ゼンノロブロイが並み居る先輩ウマ娘たちを差し置いて、見事に大金星を挙げた天皇賞秋。
その翌朝、練習場へと姿を現したタップダンスシチーは、妙に機嫌よさげであった。
他のウマ娘よりも1年遅れで入学した今年の初夏、早々に初勝利を挙げるという鮮烈なデビューを飾った彼女であったが、その後は調整や出走レースの見極めのため、暫く本番の舞台に上がっていない。
とはいえ、見せる表情は常の彼女通りに、底抜けに朗らかであり前向きであった。
「Ey,How's it going!わたしは万全だぜ片桐トレーナー、次のジャパンカップは貰ったも同然だ!」
「おや、レースに対しポジティブな子は幾名も見てきましたが、ここまで前向きなウマ娘はあなたが初めてですよ。」
片桐トレーナー、この同期の鷹木と比べて圧倒的にしたたかで、曲者であり……同時に勝利へと抱く執念の並みならぬ男は、これまたいつも通りに多少の皮肉を込めて返答をした。
タップダンスシチーは、デビュー戦にてあげた一勝以来、二度目の勝利をまだ得ていない。オープン戦どころか、地方で行われる条件戦でようやっと先着争いに参加できるかどうか、といったところである。
むろん並みのウマ娘よりは優れた才能を有していることが確かではあったが、現状のタップダンスシチーにとってジャパンカップなど夢のまた夢であった。
しかし、早朝の練習場、熊手でせっせと枯れた草を集めている片桐の隣で、タップダンスシチーは朗らかさを全く崩していない。
「トレーナー、ちょうど昨晩、私は良い夢を見たんだ!私は東京レース場の舞台に立ってた、そう、ジャパンカップの舞台さ!強力なライバルたちも並んでた、ネオユニヴァースも居たっけか!スタートしてから、ずっと私は先頭を駆け続けて……遂に一着のまま、ゴールしたんだ!」
「なるほど、あのネオユニヴァースと競り合っての勝利、ですか。あなたらしい、大胆な夢の内容ですね。」
「競り合ってなんかいない、二着の奴とはとんでもない大差だったんだ!それにあの夢の中で、ネオユニヴァースは、確か……四着だったな、私にはもっとヤバいライバルが居たんだ。Ah,Irritating、顔を思い出せねーけどさ。」
「ゼンノロブロイ、ですか?彼女のレースを観戦した印象が、寝る時の夢にでも出てきたんでしょう。」
「いや……全然違う、もっとゴツい奴だった。あー、ダメだ、目が覚めたら色々忘れちまってる!」
多少眉間に皺を寄せて、蘇ってこない記憶を漁るタップダンスシチーだが、まもなく後頭部を掻きながら自ら笑い飛ばした。
些細な悩みや苛立ちなど、軽く笑って済ませられるのが彼女の美点であった。まさに夢そのものであるジャパンカップの舞台に実際に上がるには、まだまだこれから実績を積んでいかなければならないだろう。
やがて、練習場には、例の黒ジャージのウマ娘たち2名……かつてのジャングルポケットの悪友であり、現在はトレセン学園には入学せず、就職して現場作業員となっているウマ娘たちも姿を見せた。
「Ey,Bro!来てくれたのか!私が出るレースは明日だぜ、待ちきれないのは分かるけど日付を間違えちゃいねーよな!」
「悪ぃ、タップさん。ウチら、明日は仕事なんだ。せめて、一緒に走るだけはやらせてもらいに来たぜ。」
「今日のうちに、明日の分までタップさんを応援させてくれよ!」
初めてトレセン学園に踏み込んできた時は、ジャングルポケットに絡んで周囲に迷惑をかけるかのごとき振る舞いが目立った彼女らも、今ではすっかりタップダンスシチーの度量の大きさに懐いている。
そして、こうして時おりは併走練習の相手としてやってくる……彼女らにとってみれば、トレセン学園に入学できなかったものの、トレセン学園所属のトレーナーに走りを見てもらえる稀有な機会である。
しかも、この練習場は片桐トレーナーが未使用の土地を見つけ、独自に拓いて整備したエリアであり、学園に在籍していない部外者でもいちいち許可を取らず入って来れる。
「毎度、ウチのタップの練習相手を務めていただいてありがとうございます。では、始めましょうか。」
「おーし、ガチで来いよ!追いついたら私の尻尾に噛みついていいぜ、I mean it!」
こうして、片桐は自ら練習場を整備しなければならないという労力を引き換えに、自分たちだけで自由に使える練習場を得て、更にはいちいちスケジュールをすり合わせずともやってくる練習相手をも得ることに成功していた。
毎度のことながら、この男の手際の良さ、根回しの的確さには舌を巻かずにいられない……そう思いながら、衝動のままに行動するアグネスタキオンに引っ張って来られた鷹木は、この場を見つめていた。
