で、一番緊張しているのはミラ子だ、今日の有馬も万全の調子で行かないと。特にお前は、来年以降は本格的にシニア級GⅠレースに挑戦し始めるんだからな。」
廊下隅のベンチにミラ子を座らせ、靴底を直に触って蹄鉄の取り付け具合を確認し、緩みかけていた靴紐をしっかりと締め直す鷹木。
一通りの確認作業が終わるころには、ヒシミラクルがひた隠しにしていた焦りも収まり、彼女の平常心はうわべだけのものではなく実際のものとなった。顔を挙げた鷹木と目を合わせたミラ子の視線は、どこにも上滑りすることなく、真っすぐに鷹木の目の内を覗き返していた。
ちょうどタキオンも勝負服とシューズを確認し終えて控室から出てきたところであり、ヒシミラクルの精神をしっかりと鷹木が支えている様を見て満足げに頷いていた。
「やはりウマ娘に対して担当トレーナーなる存在は、常に少なくない影響を与えるものだねぇ。靴や蹄鉄のチェックひとつと、何か月にも及ぶ鍛錬、どちらがより勝敗に寄与するものかは言うまでもないが、しかし信頼に足るトレーナーに触れられるだけで、そんなにも安寧を取り戻せるのだからねぇ。」
「いや、触れられるっていうか、単に靴ひもを結び直してもらっただけで……。」
「―――舞踏(テルプシコラー)に誘う際は手を取るものだ……ククッ、だがまだ酩酊には早すぎる。狂乱の舞台を、歓喜(フロイテ)と希望(エルビス)に満ちて駆け抜けんとするならば、アリアドネの糸に足を絡め取られている場合ではないからな!」
突如、会話に割って入ってきた声の主はタニノギムレット、そのあまりにも個性的すぎる声と言葉選びゆえ視線を向ける前から知れていたことであったが。
鷹木以外のトレーナーの担当ウマ娘たちも、続々と控室から出てくるところである。
本番を前にして地下バ道へと向かうウマ娘たちが、盛んに言葉を交わすことはあまりない。よほど親しい仲か、気心知れた間柄でもない限り、声かけは挑発をはじめとした精神的な揺さぶりになり得たため、無用のもめ事を避けようとするウマ娘ならば無言のままにターフへ向かう。
だが、今は違った。ほぼ全員が、トレセン学園、ならびにこれまでのGⅠレースで競い合った仲であり……そうでなくとも、開かれた口からはポジティブな表現しか出てこないと信じられる状況だった。
タニノギムレットに続いて、テイエムオペラオーも高笑いを響かせた。
「ハーッハッハッハ!きっとボクらの猛然たる足取りに、舞踏の観衆は己が手の盃に目を向けず、全て零してしまうことだろうね!今日は母なる大地への捧げものが、数多の盃から注がれる祝杯というわけだ!」
「あぁ、全くだねぇ。そうでなければならない、観客たちの関心は我々のレースに突き刺さり、抜けず、離れぬものとなるはずだねぇ……よもや現実世界も、この中山レース場に詰めかけた幾万人、そして全世界で有馬記念の配信を見ている幾億人の観衆たちの意識世界を否定することなど出来まいからねぇ。」
そう語りながら、地下バ道の方へと真っ先に歩み出していくアグネスタキオン。
地下バ道へ向かう時には、既に周囲は皆、競走相手。既に語るべきことも全て伝え終えた今、これ以上は何も交わす言葉などなく、ただ有馬記念というレースがあるのみ。タキオンは口を閉ざしたまま、ターフ上へ向かうつもりのようだった。
が……競走相手達は、既に皆、タキオンの親友だった。
コツコツと蹄鉄の音を響かせて歩いて行くタキオンの真隣りまで足を速めて肩を並べ、タニノギムレットはタキオンの顔を覗き込みながら言う。
「ワタシも、この戦史(クロニクル)を、この世界の、過去に、未来に!刻印するために駆けよう!オレの、ワタシの!存在意義(レゾンデートル)のため!ハァーッハッハッハァ!!」
「いいじゃないか!ならば、ボクも喜んで、そこへ行こう!断崖よりも深く刻まれた、その岩山へ!称えあれ!ボクたちを包む中山の大歓声!ハーッハッハッハ!」
アグネスタキオンを挟むように、タニノギムレットの反対側へと進み出たのはテイエムオペラオーである。
まるで、3世代それぞれの最も個性的なウマ娘が、地下バ道を進む集団の先頭に並び立つような構図となっていた。とはいえ、彼女らが数多の試練を乗り越える強さを示して今ここにいることは、この場に居る全員が知っている。
返す言葉を見出す暇もなく、ただ目を丸くして自分の両脇に並んだ両名を見比べているタキオン。その背後へ、慌てて駆け寄っていくのはジャングルポケットである。
