東京優駿が行われた後日、早々に入ってきた一報は鷹木に衝撃と動揺を同時に与えた。
ネオユニヴァースとその担当トレーナーが、宝塚記念に挑むことを決めたという内容である。
確かに宝塚記念はクラシック級のウマ娘も出走することが出来る。が、当然ながらシニア級以上の実力あるウマ娘たちに勝ちを阻まれることも容易に想像がつく。
実際のところ、クラシック級で宝塚記念を制したウマ娘は今のところ存在しない。
「それに、宝塚記念は今月末だ……たかだか数週間のスパンで、GⅠクラスのレースに出走するのは、かなりの負担になるはずだ。」
出走するウマ娘のメンタルにかかるストレス、そして当然ながらレース本番で蓄積する肉体的な疲労は、故障のリスクを大幅に引き上げてしまう。
それでも前人未到の記録に挑もうとするのだから、ネオユニヴァースの能力や担当トレーナーの信頼は本物だということだろう。
ここまで考えを巡らせて、鷹木が胸中の奥に抱いていた懸念はますます膨れ上がっていた。
「……タキオン、偶然のアクシデントを装ってでもネオユニヴァースに会いに行きたい、とか言っていたな……。」
そう言っていたときのタキオンが、決して冗談ではない、本心からの言葉を口にしていただろうことは流石の鷹木も理解できていた。
ネオユニヴァースが宝塚記念へ出走するという一報を聞いて、アグネスタキオンがますます会いに行きたくなるであろうことは明白であった。
同様に、いよいよ練習や休憩時間を邪魔されるべきではない大切な時期をネオユニヴァースが迎えていることも明らかである。
「こうしちゃいられない。タキオンは、ほぼ確実にユニヴァースを邪魔しに行ってしまう。」
時刻は昼前、授業を受けているべきウマ娘たちはまだ教室に居る頃であったが、猛烈に嫌な予感が確信へと変わりつつあるのを感じた鷹木は、タキオンの練習メニューを構築する仕事をいったん中断して外に出た。
鷹木が今、このタイミングで席を立ったことにも理由はある。
今年入学したばかりのアグネスタキオンやマンハッタンカフェ、ジャングルポケットらの世代は、まだ今の時期は本来の学業として教室での授業にも出席しなければならない。トレーニング中心のスケジュールが回り始めるのは、身体能力に本格化の兆しが見え、デビュー戦に挑むウマ娘も増えてくる秋や冬の頃である。
一方で、昨年入学し、そして今年クラシック路線で活躍しているネオユニヴァースは、既にトレーニングやレース本番に向けての調整に専念するスケジュールが組まれているだろう。
必然的に、ウマ娘自身や担当トレーナーの裁量で休憩時間を取ることが出来る。そうした場合、大抵は多くのウマ娘たちが一斉に昼の休憩時間に入る混雑を避けるために、多少早めの休憩および昼食をとることが多い。
「他のウマ娘に邪魔されず、そして練習中でもない、休憩時間中のネオユニヴァースに会いに行けるタイミングは、今しかない。タキオンが、このタイミングを逃すはずがない。」
鷹木は確かに、自分が今年から担当することになったアグネスタキオンの行動を予測できる程度には理解度を深めていた。
とはいえ、肝心のネオユニヴァースが休憩および昼食をとる場所の予測までは、鷹木も至らない。凡庸な可能性の確認のため、とりあえず覗き込んだ食堂では、昼食時のラッシュに備えて調理師たちが忙しく立ち働いているばかりである。
ただでさえ、思考どころか発言までも読み取ることが至難の業であるともっぱらの評判であるネオユニヴァース、彼女の行動を推測することはほぼ不可能であった。
「いや、落ち着け、俺はタキオンを捕まえればいいんだ、タキオンが、ネオユニヴァースと遭遇することを狙って向かいそうな場所の見当さえつけばいい。」
そう考えなおせば、達すべき目標はもう少し現実的になる。
自分とタキオンが、ネオユニヴァースに関して得ている情報にはほぼ差が無いはずだ。本来はトレーナーの方がウマ娘に関する情報を多く仕入れられるはずであったが、タキオンならば何やかやと情報を多く掴んでいてもおかしくない。
ネオユニヴァース自身については前述の通り、行くあての手掛かりは全く掴めない。しかし、彼女に身近な存在、たとえば担当トレーナーや、あるいは親しく付き合えるウマ娘であれば……。
「……ゼンノロブロイ。今、ネオユニヴァースに最も近い、同年代のウマ娘は彼女だ。」
