探求者たちのタイムクライム   作:Okubo Masau

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 ジャングルポケットのデビュー戦、そして札幌ステークス、と続けて彼女の二着に甘んじていたタガノテイオー。ジャングルポケットも勝利した側とはいえ、因縁の相手としてタガノテイオーとの次なる対決を心待ちにしていた。ポッケはアグネスタキオンが確実に参戦してくるホープフルステークスに出走を決めていたが、タガノテイオーが出走するフューチュリティステークスからももちろん目を離せない……理不尽なる運命の足音は、すぐそこまで迫っていた。


途絶える命運、その最初は

 タップダンスシチーが出走し、見事勝利した天竜川特別競走の翌日。

 

 決して見逃すまいと、発走時刻の前に練習を切り上げたジャングルポケットは、フューチュリティステークスの中継番組が映し出された画面の前で待ちながらクールダウンを行っていた。

 

 むろん、その月に行われるGⅠレースの一つたるフューチュリティステークスは、世間的にも注目を集めるレースに違いない。

 

「やっぱ、アイツが一番人気か。タガノテイオー。」

 

「随分とあの子に入れ込んでおられますわね、ジャングルポケットさん。ホープフルステークスではなく、このレースに出走したほうが良かったでしょうか?」

 

 キングヘイローが給水用のボトルを差し出しながら告げるが、ジャングルポケットは小さく笑いながら首を横に振った。

 

「タガノテイオーとはまたやり合いたいけどよ、まだ一度も勝ててない相手と決着をつける方が先だ。アグネスタキオンとの勝負を避けっぱなしじゃあ、来年からのレースに踏み切れない。」

 

「ですわね。12月の頭にタキオンちゃんがデビューすると聞いて、あの子がホープフルの方に出走すると見越して正解でした。」

 

 ジャングルポケットの思いを汲むように、キングヘイローは彼女の出走レース予定を組んでいた。アグネスタキオンが最大のライバルとなることは明白である以上、実際に彼女と本番にて競うことは経験しておくべきだった。

 

 それに、距離1600mのフューチュリティではなく、距離2000mのホープフルで通用しなければ、来年から始まるクラシック路線のレース、三冠ウマ娘の座を狙う戦いの舞台には上がれない。

 

 そういった理由から、このフューチュリティステークスへの出走を見送ったジャングルポケット。とはいえ、ここに出走しているウマ娘たちには彼女に縁の深い顔ぶれが他にも居た。

 

「メジロベイリーも出てるのか、アイツが10番人気ってのは低く見られすぎな気がするな。」

 

「ジャングルポケットさんのデビュー戦では、かなり後ろでのゴールとなってしまっておられましたけれど、メジロベイリーさんも実力をめきめきと上げておられますからね。」

 

 クールダウンのストレッチを終えたジャングルポケットは、キングヘイローの言葉に頷きながら画面前の椅子に腰かける。

 

 この日も、ジャングルポケットの練習を普段から間近で見ているアグネスデジタルの姿はここになかった。今日も、来年からの現役復帰に向け、桂崎トレーナーのもとに居るのだろう。

 

 キングヘイローと並んで、画面内で続々と進んでいくゲートインの光景を見つめながら、ジャングルポケットはボソッと呟いた。

 

「……にしても、入学早々、アグネスデジタル先輩の目に留まって……さらに、あの黄金世代の一角、キングヘイロー先輩が俺の担当トレーナーになってくれるだなんて、今にして思えば出来過ぎてるな。」

 

「確かに、ウマ娘の才能を嗅ぎつけるデジタルさんの感覚には、私も舌を巻いていますわね。あなたの担当が、まだ桂崎トレーナーの見習いでしかない私で本当に良いのか、と考えることはありますけれど……。」

 

 キングヘイローの立場からは、ジャングルポケットのごとく勝利へひたむきに努力を続け、同時に生来続けてきた走りゆえに身についた器用さをも備えているウマ娘との出会いこそが、出来過ぎた運命であった。

 

 それは衝動のままにウマ娘に惹かれるアグネスデジタルが引き合わせた結果でもあったが、新米トレーナーとして模索の日々が続いていることもまた確かではあった。

 

