ひとたび消えかけたが、可能性世界の干渉を乗り越えて今も現役を続けるアグネスタキオン。彼女もまた自分の担当トレーナーに並みならぬ思いを抱いていた……その思いの程は、最後の最後で個性派ぞろいのウマ娘たちらしいアクシデントが起きたおかげで、明瞭に発揮されることとなる。
一昨年の12月から書き続けてきた『探求者たちのタイムクライム』も、これにて最終回です。およそ210万字と前作以上に長くなってしまいました。作者個人がやりたいことを全部詰め込んだ形となってしまいましたが、読んでいただいた皆様には感謝です。
ただ会議室を飾りつけただけのパーティ会場とはいえ、その華やかさ、賑わしさは昨年と比べ物にならない。
今年クラシック級を走った同世代のウマ娘たちはもとより、その先輩にあたる世代の面々も、個性的に過ぎるウマ娘たちばかりである。自己主張の強いGⅠウマ娘が集結すれば、祝いの席はますますもって盛況を極めるのは当然である。
「この舞踏会に超新星(スーパーノヴァ)が訪(おとな)うことを、知らしめてやろう!共に創造するのだ、新たな舞踏(テルプシコラー)を!さぁ貴様の魂(プシュケー)のすべてを賭けろ、ベルフェゴールをも酔わせる奇跡(ヒシミラクル)!」
「えぇー、わ、私が……!?」
会場の中心では、ずっと目立ち続けているタニノギムレットに手を引かれ、見様見真似でぎこちない振り付けのダンスに参加しているヒシミラクルの姿がある。普通を自称するミラ子であったが、既にウイニングライブでセンターを飾った経験もあるおかげか、それなりに見栄えのするパフォーマンスにはなっていた。
この華やかさは、例によって装飾のセンスが壊滅的な男トレーナー達に任せることなく、ウマ娘たちや、もはや一人前のトレーナーとなったキングヘイローが率先して準備を行ったおかげでもあるだろう。
鷹木は喧噪のなかから、真っ先に挨拶に行くべき先輩トレーナーを探し出そうとしていたが、先んじて話しかけてきたのは片桐トレーナーであった。
「どうも鷹木さん、今年一年、ついでに今日に至るまでもお仕事お疲れ様です。思った以上に長引いた様子だったので、あなた抜きでパーティを始める矢先でしたよ。」
「いやホント、お待たせしてすみません、自分の蒔いた種ですから……。」
この言葉選びに遠慮のない同期トレーナーの存在は、いつも鷹木を彼が囚われがちな緊張感から解放してくれる。
鷹木の顔見知りの範疇においては、殊にクセの強いトレーナー、片桐。この人物でなければ、メイショウドトウ、タップダンスシチー、そしてノーリーズン……と、実力は確かながら一癖あるウマ娘たちの担当を引き受けることは出来なかっただろう。
「ドトウが3年ぶりに戻ってきてくれたのは嬉しいことではあるんですが、久々となれば彼女の一挙手一投足に緊張させられてしまいます。以前は、よほど自分もドトウのドジに慣れきっていたのものだと実感しますよ。」
「十分にリラックスしているように見えますけど、それでも緊張なさってはいるんですね。」
ノンビリとした歓談の合間に飲み物を口にしている片桐であったが、確かに彼の視線はメイショウドトウの方へ向き続けてはいた。
ドトウはといえば、今まさに飲み物のボトルを開けようとしているところである。彼女のドジの次元を知らない後輩たちは特に注意を向けていなかったが、ドトウが液体の入った容器に近付くだけで、オペラオー、トップロード、アドマイヤベガが同時に耳を立て、視線を集中させていた。
「そういや片桐さん、タップダンスシチーとの約束はどうなったんです?今はプレハブ小屋を仮のトレーニング拠点としているけれど、将来的には自分の城を立てたい、との話があったような。」
「それでしたら、来年にでも実現しそうです。あぁいや、現実的に資金が集まったというわけではないんですがね。しかし、今回の有馬記念でタップはクリスエスさんに次ぐ二着、あれだけの走りが実現できるならば来年以降は確実にGⅠを獲れます……彼女の望み通り、獲得賞金も桁違いになるでしょうから。」
