アグネスタキオンの実験と称した奇行の後始末を済ませ、鷹木がアドマイヤベガに呼ばれた通りの練習場に顔を出したのは、数分遅れてのことであった。
既にその場には、エアシャカールと額を寄せ合ってノートPCの画面を覗き込んでいるタキオンの姿があった。何やらお互いにボソボソと早口で言い合っており、傍らのアドマイヤベガは蚊帳の外である。
まるで犬を散歩に連れて行ったのに、犬だけが先に帰ってきた飼い主を見るような眼でアドマイヤベガから視線を向けられつつ、鷹木は頭を下げながら寄っていった。
「すまない、色々と片付けないといけないものがあって……。」
「出来れば、担当トレーナーとして同行して来てもらいたかったわね。今のトレセン学園で、最も何をしでかすか分からないウマ娘なんだから、彼女は。」
言われなくとも、タキオンを担当し始めて3か月が経過しようとしている鷹木には重々分かっていた。
幸いながら、余計な騒動を新たに巻き起こすことなく、現状のタキオンはシャカールのノートPCの画面に興味の向かう先が釘付けとなっていた。
エアシャカールの側も、自分のプログラムに興味を抱き、熱心に覗き込んでくる相手は珍しいためか、説明する口調は丁寧で、この面倒くさい後輩の好奇心にも逐一応えてやっている。
「んで、ここにレース場の条件を入力して、あとは実行すりゃあ、予測されるレース経過と結果が出る。今は仮にってことで、架空のレースとウマ娘のデータで実行させたけどよ。」
「ほう!ほうほう!素晴らしい発明品じゃないか!なるほど、予測されるレースの展開も、各出走者の脚質を忠実に反映し、実戦前にイメージが浮かびやすい!これではトレーナーくんも不要になるかもしれないねぇ!」
「そっ、そうなのか……?」
エアシャカールの担当である結城トレーナーならまだしも、鷹木に関してはあながち非現実的とも言い切れない可能性をタキオンは躊躇なく口にする。
ただでさえトレーナーの存在をないがしろにするような振る舞いを取りがちなタキオンであったが、流石に鷹木の蒼ざめ方が真に迫っていたのだろう。すかさず自らの発言に脚注を入れながら喋りつづけた。
「あぁ、もちろん冗談だとも、シャカール先輩は今なお結城トレーナーのもとで練習しているわけだからねぇ。それに、このプログラムも想定通りには機能せず、しばらく放置していたとのことじゃないか。」
「去年からのことだ。どれだけ正確にデータを集めて詳細に入力しても、結果を表示しなくなった。間違った結果を表示しちまうんならまだ分かるが、プログラム自体がエラーを吐く理由は、未だに分からねェ。」
「なるほど……先ほどの仮実行では問題なく結果を表示できていたのにねぇ。」
改めてエアシャカールは、先日の宝塚記念と同様のレース条件、出走ウマ娘のデータを打ち込んでプログラムを実行するが、結果を出す前にエラーコードが表示され、結果予測は空白のままであった。
現実には既に結果が出ている過去のレース、今さら予測する必要など無いはずだったが、エアシャカールにとっては重大な事だったらしい。
あのタキオンが興味を惹かれるのも道理であり、またアドマイヤベガがこのシャカールの悩みに助っ人を求めた理由もなんとなく理解できた。
先日の、ネオユニヴァースが勝利した宝塚記念。
クラシック級から参戦したウマ娘が勝利するなど、前代未聞の出来事をだれも予測し得なかった。が、シャカールは、自分の組んだプログラムがマトモに機能していれば、その予測に手が届いたのかもしれないのだ。
ふと顔をあげた鷹木は、興味のないフリをして距離を取り、じっくりとストレッチしていたアドマイヤベガが、やはり気になる様子でじっとシャカールの方へ視線を注いでいることに気づいた。
「ふゥむ、シャカール先輩、流石に先日の宝塚記念は試行に適さないのではないかい?あのレースは、あまりにも特異な要素が強すぎる。予測を不可能にする、いわば特異点たるウマ娘は、ネオユニヴァース以外にも居たかもしれないからねェ。」
鷹木の傍らでは、さっそくタキオンが新たな提案を口にしていた。
とはいえ、むろんエアシャカールも、自身のプログラムに関して出来ることは思いつく限り試している。