「ジャングルポケットさんの走りを更に高めるための助言をしているつもりで、実際のところ誰が言っても同じことになるのではないか、という思いがよぎることもあります……偶に、ですけれど。」

 

「俺としちゃ、黄金世代の一角たるアンタ自身、キングヘイローが助言してくれてる、ってだけでかなり心強いけどな。」

 

 現役時代、幾度も一着に届かぬレースを経験し、その上で勝利の栄冠をつかんだキングヘイロー。

 

 彼女の経験したレースとジャングルポケットが将来的に走っていくレースは、決して重なり合うものではないにせよ、勝利への本物の執念を抱きつづけていたウマ娘からの言葉は他と重みが違っていた。

 

 ジャングルポケットの素っ気ない言葉から向けられた真っすぐな敬意に、キングヘイローが少々照れくさそうに顔を俯けている内に中継画面ではレース出走の態勢が整っていた。

 

〈12月最初の大舞台、中山レース場、フューチュリティステークス……スタートしました!好スタートはメジロベイリー、しかし先頭は一団となりまして外からカルストンライトオ、果敢に前へと出ていきました。リードが2バ身、3バ身といったところ。2番手にはテイエムサウスポー、その外にはジーティースマイルです、ここから2コーナーへと入ってまいります。〉

 

 16名と多い出走数となったフューチュリティステークス、距離1600mということもあり、おのずから実況の口調も速まっていく。

 

 ゲートが開くとほぼ同時にスタートを決めたメジロベイリーは、焦ることなく先行争いには加わらず、中団に位置を占めていた。そのすぐ外には、タガノテイオーも並んでいる。

 

「アイツらが勝てそう、ってのは、俺のひいき目が入っちまってるか?」

 

「いえ、実際に相応の実力が見て取れます。良い位置につこうとして位置取り争いに参加してしまうと、レースの序盤からスタミナを浪費してしまいますもの。」

 

 ジャングルポケットの言葉に頷き返しながら、キングヘイローも解説している。

 

 今年デビューしたばかりの経験浅いウマ娘たちばかりが走るレースながら、格段にレース運びの上手い者たちは早くも周囲と比べて落ち着いたペースを維持していた。

 

〈中団はフィールドスパート、さらにはメジロベイリーが内ラチ沿い、ユノピエロもすぐ後を追う。あとは外を回ってはフォーユアラヴ、タガノテイオーは中で挟まれている形、さらに外を回ってネイティブハート中団、バ群の中エイシンスペンサーの姿があります。ウチをついているのはウィンラディウス、残り1000mを通過、向こう正面です。〉

 

 やはり出走ウマ娘の数が多いと、実況中継はその名前を読み上げるだけでかなりせわしない状況となる。

 

 ジャングルポケットは、分割された画面の上半分、走っていくウマ娘集団全体を撮っているカメラ映像をじっと見つめ続けていた。

 

「先頭から中団まで、ぎっちり詰まってやがるな。順位も入れ替わりまくってる、あの中に巻き込まれたらキツいだろ。」

 

「ですがタガノテイオーさんもメジロベイリーさんも、コースの中に閉じ込められている形のままに安定した位置を保っていますわね。これなら、最後失速することもなさそうです。」

 

 特にジャングルポケットと肩を並べて競い、このレースにおいても1番人気となっているタガノテイオーの存在を、他のウマ娘も強く意識しているようであった。

 

 だからこそタガノテイオーが前に出づらいようブロックし、その周囲では焦るように前へ前へと足を速める者たちの存在が目立っていたのだろう。

 

〈ウチを突いているマイネルカーネギー後方から3番手、あとはメイショウドウサン、最後方はロッキーアピールです。3コーナーを回っていきます残り800mを通過、先頭はカルストンライトオ、リードは半バ身にまで縮まっている。2番手にはジーティースマイル、テイエムサウスポーが3番手、フォーユアラヴちょっと後退気味か、ウチを突いてメジロベイリー、外からはエイシンスペンサー、タガノテイオーはバ群の中、いよいよ直線へと向きます!〉

 

「いや、これなら抜け出せるぜ、タガノテイオーは。」

 

 画面内ではすっかり集団に囲まれてしまっているタガノテイオーの姿が映っていたが、ジャングルポケットは共に彼女と走った経験をもって、そう述べていた。

 

