探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 授業の出席日数が足りていないために、トレセン学園内での単位取得が為されずデビュー戦にこぎつけるか否かの瀬戸際となっているアグネスタキオン。彼女の担当トレーナーとして、鷹木は夏合宿の間に猛勉強をさせ、秋学期開始までに単位取得を認める試験に合格させる必要があった。常日頃から自分の興味をひかない事物には無関心なタキオンを、どうにか勉強の場に留めるため先輩たるアグネスデジタルも助力する。


いずれ微睡む暑熱の合宿で

 夏季合宿中のトレーニングは、さしものアグネスタキオンも先輩ウマ娘たちに挟まれた状態から強引に抜け出す事も出来ず、恙無く到着初日のメニューを終えていた。

 

 が、それだけで担当トレーナーである鷹木の懸念は収まらない。春学期に散々サボりまくった授業の欠席分の単位を、タキオンはこの合宿期間中の補講にて取らねばならないのだ。

 

 ある程度は体を動かした疲労の残っている状態での勉強には、いよいよタキオンも集中力を発揮できないのではないかと思われた。

 

「渡された教材の実施順はこちらに一任されているが、やはり、タキオンが興味を失わなさそうな理系教科からの方がいいか?いや、むしろタキオンにとっては分かり切っていて退屈か?」

 

 鷹木もトレセン学園所属である以上、教えることが仕事ではあるものの、基礎教養の講義はトレーナーとしての専門分野ではない。

 

 入学したばかりの中等部学生向けの教科など、世間の大人ならば大抵知っているような内容ばかりである……だからこそタキオンは授業への出席を怠りがちだったのだろう……が、単に知っているだけで上手く教えられるわけではない。

 

 教材を広げた机の前で頭を抱え、タキオンの集中力を保つにはいかにすべきかと考え続けている鷹木の肩を叩いたのはアグネスデジタルであった。

 

「そんなに心配することないんじゃありませんか?タキオンちゃん、すごく頭がいい子ですし。」

 

「あぁ、それは分かってる。頭がいいから、これまでタキオンはサボってきたんだ。だが合宿中に行うのは曲がりなりにも補講なんだから、真面目に聞いてもらわないと成立しない。」

 

 分かり切った事を退屈そうに聞く相手に対して、喋り続けることの困難さは察するに余りある。タキオンの居る教室で授業担当の教員は、さぞやりづらかったろう。

 

 あるいはタキオンも、単に興が乗らなかっただけではなく、自分が居ない方が教室の空気も丸く収まるとまで感じて、ほぼほぼ授業を欠席していたのかもしれない。

 

「タキオンにとって得意分野は既に知っている事ばかりで興味がないだろうし、逆に好奇心を向けない分野はそのままに興味が無いだろう。どうしたものか……。」

 

 正午前の窓外では合宿所併設の練習グラウンドが真夏の陽光を浴びて極限まで鮮やかな芝の色を照り映えさせていたが、鷹木は頭を抱えたままであった。

 

 既にタキオンに伝えた補講開始の時刻になっていたが、彼女はこの勉強室にまだ姿を現さない。午前の練習を終えた後の着替えに手間取っているのか、あるいは早くもサボるための手立てを講じているのかもしれない。

 

 暗い表情のままの鷹木へ、デジタルは唐突な提案を行った。

 

「じゃあ、私もタキオンちゃんと一緒に鷹木トレーナーによる授業を受ける、ってのはいかがでしょうか!」

 

「デジタルが……?」

 

「そうです、やっぱり積極的な聞き手が居ると、それだけで喋りやすくなりますし、タキオンちゃんもやり取りの中に入ってくれるかもですよ。」

 

 デジタルの提案は、普段から練習仲間のみならず同好の士とも活発に交流を行う彼女らしい、実体験に基づくアイデアであった。

 

 鷹木自身も、そういった状況には覚えがあった。結城トレーナーの前では萎縮してしまい、桂崎トレーナーの前でもぎこちない自分が、常に軽口や揶揄で返してくる片桐トレーナーに対しては口が回ることを日頃より実感していた。

