結城トレーナーの個人合宿所へと参加させてもらいに頼みに行く計画に、片桐をも巻き込んで二人で共に向かう目論見が外れた鷹木であったが、それも仕方のないことではあった。
鷹木へ告げていた通り、片桐は担当しているタップダンスシチーの未勝利バ戦を目前に控えているのだ。
9着に終わったデビュー戦のリベンジ、最終調整に余念のない状況で、鷹木の思い付きに付き合っていられる暇もないだろう。
「片桐トレーナーが先陣を切って、結城トレーナーへと提案を切り出してくれるような形を作ってくれれば大助かりだったんだが……仕方ないか。」
結局のところ、鷹木は自分ひとりで結城トレーナーに頼みに行くほかに無い状況へと立ち戻ったにすぎない。
それはかなり虫の良い頼みごとに違いなかった。
トレセン学園では用意されていない1年目のウマ娘夏合宿を実行するため、個人で行おうとすれば数十万円の費用が必要になるイベントを、結城トレーナーの私財にたかるような形で済ませようとしているのだから。
そして最も小心者なトレーナーである鷹木は、やはり自分だけの力で計画を実行することを最後の最後まで先延ばしにするつもりであった。
「更に心苦しいけれども、やっぱり俺一人きりじゃ無理だ。賛同者が集まっているという体裁を整えなければ。」
小心者であると同時に、徹底して諦め悪い人間であればこそ、鷹木はトレセン学園所属トレーナーとして仕事を続けられるだけの性質を備えているとも言えた。
そうして鷹木の向かった先が、桂崎トレーナーのもとである。
ナリタトップロード、アグネスデジタルの両名が彼の担当ウマ娘であったが、今はどちらも休養期間中である。トップロードは秋の本番まで、アグネスデジタルは度重なる海外遠征の負担が完全に癒えるまで、じっくりと体を調整する期間を過ごしていた。
鷹木が彼女らの個別練習場へと顔を出した時には、アグネスデジタルの姿は無く、代わりにナリタトップロードと併走練習を行っていたのは見慣れない小柄なウマ娘であった。
ちょうど、練習場の向こう正面を駆けていたタイミングだったため、踏み入ったばかりの鷹木にはそれが何者であるか判別がつかなかったが。
「おや、鷹木トレーナー。最近はなかなかお会いする機会がありませんでしたね。」
個別練習場に備わった自動計測機能が表示する通過タイムをチェックしながらも、桂崎トレーナーはチラと片桐に視線を向けて声を掛けた。
「えぇ、どうにも担当ウマ娘の所在を捕まえるだけで精一杯な日々が続いておりましたので、なかなか……。トップロードは、誰と練習中なんですか?」
結城トレーナーの合宿所へ参加する旨を持ち出す前に、前座として他の話を挟むつもりではあったのだが、トレーナーとして純粋に気になる疑問ではあった。
ウマ娘としてはアグネスデジタルにも並ぶほどの小柄な体、しかしデジタルとは全く似つかない黒鹿毛の毛並み。後輩ウマ娘の誰かだろうか、と鷹木は考える他に無かった。
「鷹木トレーナーなら、ご存知かと思いますが。」
片桐からそう言われるのも無理はない。
実際に彼女がトップロードに並んで近くまで走ってくるまで、その正体に気づけなかったのは、鷹木の察しの悪さゆえだったろう。一度だけではあるが、鷹木は彼女に会ったことがある。
現役ウマ娘の中で最高クラスのナリタトップロードの走りに振り切られることなく、ついてくる能力を有する後輩ウマ娘など、ごく限られた存在であった。
「あれは……ゼンノロブロイ……!」
「クラシック級ながら、先輩ウマ娘と共に競う練習を積みたいとの申し出がありましてね。ウチのトップロードが、快諾したというわけです。」
おそらくゼンノロブロイにも担当トレーナーは居るだろうし、そのトレーナーと協議して決めたことなのだろうが、この場に鷹木と桂崎以外のトレーナーは居ない。
自分が望むことだから、とゼンノロブロイは彼女独りで桂崎トレーナーのもとへ併走練習を頼みに来たのだろう。
他者へ頼り切りになることなく、自らの意思で栄光へと向かう道を切り開こうとするゼンノロブロイの走りを前に、鷹木は頭の上がらぬ思いであった。
「稽古をつけてもらうという立場でロブロイは来てくれましたが、トップロードの方も挑む立場には違いありません。もはやロブロイは、十分に互角の脚を有していますから。」
「確かに……。」
