同期の中でもいち早くレース本番の舞台にて輝きを放ちつつある、ダンツフレームの出走したききょうステークスの中継を見逃さなかったことに関しては、ジャングルポケットもタキオンたちと同様であった。
しかし、ジャングルポケットにとっては無名の未勝利バ戦もまた、同様に見逃せぬレースだった。タガノテイオーを始めとする、ジャングルポケットのデビュー戦にて二着以降となったウマ娘たちが、ききょうステークスの同日に再度のデビューに挑んだのだ。
世間からの注目は全く集めていない無名のウマ娘たちばかりが走るレースは、新米アナウンサーによる実況こそ付けどもテレビ中継は為されない。
練習場に居たジャングルポケットはリアルタイムで観戦すること叶わず、後ほどキングヘイロートレーナーに頼んで、トレセン学園のデータベースからレース動画を視聴することとなった。
慣れない手つきで、キングヘイローはトレーナー用の端末を操作している。
「えぇーと、このファイルにアクセスして……問題ないですわよね、トレーナー権限であれば映像データを引き出せるはずですもの。」
「ほぉー!トレセン学園のトレーナーになれば、いつでもウマ娘ちゃんが本気で走るキラキラを摂取できるんですねぇ!いずれ私も引退したらトレーナーに、いや、もちろん不純な動機で目指すことはありませんけれど!」
このところジャングルポケットに入れ込んでほぼ常に傍に居るアグネスデジタルが、端末画面を食い入るように見つめている。涎を垂らしそうな表情は、言い繕った内容とあまりにも食い違っていた。
アグネスの名を冠するウマ娘は変わり者しか居ないのか、と眉を顰めているジャングルポケットの視線の先、画面上には未勝利バ戦の様相が映し出される。
「見覚えのある連中ばかりだ。タガノテイオー、ダイイチダンヒル、メジロベイリー……あのデビュー戦で俺に負けた後、最速で再戦できるレースを皆選んだってことか。」
「かなりレベルの高いレースでしたもの、あの日だって、誰がデビューを決めてもおかしくありませんでした。」
キングヘイローの言葉に、ジャングルポケットは頷く。
勝利で飾ったデビュー戦、ジャングルポケットがゴールラインを超える瞬間に、クビ差まで迫ってきていたタガノテイオーの追い上げの凄まじさはしばらく忘れられそうもない。
タガノテイオーにとっては二戦目となる未勝利バ戦においても、1番人気は彼女のものであった。
画面の中でゲートが開き、一斉にウマ娘たちが飛び出していく。先ほどまで熱に浮かされたような目で画面内のウマ娘たちへ見惚れていたアグネスデジタルは、急速に目の色を真剣な物として口を開いた。
「スタート直後の時点で、もうポジション取りの上手さが違いますねぇー。というかジャングルポケットさんとデビュー戦を競ったお相手さんが、ほとんど上位を占めているではありませんか。」
「あぁ、辛うじて最ウチの枠からスタートした奴が二着に食い込んでるが、かなり無理をして加速したのが見える。あれは最終直線でバテるだろ、確実に。」
ジャングルポケットが視線を注ぐタガノテイオーは、初戦と同じく5番手、6番手あたりに陣取ってペースを抑えている。
出走者数は以前よりも更に増えて10名となっていたが、自らのペースを崩すことなくレースを運べるのは充分な練習量と、本番でも安定した冷静さを保てるウマ娘だけであった。
キングヘイローも、新米トレーナーとしての目を画面に注ぎ続けている。
「コーナーの攻略は……既に望む位置取りへと動けている子と、そうでない子の違いが顕著ですわね。身体能力が似通っていても、レース終盤の局面を見据えて動けているか否かは大きな差を生みます。」
「デビューしたばかりの、俺の目から見ても安定感が違いすぎんな。やっぱりアイツら、すぐに俺を追ってくる……。」
ひとつのレースで勝利することがレースウマ娘にとっての完結ではなく、全ては通過点に過ぎないこと、常に後進の者たちの存在を感じずにいられないこと。
早くもジャングルポケットは、自らの背を狙う者たちの視線を意識し始めていた。映像内では、早くも最終直線にて1番人気のタガノテイオーが抜け出している。
「ひょぉぉ、やっぱりあの子、タガノテイオーさん!ダントツで速いですねえ!このレースから参戦し始めた子達と比べても、まるきり走りが違うじゃありませんかぁ!」
大外から追い上げてきたタガノテイオーを先頭に、ダイイチダンヒル、メジロベイリーが人気度にて期待された通りの順でゴール板前を通過していく。
タガノテイオーは、2バ身の余裕をもっての勝利であった。
さらに結果が出てみれば、10名の出走者の中でも一着から六着がジャングルポケットとの初戦を競ったウマ娘たちで占められていた。かなりの大差が開いて、七着以降のウマ娘たちがスタミナを枯渇させきった様子でゴールしていく。
観客席から勝利を讃える声に応えて手を振りながらも、タガノテイオーは黒鹿毛の前髪の下に落ち着いた眼の色を覗かせている。
