探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 昨年のシニア級、ジャパンカップでの勝利を機に勢いを盛り返したと見えたエアシャカールに、今年の金鯱賞でツルマルボーイが勝利した。その様を見ていたアグネスデジタルは、自分もまた後進のウマ娘たちに追いつかれつつある状況が現実味を帯びていることを実感せずにはいられない。しかし同時に初々しいウマ娘たちの魅力に期待するところも大きいデジタルは、まもなく運命的な出会いを経験することとなる。


行く先の暗雲、先行くは光

 金鯱賞にて、エアシャカールを一年後輩のツルマルボーイが破ったレースの模様は、無論シャカールと同期のアグネスデジタルも中継画面越しに見ていた。

 

 クラシック級二冠、その後も活躍を続けて現役最強クラスの一角をなすシャカールを、大外から差しきったツルマルボーイへの感動が真っ先に湧き上がってきたのはデジタルらしい性格の表れである。

 

 しかし、覇王世代が去った後の新世紀を担うのが自分やシャカールであるという認識が、早くも更に後輩のウマ娘たちによって追いつかれつつある現実への焦りも、確かにそこには混ざっていた。

 

「並んで共に走るのは大歓迎!ですけど、甘い世界じゃないのも、これまで十分に味わってます。私は、ウマ娘ちゃんのキラキラを、もっと、出来るだけ長く、一番近くに感じていたいんですよ……。」

 

 世代交代。その言葉は、ウマ娘として現役時代を長く経験すればするほど、否応なしに浮かび上がってくる直視し難い必然であった。

 

 新たな栄冠を掴むため、後から駆けあがってくる後輩ウマ娘たち。彼女らが活躍し、勝利が彼女らの手にわたるということは、アグネスデジタル自身にとってレースに出走していられる時期の限度が近づきつつあることの表れでもあった。

 

 度重なる海外遠征で蓄積した疲労を癒すため、長期の休養を決定した現状であればこそ、なおさらにその焦りはおのずと増幅されていくように思われた。

 

「私がこうしている間にも、次々に新しいウマ娘ちゃんたちがレースの場に上がってきて……あーいけません、焦っても仕方ないですけど、動かないで悩み続けてるのも、性に合いません。」

 

 アグネスデジタルはパソコン画面を閉じ、サッサと立ち上がって寮の自室を出た。

 

 外はようやく晩春の空が、遅くなりゆく夕暮れの色に染まり始めた頃である。

 

 休憩時間を金鯱賞の観戦に当てていたのはどのウマ娘も同じと見えて、練習グラウンドにはトレーニングを再開するために出てきたばかりのウマ娘たちの姿が続々と現れていた。

 

 彼女らが練習している風景をじっと眺めつづけていられる時間は、これまでの多忙なデジタルにはなかなか取れるものではなかった。だからこそ、彼女はおのずから廊下の窓へと向かっていた。

 

 全てのウマ娘がレースに専念する道を選べるわけではない。

 

 が、窓から練習グラウンドを見下ろし、先月入学したばかりの後輩たちが肩を並べ、一心に走る練習を続けている様を見るにつけても……厳しさばかりではない、走ることそのものに彼女らが見出す輝きをアグネスデジタルは味わっていた。

 

「はぁぁ……キラキラですねぇ……世界最速の無形文化財です……あんなに生き生きと走れる子達が、はたして喝采や注目を浴びずにいることがありましょうか、いや浴びるはずです……。」

 

 窓に顔をくっつけんばかりに近づけ、その鼻息の荒さを示すように口元の窓ガラスを白く曇らせているデジタル。

 

 もはやさほど寒い時期でもないのに、窓ガラス上にほぼ結露にも近しい現象を引き起こしながら、ブツブツと興奮気味に独り言を呟く姿はかなり不気味なものだったろう。香港やドバイにまで出走した稀代の優駿となった今も、彼女の本質は変わっていなかった。

 

 が、デジタルは不意に自分の視線が一名のウマ娘の姿へと吸い寄せられていくのを感じた。

 

