探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 どこから情報を仕入れてきたのか、タキオンが告げた通り、タップダンスシチーは確かにその日にデビュー戦へと挑む予定となっていた。相変わらず授業をサボッて鷹木トレーナーと共に観戦しにくるタキオン、そしていつもタップと共に練習しているトレセン学園外のウマ娘も観戦席に並ぶなか、いよいよタップダンスシチーは初戦を走り始める。勝負の世界は厳しいものでありながら、栄冠の遠さをものともせぬ不屈のウマ娘の道程は始まったばかりである。


願い遠くも、手を先ずは出して

 ウマ娘がデビュー戦に用いるレース場は、トレセン学園の敷地内にはない。トレセン学園が存在する街の近郊にある、公式ウマ娘レースの規格に則ったレース場で行われる。

 

 中央トレセン学園に在籍するウマ娘だけが発走するとは限らず、地方のトレセン等からもデビュー戦に参加しにくるウマ娘も居るためだ。とはいえ、例外にあたるウマ娘はほぼ居なかったが。

 

 その日のデビュー戦に集まっていたのも、ほぼ全員がデビューの遅れた入学2年目のウマ娘たち、すなわち今年入学のアグネスタキオンのひとつ上の先輩たちばかりである。

 

 コース外の芝地の上、直に椅子の並べられた閑散たる観客席を見回し、鷹木は口を開く。

 

「時期的にも、観客はほぼ居ないか。新入学ウマ娘たちがデビュー戦に参加するには早すぎる時期だからな。」

 

「だがタップダンスシチーくんは、この日、デビュー戦への一歩を踏み出す!私と同期で入学したとはいえ、タップくん自身は私より一歳年上だ、身体能力にはライバルたちとも遜色ないだろうねぇ。」

 

 アグネスタキオンも興奮気味の口調で返し、まだ出走予定のウマ娘たちも居ないガランとしたコース上へ視線を走らせている。

 

 おそらく、コースの芝状態や直線とコーナーの配置から、自分自身が走る時のイマジネーションを構築しているのだろう。熟考に沈み込んでいた先日までと比べ、タキオンの表情が一気に明るくなった様は鷹木を安堵させた。

 

 このデビュー戦が行われる時間帯にタキオンが観戦することについては、鷹木と同行していたキングヘイローによってツッコまれることとなったが。

 

「あの、タキオンさん?本日のデビュー戦の開始時刻は12時50分ですけれど……あなたが受講すべき午後の授業時間に被っているのではありません?」

 

「分かっているさ、だが共に入学し、共に駆けた仲間が、今日、デビューするのだよ?二度と来ない時間の一節だ、見逃すわけにはいかない!ここはトレセン学園なのだから、授業より優先すべきレースがあれば出席を強いられることもない!」

 

「それは、あくまで自身が出走すべきレースがある時の話でだな……。」

 

「私はタップダンスシチーくんの走りを目の当たりにした時から、彼女もまた特異点たり得る異才の持ち主ではなかろうかと、注目を逸らせずにいたのだよ!本意気でのレースの場、彼女の実力のほどを確かめることが、今後のウマ娘レースの展望を見通すうえでも大きな助けとなるだろうからねぇ!」

 

 スラスラと自分流の理屈を述べ立てるタキオンを前に、キングヘイローも鷹木もそれ以上の説得を諦めた。

 

 それにタキオンの喋る内容は、あながち誤りというわけでもない。他のウマ娘より1年遅れての入学とはいえ、担当トレーナーを得て1か月たらずという短さで、デビュー戦へと挑むウマ娘は前代未聞であった。

 

 ゆえに、既に同期のウマ娘たちがクラシック路線で活躍を始めている中、さほど注目を集めない今の時期にデビューするウマ娘たちのレースを観戦しに、鷹木もキングヘイローもこの場を訪れているのだ。

 

「……ただ、厳しいレースにはなるだろうな。本来は同い年、そしてもはやクラシック路線に乗れなかったウマ娘たちとはいえ、丸1年以上トレセン学園で鍛錬に励んだ面々が相手だ。」

 

「専属の担当トレーナーがおらずとも、コーチからの助言や整備されたグラウンドなど、質の良い練習環境には間違いありませんものね。」

 

