探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 タップダンスシチーと空き教室の使用権を巡り、ほぼ本気の野良レースを行ったアグネスタキオンであったが、レース直後にタキオンが自分の脚を庇うように歩いている様を見逃す鷹木トレーナーではなかった。血相を変えて校医のもとに彼女を連れてきた鷹木であったが、これといって異状は見られないとの診断。オペラオーを担当していた頃からずっと続く鷹木の心配性は相変わらずだったが、過剰とも言えるその性質はタキオンの担当を任される相応の理由となっていた。


キミの観測を担う、当たり前のこと

 顔色を悪くした鷹木トレーナーが担当ウマ娘を連れて来ても、トレセン学園の校医はさして驚く様子も無かった。昨年度も、たびたびオペラオーの脚に不調や故障の兆しがないか、と神経質なまでに検査の依頼に来ていたためである。

 

 まだ本番レースどころか、練習のレースですらマトモに回数を重ねたこともないアグネスタキオンに対しても同じ扱いをするのは、少々過剰な反応ではないかとも思われたが。

 

「結論から申し上げますと、タキオンさんの脚には何らの異状もありません。負傷はもちろんありませんし、無理な力が掛かった痕も見られません。」

 

「しかし、彼女は確かに走り切った後、片足を庇うような歩き方を見せていたんです。」

 

 異状なしとの報告を聞かせたにもかかわらず、安心するどころか更に食い下がってくる鷹木トレーナーを前にして、校医は今がまだ医務室への駆け込みが稀な時期であることに感謝した。

 

 廊下の窓から見えるグラウンドでは、まだ専属トレーナーも決まっていない新入ウマ娘たちが集団でのトレーニングに励んでいる。多少走り込むことはあれど、身体能力の限界近くまで自分の脚を追い込むような真似はしない。ゆえに、まだまだ疲労蓄積による怪我が起きるには遠い状況である。

 

 彼女らよりも上の学年のウマ娘たちともなれば、専属のトレーナーの指導があったり自らの体の限度も把握していたりと、不用意な怪我も少なくなる……あるいは、レースの道ではなく進学や就職の道に進路を定めつつあるかもしれない。

 

 しかしアグネスタキオンは、きっとレースに専念する道に進めるウマ娘であった。同時に、その進路が彼女にとってあまりに危険な道であることも、校医はさきほどの診察によって見抜いていた。

 

「鷹木トレーナー、彼女が自らの脚を庇うような所作を見せていたのならば、それは気分上の問題でしょう。繰り返しますが、痛みや違和感を覚えるような症状は一切なかったのですから。」

 

「"気分上"って……もしも深刻な負傷に繋がるような兆しを見逃していたら、どうするんですか。」

 

 言い分を聞いた鷹木の表情に、ますます不安の色が濃くなったのを見てとりながら、校医は自らの膝の上に置いた手を小さく上げて、落ち着いてくれと手振りを示した。

 

 言葉選びは難しかった、単なる考えすぎだとして鷹木の訴えを退けようとしているわけではない、という意図を伝えるためには。校医は僅かに口を噤み、次に発すべき言葉を口の中で選んでいた。

 

 もしも多忙な時期に似たような診察を持ち込まれたら、このような時間を取っている余裕もなく、そのまま鷹木を帰らせていただろう。

 

「……最後まで聞いてください、実際に異状がなかったことには違いありませんが、アグネスタキオンが"気分上"自らの脚の状態を気に掛けていることもまた事実です。彼女の脚は並みならぬ能力を秘めている……と同時に、非常に繊細です。アグネスタキオンは、それを自覚しています。」

 

「やっぱり、そう、ですか……並みのウマ娘と比べて、確かに華奢な体格だとは思っていましたが……。」

 

 鷹木トレーナーの返答に対して、そして彼がさして驚いた表情も見せなかった様に対しても、校医は頷いていた。

 

 アグネスタキオンの担当については、トレセン学園理事長自らが定めたという話も聞いている。この鷹木という男ほど小心者で、かつ心配性のトレーナーにタキオンを担当させたというのもまた、理事長こと秋川やよいの的確な判断が働いた結果ではなかろうか。

 

 ただ単に扱いの難しいウマ娘を押し付けたというわけではない、担当ウマ娘の振る舞いを不安がりながらも見つめ続け、いち早く彼女が抱える脆さの正体に気づくこと……それが出来そうなトレーナーを選び出した結果だろう。

 

「他のウマ娘と併走練習をしたとのお話でしたが、思いのほか本気で走ってしまったことにアグネスタキオンさん自ら気づいたのでしょう。実際は痛みも違和感も無いはずのところ、足を庇うような所作を不意に見せてしまった、といったところではないかと。」

 

「これまでトレーニングでほぼマトモに走っているところを見せなかったのも、そのためでしょうか。不安を抱えているのなら、担当トレーナーである自分に伝えてくれればいいのに……。」

 

「さて、彼女がどのような心積もりで担当トレーナーに打ち明けなかったのかについては、鷹木トレーナーがタキオンさん自身とのお話し合いの場を持たれる他にないでしょう。」