流石に、前日宣言していた通りにゼンノロブロイの元へ押しかけることはタキオンも自重してくれた。しかしその衝動のはけ口を、他に求めずにはいられなかったらしい。
アグネスタキオン独自の情報網によって、タップダンスシチーが明日行われる条件戦へと出走することを突き止め、彼女の練習場へと踏み込むことを決断したのだ。
「やぁやぁ、タップくん!この私、アグネスタキオンが来てあげたよ!明日のレース、実に楽しみだねぇ!果たして十分な勝算があるかどうか、私が吟味してあげようじゃないか!」
「Ahh,It's here.まだデビューもしてない奴に品定めされてたまるかってんだよ。」
「品定めさせてもらうとも、この私の観察眼に狂いはないからねぇ。せいぜい競い甲斐のある走りを頼むよ、タップくん、ついでに黒ジャージの面々も。」
「んだよ、ウチらをオマケみたいに扱いやがって。」
「イラつくぜ、コイツに実力があんのは事実だからよ。」
あまりにも挑発的に過ぎる言動を繰り返すタキオンをハラハラしながら鷹木は見つめながらも、急に押しかけて来た旨への謝罪を、片桐に対し申し訳なさそうな表情で示していた。
謝罪の言葉を、実際に口に出すまでもない程度には、さしもの小心な鷹木も片桐と打ち解けていたわけだが。片桐も眉をあげ、口角を片側だけ引き上げて頷き返し、口を開く。
「まぁ、こちらとしては願ったりかなったりですよ。何しろGⅠウマ娘とタメを張るほどの実力者、アグネスタキオンをも練習相手に加えられるというのならば、ね。」
「すみません、せめてきちんと競走練習に参加させますので……。」
鷹木が催促するまでもなく、既にタキオンはタップらと共にストレッチを行い、ウォーミングアップの手順へと入っていた。
やがて、ウォーミングアップも終えた面々は、タップダンスシチー特有の気安さとともに、もったいぶった様子もなくスタートラインに並んで、タキオンお手製のスターティング器具が立てる音とともに駆け出した。
「今回は2400m、右回りです。明日のタップダンスシチーが出走するレースに合わせての条件です。」
「以前よりも多少長め、なんですね。」
早くもスタート直後から、黒ジャージのウマ娘たちが引き離され始めている。いくらタップとの練習のたびに片桐トレーナーからの指導を受けているとはいえ、流石にトレセン学園所属ウマ娘とは歴然たる能力差があった。
先頭を進むのはタップダンスシチー、片桐と共に重ね続けた鍛錬のおかげで、非常に正確な速度維持能力のまま、更にスピードを上げることに成功していた。
鷹木も片桐に並んで自前のストップウォッチに目を通しながら、口を開く。
「ハロンごとのタイム差、0.1秒内に収まっていますね……これだけ正確であれば、スタミナ管理も十分に余裕をもって行えるのでは。」
「まだ、この速度維持だけで精一杯という印象ではありますけれどね。これからです、競争相手に合わせて自在にペースを調整していく能力を身につけるのは。」
片桐は返答しつつも、練習コース上から視線を外さない。
アグネスタキオンは、タップダンスシチーから3バ身ほど後ろに下げた位置で追走していた。競争相手のペースを読みながら、自らのスタミナ残量と相談しつつ速度調整する器用さがタキオンにはあった。
殊に、タップダンスシチーが正確に一定の速度を維持して走っているおかげで、ペースは乱されることなく、その背を追うことは実に容易であったろう。
「本当に、タキオンさんに来てもらってよかった。この練習競走のおかげで、課題が浮き彫りになりそうです。」
「そう思ってもらえるなら、何よりです……。」
鷹木も、悠々とタップダンスシチーの背に追いついていくタキオンの姿を見ながら、片桐の言わんとするところを理解していた。
やがてコーナーを抜け切り、最終直線へと向いた直後、タキオンはタップダンスシチーに並んだ。
タップも十分にスタミナ管理を行っていたおかげで、バテて失速するような真似こそ無かったが、ここまで無理なく走って来れたのはタキオンも同様である。
道中でスタミナ浪費も無く、そして先頭のウマ娘にペースを作ってもらえるというのは先行ペースにおける理想の形であった。タキオンは間もなくタップダンスシチーを追い越し、一着でゴールした。
明日にレース本番が控えているというタイミングでの練習における敗北だったが、片桐はストップウォッチのタイムを確認しつつ頷いていた。
「まさにタップが今後向き合うべき課題、背後の競争相手を走りやすくさせてしまうこと、ですね。」
「とはいえ、今回はたった4名……そのうち2名は、ずっと後ろにいるという状況でしたから。」
