探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 同期のウマ娘たちが続々とデビューし、レースの舞台で活躍を始めている一方、アグネスタキオンは未だデビューの目途が立たぬ状況が続いていた。言うまでもなく、脚に抱える不安、他のウマ娘よりも蓄積する負担に起因する故障のリスクが高いためである。鷹木トレーナーは、故障しづらい脚づくりを最優先でトレーニング指導を行っていたが、光明が見えぬことに変わりはない。同期のダンツフレームが本番の舞台にたつある日のこと、彼はタキオンへ一つの決断を打ち明ける。


後を追わば険を伴う

 ネオユニヴァースが神戸新聞杯において、不利と見られた状況を覆す劇的な勝利を飾ったことは当然ながら世間を暫く賑わせている。

 

 が、鷹木にとって、そして担当ウマ娘のアグネスタキオンにとって、無視できないレースはその神戸新聞杯の2日後に行われていた。ジャングルポケットの札幌ステークスといい、この時期は注目すべきレースが集中している。

 

「ダンツフレームが、野路菊ステークスに出走する日だよ?トレーナーくん。」

 

「分かってる。」

 

「ダンツフレームが、野路菊ステークスに出走する日だよ?トレーナーくん。」

 

「ちゃんと聞いているから繰り返さなくていい、戻ってきたらきちんと中継を見られるように準備しておくから、練習コースをもう一周してくるんだ。」

 

 通例に倣い、他のウマ娘の出走するレースに関しては並みならぬ興味を示し、練習からも気が抜けつつあるアグネスタキオン。

 

 以前ならば中継観戦の画面前に座りこんでテコでも動かなくなっただろうが、鷹木の指示通りに再度練習コースへと戻っていった点については成長が見られた。

 

 しかし……タキオンに約束した通り、中継番組を画面に映す準備をしながらも、練習コースのコーナーを回っていくタキオンの足取りへ視線を注ぎながら、鷹木の表情は晴れぬままであった。

 

「また、直線からコーナーへと入った時の脚運びが、切り替わっていない……充分に速いが、そのままじゃいけないんだ、タキオン。」

 

 人間の陸上競技よりも、はるかにスピードの出るウマ娘レースにおいては、直線での走り方とコーナーでの走り方は明確に切り替えるべき、という考え方が一般的である。

 

 具体的には、コーナー外側の脚で後ろへと蹴り出す力を得て、コーナー内側の脚を前に出すように進めていく。左右の脚の蹴り出す力を上手く調整できなければ、遠心力でコーナーの外側に振られてしまう。

 

 そうなれば、大回りで余計に長くコーナーを走る羽目になり、また脚に蓄積する負荷も増えてしまう。

 

 むろん大外から追い込む作戦を採る場合は、あえてスピードに乗ってコーナー外側に出ることもあるが……タキオンの場合は、別な危険性も抱かれていた。

 

「踏み出す脚を切り替えずにコーナーを走れているのは、今の体つきだから出来ていることだ。長く活躍するためには、今後もっと筋肉をつけないと。」

 

 現在のタキオンの体つきは、夏合宿の時にエアシャカールから指摘された通り、非常に華奢なシルエットのままであった。

 

 体重が軽ければ、ウマ娘の脚力をもって、いちいち脚運びを切り替えずとも十分に遠心力を制御することは可能になる。直線とコーナーでの走り方を切り替える必要がなければ、加速もスピード維持も更に容易になる。

 

 トレセン学園に入るまでのタキオンは、その理論を以て自らの走りを磨いてきたのだろう。

 

 実際、今年入学してきたウマ娘たちの中ではマンハッタンカフェに並んで最速クラスの能力であったが、同時に長く活躍できない、脆い脚であることもタキオンは既に自覚していた。

 

「合宿の中でも、おとといの神戸新聞杯の観戦前も、伝えたじゃないか。故障しにくい脚を作るため、練習を続けてもらっているって……。」

 

 凝視する鷹木の視界の中、アグネスタキオンは練習コースの向こう正面を駆け抜けて再びコーナーへと入っていく。

 