 キングヘイローも首肯すると同時に、他のウマ娘の走りを見つめている。

 

「えぇ、これだけ差の詰まった状態では追いすがられるでしょうけれど、タガノテイオーさんの過去の走りを見るに、ほぼ確実に先頭を取れるでしょう。」

 

 やがて4コーナーを回りきって直線へ向いたとき、タガノテイオーはしっかりと前を塞がれぬ位置で加速を開始した。

 

 この形になれば、タガノテイオーが勝つ……ジャングルポケットは、ほとんど確信をもって中継画面を見つめていた。

 

〈先頭はカルストンライトオ、そして続くはテイエムサウスポー、あとはどうか、ネイティブハート懸命に追い込んできた、しかしタガノテイオー間から、タガノテイオー間から一気に来た!残り200m!タガノテイオー先頭!タガノテイオー先頭だ!……間を突いて、メジロベイリー!メジロベイリーが今突っ込んできた!メジロベイリーだ!メジロベイリー、一着でゴールイン!タガノテイオーは二着となりました!〉

 

「……え?」

 

 ジャングルポケットが声を上げたのは、メジロベイリーが猛然と追い上げてきたことに対してではない。メジロベイリーもまた堅実にスタミナ浪費を防ぎ、一着を争うだけの脚を有していることは明白であった。

 

 それよりも、タガノテイオーの失速があまりにも不自然であった。

 

「いや、スタミナ切れじゃねーよな、アイツにとっては十分すぎる距離だ、何かあったのか……?」

 

 画面は一着で駆け抜けていったメジロベイリーの姿をしばらく映していたが、間もなくタガノテイオーに異変があった様が映し出された。

 

 早々に脚を止め、片足を引きずるようにコースの外側へと出て倒れ伏したタガノテイオー。トレーナーやスタッフの面々が慌てて集まっていく。

 

「……明らかにおかしかったよな、最後。まさかタガノテイオー、疲労が溜まっての骨折とかじゃないよな……。」

 

 ジャングルポケットは怪訝そうな表情と共にそう呟いていたが、それが事実であればかなり重大な故障となる。

 

 レースを走るウマ娘にとって、最も重要な時期。2年目のクラシック路線を目指す選手であれば、このタイミングで大怪我をしてしまうことが、どれほど致命的な結果を生むか知らぬ者はいない。

 

 タガノテイオーがここで現役を退くようなことになっては、ジャングルポケットとの再戦も叶わない……。

 

 キングヘイローは即座に席を立つ。

 

「私は、タガノテイオーさんについての情報を集めてまいります。ジャングルポケットさんは、ホープフルステークスに向けての練習に専念なさって下さい、トレーニングメニューは以前お渡しした通りに。私も可能な限り、早く帰ってきます。」

 

「あ、あぁ、分かった……。」

 

 ジャングルポケットにとってもホープフルステークスという大舞台を前に大切な時期には違いなかったのだが、好敵手の身に確実に重大な故障が起きたことを、気にせずにいられる性格ではない。

 

 キングヘイローは練習再開を指示し、自身も逸る気持ちを抑えながら早歩きで練習場を出て、生徒の情報が真っ先に届くトレセン学園の理事長室へと向かった。

 

 タガノテイオーの脚に粉砕骨折が見つかり、彼女が引退を余儀なくされたとの報せが届いたのは、間もなくのことであった。

 

〈タガノテイオー、骨折により引退〉

 

 そのニュースは、世間が近づく有馬記念の話題に染まっている中で、ひっそりと流された。

 

 むろん、タガノテイオーが出走したのはフューチュリティステークス、GⅠレースであり、その1番人気ともなれば、もはや無名のウマ娘にはあたらない。

 

 だが、大々的に報道されることがないのは、ウマ娘およびその担当トレーナーを守るためのトレセン学園側の判断でもあった。

 

 これからの活躍を目指し、レースの舞台に上がって走り始めた矢先、突如の骨折によって夢を奪われるという悲劇。大きな話題となってしまっては、担当ウマ娘の骨折を防げなかったのか、と担当トレーナーが非難を浴びることは想像に難くない。

 

