探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 宝塚記念を走り終えてしばらくの期間、エアシャカールは目の前のことに手を付けられない状況が続いていた。自分がショックを受けているが故だと自ら認めるには時間がかかった……どのようにロジカルに考えても、まだクラシック級を走っていたネオユニヴァースによって宝塚記念の栄冠を獲られるとは予測できなかったのだ。そんな彼女の姿を目の当たりにしたアドマイヤベガは、思考の袋小路から脱するための策として、とあるウマ娘との対話を提案する。


望まざるが覗かなければ、構え得ぬか

 宝塚記念が過ぎれば、いよいよ本格的に暑さは増して夏本番を迎える。

 

 全国的に話題となる大舞台のレースは9月まで行われず、秋からの本番に備えるウマ娘たちは夏合宿でのトレーニングも含め、鍛錬に専念する時期となる。

 

 むろん、夏季期間に行われるレースを狙って出走し、名を上げるウマ娘も居るが……少なくとも、GⅠの舞台での栄冠を狙う者たちにとっては、重要な期間には違いなかった。

 

 ナリタトップロードが秋まで休養すると決定したのに合わせるように、4月の天皇賞春以降はトレーニングと休息に主たる時間を充てているアドマイヤベガ。

 

 10月から始まる秋のGⅠに向け、じっくりと力を蓄え続けている彼女であったが、気がかりなのは宝塚記念から戻ってきてからのエアシャカールのことであった。

 

 そろそろ時間帯も深夜に差し掛かろうという頃の栗東寮、まだドアの下から灯りが漏れているシャカールの部屋をノックする。

 

「入ってもいいかしら?」

 

「……あぁ。」

 

 シャカール自身はいたって理知的なウマ娘なのだが、そのどこか威圧的な外観が災いし、殊に後輩ウマ娘たちから親し気に接されることは少ない。

 

 夜遅くまで起きている彼女のもとへ物怖じせず訪れることが出来るのは、シャカールとの付き合いも浅からぬ先輩ウマ娘たちぐらいのものだったろう。

 

 その中でも、シャカールがどこか思いつめたような調子を続けていることに気づけるのは、同じ結城トレーナーのもとで指導を受けているアドマイヤベガだけであった。

 

「まだ起きてるのね。しばらく本番レースは無いとはいえ、あまり夜更かしを繰り返していたら、普段のトレーニングにも響くわ。」

 

「分かってる。」

 

「でしょうね。私も、こんなことを言うためにわざわざ来たわけじゃない。」

 

 あなたのことを心配して、などと伝えればシャカールから本音を引き出すことがますます難しくなると分かっていたアドマイヤベガ。

 

 とはいえ、アドマイヤベガ自身もさほど口が達者というわけではない。さして短くもない付き合いのシャカールが相手ともあって、こちらも建前を早々に崩した。

 

 PCに向かって何やらキーボードで打ち込み続けているシャカールの背後、アドマイヤベガはシーツの手触りを確かめながらベッドの縁に腰掛ける。

 

 同室だったドトウが引退して以来、この部屋は急に殺風景になったようでもあった。

 

「あんまり寝ていないでしょう、最近。」

 

「俺の寝床を勝手にまさぐって判断しないでくれるか。」

 

「それもあるけれど、最近のあなたの様子を見ていれば分かるわ。目の奥で、走っていたレースのことをずっと考えてる。」

 

 淀みなくタイピングを続けていたシャカールの手が止まる。

 

 アドマイヤベガは、シャカールが返事するまで黙って待っていた。今の話題への切り込み方が、十分に強引であることは分かっていた。

 

 図星を突かれたことで乱された自分の感情を、いちいち表現することはシャカールにとってロジカルではなかった。返答代わりに、ノートPCを膝の上に載せ、アドマイヤベガの方に向き直って画面を示す。

 

 そこには、エアシャカール自身も含め、先日の宝塚記念に出走したウマ娘たちのデータが記入された表のようなものがあった。

 

 画面の半分ほどは、空白で占められていたが。

 

「これは、対戦相手の記録かしら?随分と空白の多いリストね……でも、今のところ直近のレースについてもデータを記入し終えているのなら、これ以上夜更かしすることもないんじゃない?」

 