 

「確かに……傍に居てくれるとありがたい、だが、デジタルだって練習を終えた直後で休憩も必要じゃないのか?」

 

「私にとっては、お勉強の場こそが休憩時間ですよ!身体も休められますし、何よりも好奇心を次々刺激してくれますし!」

 

 アグネスデジタルとて、授業で扱われている内容などとうに頭に入っていることばかりだろうが、それでもタキオンと全く対照的な反応を示す彼女の姿が、鷹木は眩しかった。

 

 結局のところタキオンは予定から数分遅れて、鷹木とデジタルが待つ勉強室へと現れた。

 

 両腕をキングヘイローとジャングルポケットに抱えられ、呼吸は乱れていないものの薄っすら汗ばんでいる様は、ひとしきり追跡劇を終えた後の反応そのものであった。

 

 この場に到着してもなお腕を離すまいとガッチリ抱えられ、タキオンは左右を振り見て口を開く。

 

「ほら、私は鷹木トレーナーのもとに来たじゃないか、キングヘイロートレーナー。そろそろ離してくれないかい、あまり強く拘束されていると腕が鬱血してしまうかもしれないねぇ。」

 

「きちんと勉強机に座るのを見届けるまで、この手は決して離しませんわよ。」

 

 口先では従順に、しかし仕草では不承不承といった雰囲気を隠しきれていないタキオンは、ようやっと鷹木がテキスト類を広げているテーブルの席についた。

 

 先輩ウマ娘や同級生の手を煩わせてなお、悠然としているタキオンに呆れつつも、鷹木は彼女を連れて来てくれた面々に頭を下げる。

 

「お手数をおかけしてすまない、キングヘイロートレーナー。ジャングルポケットも、タキオンを捕まえる協力をしてくれたようで助かった。」

 

「いいって、タキオンを捕まえるのが良い練習になるってトップロード先輩も言ってたしよ。おかげで、本番でタキオンを差しきるイメージもバッチリだ。」

 

「へぇ?先ほどの私は、本気の一割も出していなかったんだけれどねぇ。」

 

 減らず口を叩き続けるタキオンの声を背に、キングヘイローとジャングルポケットは立ち去り、すかさずタキオンの隣に椅子を引いて寄ってきたデジタルが場を引き継ぐ。

 

 他のウマ娘たちの力を借りなければ、この状況は整えられない。鷹木だけでタキオンを勉強の席に座らせ続けることは、ほぼ不可能だったろう。

 

 鷹木が慣れない様子で実施したその後の補講も、デジタルの合いの手に大いに助けられていた。

 

「……漢文は、主語と述語が示された後に、目的語や補語が来るのが基本的な構造となっている。補語が述べられる場合は置き字という、書き下し分では読まない字が挿まれる場合があって……」

 

「ヘェ。」

 

「はいはい先生!読まない字って、どんな漢字ですか!そんなのがいきなり出てきたら、読んじゃうかもです!」

 

 淡々とテキストの内容を読み上げているばかりの鷹木に対し、アグネスデジタルは引っ掛かった点へ即座に反応し、すかさず実際に授業を受けている時のように手を挙げて質問を投げかける。

 

 明確に反応を示す相手が居れば、自分の説明が至らぬ部分や、理解を促すには不十分な表現に気づけるという点は、トレーニング中のウマ娘との交流にも通じるものであった。

 

「えぇと、じゃあ、『良薬苦於口』という文を例に挙げるぞ。『良薬は口に苦し』というのは知ってるよな?この文で、主語は『良薬は』述語は『苦し』と読むことが出来る。」

 

「『口に』っていう補語が、一番最後に来てるんですねー。あれ?ということは、読んでいない字が……」

 

「それぐらいなら私にも分かるねぇ、『於』がこの場合は置き字ということだろう。あたかも前置詞のように、これ自体が意味を持たぬ語というわけだ。ゆえに意味だけを取り出す際には扱われず、日本語での助詞を代わりに補うことになるのだろう。」

 

「おぉ!冴えてますねぇタキオンちゃん!」

 

