探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 結城トレーナーの個人合宿所に赴くこととなった夏合宿初日から、鷹木トレーナーはアグネスタキオンによって振り回される予兆をあらゆる状況で感じていた。しかし、そこは同行する先輩ウマ娘たちが看過するところではない。そもそも授業への出席日数が足りずデビュー自体が危ぶまれるタキオンがなんとか無事にURAの舞台に上がれるよう、奔放な彼女を捕まえては練習場および勉強机へと連れてくる日々の始まりであった。


備えようとも、防ぎようはなし

 結城トレーナーの個人合宿所に参加するということは、そのたびに一般人には決して手の届かない移動手段を経験するということでもあった。

 

 ウマ娘たちが円滑に合宿先での練習へ入れるよう、可能な限り快適かつ速やかに現地へ到着できる手段を結城トレーナーが準備するおかげだったが、それにしてもレジェンドトレーナーの財力は文字通りに桁違いであった。

 

 ある時は大型クルーザー、ある時は線路上を走る私有車……今年は、ヘリコプターだった。

 

 それも、一般市民がチャーターできるヘリではない。大抵のヘリコプターは定員4名、多くとも8名までが限度だが、ウマ娘とトレーナーたち全員併せて12名が乗り込めるものはそうそう無い。

 

 結城トレーナーは、それでも猶予をもって皆が乗り込める機体を用意出来る人物であった。

 

 鷹木に連れられてトレセン学園最寄りのヘリポートにやってきたタキオンは、大型輸送ヘリコプターの雄姿を前に目を輝かせた。

 

「トレーナーくん!これは実に稀有な機会だ!なぜもっと早めの時間に、ここで集合しようといってくれなかったんだい、実物をじっくりと観察し、機体形状が空気力学上いかに貢献しているか、理解したくなってしまうじゃないか!」

 

「悪いが、タキオンの持ち込もうとする荷物点検のほうに時間を掛けたかったんでな……。」

 

 鷹木からの返答を聞くのもそこそこに、科学に関わることであればジャンルの別なしに存分な興味を示すタキオンは、早くもスマホカメラを構えてパシャパシャと機体の撮影を開始していた。

 

 1000キロメートルに迫る航続距離を誇り、十数人が同時に乗り込める大型ヘリコプターは、消防庁や保安庁が災害救助用に保有している以外であれば、政府専用機として運用される例がある程度である。

 

 当然ながら個人で所有しているのは結城トレーナー程度のものであり、以前秋川理事長が出張のため乗り込んだヘリはトレセン学園所有の機体であった。

 

 他人の所有物を遠慮なく撮影しまくっているタキオンを引き留めるのが遅れた鷹木は、にこやかに近づいてきた結城トレーナーその人に頭を下げる。

 

「すみません、ご迷惑でしたらすぐに止めさせますので……。」

 

「いや、かまわないよ。せっかくの合宿だ、多少は羽目を外すことがあってもいいだろう。」

 

 度量の広さを示して、老トレーナー自身もウマ娘たちに負けず明るい表情で答える。が、本当に羽目を外した時のタキオンが、どのような行動に出るか計り知れないことは、鷹木が最もよく理解していた。

 

 結城トレーナーの後について来たアドマイヤベガは、はしゃいでいる様子のタキオンをじっと見つめた後、新鮮さの正体に気づいたように口を開いた。

 

「……そうね、アイツは羽目を外してなかったものね。」

 

「アイツ、って?」

 

「オペラオーよ。去年も結城トレーナーのヘリで合宿所に向かったけれど、飛ぶ前から怖がってたでしょ。無口な覇王だなんて世にも珍しいものを見せてもらったもの、ずっと印象に残ってる。」

 

 アドマイヤベガから言われて、鷹木もようやく思い出した。

 

 昨年の夏合宿においては、行きのヘリコプターの中、アドマイヤベガとナリタトップロードに挟まれて、多少顔色を青ざめさせていたテイエムオペラオーの姿があった。

 

 事あるごとに笑い声を響かせ、気分が乗ればところかまわず歌声を上げるオペラオーが、空を飛ぶ乗り物に関しては怖さを覚えたのか、随分と静かになって挙動も最小限になっていたのだ。

 