「ただのリストじゃねェんだ、コイツは一種のシミュレーターでもある。今は空白しか示されてねェけど、本来はそこにレース経過と着順のシミュレーション結果が出るはずだった。」

 

「事前に、競争相手と自分の走りを予測できるってことね。けれど“本来は”っていうことは、それがうまく機能していないのかしら。」

 

「あぁ、俺が作ったプログラムだ。名前は『Parcae(パルカイ)』……もう、マトモに動いてねェから、しばらく触ってなかったんだけどよ。」

 

 言いながら、シャカールはそのプログラムに再試行を命じる。

 

 それは確かに単なる対戦相手のリストではなく、打ち込まれたデータをもとにレースのシミュレーションを実行しているらしかった。

 

 空冷式ファンが回転数を上げる音が響き、画面上では忙しくウマ娘の名前がレース展開の予測過程に応じ目まぐるしく入れ替わる。

 

 が、いよいよ結果が表示されるという直前、プログラムはエラーを吐いて停止するのだった。こういったものには明るくないアドマイヤベガも、シャカールを悩ませる材料を少しでも軽減させるべく、彼女なりの助言を口にする。

 

「対戦相手のデータとかが、足りないんじゃない?あくまで、ここに載ってるウマ娘の、過去のレースデータを打ち込んだだけなのでしょう?」

 

「それも、関係あるかもしれねェ。けど、前までは、そのデータだけでもきちんと結果予想が出てたんだ。割と正確にな。」

 

「そうだったの……?」

 

「俺がクラシック級で負けた日本ダービー、アグネスフライトに7cm差で負けるって予測は、ピッタリ当たってた。そんな予測、覆してやるって意気込んで、俺も本気でトレーニングに打ち込んだんだけどよ。」

 

 その当時のことは、むろんアドマイヤベガも覚えている。当時、既にエアシャカールは、アドマイヤベガと同じく結城トレーナーの下で指導を受けていた。

 

 日本ダービーの5か月後、菊花賞にて勝利したシャカールの表情が、そこまで晴れ切らなかったこともアドマイヤベガの印象にしっかり刻まれている。

 

 おそらく、それ以降のレースでも負け続けるという予測を『パルカイ』は示していたのだろう。実際、その翌月、クラシック級ながら挑んだジャパンカップでは全盛期のオペラオーに大敗してしまっている。

 

「あなたが作った、この……パルカイ、だっけ?それがマトモに機能しなくなったのは、いつからのこと?」

 

「俺がシニア級を走り始めてから、だ。突然、確定不能とも言わず、何も表示できないエラーを吐きやがるようになった。」

 

「だったら、結城トレーナーとのトレーニングを経て、あなたが予測を超えるほどの力を身に着けたから、でしょう。シニア級でリベンジしたジャパンカップで、あなたはオペラオーに勝てたんだもの。」

 

 世間からは既にシャカールの活躍を期待されなくなっていた、昨年のジャパンカップ。

 

 そんな中、大方の観客の予想も、そしてお互いの実力をかなりの理解度で掴んでいるウマ娘同士の予測も覆し、1年前の雪辱を晴らすがごとくエアシャカールはテイエムオペラオーを差しきり、勝利したのだ。

 

 それ以降は有馬記念にてラストランを飾ったメイショウドトウに勝ちを取られるも、今年の3月に行われた日経賞では再びエアシャカールが勝利の栄冠を獲っている。

 

「あなたが負けるという予測が立てられなくなったのなら、今後も十分に勝てる可能性があるわけでしょう。そのプログラムが機能しないというのは、あなたの鍛錬の成果が予測を超えている証じゃないの?」

 

「……勝ててねェんだよ。」

 

 少しでも前向きな展望を与えようと言葉を選んだアドマイヤベガであったが、口先から紡がれる表現の如何で判断を切り替えるシャカールではなかった。

 

 先月の金鯱賞ではツルマルボーイに敗れ二着、そして先日の宝塚記念ではネオユニヴァースが前代未聞のクラシック級での勝利を獲ている背後にて、四着に甘んじていたエアシャカール。

 

 真っ当に予測を演算できなくなって暫く放置していたプログラムに、今さらになってかかり切りになっている状況には、それなりにロジカルな理由があった。

 