鷹木も返答しつつ、今ようやく最終コーナーを回り始めた黒ジャージのウマ娘たちに視線を注ぐ。もはや競走とは呼べぬほどの有様であったが、それでも走りを諦めない彼女らの姿は自ずと熱を帯びていた。
タキオンがクールダウンを兼ねて練習コースを流し、戻ってきた時に鷹木は違和感に気づく。
「タキオン?本気で走ったのか?」
「もちろんだとも!タップくんも、私の見立てにおいては特異点の可能性を有するウマ娘だからねぇ、全力で相手させてもらったとも!」
先ほどの最終直線、鷹木の眼からは、タキオンが全力で走った際の速度は出ていないように見えていたが、練習コースから戻ってきた時のタキオンは、多少脚を庇うような歩き方となっていた。
それは無意識に出る癖であった……タキオン自身が、自分の脚がさほど頑丈ではないことを意識しているが為に、全力に近い負荷を掛けて走ってしまった直後に示す癖であった。
「アイシングを行う、すぐに座って脚への負担を軽減しろ、タキオン。」
「あぁ、頼むよ。しかし、タップくんの逃げは着実に完成に近づいて行っているねぇ!追いやすい、走りやすいと思いながら彼女の背を追っていたら、思いもよらぬほどにスタミナを消費してしまっていたよ!」
それは今回の練習コースの設定が、常よりも長い距離であったことも少なからず関係しているだろう。
しかし、タップダンスシチーは走りやすいペースで後続を引っぱるからこそ、油断させてスタミナをすり減らさせるという作戦をも取り得るウマ娘であった。
だからこそ、鷹木はタキオンが全力を尽くして走っていることに気づけなかったのだろう。先ほどのタキオンはスタミナが切れかけており、常通りのスピードが出せなかった……その状態で、タップダンスシチーを追い越すというのも、並みならぬ才能の証ではあったが。
その点を指摘された片桐は、まるで隠しておきたかった作戦を暴かれたかのように、少々気まずそうな笑みを浮かべた。
「おっと、こちらが良い練習相手を得たと思ったら、タキオンさんの方にもヒントを与えてしまうとは、相変わらず聡明なウマ娘さんですね。」
「私が聡明であることなど、今さら言うまでもあるまい!しかし、この私がスタミナを出し尽くしてようやく追いつくほどなのだから、明日のレースではきっとタップくんが勝つだろう!」
「Too confident,アンタに負けて安心してられる私じゃないさ。片桐トレーナー、休息を挟んだらもう一回走らせてくれ。」
互いに勝利へと近づくための手掛かりを見出し、同時に栄冠へと焦がれる心を更に熱くした練習競走には違いなかった。
そして翌日には、タップダンスシチーと片桐トレーナーは京都へと発っていた。前日ギリギリまで練習を行い、当日に現地入りするという少々過密なスケジュールは、この両名だからこそこなせるものであった。
その日行われた条件戦に出走したのは、14名。タップダンスシチーは学園に入学して間もなくデビューした戦績が認められたのか、5番人気であった。
1番人気のウマ娘は、オープン戦にも出走してはいないものの、一昨年のデビューから通算38レースもの出走経験があるベテランである。追い込みを得意とするウマ娘であり、タップダンスシチーにとっては克服すべき競争相手でもあった。
世間全体から注目を浴びるグレードのレースと違い、条件戦の実況は淡々と進んでいく。
〈各ウマ娘ゲートイン完了しまして……スタートしました、まずはウチ枠からタップダンスシチー、果敢に先頭へと上がってまいりました。続いて外枠からユキノジョージ、更にはゴッドマーチも前へとでて3番手、続く4番手はダーケストシャドウ、その外アグネスパートナーが並んでいます。1番人気、ハートランドヒリュはぐっと下げて最後方からのスタートとなりました。〉
「いいぞ!タップくん!先頭に出られているじゃないか!そのままのペースでいけば、勝てるさ!」
「真横で怒鳴らないでくれ、画面に向かって叫んでも向こうには届かないんだから。」
例によってトレセン学園から中継観戦しているアグネスタキオンは、鷹木にうるさがられながらも熱烈な応援を飛ばしていた。
一般のテレビ番組では放送されない条件戦の中継は、トレセン学園内の回線にてネット経由で見る他にない。
必然的にパソコンの小さな画面で観戦することとなり、真隣りで良く通るアグネスタキオンの声が響くたびに鷹木は耳を塞いでいた。
〈落ち着いたペースでスタンド前を駆け抜けまして各バ1コーナーを回ってまいります。先頭はタップダンスシチー、リードを2バ身ほどとって、続く2番手はユキノジョージ、ゴッドマーチがその後に並んでいます。2番人気ゼンノスウィング、3番人気ダイタクアスリート、共に中団やや後方にて並んで進んでおります。ハートランドヒリュはその後ろ、虎視眈々と前方を狙う形であります。〉
