探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 浮かれて天体観測の準備をしていたアグネスタキオンであったが、アドマイヤベガの方が天体観測についての知識や経験は上であった。珍しくタキオンよりも知識面で上回る先輩ウマ娘の存在を鷹木も頼もしく感じていたが、準備がひと段落したところでアドマイヤベガは自らに付きまとう不吉な予感の正体を述べる。それはいずれも憶測の域を出るものではなかったが、満天の星空の下では不思議と無用な不安に苛まれることはないのであった。


巡る星の中、惑星は赫然として

 アグネスタキオンは、天体観測用の機材をそろえて設置する上での知識は十分に備えていたが、実際に天体観測を行う際の備えについては場数のあるアドマイヤベガが上であった。

 

 懐中電灯の明かりで地面を照らして極軸に合わせた赤道儀の設置位置を調整しているタキオンの背後から、赤色の光を放つペンライトを差し出すアドマイヤベガ。

 

「こんなに明るい光で照らしてしまっては、暗さに目を慣らせないでしょう?赤い光なら、影響を抑えられるわ。」

 

「おぉ、ありがとう、アドマイヤベガ先輩!設置時にはやむを得ず灯りを点けて、観測時に消していれば良いと思っていたのだけれどねぇ。」

 

「天体観測中でも、光源は必要よ。歩き回る時に三脚や赤道儀とバッテリーを繋ぐコードに足を引っかけて転倒させる恐れもあるのだから。急に明るい光を目に入れないように、スマホも画面の明るさを最低限に設定しておいて。」

 

 実践的な指示を出しながら、てきぱきと準備を進めていくアドマイヤベガ。

 

 一方の鷹木は、とりあえずタキオンについて来たはいいものの、実際のところ何が必要とされるのか分からぬままにウロウロするばかりであった。一応、タキオンに提案した通り、英単語の暗記カード等はポケットに入れてきたものの。

 

 彼がそのような状況に陥ることも想定済みであったのか、アドマイヤベガから間もなく指示が飛んだ。

 

「鷹木トレーナーは合宿所から机と椅子を借りてきてもらえるかしら。」

 

「あ、あぁ、わかった。」

 

「まさかアドマイヤベガ先輩、私にこの暗さの中でも勉強しろというわけではあるまいね?」

 

 すかさず危惧の声を上げるタキオン。アドマイヤベガはそれ自体に対する明確な返答は与えず、タキオンが聞き入れざるを得ない説明だけを返した。

 

「星座早見表や、望遠鏡の接眼部から外したカメラ、アダプターの類を地面にそのまま置くわけにいかないでしょう。精密な器具の置き場として机は必要よ。」

 

「確かに、理にかなっている。トレーニングにおける実践練習と同じだねぇ、理論だけを準備しても万全には程遠いというわけか。」

 

「まだ万全ではないわ。数時間も立ちっぱなしで空を見上げていては体力も消耗するから、夜露を防いで座るためのシート、それから寝袋や首元を支えるネッククッションも持ってこないと。ほら、私以外にも数名分は用意してあるわ。」

 

 次々にバッグからふわふわの寝具やクッション類を取り出すアドマイヤベガ。合宿中の天体観測、数万年単位でしか発生しない火星の大接近を楽しみにしていたのは、アグネスタキオンだけではなかった。

 

 全ての準備が整った頃には、その場に腰を下ろして空を見上げるに最適な環境が出来上がっていた。アドマイヤベガは、時おりこうした天体観望を独りきりで行っているのだ。

 

「ほら、温かい紅茶も用意してきたから。長時間、夜の野外で座りこんで体温を消耗しては、翌朝に響くわ。」

 

「これはこれは何から何まで、先輩に用意してもらって済まないねぇ。私とトレーナーくんだけでは、こうも万全の備えにはならなかったろう。」

 

 夏でも気温の下がる夜間に備え、保温瓶から湯気の立つ紅茶をカップに注ぎ、タキオンと鷹木にも手渡すアドマイヤベガは、表情には出さぬまでも少なからず浮かれていたのだろう。

 

 夕方の食堂にて経験した異変のことを忘れ去ったわけではあるまいが、それでも早々と気力を取り戻したらしい彼女の様子に鷹木は一安心していた。

 

 4年前は、合宿期間中からしばらく引きずり続けていた様子であったが、その時と比べても明確な精神面での強さをアドマイヤベガは成長させていた。落ち着いた眼差しを星空へ向けている彼女とは対照的に、タキオンは早くも望遠鏡を覗き込んではしゃいでいる。