入学時点で同期の面々よりも一歳年上、さらに途中で怪我による休養を挟んだこともあり、入学から3年目となる今年にようやく才能が開花したタップダンスシチー。
長らくの下積みを乗り越えて、一線級にまで育つという経緯は、確かに片桐の担当するウマ娘らしい道のりであった。
「それより、鷹木トレーナー。そちらの話をすれば、来年以降はプレッシャーのかかるシーズンとなるんじゃありませんか?何といっても、ドトウと同様にオペラオーさんもまだすぐには引退しないとのことじゃありませんか。そこにアグネスタキオンまで居るとなれば、否応なしに世間からの期待値は高まるでしょう。」
「……えぇ、それは、その通り。担当トレーナーとして、オペラオーとタキオンの意気込みを形にしなければ……ヒシミラクルも、ノンビリしっぱなしとはいきませんし。」
実際のところ、片桐が来年のタップダンスシチーに大きな期待をかけているのと同様に、鷹木はヒシミラクルは来年こそが本番だと考えていた。
今年のクラシック路線を通して、潤沢なスタミナを活かしたロングスパートを武器とするのみではなく、読みやすいミラ子の作戦に差し込んでくる競走相手との駆け引き、位置取りまで意識することを学べている。
当のヒシミラクルは今、タニノギムレットとの即興な舞踏から逃れ、会議室の隅に撤退し、ちゃっかり確保してきたスナック菓子の一袋を独占して味わっているが……鷹木にとっては、ミラ子こそ現状最も明瞭な可能性の塊であった。
「わわわぁー!キャップを開けたら、ジュースが勝手に飛び出してきますぅ!」
「ハーッハッハッハ!ドトウ!炭酸飲料ゆえ仕方ないから、まずは落ち着きたまえ!ボトルをまずテーブルに置こうか!その、ちょっと、持ったままあちこちに向けないで!」
間もなく、オペラオーの目の前で炭酸飲料のボトルを開けたドトウが、盛大に内容物を噴出させているのを見た片桐は、予め用意していたのだろうタオルを手に寄っていった。
鷹木が続いて挨拶に向かったのは、桂崎トレーナーのもとである。
この中堅トレーナーは、シンボリクリスエスと共に喧騒から少し離れ、静かに語り合っていた。
「おや、鷹木トレーナー。先ほど、オペラオーが頭から炭酸ジュースを浴びていたけれど、見に行かなくても良いのかな?」
「あちらは片桐トレーナーに任せることにしました、トレーナーたちが続々集まってきては、ドトウのパニックが加速するだけでしょうから。……桂崎トレーナー、それから、シンボリクリスエス、今年の天皇賞秋に続き、有馬記念での勝利、あらためて、おめでとうございます。」
「I appreciate it、鷹木トレーナー。だが……私が、気がかりなのは……タキオンの、ことだ。」
桂崎トレーナーの傍らに居たシンボリクリスエスは、頭を下げつつも、彼女らしい率直さで懸念点に言及した。
先日の有馬記念のゴール直後、競走相手達から賞賛を込めて抱き着かれながらも、場の違和感についてはしっかりクリスエスも受け取っていたのであろう。
たしかにあの時、アグネスタキオンは存在が消滅しかかっていた。有馬に出走した全員が絡み合うように密集しているため誰がどこにいるかが判然とせず、タキオンの実在を鷹木が“観測”するまで、結果が確定しない状態が保たれていたに過ぎない。
出走した18名が確かに揃っていることを幾万人もの観客も含めた全員が疑わず、鷹木がタキオンの名を呼んだことで、アグネスタキオンというウマ娘は存続するに至ったのだが。
「I'm concerned about……タキオンが、また消えかかってしまわないか。共に、駆けた者が……消える恐れは、再び訪れるだろうか?」
「その話なら、俺よりもタキオン自身の方がずっと詳しく、嬉々として解説してくれそうだが……担当トレーナーの立場としては、あんな危機は二度とない、と断言できる。」
「Seriously?」
「い、いや、断言できるってのは、言い過ぎかな。そもそも非現実的な現象なんだし……正直、断定できる要素はない、けど……」
それ以上は、鷹木も自分の考えを即座には言語化できなかった。
