探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

71 / 278
 アグネスタキオンのデビュー戦の時期を現実的に考え始めた鷹木の元へ、唐突に現れたネオユニヴァース。菊花賞を控えた重要な時期であるはずの彼女は、更に鷹木を驚かせることとしてタキオンとの併走練習を申し込んできた。面食らいながらも、ネオユニヴァースの担当トレーナーと日程の調整に入る鷹木。ネオユニヴァースの担当トレーナーに、直接会うことが出来ないのは相変わらずであった。


飛び抜け得れば、懸念は瑕疵にも足らず

「鷹木トレーナー。『わたし』は“MOLT”、アグネスタキオンと『併走練習する』を望むよ。」

 

 早朝、支度を終えてトレーナー寮から出てきた所をネオユニヴァースが待ち構えていた時点で鷹木は少なからず驚いていたが、彼女自身の口から申し出を聞いてなおのこと吃驚する羽目になった。

 

 ネオユニヴァース、今世代のクラシック級にて最高クラスの能力を有するウマ娘。

 

 既に皐月賞と東京優駿にて勝利し、宝塚記念でもクラシック級として史上初の勝利、菊花賞を控えたステップ競走としての神戸新聞杯でも一着を獲り、ナリタブライアン以来の三冠ウマ娘達成間違いなしと見られる存在となっている。

 

 かたやアグネスタキオンは未だデビュー前、確かに走りの能力はかなり優秀であると目されているものの、現役の最先端を走り続けているネオユニヴァースの相手として足りるか鷹木には断言できなかった。

 

 面食らった鷹木は暫し目を白黒させていたが、それでもウマ娘からの依頼を受けたトレーナーとしての対応へと無理矢理自分を引き戻した。

 

「もう今月末には菊花賞本番だろう?ネオユニヴァースにとっては大事な時期だと思うんだが……。」

 

「だから『必要だと判断』をした。アグネスタキオンは“INTI”、『わたし』が“RCOL”に『到達する』を助けてくれる。」

 

 元より意図を聴きとることが困難な言い回しが、更に込み入った表現となる。鷹木には部分的にしか理解できなかったが、ネオユニヴァースなりに熱意をもって自らの意図を告げようとした結果であった。

 

 早朝のトレーナー寮前で、担当トレーナーではない相手を待ち続けるという点においても、十分に彼女の本気度は伝わってきた。

 

「……わかった。こちらも併走練習の準備をしておく。詳細な場所や時間帯については、どうする?」

 

「スフィーラ、『急な依頼』に応えてくれて『感謝する』を伝えるよ。『わたし』の担当トレーナーから“TPC”について『連絡する』をしてもらう。」

 

 いつもさほど動かさぬ表情を、僅かに柔らかくしたネオユニヴァースが去った後、鷹木は急に緊張し始める自分に気づいた。

 

 思えば、併走練習の申し込みを引き受けることは、ネオユニヴァースの担当トレーナーと会うことでもあった。

 

 あの難解なネオユニヴァースの言い回しを常に理解し続け、単なる言動のみならず彼女の命運まで信じ、ほぼ勝ちが有り得ないと思われた展開でも彼女を勝利へと導いている人物。

 

 先日ようやくアグネスタキオンのリスクを抱えた走り方を信じようと決意できた自分が相対するには、あまりに畏れ多い相手ではないかと、鷹木はそればかり考えていた。

 

 が、結局のところ、鷹木がその日の併走練習前までに得たのは、一通の連絡のみであった。

 

〈急な申し出を引き受けていただき恐縮です。本日15時、そちらの練習場にネオユニヴァースを向かわせます。アグネスタキオンの練習メニューを優先していただいて構いません。〉

 

 鷹木側の事情を慮る旨と必要な情報が載せられた、読むのに時間もかからない簡潔な文面。『向かわせます』ということは、トレーナー自身は来ないものと読める。

 

 トレーナーとしての利発さを存分に感じさせるメッセージの表示されたタブレット画面を前に、せっかく数秒で読み終えられる内容が送られて来たにもかかわらず暫く固まっている鷹木へ、練習コースを回ってきたタキオンが声を掛けた。

 

 彼女は画面上に送られて来たメッセージの内容を見てはいなかったが、鷹木の表情や所作からおおよそ推察は届いたらしい。

 

