後輩たちの練習環境を鑑みたアドマイヤベガから招待されたおかげで、今年の夏、アグネスタキオンが結城トレーナーの個人合宿所に参加できる目途は立った。
が、それで一安心というわけにもいかない鷹木。散々授業をサボりまくっているアグネスタキオンには、出席数の足りない分の補講を行わなければならない。
下手をすれば進級単位が足りず、来年度までのレースデビューが行えなくなるという惨事も危ぶまれた。
……が、タキオンの特殊過ぎる性格および期待される走りの能力も鑑みて、理事長からは個別での補講による単位取得が認められたのだ。
「弥縫!デビュー出来ないウマ娘が出ることは、理事長としても避けたい!ゆえに鷹木トレーナー、夏季期間中にアグネスタキオンの取るべき単位分の補講を行うこと!」
「分かりました。……本当に、担当トレーナーである自分が授業の代わりをするだけで、授業出席分を認めてもらえるんですね?」
「留意!秋学期開始前に試験を行い、合格した際に単位を確定するゆえ、そのつもりで!」
「……はい。」
本来は長期療養を強いられたトレセン学園生に適用される制度だったが、入学当初から飛び抜けた才能を示すマンハッタンカフェにも比肩する走力の持ち主がデビューの機会を逃すようなことは、秋川理事長も望むところではなかったのだろう。
タキオンにとっては最後のチャンスであり、鷹木にとっては文字通りに担当ウマ娘の選手生命が掛かった大役である。
結城トレーナーの率いる夏合宿に参加できることは、この点において心強いサポートを期待できた。鷹木だけではタキオンの行動を御し、あちこちに興味の向く先が散る彼女を勉強机に留めることは不可能に近い。
が、先輩ウマ娘や、同級生のウマ娘が普段よりも近くに居る状況ならば、さすがのタキオンも勝手な行動を取りづらいだろう。
理事長室から戻ってきた鷹木は、運動着姿でグラウンドに出てきた割には何故か空に浮かぶ雲にスマホを向けて撮影を続けているタキオンに告げた。
「タキオン、夏季期間中は合宿所で補講を行うことになる。マンハッタンカフェや先輩のウマ娘たちも参加する中だ、真面目に受けてくれよ?」
「おぉ、カフェとともに合宿に参加できるのだね!大いに楽しみだ、彼女の鍛錬を間近で観察するのは!今の状態からどれほど走りを高めて、デビューへと漕ぎつけるのだろうねぇ!」
「いや、タキオン自身のデビューが掛かってる状況なんだが……。」
自分ではなく、自分以外の有望なウマ娘へばかり期待を掛ける様は、いつも通りのタキオンであった。
鷹木は、タキオンが長く活躍できるように筋力も鍛えるトレーニングを指示してきたのだが……本気のレースに出続ければ、いずれ自らの脚に限度が来るという見通しは彼女の中で未だ覆っていないのだろう。
とはいえ、そもそも練習場自体に姿を現さなかった頃とは異なり、自ら運動着に着替えて出てきている辺りは、タキオンなりの意識変化の表れではあった。
が、合宿の期間中もずっと真面目に練習や勉学に励むだろうとは鷹木は考えておらず、そしてその推測は正しかった。
いよいよ夏季合宿へ出発するという当日、早朝のトレセン学園校門前。早くから明るくなる夏季休暇中は、早朝のランニングに励むウマ娘たちも頻繁に門の前を通過する。
学園が主催する2年生以上対象の合宿が開始される数日前のことであり、まだトレセン学園には本来通りの数の学生たちがつどっていた。
そんな中、他のウマ娘たちから注目を浴びながら登場したのがアグネスタキオンである。
なにしろちょっとした小山のごとく膨れ上がったリュックを担ぎ、両腕にも大型のトランクケースを引っぱってきていたのだから。ランニング中のウマ娘たちは何事かと怪訝そうな視線を向け、その大荷物の主がかのアグネスタキオンであると気づいて、納得したような苦笑とともに走り去っていく。
その苦笑が自分にまで向けられていることは重々承知しつつ、鷹木はタキオンへと声を掛けた。
「……なんだその大荷物は。引っ越しするわけじゃないんだぞ。」
「トレーナーくんが合宿期間中も勉強しなければならないというから、私は教材や筆記具の類を持参したんじゃないか。担当トレーナーに言われた通り、きちんと勉強道具を荷物に忘れず入れた私の勤勉さを褒めてもらいたいねぇ。」