 デジタルによる褒め方は多少オーバー気味ではあったが、合宿中の補講を退屈な場とせぬ上では一役買っていた。

 

「何も褒められるに値するほどの思考ではないさ、実に単純な法則性だからねぇ。私にとっては少々退屈だが、さほど労せず済ませられるのならば悪くはないねぇ。」

 

 鷹木が同じことをしてもタキオンは素直に受け取らなかったろう。

 

 一度メカニズムとして把握すれば、タキオンが興味を向ける取っ掛かりは掴めたのか、その後の問題演習や内容確認用の小テストもすんなりとこなしていた。

 

「確認テストは……満点だ。この時間で学んだことを、完璧に答えられている。」

 

「やっぱりタキオンちゃん、頭がいいから理解が早いですよ!私なんてよく分からなかったから、丸暗記してどうにかしようとしてたのに!」

 

「ふゥん、まぁ、たった今聞かされたばかりのことだからねぇ。系統立てて解釈できれば、さしたる難問でもないねぇ。」

 

 感心したように喋るデジタルに対し、素っ気なく返しているタキオンではあったものの、ピンと立てた耳は少なくとも彼女が機嫌よくしていることの表れであった。

 

 苦戦が想定された本日分の補講は、先輩ウマ娘たちの助力も得てあっさりと終えることが叶った。

 

 昼食休憩の時、早めの夕食を合宿所内の食堂ではなく、近くの商店街で開いている食堂にてとろうと言い出したのは、アドマイヤベガであった。

 

「私たちが初めてこの結城トレーナーの合宿所に来た年も、一度行ったことがあったでしょう。ここの食堂で調理師をしてもらってる、太田さんの所。」

 

「あぁ、そういえば、そんなこともあったね……。」

 

 アドマイヤベガに返答しながらも、その当時の記憶を掘り起こして鮮明としつつあるトップロードは、その表情に気遣わしさを浮かべてアドマイヤベガへ視線を返した。

 

 もう今から4年前の話である。

 

 合宿所に詰めて延々と練習を繰り返す期間にも息抜きの日を設けるべき、とのオペラオーによる提案で、あの時はドトウ、トップロード、アドマイヤベガの四名でしばらく走った先にある商店街に向かったのだ。

 

 片田舎の商店街の常に倣い、ほとんどシャッターを下ろしきった店の並ぶ寂しげな場所だったが……夕刻となった帰り路、一足先に合宿所に戻ろうとしたアドマイヤベガは、奇妙な体験をした。

 

 閉店した店舗だらけだったはずの商店街は、活気に満ちた往時の姿でアドマイヤベガの目の前に姿を現していた。

 

 道端の掲示板には新聞記事の切り抜きが貼られ、そこにはアドマイヤベガ自身の名前が載り、怪我のため引退、その後急死した、との内容が書かれていた……。

 

 その時は、オペラオーがご機嫌で歌っていた声の響く方へ必死で駆け戻り、どうにか仲間たちのもとへ帰ることが出来たのであった。当然、現実のシャッター街は活気のないまま、気味の悪い掲示板も存在しない。

 

 アドマイヤベガ自身はその時のことを、疲れから来る白昼夢を見たのだと考えるようにしていたが、やはり今なお気がかりな現象ではあったのだろう。

 

「……大丈夫?アヤベ。」

 

 少し声を低めたナリタトップロードが、アドマイヤベガに尋ねる。

 

 アドマイヤベガは真っすぐ視線を返して、しっかりと頷いた。不安に慄いていた頃の、4年前の彼女自身とは違っていた。

 

 不安の源に蓋をし続けるのではなく、その根源を明らかとして解消したい思いの方が強まっていた。再び訪れ、何も起きなければ、夢の類として片づければいい。

 

 改めて後輩ウマ娘たちが集まっている方へ顔を向け、アドマイヤベガは言葉を継いだ。

 

「この合宿所から、私たちの脚なら数分かけて走っていった先に、小さな商店街があるの。そこまで走っていくのも、食事を終えた後に戻ってくるのも、いいトレーニングになるわ。皆も来るかしら?」