2400mという距離になれば、逃げウマ娘であるタップダンスシチーにとってはペースをいかに維持するかが重要となってくる。
特に、このコースは直線が長い……最終直線へ突入したとき、自分に十分なスタミナが残されていなければ、後方から追い上げてきた競争相手に易々と差しきられてしまうだろう。
「しかし、初めてのことじゃないかねぇ?タップくんが、本番で先頭に立つことができているのは!」
「たしかに、これまでも逃げのペースは維持しようとしていたが、先頭集団に埋もれてしまっていたことがほとんどだったからな。」
このレースにおいて、タップダンスシチーは名実ともに逃げの作戦を実行出来ていた……それは繰り返した練習の成果、ペースの維持とともにスピードの向上も磨かれていたおかげであった。
〈向こう正面へと入りまして、先頭変わらずタップダンスシチー、2番手ユキノジョージ、ここでダーケストシャドウ、ウチをついて上がってまいりまして現在3番手となりました。そのすぐ外にゴッドマーチ並んでいます。5番手にアグネスパートナー、アグネススタオーが並びまして、内ラチ沿いをマンデーデライトが進み、その後にゼンノスウィング、ダイタクアスリートが続きます。〉
タップダンスシチーの安定したペースに合わせれば、走りやすくなるというのは相変わらずであるらしい。
後方の集団においてはほぼ入れ替わりも起きなかったが、3番手のウマ娘が早くも向こう正面にて前に上がり始めた。
「ふゥん、どうやらスタミナに余裕がある、と判断したようだねぇ。あの後ろのウマ娘は。」
「仕方がないだろう。このレースに先行の作戦でウマ娘を送り出したトレーナーとしての立場であれば、俺も安心して見ていられる。」
タップダンスシチーは相変わらず安定したペースを維持し、ハロンごとの通過タイムにコンマ1秒の狂いもなく、先頭に立ってレース全体を引っ張り続けていた。
〈さて3コーナーから4コーナーへ、先頭はタップダンスシチーだが徐々に間合いが詰まってきたか、外を通ってダーケストシャドウ早くも動いた、その後を追ってアトラクティーボ、そしてゼンノスウィングも前を目指し始める……最後方からハートランドヒリュ、1番人気のハートランドヒリュが動き出した!〉
条件戦とはいえ、相応に集まった観客たちから歓声があがる。
どのウマ娘レースにおいても、1番人気のウマ娘が目立った動きを見せれば観客席は湧く。確かな実力を備えているウマ娘は易々と周囲の状況に振り回されず、仕掛ければ確実に決めて来るからだ。
「大外から来ているぞ!タップくん!」
「いや、焦るな、焦るな……!ここまで丁寧にレースを組み立ててきたんだ、十分に勝ち目はある!」
タキオンが声を張り上げる隣で、画面の向こうには声が届かない、と先ほど言っていた鷹木自身もまたタップダンスシチーへの声援を口にしていた。
実際のところ、ここまで何らのロスもなく逃げのペースを続け、そして残すところは坂道もない直線ばかりであった。
〈最後の直線に向きまして先頭はタップダンスシチー!しかしアトラクティーボ、ゼンノスウィングが早くも並びかける!タップダンスシチーまだ埋もれるつもりはない、懸命に食い下がるが、ここで大外からハートランドヒリュ!ハートランドヒリュ大外から上がってきて並んだ!4名が横並びだが、先頭はハートランドヒリュ!ハートランドヒリュ、今一着でゴールイン!〉
スタミナをきちんと把握してペースを維持していただけあって、追いつかれた逃げウマ娘の例に倣ってズルズルと下がっていくことなど無かったタップダンスシチー。
結果は、四着であった。ハートランドヒリュ、アトラクティーボ、ゼンノスウィングがほぼ並んでゴールした、その1バ身ほど後ろでのゴールとなっていた。
中継画面のこちら側では、アグネスタキオンが真横の鷹木にうるさがられながらも独りで盛大な拍手を送っている。
「立派な逃げ作戦だったよ、タップくん!あのペースで全員を引っぱり続けて、なおも集団に埋もれないのは本物の証だ!」
「あぁ、あれだけ早いデビューからここまで仕上げてきて……更に指導してるのが片桐トレーナーとなれば、彼女はまだまだ進化を残してるだろう。」
今は彼女本来の性格らしく真っすぐに、ごく素直に、最も走りやすいペースを披露しているタップダンスシチー。
だが、デビュー後まるで目立たぬ戦績であったメイショウドトウを昨年、遂にテイエムオペラオーに対して勝たせた、あの片桐トレーナーが指導を担当しているのである。
彼がタップダンスシチーを優駿へと仕上げてくるのは間違いなかった。