世間の注目を集めているネオユニヴァースが出走予定の神戸新聞杯、すなわち菊花賞のトライアル競争は月末に迫っていた。
が、ジャングルポケットにとっての最初の大舞台はその5日前である。札幌ステークス、URA主催、中央ウマ娘レースの重賞競走に、デビューした同月はやくも参加するのだ。
競争相手達は同じくトレセン学園1年目のウマ娘たち、夏季から初秋にかけての時期に早々とデビュー戦を済ませた、優秀な選手たちばかりである。
「やっぱタガノテイオーも来てんのか……ま当然だな。あの勝ち方が出来るんなら、このレースでも上に来やがるだろ。」
「また、あなた以上に注目を集めるかもしれませんわね、タガノテイオーさん。」
本番前日に札幌へ向かう道中、ジャングルポケットは今や専属のトレーナーとなったキングヘイローと共に出走者リストに目を通していた。
GⅠクラスのウマ娘ならば遠征の現地にて十分な調整や練習の時間、場所を取ることもできるが、デビュー間もないトレセン学園1年目のウマ娘はそうそうたっぷりと調整時間を取ることも出来ない。
せいぜい前日に現地入りし、他のウマ娘も使う練習場所にて限られたトレーニングを行うのが精いっぱいである。とはいえ競争相手達もまた同じ条件でレースに参加することに変わりはない。
ゆえに、本番前までの情報収集もまたレースの勝敗に大きく関わる前準備の一環であった。
キングヘイローは出走者リストの中の1名、テイエムオオシオの戦績をタブレット画面に表示する。
「しかし、おそらく最も注目を浴びるのはこの子でしょう。8月に入って間もなくデビュー戦を1位で通過、更に次のレースでは二着と6バ身もの差をつけて、飛び抜けた能力を示していますもの。」
「テイエムオオシオ、って奴か。気にはしておかねーとな。」
タブレット画面内に表示されるテイエムオオシオのレース成績、そしてレース動画の中では、先行の位置につき続けて最終直線で華麗に他のウマ娘を抜き去る、見事な足並みが披露されていた。
先行策は逃げウマ娘のペースに乱されるリスク、そして先頭集団に囲まれるリスクも抱えた、難しいポジションである。
その作戦で危なげない勝利を見せるテイエムオオシオは、追い込みの作戦を得意とするジャングルポケットにとって警戒すべき相手に違いない。
何よりも、その名は昨年引退した世紀末覇王、テイエムオペラオーの存在を否応なしに思い起こさせた……ウマ娘の冠名は別に血のつながりを示すことはなく、テイエムオオシオはオペラオーとの血縁など無いだろうが。
「先行策のウマ娘を警戒しなければならない要因は、コースにもありますわね。札幌レース場は一周が約1650m、小回りで、直線部分も短いコースとなっていますもの。」
「分かってる、事前練習だって何度も何度も繰り返したんだ。芝1800mの札幌ステークスでも、きっちりコーナー4つ回ることになるからな。」
短い直線、コーナーが多くを占めるコース。ジャングルポケットが予定している追い込み策は、かなりシビアなペース配分と位置取りが求められる。
現地に到着してからの練習は時間も場所も限られているだけに、その練習は可能な限りトレセン学園内で行う他に無かった。その点、一周が短いコースを想定してのトレーニングは、共同練習で用いるグラウンド内で完結する点が救いであった。
ジャングルポケットが発った翌日のトレセン学園においても、アグネスタキオンは春学期とは打って変わってトレーニングに打ち込む姿を見せていた。
自分と同じく今年入学したタップダンスシチー、ダンツフレームにジャングルポケットらが次々とデビューを決め、さらにはGⅢレースにまで出走している現状、さすがのタキオンも危機感を抱きつつあるのだろうと鷹木は考えていた。
が、今まさに目の前で、走行フォームの確認のため走っていたタキオンは予告なくコースを外れ、スタスタと歩いて戻ってきたため、その認識は即刻改めざるを得なかった。