 当然ながら、担当トレーナーはウマ娘の安全を最優先に指導を行っている。度重なるトレーニングによる脚への負荷の蓄積を十分に見極めた上で、レースでの最速を目指してウマ娘と共に鍛錬の場に居るのだ。

 

「やっぱり、タガノテイオーの入院している病院の場所は秘匿されてる……頻繁に出入りしていたらマスコミに目を付けられかねないし、担当トレーナーが見舞いに行くのも止められてるだろうな。」

 

 タガノテイオーと、その担当トレーナーのもとに起きた出来事を、全く他人事として思えない鷹木は、盛んにネット上の数少ないニュース記事を漁っていた。

 

 トレセン学園側からの意向が告げられたこともあったろうが、その件を大々的に報じようとするメディアが居ない現状に、改めて鷹木は僅かながらの安堵を覚えていた。

 

 長いURAの歴史の中、メディアの側も、故障によって引退するウマ娘に関しての報道が、その担当トレーナーへの個人攻撃につながる必然を理解しているのだろう。

 

 思えば、オペラオーが引退した時もそうだった。引退原因は負荷蓄積による骨折だったが、無理のあるトレーニングの存在を疑うような言説はなかった。だからこそ鷹木は彼自身が怯えていたように世間からの批判にさらされることなく、一度だけオペラオーの見舞いに行くことも出来たのだ。

 

 ……ウマ娘とトレーナーを護る責務をトレセン学園が十全に果たしていることは確かであったが、夢に向かって駆け始めた矢先に道が断たれることが悲劇であることに変わりはない。

 

 入院しているタガノテイオーの状況を、最も早く把握したのはキングヘイローであった。

 

 ジャングルポケットの指導を担当していたキングヘイローは、タガノテイオーを自らと肩を並べるライバルの一員として見ていたジャングルポケットのためにも、トレセン学園に話を通し早々に直接見舞いに行ったのだ。

 

 ウマ耳を隠すため目深に被っていたニットキャップを脱ぎ、口元までうずめたショールを外しながら、キングヘイローは僅かに嗄れた声で話し始める。

 

「タガノテイオーさんの容体は、今は安定しています。もちろん、命に別条もなく……。」

 

 そう告げるキングヘイローの言葉は、冷静さを保とうと努めた結果か、常のキングヘイローよりも抑揚に欠けた響きとなっていた。

 

 つい先ほど送迎のタクシーから降りてトレセン学園へ帰ってきたばかりのキングヘイローが、何十キロも走り続けてきたかのごとき疲弊の表情を浮かべている様の方が、よほど目立っていた。

 

 お互いの担当ウマ娘を別々の練習場で走らせながら、トレーナー同士の会合の場にて鷹木は尋ねる。

 

「よかった……いや、よくはないが、骨折に併発するような症状が出なかったのは、まだ……。」

 

「えぇ、ですが、精神面では、計り知れないほどの負荷を受けているのが見て取れましたわ。タガノテイオーさんご自身は、気丈に振舞おうとしておられましたが。」

 

 世間からの視線に晒されることが無いよう、担当トレーナーも易々と外出できない状況。

 

 目立たないようにコソコソとではあるが、黄金世代の一角であるキングヘイローが見舞いに来てくれたことは、タガノテイオーにとっても大きな心の支えとなったろう。

 

 が、既に彼女はハッキリと自覚しているはずであった……自分が、もうウマ娘レースの舞台には戻れないことを。

 

 命が続く限り、そして治療後のリハビリが上手く進めば、走る機能を取り戻すことはできるだろう。しかし、ウマ娘の身体能力が最大限に開花する時期、本格化を迎えている期間、彼女は病院の中で治療を受け続ける必要がある。

 

 GⅠレースの舞台へと遂に上がり、ようやっと夢の一端を掴みかけたばかりのウマ娘にとって、あまりに酷な運命の仕打ちであった。

 

「慰めの言葉など言えませんでした。何かあの子を元気づけることを、といくら考えても、どんな言葉も軽すぎて。せっかくお見舞いに行ったのに、沈黙してる時間の方が長くなってしまいました……。」

 

「本気のレースを幾度も経験してきたあのキングヘイローが、自分の状況を直視してくれている、と感じるだけでもタガノテイオーには充分な見舞いだったんじゃないか。」

 