先日の日本ダービーにおいても、ネオユニヴァースと肩を並べてゴール前を駆け抜け、惜しくも二着となったウマ娘。
縁の分厚いメガネ、大きな耳が印象的な、大人しそうな外見のゼンノロブロイ。ゴール直後は悔しげに顔を俯けていたが、間もなくネオユニヴァースから何事か語り掛けられ、笑みを取り戻して言葉を交わす様子が中継画面越しにも見られた。
あのネオユニヴァースと対等かつスムーズに会話できる存在は、ユニヴァースの担当トレーナーを除けばそう多くないだろう。それだけに、ユニヴァースとロブロイの親交はライバル関係と共に深まっているものと思われた。
「誘い合って昼食を摂るとすれば、ゼンノロブロイがネオユニヴァースをお気に入りの場所に連れてくることが十分に考えられる。だとすれば……。」
今でこそ、今年度クラシック路線の有力ウマ娘として忙しく練習の日々を続けているロブロイだが、彼女には図書委員としての顔もある。
よほどの本好きなのか、ロブロイ自身が希望して引き受けており、今も時間さえ空けば図書室にて書籍の整理や利用者の案内のため働いているらしい。ならば、図書室が彼女にとって一番のお気に入りの場所ということになる。
とはいえ、図書室は飲食禁止である。ほかならぬ図書委員であるゼンノロブロイ自身が、その禁を破ることは到底考えられない。
「なら、図書室の近くで、図書室の窓から見下ろせる中庭の……」
「この花壇に囲まれたベンチを、ゼンノロブロイはお気に入りのスポットとしてネオユニヴァースを誘うのではないかと考えたのだね?奇遇だねぇトレーナー君、私も同じ推測を立てたよ!その結果、我々2人だけがこの場所で顔を合わせることとなった、というわけだ!アッハッハ!」
鷹木が散々考え抜いて到達したその場所には、先んじて腰掛けているアグネスタキオンの姿があった。
まだ授業時間中だというのに教室外でくつろいでいるタキオンを発見することは、もはや当たり前のようになってしまっていたが、同じ思考をなぞった結果としてタキオンの所在を鷹木が突き止めるのは初であった。
鷹木の理解力がようやくタキオンに追いつきつつある証ではあったが、どこか面はゆい感覚でもあった。
「あるいは、我々は似た者同士なのかもしれないねぇ。この場合、私の担当に鷹木トレーナーを決定したトレセン学園の判断の妥当性を称賛すべきだろうか?」
「何でもいい、まだ授業時間中なんだから教室に戻れ、タキオン。それから、先輩ウマ娘たちの邪魔をしに行くんじゃない、仮に休憩時間だったとしても、彼女らにとっては貴重な時間なんだから。」
「邪魔はしないさ、それどころか私はごく有意義な時間を提供することが出来る!ウマ娘レースという、本気と全力のぶつかり合う実戦の場で、抜きん出た存在となり得る術、その可能性を、模索することは常日頃より続けているのだからねぇ!」
「それは担当しているトレーナーの仕事だろう、いいから行くぞ、ユニヴァースたちでなくとも、ここを休憩場所としているウマ娘は他にも居るだろう……。」
レースに専念しているウマ娘たちが、練習へと一心に打ち込んだ後の休憩時間を妨害されることは、その後の身体の調子に大きく響く。
いかにも休憩に最適そうな、この中庭の花壇に囲まれベンチが置かれた場所に、入学初日から騒ぎを引き起こしているタキオンの姿を見出すことが何よりもの休憩妨害となることは明白であった。
その点を鑑みても鷹木はタキオンをこの場から引き離したかったのだが、時すでに遅かった。
背後から、二名のウマ娘が言葉を交わしながら近づいてくるのが聞こえる。
「……ここなんです、まだお昼の早い時間帯なら、図書室から見下ろせるこの中庭、誰もいなくって……」
「今は『ヒト』が居る、“SRIV”だよ。」
鷹木はどちらの声も、中継番組でスピーカー越しにしか聞いたことはなかったが、その独特過ぎる言い回しの主が何者であるか、間違えようもなかった。
振り返れば、見紛うはずもない、ネオユニヴァースとゼンノロブロイがそこに並んでいた。
二人ともランチボックスを抱えて、花壇に沿う小道を連れ立って歩いてきた様子である……現役で最前線を駆けるアスリートの、貴重な安らぎの時間が、今から始まるはずであった。
その予定を激しく狂わせる存在、すなわちアグネスタキオンが、白衣の裾を翻してガバと立ち上がったところである。ゼンノロブロイは気弱そうな表情と共にスッと視線を逸らし、その場に踵を返しかけた。
