4月も過ぎようとする頃、そして相変わらず鷹木がタキオンのペースに振り回されている頃、少々意外なウマ娘が彼の元を訪れた。
タキオンの気分が練習へと乗らぬ時は、いつも姿を見せぬ彼女を鷹木がトレセン学園の敷地じゅうを走り回って探していることに変わりはない。その日も、彼は冷や汗と本来の汗で額を湿らせながら息を切らしていた。
「マンハッタンカフェは結城トレーナーのもとできちんと練習しているぞ、タキオンだけでどこに行ったんだ……?この空き教室にも……いないか。」
タキオンが勝手に自分の研究室として定めた、例の理科準備室を鷹木は覗き込み、もぬけの殻であることを確かめてガクリと肩を落とす。
そんな彼の背後から、唐突にウマ娘の声がかけられた。
「おい。」
「は、はい……?」
低く静かな声ではあったが、マンハッタンカフェとは正反対に、落ち着いた喋りの中にも張りというより迫力の片鱗が覗かれるような声である。
相手は単に鷹木を呼んだだけだったのだが、鷹木は今から脅されることが確定した人間のように、おそるおそる振り向いた。その声の主を見て、ひとまずの安堵は得たものの。
「あ、あぁ、ジャングルポケットか。何か、俺に用が?」
「また、タキオンを探してんだろ。居場所は知ってるぜ。」
つい先ほどまで走り回っていた鷹木とは対照的に、ジャングルポケットは全く息を切らしていない。
その落ち着き様は、鷹木がここに来ると分かったうえで待ち構えていたようでもあった。
仮に、駆けずり回ってタキオンを探している鷹木を追ってここまで来たのだとしても、人間の走りに追いつく程度ならウマ娘が息切れすることなど無いだろうが。
「それを教えに来てくれたのか、ありがとう、助かるよ。それで、どこに……?」
「こっちだ、ついてこい。ついでに、もひとつ通してほしい話がある。」
ジャングルポケットは手短に答え、スタスタと歩き出す。
口頭でタキオンの位置を告げるわけでもなく、歩きについて来させるという判断。直後、彼女が切り出した話を鷹木へと伝えるのが主たる目的だったのではないかと思われた。
「鷹木トレーナーは、片桐トレーナーと知り合いだよな?」
「あぁ、アイツは俺の同期だけど……。」
問いかけには何気なく答えた鷹木だが、片桐の名を聞いた直後から、嫌な予感は早くも湧き上がりつつあった。
片桐は、トレセン学園所属トレーナーの中でも屈指の曲者である。
何もルールに背くような真似はしないのだが、時には規則の穴をつくような形で自らの意思を通す、油断ならざる野心家。
彼が担当していたからこそ、次元の違うドジを連発するメイショウドトウの失態は巧みにカバーされ、やがてテイエムオペラオーと並び立つ大舞台へと彼女を送り出すことに成功したのも事実ではあったが。
あらゆる手段を使ってウマ娘の挑戦をサポートし、勝利の栄光を与える、その熱意は本物であったものの……このところ姿を見せない片桐のことを、鷹木が不気味に感じつつあったのは間違いない。
「どうやら最近、片桐トレーナーは、トレセン学園生じゃないウマ娘をここに引き入れてるみたいなんだ。」
「え……。」
鷹木は唖然とし、直後、あの片桐ならばやりかねないと考えなおしたものの、やはりそれを実行することは現実的ではないと思い返した。
そも、トレセン学園に在籍していないウマ娘は、イベント開催日などグラウンドが一般開放される日でもなければ、勝手に敷地内に入ることは出来ない。
トレセン学園から大きなレースに出走するウマ娘の作戦が、出走前に漏洩してしまっては、公正なレース展開とならないためだ。見学などで来場許可を得るにも、知り合いに会いに来た等、相応の理由が必要である。
部外者をトレーナーが勝手に引き入れるなど、流石に完全な規則違反となる。そんなリスクを負ってまで、片桐がトレセン学園生ではないウマ娘を連れてくる理由も分からない。
「それは単に、トレセン学園の制服やジャージを着ていなかっただけの在校生、ってことは無いのか?ほら、ジャージの洗濯が間に合わなかったから、私服の体操着を着用していただけ、とか。」
「いや、アイツらはトレセン学園生じゃない、断言できる。……俺がよく知ってる相手だからな。」
ジャングルポケットが良く知っている相手で、トレセン学園生ではないウマ娘……とまで言われれば、流石の鷹木も気づいた。
入学前のグラウンド試走日、そして入学式の日、部外者でありながらもジャングルポケットの友人として敷地に入って来ては、騒いでいた黒ジャージのウマ娘2名。