最終直線、いつも通りに無茶な様子など一切見せず、存分に加速していくナリタトップロード。
そんな彼女にも、彼女は並んでいた。トップロードが先んじてゴールラインを通過する瞬間には、僅かにクビ差で二着となっていたが。
「あの走りが出来るのならば、彼女は充分にシニア級でも通用する能力を身に着けていると言っていいでしょう。」
「ナリタトップロードの脚に引き離されないというのは、スタミナ管理能力も十分な証ですね……。」
昨年までテイエムオペラオーを担当していたこともあり、常に一着の座を脅かしていたナリタトップロードの走りの精密であることは言うまでもない。鷹木も、間を置かず頷いた。
息を整えながらコースをゆったりと流して戻ってきたトップロードとロブロイは、たった今の練習データをまとめる作業をしている桂崎の隣、鷹木が訪れていることに今になって気づいたらしい。
ロブロイのみならずトップロードもまた、互いにわき目もふらず走る必要があったのだ。
「鷹木トレーナーじゃないか。見に来てくれていたんだね、偶然かもしれないけれど。」
「ま、またお会いできるなんて、奇遇ですね……。」
ナリタトップロード、ゼンノロブロイからそれぞれ声を掛けられる鷹木は、何をしにここに来たのか、と問われないことに小さく安堵していた。
自分ひとりでは頼みに行く勇気がないから桂崎トレーナーを誘って、結城トレーナーの合宿所へ参加させてもらえるよう、一緒に頼みに行きたいのだ……という内心など、夏合宿というフレーズを出した時点で即座に容易に覗かれることだろう。
いや、既に付き合いの長い桂崎トレーナー、およびナリタトップロードは、今の時期に鷹木が顔を出した時点でおおよそ察しているかもしれないが。
現状は、ナリタトップロードに匹敵する走りを披露したゼンノロブロイがこの場の話題の中心となっていたため、しばらく鷹木は蚊帳の外に居られた。
「いい追い込みだったよ、ゼンノロブロイさん。私も、本気になって走らないと、抜かれていたと思う。」
「それでも、トップロード先輩には届きませんでした……ユニヴァースちゃんのように、シニア級以上の先輩たちに勝つためには、まだ鍛錬が足らないんです。」
ゼンノロブロイがトップロードに併走練習を申し込んだのも、ネオユニヴァースがクラシック級での勝利という前代未聞の快挙を成し遂げた、宝塚記念でのことがあったためだろう。
今年のクラシック級を走る世代の中でも、2強と目されるネオユニヴァース、そしてゼンノロブロイ。
同じ世代のウマ娘として、同級生に負けていられないと闘争心が掻き立てられるのは、このメガネをかけた小柄でおとなしそうなロブロイであろうと変わりない性質なのだと思われた。
が、ロブロイの目標は鷹木が浮かべる漠然とした想像よりも、ずっと具体的であり、挑戦的でもあった。全力で競争すべき相手を前にした時と同じ目の色を浮かべたナリタトップロードが、それを口にした。
「うん、本気で京都大賞典の舞台に来るつもりなら、もっと磨ける部分は、あると思う。」
「そう、ですよね。私が英雄となるための門、私の力で開くためには、もっと力をつけなければ……。」
「えっ、京都大賞典……今年の……?」
しばらく自分の存在感を薄れさせるために黙っているつもりだった鷹木は、つい声を出してしまう。
京都大賞典もまた宝塚記念と同じく、クラシック級のウマ娘が参戦できるレースではある。が、当然ながらシニア級ウマ娘と共に走ることとなり、勝つのは大抵シニア級の先輩たちである。
テイエムオペラオーが昨年、一昨年と二連覇を果たしたレースであったが、そのオペラオーがクラシック級で挑んだ際にはツルマルツヨシに勝ちを持っていかれている。
ナリタトップロードも頷きながら、鷹木の声に応えた。
「私も驚いたけれど、でも、ロブロイは十分に狙えるところまで来ているからね。挑まずにいるのは、勿体ないよ。」
クラシック級のウマ娘が京都大賞典を勝ったのは今から4年前、セイウンスカイを最後に例が無い。
あのレースでのセイウンスカイの逃げ勝ちは今なおトレセン学園での語り草となっている。大逃げを打った後、スタミナ切れを起こしたかのように敢えて後続に距離を詰めさせ、全体のペースを狂わせた後に再加速し、セイウンスカイはそのまま一着でゴールした。