「俺もそう考えて、これまでのレース予測を全て再試行させた。金鯱賞も、天皇賞春も、日経賞も、去年のジャパンカップも……どれもこれも、実行結果は空白だ。予測プログラムはエラーを吐くだけだ。」
「“全て”再試行したのかい?ならば、先ほどシャカール先輩自身が教えてくれたように、クラシック級の頃の結果は表示されたんじゃないかい?」
先ほど、というのは、鷹木が遅れてこの場に到着する前に、先んじてシャカールからタキオンが話を聞いていた時のことであろう。
シャカールは頷き、2年前のデータ、すなわちシャカールが皐月賞と菊花賞を勝ち、日本ダービーの栄冠を惜しくも逃した年の結果を表示して見せた。
「あぁ、この通りにな。この時のデータに関しては、何度も何度も再試行させたから、プログラムの側が学習しちまったのかもしれねェ。結局、この予測は覆せなかったけどよ……。」
「しかし、シニア級に入ってからは予測不可能になり、そしてシャカール先輩はシニア級のジャパンカップにて遂に勝利を獲たわけだねぇ。ふゥむ、これは十分な見立てではないかもしれないが、私はシャカール先輩自身もまた、ある種の特異点となっているのではないかと思うよ。」
「俺自身が……?」
「何故って、クラシック級を走っている間は正確に機能していた予測プログラムが、菊花賞を最後に勝つことは出来なくなると表示していたのだろう?しかし、その予測が不可能になって以降の予測に必ず含まれる要素は、シャカール先輩自身のデータに他ならないじゃないか。」
タキオンの推論を聞いた後ではあったが、鷹木も遅れて納得した。
世間の大多数の予想を裏切って勝利を獲たネオユニヴァースのように、エアシャカール自身もまたプログラムの予測を上回る成長を遂げたのだ。
彼女を担当していた結城トレーナーによって与えられた練習環境から得られた恩恵でもあり、クラシック級での二冠だけで終わらせまい、と尽力を続けたシャカールの執念の賜物でもあろう。
タキオンへと頷き返す暇も惜しむように、エアシャカールは眼にも止まらぬタイピング速度で、今まで一度も実行してこなかった条件のシミュレーションを開始した。
「俺自身のデータを抜いて、Parcaeに予測させる……たしかに、ンなこと、やったことは無ェ……!あぁ、クソ、流石にあの宝塚記念はノイズが多すぎるか、またエラーだ。」
「複数の特異点が同時に存在したレースだったかもしれないねぇ、ならばシャカール先輩が一つ前に参戦した、金鯱賞でも試行してみればどうだろう?」
プログラムの予測結果が一番気になる今年の宝塚記念については、相変わらず空白しか表示されない。
だが、続けてタキオンが提案した金鯱賞の予測をプログラムに実行させた時、これまでにない反応が見られた……すなわち、結果が表示されたのである。
「ツルマルボーイ1着、ユノピエロ2着、ブリリアントロード3着……マジか、俺抜きの結果だけなら、正確じゃねェか……。」
「やはり、私の仮説は正しいのではないかい、すなわちエアシャカール先輩自身が、レース結果を予測不能とするイレギュラーなデータとなっていたのだよ!」
当のエアシャカール自身は、他のレース予測でも同じように自分のデータ抜きでの結果が表示されないか、と更に躍起になってタイピングを続けていた。
タキオンも当然ながらこの仮説が実証されていく様が楽しくてならないらしく、いつも以上に熱をこめた眼差しでエアシャカールの手元と画面に視線を注いでいる。
一方で、離れて見守っていたアドマイヤベガは、ようやくホッとしたように表情を緩め、タキオンとシャカールが黙り込んだタイミングを見計らって声を掛ける。
「シャカール、何も不安がることなんて無かったでしょう。あなたは、簡単に予測に収まるようなウマ娘じゃない。今後も、まだ勝ちを獲れる可能性は十分に残っているわ。」
「……アドマイヤベガ先輩の勝ちを、俺が獲っちまうかもしれねェけどな。じゃあ、こないだの日経賞も……こっちはエラーか、そう上手くはいかねェ。」
エアシャカールなりの照れ隠しなのか、アドマイヤベガからの励ましの言葉を受け止めるとすぐに他のレースの予測も実行させているシャカール。
タキオンが言うところの『特異点』はエアシャカール以外にも含まれるのか、レース結果を予測するプログラムはシャカールのデータを抜いただけで完全に復活するわけではなかった。
