探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 以前の夏合宿でも、アドマイヤベガが奇妙な現象に巻き込まれたことを覚えているトレーナーの面々は、無事にウマ娘たちが全員合宿所へと戻ってきた様に安堵しつつも、何らかの異変があった様については不安を拭い去り切れない。他のウマ娘たちもアドマイヤベガの気を遣い真相をなかなか公言しないなか、全くの遠慮も無く口を開くのはやはりアグネスタキオンであった。鷹木へと端々に脚色を含んだ内容を報告した後、アグネスタキオンは暗くなっていく屋外へと天体観測用の機器類を運び出す。かねてからの予定通りに公然と夜更かしする態勢を整えていた彼女であったが、観測の場に同行したのは当のアドマイヤベガであった。


薄暮にて天頂に輝く星は

 アドマイヤベガを連れ、後輩たちより一足先に合宿所まで戻ってきたナリタトップロードの表情を見ただけで、詳細な話を聞く前からトレーナー達は状況を半ば察していた。

 

 今年度からサブトレーナーとして指導に携わり始めたばかりのキングヘイローを除き、鷹木、片桐、桂崎、そして結城トレーナーは、4年前の夏合宿で起きたことを忘れられようはずもない。

 

 気遣わしくアドマイヤベガを部屋まで送り、戻ってきたトップロードへ尋ねた桂崎トレーナーは、自分たちの予感が外れてはいないことをすぐに知らされることとなる。

 

「何があったんだ?」

 

「……食事を終えた後、アヤベは一足先に食堂を出たんだ。別に、先に帰るつもりじゃなくて、ちょっと食堂の周囲を見て回りたいって言ってた。きっと、4年前に体験したことは、ただの気のせいだと確認したかったんだと思う。」

 

 むろん鷹木も含め、トレーナーたちはいずれも、アドマイヤベガが過去の夏合宿で体験した特異な現象を、本心から信じ込んでいたわけではない。

 

 きっと気のせいだ、疲労のために夢と現を取り違えたのだ……最も強く、そう信じていたかったのはアドマイヤベガであろう。

 

「それで……何事もなく、というわけにはいかなかったんだな?」

 

「私たちの目からは、特に異常なものが見えたわけじゃない。でも、明らかにアヤベの様子はおかしかったんだ。食堂から出てすぐ、入り口のガラス戸の外側でずっと立ち止まっていた。」

 

「スマホを弄っていたり、どこかへ通話していたりというわけではありませんのね?」

 

 キングヘイローも、トレーナーの一員として質問に加わり、トップロードは首を横に振って答えた。

 

 その現場を可能な限り正確に知ることはトレーナーとしての務めであったが、それにしてもイメージするにはかなり気味の悪い状況であった。桂崎が続けて尋ねる。

 

「ずっと立ち止まっていたというのは、どれくらいの間かな?」

 

「……20分ぐらいは、そのままだったと思う。後輩たちは皆、おしゃべりに夢中だったから気づいていなかったし、私も最初はアヤベが外の空気を吸ってノンビリしているのかなと思っていたけど……。」

 

「ドトウも時おり、ボーッとしていることはありましたが、しかし先ほど帰ってきた時のアドマイヤベガさんの蒼ざめようは、決してリラックスした雰囲気には見えませんでしたねぇ。」

 

 片桐なりに場の緊迫を緩めようとしたのか、今は引退しているメイショウドトウの話を引き合いに出す。たしかに、あのドトウであれば数十分程度ボンヤリし続けていても違和感はない。

 

 しかし、アドマイヤベガはただでさえ練習時間を無駄にすることを厭うウマ娘であったし、鷹木もトップロードに連れられて合宿所へ戻ってきたアドマイヤベガの表情が、ハッキリとこわばっている様は見ていた。

 

 トップロードは頷きながら、語り続ける。

 

「私が見た姿はガラス戸越しだったけれど、アヤベは目の前を、凄く真剣に見つめているようだった……見えていたのは、シャッターを下ろしっぱなしになった古い商店街の景色以外にないんだけれど。」

 

「アドマイヤベガと知り合って長いトップロードなら、彼女の振る舞いに真っ先に違和感を覚えてもおかしくない。その状態から引き戻したのも、トップロードが?」

 

