午後のトレーニングを終えた後、休憩を挟んだウマ娘たちは先だっての計画の通り、連れ立って合宿所から商店街へ向けて出発した。
都会にあるトレセン学園とは違い、片田舎の合宿所周辺には他の建物は何もない。海鳴りの聞こえる道は左右が雑木林で覆われ、時おり視界が開ければ梅林が青々とした夏の姿を並べていた。
田舎の一本道は車も走らず、通行人にも会わず、半ば土に埋もれかけたアスファルトが延々と続く。
気分転換がてらのジョギングは心地良い風に包まれ、いつもと違う風景はリフレッシュに一役買っていたが、相変わらずであったのはアグネスタキオンだった。
「ごく微量ながら、トレセン学園周辺よりも地磁気が弱まっているねぇ!ということは、宇宙から降り注ぐニュートリノが阻害されることなく地表に届き、トレーニングする我々の身体への変異をも促しているかもしれない!」
「えぇー!?そんなこと、あるんですかぁ!?」
持っていく必要はない、と諭された測定器をかざしながらジョギングするタキオンの言葉に、驚いた様子のアグネスデジタルが大仰な反応を示している。
大胆な仮説を述べ立てるタキオンではあったが、周囲の光景がのどかなものであることに変わりは無かった。エアシャカールが呆れ顔ながらも、訂正せずにはいられなかったらしく口を出す。
「ンなもん、影響するかよ。測定結果に差があるってのは、トレセン学園周辺の方が人工物が多かっただけだ。トレーニングへの影響なんて、誤差にも入らねェよ。」
「しかしだね、この結城トレーナーの所有する合宿所にて鍛錬を行ったウマ娘たちは、いずれも優秀なレース戦績を収めてきたのだろう?ならば、トレーニング効果を向上させる要因をこの土地に見出す事だって可能なのではないかい?」
「今年のクラシック級で活躍してるネオユニヴァースとゼンノロブロイは、別にここの合宿所に来たこともねーぞ。」
仮説を立てつづけるタキオンに対し、即座にあっさりと反論を示せるのもエアシャカールの回転の早い思考ゆえであった。
ジャングルポケットとタップダンスシチーは、ジョギングではありつつもお互い競うように前へ出ようとし続けた結果、他の面々よりかなり道の先へ進んでいる。
タキオンやカフェをこそ最大のライバルとしてジャングルポケットは認識していただろうが、なおも早々のデビューを決めたタップダンスシチーへの対抗心とて劣っていなかったのだろう。
これから向かう商店街へ行ったことの無いだろう両名が先へ先へと離れていく背を見送って、マンハッタンカフェが不安そうに口を開いた。
「あのおふたり、迷子にならないでしょうか……今は私たち、トレーナーさんたちから離れての行動ですし……。」
「迷うことはないよ、この道自体が結城トレーナーの合宿所に向かうためだけの私道だからね。ずっと一本道だ、それでも迷子になったのがメイショウドトウなんだけれど。」
後輩ウマ娘の不安そうな言葉を包み込むように、ナリタトップロードの朗らかな声が響く。
メイショウドトウが、道の側溝にハマりこんでいた野生のタヌキを助け出そうとして皆とはぐれた時のことは、アドマイヤベガも覚えていた。
「たしか、何度救出してもすぐにまた同じ溝にハマってしまうタヌキを前に、放っておけなくなったのよね、ドトウは。」
「そう、そう!それで皆で溝をこえた先の雑木林にまで帰しに行ってあげたんだよね、懐かしいな。」
あの当時はオペラオーも加え、ドトウ、トップロード、アドマイヤベガの4名であったが、現状は更に多く、そして賑やかな面々となっている。
ふんだんに陽射しの降り注ぐ中、時に騒がしく共に駆けていく後輩たちに囲まれていれば、4年前の夏に体験した不気味な記憶など片鱗も見出されないように感じられた。
そうであればこそ、ますますもって不安げなマンハッタンカフェの様子は、際立っていたのである。