「待ってくれよオペラオー先輩も、ギムレットも!なんでタキオンが世代代表みたいな扱いになってんだ、ダービーを勝ったオレが有馬でも最強を証明すんだよ!」
「にゃっはっはぁ!ならば、こちらは歴代皐月賞ウマ娘の並びとしてワシも居らねばなるまいな!今こそ!ワシがこの有馬を制し、天下を獲る!」
ポッケに続き、まるで戦の火蓋を切る前に名乗りを上げる武将のごとく、ノーリーズンも自らの声を響かせる。
その背後では、ダンツフレームとマンハッタンカフェが、先行く同期のふたりにつられたかのように歩調を速めていた。
「張り切ってるなぁ、ポッケちゃん。もちろん、私も負けないよ。有馬記念の主役には、私がなるんだから。」
「では、私は……有馬記念連覇を、目標に掲げさせていただきます。もはや実現し得ないかと思われた、オペラオー先輩との対決も……今こうして、可能となったのですから。」
常ならば緊張感を伴う静けさのなか、ただ蹄鉄の足音だけが響いている地下バ道は今、次々に口を開くウマ娘たちの声が反響し合っていた。
もちろん、賑やかな面々の名乗りを目の前にすれば、タップダンスシチーが乗ってこないはずもない。
「So believe in us!Let's roll!全員ノッてるじゃないか、最高のレースになりそうだ!悪いが私が勝たせてもらうぜ、有馬で勝ち獲った金と夢があれば、これから将来ずっと仲間と踊って笑っていられるだろうからな!だろ!クリスエス!」
「For execute mission……私は、任務のために、走る。URAと、レースを、より高みへ、盛り上げる、ため。」
タップとは対照的に、低い声で真面目そのものな内容を告げるシンボリクリスエス。とはいえ、彼女も静かながら昂りを胸中に抱いていたのだろう、歩きを皆に合わせて若干速めていた。
同じく、レース前の昂りを抑えきれず、そして隠す気も無いのはアグネスデジタルである。
「いや実はですね、私ずっと有馬記念は観戦する側だったんですがね!いや出走する側でしか吸えない空気もあるもんですね!スゥーッ……ハァーッ!!あんまり気合い入り過ぎちゃってもね!息が上がっちゃいますからね!!有馬記念の常連としてアドバイスとかありますか、シャカールさん!!!」
「うるせェ。勝つための手をロジカルに尽くすだけだ。」
アグネスデジタルから声を掛けられたシャカールであったが、いかなる条件でもソツなく走り切るデジタルに関しては何らの心配要素も見出していないらしい。
どちらかといえば、シャカールの気がかりはファインモーションへと向かっていた。ティアラ路線で無敵の強さを誇ったファインだったが、有馬記念での競走相手の強さはまた質が大きく違ってくる。
黒服集団のSP隊から見送られて控室から出てきたファインモーションは、既に小走りにシャカールの元へ近寄ってきていた。
「約束通り、私は有馬記念に来たよ、シャカール。もうあなたからは応援されないから……本気で競走しようね。」
「ッたく、お前が入学した年は、気が晴れるんならってつもりでレースを見せてやっただけなんだがな。王女サマが、マジで同じステージに来やがるとは思わねェよ、2年前の俺は。……まァ、来たからには、負かすけどな。」
「ふふ、負けないよ。そういえば、シャカールお手製のシミュレーションでは、誰が勝つって結果が出たの?」
「アー、例の件、タキオンにしか伝えてなかったか。Parcaeなら、とっくに動かねェよ。ま、仮にこのメンツを試行にブチこんでも、俺のPCが過熱でクラッシュしちまうだろうけどな。」
周りを見回すシャカールの視界には、5世代にわたるGⅠウマ娘たちの姿が全員収まっていた。
最古参になる覇王世代の代表格、引退することなく現役続行し続けている最長クラスのキャリアを誇るナリタトップロードとアドマイヤベガも、後輩たちの気炎にあてられたように、いつになく目を輝かせていた。
あくまで自分は冷静だと示すかのように、声色だけは抑えつつアドマイヤベガは喋る。
「オペラオーが有馬を走らずに引退するだなんてもったいない、って当時は思ったものね……にしても、3年ぶりに戻って来たところで、相変わらずの騒がしい王様ね。ま、それ以上に喧しい後輩たちも、随分と増えたのだけれど。」