「おや!私も気になっていたのだけれどねぇ、ネオユニヴァースくんを担当しているトレーナーが、いったいいかなる人物であるか。」

 

「……仕方がないだろう、三冠の掛かっているウマ娘の担当トレーナーともなれば、ヒマなはずがない。」

 

 それだけ大事な時期のウマ娘のトレーニングを、短時間だけとはいえ任されることになった鷹木が、ひとり重圧を感じることの避けられない現状にも変わりはなかった。

 

 こちらの練習メニューを優先して構わない、とは知らされていたものの、鷹木がその言葉に堂々と甘えられるはずもない。ネオユニヴァースが到着する予定時刻までに必要な練習は終え、休息を挟み、万全の状態で併走練習へと入れるように備えていた。

 

 ネオユニヴァースは、ぴったり15時に姿を見せた。標準時の表示される時計が脳内で機能しているかのごとく、秒針がピタリと15時ちょうどを示した瞬間に練習場の扉を開いたのであった。

 

 ……やはり彼女の担当トレーナーは同行していなかった。

 

 レースにおける命運までもネオユニヴァースと共に切り拓いてきた存在が、分かりやすく人間としての形を現さなかったことに、鷹木は何故か小さく安堵したようでもあった。

 

 それはネオユニヴァースだけが“交信”し得る存在であると告げられても、驚くほどのことではないようにも思われた。

 

「今日は『併走練習する』を受けてくれて感謝、するよ。アグネスタキオンの走りが『近くにいる』と、『わたし』も“TACS”になる。」

 

「当然だろう、この私の洞察力は良い刺激になるはずだ!それに現時点で最も特異点に近いウマ娘、ネオユニヴァースくんの側から影響を及ぼされるとは、この私自身についても期待を抱いて良いということだろうか!」

 

 いつも通りのことであったが、クラシック三冠をこれから獲ろうとするウマ娘が、わざわざデビュー前のウマ娘のもとへ出向いてくれたというのに、タキオンは全く恐縮することなく遠慮なく応対していた。

 

 ユニヴァースの担当トレーナーと顔を合わせるときの緊張を思って戦々恐々としていた鷹木とは、正反対の態度であった。

 

「タキオン、あくまでも先輩ウマ娘にご足労願っている立場だということを、忘れないようにな……。」

 

「分かっているさ、しかしユニヴァースくんは、そのような扱いを望みはしないだろう?」

 

「アファーマティブ。アグネスタキオンのことは、むしろ“SNR”だと思ったほうが『馴染む』よ。」

 

 相変わらず直接的には理解できないネオユニヴァースの言葉であったが、その表情や振る舞いから、今の発言についてはおおよその内容を推察出来た。

 

 ネオユニヴァースは、アグネスタキオンのことを先輩だと考えている方が、何故か馴染むのだろう。

 

 もちろんトレセン学園に今年入学したばかりのタキオンの、一つ上の学年であるがゆえに、ネオユニヴァースはクラシック級を現在走っているわけではあるのだが。

 

「さぁて、時は金なりだよ、トレーナーくん!せっかく得られた機会は無駄に出来ない!何故、ネオユニヴァースくんが今日、私を併走練習相手に選んだのか、その理由も推測出来ているだろうねぇ?」

 

「今日……あっ……そうか、ゼンノロブロイは今日、京都大賞典に出走するからトレセン学園に居ない……。」

 

 現時点で、ネオユニヴァースと比肩する能力を持ち、それでいて同じレースへの出走が予定されていないゼンノロブロイは、ネオユニヴァースにとって最良の練習相手であり続けている。

 

 京都大賞典のために、そのゼンノロブロイがトレセン学園を離れている今日、ネオユニヴァースにとって不足の無い練習相手を見出すことは難しい。

 

 本来は同学年のウマ娘の中から選ぶのが妥当な判断であったろうが、今日に限っては以前より妙な理解力を示す数少ない相手であるアグネスタキオンをこそ、ネオユニヴァースは指名したのだ。

 

「『わたし』の走りを“ZEER”の探求でも『見てもらう』して“QOAX”を探りたい、『ずっ友』の応援も、したい……!」

 