たしかに、その点は以前のタキオンと比べての成長点には違いなかった。鷹木が本気で心配そうな表情を浮かべていたのも、彼女の印象に残っていたのかもしれない。
しかしトレセン学園で実施される基礎学力用の授業に、大型トランクを持ち出さねばならぬほど大量の参考書は必要とされない。明らかに、タキオンは合宿に大量の不用品を持ち込むつもりであった。
「どう見ても、テキストや筆箱を詰め込んだだけで至るサイズの荷物じゃないんだが。一旦地面に下ろせ、何を入れてるんだ。」
「おや、この量の荷物の中身を、今から全て検めるというのかい?既に約束の集合時刻になってしまっているが、そんな時間的余裕があるのかい?」
タキオンの指摘通り、鷹木には同行を予定しているトレーナーやその担当ウマ娘たちを待たせてまで荷物点検を強行する度胸はなかっただろう。
が、担当し始めて4か月目、そろそろ鷹木もアグネスタキオンというウマ娘の扱いを理解できるようになっていた。
「タキオン、お前に伝えた時刻は、結城トレーナーとの待ち合わせよりも1時間早い時刻だ。寝坊して遅刻してくることも、こうやって余計な物を荷物に入れてくることも予想できたからな。」
「……へぇ、鈍い鈍いと思っていたが、トレーナーくん、私のことをようやく理解しつつあるようだねぇ。」
珍しく鷹木に対して少しは感心したような視線を向けながら、タキオンは両手のトランクケースを地面に寝かせ、背中の大荷物を下ろす。
鷹木は自分の方にその荷物を引き寄せようと手を掛けたが、さほど意外な事でもなく人間の力では持ち上がらぬ重量であった。
「何が入っているんだ。」
「そのリュックの中身は、テントを始めとした自然観察用の一式さ。獣の通り道を監視できる位置にテントを張り、迷彩色のネットに落ち葉や枝を絡ませて被せれば、野生生物を観察できることを期待してねぇ。」
「トレーニングと並行して、春学期分の補講も実施しないといけないんだぞ。そんなことやってる猶予はないだろ、置いてこい。こっちは何だ?」
重々しい硬質のトランクもまた、人間の力では持ち上げるのが精いっぱいの重さであった。
バチン、バチンと頑丈なロックを外して蓋を開いた中には、成形された緩衝材に包まれた何やら複雑そうな機械が収められている。
傍らには、その機械に取り付けるためであろう、金属製の棒や円柱型の錘が収まっている。まさに金属の塊そのものであり、この荷物の重量がかさむのも必然であった。
「……なんだこれ。着脱式のおもりまで付属しているが、ダンベル……ではないよな?」
「知らないのかい?まったく、トレセン学園所属トレーナーは一般人よりも優れた教養を有しているはずではないのかい。それに現在世間を賑わせている話題からも、十分に予測がつくじゃないか。私への理解を少しは深めた、と先ほど感じたのも単なる思い違いのようだねぇ。」
「悪かったな、このところタキオンにどうやって真面目に練習させるかばかりで頭がいっぱいなんだ。」
彼にしては少々気の利いた返しを口にしている鷹木の傍らから、唐突に立ち止まった何者かが覗き込む。
先ほどまでも早朝のランニング中のウマ娘たちは、大荷物を道端で広げている鷹木とタキオンをチラチラと横目で見ながら素通りしていたが、わざわざ立ち止まって関わろうとする者はいなかった。
こうして覗き込んでくるのは、よほどの変わり者に他ならない……いつの間にか至近距離まで踏み入ってきていたウマ娘は、ネオユニヴァースであった。
「“REEN”。赤道儀を使って『楽しそうなこと』をしに行くの?」
「おぉ、流石に分かってくれるね、ユニヴァースくん!そうさ、これは赤道儀だ!私はこれから合宿所にて天体の観測も行う予定だよ!」
「違うんだ、そんなことをしている暇なんてないから、担当トレーナーとして持っていくなと言っている最中なんだ……。」
鷹木はタキオンの言葉を訂正するが、タキオンはネオユニヴァースとの予想外の邂逅を前に、すっかり興奮してしまった様子で喋り続ける。
以前、ネオユニヴァースから意味深かつ理解困難な言葉を掛けられて暫くの間、タキオンは難しい顔で考え込み続けたことがあったため、鷹木はそれが再発しないかと気がかりでもあった。