「そりゃそうだよ、私たちが初めて出会ってから、もう6年になるんだから。さ、負けていられないよ、アヤベも、私も……ドトウも。」
ナリタトップロードが振り返る先、メイショウドトウはあわあわと口を半開きにしながら、急にボルテージが高まり始めた周囲を見回している。
とはいえ気心の知れた間柄には、この動揺がドトウの心底まで揺るがしているわけではないことは、視線が全く泳いでいないことから十分に知れた。すぐ隣にいたゼンノロブロイは、ドトウが変に狼狽しているのではと気にしていた様子であったが。
「も、も、もちろん、私も負けませぇん……けど、ちょっとびっくりしちゃいましてぇ……おとなしそうな子からも、凄い熱意が伝わってくるもんですからぁ……。」
「……あ、もしかして私のこと、でしょうか、ドトウ先輩。たしかに、ちょっと、肩に力が入り過ぎていたかもしれませんね……力み過ぎず、呼吸を整えて集中しなきゃ。」
確かに、控室から出てきたばかりのゼンノロブロイは、その分厚い眼鏡のレンズの奥で、尋常ではない闘志の炎を覗かせていたのである。
有馬記念の二勝目が掛かったウマ娘が複数出走している点も、この日の異様な熱量に拍車をかけていただろう。肩を上下させて深呼吸しているゼンノロブロイの傍らに、スーッと寄ってきたのはネオユニヴァースである。
「“ART”これだけ多くの“ZEER”と“シンギュラリティ”が集えば……このレースは、とても大きな“REEN”をつなぐ……それが『確実にある』よ。」
「そうだね。ユニヴァースちゃんと同じ、私も今日のレース、最高の競走になるって信じてる。今日、ここに居られるのが、すごく……スフィーラ、だよ。」
「スフィーラ……とても、スフィーラ、だね。」
ゼンノロブロイと言葉を交わしつつも、ネオユニヴァースは地下バ道を行く集団の先頭、オペラオーとギムレット、ポッケという声量過剰なメンツに囲まれているタキオンへと視線を向けた。
ウマ娘レース史に追加される1ページの中でも、特に大きな節目となるだろう今回の有馬記念。そのキーとなる存在がタキオンであることは、ネオユニヴァースには充分に理解できていた。
既にタキオンは皆の熱量に背を押され、声のボリュームも数倍になっていた。
「ならば諸君!この熱さを以てターフに出よう!我々の選んだ運命を、見出した可能性を!この時間軸へ刻み付けようじゃないか!これより、ウマ娘の選択を世界へ示す!」
白衣を模した勝負服の裾を翻し、つかつかと歩み去っていくタキオン。
集団から多少離れて様子を眺めていたヒシミラクルは、まだ控室の扉前に居る鷹木からあまり離れていなかったが……何を思ったか、引き返してきた。
「いやぁ、タキオンさんも先輩方も、レース前にやたらと大声だして、無駄にスタミナ消費しちゃってませんかねぇ。まー私が勝てるチャンスが増えるんなら、いいんですけど。」
「うん、それは俺も思ったが、なんでお前は戻って来てるんだ?大一番でゲート入りに遅れたら一大事だぞ、ミラ子。」
「行きますって、その前にトレーナーさんが忘れないよう忠告をしにきたんです。例の花束、ちゃんと持って出てきてくださいね?せっかく、こっそり買って来て用意したんですから、オペラオー先輩がゴールし終えたところで走り出てきてプレゼント、ですよ?」
「いや、ゴール直後のタイミングは違うだろ。よほどの緊急事態の時だけだ、トレーナーがターフ上に出るのは。花束なんかは表彰式の場で渡すのが普通で……。」
「こんだけ普通じゃない状況になってる有馬記念なんです、こちらも普通じゃないことをやったって目立ちませんって。何にしても、渡せるタイミングを逃さないほうが優先です、きっと、ちゃんと花束を持って出てきてくださいよ!」
言うだけ言って、鷹木が言い返す暇もなく、ミラ子は小走りに先輩ウマ娘たちの集団へと合流し、有馬記念本番のターフへ向かう地下バ道を進んでいった。
いつもノンビリしているヒシミラクルが、花束を渡す事に関しては妙にしつこく告げてくるのが多少の違和感を伴ったが、鷹木は彼女の言った通り、やたらと本数の多いバラの花束を抱えてトレーナー用ブースへ向かうことにした。
オペラオーやタキオンが働かせた勘が大抵、当たっているのと同様に……ヒシミラクルにもまた、根拠なく花束に拘りを見出すだけの勘が働いているのかもしれなかった。
その名が示す通り、奇跡を起こすために必要となる、との勘が。