「もちろんさ、私のトレーナーくんにとっては日常茶飯事、備えを怠るはずがないからねぇ!そうだろう?トレーナーくん!」

 

「え?あ、あぁ……練習を終えて、京都大賞典の中継観戦に間に合わせる、ってことだよな?」

 

 熱を帯びつつあるネオユニヴァースの語彙力は、またも難解さを増していたが、流石の鷹木も現状及びタキオンとのやり取りを経て、言わんとするところは理解していた。

 

 15時45分に発走となる京都大賞典の開始までに、ウォーミングアップから併走練習、クールダウンを経て中継番組の観戦へと漕ぎつける段取り。

 

 それはこれまで大舞台でのレースが行われるたび、鷹木が担当ウマ娘と幾度も繰り返してきたルーティーンであった。

 

 準備運動を済ませ、軽くコース上を流してウォーミングアップをしているタキオンとユニヴァースがコースを一周して戻ってくるまでの間に、鷹木は併走練習の条件を固めていた。

 

「せっかく来てくれたのなら、菊花賞と同じ芝3000mの条件でとも考えていたんだが、流石にアグネスタキオンの脚にいきなり長距離の負荷を掛けるのは怖い。芝2000mでの併走練習にしても構わないか?」

 

「アファーマティブ。『わたし』にとっても、『神戸新聞杯』の再測定になる。」

 

「私としては、未知なる領域への探求を望むところなのだがねぇ。」

 

 アグネスタキオン自身は多少残念がっていたが、鷹木としては2000mでも過剰な負荷となり得ないかと心配は尽きなかった。

 

 以前、マンハッタンカフェと併走練習させた時の光景が今でも事あるごとに蘇る。アグネスタキオンは、競うにおいて十分な相手と見るや、ほぼ本気に近い力を振り絞って走り続けてしまう。

 

 それは、いつ限界を迎えるか分からぬ華奢な脚の寿命を削るも同然であった。

 

 そしてネオユニヴァースというウマ娘が、アグネスタキオンの本気を以て十分すぎる以上の対戦相手であることは、疑いようのない事実であった。

 

「タキオン、あくまで練習、だからな。無理を感じたり、違和感があれば、すぐに速度を緩めるんだぞ。」

 

「心配し過ぎだねぇ、せっかくの心沸き立つ私の探求を前に、水を差すような真似はよしてくれたまえ。」

 

「鷹木トレーナー、『わたし』たちは走れば“コネクト”できる。『スタートの合図』を。」

 

 タキオンとユニヴァースの双方から急かされ、スタート位置についた彼女らの隣に立ち、ストップウォッチを手にした鷹木は合図を出した。

 

「位置について……よーい……スタート!」

 

 スタートの瞬間は、ネオユニヴァースについては言わずもがな、アグネスタキオンも全く出遅れることは無かった。

 

 現役でクラシック級を走っているウマ娘と遜色ないタキオンの能力は、スタート直後に迷うことなくユニヴァースを引き離しにかかった点からも見て取れた。

 

「結局、タキオンに前もって作戦を伝えることなくスタートさせたが……やっぱり、先行のペースを択んだか。」

 

 神戸新聞杯では先行寄りの作戦を披露したネオユニヴァースであったが、彼女が追い込みの作戦をより得意としていることは、東京優駿や宝塚記念の走りを見れば一目瞭然である。

 

 マンハッタンカフェを相手取った練習の際も、相手の脚質を瞬時に見極め、自らがペースをコントロールしやすい位置取りを判断する頭の回転については、相変わらずタキオンの能力は図抜けていた。

 

 最初のコーナーに入っていった時、アグネスタキオンは先日の鷹木との取り決め通り、全く脚運びを切り替えることはなかった。

 

「リスクは承知だが、タキオンが最も強みを活かせる走りであることには違いない。ネオユニヴァースは……綺麗に直線攻略からコーナー攻略へと脚を切り替えているな。」

 

 直線の走り方のまま、コーナーをスピードも一切落とさず回っていく走りを、後方のネオユニヴァースも目にしていることだろう。

 

 いかに細身の体格、軽い体重であろうとも、レースを重ねればコーナー外側を蹴り出す脚に掛かる負担が増す走りであることを、彼女も理解しているはずだ。

 