「気が抜けねぇな。タガノテイオー、確実に強くなるウマ娘だ。」
「ダイイチダンヒルさんも、メジロベイリーさんも、ですわね。しかし、いよいよハッキリいたしました、初戦からこの面々に勝てるジャングルポケットさんなら、十分に今月中のレースでも勝ちを狙えます。」
「今月中の……?って、今からレース登録間に合うのか?」
キングヘイローからの唐突な提案にジャングルポケットは多少なりと驚いたが、本番を経験できる機会は願ったりといったところである。緊張したり、戦慄いたりする思いはない。
むしろ、レース出走を表明するタイミングとして遅すぎるのではないか、との手続き上の心配の方がジャングルポケットの中では上回っている。
が、キングヘイローとしてはかねてより決めていたこととして頷いた。
「このデビュー戦で勝ったタガノテイオーさんも、この結果を踏まえて出走するでしょう。いずれ、年末のフューチュリティステークスや、ホープフルステークスの前哨戦としても出る予定ではありましたから……札幌ステークス、出走登録いたしましょう。」
その言葉を前にしてジャングルポケットの両目が見開かれ、そして不安を押しのけるように闘志の色が湧き上がった。
札幌ステークスは、重賞競走、GⅢレースである。大抵のウマ娘がデビュー後しばらくOP戦などを走っている中、デビュー戦の次からいきなりGⅢレースを走ることになるのは、将来的にGⅠウマ娘となり得る能力を認められたも同然である。
ジャングルポケットとしては、いよいよ本格的に強敵たちとの競走が待つ路線へ踏み込んでいくのだとの実感があった。傍で聞いていたアグネスデジタルも、むろんその選択が意味するところは理解している。
「ひょぉぉ!いよいよ現実的になってきましたねぇ、クラシック路線での活躍が!ジャングルポケットさんが、三冠バとなっている姿が目に浮かぶようですよぉ!」
「あぁ、本気のレースでも、勝ちを獲るのは俺だ。簡単なことじゃねーだろうけどな。」
既に走りを見せたダンツフレーム、そしてタガノテイオーらの存在は存分に意識へ刻みつけられていたが、それでもなおジャングルポケットの脳裏に大きな像を結ぶのは、マンハッタンカフェ、そしてアグネスタキオンの両名であった。
実戦を踏まえて着々と実力を鍛えているという自覚はあったが、カフェとタキオンの両名に勝てる図はなお浮かばなかったのだ。
当のアグネスタキオンは、同期のウマ娘たちが次々に実績を打ちたてている現状を意識してか、夏季以前のサボり癖が大幅に改善し鷹木トレーナーに多少なりと安堵を与えていた。
……大幅に改善したうえで、鷹木に断りもなくマンハッタンカフェを自分の練習場所にまで引っ張って来ることは度々続けていたが。
「タキオン、毎度同じ内容を尋ねることになって済まないんだが、マンハッタンカフェを担当している結城トレーナーにはきちんと話を通してあるんだな?」
「当たり前じゃないか、私がどうして無断で友を引きずってくるような真似をすると思うんだい?むろんカフェ自身からの了承も得ているさ、そうだろうカフェ?」
「……はい……。」
タキオンからの呼びかけに、カフェは低く沈んだ声色で返答する。
常よりマンハッタンカフェは低い声色が特徴的なウマ娘であったが、いつにも増して沈んだ雰囲気に思われる彼女を前にして、鷹木はますます疑惑の色を濃くした視線をタキオンへ向ける。
鷹木トレーナーが口を開く前からタキオンも彼の考えを察していたためか、先んじてタキオンの方が言葉を発した。
「トレーナーくん、違うんだ、この反応は私が無理矢理カフェを引きずってきたためではないんだ。このところカフェは、物思いに沈みがちな振る舞いを度々見せているらしくてねぇ。練習に支障が出てはいけないから、早いところ解消してやるべきだと結城トレーナーも言っているのさ。」
「本当だろうな……?」
「嘘をつく必要などないじゃないか、同じ結城トレーナーが担当しているアドマイヤベガ先輩やエアシャカール先輩に尋ねれば分かることなのだからねぇ。ひょっとすると、カフェは先輩たちがいない場所でしか打ち明けられない内容を秘めているのではないかと、そう考えて私は連れてきたのだよ。」
タキオンは自らの思惑を伏せていたのかもしれないが、カフェが居る目の前でそれを包み隠さず語った。
おそらくカフェの側もそれに気づいていただろうし、タキオンとしては煩わしい前置きは省けるに越したことはなかったのだろう。
マンハッタンカフェはしばらく俯いて言葉を選んでいた様子だったが、タキオンが口を噤んだと同時に喋りはじめる。
「アドマイヤベガ先輩に、とり憑いているお友だち……以前まではよく分からない存在でしたけれど、もしかすると、正体が掴めたかもしれません……。」
「確か、妹さんでもなかったんだよな?じゃあ、一体何者が……」
「トレーナーくん、口をはさむのを止めたまえ、カフェが言葉を紡ぐのを邪魔すべきではない。」