ウマ娘レースの歴史においても、群を抜いて重大な一幕を乗り越えたからといって、アグネスタキオンの存在が消滅しかかった理由はもちろん鷹木に説明できない。これまた、タキオン自身が誰よりも言葉を尽くし、彼女なりの思考をフル活用して解説出来そうな話ではあったが。
言葉に詰まった鷹木を引き継いだのは、静かにやり取りを見つめていた桂崎トレーナーであった。
「既に想定に入れた危機は、再び現実になる前に対処できるものだからね。それこそが、トレーナーとしての仕事なんだから。そういうことだろう、鷹木トレーナー?」
「は……はい、だいたい、そういうことです。」
「Understand it completely……だからウマ娘は、トレーナーと出会う、のか。」
ただ桂崎トレーナーの言葉に便乗しただけのような形となった鷹木であったが、クリスエスは深く頷き、彼女なりにトレーナー達の覚悟に感銘を受けたようであった。
それに誰よりも、ウマ娘を担当するトレーナーとしての覚悟を最も長く、最も多く引き受け続けてきた人物となれば他に居る。鷹木は続いて、結城トレーナーが座を占めている部屋の隅へと足を運んだ。
こういった騒がしい場にはあまり顔を出さない結城トレーナーも、今日ばかりは参加している。
URAの生ける伝説、レジェンド級の老トレーナーが思わぬハプニングに巻き込まれぬよう、結城トレーナーの隣にはキングヘイローが控え、個性の氾濫するGⅠウマ娘たちの騒ぎに目を光らせつつ談笑を続けていた。
「本当に元気の有り余っている子たちね、有馬記念では本気で全力を出し切ったのかしら……あら、鷹木トレーナー、貴方もお疲れ様です。」
「お互いに、お疲れ様、それから会場の飾りつけ、ありがとう、キングヘイロートレーナー。去年の忘年会がずっと遠くに感じるほど、長い一年でしたね……結城トレーナー。」
「あぁ、どうも。」
やはり、この伝説級の人物を前にしては多少ぎこちない鷹木の挨拶であったが、結城トレーナーはいつも通り鷹揚に受け止めていた。
口調が硬くなっている鷹木だけでは、結城トレーナーを前にしての会話も弾まなかっただろう。この場において、歓談を促すのはやはりキングヘイローの声であった。
「そうだわ、鷹木トレーナーにもお聞きしないと。私、来年度からは桂崎トレーナーのサブから外れ、本格的にトレセン学園所属トレーナーとしてのお仕事を始めるのですけれど、先輩トレーナー方からのアドバイスを集めてまわっている最中でして。」
「あ、アドバイス……?」
「えぇ、漠然とした問いでしたらお答えいただきづらいでしょうけど、こんな聞き方ならどうかしら。今年を振り返って、自分に減点するところがあるとしたら?」
「減点……かぁ、な、なるほど。」
それはいかにもストイックな、キングヘイローらしい問いかけであった。と同時に、先輩トレーナーに対して尋ねるには勇気のいる内容でもあった。
確かに、常に過去や現状の自分を超えていくことが身上となる世界で、過去を反省しつつ自分自身を褒めるトレーナーなどそうそう居ないだろう。先輩からのアドバイスを引き出すには、的確な質問には違いなかった。
鷹木は暫し俯いた。あまりにも多くのことが起き、同量の反省点も見出せた今年の記憶からトピックを選びあぐね……結局、直近の印象に残った内容を口にするに至った。
「タキオンの存在を、手放しかけてしまったところ、かな。」
「え……?鷹木トレーナーは、ずっとタキオンさんを担当しておいでだったはず、だけれど……。」
「いや、語弊のある言い方だった。なんというか、タキオンはいつも、厄介ごととか、騒ぎを引き起こす側だと、最初に俺が勝手に抱いた印象が残っていたから……彼女が巻き込まれる側になるかもしれない、とは考えていなかったんだ。」
今しがたも、先ほどドトウが盛大に噴出させた炭酸飲料のボトルの中に、こっそりとタキオンがラムネ菓子を投入してさらなる騒動を生んでいる。