「パルカイが、予測を示せないことを……俺が勝ちに近づいてる証拠だと、そう思い込んじまってた、認識が甘かったんだ。むしろ勝ちからは遠ざかってる。」

 

「けれど、クラシック級から参戦してきた子が勝つなんて、誰も予想できないに決まっているわ。」

 

「誰も予想できないことを予測するためのプログラムだ、パルカイは。俺自身の甘い見立てでも、当然、ネオユニヴァースがあんな走りを披露するだなんて予測できなかった……!」

 

 エアシャカールの口調がハッキリと速まる。熱を帯びた視線を真っすぐにアドマイヤベガへ向けている。

 

 ここでの話し相手が、威圧感をはらんだシャカールの視線を真正面から受け止めるアドマイヤベガでなければ、シャカールの感情の昂りは抑えられなかったろう。

 

 静かにこちらを見つめて言葉を受け止めているアドマイヤベガに視線を返され、シャカールは呼吸を整えながら俯いた。

 

「ショックを受けちまったんだ、情けねェ。気が緩んでた……俺が負けるだとか、敗北が待っているだとか、暗い予測を打ち出し続けるパルカイと睨み合っていた頃は、ンな緩い気分でレースに出やしなかった。」

 

 ようやく本音に限りなく近い言葉をエアシャカールが吐き切った後、暫しの沈黙を壁に掛けられた時計の秒針の音が埋めている。

 

 平静さを保ってシャカールを見つめ続けるアドマイヤベガも、内心では必死で言葉を探り続けていた。

 

 次は勝てる、今回の件を糧にすればいい、前向きに行こう……そんな小手先の励ましは、気休めにすらならない。

 

 シャカールの思考の中心に居座るもの、今は彼女の膝の上に据えられている『Parcae』に目を向けたとき、アドマイヤベガには一つの、普段ならば決して掲げないだろう案が浮かんだ。

 

「ねぇ、そのプログラム、ちょっと他の子にも見せてみない?私は、そういうの詳しくないんだけれど、興味を持ってくれそうな子は居るわ。」

 

 悩みの根がしっかり食い込んで張り巡らされている物自体を、むりやり引き剥がすことは出来ない。

 

 ならば、客観的な視点から、同じ悩みの種にアプローチし得る存在が、思考の迷宮から脱する手助けをする他にない。

 

 アドマイヤベガには、十分な心当たりがあった。

 

 そういうわけで、翌朝、唐突にアドマイヤベガから送られてきたメッセージがタブレット画面上に表示されているのを目の当たりにした鷹木トレーナーは顔色を失って飛び起きる羽目になった。

 

 依頼されていたのは、トレセン学園に勤め始めて以来、ほぼ最高難度のミッションと評しても差し支えない内容であった。

 

〈鷹木トレーナー。あなたの担当、アグネスタキオンを連れて、結城トレーナーの練習場まで来てくれるかしら。放課後でもいいのだけれど、どうせまた授業をサボッているのだろうし、早めの時間に連れてきてもらっても構わないわ。〉

 

「タキオンを捕まえて、結城トレーナーのもとに向かえ、だって……?」

 

 多くは語らないアドマイヤベガの文面からは、何を目的とした依頼なのか判断出来なかった。

 

 結果として、あまりにも頻繁にマンハッタンカフェを連れ出しているタキオン、そして彼女の担当トレーナーたる自分が、カフェのトレーニングを邪魔しているとして結城トレーナーからの叱責を受けるのではないかと鷹木は勝手に判断したのである。

 

「だよな、最近のマンハッタンカフェ、担当の結城トレーナーよりも、タキオンと一緒に居る時間の方が長くなってる気もするし……。」

 

 URA界のレジェンド的人物からの叱責ともなれば、回避するわけにはいかず、もちろん喜んで受けに行きたくもない。

 

 タキオンが授業をサボっていなければ、放課後でも構わないという文面ではあったため、鷹木は自分の心の準備が整うまでの間、タキオンがおとなしく教室に居てくれることを心の底から願っていた。

 

 ……が、徹底して担当トレーナーの思惑通りにはならないのが、アグネスタキオンというウマ娘である。

 