 当時の鷹木は、いつオペラオーの脚に蓄積した疲弊の限度が来るか、走り続けることを望む彼女の引退をどこまで先延ばしできるか、そればかりを考えていたため、その姿を記憶に焼き付けている余裕も無かったのだが。

 

 同じく騒がしいウマ娘ではあったものの、アグネスタキオンは今なお大型ヘリを舐め回すように好奇の視線を投げかけており、確かにオペラオーとは対照的な反応であった。

 

「その後、オペラオーとは連絡を取ってるの?」

 

「……いや、ほとんどヒマが無くて……。」

 

 続けてアドマイヤベガから投げかけられた質問に、鷹木は言葉を濁す。

 

 実際のところ、昨年の初冬に入院していたオペラオーを見舞いに行って以降、鷹木とテイエムオペラオーは会っていない。

 

 自分の担当ウマ娘が引退した後、それまで密接に築かれていた信頼関係が突然消滅するわけではない。が、実際のところ、トレーナー業に向き合い続ける限り、現在担当しているウマ娘の指導が優先事項となる。

 

 トレセン学園所属トレーナーである以上、幾度も繰り返す別れである。鷹木は、タキオンを担当し始めるまでの多少なりと暇のあった期間を、オペラオーに一度きり会うだけで済ませてしまったことを今さらながらに後悔していた。

 

 殊に、アグネスタキオンのように片時も目を離せないウマ娘を担当している現状は、なおさら鷹木が別の物事を気に掛ける余裕など無かった。

 

「アイツも、鷹木トレーナーが忙しいだろうと察して邪魔しに来ることは無いでしょうね。あなたの方から会いに行かないと、ずっと会わずじまいになるわ。」

 

「……だよな。機会があれば、会いに行く。」

 

 結城トレーナーに続いてヘリの方へ向かうアドマイヤベガからの言葉に頷き、鷹木はタキオンが放り出していった荷物を唸り声と共に持ち上げた。

 

 不要な荷物を寮に置いてこさせたものの、やはり人の力ではどうにか持てるか否かといった重量であった。

 

 昨年末にテイエムオペラオーとメイショウドトウが引退したものの、有望な後輩たちを加えた合宿参加の一行は昨年より人数を増している。

 

 結城トレーナーの合宿所への招待状を、アドマイヤベガは鷹木以外の馴染みのトレーナーにも渡していた。送迎のバスから降りてきた片桐が、鷹木に話しかける。

 

「相変わらず、担当ウマ娘ともども元気の良さそうなことで何よりですな、鷹木トレーナー。」

 

「合宿所に到着する前に、使い果たしてしまわないか心配ですけれどね……タキオン、せっかく早めに来たのに、出発を遅らせるような真似をするんじゃない!」

 

「Who cares?せっかくのvacationだ、好きなだけハシャいじまっていーだろ。」

 

 片桐とタップダンスシチーは各々鷹木に言葉を投げかけ、共に全く遠慮とは無縁の悠々たる振る舞いで、さっさとヘリに乗り込んでいく。

 

 エアシャカールと共に多少遅れてきたマンハッタンカフェは、想定以上のサイズのヘリコプターを前にして目を丸くし、ついで相変わらずはしゃいでいるタキオンに半ば呆れた視線を送っている。

 

 桂崎トレーナーとキングヘイローサブトレーナーに率いられてきたナリタトップロード、アグネスデジタル、そしてジャングルポケットが乗り込んだ後、一番最後にヘリの内部に上がったのはタキオンと鷹木であった。

 

 大型ヘリは僅かな揺れとともに離陸し、乗り込んだ者たちは防音性の優れた客室内でゆったりと過ごす……というわけにもいかなかった。

 

 鷹木としては移動中も勉強の一端、例えば英単語の暗記メモなどを見せて過ごさせるつもりであったが、タキオンはいつの間にポケットに忍ばせていたのか、掌の上で回転するコマを披露しながら喋りまくっていた。

 

「ヘリコプターはときに機械仕掛けの神とも評されるほどに複雑な機構によって飛行しているのだよ、単にメインローターが風を送り出すだけの構造ではこうも安定した飛行にならない。回転翼の反トルクとつりあう回転力を生み出しながら、翼の仰角を逐次変更することで揚力に差を生み、前進や後退を実現しているのさ。」