 

「やはり、この望遠鏡を選んで正解だった!はくちょう座ベータ星のアルビレオが明確に二重星として見えるよ!ではM13ヘルクレス座球状星団は……おぉ!ぼんやりした光の塊ではない、星々がくっきりと観測される!素晴らしい分解能だ!」

 

「ベガの名を関する私がいるというのに、こと座ではなく周囲の観測ばかりしてるのね。先輩に義理立てしないスタンス、気に入ったわ。」

 

 暗がりの中では明確にその表情を確認することは出来なかったが、アドマイヤベガは微笑んでいるものと思われた。

 

 天体望遠鏡に夢中になっているタキオンは、そのままあちらこちらへと望遠鏡を向け直し、時おり接眼部にアダプターを装着してカメラを接続し、撮影を試みている。天体観測というフレーズから想定されるノンビリとした雰囲気とは対照的に、せわしない振る舞いであった。

 

 鷹木は、もはや完全にタキオンから見向きされる期待もない英単語カードを手元で弄っているばかりであったが、隣の椅子に腰かけたアドマイヤベガから唐突にかけられた言葉によって、その仕草を止める。

 

「信じたくはなかったけれど、私の将来を定めた世界が、あるみたい。」

 

「……何の話だ……?」

 

 そういった内容は、たいていタキオンが口にするものであり、星を見上げるというロマンチックな趣味を持つ割には現実主義なアドマイヤベガが語るには全く似つかわしくない。

 

 まさか、アドマイヤベガが冗談を口にしたのか、あるいはいつも単独で行っている天体観測に仲間が増えたことで昂揚しているのか、と鷹木は彼女の顔を見る。

 

 変わらず暗がりの中であり、ハッキリと表情を読み取るには程遠い状況であったが……アドマイヤベガの両目は真剣な光を湛えていた。

 

「覚えている?オペラオーが居た時の、夏合宿。私が何を体験したのか、あいつに打ち明けたとき、鷹木トレーナー、あなたも居たわよね?」

 

「あ、あぁ、確かに覚えている。」

 

 鷹木はその内容を口にはしなかった。アドマイヤベガにとっては、決して積極的に思い出したくはない内容であると思われたためだ。

 

 アドマイヤベガの異様な体験の中で、古びた商店街は、知らぬ間に活気のあった時代の光景を取り戻していたらしい。街角には古い掲示板が立っており、そこに貼られた新聞記事の中で、アドマイヤベガは自分が間もなくレースを引退すると、不吉な予言めいた内容を目にした……。

 

「けれど、その通りにはならなかったじゃないか。長期休養が明けて無事にウマ娘レースに復帰できたし、今だってトップロードと並んで現役を続けてる。春の天皇賞でも、勝利を飾ったじゃないか。」

 

「えぇ、私自身、まだまだ引退する気は無い。既に悔いが無いほどの結果を残せたし、まだ走り続けて新たな勝利を得たいとも思っている。けれどね……。」

 

 アドマイヤベガは一旦言葉を区切り、これから語ろうとする内容の前で自らの言葉を小休止させようと、星空を見上げた。

 

 彼女のシルエットは、背後の星々が輝く夜空を切り抜くかのごとく一層黒々としていた。暗闇に目が慣れた鷹木が見上げるのは、いつしか目を瞠るほどの満天の星空となっていた。

 

「そこから先のことは、まだ乗り越えていない。」

 

「そこから先、って……その妙な新聞記事が書いていた、引退した後のことか?」

 

「……私は、引退した5年後に、命を落とすらしいの。急病のために。」

 

 

 

『99年ダービー馬、アドマイヤベガ急死。 29日早朝、99年日本ダービーを制したアドマイヤベガ(父サンデーサイレンス、母ベガ)が急死した。解剖の結果、死因は偶発性胃破裂であった。28日夕方ごろから疝痛の症状を訴え、緊急入院。しかし、既に手の施しようがなく、翌29日午前五時ごろ、関係者に見守られるように息を引き取った……』

 

 

 

 アドマイヤベガの声は震えていなかったが、その奇妙な記事の切り抜きを目にした経験から3年も過ぎた今になって、ようやく口に出来た内容である。

 

 鷹木は、しばらく返答できなかった。トレーナーたる立場とすれば、そのような内容もまた引退の予言同様に実現し得ないものであり、過剰に気にしすぎる必要など無い、と告げるべきところである。

