探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 デビュー戦を終えたタキオンについて、精密な検査をすぐさま鷹木はトレセン学園の校医に依頼していた。それは以前からウマ娘を担当するたびに、神経質なほどウマ娘の怪我や故障に気を回す彼の性質の為せる振る舞いであった。現役を続ける限り、常に付き物である懸念事項への不安は、消えることなどない。そんな調子の担当トレーナーとは別に、アグネスタキオンはエアシャカールのもとにて、またしても新たな関心事を見出していた。


いずれ途切れる定めを、知らぬものか

 アグネスタキオンの悠然たる初勝利は、鷹木もタキオン自身も知らぬ間にトレセン学園中の、そして世間の語り草となっていた。

 

 同じ月の下旬に本番レースを控えていることを鑑み、ゴール前に速度を緩めるよう指示した鷹木の声は確かにレース中のタキオンにも届いており、後から映像を見返してもハッキリと彼女は顔をあげ、加速を中断していた。

 

 その上で後続と3バ身以上の着差をつけて勝利した様がまた、アグネスタキオンが余裕を示した証として挙げられたのである。

 

「競争相手など眼中になかったのでは、とか、本気を出さずとも勝てるだなんて羨ましい……だとか、色々言われてるな……。俺が出した指示通りの走りだってことは、伝えられる限り周囲に伝えたんだが。」

 

 祝勝のムードも冷めやらぬ翌日、鷹木はネットニュースのごく小さい記事にタキオンの名前を見つけ、そこのコメント欄に目を通して少々気分を重くしていた。

 

 無論、世間的にはより大きなレース、すなわち今月末に行われる有馬記念のほうがよほど重大な話題となっていたのだが、ウマ娘レースの次代を担うタキオンのような存在もまた一般の意識に上がる。

 

 同じトレセン学園所属の者同士であれば、ウマ娘が次なるレースに進むため、必要以上の全力を出させぬよう指示を出すことは充分に理解される。

 

 短いスパンで本番レースに連続出走するウマ娘にとって、脚に蓄積する負荷が何よりも致命的な事態を引き起こしかねないことは、トレーナー間に共有される最大の懸念事項であるためだ。

 

「だが世間一般には、全力を出さず走ったという印象ばかりが伝わってしまうんだな……ここで言ってても仕方ないか。」

 

 鷹木はさっさと支度を整え、トレーナー寮を出て、その足で学園の医務室へと向かった。

 

 昨日、レース後のウイニングライブから戻ってきたタキオンには即座に脚の検査を受けさせており、詳細な結果が今朝出ることになっている。

 

 医務室の扉をノックし、迎え入れる声に応じて入ってきた鷹木の表情を見て、校医は毎度変わらぬ表情のままに告げた。

 

「鷹木トレーナー、毎度毎度よく神経が持つものですな。」

 

「は、はい?」

 

「そんなに蒼ざめられてしまっていては、こちらにまで緊張がうつってしまいそうですよ。」

 

 ただ検査結果を受け取りに来ただけ、何気ない事務的な所作を示しているだけのつもりが、鷹木は自ら意識せぬうちに極度の緊張状態に陥っていたらしい。

 

 差し出された書類のファイルを受け取るため、伸ばした自分の手の指先が細かく震えていることに鷹木が気づくのも、そこから遅れてのことであった。

 

「医師としては改善を促したい精神状態ではありますが、しかしトレーナーとしては正しい姿なのかもしれませんな。」

 

「……そう、でしょうか。」

 

「鷹木トレーナーは、恒常性という概念をご存知ですか?ホメオスタシスとも呼ばれ、本来は生体の状態を一定に保つ性質を指すのですが、精神面においても同様に存在するという考えがありまして。」

 

 他の雑談を交えながら検査結果を渡す校医は、鷹木の緊張状態を少しでも紛らわせようという考えだったらしい。

 