 

 そうは言いつつも、あのアグネスタキオンが自分の胸中を包み隠さず打ち明けるような類のウマ娘では決してないだろうことを、先ほどの僅かな診察時間の中で校医も十分理解できていた。

 

 校医に脚を診察させながら、アグネスタキオンは医務室内を見回して、目につく限りの機器類を指さしては質問の雨を降らせ続けていた。

 

 タキオン自身が今後怪我や故障を起こした場合、それらを利用する可能性についても考慮しての質問だったかもしれない。が、あらゆる状況で自らの好奇心と行動を優先したいのだ、との意思表示の方が大きく感じられる言動でもあった。

 

 現に今もなお、担当トレーナーである鷹木との廊下に出ての話が終わるまで、医務室内で待っているようタキオンには伝えているものの、彼女が言われた通りに大人しくしているかどうか怪しいものだった。

 

「既に鷹木トレーナーはテイエムオペラオーさんを担当した経験もあり、指示に従うことのないウマ娘との接し方については釈迦に説法かもしれませんが……それでもタキオンさんについては前例がまかり通ることなどないと考えておくのが良いでしょう。」

 

「えぇ、それは、日々、重々感じているところです。トレーナーとしての働きをあちらから求められたことが、ほぼ無いものですから。」

 

 アグネスタキオンが入学してからこれまでの時間を、ほぼ練習場に顔を出さない彼女を探し回ることばかりに費やされ続けていた鷹木は、全く間を置くこともなく強く頷いた。

 

 おそらく、タキオンはトレセン学園に入る前から、それこそ自分の脚が非凡な走りの能力を秘めていることに気づいたときから、過剰な負荷を脚に掛けることの危険性を承知し続けているのだろう。今までずっと、その不安をすぐ傍らに、練習し、成長してきたのだろう。

 

 ……そして、自分の脚が壊れてしまう不安に幾度迫られてもなお、走りたい気持ちを拭い去ることが出来ないのではなかろうか。

 

 つい数日前に自分の指導を担当し始めたばかりの鷹木トレーナーでは、タキオンが長きにわたって向き合い続けてきた不安と渇望のせめぎ合いに、答えを見出す事など困難であるのは間違いなかった。

 

「しかし、トレーナーとしてやれることを明確にするためには、やはり彼女にトレーニングへ取り組んでもらわないことには、何も手掛かりが掴めません。」

 

「それは、その通りでしょうね。ちょうど今は医務室内で待ってもらっているところですし、これを機に今日はトレーニング場へ一緒に行ってもらえれば……」

 

 言いながら、校医は医務室の扉を開く。

 

 ……が、そこにタキオンの姿はなかった。部屋の奥、窓が開け放たれたまま、カーテンが風にはためいている様は……もしもここが校舎の上階に位置していたとしたら、相当にショッキングな光景だったろう。

 

 幸いながら怪我をしたウマ娘がすぐに入れるように、医務室は一階にあった。そして、大人しく待ち続けていることなど出来ず、窓を開けて勝手に脱走するという振る舞いも、タキオンが有する性質として何ら意外でもなかった。

 

 それでも血相を変えるのが、鷹木というトレーナーであったが。

 

「どっ、どうして、勝手に出て行けるような状態でタキオンを放っておいたんですか!せめて窓は施錠しておかないと……それでも、彼女ならばこじ開けて勝手に出ていくかもしれませんが……!」

 

「空気の入れ替えが必要である以上、窓は常に開けられる状態になっているんですよ。しかし、タキオンさんはどこへ行ってしまったのでしょう。」

 

「言われなくても、俺が探しに行かないと!失礼します!」

 

 ドタバタと廊下の向こうへ駆けていく鷹木トレーナーの背中へと、校医は若いころの自分を見るような視線を送り、そのまま医務室の扉を閉めた。

 

 いくら慌てて後を追おうとしたところで、アグネスタキオンの足取りがすぐ掴めるわけではない。

 

 しかし、担当ウマ娘を探し回っている鷹木トレーナーの姿は、既にトレセン学園内にて見慣れた光景の一部となっていた。つい先ほども、タップダンスシチーとタキオンとのレースが披露されたばかりであり、彼の姿は充分に目立った。

 

 それゆえに、タキオンの目撃情報は鷹木が慌てた様子で走り回っているだけで、自然と周囲から投げ込まれるものとなっていた。

 

「あ、鷹木トレーナーだ。やっぱりさっきのタキオンさん、勝手に抜け出してたんだ。」

 

「アグネスタキオンのトレーナーさん!タキオンさんなら、さっき校舎の裏の山に登って行ってましたよ!」

 

「根性を鍛えるために時々トレーニングしにいく、あの階段がある場所ですよー。」

 

「ど、どうも!教えてくれてありがとう……!」

 

 望まぬ注目のされ方ではあったが、タキオンの居場所を担当トレーナーである自分ひとりで把握しきれるものではない以上、現状は鷹木にとって大いに有難いものだった。

 