タップダンスシチーがタキオンと空き教室を取り合っていた時も、彼女の知り合いという名目で来場許可証を首から下げていた、あのガラの悪い、髪を派手な色に染めたウマ娘たちである。
片桐がいかなる経緯で黒ジャージのウマ娘たちと知り合ったのか、全く推測もつかなかったが、厄介なトレーナーのもとに厄介なウマ娘たちが率いられていることだけは確実となった。
「……それは、確かに、放置しておくべきではない状況かもしれないが……何故、俺に伝えるんだ?トレセン学園自体に告げれば、対処してくれるはずだ。」
「あの手の連中は、上から単に禁止されても、他にすぐ抜け道を見つけ出すだろ。顔見知りなら、正面から会って口を利くほうが早いんじゃねぇのか。」
鷹木の提案は、ジャングルポケットから即座に拒まれてしまったが、しかし彼女が言っていることは正しかった。
間違いなく、片桐は学園からの命令に大人しく従うトレーナーではない。むろん、表面上は従うだろうが、水面下での行動を増やすだろう。
鷹木自身も、片桐が何を企んでいるのか気になりつつあったこともあり、先ほどまで探し回っていたタキオンがその場に居るのならばなおさら、ジャングルポケットに付き従って進む他に無かった。
向かった先は、校舎の裏手、校庭の清掃や手入れのための用具入れが置かれたエリア……のさらに奥、普段は滅多なことでは誰も立ち入らぬ、植え込みや木立の向こう側である。
数年間トレセン学園に勤め続けている鷹木とて、この場所に足を踏み入れるのは初のことであった。外部と敷地内を隔てるための、防風林か緑地帯のようなものだとしか認識していない。
「ほ、本当に、この先なのか?片桐トレーナーと、トレセン学園生じゃないウマ娘と……タキオンが居るのは。」
「あぁ、連中が入っていくのを俺の目で見たんだ。タキオンは、相変わらず好奇心だけでついて行ったんだろうけどよ。」
ガサガサと茂みをかき分け、時には進路に突き出た太い枝を屈んでくぐり抜け、距離にして数メートル程度しか進んでいないだろうが、散々苦労をして抜け出た先に、思いもよらぬ光景が広がっていた。
そこには、一面の芝地があったのだ。周囲を雑木林に囲まれ、練習用グラウンドほどの広さはないが、ウマ娘が走るには十分な面積がある。
確かに、片桐トレーナーの姿があった。ストップウォッチを手にしている彼の視線の先には、3名のウマ娘が走っている。そのうち2名は、黒ジャージを着こんでいた。
……そして、片桐のすぐ隣で腕組みして走りを見学しているのは、白衣のウマ娘であった。
「タキオン!いくら探しても見つからないと思ったら、こんな場所にいたのか……いや、まず、この場所は何なんだ?」
「おや、鷹木トレーナーに見つかることなど無いと踏んでいたのだが、なるほどそうか、ポッケ君が連れてきたのか。彼女の洞察眼が働いているのは盲点だったねぇ。」
振り返ったタキオンは、練習をサボって姿をくらましていたことを悪びれもせず、鷹木の傍らでジャングルポケットが仏頂面をしてこちらを睨んでいる様を見て頷いている。
招かれざる訪問者の声は聞こえていただろうが、片桐はしばらくストップウォッチを手にしたまま、走っていくウマ娘たちから視線を外していなかった。トレーナーとしての仕事中、片桐は常に真剣であった。
やがて、彼女らがゴールラインを越えたのを見て、タイム計測を完了し、ようやく片桐は振り返る。腹の中で何を企んでいるとも知れぬ、いつもの怪しげな半笑いを既に浮かべていた。
「これはこれは鷹木トレーナー。なんだか久しぶりにお目にかかるような気がしますね。我々の秘密の練習場へようこそ。」
「あの、片桐トレーナー……秘密の、と仰いましたが、ここはどういう場所なんですか?」
コース上を走り終えて、息を整えているらしい黒ジャージ姿のウマ娘たちの方も鷹木は気にしつつ、最初に解消すべき疑問をぶつける。
よくよく見てみれば、芝はある程度長さを揃えるように刈られているものの、正式な練習コースほど綺麗に生えそろってはいない。中にはハッキリと雑草と分かる草も混じっており、全体的に薄茶色の芝地となっている。
「ここは、かつて芝の養生地として用いられていた場所ですよ。広大なターフの練習コース、毎日数え切れない量のウマ娘たちが走るわけですし、メンテナンスを欠かさずとも定期的に芝自体を張り替えなければなりませんからね。」
「しかし、今は専用の業者さんから張り替え用の芝を購入しているはずですが……。」
「ですから“かつて”と言ったでしょう。トレセン学園の敷地内で張り替え用の芝を養生していた頃もあったようですが、今は自前で育てた芝を使うことはありません。この場所は、その名残として残されていた土地です。」
