探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 オペラオーの引退に伴って担当ウマ娘のいない状態となった鷹木トレーナーであったが、新たな担当ウマ娘を見出すまでの期間を無為に過ごすわけにもいかない。そんな彼が居場所を見出したのは、やはり互いにさしたる遠慮も要らない仲、顔見知りのトレーナーのもとであった。ライバルであったウマ娘、メイショウドトウの走りを目の当たりにして、鷹木が今思うこととは。


主無き参謀の旧交、腐れ縁が温めて

 病室のテイエムオペラオーからは将来へ視線を向けるよう、そして秋川やよい理事長からは現在の己の立ち位置を意識するよう、それぞれ言葉を受け取った鷹木トレーナー。

 

 いかに彼とて、悄然たる有様で延々と過ごすわけにもいかないことは自覚していた。理事長から言われた通り、担当の居ないウマ娘の前に姿を見せることは避けつつも、トレーナーとしての感覚に鈍りを来たさぬよう、指導の現場から離れるわけにはいかない。

 

 とは言っても、世紀末覇王テイエムオペラオーの専属トレーナーだった彼を前にして、不用意な動揺や過剰な期待も抱かずにいられるウマ娘となれば……まさに一線級、当のオペラオーに比肩する実力者たるウマ娘たちをおいて他に無い。

 

 そして、そのレベルに達しているウマ娘の練習場ともなれば、必然的に気安く立ち入れるものではない。時期はまさにジャパンカップを終え、有馬記念へ向けての調整に入った頃である。

 

 本番で想定しているペース配分、大舞台で勝利をもぎ取るための策、その全ては例外なく、ウマ娘および担当トレーナーにとっての最重要機密なのだから。

 

「……んで、その大切な時期に、ずかずか踏み込んでも構わないと判断されたのが、ウチのドトウの練習場というわけですか。」

 

「見学の許可をくれたことは本当に感謝しているんですが、来て早々、俺へ嫌味を言うためにわざわざ許可を出したんじゃないですよね?」

 

 そんな状況でも、鷹木ほどの小心者が練習の見学を申し込める相手となれば限られていた。彼の同期、片桐トレーナーである。

 

 さしもの鷹木にとっても腐れ縁の相手、ニヤニヤと唇の端を歪めて揶揄う片桐に対し、口籠ることなく言い返せる程度の余裕はあった。これが桂崎トレーナーや結城トレーナーから投げかけられた言葉であれば、鷹木はその場で顔面蒼白となっていたことだろう。

 

 あるいは、彼らが担当しているウマ娘たち自身が喋ったならば、なおさら……片桐が担当しているウマ娘ともなれば、ますます毒気のない発言しか口にしなかったろうが。

 

 メイショウドトウ。世紀末の凱歌を奏する覇王へ真っ先に伯仲し、遂にオペラオーからの勝利をもぎ取った執念のウマ娘。彼女は今、この専用の個別練習場にてウォーミングアップを行っていた。

 

「さておき、暮れのレースを待たずに覇王が引退とはね。残念だ、今度こそドトウが完勝する様をお目に掛けられたでしょうに。二度目の有馬記念で……いや、そちらは三度目ということになりますか。」

 

「そうかも、しれませんね。」

 

 ここで片桐からの言葉を明瞭に否定できる鷹木ではなかった。

 

 鷹木自身の中では、勝利に向けてのあらゆる策は出し尽くしてしまっていたし、オペラオーをこれ以上勝たせられる自信や根拠を問われても、黙するしかなかった。

 

 トレーナーの立案した作戦が通用しない実戦に直面したうえで、玉座への道を拓くのがテイエムオペラオーというウマ娘であった。

 

 実際のところ、昨年の有馬記念は……あれからたった1年しか経っていないとは、と鷹木は今さらながらに覇王と共に駆けた時間の濃密さを実感していた……コーナーを6回通過する都合上、先行策こそ有利であるとの、無難な判断を鷹木は下したのみだった。

 

 結果的に、オペラオーは前方を塞がれ、ばかりか外へ脱せぬように周囲を固められ、先行策は早々に潰れた。集団に埋もれたまま脚を運び、最終直線にて後方から駆けあがるしかなかった。

 

 トレーナーの策が無に帰して、それでも勝てたのは、ひとえにテイエムオペラオーというウマ娘の能力、才覚が尋常ならざる域にあったために他ならない。

 

 そういったことを考えるのは、鷹木にとって何度目のことだったか数え切れる回数ではなかった。相変わらずの反応を示す鷹木にチラと横目をやり、ドトウのトレーニング中データに視線をもどしながら片桐は言葉を継ぐ。

 

「鷹木さん、あんまりしょぼくれた顔を晒さんでくださいよ。そんな様子を、練習中のドトウに見せたらどうなると思います。」

 

「あぁ、確かに意気消沈した人間が同じ場に居ては、せっかく本番に向けての調整中だというのに、気力が削がれて……いや、メイショウドトウさんなら、俺のことを気遣ってしまって集中できなくなる、でしょうか。」

 