 

 イタズラにしては質の悪すぎる内容であったが、だがイタズラであると断定できたほうがどれだけ良かったろう。

 

「今年の夏合宿で、もう一度以前と同じ場所に確認しに行って、何も起きなければそれでいい……って思っていたのだけれどね。」

 

 現に今日、アドマイヤベガはかつてと同じ現象を体験しかけた。

 

 例の不吉な予言は、気のせいでもなく、消え去ってもいなかった。

 

 咄嗟に動いたマンハッタンカフェの働きにより、その異様な空間へ入り込む寸前で引き戻されたらしいが。

 

「……なんで、そのことを、今ここで言ってくれたんだ……?」

 

「さぁ。私自身にも、よく分からないわ。星々が聞いてくれるところなら、怖くないって感じたのかしらね。」

 

 それだけ告げて、アドマイヤベガは椅子から腰を上げ、少し歩を進めてレジャーシートに寝転がった。

 

 相変わらず、鷹木は相応しい返答を口に出来ずじまいであった。身体に無理な負荷を掛けぬよう、結城トレーナーにも相談し、こまめに体の状態をチェックし、健康診断を定期的に受ける……ありきたりな対処を並べることしか、彼にはできそうになかった。

 

 寝転がって空を見上げるアドマイヤベガの目には、満天の星々がそのままに映っていた。都会の光の洪水の中では、決して見上げることの出来ない、恐ろしいほどの数で空を埋める星々。

 

 これまで当たり前のように就寝していた自分の頭上に、毎夜広がっていたのだと信じがたいほどの光景であった。

 

「オペラオー先輩は、アドマイヤベガ先輩のレース復帰を、強く望んだのだろう?だから、アドマイヤベガ先輩がそのまま引退する運命は退けられたのだと、私は考えるねぇ。」

 

 先ほどまで天体望遠鏡へかかりきりになっていたアグネスタキオンが、不意に口を開く。

 

 彼女が望遠鏡の接眼部を一生懸命に覗き込んでいる姿勢には変わりなかったが、タキオンの耳はしっかりとアドマイヤベガと鷹木の会話の方へ向けられていたらしい。

 

 しばらく間が空いて、アドマイヤベガも小さく返す。

 

「あのふざけた王様のおかげで私の選手生命が助かったって?だとしたら有難いけれど、なんだか癪にさわるわね。」

 

「だが、私の仮説に拠って考えればそうなるのさ!昨年度までのウマ娘レースにおける趨勢は、世紀末覇王が無敗記録を続けながらも好敵手たちと競い続け、そして遂には新世代の勇者によって破られる……まさに、オペラオー先輩の望むがままになったと、そうは見えないかい?鷹木トレーナー!」

 

「……言われてみれば、そうかもな……引っ張り回された身としては、たまったもんじゃなかったが。」

 

 その当時、鷹木も当然ながら担当トレーナーとしての尽力は惜しまなかったが、しかしテイエムオペラオーが打ち立てた戦績を思い返すほどに、自分の助力がいかほどの影響を有しているのか、甚だ自信を持てぬ思いを抱いてきた。

 

 オペラオーというウマ娘自身が、特異な能力を有していたのだと告げられれば、思わず首肯してしまいかねないほどの戦績であった。

 

「まさに特異点さ!仮に我々の生きるこの場所と、並行して存在する世界によって命運が定められていようとも、それを跳ねのけて己が望むが儘を為す、覇王が願った通りに勝利を、そして好敵手を得たと見ることは充分に出来るだろうねぇ!」

 

「私は、アイツの掌の上で動いてた気はさらさらないけれどね。私がレース場に復帰して、今も走っているのは、トレーニングで鍛えた自分自身のおかげよ。」

 

 アドマイヤベガは当然のこととばかりに冷静な意見を述べるが、アグネスタキオンはますます自らの中で仮説が固まってきたためか、興奮気味に喋り続けていた。

 

 その仮説を固めているのは、憶測ばかりを編み込んだ不確かな推論に過ぎなかったのだが。

 

「新たな世代においても、きっと特異点たるウマ娘は現れるさ!アドマイヤベガ先輩と競い合うことを願うウマ娘が、その中に居ないはずもない!だから心配など要らない、並行世界で発生した事実の通りになどならず、アドマイヤベガの名は再来年も、その次の年もレース場掲示板に現れるだろうねぇ!」

 