が、アグネスタキオンにとって、ネオユニヴァースは他のウマ娘には理解し難い内容を喋り合える数少ない相手であり、滅多に会えない彼女の存在を喜んでいるのも間違いなかった。
ネオユニヴァース自身も、タキオンが合宿所に持って行こうとしている赤道儀に興味津々なのか、顔を近づけて覗き込みつつ、ほんの僅かながらに興奮した口調で喋っている。
「精密なモデル、“PAM”に用いる極軸のスコープは『望遠観測』にも対応するよ。」
「そうさ、単なる星野写真用のポータブル赤道儀とはワケが違う、より高精度な追跡のためには正確に日周運動の軸に合わせなければならないからねぇ。」
「……練習や勉強の息抜き程度なら星空を見上げるのもいいかもしれないが、単に双眼鏡を一つ持っていくだけじゃダメなのか?」
迂闊に口をはさんだ鷹木の発言は、ウマ娘担当トレーナーとしては妥当なものであり、同時に観測においては素人丸出しの内容でもあった。
結果として彼は、ネオユニヴァースとアグネスタキオンから集中砲火を浴びる羽目になった。
「“DEDU”極軸が『疎か』だと『連続した』“SRIV”に“EXST”するよ。『追跡する』“MNL”に追われると“CNC”な『観測する』も叶わない。」
「そうとも、実際に観測を行ったことの無い者には、日周運動に合わせてレンズを動かす手間がいかに多忙であるか、想像すらできまい!それに十数年に一度という天体ショーをカメラに収めるという機会だ、可能な限りブレのない像を得るために様々な苦心があるというに、これだから何も知らん素人は!」
「ご、ごめん……。」
ネオユニヴァースが表情を動かさぬまでも多少早口になるという、世にも珍しい光景を目の前にしつつも、何故か注意する側であるはずの自分が謝っている状況に理不尽さをも覚えている鷹木。
タキオンが持ってきた他の荷物の中身を鷹木が確認して不用品を除いている間にも、タキオンとユニヴァースは盛んに言葉を交わしていた。
「“JYVE”な合宿、『羨ましい』を感じるよ……『観測する』対象は何?」
「おや、ネオユニヴァースくんなら凡そ見当がついているんじゃないかねぇ?普段は天体観測など欠片も触れない世間がこぞって囃し立てているじゃないか、十数年ぶりの火星大接近を!」
「『接近する』……“MARS”?」
宇宙に関する話題であるにもかかわらず、ネオユニヴァースの反応が薄かったのは、単に今年度の彼女はウマ娘レース本番で忙しいためだと思われた。
皐月賞、日本ダービーの両方で勝利し、さらにシニア級の先輩たちを抑えて宝塚記念でも栄冠を勝ち取ったネオユニヴァース。今年の秋からも、ゼンノロブロイというライバルを交えて大舞台の連続が予想された。
……しかし、ネオユニヴァースは深く考え込むように俯き、ここに来て初めて怪訝そうに表情をゆがめた。
「……それは“CBT”『来年に起きる』ではないの……?」
「何を言っているんだい、今年だとも。火星の公転周期は地球の約1.9倍だ、来年の夏ともなれば太陽の向こう側に行ってしまって観測できないじゃないか。」
「『正しい』を確認、でも“QOAX”とは『食い違う』よ……。」
「そんなまさか、ウマ娘レースを遥かに超える規模、この宇宙で起きている現象じゃないか。ユニヴァースくんが観測する世界との食い違いなど、あり得るのかい?……あり得るとしたら……ふゥん?」
タキオンの荷物の中から、続々と出てくる勉強とは無関係の書籍の数々を取り出していた鷹木は、不意に静かになったことを不審に感じ、顔をあげる。
見れば、つい先ほどまで楽しげに、かつ盛んに喋り合っていたネオユニヴァースとアグネスタキオンがいずれも難しそうな表情を浮かべ、何やら考え込んでいた。
あまりにも急激に雰囲気が変わった様に、鷹木はしばらく話しかけるのを躊躇したほどであった。やはり、このウマ娘たちのことを理解するのは、並みのトレーナーには容易いことではなかった。
「あの、えっと……急にどうしたんだ、ふたりとも静かになって……具合が悪くなったか?」
「“NOST”私自身には『影響がない』よ。」