 実際、鷹木にとっては有難かった。自分の意識が、タキオンの検査結果にのみ集中している状態で受け取っては、いよいよ抑えきれぬ動悸と発汗が彼の肉体を物理的に削っていたかもしれない。

 

「特定の条件に対して、自分がそれに慣れたくない、その状況を認めることは決して無い……と強く意識し続けることで、過剰な反応を示してしまうというものです。分かりやすい例で言えば、負けず嫌いな性格であると、負ける可能性に対して強い拒絶反応を示すなど、ですな。」

 

「なるほど、それは、分かる気がします……。」

 

 校医の言葉に頷きながら、鷹木は検査結果の項目に素早く目を通す。

 

 結果は、何も異常は見られなかったと示されていた。アグネスタキオンは、今まで通りにトレーニングを続け、次のホープフルステークスにも出走できる。

 

 しかしそんな検査結果も、鷹木を完全に安堵させうる情報ではない、と校医は充分に予測できていたのだろう。

 

「鷹木トレーナーの場合は、担当ウマ娘の脚に異常が見つかる可能性について、拒絶の念を常に働かせ続けていると言えるでしょうな。」

 

「……たしかに……」

 

 ここに来てようやく、鷹木の意識の中心に、校医が語っている内容が上がりはじめた。それまでは、アグネスタキオンの検査結果のみが完全に彼の意識を占拠しきっていたのだ。

 

 無論すべてのトレーナーに共通して、担当ウマ娘の脚の故障の可能性は強く懸念される内容である。が、鷹木にその性情が強烈に植え付けられたのは、テイエムオペラオーを担当していた期間に相違なかった。

 

 オペラオーが年間無敗を打ち立てた年の最初のレースも、ケイズドリームがゴールを目前にして骨折を引き起こし、選手生命を絶たれるという悲劇を伴っていた。

 

「脚の不安を抱える子を、あなたに担当させた理事長のお考えに間違いはないのでしょうな。それほど強く、常時、担当ウマ娘の脚を心配し続けられるあなたならば。」

 

「……。」

 

「同時に、それはトレーナー業を続ける限り、逃れることのできない思いですから……医師としては、ご無理をし過ぎぬように、とだけお伝えしておきますよ。」

 

 即座には返す言葉が見つからず、鷹木は校医に一礼だけして医務室を出ていった。

 

 緊張から来る震えや発汗は、いつの間にか止まっていた。

 

 自分が抱えずにいられない不安だったものに、否定ではなく、トレーナーとしての存在意義を含めた肯定を与えられたことは、鷹木にとって大きな救いとなったらしかった。

 

 幾名ものウマ娘やトレーナーをこれまで見てきたのだろう白髪の校医は、単なる検査結果の受け渡しの場で鷹木の精神面に大きな支えを与えたのであった。

 

 多少なりと顔面に血色を取り戻した鷹木は、歩を速め、タキオンが待っているはずの練習場へと向かった。

 

「よし、タキオン、十分に休息は取れたか?軽めのウォーミングアップから始めていくぞ……。」

 

「ちょっと待ってくれたまえトレーナーくん。……そうそう、そこのアドマイヤベガ先輩のデータの代わりに、ジャングルポケットくんのデータを入れてみてほしい。」

 

「あぁ、これでParcaeにシミュレーションを実行……ダメだ、やっぱりエラー吐きやがった。」

 

 鷹木が固まった視線の先には、アグネスタキオンと並んでノートPCの画面を覗き込んでいるエアシャカールの姿があった。

 

 以前、タキオンがシャカールに会いに行った時と同様、彼女らの話題の中心にあるのはシャカールが作り出したシミュレーションプログラム「Parcae」であろう。

 

 どうやら先ほどの試行は上手くいかなかったらしく、画面を前に腕組みしてじっと考え込んでいるタキオンへ鷹木は声をかける。

 

「えぇと、タキオン?エアシャカールは、今月末の有馬記念出走を控えてるはずなんだが、お前が引っ張って来たのか?」

 