彼女が騒ぎの中心に居られるのは、現状が異常ではないことの証であった。異常が発生すれば、真っ先に首を突っ込み、深く干渉するタキオンであればこそ……巻き込まれ、異変の向こう側へと連れ去られかねないという想定が鷹木の中には足りていなかった。
一瞬の間でもタキオンの存在が意識から抜け落ち、他のウマ娘たちが違和感に気づいていなければあのままタキオンの消滅を確定させていたかもしれない、との記憶は鷹木が二度と忘れられぬ感覚を伴っている。
直接言及はしなかったものの、キングヘイローも今年の有馬記念ゴール直後のことを指しているのだと気づいたのだろう。
「でしたら、今後はタキオンさんがどこにも行ってしまわないように、気を配り続けていられるのでしょう?」
「もちろんだ。本当に、目を離したら何をしでかすか分からないから……と、ところで、結城トレーナーは、今年の反省点なんてあるんでしょうか。」
結城トレーナーへ話しかけにきたにもかかわらず、当の相手を蚊帳の外に置くわけにはいかない、と鷹木は話題を振る。
老トレーナーは、白髪の頭をゆっくり頷かせつつ、にこやかに会話を聞いているばかりであったが、突然話頭を転じられても返答に迷うそぶりは見せなかった。
「反省点なら数え切れないよ、担当を全てのレースで勝たせるというわけにもいかない。挙げればキリはないが……そうだ、ネオユニヴァースの担当トレーナーに、とうとう今年も会えなかった、ことかな。」
「ね、ネオユニヴァースの担当……?」
あまりにも意外な答えが返ってきた鷹木は目をしばたたかせるが、しかし思い返してみればそれは鷹木自身も一度は疑念を抱いた存在についての謎であった。
今年ばかりではなく昨年以前も、時々ネオユニヴァースと自分の担当ウマ娘を併走練習させる機会はあり、その都度ユニヴァースの担当トレーナーと連絡を取り、スケジュールを合わせること自体はしていた。
が、ついぞネオユニヴァース担当トレーナーに直接面会する機会は得られなかったのである。
「そういや、この忘年会の会場にも姿がありませんね……というか、ネオユニヴァース自身も、どこだ……?」
「ネオユニヴァースさんなら、先ほど外の空気を吸いにいったん部屋を出て行かれたわ。そろそろ戻ってくるころかと思うのだけれど、遅いわね。」
キングヘイローから告げられた通り、確かにネオユニヴァースは室内にいないようだった。ゼンノロブロイがタップダンスシチーから絡まれつつも、どこか心配そうにキョロキョロしている姿だけは発見できた。
鷹木は結城トレーナーに改めて挨拶をし直してから、会議室の外へ出た。
ネオユニヴァースは、想像よりはるかにすぐ近くで見つかった。彼女は、忘年会のため貸し切り状態の会議室のすぐ前、廊下の窓ごしに夜空を見上げていたのである。
照明のついた屋内から真っ暗な窓外を見ようとしても、窓の反射のために外の景色は見えなかったが……ネオユニヴァースの視線は、空のずっと遠くを見据えているように動いていない。
鷹木は少し躊躇したが、思い切って声をかけた。
「ネオユニヴァース?何をやっているんだ、なかなか戻ってこないから、心配されていたぞ。」
「“DSN”―――トレーナーに『送信する』をしていた。」
「……もしかして、今通話中だったりするのか?」
今まさに、話題に上がっていたネオユニヴァースの担当トレーナー。
現状最も謎めいた存在となっているトレーナーに、直接コンタクトをとれる機会があるかもしれない、と鷹木は寄っていったが、彼の予想に反してネオユニヴァースはスマホなど通信機器の類を所持してはいなかった。
彼女は何も持たず、ただ窓の外を見上げていただけだったのだ。
状況を理解できない表情の鷹木の目の前で、ピンと立っていたネオユニヴァースの頭頂部の毛束が、ゆっくりと縮み、通常時の緩く曲がった形状に戻る。
「みんなの“ENJI”を、『続ける』しないと、だね。ネオユニヴァースは、『パーティに帰還する』よ」
「そっ、その前に、ひとつ聞かせてくれないか?きみは、担当トレーナーに、何と伝えていたんだ?」
「……?ただ、『たのしい』と、だけ。」