「しかしタップダンスシチーくんの走りには他に類を見ない伸びやかさがある、過去に蓄積されたデータの参照には収まらないだろう。彼女が走り始めれば、新たな世代というだけではない、ウマ娘レースに新たな時代が拓かれるかもしれないねぇ!」

 

 ほぼ全てのウマ娘が自らの能力を高めることにこそ専念する中で、これほどまでにもアグネスタキオンが周囲のウマ娘の能力に関心を持つ理由を、鷹木は徐々にであるが理解しつつあった。

 

 タキオンは、ウマ娘レースという一つの歴史そのものが導かれる先をこそ知ろうとしているのだ。タキオン自身も優れた走りの才覚を有してはいるが、激走を繰り返してなお現役を続けられるほどに頑丈ではない。

 

 ゆえに、それが自分にとってライバル的存在であろうとも、ウマ娘レースという大舞台でのドラマを紡ぎ続ける者たちへ、期待と好奇心を存分に向け続けているのだろう。

 

 ……これもあくまで、鷹木が安易に至れる想像にすぎず、タキオン自身はもっと違った考えを抱いているのかもしれなかったものの。

 

「しかし、ジャングルポケットくんは観戦に来ていないようだねぇ。彼女こそ、タップダンスシチーくんへの対抗心を強く燃やしていたように見えたのだが、ライバルのデビュー戦は気にならないのかねぇ?」

 

「だから、ちょうど午後からの授業時間に被ってる、って言ってるだろ。そもそも、タップダンスシチーがデビュー戦に挑むだなんて、本来は知りようがないはずじゃないか。」

 

 その点も、鷹木としてはずっと引っ掛かり続けているところであった。

 

 基本的に、無名のウマ娘のデビュー戦、あるいは未勝利戦など、一般に告知されること自体が無い。よほど将来有望とされるウマ娘のデビュー戦でもない限り、わざわざ実況中継されることもない。

 

 それゆえに、今は学園の校舎内で授業を受けているのだろうジャングルポケットがここに来ないのは当然のことだったし、タキオンがいかにしてタップのデビュー戦の情報を掴んだのか、想像もつかなかった。

 

 当のタキオンは、事も無げにさらりと答えたが。

 

「そんなこと、本気で知ろうとしていれば必然的に得られる情報ではないかい?タップダンスシチーが授業よりトレーニング優先のスケジュールを取るようになり、練習内容も本番に向けての調整同様であり、そして今日の午前、彼女が電話口で『わざわざ応援に来なくていい、勝利の結果報告だけしてやる』と友に告げているのを聞けば、今日がデビュー戦であるとの推測はおのずから成立するじゃないか。」

 

「タップダンスシチーさんの動向を、逐一追跡なさっておいでですの……?」

 

 多少蒼ざめながらもキングヘイローは多少アグネスタキオンから距離を取る。

 

 鷹木もタキオンの行動力には舌を巻きつつ、その探偵ごっこのような行動に味をしめてもらってはいよいよ練習がおろそかになる、と考えて僅かながら指摘を試みた。

 

「だが、お前のそれは、単なる推測だろう。勘違いだったらどうする。」

 

「鷹木トレーナー、そしてキングヘイロートレーナーが、ここに来た時点で確定しているじゃないか。よもや、私の単なる推測を信じ込んで、わざわざ無駄足を運ぶトレーナーくんではあるまいねぇ?」

 

「……あ。……あぁ。」

 

 もちろん、鷹木とキングヘイローは、タキオンから聞かされた情報が正しいことを、トレーナーが閲覧可能な本日のデビュー戦予定表から確認した上でここに来ている。

 

 同時に、タップダンスシチーがどこのレース場でデビュー戦を行うのかについては、いよいよタキオンが知る手段などなかったことにも、両者は今さら気づいた。

 

 鷹木とキングヘイローに自分の推測だけを告げ、あとはこの両名に同行するだけでアグネスタキオンは自らの知り得ぬ情報を自然と補完し、タップダンスシチーのデビュー戦に居合わせるという望む結果を得たのだ。

 

 キングヘイローも、アグネスタキオンの思考が巧みに自分たちを動かした様には、呆れながらも感心する様子であった。

 