 血色の悪い顔を俯けながらトレーナー寮を出た鷹木は、なぜかバケツの水をドバドバとアスファルトの地面に注いでいるタキオンにさっそく遭遇した。

 

「……何をしているんだ?」

 

「やぁ、おはよう、トレーナーくん!これはだね、地面の傾斜や空気の流れなど、様々な影響を受ける流体が、地面にどのように広がっていくか観測するための実験さ。例によって、私が観測していない状態と比較したかったのだが、ちょうどいい、キミも手伝いたまえ!」

 

「いや、やらない……そもそも、ここは通行路なんだから、水浸しにしちゃダメだろ。」

 

「分かっているさ、だからこそトレーナー寮の周辺を選んだんじゃないか。トレーニング中のウマ娘が通る可能性のある場所では、足を滑らせて転ぶようなことがあってはならないからねぇ。さぁさ、キミもそこにあるバケツを手に取りたまえ、私が見ていない場所で、同じように地面へ水を注ぐんだ!」

 

 自分までもがタキオンの奇行をなぞるのは大いに不本意な鷹木であったが、ともあれ自分の協力が必要とされているのならば、こちらからの話を伝える間、タキオンが勝手にどこかへ行くことは防げるわけだ。

 

 一応、比較対照実験の体を取るためか、こちらに背を向けて待っているタキオンへ、鷹木は問いかける。

 

「これが済んでから、でいいんだが……一緒に、結城トレーナーのもとへ来てくれるか?」

 

「喋りながらでいいから、私の命じた通りに実験を行いたまえ。しかし、結城トレーナーということは、マンハッタンカフェが私を呼んでいるのかい?」

 

 仕方なく、タキオンが言った通り、バケツの水をジャバジャバと地面に注ぐ、ほぼ無意味とも思われる行為を実行する鷹木。

 

 何ら特筆すべき現象も起きず、何の変哲もない水たまりが目の前に出来るだけの様を眺めながら、鷹木は言葉を継ぐ。

 

「いや違う、そもそもカフェはお前と同じく、今の時間は教室で授業を受けてなきゃいけないはずだ……だがどうせマトモに授業を受けに行かないのなら来い、とアドマイヤベガに呼ばれているんだ。」

 

「アドマイヤベガ先輩が、私を呼んでいるのか!それは実に興味深い!カフェが目にしたという“お友だち”にとり憑かれた影響を直接確認したくもある!よし、すぐに行こう!」

 

 アグネスタキオンとしても、アドマイヤベガは気になる存在でありながらもほぼ雲の上の存在である先輩ウマ娘、なかなか会えないことは意識していたらしい。

 

 しかし許しが出たのならば話は別だとばかりに、彼女は迷わず水たまりを飛び越え、一線級の先輩ウマ娘たちが集まる個別練習場の方へと駆け出していった。

 

「あっ、おい、待てって、この水浸しにしたのをどうすんだ……!」

 

 思えば、既にマンハッタンカフェに付きまとい続けていたタキオンが、鷹木に案内されずとも結城トレーナーの練習場の位置へたどり着くことは容易であった。

 

 アドマイヤベガからの招きにタキオン自らが応じる姿勢を示したまではよかったが、問題はこの場の現状である。

 

 颯爽とタキオンが走り去っていった後に残された空のバケツ2つ、そして盛大に地面に広がった水たまり2つに挟まれ、鷹木は途方に暮れる。

 

 知らぬふりして、後片付けもせずに去ることは、その直後に背後から掛けられた声の主の存在によっていよいよ非現実的となった。

 

「あら、鷹木トレーナー。お掃除にご協力いただき、ありがとうございます。」

 

「駿川たづな……さん……は、はい、今から、トレーナー寮の前を、綺麗にしようと思っていたところです……。」

 

 箒を手にしてニコニコと笑顔を向けてくる駿川たづなを前にして、何食わぬ顔で立ち去ることなど出来ようはずもない鷹木。

 

 すぐさまバケツを置き、アスファルトの上に出来た水たまりを側溝へと掃き出すためのモップを取りに用具入れへと走った。

 

 何故アドマイヤベガによってアグネスタキオンが呼び出されたのか経緯も気になり続けてはいたが、実際に鷹木自身がその場へ向かえるのはタキオンの奇行の後始末を済ませた後のことであった。

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