探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 先輩ウマ娘が出走する菊花賞の日、いまだ今年度のデビューを果たしていないアグネスタキオンとマンハッタンカフェは並んでトレーニングを行っていた。今年入学したウマ娘の中では最も有望な存在と目される両名であったが、しかしデビューの目途がなかなか立たないことについても同様であった。お互いに華奢な体つき、故障が心配される性質であることも手伝ってはいたが、マンハッタンカフェの場合は更に別な事情も抱えているようであった。


冠するその名は、皆に認められ

 アグネスタキオンが、マンハッタンカフェを連れて練習場に姿を現すことも、珍しいことではなくなっていた。

 

 同期や先輩ウマ娘の活躍に刺激されたことも、タキオンの走りやすい方針へと鷹木が切り替えたこともあり、以前と比べて明確に練習へ打ち込む姿勢は真面目となりつつあったタキオン。

 

 鷹木としては、その調子でデビュー戦へと向かう日々を続行してもらいたかったのだが、アグネスタキオンはとことんまでトレーナーの思惑に収まらないウマ娘であった。

 

「……タキオン。あくまでも、マンハッタンカフェの担当は結城トレーナーだってことは、忘れていないよな?」

 

「分かっているさ、しかし親しい友と並んで走ることを望むのも、練習としては悪いものではあるまい?結城トレーナーからも、しっかりと許可は得ているのだからねぇ。」

 

 今世代において最も優れた身体能力を有すると目されるマンハッタンカフェは、レジェンド的人物である結城トレーナーが担当するからこそ、将来の戦績が有望視されているのだ。

 

 鷹木は、カフェがタキオンと共に自分の指導を受けに来るたび、昨年までテイエムオペラオーを担当していた時と似たような重圧を覚えずにいられなかった。

 

 すなわち、優れたウマ娘を一時的にでも指導するだけの力量が、果たして自分にあるのかという自問である。

 

「マンハッタンカフェ……結城トレーナーから、今回のトレーニング内容について指定は受けているか?」

 

「いいえ、鷹木トレーナーに一任するとのことです。」

 

 ウマ娘の判断を尊重し、ウマ娘自身に主たるトレーニング内容を定めさせる方針の結城トレーナーからは、いつものごとく責任を伴う信頼が与えられているばかりであった。

 

 今の時期のマンハッタンカフェのトレーニングを見ることには、より具体的な懸念もあった。

 

 同世代のウマ娘たちが、秋に入って以降続々とデビュー戦を突破し、本番の舞台に上がっていく中……マンハッタンカフェは、未だデビュー戦に挑むという噂すら立っていなかったのである。

 

「では、私たちはさっそくウォーミングアップを始めておくよ。行こうか、カフェ。」

 

「はい。」

 

 タキオンに連れられ、練習場の一角で柔軟運動をしに向かうカフェ。

 

 サボり癖があるアグネスタキオンの場合は、出席していなかった授業単位を取得すること、そして不足していた練習量を補うことが、デビューを遅らせている主たる原因として挙げることが出来る。

 

 しかし、学園での授業も練習も、特に遅れていたわけでもないマンハッタンカフェが、なかなかデビューに漕ぎつけられない元凶が何なのか、当然ながら外部から知り得るものではなかった。

 

 デビューを控えた時期に、デビューへ踏み切れない状態。レースでの活躍が期待されるウマ娘としては、軽からぬ課題を抱えた局面である。

 

 自分がその解消の一助となれるか否か、鷹木には甚だ自信が無かった。

 

「カフェ?少々痩せたかい?」

 

「さほどは……記録される体重は、僅かに減少してはいますが……。」

 

 柔軟体操を終えたうえで、ウォーミングアップ用のランニングに移るタキオンがそう口にした時、カフェの姿を注視し続けていた鷹木も同様のことに気づいていた。

 

 元よりマンハッタンカフェは小柄なウマ娘であったが、以前よりもなおのこと、線の細い印象は増していた。目に見えて筋肉が落ちているわけではないのだが、纏われる空気が弱まっているようにも感じる。