要するに、タキオンはトレーニングを勝手に中断したのだ。
「タキオン、直線からコーナーへ入る際の踏み出し方が、以前とあまり変わっていなかったんだが……なんで途中でやめたんだ。」
「トレーナーくんの中では優先事項として認識されていないのかい?今日はジャングルポケットくんが札幌ステークスに出走するんだから、そろそろ中継番組を観戦する準備を始めなければならないじゃないか。」
「それぐらい忘れていない、発走時刻は15時35分だ。まだあと5分はあるぞ。」
「今さらトレーニングを再開し、戻って来る間に5分間など楽々過ぎ去ってしまうねぇ。先に観戦準備を進めさせてもらうよ。」
給水ドリンクを口にしながらスタスタと去っていくタキオンに対し、鷹木は言い返すために開きかけた口を閉じた。
今から練習コースを一周回って戻ってくれば、汗を拭きつつも札幌ステークスの観戦に間に合うじゃないか……が、その程度の内容、アグネスタキオンの思考内にも既に浮かんでいるだろう。
彼女が気づいていないはずもないことを、わざわざ口にして引き留める振る舞いは、今後タキオンを担当し続けるにおいてあまりに無為であると鷹木自身も理解しつつあった。
トレーニング室の隅、ベンチにゆったりと腰掛けているタキオンの前でテレビ画面をつければ、既にパドックでの紹介は終わっていた。
「1番人気はテイエムオオシオか。ひとつ前のレースでは6バ身差での勝利を見せつけたウマ娘だ、妥当な評価だな。」
「ジャングルポケットくんの能力も評価されていないわけではないが、5番人気とはね。コースが小回りな札幌レース場でポッケくんの追い込み作戦が機能するかどうか不確かだからねぇ。」
鷹木トレーナー同様、レース場のデータが既に頭に入っているアグネスタキオンも頷きながら返答する。
出走者数は、13名。ジャングルポケットは、8名程度で走っていたデビュー戦よりも更に多くのライバルたちに取り囲まれながら、走ることになる。
ゲートインが進んでいく中、ほぼ真ん中の7枠に収まっているジャングルポケットは既に左右を挟まれた状態でのスタートとなった。
〈13名、ゲートインが終わります。今年のトレセン学園1年目ウマ娘たち、夏デビューからの節目となるレースが間もなく始まります……スタートしました!揃って飛び出しました、好スタートを見せたのはダテノバサラ、出を窺いますが外からマイネルボルテクス行きました、しかし並んでジャングルポケット、ウチからはテイエムオオシオも速度を抑えず一気にハナへと進んでいます!〉
ジャングルポケットのスタート直後の走りは、大方の予想を裏切るペースとなった。
追い込みの作戦であることに変わりはなかったろうが、それでもジャングルポケットは一気に加速し、先頭の逃げウマ娘にほぼ並びかけるほどに前へと出ている。
「揺さぶりをかけたのかねぇ、逃げウマ娘に思い通りのペースを作らせはしない、とばかりに。」
「それもあるだろうが、やはり直線の短さを考慮してでもあるだろう。どれだけ追い込みを得意としていても、コーナーに入る前、そしてコーナーを抜け出す際に良い位置についていないと前のウマ娘を差しきれない。」
アグネスタキオンの言葉に、鷹木は補足を入れる。こういった時、ようやく鷹木はトレーナーらしい立場を示せるのであった。
中継画面の中では、早くも最初のコーナーに差し掛かっていくウマ娘たちの姿がある。
想定以上のペースで最初から仕掛けてきたジャングルポケットに慌てるように、逃げ、先行のウマ娘たちは前方に殺到し、5名近くが横並びとなって集団先頭に固まっていた。
〈先頭はマイネルボルテクス僅かにリードか、しかしコーナーワークでテイエムオオシオが一気に前へと出ていきました現在1番手。2番手にダテノバサラ、3番手にマイネルボルテクスが続いています。早くも2コーナーを回っていきます、ジーティーチャンプは4番手、そのウチにはジャングルポケットが控えて現在5番手といった形です。〉