マンハッタンカフェも、自分が抱いている不安の根源が単なる迷子の懸念だけではないことを、わざわざ伝えようとはしなかった。根拠を示せぬ不穏な予感を周囲に報せることが、顰蹙に繋がることを幾度も体験した彼女に染みついた習慣であった。
結局のところ往路においては何のアクシデントもなく、ウマ娘たちは軽く汗を拭いつつも食堂のある商店街へと到着した。
時刻は夕方に差し掛かろうとする頃、前もって聞いていた通りにシャッターを下ろしっぱなしの古い店舗が並ぶ中で、食堂だけが開いている。
ウマ娘たちの到着に備えて仕込みを続けていた調理師の太田は、賑わしい声々が近づいてきたのを聞いて、布巾で手を拭いながら顔をだした。
「あら、まぁ、こんなに早く到着するだなんて。合宿所から車でそこそこかかる距離だってのに、流石はウマ娘さんたちだねぇ。ちょっと待ってくださいな、お食事を出せるのはもうちょっとかかるから。」
「お構いなく……皆、張り切って走ってきたので、しばらく休憩させておきます。」
早くも食事の席に着いて、シャカールに対して相変わらず地磁気とトレーニング効果の仮説について語り続けているタキオンの姿や、脇からテキトーなツッコミを入れているタップを横目に見ながらアドマイヤベガは答える。
常に明るく賑やかな彼女らと一緒に居続けていれば、何も異変に巻き込まれることなどないだろう。
やがて食事が運ばれ、早めの夕食を開始したウマ娘たちは、洗い物もひと段落して傍の席に着いた調理師の太田との会話に花を咲かせ始める。
特に後輩ウマ娘たちにとっては、この場所に連れて来られるのも初めてであったため、中でもタキオンの好奇心が刺激されるのも当然であった。
「この商店街は、もう食堂以外に開いている店はないのかい?見たところ、近くに大型の店舗があるわけでもなさそうだがねぇ。」
「あぁ、別に店がつぶれたわけじゃなくってですね、歳を取って皆が自然とやめていった感じだねぇ。ここらじゃ、家電修理の爺さんが最後まで開けていたけど、5年前には店を畳んでますねぇ。」
タキオンの喋り方は、のんびりとした太田の喋り方にも似ており、口調の速さに差はあったものの同年代の女性が世間話を進めているかのごときものであった。
続いて口を開いたジャングルポケットとの会話の方が、むしろ祖母と孫のやりとりのように本来の年齢差に似つかわしかった。
「結構大きい商店街だったみたいだけどよ、もともとは割と人がいたんじゃねーか?」
「そりゃ、この田舎町じゃ唯一の商店街でしたもの。今頃の時間帯なら、買い物のお客さんで賑わってたもんだねぇ……今の、誰も人が居ない商店街の方が、まるで夢の中の光景のような気がしますよ。」
しみじみと語る太田の目は、遠い過去の景色を見ているかのようであったが、アドマイヤベガにとっては数年前の奇妙な体験を呼び起こす内容が語られていた。
食堂以外の店が悉く閉店しており、誰も居なかったはずの商店街。だが、ひとり帰ろうと足を進めるほどに、人通りは増え、商店街に活気が戻り、見たことも無い年代の横断幕がアーケードに翻り、やがて店員からも声を掛けられ……。
あの時の記憶が芋づる式に掘り起こされ、アドマイヤベガは軽く頭を横に振って、その記憶を遠ざけた。
「ごちそうさま。ちょっと、先に出てるわね。」
食事を手早く済ませていたアドマイヤベガは、一足先に席を立つ。
真っ先に反応したのは、ナリタトップロードであった。
「……先に帰るのかい、アヤベ?」
「いいえ、後輩たちを置いて勝手に帰るってワケにもいかないでしょう。ちょっと、あたりを見て回って来るだけ。数分で戻るから。」
そうアドマイヤベガが答えた理由は、口にした通りのものだけではなかった。
4年前は先に合宿所に帰ると告げて食堂を出たのだが、その先で怪異に巻き込まれたのだ。ところかまわず歌いまくっているオペラオーが居なければ、どの方向に戻れば皆と合流できるか分からなかったかもしれない。