 遠目には、その髪が鹿毛であることぐらいしか外見上の特徴を掴めない。しかし、そのウマ娘の走りは、周囲のどの同輩たちと比べても懸命で、ひたむきであった。

 

「何でしょう、あの子から、ひときわ強いキラキラを感じます。いや、ギラギラと形容した方が正しいかもしれません。」

 

 そのウマ娘は、今はコーナー攻略時の脚の使い方を練習しているところだったのだろう、さほどスピードを出すことなく一歩一歩を確かめるように練習コース上を走っていく。

 

 しかし、地道な練習をしているに過ぎない姿にもかかわらず、長きにわたってウマ娘という存在に視線を注ぎ続けてきたアグネスデジタルは、抗いがたい魅力を覚えたのである。彼女は、他のウマ娘と何かが違う、と。

 

 遠目からじっと目を凝らし、その姿を網膜に焼き付けたアグネスデジタルは、足早に寮の棟を走り出て、学園の練習グラウンドへと脚を急がせる。

 

 先ほど見出した感覚は、時間を置くほどに冷めるどころか、ますます何やら尋常ならぬ狂熱を火照らせだすようであった。

 

 

 

 金鯱賞の観戦がてらの休憩時間を終え、レースの感想をクラスメイト同士で言い合う時間も惜しむかのごとく、ジャングルポケットは我先にと練習グラウンドへ駆けだしていた。

 

 たった今観戦したのは、自分たちにとっては2年先にようやく出走条件が整うレースであったが、それまでに十分な戦績を示していなければ立てない舞台であることには違いない。

 

 今年中にデビューを果たし、来年度はクラシック級のレースにて皐月賞、東京優駿、そして菊花賞……と、その世代の頂点を決めるレースの場に踏み込む。

 

 そのためにも、まず勝負の舞台に立てる実力を身につけることが、揺るがぬ目標であった。

 

「だが、俺の弱点は……まだ克服できてない。」

 

 ジャングルポケットは、相変わらずコーナー攻略時のスピードに難点を抱えていた。

 

 それは悪友たちと幾度も繰り返した野良レース時についた癖である。故意の接触あり、執拗なコースブロックあり、クリーンではない勝負の場においては、コーナーを速く駆け抜けようとすること自体がリスクである。

 

 ゆえにこそ、ジャングルポケットは競争相手のブロックをかわす技術を存分に習得しており、また直線に向いた際の加速は随一ではあったのだが。

 

「本気のレースじゃ、コーナーだからと悠長に脚を緩めてる余裕すら無ぇ。」

 

 レースを目指すウマ娘たちが全国から志願する狭き門、トレセン学園への入学を果たした今、ジャングルポケットの焦りは日に日に高まっていた。

 

 トレセン学園で行われる練習レースの時点で、地元のウマ娘たちと競い合う野良レースとは、完全に次元が違っている。

 

 入学式の日、ジャングルポケットの悪友……例の黒ジャージのウマ娘たちが唐突にレースの競争相手を募った時、遠慮するように遠巻きに眺めていた大多数のウマ娘たちは、決して弱いウマ娘ではなかった。

 

 ばかりか、この中央トレセン学園への入学が認められる時点で、必然的に実力者揃いである。

 

 ジャングルポケットも練習の都度、少しでも脚運びをミスすれば、ゴールまでに後ろから追い上げて並ぶだけで精一杯という状況だった。

 

 それでも、ジャングルポケットがこの年度の新入ウマ娘たちの中では、格段に熱意を込めて練習に取り組んでいたおかげか、練習段階での成績は常に上位であることは違いなかったが。

 

「今の練習を続けていたって……あのフザけた連中に追い抜かれちまう。」

 

 彼女の中で懸念が募る都度、浮かんでくるのは入学式の日から目立っていた面々である。

 

 先日、片桐トレーナーが勝手に学園の敷地内に作り出したプライベート練習場で共に走ったタップダンスシチー。以前はジャングルポケットの完全なる圧勝を見せつけた相手は、既に2バ身差にまで迫ってきている。