データの枠には収まらず、本来予測される以上の速度で成長した、あるいは新たな作戦を見出したウマ娘の走りは、流石に予測できるものではないのだろう。
それでも簡単にあきらめるつもりのないタキオンは、そろそろ帰りたそうにそわそわしている鷹木の振る舞いなど視界に入れることなくシミュレーションの続行に付き合っていた。
「4月の天皇賞春についてはどうだい?上位陣はアドマイヤベガ、エアシャカール、ナリタトップロード……と実力ある先輩方が占めた、かなり堅いレース結果だったじゃないか。」
「この俺が上位に食い込む予測なんて出来なかった、とは言わねェでくれよ、Parcae。……フン、俺を抜いてもエラーだ。俺以外にも、プログラムの予測を超える能力の持ち主が居たらしいな。」
やはり、易々と全ての問題が解決するわけではないらしい。
それでも、プログラムで予測できないことがすなわち、エアシャカール自身の成長の証であることは示された。彼女の不安を解消することの一助を見出した鷹木は、そろそろこの場をお暇しようとタキオンへ声を掛けるため、口を開きかける。
もうじき、アドマイヤベガとエアシャカールの指導を担当するトレーナー、すなわち結城トレーナーが顔を出す時刻であった。
鷹木としては、自分が担当ウマ娘たるアグネスタキオンを連れて、シャカールのウォーミングアップ時間を邪魔していると見られるのは避けたかったのである。結城トレーナー自身は、そんな疑惑ありきの視線を他者に向ける性格ではなかったが。
「じゃ、じゃあ、タキオン、俺たちはそろそろ……」
「ひとつ、試してみたいことがあるんだが、いいかい?シャカール先輩。」
タキオンは、鷹木ではなく、エアシャカールの方しか見ていなかった。
自分の発言が無視されることは鷹木としては全く意外ではなかったが、タキオンがその後口にした提案は完全に予測できなかった。
「シャカール先輩、このPCには、マンハッタンカフェのデータは記録されているかい?まだデビューしておらず、あったとしても練習で走っている時のデータだけだろうけれど。」
「……一応、保存してあるぜ。俺としても、来年以降はカフェが後輩の中じゃ一番の脅威になるとは考えてる。」
「だろうねぇ、私もそう思うよ!じゃあ、カフェのデータを、今年の天皇賞春のレース予測に入力してもらえないかい……アドマイヤベガ先輩のデータを抜いてから、ね。」
顔をあげた鷹木は、こちらを真っすぐ見てくるアドマイヤベガの怪訝そうな表情に視線がぶつかった。
まだデビューしていないマンハッタンカフェのデータを入力するなど、エアシャカールも全く選択肢に入れるはずのない試行に戸惑っている。
……が、鷹木は、タキオンがそう判断した理由を知っていた。
「今年の天皇賞春を観戦しに行った時、カフェが喋っていたことがあるから、か?」
「おや、覚えていてくれたかい、トレーナーくん。そうさ、彼女はアドマイヤベガ先輩を見ながら『あれは、私だ』と言っていたからねぇ。」
それを聞いた当初も、今になって改めて聞いても、不可解であることに変わりない発言ではあった。
アグネスタキオンは、マンハッタンカフェが口走った内容から『別世界のマンハッタンカフェは2年早く生まれており、今年の天皇賞にも参戦していた』等と荒唐無稽な仮説を語っていたが……。
今、エアシャカールのレース予測プログラム『Parcae』を前にして、あくまでシミュレーター上ではあるものの、タキオンはその仮説を実証しようとしているのだ。
あらゆる可能性を気に掛けるエアシャカールも、一応はタキオンが提案した通りにデータを入力しながらも、戸惑いを隠せぬ様子であった。
「カフェの能力が順当に成長したって前提でのデータを入れるけどよ、さすがにこれこそエラーの原因になると思うぜ?まだ練習時のデータだけしか無いんだからよ。」
「構わないさ、やってみるだけ価値があるというものだからねぇ。そうそう、アドマイヤベガ先輩と、シャカール先輩自身のデータを抜きにするのを忘れないでくれたまえ?」
「分かってる、じゃあ、予測実行するぜ……。」
静まり返って経過を見つめる面々の前で、シャカールのノートPCは空冷ファンの音を微かながらも高めて、何やら複雑な演算を行っている様子であった。