 

 やつれている、との形容が最もしっくりくる状態であった。

 

「結城トレーナーほどの人が、担当ウマ娘の体重変化を把握できてないはずがない。食事内容の管理も行ったうえで、なおカフェの体重減少を止められないってことか……?」

 

 体重が増えすぎることはもちろん足を重くする一因となるが、逆の体重減少もまたレース競技を行うウマ娘にとっては看過できぬ問題となる。

 

 即ち、筋肉量の減少を意味するためである。

 

 走りにおいて足を後ろに蹴り出す脚力、そして速度を維持しスタミナを枯渇させぬための体力、いずれにおいても根本を支える筋肉が減れば、パフォーマンスは確実に低下する。

 

 その事実に気づいているため、結城トレーナーはマンハッタンカフェをデビューへと向かわせることを、現実的に予定できないのではないか。謎の体重減少の原因も、まだ判明していないのだろう。

 

 ましてやマンハッタンカフェの担当トレーナーではない鷹木にも、その原因をすぐに見出せるはずがなかった。

 

「さァて、トレーナーくん!せっかく私とカフェが揃ったんだ、しばらくぶりの併走練習と行きたいものだねぇ!」

 

「……いや、タキオン。今はダメだ。練習とはいえ、カフェと競えば確実に、お互い本気に近い走りになるだろう。カフェの体重が落ち筋肉量が減っている状態で、強い負荷を掛けるのは危険だ。」

 

 鷹木の判断は、日頃よりタキオンの脚を気に掛け続けているからこそ下せるものであった。

 

 脚を支える骨を包み込み、腱によって繋ぎ合わされている筋肉。それを鍛えることで、練習や本番レースにおける負荷に耐えられる脚へと仕上げることが出来る。

 

 現在はあくまでタキオンの走り方、すなわち軽い体重を活かしてスピードに乗る方針を鷹木は採ってはいるものの、それでも故障しにくい身体づくりのために筋肉量を維持することは無視できない。

 

 マンハッタンカフェについても、筋肉量低下が抱える故障のリスクは同様であり、競い合うことで自ずと本気の心に火が付く両名を今、併走させることはますます危険であると鷹木は判断したのだ。

 

 となれば、別の提案を用意しなければならぬのも、トレーナーの務めであった。

 

 カフェはいつも通り大きく表情を変えてはいなかったものの、多少低まった声色には不満の響きが僅かに含まれていた。

 

「私は、タキオンさんとの練習を期待して、ここに来たのですが……。」

 

「こちらも同様だよ、トレーナーくん。カフェと並んで走り、その高揚のままに今日の大舞台の中継を観戦することを、私も楽しみにしてカフェを連れ込んだんじゃないか。」

 

 今日、すなわち10月26日の大舞台、とは……菊花賞のことである。

 

 いつものごとく、一大レースの観戦準備を鷹木はきちんと進めており、タキオンはそれを見越してマンハッタンカフェとの合同でのトレーニングを望んだのだ。

 

 むろん、鷹木もそんな彼女らの楽しみを無下に却下するつもりは毛頭ない。

 

「併走練習でのリスクは無視できないが、交互に走ってもらうという形ではどうだ?お互い、走りのフォーム確認を行えば、レースに向けての気持ちも上がるだろう。」

 

「……分かりました。現在のタキオンさんの走り、どこまで進化しておられるのか、私も気になっては居りましたから……。」

 

「ふゥん。カフェがそれで良いというのなら、仕方ないねぇ。」

 

 共に走れずとも、自分に近しい能力のウマ娘が走る所を見せられれば、技癢……いわば、自分も走りの技を披露したくてウズウズする感覚は刺激される。

 

 マンハッタンカフェの体重減少の原因は分からずとも、走りへの思いに熱が入れば、本番レースに向けた身体づくりにはプラスとなることには違いない。

 