 僅かながらではあるが、コーナーに入る直前のタキオンは踏み出す脚を躊躇させる瞬間を迎えるようであった。しかし、結局はこれまで慣れきった脚運びに戻っている。

 

 脚運びの切り替えを試みることは今のところ、単なるタイムロスにしかなっていない。

 

 本気の走りではなく、あくまで脚運びを練習するために速度は抑えていたが、それでもウマ娘の本性が、より速度を維持しやすい走り方を選択しているようでもあった。

 

「映像教材の内容もタキオンは理解しているし、走り方を矯正するためのトレーニングも繰り返している。それでもタキオンの走りに定着しないというのは……俺の指導自体が、タキオンの意識に食い込むものではない、ということか?」

 

 一昨日、鷹木を神戸新聞杯の中継観戦の場に呼び出した結城トレーナーからの言葉が、ずっと頭の中を巡り続けている。

 

 担当ウマ娘のことを信じているのか?

 

 そう問いかけられた時に、鷹木の思考に上がってきたのはタキオンの突飛な言動や理屈についての感想ばかりであったが、結城トレーナーが言わんとしていた内容とはズレていたことに、今さら鷹木は気づいていた。

 

 アグネスタキオンが今の走り方を続けていては、いずれ華奢な脚に蓄積した負荷が限界を迎え、早々に彼女はレースを続けられなくなる。

 

 自明の理ではあったが、タキオンほどの頭脳の持ち主が、鷹木トレーナーに出会う前から、トレセン学園に入る前から、そのリスクに気づいていなかったはずもない。

 

 そして、ウマ娘にとって、自分が走れなくなること以上に、耐えがたい運命も無い。

 

「タキオンは、理屈を拒否する性格じゃない。ウマ娘レースの、選手生命が絶たれる可能性を背負ってでもなお、今の走り方を彼女が選んでいるということは……。」

 

 たびたび、タキオンが口にし続けていたフレーズ、“特異点”。

 

 そのフレーズは鷹木にとって現時点でもなお、単に顕著な戦績を残したウマ娘をさす言葉、程度の認識でしかなかった。タキオンに説明させれば、こことは違う、別の可能性世界に干渉され得ない云々……とややこしい理論を持ち出すことだろう。

 

 とはいえ、現時点での鷹木の理解力でも、タキオンがその“特異点”なるウマ娘に憧れ、そして自らそうなりたいと願うことに違和は見出さなかった。

 

 長く活躍し、しかし平凡なレース戦績を残すウマ娘ではなく、URAの歴史に強烈な輝きを刻み込み得るウマ娘。

 

 どれだけ理屈をのみこんでいても、アグネスタキオンは後者の姿にこそウマ娘としての意義を見出すだろう。

 

 練習コースを一周して戻ってきたタキオンは、相変わらず鷹木が浮かぬ表情で考え込んでいる様を見て、軽い調子での謝罪を投げかけた。

 

「いやはやすまない、頭では理解しているのだよ、直線からコーナーへと走りを切り替えねば、と。しかし今見ての通り、やはり速度は落ちる。新たな理論を実践へ移すには相応の段階というものがだね……」

 

 これは初めて、タキオンが鷹木の胸中を見透かすことに失敗した瞬間であった。

 

「タキオン。いっそ、今の走り方のまま、極限を目指してみるか?」

 

「へ……?」

 

 鷹木が、タキオンの完全に虚を突かれた表情を目の当たりにしたのも、初めてのことだった。

 

 担当ウマ娘から故障のリスクを遠ざけることは、担当トレーナーとしての当然の務めである。しかし鷹木は、そのリスクが高いことを知ったうえで、タキオンの望む走り方を続けさせようと決断しかけていた。

 

「一昨日、タキオンから問われた時、長く活躍を続けることについては俺も約束すると伝えた。故障しにくい脚を作るため、筋力を鍛え、走り方を修正するトレーニングを続けてもらうと。」

 

「……あぁ、まさに今日もやっている通りに、だねぇ。トレーナーくんの理論は誤りではない、私も分かっているさ。」

 

「けれど俺は、タキオンがレースで勝つことについては、一度も約束していなかった。」

 

 アグネスタキオンのもとから有する能力があまりに飛び抜けている故の、思考の陥穽であった。

 