見れば、この開けた場所の隅には芝刈り機が置かれており、おそらく雑草が伸び放題となっていたこの場所を片桐自身が整備したのだろう。
結構な肉体労働だったはずだろうが、それと引き換えに誰にも邪魔されぬ自分たちだけの練習場が得られるのならば、と額に汗して手入れしたと思われる。抜け道の確保には全力を注ぐ片桐らしい振る舞いだった。
とはいえ、もう一つの疑念については未だ晴れていない。
「なるほど、誰も目を付けていなかった土地を練習場とするとは、流石です……しかし、あのウマ娘たちについては、問題ないのでしょうか?」
「あのウマ娘たち、とは?何か、問題があることでも?」
「トボけんなよ、あの黒ジャージの連中、部外者だろ。トレセン学園に許可なく入れちゃダメじゃねーか。」
今まで黙って聞いていたジャングルポケットが、口をはさむ。
片桐のペースに早くも乗せられつつあった鷹木にとっては、有難い助太刀であった。この件が万一、大ごととなった場合、片桐に軽からぬ処分が下されるのではという懸念も手伝って、鷹木は言及しづらく感じていたのである。
とは言っても、この片桐というトレーナー、そうそうのことで動揺する男ではない。
「この場所について学園理事長室にも確認したのですが、厳密にはトレセン学園の敷地内として扱われないそうなんです。」
「は……?」
「ですから、確かに敷地の内外を隔てる塀はこの場所を囲うように設置されているものの、今のところ学園の練習区画や校舎建設地として扱う予定もなく、事実上この場所は学園の敷地であるとは分類されないんです。」
理事長に確認を取ったのならば間違いないのだろうが、片桐が言っている事は聞く者を混乱させる内容であった。学園内でありながら、学園の敷地ではない、とは?
眉根に皺を寄せて固まっているジャングルポケットの隣から、鷹木は改めて聞き返す。
「えーと、では、ここはどういう扱いの土地になるんでしょうか……?」
「トレセン学園の現時点における理事長、秋川やよい氏から寄贈された土地として扱われます。」
すなわち、トレセン学園生しか入れないエリアではなく、秋川理事長からの許可を得た者であれば使用できる土地である。
そこから先はわざわざ聞かずとも片桐の返答はおおよそ察しがついたものの、鷹木は一応質問を続けた。
「それで、片桐トレーナーは、このかつての芝の養生地に踏み入ることについて、許可をお取りになったので……?」
「えぇ、ウマ娘たちの練習環境を得るため、とお伝えしたところ、即座に『許可ッ!!』と快く承諾いただけました。おかげで、彼女たちにも周囲に煩わされることのない理想的な練習場を与えられましたよ。」
ウマ娘のためと伝えられれば理事長が一も二も無く首肯するのは、鷹木にも易々と想像できた。
承諾を得る際、“トレセン学園の”ウマ娘たち、とは限定していないあたりが片桐らしい言質の取り方であった。きっと、脇から詳細の確認に入るだろう駿川たづなが居ないタイミングを見計らって、話を持ち掛けたに違いない。
傍らで聞いていたタキオンも、そういった片桐の策を十分に理解していただろう。感心したように小さく拍手しながら頷いている。
「いやはや、鷹木トレーナーを見ていては実感できなかったが、片桐トレーナーのような切れ者に会えると、流石トレセン学園に勤めるトレーナーは頭の良さが並みならぬと思い知らされるねぇ!そうか、このようにすれば、私もスムーズに私だけの実験室を得られるのかもしれない!」
「ほぼ詐欺師の手口だ、頼むから参考にしないでくれ。」
「詐欺とは心外な、ウマ娘たちが満足に練習できるよう、使われていない土地に活用法を見出したに過ぎませんよ。」
タキオンは勝手に空き教室のひとつを占拠したに過ぎないが、片桐は公に秋川理事長からの許諾を得たうえで、堂々とトレセン学園の土地の一部を事実上私物化することに成功しているのだ。
その使用目的、ウマ娘の練習場として扱うという名目にも、嘘はない。
鷹木は頭を抱え、ジャングルポケットはいよいよ追い出すことの困難となった黒ジャージ姿のウマ娘たちが、息を整え終えて悠々と歩いてくるのを忌々しそうに睨んでいた。
黒ジャージ姿のウマ娘2名に挟まれ、ひときわ体格の大きなウマ娘も歩いてくる。もちろん、彼女らと以前つるんでいたタップダンスシチーであった。
「Hey,ポッケ!What's up dude?わたし達の城の予定地にようこそ!そっちのトレーナーも久々だな!」
