探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 アグネスタキオンというウマ娘を担当することは、独特過ぎる方向性で困難を極めるものであった。ようやっと彼女の思惑を汲み取ることが出来るようになりつつある程度の鷹木トレーナーは、ある日彼女が調合していた薬品を飲むよう促される。当然ながら何らの資格も持たぬ学生が現実的に入手可能な飲食品を混ぜ合わせただけの代物であり、鷹木もそのどぎつい甘さに脅かされつつも単なるイタズラに付き合う一環としての認識で飲み干したのだが……翌朝、彼は顔色を失う体験をする。


開かれずとも、軋む扉の向こう

 5月も終わり、そろそろ鷹木もアグネスタキオンのことを部分的にではあるが理解しつつはあった。

 

 むろん、彼女が喋るのは相変わらず難度の高い内容だったが、どのように働きかければ練習へと意識を向かわせることが出来るか……そして、テコでも練習へ向かう気が無いときはどのような反応を示すか、程度は掴めるようになったのである。

 

 例えば昨日などは、アグネスタキオンは相変わらず勝手に占拠している理科準備室に籠り続け、何やら液体を試験管の中で混合する作業に専念していた。

 

 こうなってしまうと、下手に練習へ引っぱり出そうとして執拗に声を掛け続けても、むしろ集中力を乱されたとして彼女はますます“実験”の時間を引き延ばすばかりである。

 

「……気が済んだら、トレーニング室に来てくれよ。せっかくトレーニング機器の使用予約を取ってるんだ、待ってるからな。」

 

「あ、あー、ちょっと待っておくれよ。」

 

 珍しくタキオンの方から呼び止める言葉を発したが、彼女は夢中になっている作業を途中で放り出す真似などしない、ということなど鷹木には分かりきっていた。

 

 ゆえに、鷹木はさほど期待せぬ表情で振り返り、案の定タキオンは椅子に腰かけたままだった。

 

「行く前に、私の実験に協力してもらいたいんだよ。ちょうど、試作品が出来上がったところだ、これを飲んでみてもらいたい。」

 

「……その試験管の中身、か?」

 

 キィ、と軋む音を立て、古びた椅子を回してタキオンは鷹木の方へ向き直り、試験管を差し出している。

 

 中には、蛍光色の液体が揺れていた。以前、入学から間もないタキオンに飲まされた液体にも似ていたが、この薄暗い室内ではハッキリと光って見えた。

 

「中身は、何なんだ?」

 

「心配せずとも、私とて危険な物質を飲ませるような真似はしないさ。色のついたキャンディを溶かした液体と、食用の着色料を様々な配分で混合したもの、駄菓子屋で買える材料だけさ。市販の清涼飲料と大差ない中身だねぇ。」

 

 タキオンは実験台となる鷹木を安心させるためか、試験管をちょっと振って中の液体を揺らして見せる。

 

 しかし試験管越しに衝撃を与えられるたびに、その液体は光量を増しつつ色味を水色からピンク色へと変色させた。飲まされる側の不安が、ますます増大したことは言うまでもない。

 

「その清涼飲料と変わらないはずの液体が、どうして光りながら変色して見えるんだ……?」

 

「それを確認するために実験しようと言っているんじゃないか。私としても実に不思議なんだ、以前キミに飲んでもらった液体と寸分たがわぬ調合で混ぜ合わせたはずだというに、やはり異なった反応を示すものだから。」

 

 タキオンの語ることが事実であるとするなら、確かに奇妙な現象ではあった。

 

 鷹木としては、駄菓子屋で買える材料が、かくも鮮やかな発光及び変色の反応を見せることの方がずっと奇妙であったが。

 

「……どうしてこんなレースとも関係ない実験を行っているんだ、トレーナーの立場としては走る方に専念してもらいたいんだが。」

 

「確かに直接の関係はないように見えるかもしれないがね、観測し得ない限り不確定な事象について知ることは、ウマ娘レースの歴史が紡がれるプロセスにも大いに関連する試みなのだよ。」

 

 躊躇している鷹木に受け取るよう促すように試験管を差し出しながら、タキオンは語り続ける。

 

「良いかいトレーナー君、たかだか溶かしたキャンディや着色料を水で混ぜるだけのこと、しかし誰も実践したことの無い手順さ、これは。そこに未知の現象が見いだされたのならば、徹底的に摂理を追究することが、ウマ娘レースを中心に回るこの世界の理解へと繋がることに異論はないだろう?」

 

「よく分からないが……お前の気が済むのなら。」

 

 鷹木は試験管を受け取る。タキオンから手渡されるときの小さな振動を受けて、中の液体はピンク色から黄緑色へ、どぎつい蛍光色を移り変わらせた。

 

 それを手にして、部屋の外へ飲みに行く体を装ってタキオンの方に背を向けた鷹木に、タキオンからは鋭く声が飛ぶ。

 

「私の目の前で飲んでもらいたいねぇ、確かに実験が行われたのだとの確証が欲しい。」

 

「う……。」

 