その後、彼女の走りを真似するようなウマ娘もポツポツと現われはしたが、一度披露されたトリックを二番煎じになぞっても勝算は無い。
決して容易くはない道であることは分かっているだろうが、ゼンノロブロイはなおもクラシック級から挑んで京都大賞典に勝つウマ娘になろうと心に決めているのだ。
ロブロイはタオルで額の汗を拭い、桂崎へと告げた。
「桂崎トレーナー、今私が走ったデータ、渡していただけますか?帰ったら、担当トレーナーと一緒にチェックしたいので。」
「もちろん。既に送信しているよ、そちらのトレーナーが一刻も早く分析を始められるようにね。」
「ありがとうございます。ところで、桂崎トレーナーからは、私の走りに足りないものは、何だとご覧になるでしょうか……?」
自分の走りへアドバイスを得られる機会を、ゼンノロブロイは僅かでも逃すまいとの姿勢を崩していなかった。
まるで物語の中から読み取れる内容を一字一句疎かにせず拾い上げるように、自らが現状身を置いている場に注意深く、真剣な眼差しをロブロイは配っているのであった。
桂崎は一瞬口を開きかけたが、小さく俯き、彼にしては珍しくいたずらっぽい微笑を浮かべて返す。
「こちらからは、アドバイスできない。君の走りを長く見てきた、君の担当トレーナーが最も適切な判断を下せるだろうし……何よりも、トップロードの競争相手になる君に、勝たせるような助言を与えるわけにはいかないからね。」
ゼンノロブロイは、小さく驚いたように目を見開き、そしてすぐ表情を戻して、桂崎トレーナーからの言葉に頷いた。
もはや、先輩の胸を借りて力試しをする後輩の域ではない。
今の発言は、桂崎トレーナーからも、またナリタトップロードからも、十分な脅威として認められたことの証であった。
「分かりました……アドバイスは、私の担当トレーナーから受けることにします。今年の秋、京都レース場で、またお会いしましょう。」
ナリタトップロードにも頭を下げ、荷物をスポーツバッグにまとめて、改めて桂崎にも鷹木にも一礼してから去っていくゼンノロブロイ。
彼女の小柄な背中は、練習場の出口の向こう側に消えるまで、鷹木の目からは堂々たる風格を放っているようにも見えた。
「……ところで、鷹木トレーナー。もしかして、夏合宿の件について相談に来たのかな?」
ロブロイを見送ったあとの緊張感を伴う静寂を破るように、ナリタトップロードから声を掛けられた鷹木は小さく跳びあがる。
やはり、鷹木の魂胆は筒抜けであった。
自分が、片桐のように策略を巡らすには全く向いていないトレーナーであることを実感しつつ、下手に取り繕っても仕方がないと鷹木は正直に語る。
「その、桂崎トレーナーも良ければ、例年通りに結城トレーナーの個人合宿所で夏季の合同トレーニングを行うのが有意義ではないか、と思いまして……いや、まだ結城トレーナーには話を持って行ってないんですけれど。」
「確かに、今年度入学した子達で競い合い、互いの能力を研鑽することには僕も賛成です。しかしだね……。」
桂崎が否定を匂わせるような言葉を口にしたことで、鷹木は一瞬、顔色を失いかける。
直後、トップロードは笑みを浮かべながら、練習場の隅に置いてあった自分のバッグから封筒を幾枚か取り出してきていた。
「……既に、ウチのトップロードが、アドマイヤベガから合宿への招待状を受け取っているんですよ。」
「はい、鷹木トレーナーにも渡しておくね。アヤベも、マンハッタンカフェの練習相手としてアグネスタキオンには来てほしがっているみたいなんだ。」
「えっ、あっ、そ、そう、なんですね……。」
アッサリと手渡された招待状の封筒には、結城トレーナーの字で鷹木の宛名が書かれていた。
その達筆な字を目の前にして、鷹木は空回っていた緊張感が抜け、疲労感をともなう安堵感が自分の体内から滲み出てくるのを実感していた。
ともあれ、これで今年の夏じゅう、アグネスタキオンのサボり癖に振り回される恐れはなくなった。
あからさまに表情が緩んだ鷹木へ、桂崎は言葉を続ける。
「それに、鷹木トレーナー、タキオンの世代も、ノンビリしてはいられません。」
「えぇ、マンハッタンカフェ以外にも、ジャングルポケットという子が有力視されていますし、タップダンスシチーも既に本番へ向けて調整中との話ですし……。」
「ご存知ないんですか?彼女らとはまた別の子が、まもなくデビュー戦に出るとの話ですよ。」