直線が短く、コース構成の中でもコーナーの比率が大きい札幌レース場。
当然ながら、走る位置がコーナーの外側となればなるほど、余計に長い距離を走らされる羽目になる。
「ほう!テイエムオオシオ、そしてジャングルポケットくんはきっちりとコーナーのウチ側に入っているねぇ!」
「コース取りを意識しての練習が、ここで見える形になったな。あとは、先頭の位置についているテイエムオオシオはいいとして、前方を塞がれてウチ側に押し込められたジャングルポケットが抜け出せるかどうか、だが。」
トレセン学園に入る前から、コーナリングでの位置取りに関しては卓越した技術を有していたジャングルポケット。コーナーのウチ側を小回りに進めているのは良いものの、完全に囲まれ、身動きの取れない位置である。
彼女の背後には、タガノテイオーの姿があった。こちらは若干コーナーの外側を回っていたが、ルートを塞がれることなく、いつでも前方へ抜け出せる位置取りとなっていた。
〈先頭ではテイエムオオシオが飛ばしています、3バ身のリードを取って向こう正面へと入ります。中団グループにはセンターベンセールが先団を追う形、その外にメイショウドウサンがつけて半バ身差のウチ側にスキャンボーイ、続くタガノテイオーが中団の後ろにつけました。こちらは外側につけていつでも前へと出られる位置であります、残り800となりました。〉
300mに満たない直線を抜ければ、すぐにコーナーへと入る。
コースの外側につけた面々はじわじわと上がる準備を進めていたが、ジャングルポケットはほとんど位置を変えていない。
「5番人気とはいえ、しっかりとライバルたちからはマークされているのかねぇ。ポッケくんの追い込み、確かに警戒に値するものだから。」
「スタート直後の動きも関係あるだろう。ジャングルポケットに合わせて慌てて加速させられた逃げウマ娘は相応にスタミナを消費したはずだ。」
すなわち、現時点で競争相手達から最も警戒されている存在は、スタート直後に自分が有利となるペースを作り出し、その後コーナーの最ウチを進み続けてスタミナを温存しているジャングルポケットに他ならない。
デビューしてようやく2戦目といったところで、早くもライバルたちに取り囲まれマークされている姿は、ジャングルポケットというウマ娘が十分な強さを宿している証明のようでもあった。
〈テイエムオオシオが変わらずペースを作って1バ身のリード、これから3コーナーへと入っていきます。テイエムオオシオ、後続を引き離しにかかりますが、ジーティーチャンプが早めに動いて4番手から現在2番手にまで上がってきました。外からはタガノテイオー、あるいはメイショウドウサンが差を詰めて、2番手集団は混戦となっております!〉
直線が短いことは、他のウマ娘たちも共通して意識しているところだろう。
コーナーを抜けたところで、先頭から引き離されていては、ゴール板の前を駆け抜けるまでに追いつくだけの距離などない。
「そりゃあ、皆、焦るだろうねぇ。あんなにも前方に固まって……。」
「ジャングルポケットは、相変わらずコースのウチ側に押し込められたまま、身動きが取れないか。だが……。」
直線が短く、コーナーの比率が大きいということは、コーナー外側を走るほど距離も長く、スタミナ消費も多くなるということ。
先頭には、3名から4名のウマ娘が横並びとなっていた。他の競争相手と競り合い、衝突せぬように神経を使いながらも前に出ようと足を急かせるのは、相応の消耗を強いる振る舞いであった。
〈4コーナーを回っていきます、マイネルコンシャスも最後尾から一気に上がってきたが、ウチをついてジャングルポケットが徐々に盛り返して来た!しかし先頭集団は混戦模様、激しい争いになっております!後方待機のトーセングローリーも大外から上がってきて、直線を向きました!〉