「……き、きっと、タキオンさんが実際にレースで走る際にも、思惑通りに展開を運ぶ才覚は、有用となりますわね。」

 

「うまくレースで活かしてくれればいいんだが……おい、タキオン?どこ行くんだ?」

 

 つい先ほどまでは目の前のコースを舐め回すように凝視していたタキオンだったが、ふいと立ち上がって観客席の列を歩きはじめる。

 

 そろそろ出走予定のウマ娘がレース場に姿を見せ始める頃だというのに、まったく挙動の予測をつけさせない様は相変わらずのアグネスタキオンであった。

 

 彼女は並べられた椅子の列を足早に横切り、隅の方に腰掛けていた他の観客の真隣りに腰掛け、こともあろうにその観客の顔をじっと覗き込み始めた。

 

「タキオン?……ったくアイツ、今度は何をやってるんだ。なぜあの人たちの顔を覗き込んでいるんだ。」

 

「他の観客さんの迷惑になってしまいますわ、止めに行かないと。」

 

 もちろん、先ほど見事な推測と他者の行動予測を示したタキオンが、自分の行動が迷惑行為であることに気づかぬはずがない。

 

 極端な思考力の高さと、行動の奇天烈さが常に同居するがゆえに、アグネスタキオンというウマ娘を担当し続けることの困難さを鷹木は幾度も再認識させられ続けていた。

 

 アグネスタキオンが覗き込んでいる相手は、目深に帽子をかぶった二人組である。ぶかぶかの作業服を着こんでいる姿は、仕事の休憩時間中に駆けつけてきた、といった風体だった。

 

 仕事の合間をぬってまでデビュー戦を訪れた二人組の前、鷹木は恐縮しきりながらタキオンの腕を引っぱって覗き込む動作を中断させ、深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません、担当ウマ娘が失礼をいたしました……ほら、タキオン、元の席に戻るぞ。」

 

「トレーナーくん、キミはもう少し確定し得ぬ事象を観測する手段としての可能性を思考の俎上に載せるべきではないかい?」

 

「何の話をしているんだ、タキオン。いいから、他の観客さんの迷惑になるようなことは……」

 

 鷹木は言いかけて、タキオンに顔を覗き込まれていた二人組へチラと目を向け……そしてもう一度しげしげと眺め直した。

 

 結果的に、鷹木もまたタキオンと同じく顔を覗き込む動作をとることとなったわけである。

 

 帽子をかぶり、分厚い作業服を着こんでいたため遠目からは気づかなかったのだが、その帽子の下に覗く髪は、かたや派手なピンク色、もう一人は鮮やかな水色に染められていた。

 

 知る限り、そんな色に髪を染めている二人組などほぼ限られる。水色の髪のウマ娘の方は、固めたリーゼントがほぼ崩されるような形で帽子を被っていた。

 

「もしかして、タップダンスシチーと一緒に練習していた、おふたり?」

 

「もちろんそうだろうとも、ほぼ無名なウマ娘でありながら、タップダンスシチー、彼女を応援しに来る可能性がある存在などほぼ特定できたも同然だろう。しかし、こんなにも律儀で健気な一面を持っていたとはねぇ、キミたちに抱いていた印象がちょっと変わってしまうじゃないか。」

 

 もとはジャングルポケットとの腐れ縁を持つ悪友たち、そして現状はタップダンスシチーの練習仲間。

 

 いつも黒ジャージを着こんでいたウマ娘たちは、今、自分たちが一番応援したい相手のデビュー戦に駆けつけていたのだ。タキオンの揶揄いとも取れる発言に対し、彼女らはようやく口を開く。

 

「うるせェ。タップさんと約束してんだよ、こっちは。絶対に応援に行く、ってな。」

 

「おや、彼女はたしか『勝利の結果報告だけしてやる』とか言っていた気がするが……。」

 

「なに盗み聞きしてんだよ!オマエは首突っ込んでくんじゃねェ、タップさんは応援に来てもらいたいに決まってんだろうが!」

 

 遠慮のないタキオンからの干渉に早くも苛立たされたのか、先ほどまで彼女らなりに存在感をひそめていたウマ娘たちは、いつも通りに荒らげた声を張り上げた。

 