「その通りです。自分の担当していないウマ娘のことは、相変わらずよく見えてますね、鷹木さん。」

 

 またも片桐から揶揄われつつも否定しづらいことを言われ、鷹木はあらためて言い返すことなく曖昧に頷くばかりであった。

 

 むろんトレーニング内容や脚質については担当トレーナーたる片桐に及ぶはずもないが、ドトウのことをよくよく観察していることにかけては鷹木も劣ってはいないはずだった。

 

 テイエムオペラオーの勝利を常に脅かし続けていたウマ娘こそ、ドトウに他ならない。クビ差、ハナ差での決着を以て彼女らがレース場から帰ってくるたびに、鷹木はライバルウマ娘の存在感に圧倒され、いよいよ意識内から外すことなど不可能となっていた。

 

 現状のように、大舞台前のメイショウドトウの練習風景を目の当たりにできる状況など、オペラオーが引退する前では経験出来るはずもなかったが……鷹木が脳内に作り上げていたドトウの像は、片桐トレーナーからのお墨付きを得られるほどに正確だったらしい。

 

「ドトウ、ウォーミングアップは充分ですね。今日は午後から併走練習相手が到着するよう呼んでいますので、今はスタミナを消費しすぎない程度に走りましょう。コーナー回りも意識して。」

 

「はいぃ……あの、鷹木トレーナーさんにも、詳しく内容をお伝えした方がいいでしょうかぁ?」

 

「いやいや、全く気にしなくていいです。トレーナーの置物が増えたとでも思っておいてください。」

 

「えぇ、そんなぁ、せっかく来ていただいたのにぃ……でも、置物、ですねぇ。わかりました、気にしないですぅ。」

 

 鷹木が返答する前に、片桐からの奇天烈な助言へ素直に頷いて、練習用コースへ向かうメイショウドトウ。

 

 やはり生来の性格が抜けきったわけではなかったが、あれだけの大舞台で先頭争いを続ける実力を身に着けてきただけのことはあり、相応の図太さは身に着けたようであった。

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、見学に訪れた他のトレーナーへの応対を割り切って、パッと練習へ戻れるのは精神力が鍛えられている証だった。

 

「……片桐トレーナーに似たようですね。」

 

「えぇ、どんな状況でも一心に為すべきことへ打ち込めるあたり、とかね。さて……」

 

 鷹木が込めた皮肉には気づかないふりをしつつ、片桐はドトウが今から走ろうとしているコースを指し示す。

 

 ドトウが鷹木を気に掛けたのは、普段たいして言葉を尽くさずとも、互いに今からどんなトレーニングが必要であるかを理解している片桐トレーナーとの間柄ゆえであった。

 

 普段のトレーニング風景を見ていない鷹木には、詳細な説明が必要であることに間違いはない。

 

「既に中山2500mのコースに合わせたセッティングが為されています、スタート位置からコースの傾斜度、コーナーを回る半径などまで……鷹木トレーナーも、オペラオーに同じトレーニング環境を用いていたのですから、ご存知でしょうけれど。」

 

「併走練習を午後に控えてながらも、本番コース同様のトレーニングとなれば、位置取りおよびペース確認、ですか?」

 

「えぇ、特にドトウも先行で走り抜きたいウマ娘ですし、それに覇王無き今……ドトウにマークが集中することも十分に考えられますからね。」

 

 確かに、その通りであった。

 

 常に1番人気、誰が覇王に打ち勝てるのかと注目を集めていたテイエムオペラオーが引退し、次点での勝利候補として常にその名が挙がっていたメイショウドトウが、出走したライバルたちから目をつけられないはずもない。

 

 トレセン学園への入学当初、あれほどオドオドしていたウマ娘が、今や同世代のみならず後輩世代からのマークを引き受け、挑まれる立場として有馬記念の大舞台に立とうとしているのだ。

 

「測定準備は完了しています、ドトウ、今はあなたのタイミングで。」

 

「……行きます!」

 

 広大な練習場、通常の声では離れた場所に喋っている内容も届かないため、片桐はスピーカーに接続されたマイクから指示を出している。

 

 ドトウは、彼女なりにぎりぎり聞こえる程度の声量で答え、走り始める。同程度の広さの練習コースを用いていたオペラオーが、コース内のどこに居ても朗々と響き渡らせていた声量の異常さを、今さらながら改めて鷹木は実感することとなった。

 

 そんなオペラオーと比べて半回りほど大柄な体格でありながら、ドトウの脚運びは滑らかであった。

 

 コーナーから直線へ戻る際の、利き脚に力を入れ直す切り替えもスムーズであり、走っているコース取りも全くブレていない。

 

「ま、今はメンタル的にも阻害される要因はありませんし、他のウマ娘と競り合う状況でもありませんからね。」

 

 片桐は言いつつも、ただでさえ普段から鋭く光っている目つきをなお細め、走っていくドトウが踏みしめる一歩一歩、その位置を目に焼き付けているようだった。

 

 コンマ1秒にも満たない、そのひと踏みが乱されるたび、2500mという長大なコースの中においても致命的なズレになるのだということは、鷹木もこれまでのトレーナーとしての指導の中で痛感しているところだった。