「心強い仮説を言ってくれるのは有難いけれど、流石にそこまで行けば引退させてもらいたいものね。」

 

 すげなくアドマイヤベガは返していたものの、僅かながらに彼女の声色には明るさが取り戻されていた。

 

 一方の鷹木は、初めてアグネスタキオンと出会った時から彼女が口にしていた“特異点”が何であるか、ようやく理解したような心持ちであった。

 

 もちろんトレーナーとしては、ウマ娘としての選手生命を左右するのはトレーニングによる身体能力の向上、そしてレース本番におけるコース取りやスタミナ配分の周到さであると信じてはいたが……ウマ娘として避けがたい命運が、好ましからぬものであることへの恐れは常に抱いていた。

 

 まさに現在の担当ウマ娘、ほかならぬアグネスタキオン自身が背負っているかもしれない命運である。

 

「タキオン……お前の足が抱えている不安も、跳ねのけるべき命運だろうか?」

 

「……。」

 

 望遠鏡を覗き込んでいるタキオンは返事をしなかったが、もちろん鷹木の言葉は聞こえているだろう。

 

 今まで見てきたウマ娘の中でも、特に華奢なタキオンの脚部。彼女自身が、ウマ娘レースでの選手生命が長くないであろうと重々承知していることも、これまでのやり取りで分かっている。

 

 ウマ娘としての命運を定める何がしかの要因を、捻じ曲げ得る“特異点”を探求する欲の根源は、アグネスタキオン自身が走り続けたいという思いにあるのではないか。

 

「少なくとも、俺はタキオンを長く活躍させたいと、そう願っている。」

 

「……そうかい。頼むよ、今後とも。」

 

 ようやく得られたタキオンからの返答は、素っ気ない声色であったが、常の彼女に似ず言葉少なであった。

 

 レジャーシートの上に寝転がっていたアドマイヤベガが、体を起こす。

 

 彼女は、南東の地平線近くをじっと見つめていた。つられて鷹木もそちらに視線を向け、常日頃から星空を見上げていない彼でさえも異様だと感じる星をそこに見出した。

 

 肉眼でもはっきりとわかるほど鮮やかに赤い光を放つ、ひときわ明るい星が昇ってきたところであった。

 

「えぇ……!?あんなに、赤く見えるもんなのか……?他の星は、ほぼ白色にしか見えないってのに……。」

 

「あれが火星。タキオンさん、あなたが一番楽しみにしていた火星、見えてるわよ。」

 

 当のアグネスタキオンが、大接近中の火星が地平線から姿を現したことに暫く気づいていなかったのは、鷹木から掛けられた言葉を前に平常心ではいられなかった証であろう。

 

 慌てたように手元の粗動ハンドルを動かし、天体望遠鏡を向けた彼女は、常通りに早口かつ長々とした喋り口調を取り戻していた。

 

「あぁ!まだ十分な高度まで上ってきていないために大気の揺らぎが影響してしまっているが、火星の南極の冠がくっきりと見えているねぇ!現在の火星はメムノニアからタルシスあたりの地域を地球に向けているころだ、すなわち太陽系最大のオリンポス山が見えているはずの頃だが、火星上にて発生する砂嵐、黄雲のためかボヤけてしまっているねぇ!もうすこし高度が上がれば、撮影を開始したい!」

 

 望遠鏡にかじりつくような姿勢のまま、まくし立てているタキオン。

 

 彼女が夜更かしし過ぎぬよう、途中で切り上げさせるのが鷹木の役目であったが、当の鷹木も異様なまでに強い輝きを放つ火星に目を奪われていた。

 

「思った以上に明るいし、ハッキリと赤いし……なんか、不気味だな……。」

 

「えぇ、しかも惑星だから、常に天球上を動き続けている。炎や血を連想させる色のために、歴史的には凶兆だとされていることが多いわね。」

 

「占星術など非科学的だが、巡る命運を破って己が道を進む、そんな星が今年になって現れたことは実に象徴的じゃないか。覇王は去ったが、またしてもウマ娘レース界に特異点があらわれることの予兆だと取ってもいい!」

 

 鷹木の呟きに、アドマイヤベガとアグネスタキオンが次々に返答を与える。

 

 夜空の一角を占拠して輝く火星の、その禍々しいまでの存在感は拭えるものではなかったが、アドマイヤベガへ与えられた不穏な予言も、アグネスタキオンの脚が抱える将来的な不安も、打ち崩すに足るほどには鮮烈な予兆には違いなかった。

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