少しでも、ネオユニヴァースの担当トレーナーについての手掛かりが得られるかと期待した鷹木であったが、あまりに拍子抜けな返答だけを得ることとなった。
とはいえ、わざわざ会場を離れ、何故かそれなりに時間のかかる“送信”を用いてまで「たのしい」と告げる相手。担当トレーナーへ、ネオユニヴァースが抱く信頼の程は確かに大きいものであるようだった。
忘年会が行われている会議室の扉をネオユニヴァースが細く開き、身体を滑りこませるように室内へ戻っていく。
鷹木も彼女に続いて戻ろうとしたのだが、入れ替わりに廊下へ出てきたのはテイエムオペラオーであった。身体がぶつかりかけたオペラオーはいつものように大袈裟なリアクションをとりかけたが、すぐさま自らの口を手で覆って声量を抑える。
「おぉっ……と!せっかく、騒ぎの中心をタキオンさんに移譲できたところだというのに、ボクが大声を出してしまってはまた注目されてしまうね!鷹木、キミも気を利かせてボクとふたりきりになる時間を作ってくれたというに!」
「いや、俺が廊下に出たのは、別の用があってのことなんだが……。」
「そこは事実と異なろうとも肯定しておいてくれたまえよ、パーティ会場を抜け出し、ふたりだけの時間を持つ、ボクらだけのスポットライトで照らし出されるべき場なのだから!」
オペラオーはそう言ったものの、先ほどまでのトレセン学園生らしい騒ぎ……主にドトウが撒き散らした炭酸飲料の騒ぎの結果、あちこちに飲料の染みを付けたジャージ姿では、あまり雰囲気が出るというわけにもいかない。
それでも、照明を暗くした廊下を並んで歩いていれば、なんとなく空気も整ってくるものであった。
本来ならば寮の門限を過ぎている時刻、利用許可の下りている会議室周辺の廊下以外は、照明も殆どが消灯され、緑の非常灯だけが昼間では感じられない眩しさを放っている。
屋内が暗くあれば、窓に反射する光も減る。いつしか窓外に雪片が舞い始めていることに、鷹木は今になって気づいた。
「……それでオペラオー、パーティが始まってすぐ、俺に話がある、って言ってたけれど……何の話だ?」
先ほど廊下に出てきた直後以来、オペラオーがずっと黙りこくっているのも気がかりな鷹木は、我慢できず問いかける。
自らを目立たせる振る舞い、発言も無く、じっと黙っているテイエムオペラオーは、やはり小柄で地味な栗毛のウマ娘であった。彼女は今、オペラオーとして演じることを一旦止めているのだろうと鷹木は感じた。
「ボクが一時引退した後、頭角を現した世代のウマ娘たちは、皆いずれも尋常ならざる才覚の持ち主ばかりだ。タキオンさんの皐月賞を目にした時は、いよいよ新たな時代がウマ娘レースに到来したことを確信したものだ。」
「あぁ、それは確かに……今年のクラシック級の面々も、凄い脚を持ってる。タニノギムレットにせよシンボリクリスエスにせよ、この年でシニア級のGⅠレースに挑戦するのが当然のようにまでなって来てる。」
「ネオユニヴァースくんとゼンノロブロイくんの世代もまた、後世に語り継がれる名勝負を繰り広げているからね。まさかボクに続き、こんなにも早く秋シニア三冠を達成するウマ娘が現れるとは思ってもなかったよ。」
オペラオーは立ち止まる。ちょうど、廊下に満ちていた寒気が最も強まるところ、すなわち外気が直接入り込んでくる廊下の出口だった。
舞っている雪片の量は、先ほどよりも格段に増えていた。これから夜通し本降りとなれば、明日の朝には府中では珍しく、雪が積もっているかもしれない。
真っ暗な空から舞い降りてくる雪のひとひらを目で追った後、再びオペラオーは喋り出した。
「これは、ボクの単なる勘なのだけれど……これから後の世代が続くのは、もう少し先になるかもしれない。」
「うん?いったい、どういう……?」
「もちろん、来年には新たなウマ娘たちが入学してくるし、ジュニア級からのデビューも、クラシック級のレースも、毎年新たなウマ娘たちが顔をそろえるだろう。けれど、歴史に名を残すウマ娘が、その姿を現すのは、すぐというわけにはいかない……そう感じるんだ。」