 

 自前で恵まれた体格と優れた運動能力を持ち合わせているとはいえ、完全に自己流の走りしか身に着けていなかった相手がめきめきと実力を育てていることは事実だった。

 

 練習コースの直線部分を駆けながら思考を巡らせているジャングルポケットの脚は、心なしか速まる。

 

「専属トレーナーがつくのも早すぎだろ、どいつもこいつも……マンハッタンカフェは、分からないでもねーけど。」

 

 マンハッタンカフェ。入学式からほんの数日で、URAのレジェンド的人物である結城トレーナーに見いだされ、トレーナーの側から担当を申し込まれたウマ娘。

 

 あれだけ目立たず、おとなしい彼女が、存在をアピールすることもなくレジェンドトレーナーから目を付けられたという経緯は、自分の同期のウマ娘たちの中で最も確かな実力を有する存在だと認められたに他ならない。

 

 未だ専属トレーナーの居ないジャングルポケットとしては、易々と認めたくはない事実であったが。

 

 カフェの走りは、確かに文句のつけようもない走りであった。練習コース上を何物にも捉えられず飛翔する影のごとく走り抜いていく彼女を目の当たりにして、ジャングルポケットは慄然としていた。

 

「それから……そのカフェにいつも絡んでいるアイツ……。」

 

 入学式の日から騒動を引き起こし、最速で担当トレーナーをあてがわれたアグネスタキオンである。

 

 カフェとは正反対に、自ら意図的に目立つことでお目付け役としての専属トレーナーを得ることに成功したウマ娘であったが、その実力は生半可なものではなかった。

 

 不真面目な性格であることに関しては演技でも何でもないのか、そもそも練習で走る姿を披露することが無いタキオン。しかし、ごく稀に、あるいは気まぐれに、他のウマ娘と併走する時には、彼女の本気の片鱗が垣間見えた。

 

 走りながら競争相手の限界のほどを読み抜いて、直線を向いたが最後、消耗など感じさせぬスピードのまま、加速しながらゴールへと突き進んでいく。

 

 速度を加減する理性を放棄すれば、いよいよ恐ろしい勢いで周囲を置き去りにしそうな気配すら、アグネスタキオンには纏われていたのだ。

 

 タキオンを担当している鷹木とかいうトレーナーについては、どうにも頼りない印象があったものの、それでも個別にトレーニングメニューを管理する存在が居ることはメリットに違いない。

 

「あんなフザけた連中が、俺より先に練習環境を整えてやがる。」

 

 再び練習コースのコーナーへ入っていくジャングルポケットの背後から、足音が近づいてくる。

 

 おそらく同じコーナー攻略の練習をしているウマ娘だろう、それは分かっていたが、ジャングルポケットの脚はおのずと速まっていた。

 

 追いつかれたくない、追い越されたくない。

 

 このグラウンドにおいて並び立つはただの練習仲間、しかし今の彼女の心境は現実を理解してなお、何者にも物理的に追いつかれまいとする思いを煽り立てていた。

 

「俺は、このまま、ここで地道にやってていいのか……?」

 

 専属トレーナーを得る手段は、厳密に定められているわけではない。

 

 多くのウマ娘は、トレセン学園のデビューを控えた練習時や本番に向けての選抜レース時にトレーナーに見いだされ、専属としての契約を申し込まれる。

 

 稀に、ウマ娘の側からトレーナーへと担当を願う場合や、トレセン学園の側からあてがわれる場合もあったが、それはごく例外的なケースである。

 

 ジャングルポケットは外部から見られる性格に似ず、タップダンスシチーやアグネスタキオンのように、イレギュラーな手段を強行するほどの破天荒さは持ち合わせていなかった。

 

 ひたむきに練習を続けるだけの真面目さ、そして周囲との関係性を常に気にする繊細さが、ジャングルポケットの中にはあった。

 