相変わらず安易な合いの手を入れがちな鷹木をタキオンが窘める。タキオンとしては、連れて来て早々に、自分も求める詳細をカフェが語り始める千載一遇の機会であった。
タキオンがカフェを自分のもとに連れて来たことには違いなくとも、カフェの相談相手として自分は認められていない……その事実に多少なりと鷹木は失意を覚えながらも、カフェの次の言葉を待つ。
「……夏合宿で、アドマイヤベガ先輩が経験した奇妙な出来事が起きた時……アドマイヤベガ先輩に、さまざまなお友だちが引き寄せられていたようでした。」
他のウマ娘も同じ場所に居合わせているにもかかわらず、毎度超常的な現象にはアドマイヤベガだけが巻き込まれている。
物理的には干渉し得ない存在を視認できるマンハッタンカフェが同行していた今年、ついにその謎の一端が明かされようとしていた。
「私も、アドマイヤベガ先輩のすぐ隣で、見ました……あの古い商店街が、かつての賑わいを見せ、掲示板にアドマイヤベガ先輩の名が記された新聞記事が貼られていたのを。」
鷹木は思わず声をあげかけ、タキオンから横目で鋭く視線で牽制されてどうにか自らの口を抑えた。
その内容は、あの夏合宿にて天体観測に参加していたタキオンと鷹木に対してしか、アドマイヤベガは語っていないはずである。
しかしマンハッタンカフェは、確かにアドマイヤベガを皆のもとに連れ戻した時、同じ光景を見ていたらしい。
「3年前、アドマイヤベガ先輩は引退しているはずだった。そして現在から2年後、アドマイヤベガ先輩は……急病で、命を……。」
それ以上は明確に言うことが出来ず、伏し目がちに語っていたマンハッタンカフェはますます深く俯いた。
タキオンがたびたび、鷹木が口をはさまぬように牽制していたことは利に働いた。しばらく続いた長い沈黙に、いつもの鷹木であれば耐え切れずに問いかけていただろう。
カフェが語ろうとしている本題、アドマイヤベガにとり憑いているモノの正体を。
急かすことなく待ち続ける聞き手に恵まれたおかげで、マンハッタンカフェは数分間の沈黙ののちに語り始めることが出来た。
「アドマイヤベガ先輩が引退していれば、その代わりにレースへ出走していたはずのウマ娘たち……彼女らの姿に似たお友だちが、アドマイヤベガ先輩にとり憑いています。レースごとに、異なる姿を見せるのは、常に同じウマ娘と一致するわけではないためでしょう……。」
「なるほど、語ってくれてありがとう、カフェ。私の仮説を加えれば、この世界とは異なる可能性を観測した世界におけるウマ娘が、アドマイヤベガ先輩に重なり合っている、と解釈しても良いかもしれないねぇ。まさに春の天皇賞など、別の可能性世界においてはアドマイヤベガ先輩の枠でマンハッタンカフェ、キミが走っていたということだろう!」
アグネスタキオンはいつも通りに突拍子もない仮説を併用して、独り納得していたが、鷹木はマンハッタンカフェからの説明を受けても相変わらずハッキリとは理解できていないままだった。
確かにアドマイヤベガは、クラシック級を走っていた3年前、引退の可能性も仄めかされるほどの故障を得て、長期休養に入った。
実際の引退に追い込まれなかったのは、アドマイヤベガ自身の努力と、彼女と共に競い合いたいと願うオペラオーやトップロード、ドトウらの思いが通じたものだと鷹木は考えていた。
しかし、タキオンが言うところの“異なる可能性”において、アドマイヤベガが引退していたとしたら?
それはすでに過去へと隔たった可能性であり、現実味を見出すことの難しい話であった。
「……すまない、せっかくカフェが喋ってくれたのに、俺には難しい話みたいだ。」
「分かっているさ、トレーナーくん。どうせキミには分からないだろう、その反応も予測の範疇だねぇ。」
タキオンは呆れもせず、至極真っ当な反応とばかりに鷹木をいつも通りの笑みとともに見やっている。
マンハッタンカフェの目に失望の色が浮かばなかったのも、鷹木としては救いであった。タキオンによってこの場へ連れてこられた彼女が期待していたのは、自分の考えを語りやすい状況であった。
アドマイヤベガ自身の前で語るよりは、タキオンや鷹木が聞き手となっているほうが、幾分かは語りやすかっただろう。
「すみません、私も、説明としては不十分かもしれません。私の解釈自体が、そもそも正しいのかどうか……それでも、他のトレーナーさんにもお伝え願いたいことがあります。」
鷹木が不甲斐なさそうな表情を浮かべていたことを、マンハッタンカフェも見て取ったのだろう。
トレーナーたる立場としては重要な……そして、鷹木には多少なりと過ぎた重責ともなる言葉を告げた。
「アドマイヤベガ先輩は、次、お友だちに連れていかれたら、もう、帰ってこれなくなります。身近にいる皆さんで、アドマイヤベガ先輩が、どこか遠い所に行こうとしていないか……気をつけておく必要があります。」