 まずは練習コース上をタキオンが走り始め、鷹木はストップウォッチのスイッチを入れる。

 

 鷹木の隣ではカフェがウォーミングアップ後の身体を冷まさないようストレッチを続けながらも、タキオンの脚運びに視線を注いでいる。

 

「タキオンさん……以前までの走りに、戻されたんですね。夏までは、直線とコーナーの走りを切り替える練習をされていた、と記憶していますが……。」

 

「あぁ、筋肉量をあまり増やせないというのはリスクではあるが、この走りが出来るのはタキオンの強みではあるし、何よりもタキオン自身が最も望む走り方でこそ、タイムも縮まるだろうからな。」

 

 カフェは頷く。タキオン以外に真似のできない走り方、それは彼女と近しいカフェにとって、いずれ強力なライバルとして立ちはだかる要素であり、同時に安堵できる友の存在の証明でもあったのだろう。

 

 コーナーを回り切って、やはり走り方を切り替えぬまま向こう正面に入ったタキオン。

 

 速度をまるで落としていないことを鷹木が目を鋭く細めて確認している隣で、マンハッタンカフェは不意な言葉を口にした。

 

「よかった……タキオンさんは、きちんとタキオンさんです……。」

 

「……え?」

 

 もちろん、鷹木はカフェの言わんとする真意を掴むことが出来ない。

 

 アグネスタキオンというウマ娘が、あまりにも独特過ぎる性格であることは、今さら言うまでもない。

 

 他の誰にも似ておらず、また真似されることもまずないだろうタキオンに対し、間違いなく本物だとの安堵感を抱くのは当然でもあり、同時に的外れでもあった。

 

 ポカンとしている鷹木の表情に気づき、カフェはふと我に返ったようになって小さく謝罪した。

 

「すみません……今、私、おかしなこと、言いましたよね……。」

 

「いや……その、嫌じゃなければ、どんなことをタキオンに感じたのか、少し詳しく教えてもらえないか?」

 

 鷹木は、アグネスタキオンの担当トレーナーとして、さして不自然ではない問いかけをした。

 

 それは同時に、マンハッタンカフェが抱えている悩みを包み隠すヴェールの一端を捉えうる問いかけでもあった。

 

 タキオンがタキオンらしい走り方をしていることに安堵するということは、それ以外の何かについてカフェが不安を抱き続けるような状況がある可能性の示唆でもある。

 

 カフェ自身も、いつものことながら自らの煩雑さを極める考えをすぐには口に出来なかったが、たどたどしくも言葉を紡ぎ始めた。

 

「私が気にしているのは……アドマイヤベガ先輩のこと……です。以前、あの方には、毎度異なるお友だちがとり憑いている、とお伝えしました……。」

 

「あぁ、覚えている。」

 

 鷹木は頷く。あれはダンツフレームがききょうステークスにて勝利を飾った翌日のこと、マンハッタンカフェはアドマイヤベガについて、彼女だけが感じ取る懸念をタキオンに対し語ったのだ。

 

 毎度、レースのたびに異なる“お友だち”がとり憑いているというアドマイヤベガ。彼女が本来は既に引退しているはず、という非現実かつ不穏な報せも相俟って、そのカフェの見立ては妙な現実味を帯びていた。

 

 アドマイヤベガではない、別のウマ娘へと成り代わられる恐れ。平常では彼女と同じ練習場にいるマンハッタンカフェは、その不安に常に苛まれているのかもしれない。

 

 懸命に鷹木は思考を絞りながら、可能な限りカフェの抱いている不安に近づこうと試みて口を開く。

 

「ウマ娘にとって、レースで走ることはそのまま自分自身の在り様を定めることでもある。走るたびに、アドマイヤベガとは別のウマ娘のようになる様を見せられたら、そりゃ不安にもなるだろうな。」

 

「走るたびに、あんなにも違う顔つき、違う脚運びになって……アドマイヤベガ先輩が、走っていない間は“アドマイヤベガ”としていられることが……今では、不思議なくらいです……。」