オペラオーの目には、明確な表情は浮かんでいなかった。寂しさも、焦りもなく、ただ厳密な現実を見つめているようだった。
時間が過ぎていけば、まさに今目の前で降り続ける雪のごとく、新たなウマ娘との出会いがあり、別れもある。一つ一つはかけがえのない存在ではあるが、この世界に刻まれ、時代に流されても忘れ去られないウマ娘は、ごく一握りである。
タキオンがかつて言っていたことが、鷹木にはようやく理解できたようだった。
可能性の停滞、同じような日々が毎年送られ、目ざましく新しい可能性が拓かれることのない平穏の時代。次に新たな“特異点”たるウマ娘が出現するまで、それがしばらく続く……オペラオーは、その予感を受け取っているのだ。
「ただ、悲観することはないさ、鷹木。これほどの節目を乗り越えたのが、今ここにいるウマ娘たちなんだ。次の特異点が現れる時は、よほど巨大な衝撃を見る者に与えることだろう。さすがにボクが延々と現役を続けられるとは言い切れないが、十分にウマ娘レースを盛り立て続けられる面々は揃っているからね。」
「だよ、な。シンボリクリスエスの人気は、確実に来年以降も続くし、復帰してきたタニノギムレットとの対決にも世間からの期待がかかることだし……。」
「そこでヒシミラクルくんの名前が出てこないとはどういう料簡だい、トレーナーくん!担当ウマ娘への期待を最も抱いていなければならない存在であるはずだねぇ、キミこそが!」
突然、背後から響き渡ったのはタキオンの声である。
鷹木はむろん驚いて跳びあがったが、オペラオーはウマ娘特有の聴力を以て、忍び寄ってくるタキオンの存在に気づいていたらしい。
自分の出番をこなした舞台役者のごとく、少々オーバーな振る舞いで伸びをして深呼吸を済ませ、いまなお忘年会の騒ぎが続いている会議室の方へと脚を向けた。
「さぁて、外の空気も十分に吸えたことだし、ボクは再び公爵の食卓のどんちゃん騒ぎへと戻ろうか!また、ドトウが新たな騒ぎの種をこしらえているかもしれないからね、ハーッハッハッハ!」
「ご明察だともオペラオー先輩、つい先ほどドトウ先輩はマシュマロの入った袋を抱きかかえていた結果、熱でマシュマロを膨張させてしまっていたねぇ!摂氏100度以上の熱でなければマシュマロは膨張しないはずだが、ドトウ先輩にかかると本来あり得ないはずのドジまで引き起こされてしまうようだねぇ!さすがの私も手に負えないねぇ!」
「ハーッハッハッハ!それは大変だったね、ボクが引き継ごう!」
余裕そうに笑い声を立てつつも、ドトウが引き起こしている新たなる状況を耳にしたオペラオーの足取りは自然と速くなり、早歩きで会議室へと戻っていった。
こうして、実際的な必要性にも迫られつつもオペラオーなりの気遣いを受け、鷹木と改めてふたりきりになったタキオンであるが……ここに来て、喋ることが無くなってしまったらしい。
しばらく沈黙が続く中であったが、静かにしていればいるほどタキオンが何か語るべきことを見出そうと必死に焦っている雰囲気は、鷹木に伝わってきた。
「えっと、タキオン……?」
「とっ、トレーナーくん……寒くはないかい、風邪を引いてもらっては困るからねぇ、殊に、有馬記念では喉を嗄らして叫んでいた様子だったし、喉の粘膜に損傷がある状態では特に気をつけねばならないねぇ。」
「あぁ、うん、大丈夫だ。……聞こえてたんだな、有馬記念の最終直線で、俺が叫んだ声。」
睫毛についた雪を払いつつ、タキオンは、普段より鷹木と近い距離まで寄ってきていた。
おそらく、今の発言をそのまま口実にしているのだろう。ウマ娘の体温は人間の平熱よりも高く、すぐ傍にいるだけで多少なりと寒さは和らぐ。
「あぁ聞こえたとも、まったく情けない嗄れ声で叫ぶものだからねぇ。可能性世界による干渉も、揺るがされてしまったようだったねぇ。しかし、この私も妬いてしまったじゃないか、オペラオー先輩とヒシミラクルくんのことしか言及しないのだから。」