 キングヘイローは、鷹木が何とか捻りだした表現に対し、曖昧に頷いた。

 

 鷹木の考え方は外れてはいなかったろうが、しかし実際に入院中のタガノテイオーへ会いに行ったキングヘイローには、自分以上の適任者がいたのではという思いが拭えないらしかった。

 

「病室は、とても静かな個室でした。トレセン学園のはからいで、一番良い部屋を用意されたのでしょう。日当たりのいい一階、何かあればすぐにでもお医者様が駆けつけられる場所でしたわ。」

 

「そうか、病院の側も融通を利かせてくれたんだな。」

 

「……単なる融通以上のものを、あの場には感じました。私が見舞いに居る間も、数分ごとに看護師さんが部屋を覗きに来られましたし、病室から見えない廊下の外では、常にお医者様が扉の近くで様子を窺っておられました。」

 

 キングヘイローはそれ以上の憶測を口にすることはなかったが、鷹木にはその状況が意味するところを十分に理解できた。

 

 一階の病室が選ばれたのも、定期的に看護師や医師が様子を覗きに来るのも……入院患者が命に別条のない状態であることを確認したうえでなお、そうするのは……自傷行為、果ては自死を防ぎ、予兆にも早急に気づくためだろう。

 

 文字通りにレースに命をかけて走ってきたウマ娘が、唐突に走る脚を奪われた時、どのような事を考えるのか……その当事者でなければ完全な予測は成り立たないだろう。

 

「タガノテイオーさんは、私が見舞いに現れたことに少し驚き、そして会えたことに喜んでくれました。そして、辛そうな顔の中に、僅かながら満足そうな表情を浮かべて……その目の奥に、消え入りそうな儚さが見えたのは、気のせいではないように思えてならなくて……。」

 

 深く俯き、強い不安の表情を浮かべるキングヘイロー。

 

 当然ながら担当ウマ娘であるジャングルポケットの前で、このような顔は見せられないだろう。今この場に、トレーナーである鷹木しか居ないからこそ、その思いを初めて隠さずに顔に出せたのだ。

 

 担当ウマ娘のもとに不安を持ち帰るわけにはいかないトレーナーの立場として、鷹木もその解消に助力する。

 

「万が一のことが起きる心配はゼロじゃないが、それでも病院側も協力してくれているんなら、彼らに任せるのが一番じゃないか。」

 

「ケイズドリームさんのときは、どうでしたの?」

 

「え……?」

 

 鷹木は驚いたように聞き返す。ケイズドリーム、その名をキングヘイローがしっかりと知っていることに対しての驚きであった。

 

 むろん鷹木は、そのウマ娘のことを決して忘れはしない。

 

 テイエムオペラオーが年間無敗を達成する最初のレース、京都記念の最終コーナーにて突如失速し、レースから離脱。骨折が発覚し、そのままケイズドリームは引退となった。その年、一月の松籟ステークスにて一着となり弾みをつけ、大舞台へと上がった矢先のことである。

 

 華やかな、そして本気の闘志が競い合うレースの舞台に、悲劇もまたつきものであることを明瞭に実感させられる出来事であった。

 

「ケイズドリームのもとには、オペラオーが見舞いに行った。俺も知らされていなかったんだが、オペラオーの判断をトレセン学園も了承したんだろう。ケイズドリームとは、また走るとの約束を交わしたと言っていたな……骨折で引退が決定したばかりの相手に、いくらなんでも遠慮がなさすぎるが。」

 

「いえ……それがいいのかもしれません……そう言われたからこそ、気力を保てたのかもしれませんわ。」

 

 キングヘイローは顔をあげ、鷹木の眼を真っすぐに覗き込む。

 

 同時に、鷹木もあの時、見舞いから戻ってきたオペラオーに言われた言葉を思い返していた。

 

 

 

 ……むろんボクとて、走れなくなるとなれば多少の焦りは覚えるだろう。しかし、ウマ娘たる我々、走りを諦めるのは死ぬときだけだ。

 

 

 

 競う相手を得て、いずれまた走り出すのならば、それだけでウマ娘が生き続ける理由としては充分なのだ。

 