 

「Sounds Lovely!合宿所を飛び出してって、夕陽を浴びながら皆と駆けてくだなんて、最高にEmoじゃないか!」

 

 率先して大きな声で賛同したのがタップダンスシチーである。このウマ娘にとっては、渋る提案など存在しないのではないかとまで思われた。

 

 他のウマ娘たちも同じく、トレーニングの一環でありながら田舎道を走っていくという新鮮さを魅力的に感じているらしい。

 

 特に先ほども脱走を企てたタキオンは生き生きとして、引っ張ってきた自分のバッグの中から何やら用途の知れぬ器具をあれこれと取り出していた。

 

「素晴らしい提案だねぇアドマイヤベガ先輩!私はこの合宿所という施設が建てられる土地には相応にウマ娘の練習効果を引き上げる特質があるのではないかと仮説を立てていてだね、まずは地磁気の探知を入念に行いたいと思っていたところなんだ、ワクワクするねぇ、皆でフィールドワークへと赴くのは!」

 

「トレーニングだっつってンだろ。走って来るって時にゴチャゴチャと持っていくんじゃねェ。」

 

 運動着のポケットの中に重そうな機器類を詰め込んでいるタキオンの腕を止めさせ、エアシャカールが取り出させている。

 

 ともあれ、後輩ウマ娘たちにも提案が受け入れられたことで、アドマイヤベガは夕食の場を変更する旨を早めに伝えるため、食堂の調理場へと顔を出しに行く。

 

 ……が、その手前、食堂から出たところの廊下でアドマイヤベガを呼び止めたのがマンハッタンカフェであった。

 

「アドマイヤベガ先輩……待って、ください。」

 

「どうしたの?」

 

「あの、先ほどは皆さん、一様に行きたがっていたので、声をあげづらかったのですが……私のお友だちは、『行かないほうがいい』と言っています……。」

 

 マンハッタンカフェが言うところの“お友だち”が、実体を持たない霊のごとき存在であることは、同じ結城トレーナーの下で指導を受ける仲として既にアドマイヤベガも知っている。

 

 その“お友だち”が、姿無きままにウマ娘に寄り添うのみならず、物理的には認識し得ない事物までも感知するものだということも。

 

 アドマイヤベガはそこまで理解した上で、あくまで現実的な側面からのみ返答を与えた。

 

「危険な道を行くわけではないわ。ここから商店街まで全く車両も通らないし、それに夕方、暗くなる前に戻って来るわけだから。」

 

「私も、それなら安心だと思っていたのですけれど……いえ、すみません、変なことを言ってしまって……。」

 

 マンハッタンカフェは、自分の言葉では説明しきれない内容について、相手に説得することを諦める癖を存分に身につけていた。

 

 彼女がこちらに背を向けた時、垣間見えた寂しそうな眼差しに気づいたためだけが理由ではなかったのだが、アドマイヤベガはマンハッタンカフェを呼び止めた。

 

「カフェ。行きと帰り、私の傍に居てくれるかしら。」

 

「……はい。」

 

 それ以上のやり取りは無かった。

 

 “お友だち”が警鐘を鳴らすような事について、アドマイヤベガに思い当たる節があるのは、今の言葉だけでマンハッタンカフェにも十分伝わった。

 

 現在はトップロードとのみ共有している、かつてその商店街に向かった時の不可解かつ不気味な記憶が、今日もなお再現される可能性を認めたくないのだろう思いまで、アドマイヤベガの声色から聴きとれた。

 

 アドマイヤベガは、あれがもはや過去のもの、夢と現を取り違えたに過ぎないものだとの確信を得る目的もあって、今日の提案を行ったのだろう。

 

 ……だが、全く何事もなく済みはしないだろうと、マンハッタンカフェは既に確信を得ていた。

 

「大丈夫です……どこにも、連れていかれないように……。」

 

 アドマイヤベガが完全にその場から去った後、マンハッタンカフェは誰にも聞こえないはずの小声で、虚空に向けて話しかけていた。

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