「私の心配は無しかい、トレーナーくん。まぁいい、現段階では明確な影響は確定していないし、そのためには十分な検証が必要だ。重大なヒントをありがとう、ユニヴァースくん。」
タキオンからの言葉に、ネオユニヴァースは小さく頷き、本来の練習へと戻っていく。
クラシック級の彼女も、数日後にはトレセン学園が実施する全体での合宿に参加していることだろう。
鷹木としては、アグネスタキオンの方が余計なことを言ったために、ネオユニヴァースが調子を崩すようなことはないかと警戒していたが、スタスタと去っていく彼女の足取りには違和感もなかった。
むしろ、今の会話でますますタキオンが天体観測用の機材を持ち込む意思を硬くしてしまった方が問題であった。
「トレーナーくん、私はこの合宿中における観測で、重大な発見をすることになるかもしれない。いよいよもって、この赤道儀と、そして望遠鏡は持っていかなければならないよ。」
リュックサックの荷物を整理することに専念していた鷹木は触れることが出来ていなかったが、タキオンが引っ張っていたもう一つのトランクケースの方には天体望遠鏡が収められているらしい。
とはいえタキオンの単位取得、そして秋学期以降のデビュー戦へとつなげるための正念場、合宿中にて気を散らす要素を極力減らしたい鷹木は、変わらず彼女の要求を渋った。
「だがな、お前のウマ娘レースへのデビューだって、一生に一度のことなんだぞ。」
「分かっているさ、だがこの世界で一度しかありえない現象など、他にいくらでもあるじゃないか。それが来ると分かっていて見逃す手はない、持って行っていいだろう?」
「いいんじゃないかしら。私も気になるわ。」
割り込んでくるように背後から聞こえたのは、アドマイヤベガの声である。
自分の知るウマ娘たちに合宿所への招待を出した立場もあり、彼女も結城トレーナーとの集合時刻より早めに到着していたのだろう。
天体観測を趣味とするだけのことはあり、アドマイヤベガもまたアグネスタキオンが合宿所に持ち込もうとしている機材をしげしげと眺めていた。
「暗視野照明付きの極軸スコープ、補助用のポーラーメーターも併用されているわ。これは高倍率での観測も可能なモデルよ、よっぽど精密な観察のために用いる予定なのね。」
「さすがだねぇ、分かっているねぇ、アドマイヤベガ先輩は!そうさ、現在北極星とされているこぐま座α星は天の北極からズレている、ゆえに正確に位置を確認するためのスコープが内蔵されている、この赤道儀で極軸を合わせる必要があるんだ!今年の夏、地球へ大接近する火星を観測するためにね!」
「……それで、担当トレーナーさんを困らせているのね。」
アドマイヤベガまでもタキオンの行いに賛同したが最後、自分は孤立無援となる……そんな覚悟を固めかけていた鷹木であったが、流石にアドマイヤベガは状況の把握も早かった。
小さく頷いている鷹木に視線を遣り、タキオンに向けてアドマイヤベガは言葉を付け加える。
「重そうだし、高価そうな機材ね。片方は私が運ぶわ。」
「いや、それには及ばない、いずれも私が現地に到着し次第、すぐに組み立てる予定で……。」
「トレーナーさんから言いつけられた勉強や課題が済めば、あなたに返してあげる。」
言いながら、アドマイヤベガは赤道儀の収められているトランクケースを閉じ、サッサと引っ張って持って行ってしまった。
数年来、テイエムオペラオーという賑やかかつ奔放な好敵手を相手してきただけのことはあり、アグネスタキオンのように自由に振舞う相手の扱いを既にアドマイヤベガは心得ていたのだ。
アグネスタキオンは初めて、助けを求めるような目を鷹木に向けた。
「トレーナーくん、担当ウマ娘からのお願いとして、なんだが……あのトランクケースを、何か理由をつけて取り返してきてくれないかい?」
「ダメだ。ついでに、この勉強に関係のない書籍の類も自室に置いてこい。」
ブツブツと不平を口にしながら、天体観測や化学実験に関する本の束を抱えて寮へと向かうタキオンを見送り、鷹木はホッと溜息を吐く。
やはり、結城トレーナーのもとでの夏合宿に参加できたことは、大いに鷹木にとってもタキオンにとっても助けとなりそうであった。