 これまで鷹木が実施しつづけてきた指導の方針は、タキオンが競争相手より速く走ることではなく、脚を故障させないために制動を掛けることばかりだった。

 

 当然、アグネスタキオン自身も現時点で十分な能力を有している自覚はあっただろうが……それでも、自分に最も近しい担当トレーナーが、今までの走りを抑えることばかり口にする現状は、無意識化にて受け入れがたかったのではないか。

 

 戸惑いの色はアグネスタキオンの眼の中から去っていなかったが、確かに彼女の表情にはこれまでにない明るさが戻ってきたようでもあった。

 

「遠慮なく走れと言われれば、私も喜んで実行するけれどねぇ……しかし、それだけであれば、トレーナーくんの存在意義が薄れてしまうねぇ。何しろ、今まで通りの走り方を続けるだけであれば、私ひとりで十分に可能なのだから。」

 

「分かってる、タキオンの脚に負荷が蓄積しすぎないように、俺も手を尽くす。」

 

 アグネスタキオンの望むままに全力で走らせて勝利を獲り、同時に早期の引退とならぬよう故障を回避するための模索を続ける。

 

 トレーナーがウマ娘と交わす約束は、一つだけとは限らない。それらが根本的に相反する性質のものであるにせよ、鷹木はタキオンに対し二つの約束を結ぶこととなった。

 

「……そして眼前に迫る約束をも忘れてもらっては困るねぇ、ダンツフレームくんの野路菊ステークス、私は見逃したくないのだから。」

 

「大丈夫だ、きちんと準備して……」

 

 言いかけた鷹木は、トレーニング休憩室のテレビ画面が未だ真っ暗なままであることに気づき、慌ててリモコンのボタンを押した。

 

 タキオンも、バタバタと中継観戦の準備をしている鷹木を急かすような言葉を、いつもと違って口にしなかった。

 

 自分自身が理論の海の底に沈めていた本心、速く走ること自体への渇望に担当トレーナーが手を届かせた実感は、しばらく彼女の頬を緩め続けていた。

 

 ようやっとチャンネルの合わせられた番組の画面内では、既にゲートインが終わっていた。

 

〈各バ揃いまして……阪神レース場、芝右回り1600のコース……スタートしました!まず抜け出したのはリニアミューズ、その外フィールドエルフが続いて先行争い、そして1番人気ダンツフレームもそこに加わります。ユーセイプライム、ブラックシルエット、アスカツヨシそしてマヤノフローラと、4番手集団も一気に固まって最初のコーナーへと向かっていきます。〉

 

 やはり今年度の秋までにデビューを済ませた、トレセン学園1年目のウマ娘たちばかりが出走しているだけに、我先にと先頭へ出ようと殺到する動きが目立つ。

 

 同じトレセン学園1年目のウマ娘たちだけが出走した、GⅢの札幌ステークスとは対照的な光景であった。

 

「最初のコーナーまでに良い位置を取ろうとして、足を速めている面々が目立つねぇ。」

 

「1600mとはいえ、阪神レース場ではそこまで慌てる必要はないんだがな。ゴール前の直線には上りがある、差しや追い込みでも十分に先頭に届きやすい。」

 

 そんな先頭集団へと競争相手たちが詰めかけてくる中で、これまで追い込み作戦を採っていたダンツフレームはあえて先行の位置についていた。

 

〈3コーナーを回っていきます、先頭は変わらずリニアミューズ、フィールドエルフがぴったりとつけて、3番手にダンツフレーム、ペースを崩さず足を運んでいきます。先頭集団はおおよそ固まった形ですが、中団は激しく位置が入れ替わっている模様、マヤノフローラが抜けて3番手に並ぼうとするところ、マルシゲサンデーとシスターリッチも後方から虎視眈々と狙う形であります。〉

 

 デビュー戦、そしてききょうステークスにて秀逸なペース配分とコース取りを示したダンツフレームまでもが、他の競争相手の焦りに引っ張られたとは考えづらい。

 

 今後のレース参戦を見込んで、追い込み以外の作戦の実践練習のため、敢えて先頭集団に囲まれるようなペースを実施しているのではないか……鷹木はそう考えながら見ていた。

 