「そりゃあ、タキオンなら、アドバイスなんて無くても確実に勝ちに来る、と思ったから……もしかして、その感情のおかげで、消えずに存在し続けることができたのか、タキオン?」
「私はそこまで単純なウマ娘じゃないねぇ!いいかい、状況は常に複合的なものだ、今回のケースにおいてはネオユニヴァースくんとの約束もあった、彼女は私が競走中止などせず、必ずゴールラインを越えて皆と共に居るようにと告げてきたんだ。」
それは鷹木が知り得ない話であったが、タキオンがちょくちょく練習場を抜け出していた理由のひとつには違いなかった。
もしも、最終直線でタキオンの存在が観測されない状態になった後、タキオンが競走相手達と同様にゴールラインを越えていることが確定していなければ……皆でひとかたまりに抱き合っている状態の中に、タキオンが隠れている可能性はゼロになってしまっていただろう。
ウマ娘の勘は、ほぼ確実に当たるものらしい。
「それから、ヒシミラクルくん……彼女にも、感謝しなければならないねぇ。例のあの花束、買ってくるようにと発案したのはヒシミラクルくんらしいじゃないか。」
「あぁ、だな。俺では思いつかないことだったが、確かに記念すべきレースを走り抜いた後に、何も用意してないってのは寂しい。結局、仰々しい花束を贈ったせいで、タキオンのラストランだと勘違いされる誤解が広まってしまったわけだが。」
「ヒシミラクルくんは余計な事をしてしまった、と申し訳なさげだったが、私からその認識を訂正させておいたねぇ。キミがあの赤い花束を持ってフラフラとターフ上に出て来なければ、誰も状況に違和感を抱くことなどなく、私の存在は観測されないまま、大団円として有馬記念は幕を下ろしてしまっていただろうからねぇ。」
ということは、いちおうヒシミラクルにも申し訳ないとの情は浮かんでいたのだ。その上で、タキオンから認識の訂正を受け、先ほどのパーティ会場ではあれだけのびのびと過ごしていた……ということだ。
ここまで来れば、もはや普通のウマ娘ではなく、大物ウマ娘の貫禄である。来年以降のGⅠレースに出す際も、ミラ子がプレッシャーを過剰に感じる恐れなど無いだろう。
状況の解説に話題が向かえば一気に饒舌になるタキオンであったが、話のタネが尽きれば再び無口に戻っていった。
降り続く雪はじわじわと勢いを増していく。
既に、学舎に囲まれた練習グラウンドは照明が消えていてもハッキリと分かるほど、白い雪によって一面覆われていた。
「……語るべきことは、すでに語り尽くしてしまったねぇ。」
「あぁ……戻ろうか。そろそろパーティ会場も片付けて、元の会議室の状態に戻しておかないと。」
「これまた無粋な事を言うトレーナーくんだねぇ、まだまだ会場は楽しげに賑わい続けているというのに。」
「そうはいっても、徹夜で騒ぐ許可はおりてないだろ。そもそもあの会議室、何時までの利用許可なんだ……?」
鷹木への返答代わり……とばかりに、不意に大きな音が響く。
バチン!という音と同時に、急な暗闇が一帯を包む。
一瞬の静寂の後、わァわァと騒ぎ、半ば面白がるような声々が廊下の向こうから響いてきた。今まさに忘年会を楽しんでいたウマ娘たちの声だろう。
「えっ、な、何だ!?停電か……?」
僅かでも明かりのある状態から、急に照明が消えてしまった瞬間は、多少の外光があったとしても殆ど暗闇に視野が包まれる。
泡を食ってキョロキョロしている鷹木の傍らで、タキオンは落ち着いたまま、言葉を続けた。
「……うん、ちょうど今の時刻まで、の利用予定だったようだねぇ。さすがに学園管理者側も強制的に消灯したわけではあるまいが、使用電力の許容量が予定時刻通りに引き下げられた結果、ブレーカーが落ちたのかもしれないねぇ。グラウンド用の大型照明や、練習場の大型スクリーンのように、点けっぱなしではバカにならない電力を食う設備が多い学園ならではの措置だねぇ。あるいは、これもドトウ先輩のドジの一環か……」
「いや、冷静に推測している場合じゃない。マズいじゃないか、散らかしたまま放置するわけにはいかないし、今晩中に、この暗闇のなかで掃除と片付けをやらなきゃならない、ってことになるぞ。」