ジャングルポケットは、抜け出すルートを冷静に見極めていた。
それは正確な予測のおかげでもあった。タガノテイオーは集団から抜け出して勝利するという実績をデビュー戦にて見せつけている。
すなわち、前方を塞ぐライバルたちの中でも、タガノテイオーが真っ先に抜け出していくことはほぼ必然であった。その軌跡に、ジャングルポケットの活路はあった。
「タガノテイオーの抜けた隙間に、前へ出るルートを見出したようだねぇ!上手いじゃないか、ポッケくん!」
「あぁ、抜けたか、これはジャングルポケットが勝つか……!」
鷹木も、仮にジャングルポケットと自分の担当ウマ娘を競わせているトレーナーであれば、ジャングルポケットがブロックから抜け出た瞬間、敗北を確信しただろう。
前方を塞がれていたはずのジャングルポケットが、一瞬の隙を突いてバ群から抜け出た時……ジャングルポケットと並んでいたウマ娘や、その背後に居たウマ娘たちは、多少蒼ざめたようでもあった。
追い込みを得意とするジャングルポケットが、十分なスタミナをここまで温存できていたことは明白だったのだ。
〈さぁ粘っている、粘っているテイエムオオシオ!先頭はテイエムオオシオ、しかし外から上がってきたタガノテイオー並びかける、残り200を切った、タガノテイオー先頭か、タガノテイオー先頭に変わった……外からジャングルポケット!3番手から、2番手、一気にとらえた!何という加速、何という末脚だ!先頭はジャングルポケット!ジャングルポケット、先頭でゴールイン!〉
そのゴール前の攻防で、ジャングルポケットは札幌レース場に詰めかけた観客たちをすっかり魅了しきってしまったようであった。
最終直線に向いてからゴールまでの270mの距離で、集団から抜け出したジャングルポケットは5番手付近からあっという間に先頭へと抜け出し、トップスピードまで加速しきってゴール前を駆け抜けたのだから。
大歓声の中、拳を突き上げて大きく口を開けているジャングルポケット。
おそらく勝利の雄叫びを上げているのだろう、デビュー戦の次にGⅢレースで一着を獲ったことは、ジャングルポケット自身が着実な成長を実感する快挙であることに違いなかった。
タキオンも画面前から立ち上がりながら、ペチペチと小さく拍手をしながら口を開いた。
「いやはや、器用な走り方をするウマ娘だとは思っていたが、あの一瞬で前へ抜け出るコースを見極めるとはねぇ!ジャングルポケットくん、身につけた技巧はほぼ完成の域に達しているようだ!」
「無邪気に褒めている場合じゃないぞ、タキオン。ボヤボヤしていたら、ジャングルポケットのライバルとしてすらレースの舞台に立てなくなってしまう。」
言われるまでもない、と言外にタキオンは背を向けて、練習場へと去っていく。
鷹木もテレビ画面の中継番組を切り、タキオンのあとを追った。さしものアグネスタキオンも、本番レースの熱気を目の当たりにすれば、自身の中で走ることへの熱が湧き上がってくるものらしい。
その興奮ついでか、いつもならばわざわざ口にしないようなことを、タキオンは練習準備を進める鷹木の傍らでポツリと呟いた。
「しかし、あれで完成だねぇ、ジャングルポケットくんの走りの技は。」
「あぁ、夏合宿の間も練習に打ち込み続けた、ジャングルポケットの努力の結晶だ。少しは、先を越されてることに焦りを覚えたか?」
「素晴らしい努力だとは思うが、私なら勝てるねぇ。」
鷹木は、アグネスタキオンが自分自身の能力に対し言及することを、初めて聞いたような気がした。
いつもいつも、自分以外のウマ娘を応援し、自分以外のウマ娘が活躍することへ最たる期待を向けているアグネスタキオン。しかしタキオン自身が走ることについては、まるで触れないのが通例であった。
思わず視線を向けた鷹木は、アグネスタキオンの独特なノイズの走ったような目のうちに、ハッキリと熱が湧き上がりつつある様を見たのだった。