「いやいや、いくらなんでも私じゃないねぇ。」

 

「オレの方から来させてもらった。ちっとだけParcaeに絡んで知恵を借りたいことがあった。」

 

 流石のタキオンも、有馬記念という最高クラスの舞台への出走を控えているエアシャカールの練習時間を邪魔するような真似はしていないらしい。

 

 シャカールもまた、トレーニングのための時間を割いてここに来た自覚はあるらしく、すぐに立って自分の練習場に戻れるようスポーツバッグは肩から掛けたままである。

 

 とはいえ、Parcaeに絡んだ問題はそう簡単に解決するものではないらしかった。タキオンも腕組みをしたまま、首を捻っている。

 

「ふゥん、明確に特異点であろうネオユニヴァース、ゼンノロブロイのデータは省略し、そしてカフェの見立てによればポッケ君の姿の“お友だち”がとり憑いているアドマイヤベガ先輩のデータも変え……あとは、シミュレーションを妨げる要素として何が残っているだろうねぇ。」

 

「オレ自身のデータを抜いてみっか……?ダメだ、そりゃ12着だなんて結果、Parcaeの予測を覆したものじゃねーよな。」

 

 仄かな自嘲の響きと共に、エアシャカールは頭を掻く。

 

 エアシャカールが12着だったレース、すなわち先月のジャパンカップについて、彼女らは頭を悩ませているのだろう。

 

 既に済んだレースとはいえ、その結果を振り返って走りの改善点を見出すことは重要な取り組みではあったが、シャカールの場合は更に別な懸念も抱えていたらしい。

 

「しかし単にシミュレーション結果がエラーになるだけであれば今までも観測されていたが、今年の12月以降の項目が追加できないというのは、全く初めての現象だねぇ。」

 

「さっぱり分かんねぇ。プログラムの隅々までチェックしたが、そんな初歩的な所でのミスは見つからなかった。」

 

 たかだかパソコンの画面内でのこと……ではあったものの、以前までのやり取りを見知っていた鷹木には、ジャパンカップの結果や、12月以降が表示されない「Parcae」の現象を気にする彼女らの思いもなんとなく理解できた。

 

 あくまでもシミュレーションプログラムであるはずの「Parcae」は、時おり理屈の範囲から逸脱した結果を示す場合があったのだ。

 

 精密な予測ではなく、まるでその名の通り、運命を知っているかのように。

 

「……Parcaeは、オレが今年の12月で引退するって言いてェのかもな。」

 

「そうと決まった訳ではあるまい。これまでも、シャカール先輩はParcaeの予測から外れる結果を出してきたじゃないか。今月末の有馬記念についても、エラーが出て予測結果が表示されないのは、同じ理由によるものじゃないかねぇ?」

 

「どーだかな。オレとしちゃ、今後一度も勝てないまま引退するってParcaeに言われても、驚きやしねーけど。」

 

 流石にこれ以上の長居をする気は無いのか、シャカールはノートPCをパタンと閉じて立ち上がり、スタスタと自分の練習場へ帰っていく。

 

 トレーニングへの気力を失っていないのは、エアシャカールの胸中に勝利への執念が未だ熱いことの証ではあったが、先月のジャパンカップにおけるゼンノロブロイ、ネオユニヴァースの圧倒的な走りを思い返せば……その勝利はかなり確信から遠いところにあるのも間違いなかった。

 

「運命というものを、むろん私も観測者としては信じていないが、時にはただ信じたくないだけなのかもしれない、と考えることもあるねぇ。」

 

「お……おう?」

 

 タキオンから不意打ちのごとく、不意打ちにしては難解な表現を唐突に投げかけられ、鷹木はマヌケな相槌だけを返す。

 

 彼女が言わんとする所の全てを鷹木はもちろん理解できなかったが、その一端を現実に感じさせる出来事が、数日後に起きるとは思ってもみなかった。

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