 以前、タキオンから妙な液体を飲まされた時は、現実にはこれといって異変は無かったものの、妙に印象に残る夢を見て魘された経験のある鷹木。

 

 今回は受け取るだけ受け取って、水道に流して捨てるつもりだったのだが……その程度の判断は、タキオンの側も十分想定していたらしい。鷹木は試験管を取り返されまいと握り締めたまま、続けて抵抗を試みる。

 

「あのな、タキオン。俺も暇じゃないんだ、万が一体調を崩せば、その分トレーナーとしての仕事も滞る。悪いが、この液体は捨てさせてもらうぞ。」

 

「それは困るねぇ、協力してもらえると思っていたのだけれどねぇ。仕方がない、私自身が飲むほかないか。」

 

 言いながら、タキオンは鷹木に渡した試験管の液体と全く同じ、変色を示す蛍光色の液体がたっぷりと入った丸フラスコを背後から取り出した。

 

 鷹木としては、タキオンの作った液体を一旦受け取ってしまえば、その処遇は全て自分に委ねられるものと踏んでいたのだが……これまた、タキオンの予想の範疇であった。

 

 自分の手元に十分な量を残しておく程度の保険は、すでにタキオンも用意していたのである。呆気に取られている鷹木の前でフラスコをゆったり振りつつ、タキオンは独り言を続ける。

 

「しかし、私自身を実験台としては、客観的に経過観察することが難しい。そうだ、カフェはこの頃コーヒーを好んでいたねぇ。彼女を呼んで、これを混ぜたコーヒーを飲ませてもいい……。」

 

「まっ、待て!わ、分かった、飲むから!」

 

 トレセン学園所属のトレーナーとして、自分が体調を崩す可能性以上に、ウマ娘が体調を崩しかねない状況は出来得る限り阻止せねばならない。

 

 何よりも、タキオンがカフェに妙な薬品を飲ませたため、カフェが体調を崩し、練習時間を削られたなどとなっては……この世代において最も期待されるウマ娘の練習を妨害した上、レジェンドたる結城トレーナーの面子に泥を塗ることにもなる。

 

 もはや躊躇の念など吹き飛んで、試験管の中身、蛍光色に光る液体をグイと飲み干している鷹木の姿を、アグネスタキオンはニンマリと満足した笑みで見つめていた。

 

 鷹木がタキオンを理解しつつあった以上に、タキオンの方が鷹木という男をよくよく理解できていた。

 

「どうだい?飲み干した気分は。味については、まぁ、悪くはないと思うけどねぇ。これは未知への干渉だ、現実で起こり得ない現象に、キミは足を踏み入れた可能性がある。心して、味わいたまえ。」

 

「凄く……甘ったるい。どぎつい甘さだ……。」

 

「当然だろう、元々駄菓子屋で売られていた材料を混ぜただけなのだから。ふゥむ、流石に飲んですぐ反応が見られるということはないか。要経過観察、といったところだねぇ。」

 

 アグネスタキオンが得意げに語る“未知”には違いなかった。鷹木はこんなに甘い飲料を飲んだことがなかった。

 

 まるで医師から診察された後のような言葉を掛けられながら、そして今すぐ病院に行きたい気分を引きずりながら、鷹木はアグネスタキオンの実験室を後にした。

 

 その日は極度に甘いものを飲んだ結果として慢性的な胸焼けを感じ続け、遅れて練習場に現れたタキオンがダラダラとトレーニングしている横で自分の胸元をさすり続けていた鷹木。

 

 夜、仕事を片付け終え、トレーナー寮へと戻った後も胸の奥の軽いもたれ感は続き、ひと風呂浴びて寝る前には流石に落ち着いていたが、明確な異変は翌早朝に起きた。

 

 以前と違って、夢は見ていない。度重なる疲れで、ぐっすりと深く眠り続けていたためだろう。

 

 スマホのアラームが鳴る数分前、薄暗い部屋の中でハタと目を覚ました鷹木。

 

 自分が寝坊していないことを真っ先に確かめるため、スマホに手を伸ばし、画面に表示される時刻が十分に早いことを確認して小さな安堵を得た後……彼は異変に気付き、一瞬で目が覚めた。

 

「……えっ!?光って……る!?」

 

 スマホ画面を消した時、その現象は明確となった。

 

 鷹木の指先……それも、ほんの爪の先だけであったが、薄暗い部屋の中ではハッキリわかるほどに光を帯びていたのである。

 

 ガバと起き上がった拍子に窓のカーテンがめくれ、朝の陽射しが部屋に差し込む。その明るさの中では、先ほど見た指先の発光現象は確認できない。

 

 しかし改めてカーテンを閉めなおし、頭から布団を被って暗い状況の中に潜り込めば、確かに鷹木の指先は薄っすらとであったが光を放っていた。

 

「なんだこれ……まさか、昨日タキオンに飲まされた、アレのせいか……?」

 

 布団をはねのけては、また布団をかぶり、指先が確かに光っている様を確認する。前代未聞の寝覚めを経験し、鷹木は存分に動揺していた。

 