 

「ひょぉぉー、相変わらずタキオンちゃん、難しいことを知ってるんですねぇ。ヘリコプターって、機体が傾いてから行きたい方向に進んでるんだと思ってましたけどぉ……。」

 

 タキオンの語りに、すかさず反応するアグネスデジタル。

 

 移動中を勉強時間に当てさせたい鷹木の目論見は実現し得ないことが確定してしまったが、少なくともタキオン自身が満足する聞き手に恵まれていることは間違いなかった。

 

 タキオンは手の中で回転させ続けている金属製の枠を持った特殊なコマを示しながら、興奮気味に説明を続ける。

 

「そうじゃないさ、昔の映画に登場する潜水艦のごとく、乗員が機体の前方や後方に集結して機体を傾けなければならないわけじゃない。回転体にはジャイロ効果というものがある、このコマを単に傾けようとしても、ほら、軸自体がこのように回転体に直行する力を得て容易には傾かないだろう?」

 

「あぁ、だがヘリコプターの場合はサイクリックコントロールでメインローターのピッチ角が制御されンだよ。回転翼の前方と後方で揚力に差が出来て、初めてメインローターが傾く。機体はその回転軸に追随するように傾くってワケだ。」

 

 エアシャカールも口を開き、デジタルに対して説明しているタキオンの言葉を補っている。

 

 ますますタキオンは嬉しそうに興奮して立ち上がった。安全であると分かっていても、飛行中のヘリコプターの中で立ち上がるなど、あまり真似したくない行為であった。

 

「さすがだよシャカール先輩!そうさ、すなわち今ここで私がこの機体を揺らそうと試みたところで、姿勢の安定性にはなんら問題が無いということさ!試しにやってみようか……」

 

「こ、こら!」

 

「おやめなさい!」

 

「おい、やめろって。」

 

「やめてください……」

 

「Ey,ey!You stop!」

 

 あまりに恐れ知らずな実験を敢行しようとしたタキオンを、鷹木、キングヘイロー、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ、タップダンスシチーの声が一斉に止めに掛かる。

 

 流石のタキオンも、これだけの人数から同時に制止されれば強行するつもりもないのか、名残惜しそうに苦笑しつつも座席に座り直した。

 

「いいじゃないか、乗員が多少身動きする程度、想定してヘリは設計されているのだから。映画やゲームの世界じゃないんだ、そう易々と落ちるはずが無いだろう?」

 

「かもしれないが、一緒に乗ってる者を不安にさせるような行動を取るんじゃない。……せっかくご用意いただいたヘリの中で騒がしくしてしまって申し訳ありません、結城トレーナー。」

 

 タキオンを叱ったあと、真っ先に結城トレーナーに頭を下げる辺りはいかにも鷹木らしい振る舞いであった。

 

 当の結城トレーナーは、全く取り乱した様子もなく、にこやかに先ほどからのやり取りを眺めているばかりであったが。

 

「いや、かまわない。万が一、このヘリが落ちれば、URAにとって……いや、世界中の、全てのウマ娘レースにとって多大なる損害となるだろうけどね。」

 

「ま、まっ、まさか、そんなこと……。」

 

 結城トレーナーの方からもまた際どい冗談を飛ばされ、半ば引きつった笑みと冷や汗を同時に浮かべる鷹木。

 

 しかし、またも他のウマ娘と盛んに喋り合い始めたタキオンに目を細めて視線を向けながら、結城トレーナーの口ぶりはどこか真面目だった。

 

「このウマ娘たちが、デビューを経験することなくウマ娘レースに出ないなどと、そんな運命は有り得ない。不思議と、僕にもそう確信できる。」

 

「それは、このヘリが墜落事故を起こさないという意味で、だけじゃありませんよね?」

 

 脇から口をはさんだ片桐の言葉に、今度は結城トレーナーは深く頷いた。

 

 まだ彼らの言わんとする真意が掴めていない鷹木は、再びタキオンが余計なことをしでかさないかと目を泳がせながらも、結城トレーナーの口にする言葉に耳を傾け続けた。

 

「勝負の世界で生きるウマ娘のトレーナーとして、運命などという表現は、あまり普段使いたくないものだが……必ず走り、そしてURAの歴史に名を刻むだろう、彼女らは。」

 