やがて、画面には結果が表示された。
エアシャカールも、提案した当のアグネスタキオンも、暫くの間、声なく固まっていた……ようやく、口を開いたタキオンだが、珍しく声を震わせていた。
「これは、これは……私の仮説は、もしかすると、ひょっとすると、正しいのかもしれないねぇ……マンハッタンカフェが、一着として予測されたじゃないか。」
「いや、そりゃあ、架空のウマ娘のデータを入力しても、結果は表示されるんだけどよ……でも、あのカフェが、アドマイヤベガ先輩と同じ走り方で勝つだなんて、どういう計算をしたんだ、Parcae……?」
マンハッタンカフェは、デビュー前の練習レースにおいても、追い込みのペースで走っている様しか披露したことがない。
対して、今年の天皇賞春で勝利したアドマイヤベガは、彼女にしては珍しく先行寄りの作戦を採っていた。
マンハッタンカフェもアドマイヤベガも、追い込みの方が得意だと、プログラムならばそう判断するのが自然だというのに、どちらもシミュレーション内では先行策で勝つと示されたのだ。
奇妙な一致、そして疑似的とはいえ奇抜な仮説の証明に立ち会う羽目になり、アドマイヤベガも気味悪げにシャカールの持つノートPCを見つめている。
ただ独り、アグネスタキオンだけが興奮気味に喋りまくっていた。
「これは偶然の一致ではないかもしれないよ、シミュレーションは必然をのみ表示するものだからねぇ!別の可能性、未確定の世界でカフェは、今年の天皇賞春に出ていたはずだったのかもしれない!待てよ、ならば、カフェが2年後、実際に天皇賞春に出走する際には、同じような展開のレースとなるのか……?」
「た、タキオン、ちょっと落ち着こうか。あくまで、プログラムの予測したことで、現実とは違うから……。」
鷹木は、興奮するタキオンをなだめつつ、ちょうど開かれた練習場の扉の方へ視線を向けた。
今しがた、練習場にたどり着いた結城トレーナーが顔を出したところであった。鷹木とタキオンの存在に気づき、おや、と声を出さぬまでに眉を上げて見せる。
「ど、どうも、結城トレーナー、お邪魔しております。」
「これは鷹木トレーナー。アグネスタキオンを連れて、見学かな?併走練習なら、事前に予定を告げてもらう必要があるが。」
「いえ、もう、我々は、お邪魔にならないように帰りますので……。」
「結城トレーナーも聞いておくれよ、私の仮説が正しければ、マンハッタンカフェは勝利が約束されているのさ!そう、2年後の天皇賞春にて、彼女はきっと普段用いない先行策を披露して一着になるだろう!」
鷹木が取り繕おうとする状況を、全力で蹴散らかしていくタキオン。
あまりに脈絡なく、そしてあまりに遠い予想を告げるタキオンを前に、いつも動揺を見せない結城トレーナーも、流石に困惑を含めた笑みを浮かべながら首を傾げた。
彼女をこの場に呼び寄せたのは自分だ、と助け船を出そうとしているアドマイヤベガも、あまりの昂揚を示すタキオンを前に、口をはさめずにいる。エアシャカールはと見れば、先ほどからずっとシミュレーション結果の表示を見つめて首を捻り続けるばかりである。
こうなっては、自分がタキオンを連れ帰る他にない。鷹木は腹を括り、多少強引にタキオンの腕を掴んで練習場の出口へと引っ張っていった。
「タキオン!お前はまず教室に戻って授業を受けないとダメじゃないか……で、では、失礼いたします、結城トレーナー……。」
「シャカール先輩、また機会があれば私を呼んでくれ!まだ考えがまとまり切っていないが、他にも私の仮説を適用できるレースが見いだせるかもしれない!」
ウマ娘の力であれば鷹木に引っ張られる程度、十分に抵抗できただろうが、今のタキオンは自分の仮説の確定部分を見出すため頭を使うのに精いっぱいだったためか、存外にもあっさりと鷹木に引かれてこの場を出て行った。
後には、変わらず困惑の表情を浮かべた結城トレーナーとアドマイヤベガだけが残されていた。
一方で、エアシャカールは今から始まるトレーニングのためにノートPCを閉じつつも、早くも新たな確信を見出したように小さく頷いていた。
「予測自体は、ロジカルだ……俺が有り得ねェと思ってたから、気づかなかっただけ、ってことかよ、Parcae。」