 ちょうど蓄光塗料を塗ったネイルのごとく、暗い場所でしか確認できない程度ではあったが……それでも薬品を飲んだ結果、体内から発光物質が染み出ているのではないかと考えるほどに、不気味であった。

 

 その弱々しい発光は、動揺の収まらぬ状況ながら鷹木が支度を整えて出勤する頃には消えていた。

 

 が、自分の体がほんの一部ながらも発光するという異様な現象に受けた衝撃は、なかなか消えるものではない。

 

「どうする、今日も仕事はあるんだが、医者に行くべきか……。」

 

 医者に対して、担当ウマ娘から差し出された蛍光色の液体を飲んだ翌朝、指先が発光していました……と告げる自分自身を想像し、鷹木はその判断をいったん保留した。

 

 いい歳をした大人が、怪しげなものを無警戒に飲まないようにしてください、などと警告されるのも目に見えていた。

 

 実際はタキオンの巧みな言動に誘導された結果だったが、ウマ娘の振る舞いを元凶として挙げるなど、トレーナーとしてあるまじき行為である。

 

 結局、練習用のデータ整理やメニュー作りの仕事中も、また自分の身体が光り出していないかと気もそぞろなまま、鷹木は昼間の時間を過ごす羽目になった。

 

 あの発光現象が再度発現することは無かったが、放課後となってアグネスタキオンが珍しく練習場に予定通り姿を現した時、もちろん鷹木はその件について真っ先に切り出した。

 

「なぁ、タキオン、昨日あの液体を飲まされた後の反応なんだが……。」

 

「あぁ、私が期待したほど、大した反応は起きなかったようだね。それよりもトレーナー君、今日はきちんと休憩時間を15時半ごろに合わせて設けておくれよ。」

 

 当のアグネスタキオンは、鷹木の姿をチラと一瞥した時点で昨日の実験結果のほどをおおよそ見てとったらしく、既に彼女の興味は別のものに向いているらしかった。

 

 今日は6月1日、東京優駿が行われる日である。タキオンたちの世代のひとつ先輩、今年度のクラシック級を走るウマ娘たちが出走を予定している。

 

 今年の皐月賞は、ちょうどアグネスデジタルやエイシンプレストンが香港を走ったクイーンエリザベスカップの日程とちょうど被っていたため、話題性はどうしても香港の方に持っていかれてしまっている。

 

 それゆえ今日の東京優駿は、全国的な注目を今年のクラシック級ウマ娘が浴びる、ほぼ初の機会でもあった。

 

「……いや、分かってる、それは確かに見逃すべきじゃないんだが、今聞いてほしい内容とは違うんだ。俺の体が発光したんだ、昨日飲まされた液体のせいで……。」

 

「しかし、トレーナー君。キミがさほど騒がず、トレーナー寮に救急車が来た様子もないということは、さしたる反応でも無かったのだろう?せいぜい、毛細血管網が集中しがちな指先に、僅かな蓄光物質が滞留した程度と思われるけれどねぇ。」

 

 自分が味わったあの狼狽とは裏腹に、タキオンの反応が実に冷めたものであったことに、鷹木は遣る瀬無い思いを抱いた……とはいえ、タキオンの推測がおおよそ当たっていたのもまた、間違いなかったが。

 

 腑に落ちない表情とともに、更に文句のひとつでも述べ立てようかと考えた鷹木であったが、タキオンがサッサと練習に向かう姿勢を見せていることから、口を噤んだ。

 

 彼女としては、今日の東京優駿を中継観戦するのがよほど待ち遠しいのだろう。

 

 その高揚感ゆえに練習に向けて高まっているタキオンのやる気を、下手な言葉を掛けたせいで崩すようなことになってはならなかった。

 

「いやはや楽しみだねぇ、先々月の皐月賞はちゃんと見ていたかい、トレーナー君。一着になったあのウマ娘の走り、完全に前を塞がれたと見える状況から、一気に抜け出してサクラプレジデントと並んでの激走!」

 

「あぁ……たしか、ネオユニヴァースというウマ娘だったか?」

 

「だったか?などと不確かな反応を示している場合ではないよ、それでもトレーナーかねキミは!あれは歴史に刻まれるべき名レースだ、惜しむらくは世界的に注目されるクイーンエリザベスカップが話題性をさらって行ったことだが、これも未確定の事象ゆえの観測不能性がもたらす結果、と言えるだろう!」

 

 タキオンのいう通り、トレセン学園所属のトレーナーが、その年の皐月賞ウマ娘の名を知っていないはずはない。

 

 しかし、今こうして改めて聞きただされてみれば、鷹木はネオユニヴァースというウマ娘が4月末の中山競馬場で大歓声を浴びていた記憶を、ハッキリと刻み込んでいない事実に気づかされた。たかだか先々月の話であるというのに。

 

 その年の皐月賞を制し、今日、東京優駿の舞台へと1番人気で上がろうとする、そのウマ娘は……たしかに、ごく奇妙な存在であると専らの評判でもあった。

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