 

 実際に鷹木がその様子を確認したわけではないのだが、今のカフェの言い回しは奇妙ながらも、すんなりと理解できるようであった。

 

 現状、アドマイヤベガは、彼女自身としての存在を保てるのが、走っていない状態においてだけなのだ。

 

 すなわちレースに出走する存在としてではなく、トレセン学園に在籍するウマ娘としての状態においてのみ、アドマイヤベガそのものでいられる。

 

 これまでのカフェの発言は難解であったが、この点に関してだけは、鷹木の思考は存外にもあっさりと手が届いた。

 

「アドマイヤベガのことを知る皆に囲まれているおかげじゃないか?」

 

「それは、いったい……。」

 

「もしも、アドマイヤベガが既に引退している可能性があったり、それに伴いアドマイヤベガではないウマ娘がレースに出走している可能性があったとしても、関係ない。今ここにアドマイヤベガというウマ娘が居ることは、強く認識する皆がいるんだから。」

 

 最たる存在が、ナリタトップロード。今なお現役で走り続け、アドマイヤベガのもっとも近くにいるウマ娘だ。

 

 後輩にあたるエアシャカール、そしてアグネスデジタルも、アドマイヤベガの存在、そしてその走りを心の底から認めたウマ娘である。

 

 もちろん、既に引退しているものの、メイショウドトウやテイエムオペラオーも同様である。オペラオーに関しては、アドマイヤベガの現役続行を誰よりも強く望み、彼女を長期休養からレース場へと連れ戻した存在とまで言えるだろう。

 

「これは、本当に、確証なんてないんだが……ずっと、オペラオーと共にレースの場に身を置き続けてきたから、分かるんだ。アドマイヤベガという存在を、誰よりも強く知る皆が居る限り、アドマイヤベガが消える心配なんてない。」

 

「……そう、ですか。」

 

 鷹木は慣れぬ頭を使い、そして慣れぬ言い回しを口にした直後であったため、すっかり赤面してしまっていた。

 

 とはいえマンハッタンカフェの心には、覚束ないそんな言葉も届いたらしい。曖昧でありながらも、彼女は頷く。多少なりと、カフェの黄色い目の中からは、不安の色が薄れたようでもあった。

 

 しかしカフェから続いて投げかけられた疑問には、とうとう鷹木も言葉を詰まらせたが。

 

「では、トレセン学園に居る間は心配ないとして……アドマイヤベガ先輩が、レース中にお友だちにとり憑かれてしまう様については、やはり解消のしようがないのでしょうか……。」

 

「えっと……それは……。」

 

「それはいずれ見いだされる特異点、運命や可能性世界を超え得るウマ娘がカギを握る現象だろうねぇ!アドマイヤベガ先輩が別の可能性世界に引っ張られかけているのならば、こちらからも同様の力で引き戻せば良い!」

 

 いつの間にかコースを一周し終え、更にクールダウンも兼ねてもう一周流してきたタキオンの声が目の前で響き渡り、鷹木は面食らってのけぞった。

 

 今までカフェの発言に理解が追いついていなかった鷹木が、ようやくカフェとの交流を可能とした様はタキオンも多少は楽しんでいるようであったが、同時に不満げな表情をも彼女は浮かべていた。

 

「さておきトレーナーくん!担当ウマ娘が練習している様から目を離すとはどういう料簡かねぇ?もちろんカフェの話が興味深いことには私も同意だが、トレーナーとしてはあるまじき振る舞いじゃないか、本気で走ったわけではないとはいえ、きちんと私のタイムは測れているのかね、ンン?」

 

「あっ、いや……すまん。」

 

 今なお秒数をカウントし続けているストップウォッチのボタンを、鷹木は慌てて押して止める。

 

 そんな抜けたトレーナーとタキオンとのやり取りを傍らから覗くマンハッタンカフェの表情には、かなりの柔らかさが戻ってきていた。

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