 一方で、タキオンは画面を凝視しながら、別な点について言及する。

 

「ダンツフレームくんは、綺麗に脚さばきを切り替えているねぇ。あれこそが、理想のコーナー攻略というものだろう?」

 

「……そうだ。ダンツフレームの場合は、しっかりと体重を支えて蹴り出す必要があるだろうからな。」

 

 コーナー外側の脚で後ろへと蹴り出す力を得て、コーナー内側の脚を前に出すよう意識する。

 

 ダンツフレームは同じ世代の中で見てもそこそこの身長があり、しっかりとした体格であった。彼女の体重であれば、足取りを切り替えることは重要な技術となるだろう。

 

 同じことを真似せずとも高速で走り抜けるアグネスタキオンに、敢えてダンツフレームと同じ走り方を教え込むことは……今にして見れば、タキオンの強みを一つ潰すような真似であるようにも思われた。

 

〈3コーナーから4コーナーへ、マヤノフローラが外側からじわじわと上がって3番手、ダンツフレームに並んで回っていきます、ユーセイプライムはウチを突いて、600の標識を通過、すぐ後ろにブラックシルエットとアスカツヨシが並んで徐々に前へと上がり始めました。間もなく4コーナーを抜けて最後の直線へ向かいます!〉

 

 最終直線を前に他の面々が焦って上がっていこうとする中、ダンツフレームは落ち着いて自分のペースを守っていた。

 

 後ろから上がってきた面々に並ばれようとも、彼女は無駄な動きを見せていなかった。

 

「正しい判断だねぇ、この先、ゴール前には上り坂があるのだから。他の面々も、担当トレーナーや事前予習でそのことは分かっているはずだがねぇ。」

 

「それでも、前に出て、他よりも速く走りたいというウマ娘本来の衝動は、抑えられないものだろう。自分が最終的に先頭に出られる、という確信が無い限り。」

 

 いうまでもなく中継画面にタキオンの視線は釘付けとなっていたが、一瞬だけチラと鷹木の方を向き、彼女は頷いた。

 

 これまで鷹木が指示してきたタキオンの練習には、安全策こそあれ、勝利を得られる確信が無かった。“故障を先延ばしに出来る”という消極的な方針を、自らの走りに取り込む意思は生まれ難くて当然である。

 

 もう、鷹木には迷う余地はなかった。

 

 アグネスタキオンが勝利することを第一とした走りを磨き続けよう、そのためにタキオンが抱えてしまうリスクは、全て自分の責任として対処する。

 

〈リニアミューズ、リニアミューズが先頭だ!フィールドエルフも懸命に後を追うが、集団の間からダンツフレームが抜け出した!速い、速い!ダンツフレーム、一気に上がってくる!坂道でも失速は見られない、リニアミューズを差しきったところでゴールイン!勝ちましたダンツフレーム!これにてデビュー戦以降の三連勝を飾っています!〉

 

 それが彼女生来の性格なのだろう、溢れんばかりの笑顔で観客席へと大きく両手を振り、歓声に応えている。

 

 二着となったリニアミューズとの差は半バ身であったが、ゴール直後から歓声に応えるだけの余裕があるということは、ダンツフレームにとって何ら無理のないレース運びであったと見て間違いはない。

 

 タキオンはあっさりと立ち上がり、練習場へと戻っていく。

 

「さぁ、トレーニングを再開しようか。私本来の走りで良いというのなら、再び軌道を戻さなければねぇ。」

 

「方針がブレてしまって済まない、今まで予定していた以上の練習量が必要になるかもしれないが……。」

 

「構わないさ、これだけ私と同学年の面々が活躍しているんだ、今以上に後れを取るわけにはいかないからねぇ。」

 

 言いつつ鷹木へ一瞥を送ってから、さっと背を向けて練習コースへ向かう直前、アグネスタキオンの眼は確かに輝いていた。

 

 アグネスタキオンの走り方と鷹木の指導方針が合わなかった間は、明快にならなかった一点……いつアグネスタキオンをデビューさせるのか、今となってはその答えもハッキリと浮かんでくるようであった。

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