「この世界に、自分と競争する相手がいることこそ、一番の生きる理由、将来に目を向ける活力に他なりませんわね。私自身がウマ娘なのに、どうしてその考えが抜け落ちていたのでしょう。」

 

「じゃあオレを連れてってくれよ、キングヘイロートレーナー。タガノテイオーの有様を見せられて、オレがショックを受けちまうんだとか心配してたのかもしれねーけどよ。」

 

 トレーナー同士で会話していた場へ、唐突に投げ込まれるジャングルポケットの声。

 

 鷹木も顔を上げれば、ジャングルポケットの背後にアグネスタキオンも並んでいた。こちらはいつもと違い、状況をしっかりと察して口を噤んでいる。

 

 キングヘイローは、さほど驚きもせず、先ほどまでとはハッキリと違って明るさを取り戻した顔をジャングルポケットへ向けて言った。

 

「ジャングルポケットさん、お伝えしておいた練習メニューは済んだのですか?」

 

「終わったよ、だからトレーナー同士で延々と何の話してんだと思って来たんじゃねーか。タキオンも暇そうにしてんだ、あんまり放っておかれるとオレがまた面倒な実験とやらに巻き込まれちまう。」

 

 ジャングルポケットの背後で肩をすくめているタキオンからの目くばせを受け、微笑みと共にキングヘイローは立ち上がる。

 

「では、ジャングルポケットさん、あなたも変装なさらないと。あまりウマ娘が出入りしている様を見せてはタガノテイオーさんの入院場所が世間にバレてしまいます、変装の経験はおありかしら?」

 

「いや、ねーけど、でも変装して会いに行くのか、むしろそのせいで緊張しちまわないかな……。」

 

 すっかり明るさを取り戻したキングヘイローは、ジャングルポケットと並んでその場を去っていった。

 

 この場に残されたまま座っている鷹木の隣、先ほどまでキングヘイローが座っていた場所にタキオンは腰掛ける。

 

 こちらは、また別なことについて考えに耽っていた様子であった。

 

「トレーナーくん、私はあくまで科学的に物事を理解しようと努めている、ゆえに運命というものは信じないがね……」

 

「お、おう……。」

 

 たびたびアグネスタキオンが口走っているトンデモ理論が、果たして科学と呼べるのか甚だ怪しいものではあったが、鷹木は彼女の次の言葉をおとなしく待った。

 

 ジャングルポケットが喋っている間も、いつもと違ってでしゃばることなく黙りつづけていたタキオンは、彼女なりに神妙な態度を見せていることが明らかであった。

 

「……運命のせいにもしたくなるねぇ、タガノテイオーくんのごとく、何の予兆もない引退を強いられる様を見るにつけ。」

 

「だからウマ娘担当トレーナーは、担当ウマ娘の脚の状態に細心の注意を払っているんだ。タキオン、お前は心配しなくていい、何の問題もない状態でレースに向かってくれていい。」

 

 そう鷹木は告げたものの、タキオンのノイズの走ったがごとき目には不安の色などまるで浮かんでいなかった。

 

 もとより速く走ること、走りの限界に焦がれている彼女は、仮に脚に不安を抱えているとしてもまるでお構いなしに、全力でレースを駆け抜けるだろう。それでも鷹木は、ウマ娘に不安を与えないことに尽力していた。

 

 だが、タキオンが話題としたかったのは、そのような内容ではなかった……彼女は文字通りに、運命について語りたかったのだ。

 

 ウマ娘の生き様を予め定めたような、運命とも称すべき事象を、万が一にでも科学的に実証できるのならば、タキオンは全てを投げ出して全精力をそこに注ぎこむだろう。

 

 レース展開を“観測”できるネオユニヴァース、ウマ娘にとり憑く“お友だち”を視認できるマンハッタンカフェ。

 

 それらに対する憧憬は、タキオンの中でレースで走ることに比肩するまでに膨れ上がっていた。

 

「……タキオン?」

 

「いや、気にしないでくれたまえ、トレーナーくんの側も、心配することなどない。」

 

 彼女の全てを理解するには程遠い所にいる鷹木。

 

 アグネスタキオンの表情に、ごく小さな諦めの色が覗かれたことだけ、彼には伝わったのであった。

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