 赤の他人ではない、ライバルでもあり友でもある数多のトレーナーとウマ娘たちの存在は、確かにトレセン学園に所属する者を等しく支えていた。アグネスタキオンというウマ娘が、そもそも目立ちすぎるということも要因の大きな一つではあったものの。

 

 トレセン学園敷地の裏手、広大な敷地を見下ろせる丘へと上がっていく石段は、人間の身体能力で一気に駆け上がるには長く、急すぎる。

 

 ウマ娘たちも根性トレーニングに用いるその石段を、ほとんど呼吸困難同然の状態で上がってきた鷹木は、その先にある小さな神社に向かっているアグネスタキオンの背をようやく見つけた。

 

 科学者の真似事か、普段から制服の上に白衣を羽織っている彼女には似つかわしくない場所であったが、無人の境内に佇むタキオンはどこか真剣な雰囲気を纏っているようだった。

 

 鷹木の足音や息遣いに気づいて振り返った時、すでに彼女はいつも通りのニヤニヤ笑いを取り戻していたが。

 

「おや、想定より早く私の居場所を突き止めたじゃないか。あぁ、そうか、今日は少々目立ってしまったからねぇ、私の目撃情報が集まりやすいのも道理か。次にサボる時は、周囲の視線も気にしなければならないねぇ。」

 

「……ハァ、ハァ……頼むから、サボる前提で考えるのはよしてくれって……。」

 

 石段を一番上まで登り切っただけで体力に限度の来た鷹木は、その最上段に腰掛けて息を整えている。

 

 思えば、この状況こそ、タキオンが鷹木トレーナーから最も逃げ延びやすいシチュエーションではあった。鷹木は息を切らして動けず、一方のタキオンは神社の境内で十分に休息を取り、いくらでも走っていけるスタミナがあるのだから。

 

 ウマ娘と人間の体力差は歴然としていたが、タキオンは鷹木の隣に並んで腰を下ろした。

 

 彼女が鷹木のすぐ隣にまで接近したのは、初めてのことであった。

 

「トレーナー君……観測されていない事物は、確定していないも同然だということを、以前伝えたのは覚えているかい?ほら、トレーナー寮前の階段で、ボールを転がす実験をした時のことさ。」

 

「え?……いや……お前が階段の上から大量のボール転がしてきたのだけは覚えてるが……そんなこと、言ってたっけか?」

 

「忘れてもらっていては困るじゃないか、キミは私の担当トレーナーとしての自覚が不十分なのではないかい?まぁいいさ、ごく簡単な理屈だ、今さら再度解説する必要もあるまい。」

 

 アグネスタキオンが今から何を伝えようとしているのか、この会話の切り出し方では鷹木にはまるで予測できない。

 

 それでも、重要な事を伝えようとしていることだけは確かであった。いつもタキオンのノイズの走ったような瞳は、鷹木トレーナーの方を見ず、自分の関心事以外に逸らすことなど無いとばかりにフワフワと空中を泳いでいた。

 

 しかし、今、アグネスタキオンはしっかりと鷹木と目を合わせていたのだ。

 

「私は観測しないようにしていたんだ、未確定であるように。ごく当たり前に振舞い、他のウマ娘同様に走り、トレセン学園生として過ごしていれば、少なくとも並み程度には走り続けられるだけの脚になっているのではないかとね。」

 

 タキオンの今までの振る舞いが"ごく当たり前"から程遠いものであることを、鷹木はあえてツッコまずに居た。

 

 それだけタキオンはいつになく真剣な眼差しをしており、彼女が言いたいことも鷹木には掴めつつあった。タキオンの脚を校医に診断させた結果を、わざわざ聞かずともタキオン自身は分かっているのだろう。

 

 彼女が気にせぬようにしてきた、脚の脆さ、故障しやすさへの不安。トレセン学園に入学する頃には体格も十分に成長し、怪我のリスクの高さもまた解消されているかもしれないという一縷の望み。

 

 しかし、今しがたの診断は冷酷な現実を突きつけたのである。

 

 タキオンの脚は、他のウマ娘よりも壊れやすいことに変わりはなかった。

 

「観測され確定してしまったのだよ。何も変わってはいなかった、運命など信じはしないが、変わり得ぬ必然というものはあるものさ。まぁ、想定の範囲内だけれどね。プランは備えているとも、私はそれに専念するだけさ。キミもトレーナーである以上、協力してもらうよ。」

 

「もちろん、協力するに決まっている。アグネスタキオンが本番のレースに勝ち、いずれGⅠの舞台にも立てるように。」

 

 鷹木も真っすぐな視線を返しつつ、彼なりに力強い返答をしたものの、アグネスタキオンは明確に頷き返しはしなかった。

 

 論理的な判断によらぬ希望的観測に、根拠もなく賛同する彼女ではなかった。それでも首を横に振らなかった彼女の眼の中に、ほんの僅かながら執念の火の粉が立ったようにも覗かれた。

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