「あ、いえ、お邪魔するつもりは……失礼します、私達は別の場所で昼食をとりますので、お気になさらず……。」
「“CONT”お互いの『のんびり』のために、フライバイするよ。」
先日の日本ダービーで一着二着を独占したウマ娘二名が、何の戦績もない入学したばかりの後輩に場所を譲るという、これまた前代未聞の事態が起きかけている状況を前に、焦燥で満たされた鷹木は反応が遅れた。
ネオユニヴァースとゼンノロブロイを待ち受けるつもりでここに居座っていたアグネスタキオンが、彼女らへと先んじて声を掛けたのも必然だった。
「いや、待っておくれよ、ネオユニヴァース、そしてゼンノロブロイ!私は、ほかならぬキミたちを待ちわびていたのさ!さぁ、どうぞ私の傍に座ってくれたまえ!そして語り合おう、観測され得ぬ未確定の先を、いかにして推測し、算出し、そして実現へと近づけるのか!」
今からゆっくりと昼食を摂りつつ休憩したいと願う者が、最も近くで為してもらいたくないであろう振る舞いをタキオンは示していた。
当然ながら、ロブロイは返答に詰まり、困惑そのものを表情に浮かべている。
しかし、言葉が通じないも同然のタキオンを置いてそそくさとその場を立ち去らないのは、ネオユニヴァースを友に持つ彼女らしい振る舞いでもあった。
「え、えっと、お誘い……ですよね?お気持ちは有難いのですけれど……。」
仮に、ゼンノロブロイが単独でタキオンから誘われていれば、それを受け容れて、あるいは断り切れず、タキオンの隣に座っていたかもしれない。
しかし今は、連れてきていたネオユニヴァースのことをロブロイは気にしている様子だった。せっかくの休憩時間を、入学式初日から騒動の中心にいたウマ娘に邪魔されるようなことになりはしないか、と。いや、既に邪魔されることは確定したも同然であったが。
当のネオユニヴァースは、ほとんど抵抗なくスタスタとタキオンのすぐ隣まで来た。
「アファーマティブ。一緒の時間を過ごすことも、“CUTT”、断絶を埋めるよ。」
「その通りだ!情報として受け取り、集積させるだけでは形而上での思考実験に過ぎない。実際に交流の選択肢を増やし、そして現実的に交流、干渉しあう可能性を増やす事が、この世界の観測可能性を間違いなく増大させるだろう!」
興奮気味に喋り続けるアグネスタキオンがネオユニヴァースに興味津々であることは既に分かり切っていたが、ネオユニヴァースの側も初対面であるはずのタキオンに、一目で興味を惹かれた様子であった。
お互いに真っすぐ視線を向け合いながら、タキオンとユニヴァースは並んで腰かける。
鷹木は、ユニヴァースと同行していたのが温厚なゼンノロブロイであることを、心の底から感謝していた。先輩ウマ娘の間にずけずけと割って入るような真似など、顰蹙を買う行為以外の何物でもない。
タキオンの担当トレーナーとして、そしてこの場所を先んじて占拠していた状況の責任は自分が持たねばならない、さらにはタキオンが割り込んできたためにロブロイが孤立するような状況は絶対に避けねばならない……。
鷹木はタキオンが身を持たせかけているベンチのひじ掛けの外側、すなわちベンチ脇の地面にしゃがみ込んだ。ウマ娘たちが余裕をもって3名座れるスペースをベンチに残すことが最優先である。
律儀なロブロイは、鷹木が地面に膝をついたのを見て、すかさず声を掛けてきたが。
「あ、あの、私は別の場所でもいいので、どうぞ、担当ウマ娘さんと一緒に座っていただいて……。」
「いっ、いやいやいや、邪魔をしているのは俺たちの方なんだから。本当に済まない、せっかくの休憩時間に。タキオンは一度思い立ったことを、簡単には変更しないんだ。」
「そ、そうなんです、ね……たしかに、ユニヴァースさんと似ているのかも……で、では、私、ベンチに座らせていただきますね……。」
異様に気を遣い合っているロブロイと鷹木に挟まれて、ネオユニヴァースとアグネスタキオンは早くも活発に言葉を交わし合いはじめていた。こうなってしまっては、タキオンに会話を中断させることはますます難しい。
いよいよ、鷹木は覚悟を固める他に無かった。ユニヴァースとロブロイの昼食時間の邪魔をし続けぬように、頃合いを見てこの場からアグネスタキオンを引き剥がすのは自分の役目である、と。