まさか、あの幻覚めいた光景と同じものが再現されると信じているわけではなかったが、それでも自分が戻って来ると告げておかなければ不安にはちがいなかった。
トップロードの不安そうな視線は背に感じたものの、4年越しに同じ不安を抱え続けるわけにもいかないとアドマイヤベガは食堂を出る。
空には夕映えの色が濃くなりつつあったが、まだ明るい。慎重に周囲を見回したアドマイヤべガは、来た時の通りにシャッターが閉まったままとなっている商店街の光景を確認して、小さく溜息を吐いた。
紛うこと無き、現実の光景である。4年前の奇妙な体験の記憶は、やはり疲れか何かが原因で夢の内容と取り違えただけだったのだろう。
例の不穏な内容が示されていた掲示板も存在しないことを確かめるため、一歩踏み出しかけたアドマイヤベガの腕を、細く冷たい手が掴んだ。
「ヒッ……?」
「アドマイヤベガ先輩……驚かせて、すみません……ですが、行ってはいけません……。」
アドマイヤベガを引き留めたのは、マンハッタンカフェの手であった。アドマイヤベガが席を立った直後、彼女もまた黙ってついて来たのだろう。
この商店街の食堂で夕食を済ませようという提案をした時、アドマイヤベガ自身から頼まれた通りに。
「なにも、危ない場所はないわよ。この食堂の周りを、見てすぐ帰るだけだから。」
一瞬にして増大した不安を抑え、声の僅かな震えも無理矢理に留めながらアドマイヤベガは静かに返答する。
が、マンハッタンカフェは頑なに、手を離さなかった。その握る力の強さ、常の彼女に似つかわしくない強情さは、今の状況の深刻さをそのままに物語っていた。
「何を確かめようとなさっておいでなのか、私には分かりませんが……あちらの時代から、戻ってこれなくなります……今度こそ。」
存分に心当たりのある内容を、マンハッタンカフェの口が語る。目の前に見えているのは、相変わらずほぼ無人の商店街であったが。
アドマイヤベガは初めて振り返り、マンハッタンカフェの目を覗き込む。
見開かれたカフェの黄色い目の中で、何かが動いた。
それはマンハッタンカフェの目に映りこんで反射している、商店街の光景であった。
大勢の人が歩き回っていた。
夕方の買い物客が増える時間帯なのだろう、盛況の店はいずれも開かれ、店員たちが盛んに呼び込みを続けている。
カフェの目の中に映りこんだ人間の一人と、目が合った。
彼は見慣れない存在を訝し気に見つめるようにじっと視線を注ぎ、そして真っすぐこちらへ向かってくる……。
「お嬢ちゃん、この辺の子じゃないね。どうしたんだい、迷子か?」
マンハッタンカフェが、普段の彼女と同じウマ娘ではないかのごとき強引さでアドマイヤベガの腕を無理矢理に引っ張り、食堂の中へと連れ戻したのは、その瞬間のことであった。
まるで万力に挟まれたかのような強さで腕を握り締められていたアドマイヤベガだったが、痛さを感じている余裕は無かった。
ちょっとあたりを見て回って来る、と告げて出て行ったアドマイヤベガがすぐに引き返して来たことを驚くのではないかと思われたが、後輩ウマ娘たちは全く意外そうなそぶりを見せていなかった。
むしろ、アグネスタキオンが大声を上げて興奮した様子を示している方が目立っていた。
「カフェ!今、外で落雷でもあったのかい?たった今、瞬間的に地磁気の測定器の針が振り切れたんだ!こんな自然現象はまずお目にかからないよ、一体何が起きたのか……」
「アヤベ、何があったの?」
さしものタキオンも圧されたように黙り込むほど、ナリタトップロードの声は深刻そうな色を帯びていた。
そしてトップロードがそんな声を出すのも頷けるほどに、アドマイヤベガは蒼ざめ、顔じゅうから冷や汗を流していたのだ。
時計を見れば、時間はかなり経過していた。アドマイヤベガの認識では、食堂を出て数歩しか歩いていなかったはずであったのに。
彼女の手を引っぱって皆のもとへと戻ってきたマンハッタンカフェの黄色い目が、薄暗くなりつつある中で爛々と輝いていた。