 いずれにせよ、レースを応援するとなれば、じっと黙って見ていることなど出来なかったろう。

 

 これもタキオンが計算してのことか、あるいは全く意図せずか、自分たちの姿を隠す気を失せさせた面々は帽子を脱ぎ、その派手なピンク色と水色に染めた髪を露わにした。走っているタップダンスシチーからは遠目にも、彼女らが応援に来たことが一目瞭然となるだろう。

 

 傍らでそのやり取りを目にしていた鷹木は、別のことにも気を取られていた。いつもの黒ジャージではなく、彼女らが作業服を着こんでいる理由は、単に存在感を隠すためだけではないだろう。

 

 鷹木の方から話しかけるより前に、彼女らが突っかかるように口を開くのが先であったが。

 

「んだよ、そんなにウチらの恰好が珍しいか?レース場にゃドレスコードなんかねーだろ。」

 

「い、いや、別に、気にしてはいない……。」

 

「裕福なトレセン学園生サマと違って、ウチらは働かなきゃ食ってけねーんだよ。今もバイトリーダーに無理言って、休憩時間をズラしてもらって来てんだ。」

 

 間近で見れば、彼女らが着ている作業服は染みや埃で汚れ、かなり使い込まれた雰囲気であった。

 

 なかなか元の席に戻ってこない鷹木とタキオンを気にして、近くまで寄ってきたキングヘイローもその様に気づき、口を噤んでいる。

 

 レースに生きる道を選べないウマ娘の中でも、さらに進学の難しい状況で暮らしている者たちの生活の一端が、覗かれる姿であった。たしかにウマ娘は人間を遥か凌駕する身体能力を有しているため、労働においても重宝される存在だろう。

 

 自らの心に抱かれる不満を常に押し殺し続け、精神がつねに削られる中で自我を保っている彼女らが、その鋭くガラの悪い目つきの中に未だ輝きを失っていない。

 

 学生たちと同じ年齢でありながら日々の暮らしと仕事に追われる者たちも、ウマ娘レースに焦がされる熱量を忘れられはしないのだ。

 

 キングヘイローと並んで黙り込みながら、鷹木はこのことに関してタキオンがまた余計なことを喋りはしないかと警戒していたが、間の良いことに出走予定ウマ娘たちがちょうど姿を現したところであった。

 

「ごらんよ、タップダンスシチーくんはひときわ体格に恵まれているねぇ。1年早く入学していた面々と比べても、見劣りするどころかすでに優勢にも見えるじゃないか。」

 

 タキオンが指さす先、簡易なパドック代わりの準備エリアに姿を見せたタップダンスシチーは、運動着姿ゆえにその上背と、支える筋肉量が競争相手たちに囲まれた中でも際立っていた。遠目にも、タップの体格だけがハッキリと一回り大きい。

 

 ……しかし、鷹木には、そのレースの中で彼女がどのように見られているか、既に空気感が伝わってきていた。

 

 タップダンスシチーは、他の競争相手から全く視野に入れられていなかった。勝負の相手になる対象として、警戒の視線を向けられる様子がない。

 

 おそらく、彼女に付き添っている片桐トレーナーも同様に感じ取っている。それでも、周囲からの見られ方を全く気に掛けない片桐だからこそ、タップダンスシチーの自信を翳らせるそぶりなど見せないことだろう。

 

「余裕そうじゃねェか、タップさん!サイコーの走り、見せてくれ!」

 

「デビュー戦、一発で勝っちまえよ、タップさん!」

 

 唐突に飛んできた声援にコース上のタップダンスシチーは振り返り、派手なピンク髪と水色の髪の二人組を見つけて、いつも通りに自信たっぷりな笑顔と共に片腕を突き上げる。

 

 いよいよ始まるレースを前に、仕事の休憩時間中にこっそりやってきたウマ娘たちも、自分たちの昂揚を押さえていられなくなったのだろう。

 

 明らかな強敵、1年先に入学していた先輩たちに囲まれているタップダンスシチーは、その荒っぽい声で送られたエールを受け取ってハッキリと気力を増したようであった。

 

「あん?もう、そのままゲートインすんのかよ。」

 

「パドックで人気順とか何とか、実況されるんじゃねーのか?」

 