 

「正確なコース取りは、やはり普段から意識して……?」

 

「そりゃそうです、ただでさえ先行策のウマ娘、そしてオペラオーさんに次いでマークされやすい人気度なんですから。」

 

 鷹木からの質問に答えている間も、片桐トレーナーの視線はドトウの脚から離れることはない。普段は他者を揶揄うような言動や、力の抜けたような振る舞いが目立つ片桐も、ウマ娘のトレーナーとして彼女らの勝利のためひたむきとなる人間であることには違いなかった。

 

 担当ウマ娘が練習用コースを走り切る間、少なくとも2分以上にわたって、トレーナーとしても一切の集中を乱せない時間が続くのだ。

 

 今は本意気での追い込みではないにせよ、話しかけるのは自重しようかと考えて口を閉じた鷹木。しかし、今度は片桐の方から話しかけてきた。

 

「午後からの併走練習相手として来てもらうウマ娘さんたちには、ギリギリまで寄せてマークしてもらうように伝えたいところですね、いやまぁ練習相手同士がぶつかって転ぶことは避けるべきですが。もう並みの寄せられ方ではドトウも脅かされません。」

 

「あれだけブレのない走りが出来るのなら、ですね。昨年の有馬記念の時も、見事な抜け方でした。腕をしっかりと振りながらも、隣のウマ娘にぶつかることなく、先頭へと抜け出して……。」

 

「そのドトウが抜けたあとを上手く突いて、同じく集団を抜けたオペラオーに一着を獲られたわけですがね。」

 

 片桐は、やはりドトウの走りに注視したいがためか、そこから先を口にしなかった。

 

 が、もしも平常の状況であれば、鷹木は尋ねられていただろう。ドトウ1名分が抜けた程度の間隙を縫って抜け出し、あの尋常ならざる末脚を発揮したオペラオーは、いかなるトレーニングを積んでいたのかと。

 

 当時のトレーニングメニューを記したメモを差し出すことなら、鷹木にはできた。コーナーをロスなく回り抜くコース取りの練習、ゴール前の上り坂を駆け上がるスタミナや爆発力を更に強化するための坂路トレーニング……。

 

 世紀末覇王としての名声を完成させたあの劇的な勝利に、その凡庸なトレーニング内容の何が貢献したのか、幾度思い返しても自信をもって言える部分など無かった。

 

 鷹木自身、オペラオーの生来有する強さを十分すぎるほど理解していたがために、自分はウマ娘の強さに頼りきりにならず、トレーナーとしての助力を存分に発揮しようと試みてきた。

 

 しかし、今、ライバルであったメイショウドトウの走りを凝視している片桐トレーナーの真剣な眼差しに圧せられるほどに、自分が同期のトレーナーほどの腕を有しているのか、ますます不安と焦りが募るばかりであった。

 

「そういや、鷹木さん。担当のいないウマ娘があなたの姿を見ると、自分の専属トレーナーになってほしいと殺到してしまうかもしれませんが……。」

 

 練習コースのゴール線を越え、徐々に減速していくドトウを見送りつつ、盛んに何やらメモへと書き込みながら片桐は尋ねる。鷹木の目からは完璧にしか見えなかった走りにも、片桐は指摘すべき点をいくつも見出していたらしい。

 

 それよりも、片桐からの指摘が、前日、理事長から受けた注意と同様の内容であることに、またしても鷹木は頭の上がらぬ思いを抱いた。

 

「どうします?併走トレーニングのためにやってくる彼女らの平静を乱さぬように、どこかに隠れて練習を見ますか?牽引トレーニング用の、大型タイヤの中にでも。」

 

「……いえ、お邪魔にならぬように、一旦出ています。片桐トレーナーさえよければ、後ほどトレーニング記録の映像を見せていただければ……。」

 

「いいですよ。ま、午前の内は単独でのトレーニングですので、ゆっくり見てってください。」

 

 ようやく減速を終えたドトウがスポーツバッグのところへ向かい、取り出したタオルで軽く汗を拭いている。……スポーツタオルにしては妙に大きすぎる気もするそれは、彼女が間違えて持ってきたバスタオルかもしれなかったが。

 

 水分補給用のドリンクの方はいくらバッグを探しても見つからなかったらしく、それを見越したように片桐トレーナーがドトウのために用意したスポーツドリンクを手渡しつつ、先ほどメモした指摘内容を告げている。

 

「最終直線への入り、あそこまで綺麗にはいきませんよ、本番。ウチ側はさておき、確実に外側は埋まってるから、もう少しアレしないと。」

 

「そうでしたぁ、もう少し意識するようにしますぅ……。」

 

 相変わらず、二人の間で通じる曖昧な内容でのやり取りであったが、それもひいては長らく築いてきた関係性の賜物であるのだろう。

 

 両名の会話を少し離れて聞きつつも、鷹木は自分が覇王と共にあれだけ歩んだにもかかわらず、トレーナーとしてのスタートラインからさほど進んでいないのではないかと静かに焦りを募らせつつあった。

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