 ……そして、マンハッタンカフェのように、何らアピールせずともトレーナー側から声を掛けられるほど、抜きん出た能力には、一歩届いていなかった。

 

「ここで埋もれるつもりは無ぇ、抜け出していかねぇと……!」

 

 ますますジャングルポケットはコーナー攻略練習の脚を速め、彼女に並ぶように追ってくる足音もそれに続いた。

 

 ここに来て、ようやくジャングルポケットは違和感に気づく。

 

 自分を追っている足音の主は、こちらが引き離そうと速度を上げたことに反応し、追随してきているのだと思われた。練習中とはいえウマ娘同士が並んで走れば、競争心が芽生えるのはごく自然なことである。

 

 が、それにしては、ハッキリと横から視線が刺さってくる。

 

 真っ当に練習しているのなら、視線は常に自分が走る方へと向いているのが自然である。そもそも、顔を横に向けたまま走っては、体勢にも無理があるためスピードは出しづらいはずだ。

 

 完全に、ジャングルポケットの顔を凝視したまま、かなり速度を上げて走るジャングルポケットに並び続けている何者か……すなわち、顔を真横に向けたまま、悠々とついてきているウマ娘が真隣りに居るのだ。

 

 苛立ちも手伝って、ジャングルポケットは多少脚を緩めながら、自身の視線もそちらへ向けた。

 

「おい、誰だ、さっきからずっと俺にぴったりついてきやがるのは……。」

 

「おわぁっ!ウマ娘ちゃんのギラギラ、ダイレクトに頂きましたぁ!いやスミマセン練習中にお邪魔しちゃって!このデジたん、ついあなた様に惹かれてしまったものですから!」

 

 ジャングルポケットに並んで走っていた、大きなリボンを頭に付けた小柄なウマ娘……見間違えようもない、アグネスデジタルに他ならない。

 

 随分とオーバーに恐縮してみせるデジタルだったが、むしろ狼狽えるのはジャングルポケットの方であった。

 

 世紀末覇王テイエムオペラオーを破り、新世紀の勇者として海外の舞台でも活躍し、今や世界でもその名を知らぬ者など居ないウマ娘が、目の前に居るのだ。

 

 視線を真横に向けたまま、こちらの顔を凝視しながらでも悠々とついてくる、そんな脚を有するウマ娘としても頷ける存在であった。

 

「えっ……な、何の用だよ、アグネスデジタルほどの大先輩が、俺なんかに。」

 

「いやいやいや、大先輩だなんてそんな私なんか、ウマ娘ちゃんを追いかけるしがないファンの一員ですから……しかし、今のぶっきらぼうなお声、良いですねぇ、目覚ましのアラームにして毎朝聞きたい……いや冗談ですけどね!」

 

 狼狽が収まったジャングルポケットの頭の中が、即座に困惑で満たされたのは言うまでもない。

 

 練習を中断することは不本意ではあったものの、しかしあのアグネスデジタルが話しかけてきたという状況はますます稀有なものである。

 

 当のデジタルが口にしている内容自体が、理解の難しいものには違いなかったが。

 

 完全に脚を止めたまま、当惑している様子のジャングルポケット。とはいえさすがに、アグネスデジタルも後輩を困らせっぱなしにはせぬ程度には成長している。

 

 興奮気味の呼吸を整えて、そして彼女はジャングルポケットの練習を間近で見ながらまとめた提案を口にする。興奮が収まり切っていなかったためか、オタク特有の早口となってしまっていたが。

 

「そのぉ、あなたさえよければ、なんですけど……私と一緒に練習しませんか?今だけ、じゃなくて、今後しばらく。いや実は私、今年は長期休養の予定なんですよね、だから自分も脚を鈍らせないようにしつつ、あなたの練習相手としてもお役に立てれば、と。」

 

「俺が……アグネスデジタル先輩と、練習……。」

 

 全く望んでいた形とは異なっていたものの、大きく現状を変える好機が訪れたのだとの実感は、ジャングルポケットの胸中にハッキリと広がっていった。

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