「今の時期の、未勝利ウマ娘のレースに実況アナウンサーが来てくれることはほぼ無いんだ……いや、別に、期待されていないというわけじゃないんだが。」

 

 タップダンスシチーに声援を送ったウマ娘たちから怪訝そうに問い詰められ、鷹木は歯切れ悪く答えた。

 

 期待されていないというわけじゃない、と言い切ってしまうのも嘘になる。今年度の秋から始まる、新世代を担うだろうウマ娘たちのデビューには、確実に実況解説がつくだろう。

 

 それこそ、マンハッタンカフェがいずれデビューするともなれば、前々からの期待もあって大勢の観客が詰めかけ、初めてレース本番を走るウマ娘のデビュー戦とは思えない盛況となることが予想される。

 

 しかし、前年度のデビューを逃したウマ娘ばかりが集められ、世間の話題が日本ダービーや宝塚記念へと向いている今の時期、注目度はあからさまに低まっていた。

 

 ゆえに鷹木は、続けてタキオンから投げかけられた指摘にも返答に窮することとなる。

 

「トレーナーくん、出走ウマ娘のデータは無いのかい?トレーナーらしく、レースの分析を示してくれたまえよ。」

 

「えっ……えぇと、ちょっと待ってくれ……。」

 

 鷹木はタブレットの画面を開き、慌ててデータベースを確認し始める。

 

 まだデビュー前ゆえに当然ながら、出走するのは無名のウマ娘ばかりである。ざっと今レースの出走ウマ娘リストに目を通したところで、鷹木としては凡その内容しか口に出来ない。

 

 それでも人気順が定められているのは、学園内の練習試合や成績によって評価されているおかげであった。

 

「1番人気は、ユウキアタッカー、逃げが得意なウマ娘だ。2番人気はエリモコンコルド、こちらも先行寄りの走りが得意で……3番人気はミラーダ、逃げが得意な選手だ。」

 

 既に質問した当のタキオンは鷹木からの返答に興味を失せさせているのか、視線をゲートインしていくウマ娘たちの方に向けていた。

 

 デビュー戦、ほとんどのウマ娘が逃げや先行寄りの作戦を採るのはほとんど必然である。まだ得意とする走りが固まっていない以上、他の競争相手のペースに左右されない位置取りに専念することが勝利を近づけるのだから。

 

 傍らで聞いているキングヘイローも、これといった情報を示せる余地を見出せていない一方、鷹木の解説とも呼べぬ解説を聞いた作業服姿のウマ娘たちは、何やら勝機のようなものを見出したらしい。

 

「それなら、タップさんが有利に決まってんぜ。」

 

「タップさんが一番得意な走りだ、逃げは。得意分野で勝負するなら、間違いねェよ。」

 

 いつも片桐トレーナーが勝手に作った専用練習場で、タップダンスシチーのはるか後方から走っている彼女らからすれば、異次元の逃げを毎回タップダンスシチーが打っているように見えていたのだろう。

 

 しかし、鷹木とキングヘイローはゲートインの最中から、タップダンスシチーを取り囲んでいる競争相手達の気迫のほどを読み取っていた。

 

 彼女らは、同期からほぼ1年遅れとなってもデビューを諦めていないウマ娘たちである。

 

 その執念は、既に大舞台で活躍しているウマ娘に劣らず、本物だ。

 

『……ガシャン!!』

 

 ゲートが開く音とともに出走者たちはいっせいに駆け出し……まもなく、彼女らの実力は露わとなった。

 

 熾烈な先行争いを繰り広げる先頭集団の中に、タップダンスシチーの姿は無かった。

 

 彼女は、あっという間に後方集団の中へ埋もれてしまっていた。

 

 先ほど威勢よく声援を送っていたウマ娘たちは、口にする言葉も見つからず、ただただ声を失ってその光景を見つめるばかりである。

 

 野良レースや、自分たちと共に走った練習では、いつも圧倒的な走力で引き離していくタップダンスシチーが、本番のデビュー戦では簡単に競争相手達の中に埋もれてしまうとは……。

 

 しかし、走っていく面々の足取りをじっくりと観察していたタキオンだけが、口を開いた。

 