 眼光は柔らかでありながら、真剣そのものの視線を、結城トレーナーは未だデビューしていないウマ娘たちへと注いでいた。

 

 長年にわたって、レースに勝つウマ娘の指導に当たり続けてきた彼には、早くも他より抜きん出るウマ娘の将来の姿が見えているかのようであった。

 

「だからこそ、タキオンにはきちんと必要出席日数分の単位を取らせてやらなければね、鷹木トレーナー。」

 

「はい、自分がこの合宿期間中、尽力させていただきます……。」

 

 移動中も賑やかに楽し気に浮かれているタキオンを前にして、鷹木の双肩にはますます重圧がかかっているのだった。

 

 そして到着した結城トレーナーの合宿所は、例年のごとく贅沢な環境であった。

 

 トレセン学園や、学園所有の合宿では、大勢で共有することになる広大な練習グラウンドのみならず、各種トレーニング機器を……ここでは十数名のウマ娘が自由に使えるのだ。

 

 普段と異なる新鮮な環境、そしてトレーナー達との距離も近く、通常時の授業もないためトレーニングに専念できる条件は十分に整っている。

 

 鷹木も、現状の担当ウマ娘がアグネスタキオンでなければ、これからの合宿期間を有意義にするための練習メニュー構築に専念できたろう。

 

「タキオン、到着したらまず荷物を……」

 

「先ほど窓外に見えていたのは海だねぇ!こうしてはいられない、波形の浅水変形や砕波による沿岸漂砂の運動を観察しに向かわねば!」

 

 夏真っ盛りの波打ち際を目にして、そのような観察欲を起こすのはタキオンぐらいのものだったろうが、何が名目であるにせよ予定されるトレーニングや勉強に向かう気がさらさらないのは明白であった。

 

 ヘリの昇降口が開いたとたんに席を立ったタキオンの動作に、鷹木は反応が遅れる。

 

 鷹木が掴みそこねたタキオンの腕を、すり抜ける前にがっしと掴んで捕まえたのはアドマイヤベガであった。

 

「ダメよ、あなたはこの夏季合宿中に、少なくともデビューできる状態にまで漕ぎつけなければならないんでしょう?」

 

「しかしだねぇ、アドマイヤベガ先輩。後ででも出来ることよりも、今思い立ったことはすぐ実行に移さねば、未確定の現象を着実に出来ないじゃないか。」

 

 一瞬、アドマイヤベガに捕えられた瞬間に怯んだようなそぶりを見せはしたものの、タキオンは平常を装いながら喋り続ける。

 

 彼女がいつも制服の上に羽織っている白衣を徐々に脱ぎ、アドマイヤベガに掴まれている箇所をから抜け出して逃げる備えをしていることに気づいたキングヘイローが背後から羽交い絞めにした。

 

「いけませんわよ、タキオンさん?トレーナーだけではなく、こうして現役の先輩まであなたの事を案じておられるんですから。」

 

「離してくれないかい、キングヘイロートレーナー。私とて合宿期間を無為に過ごすまいとは考えているさ、だからこそ時間を無駄にせぬよう今すぐに観察を開始しようとしているだけであってだねぇ……。」

 

 完全に体を確保された状態となりつつも、なお淀みなく逃げ口上を述べ続けるタキオン。

 

 が、このやり取りをにこやかに眺めていたナリタトップロードが先んじてヘリから降り、前方に出かかっていたタキオンの両脚を掴んだ。

 

「私も、アヤベやキングヘイローさんと同じ考えだよ。将来有望な後輩ウマ娘が、レースに出られなくなるだなんて考えられない。この合宿中は、勉強も鍛錬も真面目に取り組んでもらわないと。」

 

「分かってる、分かってる、私とてそのつもりさ、ちょっと待った、私の荷物がまだヘリの中に残されているから、一旦その手を離してもらえないか……」

 

「Ha、愉快な夏合宿の始まりはタキオン運びから、だな!Let me join!」

 

 楽しげな雰囲気を感じ取ったのか、すかさずタップダンスシチーがタキオンの腰あたりに手を回し、脇に抱えるように持ち上げる。

 