「あ、あぁ、相変わらず元気そうで何よりだ、タップダンスシチー。……今、城の予定地って言ったか?」
以前と変わらず堂々と振舞っているタップダンスシチーに距離を詰められ、自然と後ずさりながら鷹木は周囲を見回す。
雑草を刈ったばかりのこの場所は、まだまだ単なる荒れ地から変わらぬように見えた。
「そうさ!いずれ、ダチとつるんで暮らせる城をどっかに建てたいと考えてんだ、わたしは!ここはちっと狭いけど、出発点には悪くない!レースに出まくって、稼いで、最初の城を建てる!それが私と片桐トレーナーの契約だ!」
「なる、ほど……?えぇと、片桐トレーナー?今のお話は、本当のことですか?」
「あぁ、紹介が遅れましたね。このたびタップダンスシチーを、専属で担当することとなりました。今後レース場でお目にかかることもあるでしょう。」
自分が問いたかったのはそこじゃない、と鷹木は言い返しかけ、もう諦めた。
片桐ならば、学園の木立に紛れるようにして小屋のひとつを建てる話ぐらい、あっさりと許可を得て通してしまいそうだと思われた。
タップダンスシチーが得意げに将来像を語っている脇では、黒ジャージ姿のウマ娘2名が、変わらず不機嫌そうに睨んでくるジャングルポケットへ絡んでいる。
「よぉ、ポッケちゃん。おやおや、ずいぶんとご機嫌斜めじゃねーか。一緒に走る仲間に入れてもらえなくて、寂しいのかなー?」
「お前ら、よくそんだけデカい面してられんな。許可だか何だか知らねーが、ここはトレセン学園の中だ、肩身が狭いのが普通だろ。」
「ウチらはタップさんの練習相手だぜ。タップさんはマジで強ぇウマ娘だが、ウチらも併走練習させてもらってどんどん速くなってんだ。そのうちお前なんか追い越してるかもな、ポッケ!」
「ハッ、地元でお山の大将気取ってた奴が、いよいよ勝てねェ相手の腰巾着にまで成り下がったかよ。」
ジャングルポケットと黒ジャージ姿のウマ娘たち、それぞれの付き合いの長さは、その流れるようなディスり合いからも十分に感じ取れた。
一瞬の沈黙、互いに刺すような視線を瞬間的に交わした後、けたたましい笑い声とともに怒声を飛ばし合う。
「面白ぇ冗談だな、ギャッハッハッハッハ!ウチが腰巾着だと、笑わせやがってナメてんじゃねぇぞポッケェ!!」
「今日もご機嫌だなぁ、ポッケちゃんよォ!その減らず口を塞げんなら、何度でも負かしてやるぜテメェ!」
「ア゛ァ゛!やってみろよコラ゛ァ゛!」
おそらく、木立の向こう側、トレセン学園の校舎の方にも、ここで飛び交う罵声は響いているのではないかと思われた。それもまた、この場に他のウマ娘が寄り付かぬ元凶の一つであろう。
ブレーキ役となる存在も、この場には居なかった。片桐はニコニコしながら彼女らのやり取りを見守るだけであり、タップダンスシチーはフロアが熱くなってきたとばかりに手を叩いて野良レースの開催を宣言する。
「Okay,let's have fun,baby!さっきの走りから時間も取ったし、今から競争してもいいよな、片桐トレーナー?」
「えぇ、やりましょう。練習を重ね、以前とは違う走りを実践する良い機会です。」
いろいろと気がかりな点はあったが、この場で鷹木が抱く最大の懸念はタキオンがここに参戦すること、参戦させられることであった。
タキオンの脚が殊にデリケートで、故障しやすい性質だということを知って以来、彼女の練習メニューはその負荷の蓄積具合を鑑みてごく慎重に組んでいたのだ。
幸いながら、腕組みしてニヤニヤしながら状況の成り行きを見守っているタキオンに、声がかけられることは無かった。
「トレーナー君、これは良い機会だ、見ていきたまえ、タップ君の走りを。これまた独特なんだ、ものになれば今までにない優駿となるだろう。思いもよらぬ活躍を示すウマ娘ではないかと、私も注目しているんだ。」
「あ、あぁ、せっかくなら、そのつもりだが……。」
ひとまず、タキオンの脚に想定外の負荷がかかる恐れは逃れたため、鷹木はそこに安堵するだけで精一杯だった。
前方に視線を向ければ、片桐によって切り開かれたプライベートな練習場の真ん中を、盛んに刺々しく言い合うウマ娘たちがスタート位置へ向けて横切っていく。本来の練習場より狭いとはいえ、たった一人で雑草を刈るには改めて見るほどに、あまりに広い。
事によっては、片桐は数日徹夜で草刈り作業を続けていたのではとも思われた。ジャングルポケットに呼び止められ、ここに連れて来られてからの怒涛の情報量を、鷹木もまずは落ち着いて整理する必要があった。