「片桐トレーナーからの指導を、きっちりと理解し、実行しているようだねぇ、タップダンスシチーくんは。見たまえよ、まったく脚運びに焦りがないじゃないか。」

 

「その通りですわね、完全に集団の中に埋もれてしまってなお、自分のペースを崩されていませんもの。」

 

 口を噤んでいたキングヘイローも、実際にレースが始まればその興奮が静かに湧き上がってくるらしい。

 

 熱を帯びた視線でレース展開を見つめながら、キングヘイローは言葉を継いだ。

 

「丸一年以上トレーニングを積み続けたウマ娘たちに脚運びを乱されることなく、引き離されもしていませんわね。今のところ、先頭から8番手……たった一か月のトレーニングで、あれほどの走りを示せるのは、例外的な能力の持ち主である証よ。」

 

「ジャングルポケットくんが、彼女の成長のほどを目の当たりにして焦るのも当然だねぇ。」

 

 走っていく集団は、1コーナーから2コーナーへと回っていくところである。

 

 ペースが不安定になりがちだったタップダンスシチーだったが、今はスタミナ消費を一定に抑えながら落ち着いた足取りでレースを運んでいた。

 

 コーナーの出口、向こう正面の直線へと出た時、タップダンスシチーは外側から一名に抜かされ、9番手となった。それでも、彼女は焦って抜き返そうとすることなく、淡々と脚を進めていく。

 

 鷹木は、自分の腕時計の秒針で簡易的にタイムを確認していたが、タップダンスシチーの走りの精度が格段に向上していることは一目瞭然だった。

 

「正確なペース配分だ。1秒刻みでの計測では、ハロンごとのタイムにほぼ誤差が無い。」

 

「初めて野良レースで見せた走りのように、レース終盤でバテてしまうような展開は、確実に避けられそうですわね。」

 

 キングヘイローも、頷きながら答える。おそらく、集団の中に埋もれたまま走るタップダンスシチーは、前後左右から競争相手たちのプレッシャーが相当に掛かっているだろうが、全く動じる様がない。

 

 片桐トレーナーがつい先月指導し始めたばかりのウマ娘が、これほどの仕上がりを示すとは……鷹木自身も当然のごとく、トレーナーの立場として焦りを覚えていた。

 

 とはいえ、先頭からの順位だけを見れば、13名の出走者のうち、9番手のままである。

 

 そのままの状態で順位を上げることなく最終コーナーへと差し掛かっていくタップダンスシチーに向けて、いつも一緒にいるウマ娘たちは作業服の帽子も取り落とし、声援を張り上げ始めた。

 

「行けーっ、タップさん!そっからごぼう抜きだ!!」

 

「アンタならぶっちぎりだろ、タップさん!!」

 

 かのジャングルポケットの声量にも劣らぬだろう声援は、確かにタップダンスシチーにも届いただろう。

 

 それでも、タップダンスシチーは順位を上げることは無く……同時に、徐々にペースが上がり始める集団に置いて行かれることもなく、順位も下げず、最終直線へと入っていく。

 

 ホームストレッチ、ガランとした観客席へと近づいてくるタップダンスシチーの表情に、あきらめの色は無かった。

 

 いつも通りに朗らかな表情のまま、歯を食いしばり、本気を振り絞っていた。

 

 そのまま……すなわち、順位は9着のまま、タップダンスシチーはゴール板の前を駆け抜けた。

 

「ゴールだ!タップダンスシチーくん!いや素晴らしいよ、向こう正面から順位を一切下げることなく、1年先にトレーニングを開始していた面々にも食いつき続けたとはねぇ!」

 

 アグネスタキオンは立ち上がり、いつも余っている白衣の袖を捲り上げて、惜しみない拍手を送っている。

 

 鷹木も、キングヘイローも同様の思いであった。最後はタップダンスシチーだけがポツリと取り残され、集団に大差をつけられて最下位のゴールを強いられるのでは、とまで予想していたためだ。

 

「もとより秀でた身体能力に、ペース配分の精度、そして集団に取り囲まれた際も保つ冷静さが備わっていましたわね。走りの技術はまだ伸ばすべき余地がありますが、いずれGⅢの舞台にも届く脚には違いありませんわ。」

 

「あぁ、彼女自身が抱く意気込みがあれば、それこそ勝つまでレースへの挑戦を続けられるだろう。」

 