「いや、私じゃない……マンハッタンカフェだよ。私は、ただ様子がおかしいと気づいただけだったけれど、カフェは、もっと緊迫した状況になっていると感じたらしい。」

 

 マンハッタンカフェの名が出た時、それまで話を聞きながらも腕組みして考え込む様子だった結城トレーナーは視線を上げた。

 

 常より、物理的には存在を認識できない者たちを“お友だち”と呼び、普通には関われない事物をも感じ取っているらしいマンハッタンカフェ。

 

 そんなカフェがトップロードに先んじて動いたというのは、今回の一件にて超常的な現象が関わっている不気味な可能性の示唆でもあった。

 

「マンハッタンカフェに手を引っぱられて食堂の中に戻ってきた時のアヤベは……完全に血の気が引いて、冷や汗で顔じゅうびっしょりだった。今は、かなり落ち着きを取り戻してるけど。」

 

「この合宿所へ戻ってきた時にもなお顔色が悪く見えましたけれど、その時はよっぽど不安な目に遭ったのでしょうね……他の子達も戻ってきたら、話を聞いてみましょうか。」

 

 肉体面のみならず、精神面においてもウマ娘の支えとなるべきトレーナー。その務めを全うすべくキングヘイローは提案をしたが、先輩トレーナー達の反応は微妙であった。

 

 トップロードも首を縦に振らぬ中、結城トレーナーだけがおもむろに口を開く。

 

「尋ねる相手は、きちんと選んだ方が良いだろうね。我々トレーナーまでもが不安がって尋ねているようだと見られては、ウマ娘たちに与える影響は良くないだろう。」

 

「その通り、ですわね。特に、今年度のデビューを控えている子達にとっては、大事な時期ですもの。」

 

 キングヘイローも頷いた。

 

 トレーナーとしてはウマ娘たちの内面に関わる物事を知ることが重要であるには違いなかったが、血眼になって問い質そうとしてはむしろ不安を煽る結果になりかねない。

 

「カフェ自身もアヤベの見た光景を体験しているだろうから無理に思い出させないほうがいいし、ジャングルポケットにも聞かないであげたほうがいいね。彼女、不気味な物事については苦手だから。」

 

 ナリタトップロードからの助言にも頷き、詳細を知り得ないトレーナー達の方針が固まりかけたところで、宵闇の迫る合宿所の玄関が俄かに賑わしくなる。

 

 おそらく、後輩ウマ娘たちを引率してきたアグネスデジタルが、タップダンスシチーと共に帰途にて明るい雰囲気を保てるよう心掛けたおかげだろう。

 

「ただいま戻りましたよー!涼しい夕暮れに走るのも、なかなかいいもんですねぇ、トレセン学園の周りじゃ夕方暗くなってからジョギングすることありませんから!」

 

「It's calm place、こんだけ田舎なら車が走ってくる心配もねーからな。さっきだって、わたしよりも速く走るものは全然見かけなかったし!なー、ポッケ。」

 

「うるせぇ、ただのジョギングでマジになって走ってるバカはお前ぐらいだよ。」

 

 アドマイヤベガに纏わる奇妙な出来事があったことを引きずることなく、皆談笑しながらの帰還となった。マンハッタンカフェも、笑顔こそ見せていなかったものの、表情はかなりほぐれている。

 

 この状態のウマ娘たちへ、食堂での食事後に何があったのかを尋ねて、わざわざ思い出させるような真似は確かに無粋であった。

 

 ……ウマ娘たちがトレーナー達へ全員無事に帰ってきた旨を報告し、汗を流しに浴場へ向かった後、独り鷹木の前に残っていたアグネスタキオンだけは、むしろ自ら話したくてたまらないらしかったが。

 

「どうやらトレーナーの面々は気を遣って、私たちが何を体験したのか尋ねまいとしているようだが、私には分かるよトレーナーくん。聞きたくてたまらないのだろう?いいとも、私が懇々と教え授けてあげようじゃないか。」

 

「いや、お前から話を聞いても、むしろ余計な憶測があれこれ含まれていそうで、逆に信憑性が薄れるんだが……。」

 