 なおも抵抗を試みるタキオンであったが、両腕をキングヘイローに、両足をナリタトップロードに抱えられた上で、大柄なタップダンスシチーに胴体をがっちりと確保された状態では抜け出しようもない。

 

 まるで祭りのみこしでも担ぐかのように、賑やかに騒がしく運ばれていったアグネスタキオンを見送る鷹木。

 

 そんな彼に、アドマイヤベガは座席に残されていたタキオンの荷物を差し出しながら告げた。

 

「ほら、担当トレーナーさんは余計な心配事をしてないで、アグネスタキオンのデビューに必要な手立てに全力を注いで。あの子のサボりに関しては、私たちがしっかり阻止するから。」

 

「それは、助かるが……タキオンのためにトレーニング時間を割いてもらうのも心苦しいな。」

 

「気にしなくていい。逃げるアグネスタキオンを捕まえるのも、私たちにとって十分な練習になるから。」

 

 かのアドマイヤベガからそう告げられることは、十分な説得力を伴っていた。

 

 全力で走れば、同年代ではマンハッタンカフェと互角な脚を有するアグネスタキオン。

 

 優れた頭脳をもって巧みに抜け出すルートを見出し、並外れた速力で一気に駆け去り、計算し尽くされたスタミナ配分で息切れをも起こさない……。

 

 そんなタキオンに追いつき、捉えることが出来るのは確かに現役最高クラスの戦績を有する先輩ウマ娘たちを置いて他にいなかったろう。

 

 持ち上げるだけでもやっとな重量のタキオンの荷物を鷹木が呻きながら担いでいる傍ら、結城トレーナーも先んじてヘリを降りながら口を開く。

 

「現役ウマ娘から、今の時点で十分な練習相手として認められる能力の持ち主……そのアグネスタキオンがデビュー出来ないなど、URAにとって少なからぬ損失だ。頼んだよ、鷹木トレーナー。」

 

「は、はい。」

 

 いつも口数少ない結城トレーナーからは、これまで相手に命じるような言い回しなど一度も聞いたことがなかった鷹木。

 

 そんな相手から、プレッシャーを掛けるに等しい言葉を与えられる状況は、自ずと切迫したものであると理解できた。降り注ぐ陽射しを浴びた夏の芝地も、張り詰めた空気の下に硬く延べられたように見えるのであった。

 

 担当トレーナーや先輩ウマ娘たちからの思いも伝わったのか、合宿所にて運動着に着替えた後のタキオンは、合宿初日の練習グラウンド上で真面目に走る姿を見せていた。

 

 彼女が脱走するような隙を与えぬよう、常にアドマイヤベガやナリタトップロードが至近距離で並んでいたおかげかもしれないが。

 

「……にしても、細ェな、タキオンは。」

 

 先んじてコース上を走ってきたエアシャカールが小休止を取りつつ、遠目からタキオンの走りを見つめている。

 

 鷹木も日ごろから見慣れてはいたが、すぐ近くに現役の先輩ウマ娘が並んでいるとなおのこと、アグネスタキオンの細く色白な脚は際立った。

 

「あの身軽さを活かした走りを確立してるみてェだが、にしても、あれじゃ脚全体に負担がかかり過ぎちまうだろ。トレーナーとして把握してンのか?」

 

「あぁ、タキオン自身が怪我のリスクを理解しているのもあって、彼女を担当し始めてからは走りを安定させるための筋肉量の増強を重視してきたんだが……。」

 

 鷹木は答えながらも、エアシャカールの視線に全く納得の色が浮かんでいない様を認め、直視し難く感じていた。

 

 いま改めてタキオンの体型を見ても、鷹木が指導したトレーニングの効果はほとんどあらわれていないようにしか見えなかった。トレセン学園入学から4か月目、そろそろトレーニングの影響が見えてきてもおかしくない頃である。

 

 マンハッタンカフェも同じくスレンダーではあったが、彼女よりも身長があるタキオンには、その体を支えるだけの筋力が今以上に求められることも間違いなかった。

 

「まさかとは思うがトレーナーさんよ、トレーニング直後のパンプアップと筋肉の成長を取り違えちゃいねェよな?」

 

「タキオンにもきちんとトレーニング終了後に時間を空けて、脚やヒップのサイズを計測させ続けている。」

 