 トレセン学園に入学したのが今年、専属の担当トレーナーを得たのが先月、という点も鑑みれば、タップダンスシチーの成長速度は計り知れぬ可能性を確実に秘めていた。

 

 とはいえ、そんな彼女でも9着という結果に終わってしまった事実は、応援に来ていたいつも練習相手となっているウマ娘たちを、少なからず打ちのめしていたらしい。

 

 本気の勝負の世界は、そう容易く踏み込めるほど低い敷居ではないのだ。

 

 暫く身動きできず、口にすべき言葉も見つからぬ様子の彼女たちのもとへ……ゴール後のコースから足早に駆け寄ってきたのは、タップダンスシチー自身であった。

 

「Eyyy,bro!来てくれんなら言ってくれよ!わたしが10バ身ぐらいの大差で一着になるところ、見せてやれたのに!けど悪ィな、今日のところは、勝利の報告はプレゼントできねーわ!」

 

 タップダンスシチーが浮かべる満面の笑みには、いっさいの曇りもなかった。もちろん、悔しさと消えぬ闘志の熱が、その瞳の中には覗かれたが。

 

 彼女が本気を出した結果が9着であることには間違いなく、大舞台に上がるまでの道程の遠さはますます実感されたことだろうが、タップダンスシチーはいよいよもって闘争心を燃え立たせていたようだ。

 

 アグネスタキオンもまた、今しがたのレースの熱に呼応するように、喋り口調が速まっていた。

 

「だが手ごたえは大きかったのではないかな?デビューを控えた面々に、少なくとも引き離されることはなかったのだからねぇ!だが逃げのペースを維持し続けるのならば、ますますもって基礎的なスピードの伸びを重視すべきと見えたねぇ。」

 

「Ha,So pumped up!マジのレースが、こんだけレベル高ぇんなら、わたしが楽勝で走り切っちまう心配は当分なさそうだ!」

 

 変わらずタップダンスシチーはあっけらかんと笑って返すが、ここにきてようやく作業服姿のウマ娘たちも口を開き始めた。

 

 今しがたのタキオンの発言に煽り立てられるように、彼女らも気力を取り戻していたのである。

 

「横から見てただけの奴は黙ってろよ、ウチらとタップさんはずっと一緒に練習してきてんだ。」

 

「タップさん、次はぜってぇ勝てるって!なぁ、次のレースはいつやるんだ、来週か?明日か?」

 

「Oh.that's sweet、すぐにでもリベンジしたいもんだ、片桐トレーナーに次のレースのセッティングを急いでもらわなきゃな!ところでお前たち、この後のウイニングライブは見ていくか?」

 

 どれだけ無名のウマ娘ばかりが集まったレースといえ、レース後のウイニングライブは行われる。

 

 それはいずれ本番の大舞台で披露する時の、ウマ娘およびステージ運営側の練習でもある。レース場に併設された鉄骨とベニヤ板が剥き出しの簡易ステージでは、こちらも見習いであろう若いスタッフたちが走り回って準備を続けていた。

 

 仕事着姿のウマ娘たちは顔を見合わせる。おそらく、レース時間にのみ休憩をとることを許されて、ここに駆けつけたのだろうが……。

 

「もっちろんだ!タップさんの晴れ舞台、見ねェで帰れるわけねーだろ!」

 

「ただでさえ観客も少ねーんだ、ウチらが全力で盛り上げてやるぜ!」

 

「OK,let the fun begin!サイコーのライブにしてやる!本気でハジけやがれ!」

 

「楽しみにしているよ、タップダンスシチーくん!さぁ、こうなれば我々も、観客席を盛り上げる一員に加わらなければね、トレーナーくん!」

 

「えっ。」

 

 9着のタップダンスシチーは、そのウイニングライブのセンターではなかったのだが、まるで彼女が舞台を牽引するかのごとき勢いでステージに出る準備へと駆け出していった。

 

 その後は、タップと交わした約束の通りにガランとした観客席で歓声を上げるウマ娘たち、そしてすかさずその輪に加わったタキオンも付き合うこととなった。

 

 結局のところ、午後の授業にアグネスタキオンを出席させることの叶わない鷹木であった。

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