「失敬じゃないかトレーナーくん!仮説は断片的な事実を繋ぎ合わせ、むしろ聞き手の理解を助ける上で重要な役割を果たすものだよ、私はそこまで親切にお膳立てしたうえで情報提供してやると言っているんだよ!」

 

 担当トレーナーとしてはウマ娘が語りたがっている内容を無理に押し込める真似も出来ず、鷹木がそこからタキオンによる独自の解説を聞かされることを避けられるはずもなかった。

 

 タキオンが鷹木に対して伝えたのは、帰路にて仲間たちと語り合った内容とほぼ同じである。

 

 すなわち、アドマイヤベガは何らかの原因で、過去の賑わっていた商店街の姿を目の当たりにし、現実とは異なる光景の中へ意識ごと踏み込もうとしていたのだ、との仮説だ。

 

「実際のところ、アドマイヤベガ先輩とカフェが食堂の中へと引き返してくる直前、地磁気の測定器の針が一瞬振り切れたんだ!何がしかの現象により放出された磁場が、外に居た面々の認識能力へ大きな影響を及ぼした可能性がある!あぁ、咄嗟のことでなければきちんと記録していたのに!」

 

「タキオン、一旦落ち着いてくれ。まず、風呂掃除の時刻になる前に、シャワーで汗を流して来たほうがいい。今ここで、そんなトンデモ理論をまくし立てられても、俺にはちょっと理解が追いつかない。」

 

「何だい、これだけ丁寧に説明しているというのに理解できないのか?だが時間が必要であることには違いないねぇ、私が告げた内容をトレーナーくんが理解するための時間が。」

 

 いつも通りのタキオンの振る舞いとさして大差なかったが、鷹木は夏の焦熱によってタキオンが熱中症になりかけ、うわごとを口走っているのではないかとの懸念も抱きつつあった。

 

 何にせよ、時間を置くことについてはいくばくかの効果があった。

 

 カラスの行水のごとき短い入浴時間でサッサと浴室から出てきたタキオンは、彼女なりに落ち着きを取り戻したらしく、と同時に別の事物についての関心を思い起こしもしたらしい。

 

 出発前、アドマイヤベガによって取り上げられていた赤道儀と望遠鏡を収めたトランクケースを、彼女が部屋で休んでいるのを良いことに引っ張り出し、合宿所の玄関口で天体観測機材を組み立て始めていた。

 

 呆れ顔の鷹木が近くに寄ってきても、タキオンに悪びれる様子はない。

 

「お前な、アドマイヤベガから監視されないからって……。」

 

「別に問題は無いだろう、約束通りトレーナーくんによる補講はきっちりと受けたんだし、それにこれから夜になるのだから望遠鏡の組み立てを行うのに相応しい頃合いには違いないねぇ。」

 

「ちょっと俺も調べたんだが、タキオンが楽しみにしている大接近中の火星が地平線から上ってくるのは夜の10時過ぎだろ?まだまだ時間としては早すぎるじゃないか。」

 

 鷹木から思いもよらず具体的な反論が飛んできたことで、タキオンは望遠鏡組み立て作業の手をちょっと止めて視線を返す。

 

 彼女の目には、意外さと同時に僅かながらもトレーナーが自分の趣味への理解を示したことへの嬉しさが浮かんでいた。が、減らず口を叩く様については相変わらずであった。

 

「いいかい、望遠状態でも十分に明るい像を得るために、私は大口径の鏡筒を有する望遠鏡を用意してきている。鏡筒内外の温度に差があっては、空気の対流が起きてしまい、接眼部から得られる像が揺らいでしまうのさ。だからこそ、早い時間から機材の準備を始めるのは理にかなっているというわけだ。」

 

「そう……か。だが、火星が見えるようになる時刻までを無為に過ごすわけにもいかないだろう。それまで、英単語や古文単語の暗記練習を進めるぞ、秋学期までに済ませておくべきカリキュラムにも追いつくように。」

 

「何を言っているんだいトレーナーくん!既に天頂付近には夏の星座が輝き出している頃合いだ、天の川銀河中心方向には見ごたえのある星雲や星団がいくつもあるんだぞ、それを見ずして何のための天体望遠鏡だい?そもそも、勉強に必要な明るさで目を慣らしてしまっていては、微細な光量の星々を見つけることはかなわないじゃないか!」