「確かに、その点は弱ったねぇ。懐中電灯のひとつでもあればいいんだがねぇ。スマホの灯りでは、あの大部屋の片付けを進めるのも心もとないねぇ。」
すっかり動揺してしまっていた鷹木は、おそるおそる手を前につき出して、そろりそろりと歩を進めようとするばかりであった。
それ故に、タキオンがそっと足を忍ばせて彼の背後に回り込んでいたことに気づかなかったのだ。
何の予告も無く、鷹木は背中をピシャリと叩かれ、極限の緊張状態にあったことも手伝って大袈裟に跳びあがった。
「ひゃっ!?な、何をするんだ、タキオン!」
「おぉっと、想定以上に眩しいねぇ!だが、これで全て解決じゃないか、有馬記念のターフ上で消滅しかけていた私を見出してくれた時と同じだ。トレーナーくん、今やキミは任意で全身を発光させることが出来るのだからねぇ!」
それまで暗闇に視野を閉ざされていた鷹木が、目の前にハッキリとタキオンの姿を見出したのは当然のことだった。
驚いたショックで、鷹木は全身が派手に光を発していたのだ。
先日の有馬記念で居るはずのタキオンに花束を渡す直前、ジャングルポケットから急に大声を出され、光を発した時とほぼ同様の状況だった。
今回は一瞬の閃光ではなく、ずっと光り輝き続けている。鷹木は今、人間型の照明のごとき状態となっていた。
「服を着こんでいる分、光量は絞られているが丁度良さげだねぇ。さ、暗闇の中で惑っている皆を助けに行こうじゃないか、輝けるトレーナーくん!」
「いや、でも、こんな姿、タキオンは慣れているかもしれないが、他のウマ娘たちやトレーナー達に見せたらどんな反応されるか……。」
「これこそがトレーナーくんの体質なのだから、今後付き合っていくうえでも皆には受け入れてもらわねばならないねぇ!それにどうせ、うすうす気づいている連中もいるねぇ!さぁ、戻ろう、皆のもとへ!」
照明器具顔負けの光量で、発光する人体、これは本来はあり得ない現象である。
だからこそ、かつてタキオンは鷹木の身体が発光するという非現実的な実験結果に怯えたのだ。鷹木の全身が光り輝いているのは、現在もなお残ってしまった非現実性であるとも捉えられる。
しかし、今、タキオンの表情には戸惑いなど無く、むしろウキウキとしている。
「いいのか、タキオン。この発光は、現実性の希薄化、ってやつが起きている証拠じゃないのか?」
「そうとも、だが現実性が薄れたところで、何も作り出せずに消えていくほど、この世界は脆弱ではないねぇ!参照元が無くとも、我々は生み出す力がある!未来も、感動も、可能性も!」
これこそが、この世界の現実なのだ。
可能性を覆し、“本来あり得ないはず”の運命を実現し得るのが、ウマ娘と担当トレーナーが居る世界だ。現実性が薄れてもなお、消滅せず、存続を観測できた今となっては、恐れることなど何もない。
文字通りにそれを体現している、全身を任意に発光させられるトレーナー……それこそがタキオンにとって、自慢のトレーナーに違いなかった。
「これからもよろしく頼むよ、トレーナーくん。世界の可能性、運命を、ウマ娘と担当トレーナーが新しく切り拓いていけることを、今後も共に証明し続けようじゃないか!」
「うん……ところで、俺の身体、ずっと発光が止まらないんだが、どうやったら消せるんだ?」
「私に聞かれても知らないねぇ!とりあえず今は光っておいてくれたまえ、それで困る者はいないのだからねぇ!これから先も、ウマ娘たちの歩む先を照らし続けてくれたまえ!」
「いや俺が困るんだけど!」
「慣れたまえ!これから先も私と付き合い続ける以上、ずっと困ることになるのだからねぇ!」
勢いに任せて胸中を吐露しながら、自慢の担当トレーナーの手をぐいぐいと引っぱってタキオンは真っ暗な廊下を進む。
周囲ばかりが明るく照らされている一方、自分の顔は背後にいる鷹木の発光のおかげで逆光になって見えないのを良いことに、タキオンは気兼ねなく幸せそうな表情を浮かべていたのであった。
―――『探求者たちのタイムクライム』終―――