 言いながら、鷹木はタブレット画面に計測データを表示してシャカールに見せる。

 

 鷹木もトレセン学園所属トレーナーの端くれ、競技に向けて必要な鍛錬を組むうえでは素人ではない。

 

 練習自体をサボりがちなアグネスタキオンも、そもそもが計測や記録を好む性格であったことも手伝って……更には身体のサイズ報告をいちいち恥ずかしがる性格でもない……この記録だけは律儀に毎日続けられていた。

 

 タブレット画面を見せられたシャカールの表情からは疑念の色は薄まったものの、納得には至っていなかった。

 

「筋肉量がじわじわ増えて来てンだな、一応は……にしても、プロの指導でトレーニングを受けてるにしちゃ少ねェ。このペースじゃ、今年の秋からデビューってワケにもいかねーだろ。食事量は見てんのか?」

 

「毎回タキオンに食事を撮影させて送らせてる、少ない場合は補う品目を指示して追加させている。」

 

「ンだよ、割と担当トレーナーの言ってることを聞いてんだな、タキオンは。」

 

 いつもサボッて姿をくらますタキオンを探し回り、トレセン学園内を駆けずり回っている鷹木の姿ばかりが目立ってはいたが、しかしアグネスタキオンというウマ娘は手元で済む計測や報告についてはサボりはしなかった。

 

 自らの身体能力向上が掛かった鍛錬であることをタキオン自身が自覚しているおかげでもあり、また自らの為したい実験や観察の時間を阻害されぬ範囲であればタキオンなりにトレーナーの指示には従順なつもりだったのだろう。

 

 それでも、想定されるほどの筋力増強硬化は出ていないことに変わりはないのだが。

 

 しばらく腕組みしてあれこれと思考を巡らせていた様子のエアシャカールは、ふと顔をあげて告げた。

 

「……食う量を指示してんのなら、食うスピードの問題じゃねーか?俺も効率重視でサプリ摂取での栄養補助で済ませてた時期もあったが、食事時の咀嚼は疎かに出来ねェ。」

 

「……あ、そうか、タキオンのことだから、実験の時間が惜しいとでも考えて、食事もほとんど掻きこむように済ませているかもしれないのか。」

 

「飲み込めるサイズならほとんど噛まずに胃に入れてるのかもしれねェ、それじゃ十分な栄養摂取にならねェよ。」

 

 確かに、通常時は鷹木がトレセン学園内にて、食事のたびにタキオンの傍らでぴったりとついて監視するわけにもいかない。

 

 しかし合宿期間中であればこそ、タキオンの振る舞いを細かく確認することが可能になる。鷹木がタキオンを連れてこの合宿に参加できたメリットは、事前に想定していた以上に大きかった。

 

「すまない、色々と気づかせてくれてありがとう、エアシャカール。」

 

「ま、強力なライバルは少ないに越したことはねェけど、来年から追い上げてくるはずの後輩が、歯ごたえの無ェ奴ばかりじゃ拍子抜けだからな。」

 

 現状まさに、クラシック級のネオユニヴァースやゼンノロブロイ、さらに彼女らのひとつ上のツルマルボーイにまで追いつかれつつあるエアシャカール。

 

 それでも、アグネスタキオンがデビューできる可能性に関しては消すまいと、彼女の担当トレーナーである鷹木に助言を与えている。

 

 先ほど結城トレーナーから告げられた言葉が、改めて重みを増して鷹木の胸中にめり込んだ。

 

 有望なウマ娘のレース不参加は、URAにとっての損失となる……。

 

 将来に輝かしい戦歴の可能性を見出しながらも、夢半ばにしてレースの道に生きることを断念せざるを得ないウマ娘も少なくはない世界。

 

 だからこそ、将来的に自身にとっての脅威となり得る後輩であっても、先輩ウマ娘らは助言し、助力を差し伸べるのだ。

 

「オペラオーみたいに、嬉々としてステージに上がる奴じゃねェ、タキオンは。奴の思考を掴むのを諦めんじゃねーぞ、担当トレーナーなら。」

 

「分かってる。」

 

 未だにアグネスタキオンの性分を把握したとは言えない状態の鷹木であったが、他のトレーナーよりは掴めている部分も多いのではないかとの自負は芽生えつつあった。

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