 

 タキオンとしては至極当然な主張だったようだが、天体観測の経験など無い鷹木の言い分とは平行線をたどるばかりである。

 

 自分の担当ウマ娘が基礎講義の単位を取れず、秋からのデビューに間に合わないのではないかと恐ればかりが先走る鷹木は、まだまだタキオンと歩調が合っていないことを実感せざるを得なかった。

 

 春学期の終わり、早くも同級生のダンツフレームはデビュー戦へ挑んでいたというのに、タキオンは自らの置かれた状況に焦りを覚えないのだろうか……。

 

「タキオン、火星の南中時刻は午前2時過ぎになるわ。まさか、その時刻まで観測を粘り続けるつもり?」

 

 不意に合宿所建物の奥からスリッパの音と共に近づいて来たのは、アドマイヤベガの声であった。

 

 流石のタキオンも、部屋で安静にしているだろうと思われた彼女が唐突に姿を現したことに驚きを隠せぬ様子でありながら、どうにか表情は落ち着き払ったように作りつつ返答する。

 

「もちろんだとも、先輩も分かっているだろう?地平線近くの天体は、大気中の空気の揺らぎに強く影響を受けて、撮影には適さない。」

 

「そうね。あとは、あなたの担当トレーナーさんの判断を仰ぎましょうか。自分の担当ウマ娘が、深夜2時を越えて夜更かしを続けるつもりだと言ってることについて。」

 

 アドマイヤベガから投げかけられた視線は、既に常通りの彼女らしい鋭さを取り戻していた。

 

 先ほど食堂から帰る直前に彼女が何を経験したのか、タキオンによる解説だけでは鷹木は把握できていなかったが……好き勝手に振舞おうとするタキオンに対する張り合いが、アドマイヤベガの精神を自ら立ち直らせていたらしい。

 

 ともあれ、鷹木は返答を迷っている場合ではなかった。

 

「……ダメだ、タキオン。お前の担当トレーナーとして、そんな深夜まで起きていることは許可できない。今は身体を最も成長させなければならない時期なんだ、せめて日付が変わる前に寝ろ。」

 

「えぇー!?嫌だよ、今年の火星大接近は単なる接近ではないのだよ?地球と火星の軌道が最も近づく位置で発生しているんだ、実に5万7千年という途方もない周期でしか起きえない現象じゃないか、それを諦めろだなんて何と酷な話を!」

 

 相変わらず鷹木の知り得ない情報を次々と上げて渋るタキオンであったが、この場には同じく天体観測についての知識が豊富なアドマイヤベガも居た。

 

 たった今タキオンが口にした内容が、ゴネるためだけに並べ立てた内容……すなわち、今晩の天体観測を急ぐ理由には全くなっていないことは、すぐさま明らかとなった。

 

「タキオン、火星が最も地球へ接近するのは8月28日よ。現在の火星は秋の星座の近くに見えるのだから、合宿期間中なら8月の末のほうがより早い時間から見え始めるし、まだ7月の今よりも観測には適しているわ。」

 

「……流石に、アドマイヤベガ先輩にはかなわないねぇ……分かったよ、天体観測はそこそこに留めて寝るよ。」

 

 諦めたような声を出し、組み上げた天体望遠鏡を慎重に抱え、ますます暗くなりつつあるグラウンドへと出ていくタキオン。

 

 鷹木も手持無沙汰でありながら、タキオンを独りきりにして行動させることへの不安は大きく、すぐさま同行した。

 

 ……その更に背後から、芝地の上へ敷くためのビニルシートと寝袋を手にしたアドマイヤベガがついて来たのはますます意外であったが。

 

「アドマイヤベガ……?もしかして、タキオンに付き合うのか?」

 

「鷹木トレーナー、あなただけでタキオンを夜更かしさせずに寝室へ戻らせる指示が出来るとは、私は思っていない。それに、私自身も、今夜は気晴らしに星を見上げたい気分なの。」

 

 返答しながら、既にアドマイヤベガは天頂に輝き始めた一番星を見上げていた。

 

 まだ西の空には仄かに暮色の紅が残っていたが、夜を待たず、薄明りに星々の海が未だ浮かんでこぬ中でも、ベガは鮮烈な輝きであった。

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