 ネオユニヴァースは、まるでアグネスタキオンの走りを見守るかのように、ピタリと後ろにつけたまま向こう正面の直線も駆け抜けていった。

 

「向こう正面の直線を抜けたら、3コーナーに……まだ動かないか。どちらも……。」

 

 担当トレーナーたる鷹木にとって、最終コーナーに近づくタキオンが加速の兆しを見せないことは意外ではない。

 

 あくまで彼女は迫りくる者が居れば、それに応じるように加速するのみである。そのためにスタミナ残量も常に計算し続けるだけの頭脳が、彼女には備わっている。

 

 が、そんなタキオンに劣らぬほどの明晰さを有するネオユニヴァースが相手となれば、展開は読めなかった。

 

 ネオユニヴァースは、目に見えて加速を示すこともなく、アグネスタキオンに並びかけようともせず、ついに最終コーナーを回り切って直線を向く。

 

「流石に、ここまで来たら仕掛けるよな……タキオン?ウチ側が開いて……」

 

 それは僅かな隙間であった。

 

 アグネスタキオンはこれまで通り、直線と同じ走り方のままコーナーを綺麗に回っていたのだが、ほんの僅か、遠心力に振られてコーナーの外側に膨らんだ。

 

 ネオユニヴァースは、その狭いコース内側を抜け出して来たのである。

 

 まるで、彼女が勝利した皐月賞の光景が再現されているかのようであった。あの時も、完全に集団に埋もれきってしまったと見えたネオユニヴァースが、ごく狭い間隙を縫って前へと飛び出したのであった。

 

「タキオンが、ミスをした?……いや、今のは必然か……?」

 

 呆然とするには未だ状況の飲み込みが不十分な鷹木は、半ば麻痺した思考のままに、最終直線を駆けていくアグネスタキオンとネオユニヴァースに視線を注ぎ続けている。

 

 もはやアグネスタキオンは本気そのもので走っているようだったが、彼女を制止するような声を掛けようとは鷹木は思わなかった。

 

 単なる練習、併走練習……そう意識している鷹木自身が、アグネスタキオンに勝ってほしいと心から願っていたし、アグネスタキオンもこれまでになく楽し気な笑みを浮かべて走っていたのだから。

 

「行ける!タキオン!スタミナ量は充分のはずだ!」

 

 これも初めて、鷹木がタキオンの走りを後押しする声援を叫んだ瞬間であった。

 

 アグネスタキオンは、ネオユニヴァースと並び続け……しばらく並んで走り続けた後、僅かに遅れてゴールラインを越えた。

 

 半バ身差、流石に現役クラシック級ウマ娘、ネオユニヴァースの勝利である。

 

 とはいえ、三冠を獲ることが確実視されるような相手に並んで、食らいつくだけの脚を示せるタキオンの能力も十分に飛び抜けたものであった。

 

 クールダウンも兼ねて、練習コースをもう一周してきたタキオンとユニヴァースを出迎え、鷹木は給水用ボトルを差し出しながら尋ねる。

 

「タキオン……大丈夫か?脚に違和感は……。」

 

「ハァ、ハァ、ハァ……気にしないで、くれたまえ、ハァ、せっかく、観測可能性の限界を見いだせた、ハァ、余韻に浸っているのだからねぇ……」

 

 アグネスタキオンが息を切らしながら笑みを浮かべているのを見るのは初めてであったし、彼女がこれまでの練習で最も満足げであったことも鷹木の印象には強く刻まれた。

 

 この併走練習は、想定していた以上に有意義なものとなったのだろう……そう思いながらネオユニヴァースの方へと視線を向けた鷹木は、思いもよらず冷たい目の色を浮かべたユニヴァースと視線がぶつかった。

 

「鷹木トレーナー。『一刻も早く』アグネスタキオンにアイシングをしないと“EMGY”だよ。」

 

「あ……あぁ、もちろん、準備している。」

 

 この後、休息を挟みつつの中継観戦を予定していた鷹木は、速やかにアイシングの処置を始めることが出来た。

 

 タキオンが掴んだものが恍惚を得る観測であったとしたら、対照的にネオユニヴァースはタキオンの予定する軌道の先に、より厳しい先行きを見出したことは間違いなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。